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一旦退院した母を見舞った翌日の月曜日。普段の日常を取り戻したかのように見えた。午前11時過ぎ、自分のデスクで仕事中、脇に置いてあった私の携帯が鳴った。電話の主は嫁である。仕事中であることがわかりきっている時間帯に下らない用事で電話をかけてくるような嫁ではない。一瞬にして嫌な予感が広がった私は、トイレに立つフリをして電話に出た。「お義母さん、またちょっと具合が良くないねん」電話の向こうの嫁の声からは明らかに深刻な様子が窺える。「どないしたん?どうなってんの?」不安で声がかすれているのが自分でもわかる。とにかく吐き気と熱がひどくて嫁の車にも乗せられないような状態であるから、取りあえず最寄の病院に連絡だけしておいて救急車を手配するという。病状がわかったら再度電話するように頼んで一旦電話を切り、仕事に戻ったのだが気が気ではなく、とても手につくような状態ではなかった。午後3時頃、再び嫁からの電話。最寄の病院での診察の結果、細菌性髄膜炎という病気に罹っている可能性が高く、その病院では現在入院できる態勢になっていないので、市内の病院に転送することになった、とのこと。母はほとんど意識が無い状態で、かなり危険な状態であることが告げられた。とにかくすぐに家に帰ると伝え、会社を早退させてもらい、急ぎ帰路についた。午後5時過ぎ帰宅。嫁は一旦帰宅しており、病院へは父が付き添っているという。取りあえず着替え等すぐに必要なものを持っていった方がよいということで、実家の何処に着替えがしまってあるのか要領を得ないので、行きしなにスーパーに寄って適当に購入した。嫁は自分の実家で待機して子供の面倒を見るように言い、私は単身病院へと向かった。病院への道は一番道路が混む時間帯であり、中々進むことができずに苛々する。しかしここで私が事故など起こしたらシャレにならないので、何とか心を落ち着けながら慎重に運転をする。ようやく病院に辿り付き、受付で母の病室を尋ねると、ロビーから私を呼ぶ声がする。病院の近くの会社に勤める義父が連絡を受け、心配して駆けつけてくれたらしい。挨拶もそこそこに並んで5Fの病室に向かう。義父の口調もあまり穏やかではない。更に不安が広がる。スタッフルームと直結した母の病室は、集中治療室の雰囲気を漂わせている。意識もなく、苦しそうにうめく母。傍らに所在無く立っている父。やがて担当医に呼ばれ、別室へと移動した。「ご主人にも話しましたが、何が起こってもおかしくないということは認識して下さい」開口一番、担当医は私にそう言った。目の前が真っ暗になる。何で急にそんなことになるのか、まったく理解ができなかった。細菌性髄膜炎の疑いが強いものの、現時点ではまだ確かなことは言えない。髄液の検査で脳に入ったばい菌の種類を特定するのに約2日かかり、それまでは一般的な抗生物質を点滴で投与するしか方法がない。聞きなれない「細菌性髄膜炎」という病気は、主に脳にばい菌が侵入して炎症を起こすことによって発症する。異物に対する脳周辺の防御作用は人間の身体の中でも最も強いものであり、通常の健康状態であればまず発症することはないらしい。従って主に罹患する年代は幼児か70歳以上の高齢者に多い。要するに抵抗力が弱い者が罹りやすいということである。菌の種類が特定できれば決して難しい病気ではないが、現時点ではあらゆる可能性を否定できないという。この場合の可能性とは、回復しても後遺症が残るかもしれないということ、そして死である。何故脳に細菌が入ってしまったのか原因はわからない。先の頭を打ち付けたこととの因果関係も不明である。それにしても先に一度病院で診察してもらった折、高熱と血液の炎症という要素は既に把握していたのである。担当医の説明を聞きながら、後悔の念が一気に押し寄せる。そして考えたくない最悪の事態ばかりが浮かび、その度先の病院で詳しく原因追及しなかったことが悔やまれる。聞きたくない、認めたくないような言葉ばかりが頭に残る。気が付けば意識せぬ間に大粒の涙を流していた。「どうかよろしく頼みます・・・」何とか言葉を振り絞って言えたのはこれだけであった。いずれにしても脳の炎症に対しては先の異物が侵入した際の理屈と同じく、抗生物質も非常に効きにくい故にかなりきつめの薬を使用せねばならず、また治療法も薬餌療法で手術や何やでどうにかなる種類の病気ではない。少なく見積もっても完治までには1カ月はかかるらしい。義父に礼を述べて引き取ってもらい、父とふたり病室で横たわる母を見下ろしている。呼吸は浅く、早い。解熱剤が効いて熱は下がったものの、そのためにかなりの汗をかいている。この病院に運び込まれてもう数時間が経過しているが、いまだ昏睡状態のままである。しばらく母を見守っていたが、父が食事に行かないかと言う。見れば時計はすでに午後9時をまわっている。昼前に母が倒れてから父は今まで何も食べていないのだと気付き、食欲はなかったが一緒に病院の外に出る。看護士には携帯電話の番号を告げておいた。すでに最悪の事態に備えて冷静に頭がまわっている自分に驚く。市内とは言え外れに位置する病院の周辺には店らしきものが何も無い。ようやくおでんの提灯が下がった店を見つけて中に入る。場末のスナックみたいな店内に、たったひとつのテーブル席に爺さんが腰掛けてテレビを見ている。その爺さんがこの店の主であることに気付くのに暫くかかった。父はおでんを3品とやきそばを注文し、私はやきそばだけ注文する。非常時で食欲もなく、味などわかりそうにもないのだが、出てきたやきそばがやたらマズかったのがおかしかった。そのショボくれた店でマズいやきそばを啜りながら、今後の段取りについて相談する。どちらにしても私と嫁と父だけではどうしようもないので、母と一番親しい叔母に助けを求めることにした。病院の公衆電話から叔母に電話して母の状況を伝えると、非常に驚いた様子であった。取りあえず一週間は予断を許さない状況であるので、父、私、叔母でそれぞれ付き添うよう段取りを行い、必要な身の回りのものを整理してまとめ、準備することにした。少々不安ではあったが、長期の入院となると今手持ちのものだけでは到底足りないので一旦父と共に実家に戻ることにした。父は明日行くはずだったゴルフの約束を断らなければならないとしきりに気にしている。そもそも先に退院してからいくばくもない日の約束を何故断っていないのか。今日のような事態にならずとも病み上がりの母を置いてゴルフなぞに行く気であった父に無性に腹が立ち、なじる。父は何も答えなかった。実家に到着してまず押入れを開け、寝巻き、下着、タオル各種を詰めるだけ詰めた。父はゴルフの連絡をしているものの、電話が繋がらない。呼び出しはしているのだが誰も出ないらしい。「そんなもんほっとけ、電話しても出ないんやからこっちの義理は果たしてるやろ」再び苛立った私は父にそう言い放ち、出発を促した。時間は夜の11時を過ぎている。道は最初に来たときとはまったく交通量が少なく、スムーズに進んでいる。車内は無言で、カーステレオから場違いのポップスだけが空しく流れている。再び母の病室の中。看護士に荷物を入れる場所を教えてもらい、着替えその他をしまう。母は眠っている。看護士の話では、取りあえず呼吸も血圧も安定しているとのこと。「心配せんでゆっくり休んどき」苦しそうに何度も身をよじる母を見下ろし、声をかけたが反応はない。またもや最悪なことが頭をよぎると、言葉の最後の方は嗚咽が漏れそうになるのを必死にこらえた。「じゃぁ何かあったらすぐに連絡して」そう父に言い残し、病院を出た。深夜の寒さが身体にこたえる。病院の駐車場の中で車のエンジンをかけ、車内が暖まるのを待つ。携帯で嫁に電話をして経過を報告する。今夜はそのまま実家に泊めてもらうように言い、明朝モーニングコールだけ頼むと伝えた。自宅に帰り着き、シャワーを浴びて早々に床についたが中々寝付けない。これからのことを考えるとやはり気が重かった。一週間先のことがわからない。どうなるのか、それを考えても悪い結果しか出てこない。「なるようにしかならないのだ」そう言い聞かせて無理矢理眠った。何が起ころうとも、時間だけは正確に過ぎていく。翌朝は普段と何も変わらなかった。母がいなくなるかも知れない、その可能性があることを除けば・・・。
Dec 13, 2005
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1978年というのは東映特撮史上における冬の時代と呼んでも過言ではない。社会現象まで巻き起こした『仮面ライダー』シリーズは75年のストロンガーを最後に休止状態。『秘密戦隊ゴレンジャー』の大ヒットを受けた『ジャッカー電撃隊』の不調により、現在も毎年新作が続いている戦隊モノも78年だけは空白状態。その他ポスト『仮面ライダー』を目指すべく百花繚乱を誇っていた変身ヒーローものはすでにブームが去り、時代はアニメーションに移りつつあった1978年。その隙間の時代をたったひとりで支えたのが『スパイダーマン』であったことは意外に知られていない。そしてそんな不遇の時代を象徴するように、この東映版『スパイダーマン』は以下の2つの意味で異例の作品となった。■海外コミックが原作→近年のハリウッド映画のヒットを持ち出すまでもなく、『スパイダーマン』はアメリカ のマーベルコミックの人気キャラクターである。 『仮面ライダー』を祖とする東映特撮の原作は、ほとんどが石ノ森章太郎の手による ものであるが、本作と79年の『バトルフィーバーJ』はマーベルコミックの版権と なっている。これが為に再放送もされていないという事情があった。■等身大のヒーローから巨大ロボ→現在でも戦隊モノの定番となっている巨大ロボであるが、等身大ヒーローがロボットに 乗って戦うスタイルは本作が初めてである。 尚、東映の巨大ロボットものといえば『鉄人28号』のあからさまなパクリである 『大鉄人17(ワンセブン)』が本作より前に存在していたことも付け加えておく。実は本作とほぼ同時期、TVシリーズを再編集した形で本家アメリカ版『スパイダーマン』の実写作品が存在していた。TVシリーズ故の低予算ということもあるが、東映版を先に観ていた私は、後にTVで本家『スパイダーマン』を観たところ、そのもっさりしたアクションにとてつもない違和感を感じたことを記憶している。原作のスタン・リー氏が、恐らく本家と比較しての事と思われるが、東映版のアクションについて(巨大ロボを除く)当時絶賛されたというエピソードがあり、私は長らく都市伝説のような信憑性のない話と思っていたのだが、今回のDVDに特典映像としてインタビューが収録されていることを知り、根拠のないウワサではなかったことに改めて驚いています。その独特のシャカシャカしたアクションもさることながら、天井や壁を這うスパイダーアクションは非常に印象的であり、この作品に対する力の入れようも窺えます。尤も、先にも述べたようにこの年の東映作品はこの『スパイダーマン』のみであり、特撮スタッフその他の総力を結集されていたのかも知れません。いずれにしても本作はローカル局での放映であったにもかかわらず、かなりの人気を博しており、特に「等身大ヒーロー+巨大ロボット」のコンセプトは好評で、翌年から始まる『バトルフィーバーJ』以降の戦隊シリーズにおいて現在も継承されているスタイルであることは周知の事実です。更には同79年から『仮面ライダー』の新シリーズも復活し、本作が東映特撮作品のひとつの転換点となる作品であると言えるのかも知れません。本作のDVDソフト化の情報は、実は昨年のハリウッド版『2』と同時期であり、当初は今年の4月には発売する予定であった。しかしながら程なく発売日が無期延期となるなど、版権問題のクリアが難航している状況をうかがわせ、正直なかば諦めていたところようやくこの12月の発売にこぎつけたという経緯があります。最新のCG映像を満載したハリウッド版もいいですが、今から27年も前につくられた東映版『スパイダーマン』も名作であることは間違いありません。まさに奇跡と言ってよい今回のDVD化を機に、当時をご存知の方もそうでない方も機会があれば一度ご覧になっていただければと思います。
Dec 12, 2005
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60代後半の母が細菌性髄膜炎という病気に罹患していると診断されたのが丁度一週間前。事の始まりは予想外の出来事からであった。その約一週間前・・・真夜中に水を飲もうとして流しに向かった母は、急に立ちくらみのようなものに襲われ、流しの前に倒れこんでしまった。その際運悪く、流しの下にある棚の取っ手部分に、右瞼上のおでこをしたたか打ちつけたのである。無意識下のこともあり、その勢いは相当なものであったらしい。尤も、そのあたりは本人も記憶が定かでない為、詳しいことはわからないが、あまりの痛さに一瞬か何分か不明であるが、気を失っていたらしい。やがて意識が戻り、痛みは残りつつも出血は認められなかった為、その晩はそのまま床に就いた。翌日、痛みはましになったものの打ち付けた箇所が内出血している。当然気分も良くないが、内職の納期があったため深夜まで仕事をしていたという。あからさまな変化が訪れたのは更に翌日。打ち付けた箇所の内出血が瞼に下りていき、人相が変わるほどひどい腫れになった。体全体もだるく、かなり熱もあったらしい。今冷静に振返ってみたらとんでもない話であるが、その日、母はふらつく体で原付に跨り、5分程のところにあるかかりつけの診療所に自ら赴いた。その診療所は普段高血圧の治療にかかっているところであり、専門は内科である。為に母の状態を診て専門外と判断し、そこから原付で10分程度のところにある脳外科を紹介した。母は再び原付に跨り、紹介された脳外科に赴いた。頭部の打撲、ということで早速CT検査を行ったものの、脳に特に異常は見受けられなかったので「腫れは時間がかかるが自然に治る」と言われ、帰路についた。私の自宅に電話がかかってきたのはその日の夜のことである。風呂、食事を終え、子供の相手をしながらTVを見ていた午後9時過ぎ、父からの電話は今ひとつ要領を得ない内容であった。しかしただ事ではない雰囲気は十二分に感じられたので、ひとまず父に最寄の緊急受け入れの病院の連絡先を伝え、折り返し電話するように指示する。しばらくして父からかかってきた電話は、その病院では専門医が不在の為、受け入れできないとのこと。言われた通りのことしかできない父に苛ついたものの、私も実際に母の症状を見ていないので何ともしようがない。しかし父に他の病院を当たらせるのも埒があかないので、とにかくできるだけ近いところにある病院で受け入れ先を探すことが先決と考えた私は、取りあえず直ぐに出られるように準備するよう指示して電話を切り、救急対応している病院リストの近い順に片っ端から電話をかけることにした。最初の病院は先ほどのところと同じ理由で断られたものの、対応可能な病院を紹介してもらった。その病院に電話をしてみると、脳外科の専門医は不在だが一般の外科医が当直しているので、応急の診察ぐらいは可能とのこと。場所は少々遠かったが、藁にもすがる思いで1時間足らずでお伺いするのでよろしく頼むと伝え、再び実家の父に電話し今から行くと伝えた。実家に到着した私は、直ぐに出発できるよう車を横付けし、玄関から居間に入った。母は布団の上に座り、着替えようとしているのだが、内出血は両瞼を紫色に変色させ、完全に塞がれていて自力では開けられない状態となっていた。更にはかなり高熱が出ており、身体にまったく力が入らないらしく、服を脱ぐのも一苦労の様子であった。父は所在なげにオロオロするばかりでものの役に立たない。あまりにひどい様子に思わず父を叱咤し、急いで着替えを手伝わせ、両脇を抱えるようにして私の車に乗せた。初めて行く場所であったが、30分余りで目的の病院に到着した。この時ほどナビの存在をありがたいと思ったことはない。受付には恐らく先ほど電話応対をしていただいたと思しき事務員が、私の名を告げるとすぐに事情を了解して診察室へと案内してくれた。保険証の提示やら手続きやらは父に任せ、母について診察室に向かったものの、「自分は専門外なので」を繰り返す医師に、深夜無理に診察をしてもらっているのは重々承知しながらも、あまりいい印象は持てなかった。再びCT検査を実施するも、先の脳外科と同じく打撲による頭部の影響はまったくないという結果。しかしながら打撲に因るものとしては熱が高すぎるので、念のため血液検査を行い、状態が特に問題なければこのまま帰宅して構わないという。「こんな状態で専門医にも診てもらっていないのに帰らせるのか?」と、不審に思ったが口には出さず、ひとまず点滴で栄養と解熱剤を投与し血液検査の結果を待つことにした。程なく、その医師は私に血液検査の結果を報告したが、内容は芳しいものではなかった。血液中の炎症を示す数値が基準値を大幅に上回っており、高熱の原因はこれだと思われる。今夜は大事をとって入院された方がいい。というのがその医師の意見であった。勿論私は異存があるはずもなく、そのまま入院手続きをする運びとなったのだが、その手続きにかかる書類の作成が何やら珍妙なものであった。薬品に対するアレルギーであるとか、過去の病歴などは最初の受付時に伝えてあったはずなのだが、書式を変えて同じような質問を繰り返された。聞き取って書類を作成するのは当直の看護婦である。入院手続きの書類作成と称して家族構成を確認するところまでは理解できるのだが、すでに別世帯の私と、子供含む私の家族構成まで聞かれたのは正直意味不明であった。その時は冷静さを欠いていて疑問に思うこともなかったのだが、後から考えてみるとやはりどうにもおかしい。個人情報の取扱いに際して法律施行後、様々な問題が生じているが、後の母の病状も含めて、どうもこの病院は信用できないのでいささか不安ではある。とは言え、昏睡状態とまではいかずとも薬の効果もあって眠っている母をこの時間にどうこうする訳にもいかず、その日の深夜は父と共に帰宅することにした。翌朝、会社に状況を報告して今日は休ませていただく旨を伝え、さしあたって必要な身の回りの物を持って一番に病院入りした。母は意識は回復したものの、見た目は大丈夫とはとても言えないような状態であった。昨夜は不在であった脳外科の専門医の診察に同席したが、この医師がどうも歯切れが悪い。要はCT検査の結果をもって打撲による後遺症等の心配はなく、内出血は時間の経過をもってでしか回復のしようがない。しんどければ今日明日入院するのは構わないが別にこのまま帰ってもよい、こんな調子である。気になったのは高熱の原因である。その医師曰く、「打撲等で高熱が出ることは珍しくはないが、せいぜい37度までで、それ以上になることはない」らしいのだが、母は39度近い高熱があったのである。昨夜の血液検査で炎症を示す数値が高いと言われたことを思い出し、では高熱の原因は何かと問うたところ、打撲の影響ではないと繰り返すばかりで一向に話が進まない。どうもこの医師は自分の専門外のことについてはあまり関心がないようである。しかし実際熱は下がっており昨夜と比べたら随分回復しているように見受けられたので、もう一日入院させてもらうということで何かあっても直ぐに対処できるであろう、ぐらいの気持ちでそれ以上深く追及はしなかった。この判断の甘さが後に大変な事態を招く結果となるのだがそれはもう少し先の話。取りあえず様子を見て明日にでも退院できるということで私も父も気が抜けたのは否定できない。夕方頃まで病院におり、一応明日退院の予定で今日のところは引き上げることにした。続けて会社を休む訳にいかなかったので、退院だけならばと迎えに行くのは嫁に頼んだ。会社の帰りに実家に立寄ったところ、見た目は相変わらずであるが、ひとまず生活に支障の無いレベルまでは回復したように見えた。心の奥底では何かが引っかかっていたのだけれど、あえて気にしないようにして、取りあえず無事に帰宅できたことを喜んだ。週末、様子を見がてら灯油を買いに父を連れてゆき、実家に戻ると叔母と従兄妹が見舞いに来てくれていた。何事もなければこの週末、母は叔母と旅行に行く予定だったのである。手土産のケーキも普通に平らげ、私の中では先の不安も徐々に薄れつつあった。嫁にも状況を報告し、一安心していたその翌日、再び事態は動き出したのである。
Dec 7, 2005
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姉歯建築士による構造計算書の偽造問題から端を発し、先日国会にて聴聞が行われた一連の問題であるが、その模様が報道されるにいたり違和感を感じられた方も少なくないと思われる。多くのマスコミも指摘している通り、三者三様自己の弁明、責任のなすりつけあいに終始し、その見苦しさに不快感以上のものをおぼえたのは私だけではあるまい。私も分譲マンション住まいであと30年近い住宅ローンを抱えている身であり、決して人事とは思えないのである。一つのマンションが建てられ、個人が購入するまでには一般人があまり知り得ない非常に複雑で様々なプロセスを経ているというのは何となく理解できる。それでも、各々の利害関係がやはりよくわからない為に、答弁の食い違いや矛盾は指摘できても、では大元の原因は何処の誰が作ってどう影響していったのか、という部分が非常にわかりづらいのではないだろうか。勿論それを糾す為の聴聞会であったのだが、また新たに関与していると思われる企業名も飛び出し、事態は収拾どころかますます混迷の度合いを強めている。真相については今後の調査の結果を待つとしても、当事者が何を考え、どう決着をつけるつもりなのかは何となく理解できる。冷静に考えれば、過去をすべて遡って責任の所在を追及したとしても、当事者にその責任を負う力は何処にもないと考えるのが自然である。つまり、答弁の中で国土交通省の名前が挙がっていたことから推察するに、個人の補償については公的資金に委ね、当事者自身は計画倒産かあるいはそれに近い形で責任回避をはかろうとすることは明白である。またぞろ憲法で保障されているはずの基本的な生活に関わる部分を軽視し、利益主導に走った悪質な企業の尻拭いを税金で賄おうという腹である。異論はあると思うが、被害者たる当該物件居住者についても責任の一端は負うべきではないだろうか?勿論購入に際して構造計算書までチェックしなかった自己責任、などと言うつもりは毛頭ない。我々一般庶民にとっては、生活の基盤である住居を購入するというのは一生に一度と言っていいくらいの大きな買い物である。物件を選ぶ条件は人によって様々であろうとは思うが、”安さ”という部分を重視したきらいが無いとは言えないのではなかろうか。私事で恐縮ではあるが、私が今の自宅を購入するにあたり少なくとも施工会社、販売会社ぐらいはいい加減な会社でないかどうかぐらいは調べたものだ。特にあの悪相の社長が印象的なヒューザーにいたっては、真偽の程は定かではないが数年前から週刊誌上で採り上げられていたという実績もある。何となく胡散臭い会社だな、ということぐらいは大した労をとらなくとも知り得たのではないだろうか?無責任な私見であることは重々承知してあえて言うが、今回の事件から”安さ”に伴うリスクというものについても念頭に置くぐらいの教訓は導いて欲しいと願う次第である。端から暴利を貪ろうとする悪質極まりないものも当然に存在するが、通常、ものの値段というものは安ければ安いだけの理由が必ずあるはずである。誰かが何とかしてくれる、という考え方が通用しにくい世の中になってきつつあるだけになおさらそう思うのだ。
Nov 30, 2005
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東映の戦隊シリーズの系譜は、『秘密戦隊ゴレンジャー』を祖に、続く『ジャッカー電撃隊』少しの間をおいて『バトルフィーバーJ』から現在まで、年一作のペースでシリーズは継続しており、時代と共にそのコンセプトに若干の修正等はあるものの、その人気は根強く驚異的ですらある。『太陽戦隊サンバルカン』は、昭和56年(1981年)からスタートした。シリーズではゴレンジャーから数えて5作目にあたる。以降現在まで続く長い長い戦隊シリーズの歴史の中で、本作は2つの点で異色な作品といえる。それは、「最初から最後まで3人しかいない」ということと「女性メンバーがいない」という2点である。前者については、嶋大輔主演(!)の『超獣戦隊ライブマン』が番組開始当初は3人だったが、後に2名追加された実績があり、後者については本作においてそのクレームが非常に多かったという逸話が残っている。後から付け足すことについては文句も少ないが、元々あったものを無くすことは論外、といった教訓が以後作られたのか否かは定かではない。スポンサー的にも3人より5人いた方がいいのは間違いないだろうが、「太陽」戦隊「サン」バルカンのタイトルに拘った所以であると想像される。今だったら簡単にタイトルそのものを変えてしまえという発想になるのだろうが、この企画でスタートした際にそのあたりの議論がなされたのかどうかはよくわからない。3人しかいないので、キャラクター設定はステレオタイプというか、ゲッターロボ理論(私が独自に提唱する類型的ヒーローキャラクター設定における法則。即ち、 「赤→リーダーで熱血漢」「青→クールでややニヒルな印象」「黄→お調子モンのムード メーカー、大食漢が多い」5人の戦隊シリーズでも当てはめられるケースがある)に基づいており、深い検証が行われているとはいい難いが、そもそも対象年齢から考えるとこの時代にそんなものを求める方がおかしいというものだろう。特筆したいのは太陽戦隊結成の経緯が、敵組織である機械帝国の宣戦布告に際し、国連が提起した「地球平和守備隊」(国連平和維持軍みたいなもの?)の中の特務部隊的な位置付けであるという点である。地球規模の危機に際し、国際機関が秘密裏に組織するパターンはいくつかあったと思うのだが、世間的にも認知された存在というのは非常に珍しいのではないだろうか。第2話で、人間国宝である能楽者を護衛するシーンで、一般の警官に混じって変身後の格好のまま警備にあたっている場面は少なからず衝撃的でありました。そんな風に世間的に認知された組織であるにもかかわらず、本部は表向き喫茶店に擬装しているのが意味不明ですが、あまり気にする必要もないでしょう。この時代のドラマにおいての流行であったのかも知れません。(必殺仕事人など)最近作でもあるのかは知りませんが、登場の際の”名乗り”の見せ方は非常にカッコイイです。逆光なのですが、こぼれる太陽の光を背にしたビジュアルセンスは秀逸です。通常のアクションも、あまり武器に頼らず、しっかりと個々のアクションを魅せているのはまさにJAC黎明期の真骨頂といったところです。ごちゃごちゃとまとまり無く書いてきましたが、正直戦隊シリーズ自体あまり思い入れはありません。では何故決して安くない本作を購入するに至ったかというと、単に俳優「岸田森」の特撮関係での遺作であったからに他なりません。ここで岸田森という日本映画史上稀有な俳優について語るのは本文の主旨にそぐわないので割愛いたしますが、私は大ファンであるということだけ申し添えておきます。いずれブログのネタでも採り上げるかもしれません。約束はできませんが。本編についてはまだ数話観賞した程度ですので詳しくは述べません。漸く前作の『電子戦隊デンジマン』の敵であった曽我町子氏演じるヘドリアン女王が登場したあたりです。曽我町子といえば30歳も後半の方なら『オバケのQ太郎』がすぐに思い浮かぶことと存じますが、敵の同じキャラクターが2作続けて出演するのも極めて異例であると思います。それも曽我町子氏の存在感と魅力の為せる業でしょう。最近はお見かけしませんがお元気なのでしょうか?全50話の長丁場なので、最後まで購入するかどうかはかなり微妙ですが、経済的に可能であれば揃えていきたいと私のコレクター魂が申しておりますw
