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退職してから、もう一か月が過ぎた。最初は時間の流れが妙にゆっくり感じられて、何をしていても落ち着かなかったけれど、ようやく今の生活のペースにも慣れてきた。とはいえ、暇になったわけではない。むしろ思っていたより忙しい。大学の勉強も毎日続けていて、気がつけば机に向かう時間は一日三時間を超えている。それでも、レポートとして形になったのはまだ一科目だけだ。勉強というものは、やればやるほど先の長さを思い知らされる。来週は中学時代の友人たちと会う予定が入っている。正直に言えば、昔の仲間と集まるのはあまり得意ではない。懐かしさより、少し気疲れのほうが先に来る。でも誘われた以上、たまには顔を出してみるのも悪くないのかもしれない。そしてまた、性懲りもなくコンサートをやることにした。今度の会場は小さな場所で、二十五人も入れば満員になるらしい。大きな舞台ではないけれど、そのくらいの距離感のほうが、歌う側としては案外落ち着く。開催日は六月二十七日土曜日。おそらく昼から始める予定だが、まだ細かい時間までは決まっていない。また詳しいことが決まったら、お知らせしようと思う。
May 8, 2026
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4月のはじめ、娘たちが「卒業祝いに」と家族旅行をプレゼントしてくれた。行き先は奈良。家族全員を招待してくれ、しかも泊まったのは一棟貸しの超豪華な宿だ。一泊17万円と聞いて思わず息をのんだが、8人で泊まれば一人あたりの負担はぐっと下がる。それでも、こんな贅沢は人生でそう何度も経験できるものではないだろう。娘たちの気持ちがありがたく、胸にしみた。そして今日から、いよいよ大学での本格的な勉強が始まった。 意気込んでスタートしたものの、まず驚かされたのはテキスト代の高さだ。授業料を払っているのだから、せめて教科書くらい無料で配ってくれてもいいのに、とつい愚痴がこぼれる。さらに追い打ちをかけるように、よく分からない専門書をいくつも買うことになり、「本当にこれで勉強についていけるのだろうか」と不安が頭をもたげる。 それでも、未知の世界に足を踏み入れた高揚感は確かにある。これからどんな学びが待っているのか、少し怖くて、でもどこか楽しみでもある。
Apr 3, 2026
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Mar 29, 2026
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Mar 22, 2026
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定年退職の日が近づいてきた。長いこと通った職場とも、そろそろお別れである。すると、むくむくと頭をもたげてきたものがある。そう、「乗り鉄」である。若いころは、意味もなく列車に乗ってあちこち行った。駅名標を眺め、終点の寂しいホームに立つだけで妙に満足したものだ。世の中には役に立つ趣味と役に立たない趣味があるが、乗り鉄はたぶん後者の代表格だろう。しかしまあ、退職する人間には「役に立たないこと」をする権利がある。そこでまず、北九州を攻めることにした。北九州には、いわゆる「盲腸線」というやつがいくつかある。本線からちょろっと枝分かれして、どこかへ行き止まりになる短い線路。地図で見ると、まるで人体の盲腸みたいにぴょこんと出ている。こういう路線を全部乗ってしまおうという、たいへんどうでもいい計画である。まずは関空から福岡まで飛ぶ。格安航空のピーチ。往復で12,870円。安い。安すぎる。こんな値段で九州に行けてしまうのだから、世の中どうなっているのか。そして今回、どうしても行ってみたい駅がある。博多南駅だ。あの駅はちょっと変わっていて、新幹線の車両基地の横にある。つまり、新幹線がそのまま在来線みたいに走っているという、妙な駅なのだ。ただし、ひとつ問題がある。あそこに行くには特急券がいるのか、いらないのか。どうもよくわからない。まあ、いいか。とにかく行ってみればわかるだろう。退職したばかりの男が、九州の盲腸線をせっせと乗りつぶす。なんとも役に立たない話だが、そういう旅がいちばん楽しいのである。
