かずやんの旅日誌

かずやんの旅日誌

2021年09月19日
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カテゴリ: バイク旅
8月19日

今日は朝ごはんをお願いしているのでゆっくりした出発だ。
最終目的地も苫小牧なので問題ないだろう。

外は雨は上がったが、霧があたりを包んでいる。
幻想的な風景にしばし目を奪われる。







晴れれば目の前に十勝連峰が見えるそうだ。
次は天気がよく、残雪のある時期に来てみたいものだ。

しばらくしてオーナーさんから声がかかり、朝食となった。
夜も雰囲気があったが、朝は外の景色が借景になっており、まるで絵画のようだ。





おいしい朝ごはんをいただき元気補充完了。





そのまま外の水道を借りて洗車とチェーンに注油していく。
これで帰るまで保つだろう。











荷物も積み込み準備完了!
オーナーさんにお世話になりましたと伝え出発した。

さて、最終目的地が近いというのもあるが、ニングルテラスの北の国から資料館も見ていきたい。
しかしニングルテラスは正午にならないと開かないため、いつもの富良野定番コースをめぐることにする。

その前に、ゲストハウス旅の途中のトシさんに、ヘルパーさんに頼まれていたブツを渡しにいく。
到着すると、トシさんがまさに今出るところでギリギリセーフだった。
ヘルパーさんたちはちょうど出てしまったとのことでお会いできなかったが、お土産は渡すことができたので良しとしよう。

なんとかミッションをこなし、再び富良野市街へ。
まずはすっかり忘れていたラベンダーのアロマオイルを購入しにいく。






5日ここを訪れたときは、ラベンダーも終わっていたし、人が多すぎて避けていた。





今日はあの時と違って空いている。
すぐにアロマオイルをと思ったのだが、奥の畑にラベンダーのような花があるではないか。
急ぎ足で行ってみると、普通のブルーサルビアであった。
ラベンダーとブルーサルビアは似ているのだが、ブルーサルビアは鹿児島でも咲いているので見間違えることはないのだが。
がっくりと肩を落としたら、アロマオイルを買うことをすっかり忘れてしまっていた。
そのままファーム冨田を後にするのだった。



「アー、 ロクゴウデシタラ、コノチズイイデスヨ」
富良野駅の観光案内所に立ち寄り、北の国から観光情報を聞こうとしたら、なんと受付の方が外国の方だったのだ。
この方も富良野が好きで移住してきたのだろうか。

地図を受け取り「ありがとうございます」と観光案内所を出て、富良野駅周辺を散策。





懐かしのへそ祭りのオブジェがあちこちに見られた。







2010年のへそ祭りに、私も踊り子として参加していた。



あれからもう11年とは、月日が流れるのは早いものだ。
またいつか、この地に立つ時も同じ想いを抱くのだろうか。
まだ見ぬ未来を思い浮かべながら富良野駅を後にした。


「これはドラマのワンシーンのセリフでして。」
「いや、それは分かっているんですが。」
木造りの小屋で店員との会話のキャッチボールがうまくいかない。

あれからフラノデリスでホットビスケットを食べて時間を調整し、開店時間に合わせてニングルテラスに来ていた。
その入り口にある富良野ドラマ館で、自分へのお土産を見ていたのだ。
その中に「子供がまだ食ってる途中でしょうがラーメン」という商品に一目惚れ。





会計のときに店員に
「これはドラマのパロディで"しょうがラーメン"なんですか?」
と尋ねたところ、先程のずれた回答が返ってきたのである。

私はてっきりドラマのセリフに掛けて、しょうがラーメンにしたのかと思ったら、普通に醤油ラーメンであった。
しょうがはお好みで入れてくださいと。
くだらなすぎる発想と、セリフに何も掛かっていないただのラーメンということに吹き出してしまい、お買い上げとなった。