Nov 25, 2005
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前回、「今後は滅多に書けないよ~ん」などとほざいていた矢先、またまた書いてしまう天邪鬼な私ですが何卒ご容赦のほどをw・・・と、まぁ今回また件の「PSソフト探訪記」を書くにあたってはほとんど偶然の産物であったりします。と言うより、私がまったく見落としていただけの話であり、中古ゲーム漁りのコレクターを自認するにはあまりにも不明であったことを恥じるものであります。先週末の休日・・・役半年ぶりくらいに会った友人と夕食後、ちょっと遊んでいこうという話になりまして、30も半ばを過ぎたオッサン2人でカラオケBOXへとしゃれこみました。「テーマは90年代!」などと選曲についてどうでもいい縛りをかけ、オッサン2名は90年代ヒットソングを2時間余り交互に熱唱していた訳です。当たり前の話ですが、2人カラオケというのは1人が歌っている間に自分の曲を入力する必要があります。最近のカラオケではニンテンドーDSみたいなタッチパネル式のリモコンが主流でありまして、ぶっとい冊子をちまちまめくって探さなくとも曲名か歌手名がわかればあっという間に探し出せ、なおかつ転送もタッチ一発便利この上ないものに進化しております。しかしながらいついかなる場合でも時流に乗れないアナログ人間は存在すると見えて、曲番をひとつづつ手打ちして転送する従来型のリモコンもちゃんと常備されていてもう完璧。マイマイクどころかマイリモコン状態で、少しでも隙があれば連チャンで入れてやるぜ的な殺伐とした雰囲気に包まれ、そんなこんなで歌いながらも心は次の選曲に移っているあたり、まさに2人カラオケ戦国無双。当然さしたる会話もなく、序盤からすでに相手の曲にお義理でもノる素振りすら見せず、ただひたすら黙々と交互に歌い続ける様は、我ながら少々不気味でありました。そのカラオケBOXを出た頃には時刻は10時を過ぎ、日暮れと共に急に肌寒くなってきたことを感じておりました。カラオケBOXの敷地内にはビデオレンタルのTUTAYAが併設されており、普段利用することがまったくない私は店内に入ったことすらなかったのですが、一緒にいた友人がちょっと見たいものがあるから付き合え、みたいなことを言うわけですよ。単純計算しても丸1時間熱唱していた私はいい加減疲れていたので本音を言えばご免蒙りたかったのですが、無下に断るのも何と言うか、大人気ないじゃないですか。で、不承不承友人の後について店内に入ったのですが、TUTAYAって販売もしているんですね。本当に今の今まで知りませんでした。そして縦長の店内の奥に、何やら懐かしいものがあるではありませんか。そう、映像・音楽ソフトのみならず、ゲームソフト、しかも中古も扱っているとくればハンターの血が黙って見過ごすわけもありません。早々に買い物を済ませて帰りかけている友人を制し、中古コーナーの端から端まで物色し、以下のブツをゲットいたしました。『ボルフォス』¥490→ナムコ製のシミュレーションRPGです。ファンタジーというか、クリーチャーと 呼んだ方がしっくりくるキャラクターを韮沢靖が担当しています。 2001年発売ということなので比較的新しいのですが、まったく記憶にありません。 PS2発売以降なのでプロモーション等もそんなに力を入れていなかったのでしょうか?『アナザー・マインド』¥290→スクウェア製の実写を用いたアドベンチャーゲーム。この手のゲームって当時まだ 駆け出しの芸能人がちょっとした小遣い稼ぎみたいな感じで出演しているケースが ままあるのですが、筧利夫や山下真司らの脇を固める役者は有名どころが多数出演 されているものの、メインキャストについては芸能通の私もあまりよく知らない 松下恵という方が出演されています。 その松下恵演じる主人公の意識の中に突然現れた”私”が主人公(?)のようです。 「史上初のつっこみゲー」(パッケージまま)などと書いてありますがなんのこっちゃ?『10101~“WILL”The Starship~』¥250→問題作。発売はサンテックジャパン・・・って聞いたことないなぁって思って調べたら 旧PS史上1、2を争そうバカゲー、かの『里見の謎』のメーカーじゃないですかw アクション、シューティング、RPG、フルボイスって何だ?しかも声の出演に 飯島愛を起用。大仰なパッケージのコピーの割にはマニュアルが2枚綴じの4Pしか ないやる気のなさ。怪しさ全開です。・・・と、千円強のお買い物w何か最近財政的に苦しくて買い物のケタも異常にセコくなっているのが気にかかりますがまぁいいでしょう。それにしても本当にTUTAYAで中古ゲームを売っているなんて全然知りませんでした。よく考えたらファミコンブームの時に乱立した地域密着型の自立店舗のほとんどはフランチャイズ、個人経営問わず経済的に淘汰されている現状にあって、一般家庭の押し入れ深くに眠っていそうなブツの受け皿は専らネットオークションに流れていると思いますが、非ネット環境の方も少なからず存在するわけで、そういった方々がわざわざ日本橋や秋葉原等の専門色が強い街にまで出張っていって処分するとも思えず、ある程度はこういった副業的に取り扱っている店舗に流れていると見るのが正しいと思います。で、すでに所有しているソフトも含めて平均的な価格帯ですが、まずまず安いと言えるのではないでしょうか。勿論店によっても違うとは思いますがね。以前にも書きましたが、プレミアまでいかないようなブツでも、ネット環境による情報の共有化は著しく、ド田舎のロードサイドに建っている古本屋ですら生意気な値段をつけているような寒い時代ですから、中々安く買い漁る、何てこともやりにくい状況です。そんな中、今回TUTAYAの取扱いを発見したことは非常に意味ある出来事といえます。ヒマを見つけて、まずはご近所から探してみるとします。
Nov 21, 2005
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村上ファンドによる阪神電鉄株の買収および阪神タイガースの球団株式の上場問題について、マスコミによる情報の露出も減ってきて、すでに忘れかけた方もおられるのではないかと思いますが、非常に目立たないながらも小競り合いは続いており、実際のところ何一つ問題解決に至る進展はなかった、というのがこれまでのところ。話の前後は不明であるが、球界の老害ことナベツネ御大と、ハゲヅラ・・・もといハゲタカファンドの代表格の村上氏とが間接的に大バトルです。↓↓↓↓↓http://sports.www.infoseek.co.jp/baseball/npb/news/15nikkanspbbtp00511150009/そもそも根本的な疑問は、何故阪神タイガースの問題に関して御大が当事者のごとく怒っておられるのかが理解できない。球団株式を上場することによって「八百長の温床になる→プロ野球衰退の要因となる」というのが主な論旨であるが、どうもこの御方のキ○ガイ発言を拝聴するに、ハゲタカファンドに対する個人的な嫌悪感というか、ほとんど子供の喧嘩並みの罵詈雑言の数々。いい歳をして言う方も言う方だが、字面にインパクトがあるというだけで年寄りの妄言をそのまま垂れ流す馬鹿マスコミもどうにかならんものだろうか。対する村上世彰氏の発言もまぁ似たり寄ったり↓↓↓↓http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051115-00000018-nks-spo「買収されるのが嫌なら上場しなければいい」とは以前からの主張であり、これについては発言者自身のやり口は別として、正論であろうとは思う。しかしまぁ本音は、「阪神ファンの気持ちが分かっていないとか言われるけど、感情論なんかどうでもいい。阪神ファンのために株を買っているのではない」であり、更に「野球界はひどい。あのグループは何なんだ。既得権益の亡者だ」については実際その通りなのだけれども我利我利亡者のあんたが言っても説得力ゼロなんじゃネーの?・・・と突っ込んでみるw元々の原因は阪神電鉄経営陣の現状認識の甘さと、(敵対的買収行為とはいえ)大株主サマに対するいい加減な対応でしょうに。「ファンの総意」をはかるべきという村上氏側の提案は真っ当であり、「すでにファンの意志は確認された」などと適当な逃げ口上を繰り返すのは不誠実以外の何者でもない。野球協約がどの程度法的拘束力があるのかは知らないが、楽天、オリックス、果てはフジ=ニッポン放送の二重支配の問題も含め、球界内も足並みは揃っていない。最終的に司法の判断に委ねられるような最悪の事態になったとしても、球団側が勝てる見込みは五分五分以下ではないだろうか?野球どころか本質は巨人すら愛しているわけでもなく、ひたすらプロ野球を詰まらなくした張本人が「野球が衰退する~」などとどの面さげて喚いているのかまったく理解できない。老害の最大の関心事は巨人を巡るカネの動きだけだろう。そういう意味では下品ながらも本音の部分で発言している村上氏側の方がよっぽどマシである。古い、新しいの違いはあれど、本質的にはどちらも同じ穴の狢だ。ヤ○ザまがいの人間を使ってゴミ新聞を大量に売りつけている輩が村上氏に対して「虚業だ」とは恐れ入る。じゃあお前はどんなご立派な仕事をしてきたのか披瀝してもらいたいもんだ。カネがすべてと広言して憚らない胡散臭い手合いもいけ好かないが、旧態依然とした社会の構造的欠陥を体現している年寄りも気に入らない。老いも若きも、こんな風潮が蔓延すれば、そりゃあ心も荒んでくるってもんです。観念的なことはあまり言いたくないですが、真っ当に仕事をして糧を得ている一庶民としてはついつい愚痴もこぼしたくなるところ。あぁ・・・書いてて段々腹が立ってきたwこれ以上暴走する前に中途半端ですがここらで締めたいと思います。
Nov 16, 2005
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真のプロ野球ワールドシリーズ実現に向けたアジアシリーズが先日幕を閉じた。日本シリーズを怒涛の勢いで制した千葉ロッテマリーンズが、やはり磐石の試合運びで初代王者の座につく結果となった。まずは日本の代表チームが頂点に立ったことに関しては素直に祝福したい。アジアシリーズがどのような経緯で開催されたのかは不勉強でよくわからないのだが、日本、韓国、中国、台湾のたった4国(便宜上そう呼ぶ)のリーグ戦で、1位と2位の決定戦を行う意味もよくわからないし、アジア王者などと呼ばれても果たして如何ほどの値打ちがあるのかは正直疑問である。祝勝ムードに水を差すつもりはないが、はっきり言ってこのレベルでは出来レースと言われてもしようが無いくらい力の差は歴然としており、野球に対する文化と意識の差というものは、一朝一夕で縮まるようなものではないことが改めて証明された格好である。確かソフトバンクの孫正義オーナーがプロ野球新規参入後初のオーナー会議にて、大リーグも巻き込んだ世界王者決定戦の構想をブチ挙げて他の失笑をかっていたような記憶があるが、その他のゴタゴタの印象が強すぎてあまり覚えていないwいずれにしても、サッカーのワールドカップ並みに認知されるのは不可能、とまでは言わないが、非常に困難であろうことは容易に想像できる。実際のところ、プロのリーグが存在する国って上記のアジア4国とカナダ含むアメリカ以外にあるのだろうか?言うまでも無いが、世界的な競技人口だけでみれば、野球は下手すればクリケットよりも少ないかもしれない。要はマイナースポーツなのである。野球の本場、アメリカにしても4大プロスポーツ(NFL、NBA、NHL、MLB)の中で、突出した人気がある訳ではない。現状では唯一の国際試合ともいえるオリンピックは、北京以降の廃止が決定した。アジアシリーズの思惑とは裏腹に、世界的に見れば野球の認知度というものは下がることはあれど、上がる要素は何も無いのが現実である。従来、日本のプロ野球は非常に閉鎖的な環境であり、日本人選手が登場してようやくマスコミも大リーグの情報を流すようになった程度である。いわんや日本人選手が韓国や台湾でプレイしていたとしても、まったく無視をし続けてきた。これではとてもじゃないが、日本人自身が世界戦への興味がわく筈もない。今アジアシリーズで韓国、中国、台湾の野球に寄せる関心が増えるとも思えないが、まずは足がかりとしても多少の意義はあるだろう。日本人が日本のプロ野球に対して関心を失っていった原因は、その閉鎖性にあるのではないかというのが私の感想である。サッカーの国際試合の盛り上がりを目の当たりにして、野球の世界がいかに狭いものであるかを思い知らされた方も多いのではなかろうか。例えばセ・パの交流戦に留まらず、シーズン中の遠征とかの実現は不可能であろうか?興味が薄いのは決定的に情報が不足している所以だと思うのだが。意味は一旦置くとして、少なくとも現時点ではアジア4国の中では突出した実力であることが証明された。これは少なくとも野球という競技を世界的に認知、発展させていく過程で、日本が中心的な役割を担わなければならないという責任であるとも言える。そういう意味で日本人選手が大リーグに挑戦するのもそれはそれで結構なのだが、もっと他の形で貢献することもできるのではないだろうか、という気もする。次回開催までにはもっと情報の交流と盛り上がりを願ってやまない。
Nov 14, 2005
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今更なんですが、20年以上続いている長寿TVアニメ番組、『ドラえもん』のレギュラー声優陣が総入れ替えとなって半年以上が経過しました。たかだかTVアニメの声優のキャスティングを変更するだけでニュースにまでなるのは異例といえば異例ですが、『サザエさん』に次ぐ国民的アニメという位置付けと、あまりにも耳に馴染んでしまったが故に違う声なんて有り得ないと思われた方も多いのではないでしょうか?原作の故藤子・F・不二雄氏も初めて大山のぶ代のドラえもんの声を聞いた際、「これがドラえもんの声だったんですね」と感心されたというエピソードがあるくらいですから、ライフワークぐらいの意気込みで演じておられたのではないかと思います。まったくの余談ですが、某スーパーロボット大戦にて、大山のぶ代女史にオファーをした際、「ドラえもんを演っている間は他の役はしない」という理由で断られたそうです。それはさておき、私に言わせれば20年以上誰一人替わっていない事実の方が驚異だと思うがどうでしょうか?それにしてもイキナリ全員替えなくてもいいんじゃネーの、とは思いましたけどね。この背景には色々なウワサがあって、某ベテラン声優さんのギャランティがちょっとシャレにならないくらい高額要求されたとか、誰か死んだ時に慌てなくてすむようになどといった不謹慎極まるものまで様々取りざたされておりましたが、一応表面的には平和的に禅譲が行われたようです。私自身は元々TVアニメがスタートした頃から見ていましたし、超マイナーな幻の旧「ドラえもん」もリアルタイムで知っています。原作含め、私にとっても非常に思い入れが強いものですから、違和感がありながらも「今更見ていたわけでもないし、まぁ別にどうでもいいか」ぐらいの感覚でおりました。ところが最近家に帰る時間が早くなったことと、アニメをつけていると何となく娘の機嫌がいいという単純な理由から、割とコンスタントに見る機会を得まして、基本的には15分2話の構成なのですが、どうも単行本初期に収録されているかなり古いエピソードばかり放映しておりまして、少し興味をもって見出したのです。キャストが総入れ替えとなったのを機に、一から作り直しているような印象も受けます。そういえば来春には久々の劇場用映画の復活、それも長編の名作中の名作「のび太の恐竜」のリメイクとくれば子供抜きでも見に行きたいくらいですw新しい声優については申し訳ないですが誰一人知りませんし今でも名前もわかりません。初めて聞いた時は確かにすごい違和感を感じたものですが、宇梶剛士のラオウよりは百万倍マシ、と言うか毎週見てると段々違和感もなくなってくるからいい加減なものです。新キャストで人気が下がった、何て話も聞こえてきませんし、当事者は一種の賭けというかプレッシャーも相当なものだったと思うのですが、まずまず成功したと言えるのではないでしょうか?でも夏川りみの主題歌はちょっと勘弁・・・。
Nov 10, 2005
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久々の「PSソフト探訪記」シリーズですが、最近ではちょこちょこ買ってはいるものの、まとめて買うということが少なくなってきたもので、書き物のネタとしてはちょっとボリューム不足のような気がして、中々筆が進まなかったという事情がありました。一応”探訪記”などと大そうな名前を付けているので、それなりのモノをそれなりの値段でただ買いましたよ、というような報告だけでは名前負けというか、何となく物足りないと勝手に思いこんでいます。しかしまぁ実際のところ、まだまだ興味の尽きないタイトルはゴロゴロ存在しているのですが、手を出しかねているモノについては今更これにこの値段を出すということに抵抗がある、というモノばかりなのが正直なところです。・・・と、のっけから長々と言い訳めいた文章で書き出しましたが、要は今後も多分滅多に書けないよということであります。何だそりゃwでは、以下本文スタートです。土曜日の昼下がり。私の勤める会社は隔週土曜日が休日と定められており、2週に一度は半日出勤みたいな形で仕事に出なければならない。私の嫁は現在育児休業中であるが、完全週休2日制の慣習から土曜日出勤の際は弁当を持たせてくれることはないので、外食なりコンビニなりの選択をすることになる。で、今回、いつも行っているコンビニの弁当にも飽きたので普段通ることのない反対方向の別のコンビニで弁当を買うべく足を運んだ。国道沿いの店舗は入れ替わりが激しく、かつて営業時代は何度も通ったはずの道なのだが異動後はほとんど足を向けることもなく、まるでまったく知らない道を歩くかのようだった。その道すがら、私の物欲センサーが過剰な反応を示した。かつてエロDVD専門店であった狭い間口には、安物のケバケバしいAV嬢ののぼりの替わりに、「新作ゲームソフト入荷中!」ののぼりが掲げられていた。灯台下暗しとはまさにこのことである。今や完全に萌え系のオタク戒厳令都市と化しつつある日本橋界隈の店を何度となく巡り、大して変わり映えしない品揃えに諦めの方が先行しつつあった矢先。こんなに近いところで新しい鉱脈が出現していようとは夢にも思っていなかった。喜々として店内に吸い込まれていったのは言うまでも無い。入り口周辺には当然のようにPS2のソフトが中心に陳列してある。新作、及びPS2の中古の目ぼしい値段をざっとチェックしたが、特筆すべきものは何も無かった。全体的には平凡な店の価格帯。やや高めと言ったところか。とりあえず新作に用は無いので、店舗のさらに奥、いかにも気合が入っていない旧PSの陳列スペースへと移動。現在土曜日の昼12時過ぎであるが、この時点で客はゼロ。店員は20代半ばのオタクっぽいあんちゃんで、レジを空っぽにして陳列棚の整理をしている。私が旧PSの陳列棚を舐めるように物色している最中、ようやく中学生ぐらいのガキ2名が来店。そうそう、ゲーム屋はこのぐらいのガキが出入りしていないと格好がつかないよね、などと思いきや、店員のあんちゃんは店内でジュースを飲みながら歩いていたガキが気に食わなかったらしく、非常にぞんざいな口調で注意し、ほとんど追い出すばかりの勢いであった。ま、今日びのガキの行儀悪さについては私も覚えがないわけでもないし、気持ちはわかるのだが、別に騒ぎまくっていたわけでも、飲んでいたジュースを商品にこぼしたりとかいうわけでもなかったので、さすがにそこまできつい言い方せんでもいいんじゃネーのって思ったのですが、まぁどうでもいいやwで、結局20分近く物色して選択したゲームは以下の3本。『ノットトレジャーハンター』¥100→旧PS史上において誰が選んでも間違いなくベスト5には入る伝説のクソゲー。 その抱腹絶倒な内容についてはインターネットでちょっと検索しただけでもゴロゴロ 出てくるのでここでは割愛。『ドラゴンビート』¥100→聞いたこと無いメーカーの聞いたことも無いピンボールゲーム。それなりに良く できていそうなのだが、PS2動作不可wそういえば『ノットトレジャーハンター』も PS2動作不可だった。何やってるんだろう、俺w『クロス探偵物語』(SS版)¥300→「PS」ソフト探訪記などと謳っていながら、結局今回のメインはコレw 旧PSにも前・後編で移植され(内容はほとんど同じ)、廉価版なら現在でも新品も 手に入れやすいのではないでしょうか? ・・・にしても¥300は安すぎ。掘り出し物です。 今ちょこっと始めていて結構面白いので、機会があれば別途ご紹介します。・・・計¥500wヤな客だなwでも一時この程度の規模の店はゴマンとあったものですが、ほとんどが淘汰されてしまい、新規でオープンともなるとかなり珍しいのではないでしょうか?ただ非常に限られた売り場面積の中で、あまりにも多岐にわたる商品構成を網羅するのは実際難しいとは思うのですが、XBOXを取扱いしていないのはまぁ妥当としてw少ないながらもSFC、DC、SSの中古を扱っていたのは頑張っている方ではないでしょうか?売れ線の新作中心のラインナップでは大して儲からないだろうし、そういう意味で中古ソフトの取扱いはいわば店の個性を発揮できる唯一の方法であり、そこに活路を見出すのは当然の成り行きだとは思うのですが、私のように鬼畜っぽい買い物をする人間も公平に相手をしようとするとキリがないような気もします。いずれにしても僅か30分足らずで、店内の商品のほとんどを物色しつくしたので、頻繁に覗いてみる、ということは無いだろうと思います。
Nov 8, 2005
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安政6年2月寒風吹きすさぶ日本海。海岸線から遠く臨む冬の海はまさにこれから始まる死の佐幕ロードの行く末を暗示しているかのようだ。故郷の桂浜とは種類の違う海の荒々しさに、一瞬怯みそうになるのをこらえ、第一の関門である福井藩の居城に到着した。福井藩は小国で要人も少なく、加えて周辺は雪に囲まれていることもあり、藩の主要な人物はすべて居城に滞在していた。西日本を洗脳統一した実績と、更に強化した学識を持った海援隊の面々に、小国に引きこもった要人の洗脳など赤子の手を捻るがごときであった。一夜にして藩論を覆すことに成功した海援隊は、向かう佐幕ロードの幸先よいスタートに気をよくした。道中の困難と疲労も一気に消し飛ぶ勢いである。続いて向かったのは長岡藩。こちらも福井藩と似たような規模の小国である。藩主、牧野忠恭とは大坂で一度面識があり、その際にも公議思想についての話をすでに刷り込んでいたので完全洗脳は造作もなく、家老の河井継之助は長岡謙吉以下入れ替わり立ち替わりの洗脳攻勢であえなく陥落。福井藩に続き、長岡藩も一夜にして藩論を覆した。電車道の如く快進撃を続ける海援隊であったが、次の会津藩、米沢藩では停滞を強いられた。いずれも藩主、主要な人物の不在である。熊本藩と同様、人知では如何ともしがたい状況に坂本竜馬は苛立った。この勢いをそぎたくない、という一念であったが、更に悪いことは重なった。安政6年3月。定例の各藩における人事異動で、先の熊本藩の重臣、宮部鼎蔵が家老に昇進したのである。神出鬼没の宮部鼎蔵は、坂本竜馬によって何とか公議思想に理解を示すところまで持っていけたのであるが、掴み所がなく逃げ足が速いので、じっくりと腰を据えて話すことができなかった。此度の昇進で、宮部鼎蔵の藩内での影響力が強化された為、折角転向させた藩論が、また勤王に戻ってしまったのである。早急に対処しなければ宮部鼎蔵と藩主の細川斉護によって九州地方に再び尊王思想の勢力が拡大する可能性もある。しかしながら現在の竜馬たちの居る場所からは早く見積もっても一週間近くかかる距離である。全員一塊で行動してきたことが、今回は裏目にでた。「坂本さん、熊本は捨て置けんぜよ、どげんする?」池内蔵太が尋ねる。また長崎に行きたいだけのような気もするがまあいい。「しかし全員で動くのは危険の方が多いぜよ、相手は家老じゃき、何名かで乗り込んだ ほうが・・・」とは新宮馬之助。「いや、東北における公議の地盤はまだまだじゃき、海援隊を分断すれば藩論の転向 にも時間がかかるけん、熊本一国なら後回しにして問題ないのでは?」陸奥宗光が意見を述べる。どの隊士の意見にも理がある。最終的な意思決定は当然のことながら、坂本竜馬に委ねられた。池内蔵太は、全員で熊本に取って返すことを主張。新宮馬之助、近藤長次郎は、分隊を派遣すべきと主張。陸奥宗光、長岡謙吉は、方針を変更せず、東日本の地盤を固めてからにすべきと主張。「よし、ここは陸奥さんと長岡さんの線で行こう。往復の移動にかかる時間、分隊に よる戦力の低下はどちらも目的達成を遅らせるだけじゃき。ただし、事が熊本一国 で済まないようならもう一度検討するきに」いずれにしても熊本藩家老の宮部鼎蔵と藩主細川斉護が現地に居るとは限らない、というのがその他の意見を納得させる決定要素となった。そこでより効率化をはかるべく、今後の進路を修正した。現在停滞を余儀なくされている会津藩、米沢藩の不在要人を探索する隊と、本州最北端に位置する盛岡藩へ向かう隊に分けたのである。探索班は池内蔵太、新宮馬之助、近藤長次郎、陸奥宗光。突撃班は坂本竜馬と長岡謙吉。更に小国である盛岡藩は難なく藩論の転向に成功し、探索班は仙台、水戸の周辺各藩を巡回し、次々と要人を捕捉していた。その内、藩主以外はすべて洗脳を完了し、程なく佐幕ロードと呼ばれた福井、長岡、会津、米沢、盛岡藩のすべてにおいて、藩論を雄藩連合へと統一が完了した。余勢をかって水戸藩で合流した海援隊は、そのまま水戸藩の藩論も雄藩連合へと転向させ、この時点で全国に拡大した公議思想は一躍主体勢力へと成長し、異論をとなえるのは幕府の大老、井伊直弼の彦根藩と、先に再転向した熊本藩のニ藩のみ。道行く人、街中、城内、いたるところを占めるのは公議思想の要人ばかりとなり、更には海援隊以外の要人がそれぞれ公議思想を広めるなど、もはや国全体を覆う怒涛の勢いは留まることを知らなかった。幕府の最後の重鎮、大老井伊直弼は、江戸城近くの邸宅に帰ってきており、積年の思いをぶつけるべくその大きな門を叩いた。「貴公が海援隊の坂本殿か」客間に現れた井伊直弼はさすがに現職の幕府の重鎮らしく、威風堂々自らの信念に微塵も揺ぎ無いような印象を受ける。年齢の違いもさることながら、後に安政の大獄と呼ばれる断行を行った豪腕といい、幾多の修羅場をくぐってきたであろうことが容易に見て取れる落ち着きといい、今まで数々の要人を転向させてきた竜馬でさえたじろいでしまう迫力があった。「ご多忙の折、ご面会の栄を得てかたじけなく存じ奉り候」いかん。極度の緊張からか、俄かに前時代的な口調になってしまった。大老、井伊直弼は表情にいささかの変化も見られない。「坂本殿・・・それがしはこれでも国政を司る身であるので、お話は手短にお願いしたい」不意をつかれ、竜馬は我に帰った。もはや国論の統一は目前であり、幕府に現状を乗り切る力がないのはその権力の中枢にいる井伊大老自身が実は一番良くわかっているはずである。「井伊さん!幕府では諸外国と対等に渡り合えないということは、おんしが一番 よくわかっているはずぜよ!」井伊直弼の表情に憤怒の色が浮かんだ。「坂本殿、言葉には気をつけなされ。各藩を飛び回って好き勝手なことを吹聴している らしいが、ここは幕府の大老、井伊の屋敷であるということを忘れてもらっては 困る」「井伊さん、失礼は百も承知じゃ。おんしが決断せねば日本は黒船の餌食じゃ、 そのことがわからんとは言わせんきに」「言葉に気をつけろ、と申した筈。そもそも土佐の田舎藩士ごときがこのわしと対等に 口をきけるとでも思うてか」井伊直弼はまさに今にも刀に手をかけそうな勢いで怒っている。だが、ここで殺されてももはや後には引けない。続けて竜馬は言う。「今や日本の国論は雄藩連合でようやく一つにまとまろうとしているのはご承知の通り、 おんしの立場上これに加担できないのも理解できるが、ならばおんしは日本が諸外国 に隷属する道を選ぶとおっしゃるか?」井伊直弼はやや表情を曇らせた。「諸外国への対応は幕府が、いや、この井伊直弼が一命をもってしてでもやり遂げる。 田舎侍の出る幕ではない」「井伊さん、それではおんしは幕府も、国も裏切ることになるきに」「何だと・・・!?」「そこまで国に尽くすお心づもりなら、何故皆と協力してやろうとせんのじゃ。もしも それで失敗すれば、おんしひとり死んだって責任を果たすことになぞなりゃせんきに」「・・・・・・・・・」「井伊さん・・・国を想う気概はおんしもそれがしも根は同じはずじゃき、日本人同士で 争っとる場合じゃない」「・・・・・・」腕を組み、深く頭を垂れて苦衷に悶えている風情の井伊直弼であったが、徐に顔をあげ、真っ直ぐ竜馬の顔を見て言った。「わかった・・・坂本殿、おぬしの説は尤もじゃ。この井伊直弼、一度死んだつもりで幕府 の石頭どもを説得してみせよう」こうして彦根藩の藩論も雄藩連合へと変わり、残るは熊本藩のみとなった。大老、井伊直弼の屋敷を退出した坂本竜馬は、全身の力が抜けていくのを感じた。「坂本さん!やったぜよ!」長岡謙吉が出迎える。「後は熊本一藩のみじゃ、今夜は宿でぐっすり寝て、明朝出発じゃきに」池内蔵太も続けて言う。坂本竜馬は海援隊隊士の労いの言葉を聞きつつ、深い泥のような眠りについた・・・。安政6年3月未明江戸から九州へ向かった海援隊一行であったが、半ばの京の都付近で熊本藩主、細川斉護と偶然に邂逅し、速攻で洗脳を完了した。そして、ここに日本の国論は、坂本竜馬率いる海援隊が標榜する雄藩連合へと統一された。しかし・・・・・・・・・。国論は統一されたが、そもそも近代民主主義の完成度には程遠い雄藩連合思想は、実質的に多党政治となり、結局は諸外国に対し、万全の策であるとは言いがたかった。それなりに歴史は進んだが、日本に対して本当にこれが最良の選択であったのかは誰にもわからない・・・。そして、一時代を駆け抜けた坂本竜馬以下海援隊隊士は、歴史の大きな流れの中に埋没し、今やその名を語る者も僅かとなってしまった・・・。維新の嵐 完