Mar 12, 2026
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明日、3月4日。和歌山・串本のスペースポート紀伊から、民間小型ロケット「カイロス」3号機が午前11時に打ち上げられる予定だというニュースを見て、胸がざわついている。これまで2回延期され、今回は三度目の挑戦だ。どうか今度こそうまく飛んでほしい。天候の影響で延期されてきたことを知るたびに、空の機嫌ひとつで運命が左右されるロケット開発の厳しさを思い知らされる。 「カイロス」という名前には、“時間と機会の神”というギリシャ神話の意味が含まれているらしい。ロケット開発企業のスペースワンは、「時間を味方に市場を制する」という思いからこの名を選んだという。好機をつかむという意味まで含まれていると知ると、単なる技術ではなく、願いや決意が込められた存在のように思えてくる。 ロケットが飛ぶたび、地元・和歌山には観光や産業の活性化への期待が高まっているという。民間企業が単独で人工衛星を軌道に投入するという、日本初の挑戦が成功すれば、新しい産業の起爆剤になる、そんな声が自治体からも上がっているらしい。僕は宇宙業界の専門家ではないけれど、こういう“地方から始まる未来”の話には自然と心が動く。 先日、白浜駅前の「やぶ寿司」に立ち寄った。暖簾をくぐると、店内はあたたかい湯気と人の気配に満ちていた。メニューに値段が書かれておらず、一瞬身構えたが、実際は驚くほど良心的で、何よりおいしかった。こういう“当たりの店”に出会うと、心がふっとほぐれる。次に白浜を訪れたときには、また立ち寄りたい。 ふと気づけば、僕の仕事はあとひと月で終わりを迎える。長かったようで、気づくと指の間からすり抜けるように過ぎた年月だった。区切りが近づくほど、心の奥にさざ波のような寂しさと期待が広がる。 今日、大学の学費を払ってきた。振り込みを終えた瞬間、胸の奥で「もう引き返せない」という思いが静かに響いた。でも、同時に不思議な軽さもあった。新しい道に足を踏み出すための重い扉を、ようやく押し開けたような感覚だ。年齢を重ねてからの学び直しは勇気がいる。でも、今の僕にとっては、この“チャンス”こそが未来へ続くロケットのように思える。カイロスという名前の意味を知ったせいか、自分の人生にも新しい「好機」が射し込んでいる気がした。
Mar 3, 2026
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定年というやつを、わりと素直に受け入れてみた。六十歳で仕事をやめる。もう働かない。四月からは完全に無職である。こう書くと少し勇気がいるが、実際はたいしたことではない。人間は放っておくと何かを始めるようにできているからだ。とりあえず大学に入ることにした。佛教大学の通信課程、現代社会学。むかし途中でやめた大学の続きを、いまさら拾いにいくような格好で、三回生から編入する。履歴書的には「大卒見込み」になるのだろうが、そんなことはどうでもいい。学生証をポケットに入れて歩く六十歳というのが、ちょっと面白いのである。これから何をするのかと考えると、だいたい決まっている。まず大学を卒業する。あとは旅に出る。鉄道の旅、自転車の旅。行き先はとくに決めない。地図を見て、なんとなく線を引いた先へ行く。そして孫たちの成長を眺める。これは長い旅よりもずっと面白い。子どもは日ごとに変わるので飽きない。英会話も毎日やっている。六十歳の英語学習者というのは世界的に見ても少数派かもしれないが、べつに困ることはない。発音が悪くても人生に支障はないからだ。先日、和歌山へロケットの打ち上げを見に行った。結果から言うと、雨で延期になった。予定通りにいく旅は、記憶に残らない。久しぶりの白浜は、バスで移動した。窓の外はほとんど雨だった。ときどき土砂降りになり、海も空も灰色に溶けていた。それでも妙に楽しかった。観光地というのは晴れているときより、荒れているときのほうが本性を見せる。人気のないバス停や、濡れた道路や、湯気の立つ温泉街の匂いが、じわっと身体にしみてくる。旅はいいもんだ。