お土産をバイクに詰め込んだら、ニングルテラスへと降りていく。
白樺の森に囲まれた空間に、日が差し込みとても清々しい。





さて、わざわざ時間調整してここに来たのには理由がある。

かつて富良野駅近くに北の国から資料館があり、そこで展示されていた資料の一部を期間限定でここニングルテラスのチュチュの家で展示しているのだ。





北の国から放送開始40周年記念で様々な企画のひとつだそうだ。
チュチュの家の周りには、北の国から出演者のポートレートがたくさん飾られている。
記念館に入ると、年表ごとに写真や小道具・衣装が展示されている。
その懐かしさに感慨深い気持ちになる。
これ以上ここにいたらもたない。
ここでも黒板五郎が笑った写真があり、これが止めとなった。
なんだか涙腺が弱くなってきてないか。
記念館を出て出発することにした。


「ソフトクリームたべたい~!」
幼稚園ぐらいだろうか、男の子が私を指差しながら母親にねだっている。
「わかったから、ほら、何にする?」
母親に手を引かれて男の子は去っていった。

ニングルテラスを出発したところで、アロマオイルを買い忘れていた事に気づき再びファーム冨田を訪れていた。

アロマオイルと友人へのお土産を買い込み、ラベンダーソフトを食べていた。





ここのソフトは美味しいのだが、食べる度にラベンダーの香りが薄くなっていく。
まるで昔の思い出が消えていくような儚い味に感じる。
ソフトクリームを食べ終わり、ファーム冨田を出発。富良野を後にした。

















次はできるだけ早く帰ってきます。

富良野を後にして夕張に向かう。
北海道に到着して富良野入りした際に通った道を逆にたどっていく。
旅の終わりを感じさせる道だ。
そういえばいつも富良野を離れると「この旅も終わるんだ」となんともいえない気持ちになっていた。
それは今回も同じようだ。

気分が落ち込んでは残りの旅も楽しめない。
夕張に到着して、行きでも寄ったビッグモローにて最後のカットメロンをいただく。





夏の終わりということで味は薄くなってしまっていたが、それでも十分美味しい。
ここもなるべく早く戻って来なくては。
店の方に見送られ出発した。


「この先に進まれますとトイレはございませんので、先に済ませておいてください」
受付の方が話す。

ここは夕張の石炭博物館。









昔の炭鉱跡を利用した観光施設だ。

以前から気になっていたが、ようやく訪れることができた。
受付の方の指示通りトイレを先に済ませ順路通りに進んでいく。

最初は炭鉱と夕張の歴史についての説明があった。
学びながら進んでいくと、その途中で島津斉彬が紹介されており驚きであった。





確かに島津斉彬公は、列強の脅威に備えるべく様々な産業を興した人物だが、まさか石炭にも注目していたとは。
鹿児島県民なのに私もまだまだ勉強が足りない。

そのまま進むと、いよいよ坑口へと入ることになる。
この辺りから、実際に坑口入る手順通りに展示が進む。
説明がずらっと続き、いよいよエレベーターで坑口まで降りていく。
しかしこの入り口に、持ち物を確認する係のマネキンがあり、これがなんともいえない雰囲気を放っていた。
あまりにも不気味だったため、写真は撮っていない。

なにかじっと見られているような気がして急いでにエレベーターに乗り込む。
エレベーターはアナウンスが流れる仕組みになっており、地下数千メートルに降りていく演出付きだ。
だが、その全てが昭和の香りがする。
長くここで観光客を迎えてきたのだろう。

そしてエレベーターは地下の坑道へ。

ドアが開くと同時に私は思わず怯んでしまった。





目の前に大量のマネキンが現れたのだ。







実際の採炭の様子を再現しているのだが、どのマネキンも今にも動き出しそうなほどリアルに作られている。







照明も暗めであり、そこに換気のための送風機の音が不気味に響く。
しかもこの空間に私しかいない。
これは下手なおばけ屋敷より怖い。
足早に順路通りに進んでいく。







しばらく進むと、ようやく人影が見えホッと一息つく。
この方はここで採炭に使われる機械の説明をされる方のようだ。
少し説明を受けたあと、実際に機会が轟音とともに動き出す。








すごい迫力だ。



ここで係の方が
「今は照明でこんなに明るいですけど。当時はヘッドランプひとつだけでしたからね」
と話す。
こんな暗い中でこの騒音は相当参るだろう。
さらに事故とも隣り合わせなのだ。
当時の日本の産業を命がけで支えてくれた鉱夫たちに感謝したい。