Nov 7, 2005
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次世代ハードの存在意義については未だ疑問ではあるが、その先鞭として年内12月10日に『XBOX360』が発売される。私の行きつけのショップでも、先月末から「先行予約開始!」と大々的に謳っているので多少は盛り上がりを見せているのかなと思いきや、13インチ程度のモニターによる『DOA4』のデモが一台稼働しているのみであった。そのデモを確認する限り、モニターの小ささを考えても現行の『XBOX』と比べてどこがどう進化しているのか私にはさっぱりわからなかった。勿論技術的なことに関してはド素人ゆえ、偉そうなことは言えないのであるが、少なくとも実際動いている画面を見て、各社の次世代ハード戦争に対する当初の疑問を払拭するには至らなかったというのが正直なところ。即ち、「これが次世代ハードでなければできないことなのか?」という疑問である。加えて本体と同時発売のタイトルの弱さも指摘しておきたい。『DOA4』→旧XBOXにおける唯一のキラータイトルであり、前回同様本体の立ち上がりに持って くるのは当然ではあるが、前回と比べて現在の対戦格闘というジャンルの閉塞感、 加えて変わり映えしないゲーム性。グラフィックは進化したのであろうが、冒頭にも 書いたように、私にはその優位性を見出すことはできなかった。『テトリス ザ・グランドマスターエース』→思わず目を疑った。今時テトリス?記念すべき本体同時発売に持ってくるような タイトルか?ハード性能の進化を体現するには真逆に位置するソフトで、 頭数揃え以外の意味はまったく感じられない。 そもそも今日びテトリスに何千円も払う人間がどれほど居るというのだろうか?『リッジレーサー6』→旧PS、PS2と本体同時発売の栄誉を担ってきたタイトルであるが、正直段々と そのインパクトが薄れていっている感は否めない。 動いている画面を見てないので何とも言えないが、既存のレースゲームを根底から 凌駕する力があるとはとても思えない。情報が不足しているので以外5本の同時発売ソフトについての言及は避けるが、正直このラインナップでは先行でイニシアチブを取るまでには至らないであろう。更には年末商戦にかけるタイトルの少なさもマイナス要因である。メディアによるプロモーションも、むしろ前回よりも露出が少ないぐらいである。これで本気でSONY陣営からシェアを奪えると思っているのだろうか?何だかんだ言っても、最初の値下げのタイミングくらいにはすべての次世代ハードを結局は買うのであろうが、特に『XBOX360』については、前回の失敗を教訓に、同じ過ちは繰り返さないであろうと思ってかなり期待していただけに、この立ち上がりでは前途多難が容易に想像される。唯一と言ってよい改善点は、RPG強化の姿勢が感じられることではあるが、今更『天外魔境』の1作目のリメイクなぞ持ってくるあたり、本当に理解しているのか?と頭の構造を疑いたくなるフシもある。PS3の登場までにどこまで挽回できるのかに注目していきたい。
Nov 5, 2005
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先日のニュースにて、韓国が中国産の輸入キムチに寄生虫の卵が付着していたという報道を受けて、今度は中国が韓国産輸入キムチから同じく寄生虫の卵が発見され、しかもメーカー名まで公表して応酬した。韓国は更に事実無根の報復行為だと非難し、当該のメーカーは中国に輸出した実績はなく、中国国内で生産されたニセモノであると反論し、泥沼化の様相を呈している。ところへまたまた、韓国国内から、国産キムチメーカー製品の3.2%から寄生虫の卵が検出されたと発表。そのメーカーの中には日本向けに輸出していたメーカーも含まれ、中韓に端を発したキムチ戦争は日本にまで飛び火している。↓↓↓↓↓http://news.www.infoseek.co.jp/world/story.html?q=04mainichiF1104m131&cat=2最初にこのニュースを目にしたときは、正直”どっちもどっち”くらいの印象しか持っていなかった。ここで彼の国の衛生事情を論じるつもりはないが、日本と比べてどうかといえば、両国とも間違いなく日本の足元にも及ばないであろう。日本は特に衛生面について、病的なほど神経質な民族であるといえる。話は逸れるが、そのことを端的に表すエピソードがある。時は明治時代の日露戦争の頃。先の日清戦争にて、時の明治政府は海外遠征の兵士の死亡原因が、交戦によるものではなく、現地にて伝染病等で命を落としたものが圧倒的に多いことに着目。当時の世界的にも珍しく、軍隊内の徹底した衛生面の向上をはかり、特効薬の開発に成功する。従軍する兵士達に服用を義務付けたその薬の名は、”征露丸”現在でも”正露丸”として広く親しまれているこの薬は、もともと日露戦争を制する要因であり、対露西亜戦の戦勝を記念して”征露丸”と名付けられたものである。話を元に戻す。日本人はとにかく病的なくらいキレイ好きな民族である。一時に比べれば多少はマシになったが、かつて”抗菌・除菌”ブームの際は、台所周りの製品のみならず、文房具とかにも派生していたのは意識せずとも記憶に新しい。そんな民族性にも関わらず、肝心かなめの食品については、先進国の中でもダントツに低い40%程度の食料自給率しかない。つまり、日本人が生きていく為には、好む好まざるにかかわらず半分以上外国の食品を食べざるを得ないということである。勿論経済的に余裕のある方は国内産の食品のみに拘ることも不可能ではないだろうが、外食とか、加工品の原材料や畜産物の飼料にまで遡って検証するのは市井の一民間人にとっては非常な困難である。悲しいことであるが、現実問題として何らかの形で外国産の食品を口にすること自体は避けようもなく、そのことについては受け入れざるをえない。日本人の食にまつわる危機的な情報は、前の日記にも書いた牛肉のBSE問題のみならず過去には合成保存料や農薬、果ては遺伝子組み替え作物など、数え切れないくらい多岐に渡っているといえる。そのすべての危険性を排除しようとすると、もはや市販されている食品で安心して口にすることができるものは皆無であるという笑えない現実がそこにある。やれば実行可能な検査を経済的な理由から実施せず、安全性について不確かなモノを売りつけようとする某国の態度には憤りを禁じえないが、此度の中韓キムチ戦争に関しては起こるべくして起こった想定の範囲内であるというのが私の感想である。そういう意味では韓国自らが自国の製品に対するマイナス情報を公開した事については純粋に評価したい。ま、単純に国内消費量が莫大であり、主食とも言える食品に対する自浄能力程度は残されていたと見る向きが正しいのであろうが。当然のことではあるがすべての韓国産および中国産のキムチが危険なわけでは決してない。小売店も無思考状態で一斉撤去、みたいな馬鹿な真似は止めたほうがいい。店側が安全である、という検証をまったく行っていないという事実を露呈して、すべて生産側に責任を押し付けるような態度にはいつも疑問に思う。最終的には何処から消費者の手に渡っているのか、という事実を直視し、流通の段階でも何らかのチェックができる態勢というのが望ましいのではないだろうか。衛生問題に関する日本人の意欲と取り組みからすれば、決して不可能ではないと思うが如何であろうか?
Nov 4, 2005
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2007年問題ってご存知ですか?いわゆる団塊の世代と呼ばれる中で、とりわけ多く存在する1947年生まれの方が60歳に到達するのが2007年であるというわけなのですが、何が問題なのかというと、企業内においても最も培ったノウハウが多く、現在の企業活動の根幹となる部分が一気に消えることにより、深刻な労働力不足が生じ、果ては通常の企業活動にも支障が生じるということらしいのですが、どうも私は今ひとつピンときません。ついこの間までリストラだの何だのの矢面に立たされていたのがこの団塊の世代であり、一時はゴミ虫の如く呼ばれていた感があるのですが、180度違う扱いです。何だそりゃ?どうも作為的に危機感を煽りつつ年金が満額受給できる65歳までは企業側で面倒みろや、と強要されているようで気分がよくありません。何で急にこんな話をしているのかというと、この度私めが勤める会社で、若干名の中途採用を行うこととなり、何の冗談か私がその実務責任者に任命されることとなったのです。私が勤める会社は従業員100人余りの中小企業で、同族オーナー会社ゆえに採用についても一般公募せず、専ら縁故採用でしかも3年ほど新卒の採用は行っておりませんでした。こんな時代ですから離職率も高くなく、会社でも年齢層の高い部分はこう着状態で、変動があっても下の年齢層内での入れ替え程度でしたので、全員相応に歳をとっているという点を除けば、中身は大した変化もなく推移してきたという感じです。ところへ何故か急に冒頭の問題が会社でも議論されるようになり、早急に対処せにゃならん・・・ってな感じで、仰せつかったのが約ひと月前。しかし今すぐ数人雇ったところでどうこういうモンでもないでしょうが、何せ今まで無計画に頭数が足りなくなったら採用するという適当さだったので、世代間の密集と空洞化がちょっとシャレにならない事態になってきているのも事実です。で、様々な告知媒体の検証を経て、今月ようやく実施の運びとなりました。某大手転職サイトに載せるのですが、会社案内の原稿の中で私の顔写真も掲載されますw何も年末の忙しい時期にせんでも・・・とは思うのですが、転職希望者は賞与が貰える年末まで働いて、年明けには次の会社を決めておきたい・・・という傾向らしいです。一応役職に長はついているものの、管理職でもない私が責任者という時点ですでに狂っていると思いますが、こういう仕事は嫌いじゃないんで、選考にはバレない程度に遊びゴコロを加えようと思っていますwマニュアル通りの面接しても何もわからんと思うし、定型文を暗誦されても詰まんないですしね。・・・という訳で3年前の陳腐化した入社試験問題を現在鋭意改訂中です。
Nov 1, 2005
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安政6年1月熊本は阿蘇山にて火山灰の洗礼を浴びつつ、熊本藩の居城へと意気揚々と乗り込んだ海援隊一行であったが、城はほとんどもぬけのからであった。応対に出た熊本藩士、元田永孚は汗をかきかき、藩主細川斉護と重臣宮部鼎蔵の不在を伝えた。唯一城に滞在していた家老の長岡監物をバリバリの公議思想に洗脳し、ついでにヒラ藩士の元田永孚を洗脳したものの、藩論が変わるまでには至らない。主要人物の少ない熊本藩では、やはり藩主と重臣の影響は大きいらしい。城を飛び出した坂本竜馬は、屋外に宮部鼎蔵の姿を認めた。「ここで会ったが百年目、宮部鼎蔵殿!おんしに話しがあって来たぜよ!」大音声で呼ばわったものの、一向気付く気配もない。その内、国境で宮部鼎蔵の姿は唐突に消えた・・・・・・と思ったら翌日の朝、再び現れた。全速力で追いすがった坂本竜馬は、「ぜい、お、、おんしに・・・、ぜい、は、はなしが・・・、ぜいぜい、あって・・・げほげほ」宮部鼎蔵は竜馬の異様な迫力に圧倒されたのか、人里離れた山中であるにも関わらず、地べたに座布団をしきながら話を始めた。何故か山猿が運んできたお茶を一口啜ってようやく一心地ついた竜馬は、これまで何度となく繰り返した話を展開した。その甲斐あって宮部鼎蔵は多少公議思想に理解を示し、自動的に熊本藩の藩論も雄藩連合へと転換した。ここで更なる藩論の強化を、と疲れた身体を奮い起こして宮部鼎蔵の洗脳を完了してしまおうと目論んだ竜馬であったが、またしても国境で姿を見失ってしまった。「まぁよか、ここは一旦退いて薩摩に向かうばい」いかん、九州弁が移ってしまった。結局熊本藩では藩論は転換させたものの藩主である細川斉護との面会はかなわず、完璧とはいい難いが、ここでいたづらに時間を浪費するのも如何なものかという意見が多勢を占めたので、海援隊は一路九州の最南端、薩摩藩の鹿児島に向かうことになった。薩摩藩も長州藩に次ぐ人材の宝庫であるが、何故か要職に就いている人物が少ない。かの西郷どんも、先月まで一介のヒラ藩士であった。「西郷さん、しばらくです」京都で一度面識があった竜馬は、西郷隆盛の館を訪ねた。人一倍意志の強そうな面構えは、この説得が容易ならざるものである事を予感させた。とは言え、お互い思想の違いはあっても、人物は認め合っている。世間の雑談めいたものから始まり一昼夜、議論を戦わせ、遂に西郷隆盛の洗脳に成功した。「むむむ・・・見事ばい。この上は坂本さん、おいどんも新しい国体づくりに一肌脱ぐばってん」西郷隆盛は藩主、島津久光への取次ぎと洗脳工作の協力を申し出、程なく薩摩藩の藩論も雄藩連合へと転換した。これで西日本は公議思想へと統一されたのである。再び長崎の町に集結する海援隊隊士。船の出発までそれぞれ海軍兵学校で勉学に勤しむ者、剣術を磨く者と様々。漸く全員集合し、本州へと戻った。船で一気に明石の港まで乗り込むことも考えたが、すでに転向した長州藩、芸州藩の様子を確認するのと、各地の要人が陸路旅をしている可能性もあるので、下関から徒歩で近畿を目指すことにした。海援隊諸子は非常な健脚で、障害がなければ一日で藩境くらいまで平気で歩く。ここで全員同じ動きだと返って鈍くなるので、山陰ルートと山陽ルートの2班に分かれて京の都で落ち合うことにした。道中は何ほどのこともなく、長州藩、芸州藩とも不穏な動きは見られなかったので、3日ほどもすれば京の都はもうすぐ、というところまで来た。途中、何人か東日本の藩の要人と接触し、洗脳活動も行い、いよいよ全国統一に向けて弾みがついてきた。海援隊を結成して土佐藩を出発した頃と比べると、尊王思想が多かった西日本での洗脳活動が功を奏し、佐幕に次ぐ勢力に拡大した。替わって尊王は、今や東日本に僅かに残る勢力と相成ったのである。まずは京都から琵琶湖を臨み彦根藩へ。彦根藩主、大老井伊直弼は相変わらず不在である。すでに洗脳が完了している他の要人は海援隊の面々を歓待してくれたものの、肝心の井伊直弼と話ができぬのであれば長居は無用。続いて南に下って桑名藩へと向かう。前年に立寄った際には、藩主の松平春猷が不在であった為、藩論の転向までには至らなかったのだが、此度は居城に滞在していた。他の要人に取り次いでもらい、一気に洗脳を完了し、あっけなく桑名藩の藩論を雄藩連合へと転向させることに成功した。桑名藩の隣である尾張藩はもともと公議思想が支配する藩であるので一旦そのままにしておき、北陸地方の福井藩から長岡藩、会津藩、米沢藩と続く佐幕ロードへと足を向けた。かつて海援隊結成のためのメンバー探しの旅で、長岡謙吉は一度訪れているものの、その他のメンバーは全員ここからは未知の領域であった。道行く要人も顔見知りはぐっと減り、いやがうえにもアウェーの雰囲気である。しかしながらここが最大のヤマ場であるというのは全員が承知していることであった。この佐幕ロードさえ完全に押さえてしまえばあとは僅か数藩を残すのみ。一気に片をつけられる・・・。海援隊隊士は不安よりも、更にその先の日本の真の夜明けを夢想していた。春まだ遠い安政6年2月。雪深い北陸道は、海援隊隊士の前に容赦なく立ちふさがる。道案内役の長岡謙吉の顔にもかなりの疲れが見える。加えて、長岡謙吉が訪れた頃とは景色もまったく違い、時折道を誤ることもあったがそれを責める訳にはいかなかった。「みんな・・・すまんきに、また道を間違えてしもうた」「長岡さん、この雪じゃしょうがない。さっき通り過ぎた村で一休みするきに」通りすがりの小さな村で暖を取りつつ体力を回復し、夜を過ごした。次の日は朝から昨日の悪天候が嘘のような快晴。目指す福井藩の居城も目と鼻の先まで来ていた・・・。
Oct 31, 2005
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先日の日本シリーズの続きで、開始早々1時間も後ろに押すハプニングに見舞われたが、TBSの新番組『お笑いLIVE10!』を観賞した。【空前のお笑いブーム。とあって、お笑い番組・ネタ番組はいくつもある。そして、今、TBSが新たにお笑い戦線に加わる。とはいえ、同業他番組とは大違い。なんと「生放送」なのだ。よそさまのように、数週間前のVTR収録で編集・スーパー入れを施されたものより断然イキがよく、ハプニング含みのお笑いが炸裂することは必至。イキのいい芸人たちの生の緊張感をダイレクトにお見せする、まさにハラハラドキドキの超新鮮ネタ番組だ!!】(TBSのサイトより転載↓↓↓)http://www.tbs.co.jp/program/owarai_live10.htmlたいそうな鼻息だが、先週から始まった同局の『リンカーン』なるお笑い番組のクソつまらなさに辟易していたので、別に期待はしていなかった。毎回ゲストを招き、そのゲストが選ぶお笑い芸人をカウントダウン形式で10組のネタを生で見せる、というのが売りなのだが、すみませんのっけから破綻していますw・・・って言うか1時間の番組で前後に多少トーク入れてネタ10組なんてどう考えてもムリ。しかも生放送なんて正気か?別にベスト5ぐらいでいいんじゃないの?そんな無理せんでも。1時間も後にずれたという状況を鑑みても段取り悪すぎ。番組の慌しさがこちらにまで伝染して落ち着いて見られる雰囲気ではなかった。記念すべき初回のゲストは上戸彩。彼女が選んだお笑い芸人は、順不同で(覚えてないw)レイザーラモンHG、次長課長、長州小力、アンタッチャブル、マギー審司&司朗、大木こだまひびき、レギュラー、ビックスモールン、ヒロシ、劇団ひとりの10組。どう考えても上戸彩本人が選んだとは思えないがwそれはまぁいいだろう。旬の芸人から異色、ベテランまで、極めてバランスがいいチョイス・・・なのだが、HG、長州小力は面白いけどネタとは言いがたいし、マギー師弟コンビは何がしたかったのかわけわからん。こだまひびき、レギュラー、ヒロシはもう何回も見たネタばかりだったので新鮮味の欠片もない。次長課長はいまいち面白くなかったしアンタッチャブルに至ってはネタを披露することもなくVTR出演のみ。生のネタが売りなんじゃないの?いきなりコンセプトずれてね?まぁまぁ見られたのはビックスモールンと劇団ひとりくらいか。ま、このへんは好みもあるんで一概にはいえないと思いますが。でもこれって被らないようにチョイスしていたら5週くらいで限界のような気がします。あとセットも安っぽいよね。もうちょっと何とかならなかったのでしょうか?でも『リンカーン』のような番組そのものの手抜きにくらべれば随分マシではあります。これは最近に限ったはなしではないのだが、一連のお笑いブームの中で芸人の使い捨てのような各TV局の姿勢はいかがなものだろうか。芸人自身も下積みの苦労等が色々あったのだろうことは想像に難くないが、ちょっと売れるとこれまでの人生に復讐するかのように仕事を入れまくるのもどうかと思う。結果、日々忙殺される中で新しいネタを練る間もなく、毎回毎回同じネタを使いまわして世間から飽きられた頃にはもうどうしようもなく、あっさりと見捨てられる・・・。ひとつウケればそればっかりという世間のニーズの偏向にも問題はあると思うが、ブームを足がかりにしてMCの座に収まって安泰、という構図は、本当にごく僅かな限られた者しか与えられない地位である。(そういう意味で、くりぃむしちゅ~ごときと言ったら失礼だが、ロケが一番性にあってそうな半端な実力しかない芸人が現在のポジションに収まっていることに関してものすごく違和感がある)ぶっちゃけ星の数ほどいる芸人の大部分が将来どうなろうが知ったこっちゃないのだが、メディアに踊らされて消耗品扱いされているのは少し不憫ではある。余計なお世話かと思いますが、若手も中堅も芸人を一生の仕事、などと考えずにいざという時の逃げ道を作っておくのが無難だと思います。
Oct 28, 2005
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阪神タイガース対千葉ロッテマリーンズの2005年日本シリーズであるが、あっという間の4連勝で、千葉ロッテマリーンズが制する結果となった。どことも述べていることではあるが、西武、ソフトバンクとのプレーオフで激戦を勝ち抜いてきたロッテが、そのままの勢いでシリーズに臨み、優勝決定後3週間の実戦でのブランクがあった阪神を圧倒した、という感じだ。阪神ファンにとっては悪夢のような結果であったに違いない。1戦目から3戦目までは3試合連続2ケタ得点を与えるワンサイドゲーム。しかも3試合合わせて2得点、それもタイムリーヒットによるものではない。いずれもまるでビデオで再生したかのような試合展開であった。序盤に自らのミスで先制点を与え、中盤までは互角に戦うものの、終盤にビッグイニングを作られ、反撃の糸口すら掴めずあっさり敗戦・・・。失礼ながらロッテのシーズン中の試合などほとんど見る機会がなかったのであるが、シーズン中の戦い方もこのような感じであったのだろうか?リーグ2位とはいえ84勝は立派すぎる成績であることは(尤も某新球団がありえないくらい負けた所以であるのだがw)いうまでもないのだが、シリーズでもグラウンドを縦横無尽に暴れまくった選手達のほとんどが、正直名前も知らない選手ばかりであった。特に20代前半の若い選手が中心となって活躍している様は非常に新鮮であった。今更いうまでもないが、ボビー・バレンタインという稀有な監督が指揮を執ったことは彼らにとってこの上ない幸運であったと言えるだろう。この一方的な結果について、一般に言われている上述のハンデがあったのだとしても、一番赤星、四番金本、五番今岡という阪神打線の核が完璧に抑え込まれたことを考えれば、これは勢いとか実戦感覚が鈍ったとかいうレベルの問題だけではないのは明白である。加えて、らしからぬ致命的な凡ミスの連発は、言い訳のしようがない。ロッテの投手陣のできが非常に良かったことは紛れもない事実なのだが、3週間という期間がありながら、研究も攻略も結果として出せなかったことにも原因がある。スコアラーはその怠慢を責められて然るべきであろう。下らない仮定の話だが、140試合前後の長丁場のリーグ戦ならば、私は断然阪神の方が安定した成績を残せると思う。ここ数年、セパ共連覇を成し遂げたチームはないので、同一カードの実現は正直難しいと思うが、来年の日本シリーズはどのチームが出場するにしてももう少し拮抗した好ゲームを期待したい。興行的にもおいしくないだろうしねw
Oct 27, 2005