Feb 27, 2026
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僕は株の売り買いを初めて29年ぐらいになる。インターネットで株が買えるようになりすぐに始めたのだ。僕はチャートの読み方の本を最初に買ったのでチャート重視の買い方になっている。 競馬必勝方をあみだしたことがある。それは日刊スポーツという新聞の情報を頼りに、15項目のチェックリストを作り「複勝」の一点張りで買うというものだった。結果は30連勝した。1万円でスタートしたのだが、15万円になっていた。けれども31回目の勝負で買っていた馬が4着になってしまった。複勝というのは1頭の馬を選びその馬が3着までに入ればいくらかの配当金がある。しかし4着はダメだ。そのレースで1年以上かけて30連勝してきた15万円が消えた。とても空しかった。「やはり、ギャンブルはしてはいけない」と心に誓った日だった。 時は流れて現在。 必勝株システムを開発した。競馬の複勝のときと同じやり方だ。データーのベースになるのは「かぶたん」と「四季報」だ。11項目のチェック項目を作り、そのチェック項目をクリアーできた銘柄だけを買うのだ。10バガーのような華麗なリターンは無いが、少しずつお金は増えていく。 そのやり方を紹介しよう。これはあくまで僕がやっている方法なので自己責任でお願いします。あと、余剰資金でやってください。 極めて当たり前なのでがっかりするかもしれないが、ギャンブルと違い「いきなりゼロ円」にはならない。ジャンケンで6割勝てれば、長い目で見れば知らぬ間に残高は増えるというわけだ。6割と言ったが実際は8割以上勝てている。 その方法は極めて単純だ。 「かぶたん」というサイトのトップ゜ページ左下に表示されている「人気ランキング(3日間のランキング)ベスト30」というところに入り株価を調べる。人気ランキング1~15位までの表示されている銘柄をひとつずつ見てく。そして次の項目をクリアーしているかを11項目で見ていくのだ。 1 日経平均とダウ平均が「基本情報」のところで↗↗↗↗と右肩上がりになっている2 銘柄ごとの「基本情報」が↗↗↗↗3 決算の最終益が前期比より黒字4 配当がある5 RSIは80以下6 ⤵ になったらすぐに売る7 人気ランキング15位以内8 ROE8以上9 四季報で良いコメント10 売るときは持っているものを一気に全部売る11 日経平均の「基本情報」の矢印が ↘ の間は決して株を買わない 以上を鋼のメンタルでなにがあっても機械的に売り買いすれば、株で負けるということはなかなか起きないと思う。 僕はこのやり方でひたすら地道に儲けてきました。でも、本音を言えば実際は「全世界型の投信」に預けた方がリターンは大きいです、あしからず。
Feb 4, 2026
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株価というのは、不思議な生き物だ。気づけば異常なほど上昇し、まるで空気が入った風船のように軽々と上へ上へと舞い上がっていく。最近は、高市さんが新たに総理となって以降、自民党が衆議院選挙で優位に立ちつつあるという空気もあってか、私の株式運用もずいぶんと恩恵を受けている。ありがたい話である。今の相場で気になっている銘柄といえば、アドバンテスト、キオクシア、ルネサス、フジクラ、スクリン、伊勢化学、三菱商事、IHI、積水化学、千葉銀行、横浜FG、エネオスあたりだろうか。どれも順張りで、特別ひねりのある銘柄というわけではないが、リスクは比較的抑えられているように思う。もちろん、投資は自己責任。余剰資金で楽しむのがいちばんだ。