ここ石炭博物館は、実際に使われていた坑道に入ることができたのだが、数年前原因不明の火事により、坑道を閉鎖しているそうだ。

火事が起きたときにはなかなか鎮火せず、坑道を水で満たしようやく鎮火できたそうだ。
もし人がいるときに火事になったらと想像するとゾッとする。

博物館を出て、火事になった坑道前に行ってみると、確かに焦げ臭い。





火事のあとの臭いだ。
実は私、この場所だけは来たことがあった。
あれは2014年。レンタカーで北海道を周っていた私は、ビッグモローの開店時間までここで時間を潰していたのだ。
もちろん博物館は開館前であり、この坑道を外から見るだけであったのだが、あの坑道がこんな状態になってしまうなんて。
あの時、時間があればと悔やまれる。

しかしこの坑道も復旧を計画しており、順調にいけば3年後には見学を再開できる見通しだと係の方が教えてくれた。
その時に改めて訪れることにしよう。
またひとつ宿題が増えてしまった。

時刻は夕方の4時過ぎ。
夕暮れ迫る夕張の街を流していく。
それにしても寂れた街だ。





田舎とは違う、昔栄えた街から活気と人が消えた感じだ。




本州や九州ではゴーストタウンとか、シャッター街になるのだろうが
ここ夕張は冬の厳しさもあって、建物が崩れるのが早い。
それを見越しての解体も早いのだろう。
幸せの黄色いハンカチの時代の賑わいが嘘のようだ。

そんな事を考えつつ、幸せの黄色いハンカチ思い出広場に到着。







ここは16時までの営業のため、入ることはできなかったが、映画で見た風景は消え去り
そこは草木がザワザワと音を立てているだけであった。


「苫小牧はなんも美味しいものは無いね!」
体格のいい女性が続けて話す。
「ここらへんは名物も何もないしね。ホッキ貝も地元の人は食べないし。」
「どうせあれでしょ?マルトマ食堂に行くんでしょ?あのきったない食堂に。」
「地元の人はだれも行かないよ。」
歯に衣着せぬとはこういう事を言うのだろうか。豪快な発言に戸惑う私がいた。

夕張を後にして日が暮れた苫小牧にいた。
宿に入る前に給油と食事を済ませようとガソリンスタンドに寄っていたのだ。

「観光客向けでなくていいんです。みなさんが普段行かれている美味しいお店であれば」
「それなら、ここの近くの”浜ちゃん”ってお店が美味しいよ」
「あそこは魚屋さんだから美味しい魚料理を出してくれるよ」
なんだ、美味しいものはないって言いながら実はあるんじゃないか。謙遜しちゃって。と思いつつ、お礼を述べて出発した。

ガソリンスタンドから5分ほどで到着した居酒屋「浜ちゃん」





店に入るとファンキーなおかみさんが「いらっしゃい!」と明るく迎えてくれた。
店内は6名ほど先客がおり、ゆっくりと飲んでいる。

私はバイクなのでノンアルビールをお願いして、料理はおまかせでお願いする。





すると出てくる出てくるお通しの山!





おかみさんのお話も面白くて、写真を撮り忘れるほど楽しい時間を過ごす。
料理も地物の刺身の盛り合わせ、時知らずの浜焼きなど美味しいものが次々に出されてくる。







苫小牧でこんなに美味しいものが食べられるなんて。
紹介していただいたガソリンスタンドのおばちゃんに感謝だ。

他のお客さんともソーシャルディスタンスを保ちながら楽しく語る。
気がつくと9時前になっており、他のお客さんは帰路に。
私も宿に向かうことにする。
最後におかみさんたちと記念撮影をお願いする。





※撮影のときだけマスクを外してもらいました。

ありがとうございました。
おかみさんたちに見送られながら出発した。

浜ちゃんから今宵の宿の東横インまでは10分ほどの距離なのだが、夜に走ると長く感じる。
宿に到着しチェックイン。
担当してくれた方が、「どうしても鍵がかからない」時に、対応してくださった方だった。
「お久しぶりです。鍵は直りましたか?」と声をかけると苦笑いされるだけであった。
チェックイン完了。荷物を部屋に上げてそのまま眠りにつくのであった。

19日目に続く。


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最終更新日  2022年12月13日 11時54分32秒
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