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米国・カナダ産牛肉のBSE感染が発覚してから一年余り。厚生労働省による当該国からの輸入禁止措置が、今年の12月から解禁される見込みだ。以前、相次ぐ不祥事で国民の信頼が地の底まで失墜していた厚生労働省にあって、食の安全に関する頑とした対応について私は非常に評価していたのだが、遂に度重なる外圧に屈したのは残念な限りである。このニュースを受けて、昨年から低迷を続ける牛丼の吉野家の株価が高値をつけるという動きを見せた。↓↓↓↓↓http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/mhlw.html?d=24fuji62733&cat=7これを”吉ギュー待望論”が感じられる、などと暢気に締めくくっているが、ちょっと待ってもらいたい。内閣府食品安全委員会のプリオン専門調査会が答申において、前提条件としてBSEの原因物質が蓄積しやすい特定危険部位をすべての牛から適切に除去することなどを順守した上で当該国のリスクの差は少ない、という内容を受けて輸入再開に踏み切ったという。そもそもその部分のチェック機能が正常に働いていない疑いがあるから輸入禁止措置を行っていたのではないのか。何の事はない、当該国の姿勢は発生当時から何一つ変わっちゃいないのである。ことは当該国だけの問題に留まらない。極端な話、現在国内の基準を順守している輸入牛肉にも同様の緩和が求められるのは必然であり、ひいては国内産にも波及する可能性は十二分にある。市場には一切”安全な牛肉”がなくなり、もし何らかの事故が発生したとしても、その根本の責任を追及する手立てはない。運が悪かった当事者が何らかの社会的制裁を加えられて終わり、だろう。この動きに同調するように、外食産業を中心とした財界の政治的影響力の行使も目立たないながらも進行している。特に顕著な動きを示しているのは上記でも触れた”吉野家”である。”吉野家”は原材料の米国産牛肉にこだわり、競合他社が豪州産等に乗り換える中、頑なに”吉野家の味”にこだわり続けた。結果、売上を大幅に落とした分、競合他社が業績を伸ばすというひとり負けの状態がこの一年間続いた。さらには早期輸入再開を求める署名運動なども店頭で行ってきている。”吉野家”に言いたい。消費者はご自慢の”吉野家の味”などに大したこだわりなどない。少しでも安く、牛肉が食べたいという欲求が満たされればそれでいいのである。従って”吉野屋”の業績が落ち込んだのはひとえに代替肉を使用して商品を提供するという、競合他社が当たり前のように行っている企業努力を放棄した所以である。それを安全性に大いに疑問がある米国産牛肉の輸入禁止措置に原因を求めるなど笑止千万、勘違いも甚だしいとしか言いようがない。一連の対応から、この会社が人間が生存する上での根幹にあたる”食の安全性”をいかに軽視しているかが窺い知れる。大体10年ほど前に日本が未曾有の凶作で全国的な米不足が生じたときも、この会社は何のためらいもなく外国産米を使い、結構な利益を上げたものである。どうせ万が一事故が起こったとしても、”吉野家”の牛丼との因果関係が証明されるはずもないとタカをくくっているのだろう。今後、我々消費者が自衛できる手段は唯ひとつしか残っていない。それは商品に正確な情報を公示する義務を徹底することである。原材料をそのまま販売するわけではない外食産業には特に厳しく求めて然るべきである。煙草にあれだけ健康に関する警告文を表示させているのだから、誰でも口にする可能性がある牛肉にはさらに厳格な掲示を要求するのが筋というものだろう。例えばこんなところだろうか。「当牛丼に使用している米国産牛肉は、30カ齢未満の牛からBSEの原因とされる 異常プリオンが検出される例は少なく、また検出も困難なので一切検査を実施して おりません」とか、「当牛丼に使用している米国産牛肉は、異常プリオンが検出される特定部位を除去して おりますので、根拠はありませんが多分安全です」などの明確な表示を店頭およびメニューに実施するよう、義務づけるべきである。ま、牛丼食わないと生きていけないわけでもないので、要は食わなきゃいいだけのはなしなんですけどねw
Oct 26, 2005
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最近のゲーセン事情には疎いので、的外れかもしれませんがコンシューマ用ソフトにおけるアーケードゲームとの表現力の差というものがほとんどなくなってしまった現在、”アーケード完全移植!”などと銘うたれても訴求力に著しく欠けるのではないかと思われます。コンシューマ用ソフトの市場も全盛期と比較してお世辞にも好調とはいい難く、この事実からでも1回ナンボのアーケード市場が更に厳しい状況であろうことは想像に難くなく、畢竟その公共性であるとか、面積占有率が非常に高いものであるとかコンシューマのプレイ環境とは大幅にかけ離れたところにアイデアをシフトせざるを得ないのは必然であるとも言えます。そういう意味でも、”アーケード完全移植+α”を謳ったX-BOX用ソフト『OutRun2』はかなり特異な部類にわけられるのではないでしょうか。ソフト自体は今年の初めにすでに発売されており、今更って感じなのですが、現在次世代機のプレスリリースで盛り上がる中、現行X-BOXのソフトの供給状況がちょっとシャレにならないくらい落ち込んでおり、今年に入って劇的に発売本数が減っている上、たまに発売されても海の向こうのソフトのパッケージングを変更しただけの手抜き&頭数あわせでかろうじて新作スケジュールを埋めているあたり、最初から最後まで『メガドライブ』の轍を正確になぞっている感があります。それはさておき、恐らく来年中に完全に息の根が止まるであろう『X-BOX』ですが、地味ながらも競合に追随すべく、廉価版の発売にも手を染めておりました。冷静に考えれば更なる悪影響しかもたらさなかったような気もしますが、悪いことに唯一ゼニが取れる看板ソフト、『DOA』や『DOA』や『DOA』を次々ベスト化して数少ないお得意さまにすらソッポを向かれる結果となりました。で、この『OutRun2』も、ひょっとしたら廉価版が出るんじゃないかな、とセコイ期待をしておったのですが、あにはからんや廉価版どころか新作ソフトすらも上記のようなことになってしまい、ソフト自体もかなりできがいいということもあって中古価格も中々値落ちせず、どころか徐々に市場から姿を消しつつあったのに危惧を抱いておりました。先日、初回版の中古を発見し、値段もそれなりでしたが思い切って購入しました。早速プレイ・・・結論からいっちゃうと、面白いです。コレ。GTシリーズに代表される実車の挙動やら何やらを正確にシミュレートする超リアル派のレースゲームが支持される中、本作のようなゲームでしか有り得ない操作感は旧作『OutRun』に通じるものがあるし、グラフィックはX-BOXの性能を如何なく発揮している。ゲームモードも「ハートアタックモード」なる珍妙なものが用意されており、これがどういうものなのかというと、助手席に乗せた女の子の気の向くまま、ドリフトや追い抜きをこなし、ハートポイントを獲得するというものである。文字にするとバカゲーにしか見えないが、実は同じようなコンセプトのレースゲームがすでにSSで存在しており、これについてはまた別の機会でご紹介したい。初回限定版にはBGMのサウンドトラックも同梱され、お得感も満載。私の読みが当たってこのまま廉価版等が発売されなければプレミア化の可能性も充分あるだけに、価値ある一本といえるだろう。本作に限らず、X-BOX関連はどんどん手に入りにくい状況になっており、また探せば投売りしている店もあるので、コレクター各位はお早めに保護することをおすすめします。公式HPhttp://sega.jp/x/outrun2/home.html
Oct 24, 2005
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安政5年12月武市半平太、山内容堂の洗脳に成功し、改めて土佐藩の藩論を雄藩連合へと転換させた海援隊一行は、再び船で明石の港に降り立った。この時点での思想勢力は、公議・・・土佐藩、宇和島藩、尾張藩、仙台藩佐幕・・・盛岡藩、会津藩、福井藩、米沢藩、彦根藩、桑名藩、長岡藩尊王・・・水戸藩、芸州藩、長州藩、佐賀藩、熊本藩、鹿児島藩おおざっぱに区分けすれば、江戸より東は幕府の影響が強く、九州より西は尊王思想が強くなっている。坂本竜馬と海援隊が信奉する公議思想は四国は統一されているものの、三つの勢力の中では一番弱い状態である。「膝突き合わせて議論を尽くせば、きっと理解を得ることができる」海援隊結成後、数々の要人と接してきた竜馬はそう確信していた。「まずは九州を目指して西日本の思想統一をはかるぜよ」明石港にて蛸を喰らいつつ、安芸の宮島の名所である厳島神社に参拝し、旅の無事と成功を祈願した坂本竜馬with海援隊。まずは芸州藩の居城へと足を運んだ。幸いにも藩政を担う人物はすべて城内に留まっていたので、かねてからの打ち合わせ通り、それぞれ説得にあたる人物への目通りを請うた。竜馬により海援隊副長に任ぜられた長岡謙吉は、芸州藩家老辻将曹と面会すべく、城の一室にて待機していた。事実上、他藩へ乗り出しての初仕事とも言え、いやがうえにも緊張は高まる。しかも相手は家老級、仮に学識が自身に及ばずとも、一筋縄ではいかない。長年身体に染み込んだ封建体制のDNAは、たとえ服装を変えてみたところで簡単に払拭できるものではないのであろう。二杯目の茶に手を伸ばした時、「お待たせいたした」と室内に入ってきた人物の顔を見て長岡謙吉は驚いた。以前高知の街中で昼の日中に斬りかかってきた前時代的な狼藉者ではないか。まさか一国の要職に就いている人物だとは思いもしなかった。一瞬警戒したが、当の辻将曹は何事もなかったかの如く目の前に座っている。「それがしにお話があるとか・・・」辻将曹はやや当惑した面持ちで口を開いた。我に返った長岡謙吉は、かつて自分を襲ったことについてはおくびにも出さず、冷静に公議思想の優位性について論じた。日も暮れかかった頃、ひとしきり議論を尽くして考え込んだ末、辻将曹は公議思想に転向することとなった。坂本竜馬以下、他の隊士も首尾よく芸州藩所属の人物の洗脳を済ませ、小国とはいえわずか1日で藩論を覆すことに成功した。休む間もなく、洗脳で精神的な疲れを癒すべく再び夜の厳島神社に立ち寄りつつ、徒歩で次の目的地である長州藩の萩の町に向かう。長州藩は土佐藩に負けず劣らず人材の宝庫であるといえるだろう。ヒラ藩士でも高杉晋作や桂小五郎等の有名どころに、千円の価値はある伊藤博文の名前もある。しかしながら、藩士全員を洗脳している余裕はない。取りあえずは藩論を転向させるだけの藩主以下主要なメンバーの洗脳を迅速に行い、芸州藩に続き長州藩も藩論を覆すことに成功した。折しも下関の港から初日の出を見ることとなった海援隊。激動の一年は幕を閉じ、新たな時代の幕開けを予感する竜馬であった・・・。安政6年1月坂本竜馬以下海援隊のメンバーは再び長崎の町に逗留していた。新年の祝賀ムードに誘われて、かつて池内蔵太が滞在していた娼館にて、海援隊の新年会を開催したのである。思えば昨年の半年間、生まれ故郷の高知を出発してからめまぐるしい忙しさであった。日本の国論はまだまだ尊王と佐幕が拮抗している状態であるが、何とか公議思想を組み込むことに成功してきた。三国志にたとえれば公議思想は蜀といったところであるが、今年中、かなり早い段階で目的は達するのではないかと多少楽観してもいた。「坂本さん、こんなことしとる場合じゃないんじゃなかろうか」陸奥宗光は酒を飲みつつも苦言を呈した。「まぁまぁ陸奥さん、正月は何処とものんびりしているもんじゃき」ここの常連であった池内蔵太は久々の逗留が懐かしいとみえて誰よりもはしゃいでいる。「三が日はじっくり英気を養うぜよ。四六時中天下国家のことば考えちょったら疲れるきに、たまには息抜きも必要ぜよ」こう言った竜馬だが、勿論心の底からそう思っていたわけではない。ただ海援隊結成後、休みなく働いてきた隊士たちとの信頼関係を再構築するためにもこういう機会は必要である、とは考えていた。そして正月が過ぎ、世間もようやく普段の生活を取り戻した頃、坂本竜馬以下海援隊は新年初の活動に取り掛かった。以前、説得相手に言い負かされて逆に思想転向を余儀なくされた反省をいかし、特に能力に劣るメンバーは、学識に加えて時代を先取る先進性を身に付けるべく国内唯一の海軍兵学校の門を叩いた。今ひとつ学習成果が上がらなかったものの、正月の娼館への滞在費と、港の船賃のことを考えれば、これ以上お金を使うわけにはいかなかった。止む無く、坂本竜馬以下海援隊メンバーは、長崎から関所を越えたところにある佐賀藩の居城に足を向けた。佐賀藩の居城には藩主である鍋島閑叟以下要人のほとんどが滞在しており、新たに学識と先進性を強化した海援隊の前に次々と屈し、あっさりと藩論を覆すことに成功した。九州地方での幸先よいスタートに気をよくした海援隊一行は、間髪いれずに南、熊本藩に向かった。熊本藩の居城のすぐ近くには国内有数の活火山、阿蘇山があり、城入りする前に立ち寄りその湧き出でる溶岩から新しい国に対する思いを馳せた・・・。※お詫び 不定期連載しております「維新の嵐」プレイ日記ですが、過去掲出のその1~3まで 年号に誤りがありました。 現在プレイしているシナリオ1は、西暦1858年の日米修好通商条約の締結から スタートで、嘉永6年ではなく安政5年の間違いです。 申し訳ございませんでした。
Oct 22, 2005
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ザラード! イラード! ガラード!・・・ご存知ない方はさくっと読みとばして下さい。私のオタク趣味の一環である特撮ヒーロー観賞であるが、本日発売(フライングゲット)した『アクマイザー3 Vol.1』をご紹介します。放映は昭和50年(1975年)~ですから、仮面ライダーシリーズに代表される”等身大変身ヒーローモノ”のブームが一段落した後にあたります。この時期、一頃のブームは沈静化していたとはいえ、まだまだ百花繚乱あの手この手で特撮ヒーローは量産されている渦中、本作は一風変わったつくりで差別化をはかっています。・変身しないヒーロー『仮面ライダー』以降、特撮ヒーローのコンセプトとして、ほとんどが人間からヒーローに変身するというパターンを踏襲しているのですが、本作はそれに当てはまりません。番組の主役であるアクマイザー3こと”ザビタン””イビル””ガブラ”の3名は、基本的にそのままです。番組の中盤で、”ザビタン”が人間に変身したりしますが、あくまで”人間に変身する”だけであり”人間が変身する”という従来のパターンに変更されたわけではありません。私が覚えている限りでは、本作と『ロボット刑事』ぐらいしか記憶にありません。・敵から裏切ったヒーロー厳密に言えば初代仮面ライダーも敵である”ショッカー”の改造人間であったわけなのだが、本人の自由意志および出自に基づくものではない。そういう意味で、テレビアニメでは『デビルマン』が同様のものと言えるだろう。これも特撮ヒーローには珍しいと思われる。上記2つの特徴だけでも本作は異色な作品といえるのではないでしょうか。更に、冒頭の”ザラード””イラード””ガラード”とは、アクマイザー3の武器である剣の名前であり、それもフェンシング用のフルーレを模したものとなっている。言うまでもなくヒーローのスタイルとしては、アレクサンドル・デュマの『三銃士』をモチーフにしている。アクマイザー3がもともと所属していた”アクマ族”とは、地球空洞説に基づいた”ダウンワールド”と呼ばれる世界の住人であり、そこは”アクマ太陽”に照らされ、地上の人間が地獄と呼んでいる世界である。要するにアクマ族はこのダウンワールドが住みにくくなった為、地上への侵攻を開始し、その無体なやり方に憤ったザビタンは単身、アクマ族を裏切って地上の人間のために戦うことを誓い、ザビタンを抹殺する刺客として地上に送り込まれたイビル、ガブラの両名は、闘いを通じてザビタンの人柄にうたれ、やがてザビタンと共にかつての仲間であったアクマ族と戦う道を選ぶ。・・・と、ストーリーの骨子は大体こんな感じです。今となっては荒唐無稽な説ですが、当時話題になった北極と南極に出入口があるという地球空洞説を、いちはやく設定に取り入れているあたりも注目すべきポイントです。あと私は水木一郎アニキが唄う主題歌も大のお気に入りで、♪行く道ひとつ おぉ ただひとつ それが我らの生きる道というフレーズが好きで、いまだに覚えておりました。余談ですが、アクマイザー3の母艦である”ザイダベック号”のデザインはかなり奇抜です。簡単に説明すると、”アメリカ国旗カラーのザクレロ”といったところでしょうか?幽霊船からの無茶な変形も素敵です。まだ数話観賞したところですが、30年前(!)の記憶と共に堪能しておりますw
Oct 21, 2005
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先日スタートしたバラエティ番組「リンカーン」を観賞した。ダウンタウンがTBSの番組としては実に13年ぶりの出演、とのことである。レギュラー陣にダウンタウン以下さまぁ~ず、雨上がり決死隊、キャイ~ン、山口智充と、過去の仕事を考えればかなり異色ともいえる取り合わせ。更に昨今のお笑いブームを支える中堅・若手芸人が勢ぞろいと、極めてゴージャスなキャスティングとなっている。番組コンセプトは「芸人の芸人による芸人のための番組」と、番組名である「リンカーン」の由来ともなっている。で、私的にはかなり期待して観賞した初回スペシャルであるが・・・「ネタの影武者 勝手にベストテン」ゲスト:ふかわりょう→ゲストの人選のショボさは番組内でも突っ込みが入っていたので一旦置くとして、 そもそも10×2本のネタをフルに使って番組の最も肝心なつかみの部分である 最初の30分を独占するという無茶な構成に大いに疑問が残る。 ネタの質がどうこう以前にふかわりょうが30分間の観賞に耐えうるものなのか 冷静に考えればわかりそうなものだが。「平成ベタベタ教育委員会」→元ネタも今更という感じだし、中身も面白くない。いずれも「だからどうしたの?」 「で?」という突っ込みを入れたくなるような中途半端さ。 更にはお題も無駄に多い。3ネタぐらいで充分なのではないだろうか。 それでも面白くはないだろうが。「クイック笑点」→ここへきて急に編集が入るようになる。ネタはダウンタウンの松本が好む種類のもの であるが、そこそこ面白いものもあったものの全体としてはいまいちであるし 新鮮味も皆無。 若手との入れ替えとかの要素を加えればちょっとは躍動感も生まれるのだろうが、 テンポが悪くなるような気もする「おかん ビジュアルクイーンコンテスト2005」→最悪。 芸人が素人の身内で笑いをとるようになったらもうオシマイである。番組の構成にダウンタウンの松本がどの程度関わっているのかは知る由もないが、全体的に異常にパワー不足なのが気になる。かつて「笑いのじかん」という番組の失敗から松本の芸人としての限界説もちらほら聞こえてきたものだが、この番組を見る限りそれを払拭するどころかますます確信が深まった、というところだ。松本のごくつまらない言動やネタに対しての後輩芸人連中の持ち上げ方も痛々しい。一番脂が乗っていた時期の松本が、いわゆる大御所と呼ばれる先輩芸人を揶揄していた時の面白さは影も形もなく、むしろ松本自身がおちょくられる側の大御所芸人の様相を呈しているのは皮肉であるとしか言いようがない。尤も、いつの時代も転換期とはそうしたものであろうが。総じて、豪華出演陣の初回2時間スペシャルにしては中身がチープでスカスカなのはどうしたことであろうか。番組予算の大半が”終わった”芸人のギャランティに消えているのであれば、この番組が1シーズン以上保つことはないであろう。まるで下らない企画でお茶を濁しているかつての人気コント番組の打ち切り前の雰囲気ではないか。今からでも遅くはない。出演者を減らしてでも若手の有望な作家をかき集めて最高のコントを見せて欲しい。このメンバーなら充分できるはずである。
Oct 20, 2005
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いずれも激戦といえるプレーオフを経て、シーズン1位のソフトバンクを破りロッテが実に31年ぶりのリーグ優勝を決めることとなった。これで私的にはプロ野球に関心を持って以来、日本ハム(楽天・ソフトバンク除く)を除いたすべての球団の優勝シーンを見たことになる。失礼を承知で言わせていただければ、昨シーズン終了時点で、まさかあのロッテが優勝するなどとは夢にも思っていなかった。いかに最近のプロ野球に関心がなくなったとはいえ、自分の認識の甘さを反省すると共に、勝負の世界の不確実性に改めて魅了されました。特にソフトバンクとのプレーオフ全5戦は、それぞれ見どころが多い充実した試合であったと思います。一方で2年連続シーズン1位ながらプレーオフで敗退したソフトバンク(ダイエー)はお気の毒としかいいようがないが、プレーオフの是非についての論議が再び活発になる機会となるのではないだろうか。それはともかく、今回の日本シリーズの対戦カードは10年前なら逆日本シリーズなどと揶揄され、まさか実現するとは誰も想像だにしていなかったと思います。ただ、またぞろ首都圏の関心が低い盛り上がりに欠けるシリーズになりそうな予感もします。阪神とはまた違った意味でファンに支えられた球団だと思いますが、そこに至るまでには並々ならぬ努力があったことと思います。私の記憶が正しければ、千葉移転前に「テレビじゃ見られない川崎劇場」というやや自虐的なコピーで、実際に球場に足を運んでくれるファンに向けてのアピールを強化しだした頃からではないでしょうか?実際は高額年俸に値する成績を収めていないだけなのにケチ球団のレッテルを貼られ続け、ドラフト指名選手に拒否されることも一度ならずあり、史上最悪の連敗記録を更新し、逆の意味で注目を浴びたこともありました。やはり継続して情熱を持ちつづけて、惜しみない努力をしなければ最高の結果を生み出すことなど有り得ないことを、某新球団のオーナーサマにはロッテの爪の垢でも煎じつつ肝に銘じてほしいところです。
Oct 19, 2005
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前期のドラマは私的にも大作、話題作が目白押しだったわけですが、シーズンを終えて一段落した後、極めて退屈な番組改変期のスペシャル企画の期間を経てようやく新番組がスタートを切り出しました。取りあえずの個々の感想は以下に譲るとして、全体の印象は「うーーん」という感じです。良くも悪くも地味なタイトルが多いというか、話題性に乏しいというか「これは!」と思える軸になる1本が見当たりません。まぁ前期が充実し過ぎていた反動でしょう。ある程度はやむを得ないですね。では以下初回の感想を。「1リットルの涙」→実話を基にした悲劇的な結末が最初からわかっているという、ある意味卑怯な作品。 ドラマとして似たようなコンセプトの「セカチュー」は完全なフィクションである 分割り切れるが、本作はそういう訳にはいかない。 畢竟、意識するしないは別にして見る側にもそれなりの厳粛さを求められてしまう。 そのことの是非について現時点では何とも言えないが、少なくとも私は”重い” と感じてしまった。ドラマとして純粋に”楽しむ”というスタンスすら憚られるのは 私の気のせいだろうか?「鬼嫁日記」→「電車男」に続くネット発原作のドラマ化。何かセットの雰囲気とか、どっかで 見たことあるなぁって思っていたら、以前放映された阿部寛と篠原涼子主演の 「アットホームダッド」そのままじゃんw ・・・って言うか脇役の設定(永井大、滝沢沙織)もまんま流用しているしw 「アットホームダッド」もそうだったが、個人的には”情けないけど愛すべき男” にまったく感情移入ができないし、共感も持てないので途中で早々に見るのを やめました。本作もそうなる可能性が非常に高いです。「あいのうた」→またぞろ病系の展開は正直食傷気味ではあります。 安易な結末へと集束する10数回は、舞台のスケールの小ささ故登場人物の内面と 変化をそれなりに濃く表現する必要があり、何はともあれシナリオが最も肝心な 要素と相成るわけですが、初回についてはまずまずではないかと思います。 ”命”をテーマに、対極に位置する登場人物同士を掛け合わせる手法はありきたり ですが、新鮮味がないぶん台詞と役者の演技力が試されます。 ただ如何せん地味ですね。広く一般的にアピールするにはちょい辛いかも。「ブラザービート」→主要なキャストについては、「ピンでメインにもって来るのは現時点では少々きつい」 1.5軍クラスの玉山鉄二、速水もこみち、中尾明慶のお三方で、「ひとりで無理 ならまとめて」みたいな投げやりなキャスティングが少し笑えます。 シナリオもいい加減で、ドラマにおける偶然性について、そりゃねぇだろwってのは 通常言わない約束なんですが、あまりにご都合主義的な展開にはずっこけました。 多分脚本家以下制作スタッフ全員何も考えていないかナメているかどちらか だと思われます。「着信アリ」→映画は2も公開されておりそれなりに人気があるのでしょうが、すみません。私は 原作も映画も未見です。 菊川怜主演の時点で終わっているような気がしますがwまぁ偏見はよくありませんね。 導入部分は和製ホラーの金字塔『リング』と極めて酷似していますが、サスペンス色 をより強めた印象があります。主人公の出自も関わっていそうな伏線を張っていますが、 とにかく展開が強引すぎ、オチに何とか整合性を持たせようとするあまりにすべてが 不自然に見えてしまいます。尤も、一番不自然なのは結局菊川怜の演技なのですがw「危険なアネキ」→「電車男」の大ヒットを受けて満を持しての月9ヒロインの座を射止めた伊東美咲。 でも何か月9っぽくないですね。とはいえ、じゃ月9っぽいっていう定義は何か説明 しろと言われても困るのですがw 良くも悪くも伊東美咲がすべてであると言っても過言ではないドラマだと思います。 あと芸人のカメオ出演が多いですね。別にいいんですけどやりすぎると更に安っぽく なるから注意が必要です。 ・・・とまぁ冷静に振返ってみれば総論としてかなりボロクソ気味だったりしますがw実際そうなのだからどうしようもありません。恐らく上記タイトルの半分も最後まで見ることはないと思います。こう言ってしまうと身も蓋もないんですが、所詮テレビなんで見なかったら見なかったで別にどうでもよく、かえって拘束時間が少なくなる分その他のことに時間を有効活用できるのでなんらデメリットはないです。今季に関していえば我が家でドラマ視聴の主導的役割を担っていたはずの、嫁のモチベーションが低いことにも原因の一端があるのかも知れません。
Oct 18, 2005
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DVDでもゲームでも、とかく最近のデジタルコンテンツ市場においては廉価版がブームである。単純な消費者心理にのっとれば、まぁぶっちゃけ有り難い話ではあるのだが、一方でマトモな値段で買っちゃった消費者にとってはどうにも割り切れんというか、納得できないもんだと思われます。ま、ゲームにしてもDVDにしてもすべて「発売日買いしかしない!」何ていうセレブな方は半年先に廉価版が出ようが新作のオマケに付いていようがきっと意に介することもないんでしょうが、100円200円の非常にみみっちいレベルで戦々恐々としている衆生にとっては初動の購買行動にモロに影響してくるってもんです。実際問題として、これだけ廉価版の存在が当たり前となっている現状では、皆様多かれ少なかれそのあたりの事情を考慮して購買計画を立てられていることでしょうから、どうしても直ぐに見たい、or直ぐにプレイしたい、というマイフェイバリットな心の一品以外は基本的に”待ち”となるのが自然な消費者心理ではないでしょうか?それがメーカーとユーザー双方にとって望ましい形なのかどうかまでは判断致しかねますが、特にDVDソフトのインフレぶりには困惑を禁じ得ません。それはいいんですけども、その廉価版の流れが存在そのものが廉価版みたいな『シンプル』シリーズにまで波及してきているのだから驚きです。結局のところ、廉価版の普及も『シンプル』シリーズも、「ゲームの流通を変える!」と息巻いたソニーの思惑とは裏腹に、哀しき資本主義社会の市場原理の荒波には逆らえず、中古市場という自らにまったく益することのない必要悪の存在とも相まって生まれた鬼っ子であると言えるのかもしれません。このカップリングがユーザーにとって需要があるのかないのかは別にしてwちょっとした中古のファミコンソフトより安い現状には何だかなぁ、という感じです。現在のゲーム市場は成熟しきっていると言っても過言ではありませんし、どうしても大手の超大作にユーザーの関心も集束しがちな中で、『シンプル』シリーズの位置付けというのは大変貴重な存在ではあります。それだけに、ちょっとやり過ぎというか、ただでさえ少ない需要をどこまでかする気なのかは知りませんが、時として市場原理の法則が働いていっぱいお金をかけて開発したはずのゲームソフトが新品で煙草程度の値段になることも珍しくない昨今、ますます消費者のゲームに対する金銭感覚と開発コストのズレが助長されるのでは?などといらぬ心配までしてしまいます。かつてSFCのソフトの定価が常態で一万円超えであった時は別の意味で違和感がありまくりでしたが、逆に考えればそれだけのお金を出しても買いたいと思うものはそれなりに売れるということでもあります。最近では業界の再編が急ピッチで進みつつあり、コンテンツも多様化どころか大作か否かの二極化現象が進みつつあります。そう遠くない未来に、大手メーカーの超大作か、『シンプル』かのいずれかの選択肢しかないという笑えない状況になるやも知れません。