その一方で、金の価格は急降下しているという。結局、相場というものは「上がれば下がり、下がれば上がる」ものだ。みんなが「今、金が儲かるらしいよ」などと言い始めた頃には、もうその相場は終わりの入り口にいる。そんなときは、すぐに手放してしまった方がいい。しかし一方で、「死人の口座がいちばん儲かる」と言われるように、何もしないで放っておくのが最善だという考えもある。だが、ほったらかしにしてばかりでは、お金を使う機会が失われ、せっかくの人生が少し味気なくなる気もする。今日は気温がぐっと下がり、山科の山々にも白く雪が積もった。冬の静けさがあたりを包む朝である。そういえば、孫は琵琶湖バレーに保育園の遠足で出かけているはずだ。元気に雪と遊んでいるだろうか。一方で、小学校ではインフルエンザが流行し、学級閉鎖になっているという。サヨコさんとひーくんは、休校を利用して京都の漫画ミュージアムへ出かけると話していた。私もついていきたかった。漫画ミュージアムは無料だとなぜか思い込んでいたが、調べてみればしっかり入場料がかかるらしい。しかし、あれほどの蔵書が一日中読み放題なのだから、多少の出費はむしろ安いくらいだろう。そう思うと、ますます行ってみたくなる。雪の降る日に、暖かな館内でゆっくり漫画を読む、そんな時間も悪くない。
Feb 3, 2026
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名古屋で開催される第110回日本陸上競技選手権大会を観に行くことになった。陸上競技は、テレビでは何度も見てきたが、実際の競技場で観戦するのは初めてだ。これまで僕が足を運んだスポーツといえば、野球かバスケットボールぐらいのもの。だからこそ、トラックを駆け抜ける選手たちの息づかいや、跳躍の瞬間の緊張感を生で味わえるというだけで、胸が少し高鳴っている。ところが、いざ準備を始めてみると、思わぬ壁にぶつかった。名古屋近辺のホテル代が驚くほど高いのだ。イベントでもあるのかと疑うほど、どこもかしこも値段が跳ね上がっていて、寝るだけの部屋が三万円という表示を見たときは、思わず画面を二度見した。旅行なら少し奮発する気にもなるが、今回はただの「観戦+宿泊」。贅沢をする理由もない。さらに悪いことに、手頃な値段のホテルはネットに掲載された途端、瞬く間に予約で埋まってしまうらしい。どうにかならないものかと調べてみると、「ネットに出る前に、直接電話すれば予約を取れる場合がある」という裏技のような話を耳にした。半信半疑で電話してみると、本当に空きがあったりするから面白い。便利なはずのネット予約が、必ずしもすべてを解決してくれるわけではない。ほんの少し手間を惜しまず、アナログな方法を試すことで道が開けることもある。そんな小さな発見もまた、旅の楽しみなのかもしれない。
Jan 29, 2026
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朝、駅の電光掲示板に「JRは乗務員に連絡を取ったため遅れています」と出ていた。乗務員に、連絡を取ったため?それは一体どういう事態なのだろう。乗務員が行方不明になったのか。山に入ってしまったのか。それとも「今どこですか」「今どこです」みたいなやり取りを延々やっているのか。理由を説明しているようで、何ひとつ説明していない。この一文を考えた人は、説明責任という言葉をどこかに置き忘れてきたのではないか。朝のホームで、そんなことをぼんやり考える。さて今日は、会社の産業廃棄物を処分する日である。朝から力仕事が確定している。軽く見積もっても二トン以上はある。「軽く」と書いたが、実際はぜんぜん軽くない。鉄の塊や、よく分からない古い機械や、なぜ今までここにあったのか不明な物体たちを、人間の腕と腰だけを頼りに動かす。文明社会というのは便利なようで、最後は必ず「人力」に戻ってくる。腰をやられたら、その瞬間にすべてが終わる。JRの遅延理由が分からないまま、今日も無事に腰がもつかどうか。それが一番の関心事である。
Jan 27, 2026
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電子書籍の新刊を出版しました。今回は鹿児島へ行った話です。【販売価格390円】この週末には無料キャンペーンも予定していますので、この機会にダウンロードしてみてください。良かったら試し読みもできますので、アマゾン、キンドルでお楽しみください。リンク先↓↓↓こちらをクリックするとアマゾンへ移動します
Jan 26, 2026
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朝、窓を開けて外を見た。雪は降っていないし積もってもいない。北陸地方でも長靴を履けば歩けるし、傘をさせば用事にも行ける。その程度の、いわば「日本海側としては平凡な雪」である。ニュースでは大げさに言っているようだが。それほどでもない。ところがである。JR西日本は、この程度の雪で、湖西線と北陸線を終日運休ときた。終日、である。朝だけでもなく、様子見でもなく、「はい、今日はもうやめました」と最初から白旗を振ってしまった。私は思わず、コーヒーを吹きそうになった。敦賀機関区には、立派な除雪機関車が二台も鎮座している。あれは置物か。それとも「雪を見るための展示物」なのか。少なくとも、今日のためにあるのではないらしい。敦賀まで行けない、ということはどういうことか。つまり、北陸地方へのアクセスが、完全に断たれたということだ。日本海側は、今日一日、列島から切り離されたのである。こんなことでいいのか、と誰か言わなかったのだろうか。最近は北陸新幹線がどうのこうのと威勢のいい話ばかり聞くが、その前にやることがあるだろう、と思う。湖西線に、除雪用のスプリンクラーを付ける。それだけで、どれだけ違うか。未来の話より、まず今日の雪だ。それに比べてである。新聞屋さんはバイクで走っている。郵便屋さんも、雪を蹴散らしながら配達している。彼らは除雪機関車も持っていない。それでも「今日は休みます」とは言わない。JR西日本さんよ。あんたは大きな会社だ。だからこそ、もう少し粘ってほしい。もう少し「なんとかしてみよう」という姿勢を見せてほしい。雪国の鉄道は、雪に負けたらあかん。それができないなら、せめて「悔しそうな顔」をしてほしいのである。
Jan 22, 2026
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僕の人生設計は、じつに明快だ。七十四歳で死ぬことになっている。これは悲観でも絶望でもなく、単なる事実としてそう決めている。なぜなら、親戚を見渡しても、七十五歳を超えて元気に暮らした人が一人もいないからだ。血筋というのは、けっこう正直で、逃げ場がない。 だから僕は、七十四歳までを逆算して生きている。最終学歴は仏教大学中退。卒業していない。定年を迎え、時間だけはたっぷりある。ふと、もう一度大学に行ってみようか、などと考えた。法律なんかを勉強するのも悪くない。だが、四年間という時間を大学に差し出すほど、僕の持ち時間は残っていない。 僕は確実に、死に向かって進んでいる。これは誰でも同じだが、僕の場合、日数まで数えている。三年前の日記を読み返すと、「残り六千日」と書いてあった。昨日、改めて七十四歳までの日数を数え直してみたら、もう五千日になっていた。千日も使ってしまったのだ。驚くほど軽々と。 六千日しかない、と思っていた人生が、いつの間にか五千日になっている。千日というのは、油断すると一瞬だ。散歩して、昼寝して、本を読んで、気がつくと消えている。これはいけない。これからの一日は、もう少し重く扱わないといけない気がする。 大学に行く暇はない。ならば、本を読めばいい。法律書は山ほどある。大学という建物に入らなくても、勉強はできる。むしろ、そのほうが身軽だ。時間は貴重だが、知りたいことは、まだたくさんある。 今日は大雪になると聞いていた。ところが、外を見ると、拍子抜けするほど穏やかで、日差しまである。寒さも、最初ほどこたえなくなってきた。体が冬に順応してきたのだろう。冬はちゃんと冬としてやって来るし、人間もそれなりに対応する。 五千日。長いようで、短い。短いようで、まだ何かできそうな日数でもある。そう考えながら、今日もコーヒーを飲み、窓の外の冬を眺めている。