Oct 14, 2005
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嘉永6年8月遂に結成された土佐の論客集団”海援隊”まずはビジュアル面の強化というところで、それまでの紋付袴の封建臭漂う野暮ったいファッションから、着流しの幕末志士スタイルに変更する。「やっぱり見かけは大事ぜよ」5人のメンバーも真新しい最新の着物に満足そうだ。陸奥宗光を同志に加えた京都の町で、今後の方針を決める為の会議を行った。様々な意見が交わされる中、大きくは基本的な動きとして、隊員別々に動くか、全員固まって動くかに意見が分かれた。結局全員一斉に動くということに決定したのだが、これにはきちんとした理由があった。まず、激動の渦中にある時代とはいえ、形式上は江戸幕府が支配する武家社会であり、そこに立ちはだかる最大の壁は封建社会の象徴である身分制度である。いかなる思想の持ち主であろうと、この身分制度の壁を越えることはできない。これがどういうことかと言うと、要人の説得にあたり、相手の身分があまりにも違いすぎると面会すらできないのである。我らが海援隊メンバーの身分はといえば、リーダーの坂本竜馬は唯一”家老”級であるが、その他のメンバーは平藩士のひとつ上の重臣級である。つまり、竜馬以外は藩主級の要人の説得には当たれないということである。勿論まったく手がないといえばそうではなく、その藩内の家老級の信頼をかちとっていれば藩主にとりなしてもらえるのだが、信頼を得る為には何度も話しをする必要がある。身分の差はそのまま説得に対するハンデにも繋がり、仮に目通りがかなったとしても非常に不利な状況で臨まねばならない。そこで多少面倒でも全員で行動を共にすることにより、藩主・家老クラスを坂本竜馬が、重臣・平藩士クラスをその他のメンバーが担当し、現地入りして一気に藩論を覆す作戦である。方針は決まった。まずは小手調べに京の町からさほど離れていない彦根藩へ赴くことにした。彦根藩は幕府の重鎮、大老井伊直弼が治める藩である。佐幕思想の急先鋒でもある井伊直弼は、諸国を遊説旅行中で行方は杳として知れない。竜馬以下海援隊メンバー総出で佐幕思想が蔓延する彦根藩の面々を公議思想に洗脳したものの、やはり藩主である井伊直弼の影響力は大きく、藩論が覆るまでには至らなかった。「本丸の井伊大老が行方知れずでは埒があかんきに、一旦場所を変えるぜよ」竜馬の号令のもと、隣の桑名藩へと移動した海援隊一行だが、ここで問題が生じた。京都で同志に加わった陸奥宗光が彦根藩重臣のひとりに言い負かされ、あろうことか思想転向してしまったのだ。その頃、坂本竜馬は先行して地元である土佐藩に渡っていた。というのも、折角藩論を大政奉還に変えて出たはずが、重臣武市半平太の影響で藩論が幕権強化に変わってしまっていた事態に対処するためであった。しかし、京に残って陸奥宗光の洗脳にあたっていたメンバーから、思想は無事公議に回復したものの、肝心の竜馬に対する信頼が消失しているという一報が入った。どうやら一度でも思想が転向してしまうと、それまで培った信頼も何もかも消失するらしい。人の世は無常なり、とはいうが一夜にして記憶も失うものなのかと訝しんだが、事実そうであることは否定しても始まらない。一緒に渡ってきたメンバーにできる限り土佐藩での洗脳活動にあたってくれと言い置き、とんぼ返りで明石に向かう船に乗り込んだ。再び京の都に入った坂本竜馬は、記憶も新しい陸奥宗光の屋敷の門を再びくぐった。陸奥宗光は身分こそ海援隊のままであったが、竜馬に対してまるで初対面のような応対であった。心中では面食らいつつも、再度根気よく洗脳を続け、再び信頼を得ることに成功。改めて海援隊同志として迎え入れた。今回の事件を機に、竜馬は海援隊メンバーの実力を冷静に分析することにした。思想説得に要する話題の豊富さ、というものは必ずしも学識に連動したものではない。更には説得に失敗して相手に言い負かされた場合、その度合いによって信奉する思想に大きな変化が生じることになる可能性についても留意せねばならない。彦根、桑名両藩における個々の洗脳活動で、メンバーの大まかな実力は把握した。先に全員で行動を共にする基本方針を決定した海援隊であるが、状況によってメンバーのスキルアップを優先するよう若干の修正を加えた。結果、長岡謙吉を同志筆頭に任命し、その補佐に池内蔵太を配置。やや能力が劣る近藤長次郎と新宮馬之助は身分の低い要人を担当し、陸奥宗光については未だ公議思想と尊王思想が相半ばするため、慎重に当たらせる。坂本竜馬、長岡謙吉、池内蔵太の3名は基本的に同一の行動を取り、その他は状況に応じて別行動を取ることとした。軌道修正した海援隊は改めて高知に集結し、武市半平太をバリバリの公議思想家に仕立て上げ、まずは西日本の藩論を統一することを当面の目標に掲げた。時に嘉永6年の12月、あらゆる意味で激動の1年もはや終わろうとしていた・・・。
Oct 12, 2005
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今季のペナントレースは磐石の強さで阪神タイガースが制したわけですが、判官びいきというか、自虐的というか、駄目なものを駄目であるが故に愛するという関西人の複雑な心理に対して、現状の”強い”タイガースは微妙にそぐわないような気がする今日この頃。阪神の毎度おなじみであったシーズン終盤からストーブリーグに至るまでのお家騒動は、秋の季語になるくらいのお約束だったのですが、最近ではすっかり巨人にお株を奪われた感じです。強くなった分、上記のようなゴタゴタがなくなったのはいいんですが、相変わらずこの球団はお騒がせです。何かといえば、連日マスコミを賑わせている、村上ファンドによる阪神電鉄株の大量取得問題であります。過去に日記でも書いたことがありますが、私自身は拝金主義的な物の考え方は好きではありませんし、それに対する批判もしました。しかしながらマスコミを含めて識者のコメント等がどうにも違和感があるのでここに記したいと思います。えーっと、まず阪神タイガースの公共性って何なのでしょうか?タイガースはファン皆の財産で、個人の思惑が反映するようになっては公共性が保てないとか何とか言う論調が多勢を占めているようですがそれっておかしくないですか?球団株を上場することの是非はここでは論じませんが、少なくとも現状では阪神電鉄の事業の一部であるし、阪神電鉄はれっきとした株式会社です。電鉄事業に公共性云々言うのであれば話はわかります。阪神タイガースは、あくまで阪神電鉄グループ全体の企業価値を高める一事業に過ぎません。カネで買われるのが気分が悪いのは理解できるのですが、非合法な手段でもって行われた訳ではないのであれば、批判の矛先は脇の甘い現経営陣に向けられるべきであり、少なくとも村上ファンドの行為そのものを非難するのはお門違いもいいところです。想定できなかったケースであった、との言い訳は通用しません。ついこの間のライブドア×フジサンケイグループの同様の騒ぎは記憶に新しいと思います。単に対岸の火事として暢気に構えていた結果が今直面している事態なのではないでしょうか?上場している株式会社に対して公共性云々する論調も狂っていますし、挙句の果てにスポーツを冒涜する、みたいな発言も出てきた日には呆れて物も言えません。アマチュアスポーツならともかく、プロ野球団はれっきとした営利団体ですよ?あのね、ホリエモンの言葉を借りるまでもなく、上場している企業が今回のような事態に遭遇する可能性は常にあるわけで、それが嫌なら上場しなければいいだけの話です。先の騒動を目の当たりにしながら、何の企業防衛措置も講じてこなかった怠慢は棚に上げて”ファンの皆様のタイガース”ですか?大体この”カネがすべて”の風潮も”勝ち組、負け組”の下品な二極論化も、すべては現政権が積極的に推し進めてきた価値観の具現化にすぎないわけで、アメリカ流の似非グローバリズムの名を借りた日本の切り売りがプロ野球界にも進出してきたってだけの話でしょうが。今回の事態を受けて、更に法規制をかけようって動きもありますが、結局のところイタチごっこに過ぎず、また別のスキマをぬって同じようなことが今後も起きるであろうことは容易に想像がつきます。「村上ファンド=悪、阪神=被害者」の構図は非常にわかりやすくて視聴者にも受け入れられやすいのは理解できますが、特に”野球人”サマの感情的なコメントを考え無しに垂れ流すのは非常に見苦しいので遠慮していただきたい。問題の本質とは何か、更には上場している株式会社の今後のあるべき姿とは何か。ライブドアや村上ファンドに代表される風潮を否定的に捉えるのであれば、まずは自身がターゲットになった事実を踏まえて問題提起をするのがマスコミの役割なのではないでしょうか?
Oct 8, 2005
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嘉永6年7月同志となった後藤だが、依頼心が強く、一日に四回も指示を求めてくる。こちらから声をかけた手間無下にもできず。同じ藩校で学問を学び、また剣術の鍛錬に明け暮れた。何はともあれもっと同志が必要だ。竜馬は地元土佐藩内に人材を求めることにした。土佐藩には優秀な人材が多い。まずは手近なところで、藩校の隣に住んでいる長岡謙吉、次いで町境に住んでいる近藤長次郎を同志に加える。板垣退助なんていうのも居たが、こいつは百円程度の価値しかないうえに尊王思想にかぶれているので論破して思想を転換するだけに止めた。やがて竜馬は同志との結束を強め、チームを組織しようと思い立つ。名前も考えた。”海援隊”である。どうやら海援隊を結成するには、里見八犬伝よろしく特定の人物を同志にしなければならないらしい。長岡謙吉、近藤長次郎。この2名に加え、池内蔵太、新宮馬之助、陸奥宗光の3名を同志にしなければならない。新宮馬之助はフラっと高知に帰ってきたところを説得して同志としたが、池内蔵太、陸奥宗光が見つからない。竜馬は同志を使って捜索を開始した。東海道五十三次を経て東北方面には後藤象二郎と長岡謙吉を。以西には近藤長次郎と新宮馬之助を。坂本竜馬は捜索結果が報告されるまで、土佐藩主である山内容堂の洗脳を行う。方針が決定すると各人の行動は素早い。それぞれの想いを胸に、早速船に乗って四国を飛び出す。季節はうだるような夏になっていた・・・。嘉永6年8月下関から九州に渡っていた近藤長次郎から報告があった。「坂本さん、池内蔵太を見つけたぜよ」頑固者の山内容堂に手を焼いていた竜馬は、とりあえず後回しにして早速九州へと向かった。場所は長崎。最も異国の風情が漂う町。ここには全国で唯一の海軍兵学校がある。ついでに最新の世界情勢を学ぶこともできるし、一石二鳥だ。長崎のとある宿にて近藤長次郎と合流、しばらく後に新宮馬之助もやってきた。「で、奴さんは何処じゃ?」たずねる竜馬に近藤長次郎は口篭もる。「それが・・・」どうも池内蔵太は町外れの娼館に入り浸っているらしい。このお国の一大事に廓遊びとは不届きな奴、性根を叩きなおしてやるわいと嬌声喧しい宵の初めの娼館に乗り込んだ。艶かしい雰囲気に一瞬たじろいだものの、直ぐに気を取り直し、やり手婆がにやにや笑いながら付きまとってくるのを振り払い、「池内蔵太に会いたい」とだけ叫んであがりかまちにどっかりと腰を下ろした。他の客に迷惑だとか何とかブツブツ言っているのを聞き流し、土佐の竜馬が来たとだけ伝えろと命じた。二階にある池内蔵太の居室に案内された。「そろそろ来るころじゃと思っておりました」池内蔵太は意外にも落ち着いた様子でそう口を開いた。「おんしに話があって来たぜよ」「坂本さんの心意気、しっかとお聞かせいただきたい」池内蔵太と意気投合した坂本竜馬は、翌日の夕の刻まで語り合い、やがて同志となることを承知した。残るは陸奥宗光のみである。その頃・・・東海道から江戸を越え、山深い仙台から蝦夷に至るまで、日本海側と太平洋側の両面から探索を続けていた後藤象二郎と長岡謙吉であるが、いまだ発見できずにいた。加えて江戸近郊では佐幕思想の過激派も多くうろついており、油断していると辻斬りに襲われるので道中も慎重にならざるを得ない。長岡謙吉は逗留先の宿場で、池内蔵太が同志となった旨の坂本竜馬の書簡を受け取った。行間からこちらの成果を求められているのは痛いほど伝わってきた。日本海側を北上している後藤象二郎の首尾はいかがであろうか?北上すればするほど人影もまばらとなってくる。こんな北の果てに本当に陸奥宗光は居るのだろうか?俄かにそんな疑問が長岡謙吉の頭を過ぎる。そして不意に、大きな過ちを犯している可能性に思い当たった。京の都、大坂の町の探索において、町の半分しか捜索していなかったのではなかったか。そう思うと居てもたってもおられず、東北と蝦夷は後藤象二郎に任せ、急ぎ東海道へ踵を返した。途中馬を何度も乗り換え、ようやく琵琶湖から彦根城が見えてきた。まずは京の都である。皇居周辺に滞在する要人をざっと見渡すが、陸奥宗光の姿はない。町の未踏の地区に足を踏み入れ、要人を調べてみると・・・居た。あっさりと。町の南にある民家に滞在している陸奥宗光を発見した。陸奥宅の近くに宿を取り、安芸まで戻りつつある坂本竜馬に書簡を出し、併せて後藤象二郎にも発見の一報を伝えた。後藤は丁度佐渡島に渡ったところであった。長岡謙吉から連絡を受け、一路京都に向かう坂本竜馬一行であるが、ここで重大な事実に思い至る。何故か同志は5人までしか増やせないのだ。現在の同志は、後藤象二郎、長岡謙吉、近藤長次郎、新宮馬之助、池内蔵太ですでに5名に達している。海援隊を結成すれば、自分を含むメンバーの全員の身分が上がる。今後の動向を考えると、海援隊の結成は現在の最優先事項である。坂本竜馬は躊躇うことなく、記念すべき同志第一号の後藤象二郎を切ることにした。佐渡島を出て京都に向かいつつあった後藤象二郎はその報を寝耳に水の体で受け取った。後藤は悄然と、下田から高知行きの船に乗り、住み慣れた高知の町に帰っていった。京の都に着いた坂本竜馬は挨拶もそこそこに、長岡謙吉の案内で陸奥宗光の住まいを訪ねた。双方体力、気力を消耗するのも厭わず膝突合せて話し合った末、陸奥宗光は坂本竜馬の同志となることを了承した。嘉永6年8月。これからの日本を変える論客集団、「海援隊」が結成された。
Oct 7, 2005
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先日放送された「世にも奇妙な物語-秋の特別編」を観賞しました。古くは米TVシリーズ「トワイライトゾーン」に代表される、夢か現か判別しない不条理な物語は、昔から好んでよく見ていました。海外ドラマでは上記以外だと「フロム・ザ・ダークサイド」「ヒッチャー」等深夜に放送されていたのも楽しみましたし、国内では「ウルトラQ」や少し毛色は違いますが「怪奇大作戦」の円谷系はDVDも揃えています。今やその手のドラマの代表格となった「世にも奇妙な物語」シリーズですが、帯で放送していた頃は当たりの比率が非常に低く、過去の名作の丸パクリやクォリティの低い内容に辟易してあまり熱心に見ていませんでした。現在のように季節毎にスペシャルの形式で制作するのは正しいと思います。オムニバス形式ゆえに冒険もしやすく、新しい監督や脚本家の発掘等も期待できるのではないでしょうか?では今季の感想を。あらすじについては ↓↓↓ 参照で。http://www.fujitv.co.jp/b_hp/kimyo/「8分間」→中々面白かったです。 意識と無意識の逆転、劇中の「生きたい」というメッセージの伏線の張り方も見事 であるし、”8分間”の所以の件も無理がなくきちんとまとまっているように 感じました。佳作です。「過去が届く午後」→松田聖子の10年ぶりのドラマ出演が話題となりました。 人生の岐路において、僻み、嫉妬、後悔等の人間の心の闇の部分が昂じて他人の人生 を自分の人生と同一視し、過去の遺物を延々と返却し続けることによって本来の自分 の人生を取り戻そうとする・・・。 最後のオチはまぁお約束ですが、過去の遺物をすべて捨て去った先に何があるのか、 という部分が語られていないのが少々物足りないです。「影武者」→アイデア自体は斬新というわけではありませんが、着眼点はいいと思います。 原田泰造の二役も意外とよかったです。 ただオチについては性急に過ぎた感があり、この時間では収拾がつかなかったようにも 見えます。 もう少し時間を使ってネタばらしの後のもうひとひねりが欲しかったところです。「ネカマの男」→中盤のどんでん返しはいいのですが、終盤のネタばらしは???です。 ネカマとしてメールをやり取りした内容は明らかに裏切り行為であるし、それを受けて 「でも愛していた」は苦しいんじゃないかなぁ? 仕掛けにこだわるあまり、全体の整合性を見失っているような印象をうけました。「越境」→パラレルワールドを題材にしたストーリーは新鮮味に欠け、もうひとつの日本の描写も 安直で意外性の欠片もなく、更にはオチもありがちで回想シーンにおいて顔を隠して いる意味がまったくないのは少し笑えました。 全体の中では一番完成度が低いように思われます。極力ネタばらしを避けるように書くとどうも言葉足らずになって、見てない方にとってはわけのわからない感想になってしまいました。でもこの「世にも奇妙な物語」シリーズは、たまにびっくりするぐらい面白い時があるので油断ができないですwアイデアはいまいちでも映像で魅せるもの等、小品でも丁寧に作っている作品は好感が持てます。今後も同シリーズには期待しております。
Oct 6, 2005
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IMEは、windows上でテキストを日本語変換する為の標準ソフトである。使用する際に、IMEに収録されていない語句でよく使用するものに関しては登録をされている方も多いのではないだろうか?私も会社で使用しているパソコンには、この機能を利用して業務上の様々な語句を登録している。ところで、このIMEには普段使用することがないような難読、人名、地名等の語句が標準で多数登録されていることをご存知だろうか?私は偶然発見してから、会社でヒマな時によく仕事をしているフリをしてこの語句探しをしていることは上司には内緒ですwその一例をご紹介しよう。まずは韓国・北朝鮮・中国人名シリーズw金正日(きむじょんいる)金日成(きむいるそん)私が調べた限りでは北朝鮮要人の名前は偉大なる将軍様父子だけでした。全斗煥(ちょんどふぁん)盧泰愚(のてう)金泳三(きむよんさむ)金大中(きむでじゅん)韓国歴代大統領です。金大中、盧泰愚ぐらいまではわかりますが、全斗煥までカバーしているのはびっくりw因みに私が使用しているIME2000では、当然ながら現大統領のお名前は入っていません。最新バージョンでは入っているのでしょうか?その内ヨン様とかも入るのでしょうかね?でも漢字表記は一般的じゃないしそれはないかw毛沢東(もうたくとう)周恩来(しゅうおんらい)劉少奇(りゅうしょうき)蒋介石(しょうかいせき)張作霖(ちょうさくりん)張学良(ちょうがくりょう)中国共産党の歴代要人です。あ、蒋介石以下は違いますw念のため。続いて地名編。外国の日本表記を出してみました。これはまだまだありそうです。濠太剌利(オーストラリア)伯剌西爾(ブラジル)亜爾然丁(アルゼンチン)勃牙利(ブルガリア)白耳義(ベルギー)葡萄牙(ポルトガル)越南(ベトナム)墺太利(オーストリア)西班牙(スペイン)丁抹(デンマーク)墨西哥(メキシコ)希臘(ギリシャ)漢字表記の当て字が生まれた歴史的背景にも関係があるのでしょうが、欧米にくらべて中東、東南アジア、アフリカの各国は非常に少ないように感じました。続いて日本の歴史。日本武尊(やまとたけるのみこと)中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)中臣鎌足(なかとみのかまたり)蘇我入鹿(そがのいるか)太安万侶(おおのやすまろ)日本史関連はもっとありそうですね。ちなみに中臣鎌足と蘇我入鹿は、”の”を入れないと正しく変換されません。いかがでしょうか?探せばまだまだあると思います。何か面白いのがあれば教えて下さいw
Oct 4, 2005
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「おまんら、許さんぜよ!」・・・って何かキャラが変わっていますがw先日ご紹介したSS版『維新の嵐』のプレイ日記を不定期に連載したいと思います。いや、まだ始めたばかりなんですが殊のほか面白くて最近少し寝不足気味です。今回は第一回ということで、少しシステム面についても解説をしていきたいと思います。プレイヤーは選択可能な幕末の志士のひとりとなり、自らが信じる思想でもって全国を思想統一し、新たなる時代の幕開けにあたっての国のあり方を決定するのが目的です。社会思想ですから、ひとそれぞれ色んな考え方があるし、派生して独立した形の思想も数多くあったことでしょうが、ゲーム中ではそこまでややこしくありません。大まかには、国体思想と国外思想の二つの軸があり、それぞれが組み合わさることにより思想が異なってきます。国体思想の種類は「佐幕」「公議」「尊王」の三つです。国外思想は「開国」か「攘夷」かのどちらかです。例えば、国体思想が「尊王」で、国外思想が「攘夷」の要人ならば、その要人が信奉するのは「尊王攘夷」という思想体系となります。日本史の教科書にも出てきますので、名前くらいはご存知ですよね?ポイントは、すべての思想がパラメーターとして数値化されており、プレイの結果次第で変動するということです。他の要人との面会で影響を受けたりとか、学問を学んだりとかで常に変わります。相手要人を説得するつもりで議論を吹っかけたら逆に言い負かされて相手の思想に感銘を受けてしまう、何てこともあります。で、国外思想は別に構いませんが、プレイヤー要人の国体思想が変化してしまうと即ゲームオーバーとなります。日本全国は雄藩という単位に分かれており、それぞれに藩主がいます。その藩主の思想を、プレイヤー要人のそれにすべて変えてしまえばクリアということになります。ではどうやって思想統一を行なっていくのかをご説明します。説得は二種類あります。「相手要人の信頼を得るための説得」と「相手の思想を変えるための説得」です。相手要人の信頼を沢山得られればプレイヤー要人の「同志」とすることができ、プレイヤーが操作できるようになります。この「同志」を効果的に使って効率よく全国行脚させることができます。「同志」にする為には当然ながら同じ思想を持っていなければなりません。従って最初からプレイヤー要人と同じ思想の要人であれば、「信頼説得」で「同志」にすればよく、そうでなければ「思想説得」にて相手要人の思想を変えてしまわなければなりません。更には、どんな要人にもいきなり説得ができるわけではありません。時は幕末、封建制度の真っ只中であり、厳格な身分制度が布かれています。プレイヤー要人の所属する雄藩内であれば二つ上の身分の相手にしか説得はできません。以上がゲームの大体のあらましです。その他特産品を買って商売をしたり、藩主を同志にして藩兵コマンドを実施して武力で統一するとか、概して自由度が高いつくりになっています。嘉永6年・・・ペリーの黒船来襲から、亜米利加によって執拗に開国を迫られていた江戸幕府は、ほとんど為す術もなく不平等条約である「日米和親条約」を半ば強引に締結され、不承不承鎖国の重い扉を自らの意思にかかわらず開くことになった・・・土佐の藩士、坂本竜馬は鎖国による幕府の政策に限界を感じ、近代社会への脱却を計るべく立ち上がることに決めた。まずは自分自身の見聞を広め、新たな知識を得る為に藩内にいる様々な人物と面会を行ない、あるいは藩校にて学問を修め、自らを磨くことに専念する。新たな知識の獲得による心地よい高揚感・・・23歳の若き志士は、凡そ疲れというものを知らない。朝、昼、夕方、夜。1日24時間フルに活動を続けていても、それが路上であろうが海岸であろうが翌朝を迎えたらケロリと回復している。ある程度学問に自信を強めた竜馬は、早速自身と行動を共にする同志を見つけることとした。まず手始めに、本通沿いに住む後藤象二郎宅を訪ねた。「よう、今日はおまんと腹割って話しに来たぜよ」真夜中の訪問という非常識にもかかわらず、後藤は快く迎えてくれた。話題は多岐に渡り、一見何の脈絡もないような会話の応酬からでも、後藤が徐々に心を開いていくのが手に取るようにわかる。更に翌朝と連続して訪問し、何度か繰り返した後に遂に後藤は同志となることを申し出た。記念すべき同志第一号である。後藤の学識は竜馬に匹敵する程ではあったが、剣道の腕前は若干劣った。時折狂った尊王思想の愚か者が白日の路上にもかかわらず斬りかかってきた事もあったが、何とかはねのけることに成功し、藩校にて更に学識を深め、竜馬と共に活動をする。第一回は以上です。次回掲載予定は未定ですw
Oct 3, 2005