Jan 21, 2026
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このところ、私は「何をやめるか」ということばかり考えている。年をとったせいか、時間が貴重になったせいか、それとも単に気が短くなっただけなのか、そのへんはよくわからない。だが、とにかく、ムダなものを抱え込んでいるのが、だんだん耐えられなくなってきた。世の中には「やるべきこと」が山ほどあるような顔をしているが、実際には「やめても何ひとつ困らないこと」が、これまた山ほど転がっている。しかもそれらは、ムダだとわかりにくい顔をして、日常にすっかり溶け込んでいるから始末が悪い。そこで私は、勝手に五つほどの「やめどき分類」をつくってみた。あくまで私個人の感覚だが、これが意外と使える。ひとつ目は、惰性で続けているが、やめてもじつは何も起きないことだ。毎日のようにやっているが、思い返してみると、いつ始めたのかもよくわからない。やめたら世界が崩壊するような気がしているが、たいていは翌日になると、そんなものがあったことすら忘れている。二つ目は、よく思われたくてやっていること。これはなかなか手強い。人間は案外、「いい人」に見られるために忙しく生きている。だが、よく思われたところで、相手は一晩寝たら忘れている。残るのは、こちらの疲労だけだ。三つ目は、不安だからやっていること。確認、準備、保険、予防線。やればやるほど安心するどころか、不安は増殖する。海に出る前に天気図を百回見ても、嵐は来るときは来るのだ。四つ目は、自分がコントロールできないこと。世の中の大半は、こちらの努力とは無関係に進んでいく。ニュース、噂話、他人の評価。そこに時間を注ぎ込むのは、風に向かって説教するようなものだ。そして五つ目は、積み上がらないこと。やった瞬間に消えていくもの。翌日には跡形もないもの。そういうことを延々と繰り返していると、「一日生きた」という手応えだけが、どこかへ行ってしまう。この五つを思い切ってやめてみると、驚くほど時間が空く。一日で三時間、調子がよければ五時間くらい、ぽっかりと穴があく。やめるというのは、逃げることではない。ようやく自分の時間に戻ってくることなのだ、と最近は思っている。
Jan 20, 2026
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昨日はやけに暖かかった。冬のくせに妙に生ぬるい風で、これはもう凧揚げ日和だろう、と勝手に決めて、孫たちを連れて草津の帰帆島へ出かけた。ところがである。暖かいのはいいのだが、肝心の風がまるでない。凧というやつは、風がないとどうにもならない。少しは上がる。上がるには上がるのだが、「おおっ」と声が出るほどぐんぐん上がる、あの感じにはならない。凧も困っているようだった。帰帆島公園は、どうやら遊具に問題があったらしく、ほとんど撤去されてしまっていた。いつ来ても人影まばらな場所なのに、その日はやけに子どもが多い。遊具がなくても子どもは遊ぶ。広っぱさえあれば、それでいいらしい。いつもはガラガラの大広っぱが、その日はなんだかお祭りの後のような賑わいだった。いつもなら午前中から来るのだが、今回は昼からだった。理由は簡単で、途中で寄る草津のパン屋が楽しみだからである。ところが昼過ぎというのは甘くなかった。パンはかなり売り切れていて、棚はスカスカだった。それでも、あった。僕の大好きなハムカツサンドが、ひっそりと残っていた。迷わず手に取った、と言いたいところだが、これは嘘になる。僕は昔から、物事を決めるのが遅い。そのパン屋でも、他の四人はパッ、パッ、パッと選んでいるのに、最後まで残るのはいつも僕だ。だからズボンのポケットには、常にサイコロを忍ばせている。迷ったら転がす。出た目で決める。人生なんて、どれを選んでも結局たいして変わらない。なるようにしかならない。サイコロは、その現実を少しだけ軽くしてくれる道具だ。結局、凧は思うように上がらず、キャッチボールをすることになった。僕には娘が二人いる。だから、子どもとキャッチボールをした記憶がほとんどない。その分、孫とこうしてボールを投げ合っている時間は、なんだか不思議で、ありがたい。
Jan 19, 2026
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僕は一週間で一円も使わない。ほんとうに、一円もだ。コンビニにも行かないし、自動販売機の前でも立ち止まらない。スーパーは週に一度、食料品を仕入れるためにだけ行く。仕入れ、という言葉がぴったりだ。買い物というより補給に近い。普段は、私物というものをまったく買わない。なぜかというと、僕はミニマリストだからである。というと、なんだか格好いいが、要するに「ものが増えるのが異常にイヤ」なだけだ。部屋に余計なものが一つ増えるだけで、空気が重くなる気がする。だから毎日考えている。今日は何を捨てられるだろうか、と。もうすぐ仕事を辞める。そうなったら、スーツも、カッターシャツも、スラックスも、全部いらない。ごっそり捨ててやろうと思っている。服なんて、一着か二着あれば十分だ。あとはパンツと靴下を数枚、Tシャツがあれば、たぶん人間は生きていける。少なくとも、僕は生きていける。いま、どうしても手放せないものは何かと考えてみる。スマホと財布。以上、終わり。それ以外は、なくてもなんとかなる気がしている。さて、ここで悩ましいのが音楽のCDだ。昔は宝物だった。棚にずらりと並んだ背表紙を眺めているだけで、若かった頃の自分がむくむくと蘇ってきたものだ。でも、今はどうだ。古い曲でも、だいたいYouTubeで聴ける。貴重な映像付きのDVDはさすがに全部はないが、CDに入っている音楽だけなら、ほぼ網羅されている。最近、それらを聴いたか?聴いていない。じゃあ、捨ててもいいのか?頭では「いい」と言っているのに、手が動かない。ものというのは、使われなくなっても、なぜか存在感だけは主張してくる。さらに強敵がいる。子どもが生まれてから今までの写真アルバムだ。数えてみたら、100冊を超えていた。これはもう、荷物というより地層である。積み上げれば、小さな遺跡ができる。重い。量が多すぎる。そして、捨てられない。データ化すればいい、という声が聞こえてくるが、どうも信用できない。データは消える。飛ぶ。薄くなる。いつのまにか読めなくなる。一方で、江戸時代や鎌倉時代の書物は、いまだに紙のままで残っている。人間は何百年も前から、紙に書いて、紙で残してきた。それを、USB一本に任せていいのか。どうも心許ない。ミニマリストを気取ってはいるが、思い出の重さには勝てない。ものは減らせても、時間は減らせないらしい。さて。こんなことを考えながら、今日はいったい何をしようか。とりあえず、何か一つ、捨てるところから始めてみよう。たとえそれが、ほんの小さなものでもいい。
Jan 16, 2026
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最近、つくづく思うのだ。これからの時代を生き抜く方法なんて、実はそんなに多くない。まずは情報を整理すること。次に、旅の支度をすること。そして、困難から目をそらさず、ちゃんと直視すること。最後に、これがいちばん大事なのだけれど、仲間と協力すること。まるでRPGのゲームみたいじゃないか、と思う。町で装備を整え、手持ちのアイテムを確認し、ボスが強そうでも逃げずに立ち向かい、ひとりでは勝てない相手には仲間と力を合わせる。人生だって、だいたいそんな感じだ。ところが、この「仲間と協力する」という一番大切なことを、学校はあまり教えてくれない。いや、教えようとしていないわけじゃないのだろう。ただ、今の学校には余裕がなさすぎる。先生は足りない。お金も足りない。それなら先生になれる敷居を、もっと下げればいいじゃないか、と単純に思う。