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何故といって特に理由はないのだが、急にコーエーの『維新の嵐』をプレイしたくなった。コーエーが誇る歴史シミュレーションシリーズとは一線を画し、新たなジャンルを模索した”リコエイションゲーム”の第一弾であるのだが、そもそも”リコエイションゲーム”とはなんぞや?と問われても適切な回答ができない。コーエー曰く、RPGとシミュレーションをミックスしたコーエーオリジナルジャンルということらしい。わかったようなわからんようなwで、この『維新の嵐』であるが、舞台は幕末。ペリーの黒船来襲から重い鎖国の扉を無理矢理開かされた激動の始まり。コーエー自らが培ってきた歴史シミュレーションを含め、ほとんどの題材が戦国時代に集中していたものがいきなり幕末。意表をついた題材、国取り合戦ならぬ説得による思想統一を目指す斬新なゲーム性。もともとFC版は以前から所有しており、何度か挑戦したのだが、中古箱説なしであったが故に肝心の説得部分がいまいち要領を得ず、面倒くさくなって放置しておりました。気になりだしたら夜も眠れない・・・というのは少々大げさですが、旧PS版ならお手頃かもと考え、探してみることに。ところが意外と見つからない。『維新の嵐』だけでなく、旧PSのコーエー作品自体が少ないのだ。そんなはずはないと思いつつ、何軒かまわるもやはり見つからない。迂闊であった。コーエーは機種問わず、かなりのソフトを供給しており、同一タイトルでも何機種にもわたって展開しているケースが多い。従ってすでに所有済みの旧作のリメイク等は、最初からスルーしていたのだ。焦った私だが、ある事柄を思いついた。それはSS版の存在である。『維新の嵐』は確かSS版も発売されていたはず・・・と、日々縮小の気配があるSSの中古売場を恐る恐る覗いたところ。。。あったよ・・・・・・・・・しかも値段は380円。格安。ついでに偶然発見した旧PSの『チンギスハーン 蒼き狼と白き牝鹿4』と『維新の嵐~幕末志士伝』をゲット。しめて2000円足らず。我ながら中々充実したいい買い物である。パッケージイラストは歴史の教科書でもおなじみの「坂本竜馬」「西郷隆盛」などの錚々たる面々が劇画調にアレンジされている。SS版(多分旧PS版も)はFC版とは仕様が異なり、カードバトル形式となっている。オリジナルであるPC版の仕様については詳しく知らないのだが、少し調べてみるとキー連打形式だったらしいwそれにしても、同一タイトルであるにもかかわらず、ゲームの核となるシステムがまったく異なるというのも珍しいのではなかろうか。初回プレイは王道の「坂本竜馬」を選択してシナリオ1新時代の幕開け(嘉永6年1858年)をスタート。プレイ日記についてはもう少しゲームが進行しましたらレポートしていきたいと思います。
Sep 30, 2005
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これは私の主義なのですが、書籍にしても、ゲームにしても、映画にしても、お金を支払っていないものに関しては意見すべきではないと考えています。金額の多寡は問題ではありません。レンタルでも何でもいいですが、大事なことは”身銭をきる”ということです。例えば書籍の場合、公共サービスのひとつに図書館があります。図書館そのものの存在を否定するわけではありませんが、無料の貸本屋と化している昨今の状況には大いに疑問を抱いております。大仰に考えれば”人の手になる文化に対してお金を支払わなくてもよい”という土壌が蔓延するのは製作者の生活の基盤を奪い、ひいては文化そのものの衰退にも繋がる訳で、これは看過すべき問題ではありません。・・・前置きが長くなりました。私は本を読むスピードが遅いせいもあるのですが、持ち前の収集癖が災いし、読み終わらないうちに次から次へと購入するものですから自然書棚も溢れ返ることとなります。そんな有様を見た人は口を揃えて「処分すれば?」などと無責任な提案をするのですが、根が貧乏性の私は、物を捨てる、あるいは手放すということに関して非常な恐れを抱いており、それを世間一般では統失の一種と見る向きもありますが、実際そうかもと自覚はしております。そんな状況ですから、タイムリーな読書をすることは非常に稀で、大抵5年くらい前の作品を後追いで読むことになります。で、本当に今更、稀代のベストセラーとなった『世界の中心で、愛をさけぶ』を読みました。映画やドラマを見て、さすがに泣きはしませんでしたが、主人公が私の年齢に重なり、回想シーンのノスタルジックな雰囲気がツボにはまり、我知らず夢中になったものでした。勿論映画、ドラマ両方とも悲劇のヒロイン役の女優(長澤まさみ、綾瀬はるか)が魅力的だったという要因もあるのですが。実は原作に対して、私はあまり良い印象を持っていませんでした。理由のひとつが、安直なタイトルにあります。ご存知の方にはいわずもがなですが、このタイトルは一昔前にブームとなったアニメ、『新世紀エヴァンゲリオン』の最終回の副題が元ネタとなっております。更にいえば『エヴァンゲリオン』自体がコードウェイナー・スミスというSF作家の手になる”人類補完機構”シリーズをリスペクトした作品であり、元ネタの副題はハーラン・エリスンというSF作家の名作『世界の中心で愛を叫んだけもの』であることは知っている方は知っています。余談だが、今季のドラマで深田恭子主演の「幸せになりたい!」の劇中で、「世界の中心で~」を模したと思われる原作が登場するのだが、そのタイトルが「流れよわが涙、と少年は言った」となっており、これはSF作家フィリップ・K・ディックの『流れよわが涙、と警官は言った』が元ネタです・・・ってまんまじゃんwまた話が逸れてしまった・・・。細かい部分も含めて感想を。まず、主人公の年齢設定であるが、中学時代に「CDの貸し借りをして~」の件でまず引っかかりました。私の年代では中学時代は未だレコードが主流で、CDはさほど普及していません。読み進めていくうちに謎は解けます。2000?1?年に25歳になっている、という記述があり逆算すると主人公の生まれた年は1975年乃至6年ということになり、映画およびドラマとは異なっています。私が映像作品を支持していた要因は、年代の合致に拠るところが大きかったので、この時点でマイナスです。下らない理由と思われるでしょうが、私にとっては重要なことです。主人公は中学時代から相思相愛の仲で進行するわけですが、女性の立場からみればどうなのかわかりませんが、少なくとも私は主人公の”松本朔太郎”にまったく感情移入ができませんでした。朔太郎とアキのメルヘンチックな二人だけの世界についての延々とした描写はこそばゆいというよりもむしろ痛々しいバカップル(死語)のそれでした。その他の人物についての記述がぞんざいなこともあって、特にこの点が際立っているように感じます。加えて高校生とは思えない恣意的な会話、不自然で難解な単語の濫用、もしも実際に自分の身近にこんな高慢ちきな野郎がいたらまず近寄ることはないでしょうw夢見る二人の幸せムード満開の描写は、来る別れのときを最大限に盛り上げる為のエッセンスなのでしょうが、感情移入ができない故に不快感しか残りませんでした。終盤の朔太郎と祖父によって交わされる「死」についての禅問答というか哲学的な台詞の応酬も陳腐すぎて失笑を禁じ得ず、作者の薄っぺらい死生観が見え隠れして「結局これが言いたかっただけなの?」と勘繰りたくなるような内容でした。ま、ポイントではあるし字数を使っても表現したいところというのは理解できますが、もうちょっとシンプルにしてもいいんじゃないの?あともう少し自然なシチュエーションを演出したほうがいいですね。あまりにも唐突すぎます。プロットはまんま『ある愛の詩』だし、ストーリーについては特に語るべき部分はない。正直読後も何故この小説が社会現象になるほどの支持を受けたのかさっぱり理解できないのは私の頭が足りない所以であろうが、それにしても不思議だ。基本的な内容は当然同じである映像作品はいずれもそれなりに楽しめたにもかかわらず、である。小説のよかったところといえば文量が少なくて遅読の私でも速攻で読めたところと・・・あと装丁はよかったな。いずれも内容とは関係ないがw・・・とボロクソに貶してしまったが初版から随分経過しているし別にいいよねwところで前置きの内容を覚えておられますか?そう、お金を支払わなければ意見するべからずって内容です。そんな私ですからこの作品にも当然お金は支払いましたよ、えぇ。・・・・・・古本屋で200円ですが・・・・・・・・・。
Sep 28, 2005
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プロ野球のペナントレースもいよいよ佳境に入って参りました。私はといえば散々ボロクソに書きつつも、やはり本質的に野球好きとあって、少し距離を置きつつも動静を見守っていると、そんな感じでしょうか。セ・リーグでは9月の初めに阪神・中日のマッチレースも早々に決着がついた感もあり、ファンも世間も前回の優勝時に比べてかなり落ち着いた雰囲気となっている。順当にいけば、28・29日の巨人戦で、悲願の甲子園胴上げが実現することと思われる。私が生暖かく応援し続けている横浜ベイスターズはといえば、ここしばらく好調で一時は10近くあった借金もあと1にまで清算している。順位もヤクルトの不調により、3位Aクラスへと何ヶ月かぶりに復帰した。ま、それはいいとして、9月に入ると目立ったニュースは試合の結果よりも不振なチームの人事を巡る噂。その最たるものが巨人の星野監督要請騒動だったわけですが、ぼちぼち他球団からも聞こえてまいりました。『ヤクルト:若松監督退団、古田選手兼監督就任か』失礼ながら元々若松監督からして古田”監督”にいたるまでの繋ぎ扱いであったし、すでに規定路線であるので新鮮味はないが、注目はやはり南海時代の野村監督以来のプレイングマネージャー誕生なるか、というところ。若い方はピンとこないかも知れませんが、ちょっと前まではそう珍しいものでもなかったのです。「代打、オレ」みたいなほとんどジャイアンズの様相を呈する選手兼監督ですが、うまくいくいかないは別にして、話題になることは間違いありません。『楽天:田尾監督解任、野村監督就任か』昨日飛び込んできたニュース。これは別に楽天だけに限ったことではないのだが、何故あと数試合を残すタイミングで発表を行なうのか、その神経が理解できない。そもそも開幕当初から指摘していたように、田尾監督の能力不足のみによって記録的な低迷をしたわけではない。・・・と言って田尾監督が優秀であった、などというつもりは毛頭ないが。多少気の毒には思うものの、今シーズンの結果についての見通しの甘さについてはオーナー以下フロント対田尾監督ともに五分五分というのが私の見解。最初は冗談かと思ったが、シーズン開幕当初、というか記録的な連敗街道をひた走る頃まで、本気で互角に戦えると思っていたフシがあるオーナーの三木谷氏。冷静に判断すれば、このチームの監督を引き受けること自体如何に無謀なことかわかるはずなのだが、本気でわからなかったのか、あるいは根拠のない自信に満ち溢れていたのかは定かではないが、受けてしまった田尾監督。ま、田尾監督については今後二度と他球団でも監督およびコーチに呼んでもらえることはないでしょうが、プロ野球チームの監督なんて実際やりたくてもできない人が山ほどいるわけで、そういう意味ではいい思い出にはなったんじゃないでしょうか?http://sports.www.infoseek.co.jp/baseball/eagles/news/26nikkanspbbtp00509260014/”ベテラン山崎の夏バテ解消法!”とか底抜けにどうでもいいゴミ情報を延々とトップに載せていたくせに、この記事については野球のニュースどころか楽天イーグルスのところまで行かないと見られないところに作為的ないやらしさを感じたりもしますが、一方でかなり詳しい内容になっていますので興味ある方は一読のほどを。次期監督については野村監督にもう決まったかのような書き方ですが、後に「正式オファーはない」とか続報が出ましたので予断は許さない状況です。が、お年のことはあるとしても、私も最適な人選であると思います。”ただカツノリの首を少しでも長くつなぎたいだけ”の本音が見えなくもないですが、阪神で晩節を汚したとはいえ球界には未だ野村シンパは数多く、コーチ陣の組閣にしても、田尾監督以下烏合の衆的寄せ集めとくらべたら遥かにマシな仕事ができそうなのは言うまでもありません。しかしながら仮に野村監督の招聘に成功したとして、いかなかつての名監督とはいえ今シーズンについては実質来季につながる収穫はゼロといってよく、文字通りゼロからの出発になるということです。かつての巨人張りの資金を投入して大型補強をすすめるのであればいざ知らず、そうでなければ最低でも3年は辛抱するぐらいの度量は持って欲しいところ。一応球界の重鎮ですし、成績不振を理由に田尾監督のような切り方ができるような小物ではないので、そのへんは三木谷氏も肝に銘じておく必要があるでしょう。ストーブリーグはまだ始まったばかり。すったもんだの巨人次期監督とか、KKコンビの動向とか、まだまだ試合以外で楽しませてくれると思います。また気が向いたら日記に書いてみようと思います。
Sep 26, 2005
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第5弾は、昨日ついに最終回を迎えた「電車男」です。インターネット巨大掲示板”2ちゃんねる”から生まれた物語は、ログをそのまま編集した形で書籍化され、大ベストセラーとなった。以降、複数の雑誌で漫画化、映画化、舞台化と現状のメディアを総なめにし、その都度話題となった。そんな中で満を持してのドラマ化である。詳しいデータを確認したわけではないが、平均視聴率でいえば今季のドラマの中では恐らくトップクラスだろう。これだけ話題になった題材ゆえ、おおよその中身については誰もが知っていたにも関わらずこの人気。一体どこに人を惹きつけてやまない魅力があるのか。ドラマを振り返りつつ私なりに検証してみたい。「事実をもとにしたフィクションです」このコピーには大いに異議があるが「電車男」の物語が真実か否かの議論は”2ちゃんねる”上でも散々語りつくされた感があり、本文の主旨とは異なるので一旦脇に置くこととする。物語の骨子は極めてオーソドックスな恋愛モノであり、主人公もヲタであるというファクター以外特筆すべき特徴はない。ただ、一般層に拒否反応が出ないよう、多少ローカライズされている感はある。その筋の方ならおわかりであろうが、度々登場する主人公の部屋に溢れるヲタクグッズの山。ひとつひとつ丁寧に見ていくと、それらにはまるで一貫性がないことに気がつく。名前も”山田剛司”などという無個性極まりない名前(もし同姓同名の方がいらっしゃったらすみませんw)だし、ファッションや言動もいかにもヲタクのステロタイプである。”情けないが誠実な人柄”この部分は主人公に共感を持たせる為に必要不可欠な部分であるといえるだろう。逆に言えばその他容姿に関する描写は、単純で類型的であればあるほど理解されやすいといえるかもしれない。そういう意味ではキャストの伊藤淳史は適役であるし、演出も間違っていないと思う。一方ヒロインである”エルメス”についてはどうか。外資系企業に勤めるOLでモデル並みの容姿を持ち、実家は金持ち、更にはヲタク趣味に対して偏見がなく、個性のひとつと理解できる柔軟な思考の持ち主。はっきり言う。有り得ませんw100歩譲ってこの日本のどこかに存在するのかも知れないとしても、邂逅する確率はおそらく天文学的に低いと思います。主人公と較べてあまりにも現実感の薄いヒロイン。ここから導き出せる結論は、ヒロイン”エルメス”はあくまで偶像的な存在に過ぎないということ。つまり、世に蠢くヲタクおよびその予備軍が日々夢想する都合のいい存在乃至ゲームのキャラクター的な位置づけである。この物語で際立たせたいのは気弱なヲタク青年の心の成長物語という側面もあるが、むしろ人が人と向き合う事が不得手になってきている現代の複雑なコミニュケーションの中で、ネット掲示板というお互いのプライバシーを知らないまま、心の奥底の部分で深く共感したり一体感を醸したりという一対一では難しい人間関係の形成を成し遂げる不思議さなのではないだろうか?ドラマでも掲示板の住人達がお互いに気がつかないまますれ違うシーンが象徴的に登場する。本当は人間の深い部分での繋がりや関わりを求めているのに、それに必ず伴う煩わしい事柄にはかかわりたくない。これが観ている者の本音ではないかと思われる。ドラマの最終回はそれを裏付けるようなものであった。主人公とエルメスのハッピーエンドもそこそこに、掲示板住人たちとの長々した描写を見て、製作者側が何を重視していたのかは一目瞭然である。「電車男」の原作は、喩えて言うなら一回しか投げられない魔球のようなものである。後をうけてネット発の原作モノもかなり出版されてはいるが、いずれも「電車男」を超えるものではない。ドラマを見ていたすべての人が、実はこの掲示板のROM(住人のひとり)であったことに気付くのに、そう時間はかからなかっただろうと思われる。これは「電車男」に対する共感なのではなく、掲示板住人達との共感なのである。
Sep 23, 2005
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ここしばらくドラマの最終回ラッシュが続き、テーマも偏ったので久々にゲームの話題でも。1978年の「スペースインベーダー」のブームから数年。「スペースインベーダー」が急速に廃れていった背景には、膨大な種類の粗悪なコピーゲームの氾濫がひとつの原因と考えられる。今では考えられないが、当時はそもそも”著作権”という概念が一般化しておらず、特にコンピュータのソフトウェアに対する法整備も万全とはいい難い状況でありました。最近では多少マシにもなったのでしょうが、中国や韓国での現状に近かったのではないでしょうか。モラルの欠如というよりも発想自体がないと考えれば、納得はできないまでもおおよその理解はできるのではないでしょうか?それはさておき、「スペースインベーダー」のヒットと、それに追随するコピーゲームが、現在の日本のゲーム業界の礎になったということは否定できません。そしてポストインベーダーを担うべく、国内のみならず海外メーカーとも熾烈な戦いが繰り広げられました。勿論当時には悲喜こもごものエピソードがあったと存じますが、その頃一介のクソガキであった私が知る由もなく、続々と登場する”モドキゲー”にある時は戸惑い、またある時は熱中する、を繰り返しておりました。ここでは薄れつつある記憶をフル動員しつつ、所謂「スペースインベーダー」の似て非なるものについて書いてみたいと思います。タイトルは「ギャラクシアン」です。内容についての説明は不要と思われるが、ポストインベーダーの最右翼であり、ナムコの黄金時代を形成する元となった記念碑的作品。ゲームの基本的なコンセプトは踏襲しつつも、カラフルなキャラクターと独特な動き、暗黒の画面に星が瞬く背景と、すべてにおいて進化を感じられることができました。なお、「ギャラクシアン」のコピーゲームも多数存在しており、私も色がヘンなやつとか、ボスエイリアンが無数にいるやつとかをプレイした記憶があります。とあるデパートの屋上にあったゲームコーナー。買い物に専念したい母親にとっては大変にありがたい存在だったのではないだろうか?数百円の出費で、私に煩わされることなく買い物ができ、私自身もゲームが楽しめるという双方にとってメリットがある、まさにギブアンドテイク(少し違うかw)与えられた数百円も、無計画に使ってしまってはたちまち物欲しそうな顔で他人のプレイを眺めなければならない憂き目にあうことになる。泣いても笑ってもこの数百円で数時間は持たせる必要があるため、自分なりのプランを組み立てる。そのガキの足りない頭なりに立てたプランとは、(1)新作は1プレイのみ、なるべく他人のプレイを盗み見、イメージトレーニングを 行なう(2)100円はお菓子に交換可能なメダルゲームに使う(3)100円で旧作を2回プレイする。なるべく長時間遊べる得意なものに絞るの3つの作戦である。エスカレーターの上昇ももどかしく、階段を駆け上がるようにゲームコーナーに辿りつく。焦ることはない、時間はまだたっぷりとあるのだ。まずはゲームコーナー全体を見回す。日曜日の昼下がり。ゲームコーナーには私と同じような立場と思しきガキから、同じ思惑でもって子供共々追いやられた感の父親同伴のガキもいる。・・・っていうか自分もガキなのだがwこのゲームコーナーは新作が1プレイ100円、旧作は50円という親切な価格設定になっていた。まずはメダル両替機に直行し、100円を10枚のメダルに交換する。メダルゲームも何種類かあり、川に見立てたメダルの台の周辺を、筏と思しきものが水平に動いており、メダルを投入して押し出すといったアナログのものから、ルーレットを模したもの(単純に数字のものからスーパーカーを模したものまで様々)等がある。アナログ式のものはメダルのかわりに1円玉や5円玉を使用する裏技もあるのだが、やり過ぎて没収されたガキを目撃したことがあり、その時々の場の状況によって大きく変わるのであまり私の好みではなかった。そこでルーレットに目標を定める。スーパーカーのルーレットは、イオタが最低倍率なのに納得できないのでパスし、オーソドックスな数字のものを選んだ。ルーレットの数字部分には電球が埋め込まれており、止まった数字の倍数がメダルとして戻ってくる仕組みだ。勿論ひとつの数字に複数賭けることも可能であり、×2も最大8枚にすることができる。これも何度か他人のプレイの様子を見る。確率的には当然×2が当たる確率が最も多い。ある程度パターンが存在していたのか否かは現在では確認する術はないが、何度か×2以外が続けば次に×2がくる可能性が高いので、連続してプレイせず。時折離れて他人のプレイを観察して出目を読むことがポイントだ。メダルの目標は倍。大物を狙わずとも、充分に達成できる枚数である。目標枚数が溜まったら、お菓子に交換し、やっと準備完了。これで待ちの間も退屈せずにすむという寸法だ。新作は何だったのかはあまり記憶にない。恐らく一瞬にしてゲームオーバーになったからだろう。本領は50円の旧作、ゲームは勿論「ギャラクシアン」だ。筐体はようやく踏み台が要らなくなったアップライトを選択。別にどちらでもよいのだが、テーブル筐体よりも何となくゴージャスな気がする。それに立ってプレイするほうが集中できる(ような気がする)まずは順当に一面目のパーフェクトクリアを目指す。パーフェクトクリアとは、エイリアンをすべて飛行中に撃破するというものであるが、撃ち漏らしが編隊に当たってしまってもアウトなので存外に難しい。恥ずかしながら、未だ一度も達成したことがない。復刻版等プレイできる環境の方は是非チャレンジして欲しい。パーフェクトクリアは失敗したが、ボスエイリアンは2匹共800点で撃ち落せてまずまずの滑り出し。程なくノーミスで残機も増える。一機も失うことなく1万点を超えたあたりからギャラリーの視線を感じる。「見ろ、俺は今ノリに乗っているぜ」頭の中を駆け巡るBGMはディープパープルの”Highway Star ”本当に驚くほど調子がいい。と言うか過去最高。次々と宇宙の藻屑と消えるエイリアン。増えていくフラッグはエースシューターの証、または男の勲章。嶋大輔なら歌いだすところだ。スコアが未知の領域に入ったあたりから、徐々にリズムが狂い始める。エイリアンも見たことがないくらいいっぺんに降りてくる。基本は真中で戦うべし、という格言が確か「ゲームセンターあらし」あたりに書いてあったような気がするが、もう無理。パープルエイリアンだけじゃなく、グリーンエイリアンまで真っ直ぐこちら目掛けて突っ込んでくるような錯覚に襲われる。レッドエイリアン、通称”親衛隊”は自機の真上で宙返りをしている。結局5万点を少し超えたところでゲームオーバー。延べプレイ時間は30分強くらいか?時間の感覚がおかしくなっていた。レバーは汗でベトベト、中指の第一関節が擦り剥けている。不思議なことにプレイ中は痛みをまったく感じなかった。一種のトランス状態になっていたのかも知れない。中学生くらいの知らない兄ちゃんが「自分、上手いな」と声をかけてくれた。何となく嬉しかったのを今でも憶えている。それから更に数年。高校生になっていた私は意外なところで「ギャラクシアン」と再会することになる。それはナムコがファミコンソフトとして発売した第1弾であった。友人宅で昔日に思いをはせながらプレイするも、何かが違う。よくみればグリーンエイリアンは文字通りグリーンになっている。画面も横画面になってしまって、自機と編隊までの間が狭くてオリジナルよりも難しいような気がする。細部の違い云々以前に、私はすでにこの手のゲームに対する関心を大幅に失っていたので、友人宅でも「フーン」ってな感じで1・2回プレイして止めてしまった。それから更に数年。時代は任天堂のSFCからSONYのPSに移っており、真の意味で家庭用でもアーケードと遜色ないレベルのゲームが楽しめるようになっていた。そんな中、ゲームを文化として位置付け、自社ブランドのゲームの歴史を編纂する価値あるソフト「ナムコミュージアム」が発売されていた。その第3弾。私は10数年振りにほぼ完全な形の「ギャラクシアン」と再び再会することになる。当たり前の話だが、1回プレイするのに50円は要らない。一発も撃たずにゲームオーバーにしたって痛くも痒くもない。懐かしさは感じるものの、それ以上の”何か”はどうしても感じることができない。でもいまだに、1面だけはパーフェクトクリアを目指して時折プレイしている自分がいる。
Sep 21, 2005
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第4弾は昨日最終回を迎えた「いま、会いにいきます」です。開始当初から懸念していたように、この程度のボリュームのストーリーをどうやって10話以上引っ張るのか、というのが最大の関心事でありました。案の定というかどだい無理な話だとは思うのですが、結局最後までかったるい展開のままでした。澪の記憶がないことに起因する感情の行き違い、巧の回想。ドラマの中盤において、ストーリー上不可欠な部分が極端に少なく、ある意味どうでもいいシーンが断続的に繰り返される。連続性があり、一本の映画としてみるならばそれなりにカタルシスも感動もあるのであろうが如何せん3カ月以上引っ張るにはあまりにも苦しいと言わざるを得ない。核となる登場人物以外との絡みも、無駄に時間を費やすだけの存在としか感じることができない。(町医者、ケーキ屋夫婦)そもそも物語中の期間(6週間)より放映した期間の方が長い時点で駄目でしょう。世間ではすでに秋の気配を感じるというのに、まだ梅雨が明けていないw季節感のなさもさることながら、鬱蒼とした森や廃屋での雨のシーンは、少なくとも私にとってはあまり愉快なものとはいえませんでした。幻想的で美しい映像、といえるほどのものではなかったのでなおさらです。結論からいってしまえば、安易に題材を求めすぎたということにつきるでしょう。この作品に限らず、今季も「海猿」「電車男」とヒット映画をドラマ化していますが、前者は原作のエピソードをなぞるだけでよく、後者は個々のエピソードについて掘り下げられる利点があったのに対し、本作は基本的に一本道で枝葉をつけて派生しようもない題材であったことは明白です。つまり、1クールのドラマには根本的にむいていないと言えるのではないでしょうか?同じような題材である同局の「世界の中心で、愛をさけぶ」がドラマもそこそこのできであっただけに、これもイケるとふんだんでしょうか?キャスティングについても微妙です。子役と、回想シーンはよかったのですが、肝心のメインキャストがいまいちです。ミムラはフジ系以外の初主演ですが、今まで同じような役しかやってこなかっただけに、毛色の違う役をどう演じるかに注目していたのですが、ワンパターンでメリハリがありません。成宮寛貴は多少はマシでしたが、演技の幅は非常に狭いように感じました。それもこれも子役の武井証に完全にくわれている所以なのですが、子役と動物は相手が悪いですね。そういえば劇中のあの犬は結局どうなったのだろう?
Sep 19, 2005
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一日遅れになりましたが、第3弾は「がんばっていきまっしょい」です。初見で主演の鈴木杏が趣味じゃないとか散々ボヤいていた割には、欠かさず見てしまいましたw自分が体験してこなかったからかどうかはわかりませんが、どうも私はこの手の青春ピュア系のものが潜在的に好きみたいですw冷静に振返ってみれば、ストーリーもシナリオも特筆すべきものは何もないし、本来1本の映画で語られる程度のボリュームなのでしょうが、様々な登場人物が織り成すエピソードのひとつひとつが、より人間味を出す味になっているのではないでしょうか。そうすると今度は掘り下げられなかったキャラクターが薄っぺらくなってしまい、全体としてちぐはぐな印象になってしまったのは残念なところ。例えば物語の中心である松山第一クルーですら鈴木杏、相武紗希、岩佐真悠子とその他の扱いの差は歴然であるし、コーチで夫婦役の池内博之と石田ゆり子の両名ももっと突っ込んでも面白かったのではないかと思います。更に父親役の大杉蓮は半ば分裂症気味にその時その場面のご都合主義的に性格付けを替えられ、観ている方は非常に混乱いたしました。この台詞をどうしても言わせたい、という意図は理解できるのですがね・・・。台詞といえば幼なじみ役の錦戸亮、説教上手すぎw田口淳之介は男前すぎ。両名とも私の嫌いなジャニタレでしょうか?原作も脚本も女性と存じますが、女性から見てこんなベタベタな両名のキャラクター設定はアリなんでしょうかねw男から見れば「ときめきメモリアル」に出てくる女の子なみに薄っぺらな異性の理想像みたいなものが反映されすぎていてもうギャグにしか見えないんですがwあとライバル役の関めぐみのイケズっぷりは中々のものでした。まだそんなに実績はないと思いますが、こういう演技ができるのは大したものです。今後の活躍に注目したいです。原作自体も少々古いですが、全体を通してノスタルジックな感傷といい意味で意外性の少ないドラマ展開。多少支離滅裂な人物設定に難はあったものの、殺伐とすることなく最後まで観賞できました。1シーズンに数あるドラマの中で、1本くらいはあってほしい、そんな作品です。
Sep 15, 2005
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第2弾となる今回は、昨日最終回を迎えた「海猿」です。映画の地上波放送を経てストーリー上繋がりのある形でドラマに移行した本作ですが、映画と同等の映像クオリティを最後まで維持できたのは驚嘆に値します。「生命の尊さ」という重いテーマを扱うにあたり、いい加減でチープな映像だと一気に白けますので、この点は素晴らしかったの一言につきます。いちいち比較するのも何なんですが、年初における「救命病棟24時」の映像レベルの低さとは雲泥の差と言えます。私は基本的に漫画を読む習慣がないので、原作と比べてどうこうは言えませんが、クオリティの高い映像が醸すドラマにおける説得力の強さは、ひょっとしたら漫画以上かも知れません。それだけにシナリオはシンプルで直球勝負なのは望ましい形と言えますが、主人公含め、登場キャラクターがステロタイプばかりでヒューマンドラマと銘うつには若干の物足りなさも感じます。それを差っぴいても「生命を救う現場で生命を奪う行為をしなければならない」葛藤とか、状況はどうあれ「いかなる場合でも人命を救助するのが仕事」と感情の狭間とか、それなりにテーマも掘り下げてあり見応えはありました。私的にはここ近年で一番ではないかと思います。主役の伊藤英明はいい役者だとは思いますが、今時の若者のナチュラルな部分と、仕事に対する様々な悩みに直面する際のギャップが激しく、快活な設定の割にはいつまでも引きずってグダグダ言っているあたりの煮え切らなさが消化不良を起こしているような印象を受けました。ま、これは演出の問題であって本人がどうこういうことではないですがね。仲村トオル、時任三郎、夏八木勲、益岡徹等々、実力派の中堅・ベテラン俳優がしっかり脇を固めてドラマに厚みを持たせているのも好感がもてます。しかしほぼ毎回のように登場するムサい男のシャワーシーンは、”ウホッ”な方々には堪らなかったんでしょうか?仲村トオルのナルシス全開、甲板での上半身裸腕立て伏せに苦笑しつつ軽くツッコミを入れておきたいところですねw基本的に全編男臭が漂うつくりですが、紅一点ともいうべき加藤あいの存在が、砂漠のオアシスといったところで、個人的にはあまり好みではないのですが、軽い山男症候群にかかったかのように、ものすごく可愛く見えてくるから不思議ですw来年の劇場公開第2弾についても期待できますし、来夏にドラマのセカンドシーズンも期待したいところですが無理でしょうかね?いずれにしても終了が惜しまれるいい番組でした。映画のDVD買ってこようかなw
Sep 14, 2005
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今季の頭にて初見の感想は一通り書きましたが、ぼちぼち最終回を迎えるにあたり、個々の感想を述べたいと思います。まずは昨日最終回を迎えた「スローダンス」です。「恋も人生も、回り道をしても自分自身をしっかり持って信じる道を進めば幸せになれる」をメインテーマに、藤木直人&妻夫木聡のイケメン兄弟と広末涼子&深津絵里の二組の男女が織り成す新たなる出発の物語。昔風にいうと王道のトレンディドラマのテイストでありながら、奇をてらわず極めて正統派のつくりであるところは、タイトルらしくリラックスして観賞できた。放送前は広末涼子の復帰が多少話題になった程度で、全体的に地味だが堅実なキャスティングという印象を受ける。特に主演の妻夫木聡と深津絵里の自然な演技は評価したい。ほぼ毎回登場する居酒屋でのやり取りなどは双方の演技に加えてシナリオの台詞まわしにも非常に丁寧に作りこんでいるのがうかがえます。最初から結末がわかっているドラマだけに、シナリオが如何に大きなウエイトを占めるかは論をまたないと思われます。難点は、シナリオの細部にこだわる余り、物語の展開が唐突に過ぎるというところでしょうか。二組の男女がそれぞれお互いを好きになっていくプロセスがかなり端折られており、「何でこのタイミングで?」と思われる部分が多々あったところ。妻夫木聡の恋のライバル役の真木蔵人の登場も突然で、プロポーズに至るまでがあまりに性急すぎていかにも取ってつけた感は否めません。シナリオに活かすにはせめて3~4週目くらいには登場して話に絡めていかないとちょっと厳しいかも。違う意味で物語の中でまったく存在感がなかったのが小林麻央演じる妻夫木聡の元カノ。序盤はそこそこ重要な役回りっぽかったのに、中盤からキングコングの西野並にどうでもいい位置付けになってしまったwただ、演技のプロの中にあって素人の彼女に多くを望むのは酷というものだろう。対称的に、藤木直人の元カノ役の蛯原友里はチョイ役にあって充分な存在感を醸していたのではないだろうか?今後の活躍に注目したい。存在感がないといえば小泉孝太郎もなかったなぁ・・・w別に彼がどうこうじゃなくて、誰がやってもよかったような役だったんですがね。役者としてもお父さんの足元にも及びませんね。あぁ、それこそ比べるのは酷ですねw終盤まで意外な展開は皆無であったものの、ラストでのそれぞれ充実した時間の流れの中での大団円・・・派手さはないですが、最後まで充分に観賞に堪える作品であると思います。
Sep 13, 2005
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衆議院議員選挙から一夜明け、終わってみれば小泉自民党の圧勝。煮え湯を飲まされたのは民主党のみ、という格好になりました。「劇場型選挙」とか「刺客候補」等など、いわゆるワイドショー的な話題には事欠かなかった今回の選挙ですが、皆さんは投票にいかれましたでしょうか?さて、良くも悪くも結果的には小泉首相の唱える「郵政民営化」が最大の争点となったわけですが、多くの有権者は、実はそんなことどうでもよかったのではないかと思われます。自民党以外は郵政以外の政策でもって総合的に判断してほしい、みたいなことを訴えていましたが、民主党のマニフェストを見る限りでは中身が乏しいのは似たり寄ったりで、これを見てどこをどう判断しろというのか正直理解に苦しみます。事前の党首討論において、小泉首相が民主党の岡田代表に対し、「郵政民営化の自民党案に反対なら、何故民主党は対案を出さなかったのか」という至極真っ当な答弁に対し、はかばかしい回答ができなかったのはいかにも詰めの甘さが目立ちます。大阪市等の地方自治体における公務員の不祥事。あるいは社会保険庁職員の不祥事など、有権者にとって政治家に対する不信感以上に官僚、公務員に対する憤りが大きく、何はともあれ公務員の既得権を打破できるのならば、という期待感の表れなのではないでしょうか?郵政民営化の反対勢力が、小泉首相に対する感情的な批判しかできず、「何故反対なのか」の論点が、自分たちの既得権を守るため以外に明確にすることができなかったのも、有権者の反応が冷ややかであった要因なのではないでしょうか?地方にて、地元にカネを引っ張ってくる政治家が幅をきかすという構図も、今回の選挙結果において崩壊の兆しが見えます。個人的には郵政民営化以上に頓挫した道路公団を何とかしろよと思ったりもしますが、まぁいいでしょう。以下自民・民主以外の各政党についての感想。・公明党…自民党が単独で過半数の議席を確保したことについて焦ったのか、 やたらに公明党の選挙協力についての影響力をアピールしていたのには 失笑を禁じえない。 与党圧勝にもかかわらず公明党に関しては増えも減りもしていないのは、 結局この党を支持しているのは某宗教法人のみであるということを 如実にあらわす結果となった。 実は投票率が上がって無党派層が増えると一番困るのはこの党なのですw・共産党…「確かな野党が必要です」というコピーにはちょっと笑ってしまった。 ある意味志の低さが潔いと言えば潔いですが、ここも増減なし。 小選挙区での当選0って、おいおい社民よりショボいじゃんw それにしても存在感がないなぁw大丈夫か?・社民党…さすがに小選挙区では及ばなかったが、比例区で例のひとが当選 したのは苦々しい限り。 例のひとを通すために、自ら名簿最下位にした土井たか子元党首は 表舞台から消えることとなった。引退するにしても、 公金横領と党内でそれを教唆したことについての釈明と謝罪をきっちり 行ってから消えて欲しいもんです。それにしても関東における比例名簿が 足りないという異例の事態で、ちゃっかり議席を増やしているのは笑ったw・新党日本/国民新党…暫らくしたら統廃合されていそうですがw、 こんな訳のわからない新党をふたつも作って一体何がしたかったのでしょうか? 恨み節だけじゃなくてもっと説得力ある説明をしないと誰もついてきませんよ。
Sep 12, 2005
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本日の朝、出勤前の出来事。日常の動作について、嫁より2点注意を受ける。1.寝室クローゼットの扉閉め忘れ2.玄関での靴の向き何れも私が動作完了する前に、過去目に付いた事例を思い出して口にしたものと思われる。口調もさることながら、注意のタイミングについて大いに不満。人に注意を促す際は、その都度というのが基本である。よしんば私が昨日まで毎日クローゼットの扉を閉め忘れていたとしても(実際はそんなことはない)、今朝注意を受けた時点では着替えている最中であり、閉めるか閉めないかの事実関係は確定していない。閉め忘れるということを前提にした注意のされ方については非常に不愉快であり、素直に肯んじることはできない。日常の個々の動作について、明確に記憶しているむきは少ないであろうが故に、記憶と、印象の差異にも留意すべきである。(実際は10回に1回であるのに、1回の印象のほうが当然に強いものであるから、 そのことしか記憶に残らないことは心理学的にも十分に考えられる)当人(つまり私)にとってはその逆もまた然りで、過去に滅多に閉め忘れなどしていないと思っている可能性も十分に考えられる。従って客観的に見て今朝の状況で注意をするということは、感情と記憶が双方統一された意思のもとに行われたとは言えず、相手(つまり私)が感情的になる危険性を大いに孕んでいると言わざるを得ない。過去、私の反論に対して素直に耳を傾けるということなどついぞなく、仮に自分に非があったとしても決して即座に認めることはしない嫁の性格上、こちらも感情的な対応をすることによって生じる軋轢は望むところではないので、あえてその場で異を唱えることは避けたのであるが、2度も続くと多少の思うところはある。生活を共にする夫婦であっても、波風たてずに物言いをつけるのは並大抵のことではない。自分の考え方が100%正しいと思っているわけではないが、常識的に考えても、例えばスーパーの店員が過去万引きをした客を見つけて、今現在の事実関係を無視して「今日は万引きをしないで下さい」などと注意することは実際有り得ない話である。自分の物差しだけで判断して物を言うのではなく、確かな事実と相手の気持ちも踏まえた上で意見をしていただきたいと嫁には願う次第である。・・・などとこんなところでウダウダ言ったところで何もならないのだがw嫁の目に付かないところで嫁批判をしつつ自らの戒めにもしようかなというところです。いずれにしても、私は現在のことを注意するのに過去のことを持ち出すのはフェアではないと考えていますし、最悪私に対してはともかく、子供に対して同じような注意の仕方は好ましいものとは思えません。考え方の違いと言ってしまえばそれまでですが、大きな衝突になる前にきちんと冷静に話し合う必要があるのかも知れませんね。
Sep 8, 2005
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現実のプロ野球の結果は既にほとんど関心がない私ですが、10年来(惰性で)応援している横浜ベイスターズはここ最近精彩を欠いた試合を続けており、かなり負けがこんできたのを人事のように憂えている次第です。結局終わってみれば終盤巨人に逆転されて最終的に「5位」に落ち着きそうな気配がプンプン漂っていて非常に嫌な感じがいたします。・・・って言うかペナントレースも終盤に差し掛かった現在、明確な目標がないチームはやっぱ勝てませんって。技術がどうのこうのじゃなくってチーム全体を支配する集中力、みたいなものがまったく感じられませんからねぇ・・・。勝ち負けだけではありませんが、見ていて面白い試合を常に心がけていただきたいものです。少々早いですが、今シーズンを振返ってベイスターズの収穫は何といっても”最速男”クルーンの台頭です。外国人選手とはいえ、久々に”生で観たい”と思える選手がベイスターズから登場したのは嬉しい限り。してみればシーズン序盤に小泉首相ばりに悉く試合をぶっ壊してくれた不倫魔人こと佐々木主浩選手の存在もあながち無駄ではなかったといえます。昨シーズンのような中途半端な成績で中盤までズルズル引きずられると、クルーンの出る余地はきっとなかったことでしょう。比較的早い時期に彼を見切れたことによって何のしがらみもない状態で活躍できたのだろうと思われます。かつてのチームの顔であり、その実績は今でも確かに文句のつけようもないのですが、晩節を汚すというか、引き際を誤った典型的な事例ですね。将来的には監督とか言われてますけど、ほとぼりが冷めるまでキチンと外で野球を勉強して下さいね。酒ばっかり飲んでると金村みたいになっちゃいますよw・・・とまぁ前置きというか何かよくわからない文章を長々書いてしまいましたが、そんな私が何をトチ狂ったのか5年近く積んだまま放置していた野球ゲーム「プロ野球JAPAN2001」(PS2)のペナントモードを始めてしまいまして、ついでにご紹介してみようと、こう思ったわけです。今では中古屋を探せば¥500前後で見つかるこのゲーム。スポーツゲームの常として、データが古くなることによってどんな良作だろうと基本的に値段が下がるのは世の理。一応「パワプロ」のスタッフが作成したらしいのですが、可愛らしい二頭身キャラではなく、完全リアル仕様です。ファミスタ時代から、リアルな野球ゲームは当たらないというのが定説ですが、それを裏付けるように、私の知る限り本作はシリーズ化はされていません。見た目はコナミが嫌がらせで発売を妨害した問題作「劇空間プロ野球」と大差ありません。選手の顔や特徴をリアルに再現しているのがウリですが、1チーム30人としても×12で360人分のモーションを作成するのはやはり非常な手間らしく、知名度があり特徴のある選手以外は似たり寄ったりなのはやむなしといったところでしょうか。2001年当時の横浜ベイスターズは、その僅か3年前に優勝したにもかかわらず時の監督に優勝時の面影を完膚なきまでに破壊されている真っ最中で、底抜けに地味な構成になっているのが哀しすぎます。それにしても外国人選手ですら見分けがつかないのはどういうことでしょうか?リアルといってもすでに5年近く前のシロモノ。例えば半笑いのペタジーニの表情がまったく変わらずテクスチャで貼り付いているもの等、不気味か、もしくは笑えるかのどっちかで、以前何かでも書きましたが、リアルな分細かいところのごまかしが許せなくなってくるものです。ペナントモードで長く遊ぼうとすると、難易度の調整については頭を悩ませるところだと思われます。難易度イージーにして6試合を終了した現在、チーム打率4割強、チーム防御率0点台と、有り得ない開幕ダッシュに成功しております。こういう有り得ない成績というものは、数字ヲタの私的にはあまり望むところではありませんが、負けるよりはずっといいです。弱いチームのファンは、他の強いチームのファンに言わせると自虐的というか、何かしらマゾヒスティックな感情があると思われがちですが、実際はそんなことはありません。何より現実世界の鬱憤をゲームにぶつけているわけで、負ければ現実以上に気分が悪いです。賛否両論あるでしょうが、少なくとも私は妄想たくましく楽しめます。先ほども書きましたが、リアルになった分、細かい点で気になることはいくつかあります。まず、選手ですが、1軍2軍の入れ替えができたりもして、人数はかなりたくさんカバーしているものの、育成要素はありませんのでいくら名前がたくさんあっても使えない奴は一生使えません。これやっちゃうと別のゲームになりそうですが、例えば能力のショボい若手でも、試合に使って実績を残すと能力が上がるとかの要素があれば、長いシーズンを戦う励みにもなるのではないかと思います。あと捕球時のモーションがいくつかとんでしまっていて不自然なところとか、CD-ROM媒体故にロード時間が長いとかシステム面についても不備は多いと思います。大体一試合40分前後かかるのも辛いといえば辛いかも。操作系は基本的には「パワプロ」と同一ですが、オプションでファミスタ系もどきに変更もできます。松井秀も中村紀もいない現在の日本プロ野球は斜陽化著しく、それに伴ってゲームもいまいち力が入っていないように思われますが、双方何とか盛り返していただきたいと願う今日この頃。海の向こうからのMLBのゲームが滅茶面白そうに見えるうちはまだまだなんでしょうね。
Sep 5, 2005
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先日、私の実家に家族揃って夕食をよばれた際、実家に預けてある私の私物の定期点検を行っていると、ホコリにまみれたネオジオCD本体が出てきました。ファミコン以降、既存で発売された家庭用ゲーム機はほとんど所持している私ですが、実際のところそれだけの数があるが故に稼働率の低いハードもままあったりするわけですが、私の場合、このネオジオCDがそれにあたります。もともとネオジオはハードもソフトも場所をとって仕方がないROM版を所持しており、こちらは「餓狼伝説SPECIAL」ぐらいまでは、まんまゲーセンだぜひゃっほいってな感じで対戦ツールとしてかなり活用しておりました。「キング・オブ・ファイターズ’94」の大ヒットを受け、半ば脅迫と誇大広告が入り混じったキャッチコピーと共に、ネオジオCDは誕生しました。曰く、「今後SNKのゲームはネオジオおよびネオジオCDでしか遊べません」「すべてのネオジオソフトが低価格で発売」「ネオジオCDオリジナルソフトも続々登場」マニフェストならぬこれらの謳い文句は、結局ひとつとして守られることはありませんでした。このハードのそもそものコンセプトは、他社に移植させた自社ソフトが、自社のオリジナルより売上があったことが社内の物議をかもし、機会損失しているのは自社ソフトが高すぎる(ROM版の定価が1本2万円~)からという至極単純な結論に達し、安価なCD-ROM媒体でハードから顧客に抱え込みをしてもらおう、という発想が基本になっているのだと思われます。もともとゲームセンターと全く同じ(移植ではないところがポイント)ものが家で遊べるというのが最大のウリだったわけで、それが所詮移植のニセモノ(と言うのは乱暴ではあるが)であるSFCソフトと同じような値段で買えるのなら、間違いなく相応の需要はあるだろうというのがネオジオCD開発に踏み切らせた経緯であると思われます。ですから、とにもかくにもハードを普及させることが最優先であり、為に上記の一番上のスローガンを明言することは必要不可欠だったと言えます。滑り出しはまずまずだったのではないでしょうか?時にSS・PSの次世代機が登場する数ヶ月前、対戦格闘ゲームが華やかなりし頃、スト2が育てた対戦格闘ゲームファンは、大きくは本家カプコンと「餓狼伝説」「龍虎の拳」「サムライスピリッツ」そして前出の「KOF’94」を擁するSNKとにわかれ、隆盛を誇っておりました。特にSNKは本家カプコンに比べてよりキャラクター色を強くしており、純粋な対戦格闘ゲームファンのみならず、幅広い層へとアピールすることに成功していました。しかし、所詮は一過性のブームに過ぎず、ハードごと買ってしまうようなコアなファン以外には中々浸透せず、更にはハードそのものの構造的欠陥(CD読込が通常速のため激遅い)もあり、さほどの時をかけずして厳しい状況に追い込まれていきます。そして舌の根も乾かないうちに、クロスライセンスとかわけのわからないことを言って、看板ソフトである「キング・オブ・ファイターズ’95」のSS移植が決定します。非常に数は限られているでしょうが、ネオジオCDのみのユーザーは、何じゃそりゃぁぁぁぁぁ!!と声にならない叫びを上げたことは想像に難くありません。しかも専用のRAMカートリッジを使用したSS版「KOF’95」のできは、ネオジオCD版と比較して音だけはROM版になっているものの、その他は全く遜色のない素晴らしいものでした。何より特筆すべきはそのロード時間で、RAMカートリッジに背景データをぶっこむという荒業を駆使し、まったくストレスを感じませんでした。奇しくもこの頃のSSは、うそポリゴンの化けの皮が徐々にはがれ、その分野ではライバルであるPSに遅れをとりつつありました。そんな最中にRAMカートリッジという独自の機能を活用し、出色の完成度を誇った「KOF’95」は、SSというハードの方向性をも決定付けた意味ある作品とも言えます。いずれにしても、「KOF’95」のSS版は、文句のつけようのない完成度であったが故に、SNKは自ら自社ハードの価値を貶める結果となってしまったのです。その後、クロスライセンスと言いながら「バーチャファイター」がネオジオCDで発売されることもなく、いつのまにかPSにも移植されはじめました。一応シリーズの新作は一番最初に発売するという良心はあったものの、「どうせSS版が出るからいいや」と、本来のコアユーザーにまでそっぽを向かれるようになったのは言うまでもありません。余談ですが、SNKという会社からの最後のタイトルとなった「KOF2000」以後もネオジオというハードは生きつづけました。1990年の発売から2004年までの延べ14年間、細々とではあるがソフトが供給され続けたのは驚異である。1990年といえば任天堂SFCと同期であり、息の長いハードであったファミコンすら遥かに凌駕し、会社そのものより長い寿命を誇ったのもまた皮肉ではある。かくいう私めも、「KOF’95」以来ネオジオCDには見切りをつけていたのだが、何故か律儀にソフトは購入していました。まぁ半分プレミア狙いであったことは否めないが、それでもいくつか印象に残ったソフトを簡単にご紹介しておきたい。「フライングパワーディスク」→一対一でフリスビー(のようなもの)を投げ合うだけの単純なゲーム内容でありながら、 必殺投げの応酬が熱い佳作です。我が家では対戦ツールとして長期間活躍しました。 今のところ他のハードで遊ぶことができないのは残念です。今遊んでも十分面白いので リメイクを希望したいところ。因みにロード時間もあまり気になりませんでした。「オーバートップ」→・・・と言ってもS・スタローンのバカ映画とは何の関係もありませんw クォータービューのレースゲームです。タイム制限がシビアで難易度は高いですが、 これも良作だと思います。それにしてもこのゲーム含めマイナーながらネオジオには クォータービューの良作ゲームが少なくありません。向いていたんでしょうか。「ビッグトーナメントゴルフ」→初心者でもとっつきやすいゴルフゲームの傑作です。 個人的にはベストゴルフゲームと言っていいくらいのお気に入りですが、気軽にプレイ できないのが難点。他機種に移植を希望しますが、無理だろうな・・・。「クロススウォード2」→数少ないネオジオCDオリジナルゲーム。 FPSなどというジャンルが影も形もない時代。一人称視点のファンタジーアクション ゲームとして評価が高かった前作をアレンジした非常にオリジナリティの高い良作。 余談だが”スウォード”の表記は、”ソード”をかっこよくしたつもりなのでしょうが こんな読み方は何処の国でもしませんwアクションゲームが中心で、しかもアーケードが基本となっているので全体的に難易度が高いのが特徴であり、弱点でもありました。しかしながら、最近まで現役で稼働できた設計思想の高いハードは、充分評価に値すると思われます。
Aug 30, 2005
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光栄(現:コーエー)の歴史三部作・・・といっても、SFCあたりからゲームを始めた方にはピンとこないかも知れない。・信長の野望シリーズ・三国志シリーズ・?さて、最後のひとつは何でしょうか?世界三大○○○とか、語呂がいいからなのかどうかはわからないが、何故か日本人はこのような言い回しで一括りにしたがる傾向が強いと思われる。で、大抵最後のひとつが中々出てこないか、人によって意見が異なったりするものだ。閑話休題答えは「蒼き狼と白き牝鹿」シリーズです。FCにも移植されたものの、前2作と比べると不遇な印象を受ける本シリーズ。本数も半数に満たないたったの4作しか発売されておらず、第一作にいたっては家庭用ゲーム機に移植すらされていない。ご存知ない方の為に簡単にシリーズの特徴をご説明します。本シリーズの舞台となるのは、中国史上最大の版図を誇った「元」の始祖、フビライの祖父であるチンギスハーンの時代、モンゴル高原の部族統一から日本を含むユーラシア大陸全体を統一するという、スケールだけなら前2作を遥かに凌駕するものであります。細かいシステムやら何やらの話は割愛しますが、本シリーズには特筆すべきコマンドがあります。ご存知の方も多いと思いますが、それはズバリ「オルド」です。オルドとは、平たく言えば遊牧民族の後宮の意味です。あぁ、回りくどい言い方をすると面倒なのでぶっちゃけて言います。要するに、武力で支配した多民族から分捕った妃をヤッちゃって子孫を増やす為のコマンドですwセクハラだのジェンダーフリーだの言葉を自分に都合のいいように使って詭弁を弄する田○陽○のオバハン何かが聞いたら口から泡吹いて怒り狂うであろうコマンドですwま、これ以上に光栄はもっとヤバいこともやってのけましたがそれはまた別のはなし。当世このコマンド故に続編が出せない・・・というのはあくまで憶測で、実際は単純に素材が先の2つに比べて地味だからでしょう。多分。チンギスハーンをテーマにした歴史小説って言っても有名なのは井上靖の「蒼き狼」ぐらいしか思いつかないなぁ・・・。ともあれ、この「蒼き狼~」シリーズ、私が実際にプレイしたのは初代をマイコンで、3作目の「元朝秘史」をSFCで、ですね。2作目の「ジンギスカン」は後にFC版の裸ソフトで購入しましたが、ほとんどやってません。で、私が長らく疑問に思っていることが一点ありまして、それはマイコン版の第一作なのですが、スタート時のモンゴル高原統一編の他部族に、ヘンな名前の奴がひとりいるんです。それは、”トマット族のプチャッケ”です。トマトケチャップ???例えば三国志に、”陳国載”何ていう人物が登場すれば、すぐに架空のものだとわかりますが、如何せん世界史の教科書でも~年にモンゴルの遊牧民族を統一したって一言で片付けられる部分だし、確認する術がありません。前述の井上靖の小説の中では、ジャムカやクドカベキ等の名前はちゃんと出てきています。SFCの「元朝秘史」をプレイした時気になって見たのですが、プチャッケの名前はどこにもありませんでした…。どなたか”トマット族のプチャッケ”は実在した人物なのかどうかご存知ないでしょうか?w
Aug 25, 2005
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やはり、というか大方の予想はついていたが、本日正式に次世代DVDの規格統一に向けた調整を断念するという発表があった。↓ ↓ ↓http://news.www.infoseek.co.jp/search/story.html?query=%82c%82u%82c&q=23mainichiF0823e036&cat=2SONY・松下を中心としたブルーレイ・ディスク(BD)と東芝を中心としたHD-DVD(HD)の両陣営による規格統一の話し合いは、かなり以前から行われていたものの、その根本的な思想の違いから調整は難航するであろうことは早くから指摘されていた。ほとんどの方がかつてのビデオ戦争(β対VHS)に思いを馳せることであろう。不毛なシェア争いは誰もが不利益を被ることをわかっていながらもこのような結果になってしまったことを批判するのは簡単であるが、それよりも一消費者の視点から次世代DVDの二者択一というよりDVDメディアに対して持っている意見を書いてみたい。私は家電技術に関する専門的な知識は皆無であるのでBD、HDの仕様にかかわる部分は新聞発表程度のものであることを最初におことわり申し上げます。なにかトンチキなことを書いていましたらご指摘の上訂正いただければ助かります。さて、私は次世代DVDを巡る争いには以前から注目しておりました。とりわけ、次世代ゲーム機に関する情報を目にするにつけ、今回の次世代DVD戦争のいわば初戦となるのではないかと見ております。すなわち、PS3(BD)VS XBOX360(HD)の構図ですね。いうまでもなく国内における現行ゲーム機のシェアはSONYのPS2が圧倒している。SONYにしてみればPS2が現行DVD市場を生み出したという自負もあり、強気の姿勢を崩していないのだろう。更にβの雪辱を晴らす「江戸の仇を長崎でとる」という感情も全くないとは言えないだろう。自社の技術が市場を制覇することによって得られる利益は莫大なものであろうが、敗北を喫した場合の逆もまた莫大なものであることは言うまでもない。それでもあえて競合する道を選んだ。それは何故であろうか?私には皆目見当がつかない。少なくとも彼らの念頭には消費者のことなど全くないことだけは確かだ。私を含めて、多少なりとも関心のある消費者は相当冷ややかな目で見ているであろうことは容易に想像できるし、以外の消費者は気にもしていないであろう。ここでいくつか私のポイントを提示してみたい。(1)DVDメディアに対して(現行も含む)全幅の信頼がおけない(2)メディアの進化が消費者のニーズに因るものではない(3)現行DVDフォーマットとの互換性がないものは支持しない順を追って説明します。(1)について、家電量販店でもどこでもいいですが、DVDメディアの売場をご覧になったことはおありだろうか?現行DVDの規格だけでも無数にあり、一般消費者がすべての規格について正確な知識を持っているとはとても思えない。更には非常に精密な技術を要するものであるが故に、安定性が低いという印象がある。”テープとデッキの相性が悪いから再生または録画ができない”ビデオの存在は、少なくとも私は聞いたことがない。どちらに原因があるのかは知らないが、これはかつては”不良品”と呼んでいたはずなのだが、どちらのメーカーに問い合わせても「相性が悪い」「そういうこともあり得る」との回答しか得られない。何だそりゃ?これではとても信頼に足るメディアとは言えない。(2)について、かつてのLPレコードやレーザーディスクのように、古いメディアはいずれ淘汰される運命にあることは私も理解している。しかしながら前二者は、次世代メディアの圧倒的な利便性の向上によってやむなく廃れていったという事実に留意すべきである。振返って今回の次世代DVDについて、前者のようなわかりやすい進化を遂げているのだろうか?記録容量の大幅増によるデータ量の多い高画質の映像が記録できる、以外に何があるというのであろうか?(3)については言うまでもなく、私自身が現行DVDのソフトを大量にコレクションしているからであり、私と同様、DVDから収集を始めた方は多いのではなかろうか?新・三種の神器のひとつに数えられる液晶orプラズマの省スペース、高画質TVは、確かに近年普及が拡大しているものの、未だ大多数の一般消費者はデジタル非対応のものがほとんどであろう。(実は私もよくわかっていないのだが)地上デジタル放送の全貌が明らかになるまで、完全にシェアが入れ替わることはないと思われる。早い話、現行のDVDの規格でも当面は充分なのである。映像ハードとメディアの性能が向上したとしても、映すTVが従来品では話にならない。で、今後どちらを優先して購入を検討するのかといえば、当然後者であろう。現行メディアですら消費者の信頼を確保できていないのに、海千山千の次世代DVD機を2種類のうちどちらかを選ぶなどということが、一般消費者の購買行動として顕れるのかといえば甚だ疑問であると言わざるを得ない。様子見、待ちの傾向が市場全体を支配した時、当然両陣営の消耗戦となるであろうが、勝敗を決したとしても結局誰も得をしない、などという結果になりはしまいか。同じ理屈は、次世代ゲーム機にも適用されると思う。現行のハードからどれほど決定的な性能の向上が見られるというのであろうか。あと2年くらいは現行ハードでも充分なのではないだろうか?今のところ、映像ソフトの供給元は両陣営でシェアを二分しているらしいが、こんなものアテにはならない。”絶対に他の規格では販売しない”という契約をしているのなら話は別だが。でも現行のDVD規格のものと同時に発売すれば、何が一番売れるのかは火を見るよりもあきらかではあるが…。ちなみに私は、次世代ゲーム機本体の値段が下がるまでどちらも買いませんw
Aug 23, 2005
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どうでもいい話だが、昨日で「影男の屋根裏日記」が一周年を迎えました。本当は昨日書くつもりでいたのだが、久々に一日中遊んでいて疲れてそれどころではなかったのである…と意味のない言い訳をしてみるw今となっては何で始めたのかも記憶が定かではない。元々飽き性でいい加減な性格なので、最初の一週間ほどは毎日まめに更新しているものの、明らかにネタもなく適当に書いている感がいやがうえにも読み取れ、徐々に失速して誰も読んでるわけでもないのに言い訳してたりとか誰に向けて言っているのかよくわからない部分もある。アクセス数とか、アフィリエイトにはあまり関心がなく、純粋にと言っては語弊があるが、基本的には書きたいと思ったことを書き、斜め読みでも読んでいただける人が存在しているという認識だけでも結構満足しています。常連さんの影響もあり、最近少し話題が偏っている感がなきにしもあらずですが、自分の好きなことを書くというコンセプトから著しく逸脱している訳ではないので特に気にせず、むしろその方面に特化してもいいか、ぐらいに考えています。結局何が言いたいのかよくわからない文章になってしまいましたwいつまでやるかはわかりませんが、今後ともお暇なときにでもお付き合いいただければ幸いです。
Aug 22, 2005
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「スーパーロボット大戦」の記念すべき第一作がGBにて発売されてからすでに15年近くの歳月が経過いたしました。FC版を経て、SFC版の「第3次スーパーロボット大戦」から徐々に人気に火がつき、現在でも様々なプラットホームにて発売されております。複数のハードで発売された人気シリーズは数あれど、GB、GBA、FC、SFC、N64、GC、WS、SS、DC、PS、PS2これだけのハードで展開されたシリーズは同シリーズ以外ではちょっと見当たりません。まさにハードを選ばない稀有なタイトルでもあります。今回ご紹介するのは、同シリーズのシステムを継承しながらもまったく別の方向へと訴求対象をシフトした一品。その名も「スーパー特撮大戦2001」です。同シリーズの歴史からは完全に黙殺されているのが少々気にかかりますが、そんなメーカーの思惑など軽やかに無視し、掘り起こしを進めたいと思います。wさて、本作品をご紹介する前に簡単に背景をご説明しておきたいと思います。「スーパーロボット大戦」とはシステムが異なるものの、設定上繋がりもある「ヒーロー戦記」というSFCソフトがあります。後に少ないながらもシリーズ化される「スーパーヒーロー作戦」の元となった作品ですが、実はこの作品、ヒーローと謳ってはいるものの、何故かガンダムも出てくる意味不明の仕様で、この不自然極まりない設定ひとつとって見ても、この種のキャラクターゲームがいかに「ガンダム」に依存しているかが窺い知れます。しかし、タイトルを御覧になればお分かりのように本作品にはガンダムもマジンガーZも登場しません。”特撮”です。特撮とは実写です。CGのことじゃありません。身も蓋もないですが、これ以上ないくらいわかりやすいタイトルだといえます。更に、本作品に登場するキャラクターを見ればその偏りっぷりに度肝を抜かれることは間違いありません。羅列になりますが、省略せず全部ご紹介します。・仮面ライダー(1号・2号)・仮面ライダーV3・仮面ライダーBLACK(RX)・ウルトラマン(初代)・ウルトラセブン・帰ってきたウルトラマン・ジャイアントロボ・スーパーロボットレッドバロン・大鉄人17(ワンセブン)・人造人間キカイダー・キカイダー01・イナズマン(F)・秘密戦隊ゴレンジャー・宇宙刑事ギャバン・宇宙刑事シャリバン・宇宙刑事シャイダー・・・いかがでしょう?キてますw、アホです(←ホメ言葉)最新作の「仮面ライダーBLACK RX」にしても20年近くも前の作品です。女子供はカエレ! 付いてこれないヤツは付いてくるな!という無言のメッセージが強烈に伝わってきませんか?そう、これはゲーム界のロックンロールなのですw先の「スーパーヒーロー作戦」を例に挙げるまでもなく、「スーパーロボット大戦」シリーズの方法論として、登場キャラクターの選定については新旧取り混ぜて行うのが暗黙のルールとなっており、ファーストガンダム原理主義者も、SEED最高!の小僧もまとめて面倒みるぜというか、あわよくば双方新たなマーケットの開拓ができれば超ラッキー!というようなスケベ心が見えなくもないですが、ともかく保険的な意味合いも含めた煮え切らない構成がスタンダードとなりつつあった頃だけに、このタイトル群には強烈すぎるインパクトがあったわけです。昭和40年代生まれの男子のみにスナイプした本作。当然その他のユーザーは一切眼中にないわけですが、マーケティングの観点から捉えた場合、現状のゲーム購買層の主力という実情を鑑みれば、一応ターゲットは間違っていないともいえますが、如何せんいくら狙いが良くても銃に込める弾丸が出鱈目では話になりません。たとえて言うなら実弾だと思っていたものが模擬弾どころかBB弾だったようなものでしょうか?ともかく、大きな的にもかかわらず着弾率が非常に悪かったのは笑えない結果となりました。大体余程のスキ者でもない限り「ワンセブン」や「レッドバロン」なんて知りませんってwよしんば記憶の片隅に残っていたとしても、ストーリーやキャラクターまで把握しているのは同世代でも極めて特殊な”選ばれた民”以外にはありません。要はそこのところがどこまで購買に結びつくのかって冷静に考えれば、目隠しして針の穴を通すようなものと容易に気付くのでしょうが、熱いパトスは時に人を盲目にするようですw肝心の中身についてですが、一言で言えば不良品です。基本は「スーパーロボット大戦」のシステムを踏襲していますが、「α」より後発にもかかわらず、平面マップに顔面ユニット。退化してますwしかも顔面ユニットは変身前だと人間の顔だけがマップ上に点在し、かなり不気味です。戦闘シーンは更に退化し、一切セリフの音声はありません。必殺技等の一部の攻撃で、フィルムをまんま使っているのはありますが、いずれにしても手抜きであることに違いはありません。基本的な流れとしましては序盤にザコ(戦闘員)を倒して気力を上げ、変身してボスを倒す、といった感じです。主人公はオリジナルで、バイオ系(自分で変身する)とメタル系(生身の人間が強化服を着る)が選べ、それぞれ微妙に異なるシナリオが2本遊べます。仕様なのかバグなのかはわかりませんが、理不尽極まるシステム(弾数制限があるユニットがインターミッションで補給されない(できない))とか、破綻しまくったシナリオとかいちいち挙げていてはキリがありません。特に「スパロボ」に慣れた方であればあるほど納得できないこと請け合いです。しかし「スパロボ」とは決定的に異なり、尚且つ一番厄介なのは「ウルトラマン」をはじめとする「巨大ユニット」の存在です。この「巨大ユニット」は、マップ上では等身大ユニットの2倍強の大きさがあり、同時にマップ上に存在するとそこはかとなく笑えるのですが、問題はこの「巨大ユニット」はいずれもほぼ特定のシナリオでしか使えない、という点であります。加えて、そのほとんど使っていない「巨大ユニット」のみでクリアしなければならないシナリオとか、下手をすればクリア不能の事態に陥ってしまうような場面が多々あります。これが為に「デバッグどころかテストプレイすらしてねーんじゃネーの」って陰口を叩かれる原因となっています。心ある好事家もこのゲームに辛い評価をせざるを得ないのは、ひとえにゲームとして完成した商品のレベルに達していないからに他なりません。しかし、シナリオについては中途半端なぶつ切り感は否めないものの、製作者の原作に対する熱い思いだけは痛いほど伝わります。細々したところが妙に凝っていたりしますので、原作に造詣の深い方であればニヤリとさせられる部分は少なくないでしょう。極めてマニアックな層にピンポイントで訴求している分、ゲームのできとしては最低ながらもどこか許せてしまう、そんな作品です。言い換えれば登場するキャラクターに思い入れがなければ、「スパロボ」もどきの完全無欠なクソゲーですねwいずれにしても思いっきり人を選ぶので、その道に通じていなければ避けて通るのが無難だと思います。余談ですが、このゲームのイカレっぷりと、同社の「クイズキャラおけドン!」の問題がマニアックすぎて全然解けないのは多分無関係ではないと思います。
Aug 18, 2005
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先日のプロ野球の話題つながりで、今回は野球ゲームの話を。スポーツは、コンピューターゲームの世界においても題材となる基本であり、古今ほとんどのメジャースポーツは言うに及ばず、かなりマイナーなスポーツまでゲーム化されている。スポーツそのものの人気不人気によって開発にかける力の入れようは当然変わってくるので”人気があるスポーツ=面白いスポーツゲーム”と単純に解釈してもあながち間違いではなかろうかと思う。さて、コンピューターゲーム黎明期からファミコン全盛期まで、国内における最大の人気スポーツといえば野球に他ならなかったことに異論の余地はないと思われる。それを象徴するかのように、野球ゲームは「ファミスタ」シリーズという王道かつ最強の定番ゲームが存在し、他社の野球ゲームはすべて「ファミスタ」の亜流であり、その牙城を脅かすタイトルは皆無であった。逆に言えば、「ファミスタ」が確立したゲームシステムは当時のハードにおいて絶対的に完成されたものであり、そこから逸脱したものはいかに斬新なものであれ、マイナス要素にこそなれ、プラスに作用することはなかったとも言える。その状況に変化の兆しが見え出したのは、ファミコンからSFCへ移行後、暫く経過してからのことである。国民的定番野球ゲーム「ファミスタ」は、大方の期待通りSFCに引き継がれることとなったが、その裏では同時に旧ファミコン版もリリースされ続けていた。あくまで私見ではあるが、その背景には(1)SFC版の値段が高い(2)SFCならではの新要素が、ゲーム性の進化にまで昇華していない・・・という潜在的な不満があったのではないかと推察される。ともかく、旧ファミコン版元祖「ファミスタ」は、SFC版と平行して93年末まで発売されていたのは紛れもない事実である。その頃、もうひとつの転機が訪れる。それは、Jリーグ発足によるサッカーブームである。ゲームメーカーにとって、スポーツゲームは当たればおいしい。一度圧倒的なシェアを勝ち取ってしまえば、基本的なエンジンには手を加えることなくデータの入れ替えやマイナーチェンジや微調整等で毎年リリースでき、しかも安定した売上が見込める。「ファミスタ」の栄光を垂涎の眼差しで見ているしかなかったメーカーが、サッカーゲームにおける「ファミスタ」たらんとこぞってリリースしたのは当然の成り行きといえる。それはスポーツゲームの定番化の旨みを十二分に知り尽くしていた「ファミスタ」を擁するナムコにとっても同様であった。むしろ安定した人気を誇る野球と、将来性充分のサッカーの両方を押さえることができたら、スポーツゲームにおいて磐石と言ってよいほどの地位を手に入れることができる。結果誕生した「プライムゴール」シリーズは、ブームに乗ってそこそこの売上を上げたものの、他社の「エキサイトステージ」や「実況ワールドサッカー」等のタイトルと比較して、突出しているという程でもなく膠着状態のままシリーズを重ねていくことになる。その時のナムコが慢心していたのかあるいは来る次世代機に気をとられて開発がおろそかになっていたのかは定かではないが、消化不良のSFC版「ファミスタ」を尻目に突如として他社から正統派の野球ゲームがリリースされる。それはコナミの「実況パワフルプロ野球’94」であった。「パワプロ」は「ファミスタ」が為しえなかった様々な進化がほどこされた野球ゲームである。投球における高低の概念を取り入れ、新たなゲーム性として完璧に機能するところまで作りこみ、違和感のない実況で盛り上げる。すべての野球ゲームファンが待ち望んでいた、というより「ファミスタ」の進歩のなさに苛立っていたものが一気に乗り換えた、とも表現できる鮮やかな下克上であった。後にSFCのプラットフォームでは98年までリリースされ、次世代機である旧PS・SS・N64等にも順当にリリースされ続け、「ファミスタ」に代わる定番野球ゲームとして現在もその地位は安定している。一方、その地位を追われた「ファミスタ」というタイトルはN64でわずかに残ったものの、旧PSでは「ワールドスタジアム」に名を変え、「ファミスタ」とは似て非なるものとなってしまった。そして現在、「ファミスタ」という名の新作が発表されることはない。ファミコン時代から10年にわたって定番野球ゲームとして君臨し続けてきた「ファミスタ」が、「パワプロ」にその地位を譲ってからすでに10年以上の歳月が流れている。今や歴史も「ファミスタ」を乗り越えてしまった「パワプロ」は、名実共に国内の定番野球ゲームであるといえるだろう。時代も移り変わり、オリンピックの種目からも外される野球の人気は凋落の一途である。かわってサッカーは(代表戦限定とはいえ)今や国民的人気スポーツである。奇しくもサッカーゲームの定番である「ウィニングイレブン」シリーズを擁するのは「パワプロ」のコナミ。今、磐石とはいえ膠着状態にある両シリーズ。10年以上前、ナムコが望んで叶わなかったスポーツゲーム市場の独占を目の当たりにして、逆襲の一手はあるのだろうか?
Aug 16, 2005
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久々にプロ野球の話題を。巨人の低迷に比例して、プロ野球中継の視聴率は加速度的に下がっており、全く歯止めがきかない状況に陥っております。末期的症状の最中、瀧鼻オーナー、早くも現場に復帰したナベツネ共、抜本的な改革を行うべく意気込んでいたものの、蓋を開けてみれば補強を行うわけでもなく、首脳陣への責任追及も、堀内監督の強い意向を受けてお咎めなしという。結局のところ、オールスター前と明けで何が変わることもなく、相変わらず無様な試合を公共の電波に乗せて垂れ流し、視聴率も下がり続けている。セ・リーグのペナントレースも中盤から終盤に差し掛かり、ほぼ阪神と中日のマッチレースの様相を呈してきたが、関西はともかく、中日の地元でもプロ野球が盛り上がっている様子はあまり見えてこない。過去に日記で何度も指摘したが、世間のプロ野球(特に試合)に対する関心は日に日に薄くなってきているというのが紛れも無い現実なのである。先の巨人、瀧鼻オーナーが「ロートルを切って若手を使い、無気力なプレーを見せるな」と監督に注文をつければ、ナベツネは「ベテランが怒るよ」と言う。球団トップにして今何を為さねばならないのかの最低限の意思統一もできていない有様では、いたずらに首脳陣ならびに選手を非難するのは酷というものだろう。あまつさえ「堕ちるところまで堕ちないとわからない」などと無責任な発言をするのは現場およびクソつまらない試合にもかかわらず球場に足を運んでくれている奇特なファンに対してもあまりに無神経で失礼な発言ではないのか。肯定はしていないが、来季の監督候補として阪神タイガースの前星野監督に打診を行っているというニュースが飛び込んできた。巨人の70年間の歴史の中で監督を務めたのはたったの13人。しかも所謂外様の人間はひとりもいないことを鑑みれば、それが事実とすれば異例中の異例であり、現状を打破するためのなりふり構わぬ姿勢であるといえなくもない。だからといって今何もしないことの理由にはなりはしないのだが。堀内監督をはじめ、現コーチ陣、ローズ、清原、桑田、江藤、あたりは世間も恐らく本人も今季限りと自覚しているだろうから(往生際が悪そうな輩もいるがw)目に見えてやる気を感じないのは致し方ないが、ならばこれ以上醜態をさらさないようにするのが少なくともファンに対する礼儀ではないのか。シーズン途中に中途半端に介入して更にイメージが悪くなるよりは、どうせ今季はどうしようもないし、この際人事も含めて膿を全部出し切ってしまえというような思惑が見えるのは私の気のせいではあるまい。いずれにしても、誰が監督になってまたぞろ他球団から大物選手をかき集めて、仮に来シーズン好成績を修めたとしても、巨人人気並びにプロ野球人気が現在以上に回復することはないであろう。今更だが、どうもナベツネは巨人が勝てばすべて解決すると思っているらしいw懲りずに言う。現状の、巨人中心のいびつな利益構造の枠を脱し、ドラフトを含めて抜本的な改革を行わなければ、北京の次のオリンピックまで日本プロ野球界が保つことはないだろう。最終的にどんな形で消えていくことになるのか、プロ野球史の終息を見届けなければならないような事態だけは回避していただきたいと思う次第であります。
Aug 13, 2005
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