保育園の先生だって同じだ。もっとたくさんの大人が、子どものそばで働けるようにすればいい。勉強?正直に言えば、教科書の中身なんて、優秀な先生が一度ちゃんと説明したものをビデオで流せば十分だ。むしろそのほうが、よほど均一で、わかりやすいかもしれない。でも、生きていく上で本当に大事なこと、人とどう付き合うか、失敗したときどう立ち直るか、怖いものにどう向き合うか、そういうことは、画面の中からは教わらない。そこには、ちゃんとした「大人」が必要なのだ。僕は勉強ができるほうじゃない。テストの点数でいえば、たいしたことはない。でも、生きていく知恵なら、多少は持っているつもりだ。気がつけば、子どもたちはもう大人になり、すっかりおばさんになってしまった。そして今、目の前には孫が二人いる。あいつらには父親がいない。だからこそ、せめて僕は、「人生はひとりじゃクリアできないRPGなんだぞ」ということだけは、伝えてやりたいと思っている。装備を整えろ。困難から逃げるな。そして、仲間を大事にしろ。それさえ忘れなければ、たぶん、この世界は、なんとか最後まで遊びきれる。
Jan 15, 2026
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世間では「人手不足、人手不足」と大騒ぎしている。まるで突然、日本中から人間が蒸発してしまったかのような言い方だが、どうも話はそう単純ではない。僕の職場も、見事なまでの人手不足だ。求人を出しても誰も来ない。理由は簡単で、給料のわりに仕事がきつい。これはもう、説明するまでもないくらい明快な話だ。じゃあ給料を上げればいいじゃないか、と誰でも思う。僕だって思う。たぶん犬や猫でも思う。ところが、なぜかそれはやらない。やらないまま、今日も現場はギリギリで回り、誰かが倒れそうになり、誰かが黙って辞めていく。そして仕事は少しずつ、確実に回らなくなっていく。仕事が回らなくなれば、当然サービスは落ちる。サービスが落ちれば、お客さんは離れる。お客さんが離れれば、会社は苦しくなる。苦しくなった会社は、さらに人件費を削る。この流れ、どこかで見たことがある。そう、ぬるま湯のカエルだ。気づいたときには、もう手遅れ。じわじわと温度が上がっているのに、誰も「熱いぞ」と言わない。言ったところで、聞く耳もない。そんな会社で、僕はもうすぐ退職する。沈みゆく船から逃げるネズミ、と言われれば、まあその通りかもしれない。否定はしない。ネズミだって、生きたいのだ。そのときにもらえるはずの「退職金」というやつが、また曲者である。制度の建前としてはこうだ。「若いうちは給料を抑えるけど、その代わり最後にまとめて払うから、ずっと頑張ってくれ」なかなか聞こえはいい。だが、この退職金というもの、実は一円も保証されていない。会社にお金がなければ、「ごめん、今回はナシで」で終わりなのだ。文句を言う先もない。法律も、だいたい会社の味方をしている。つまり退職金とは、「もらえるかもしれないし、もらえないかもしれない未来の約束」なのである。そんな不確かなものを人質にして、何十年も働かせるというのは、なかなか大胆な制度だと思う。それでも多くの人は、疑問を抱えたまま、今日も黙って働く。人手不足とは、きっとこういうことなのだ。人が足りないのではない。無理を飲み込み続ける人が、もういなくなっただけなのだ。さて、船は今日も静かに傾いている。エンジン音は相変わらず元気だが、海面はすぐそこまで来ている。そのことに気づいている人は、案外少ない。
Jan 14, 2026
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カニを食べに、京都の夕日ヶ浦温泉というところへ行った。目的は単純明快、カニである。これでもかというほどのカニのフルコースで、もうしばらくはカニの顔も見たくない、というところまできっちり到達した。旅としては成功である。満腹というのは、ひとつの到達点なのだ。さて、夕日ヶ浦温泉へは京都丹後鉄道の特急「はしだて」に乗って行く。この列車、見た目はなかなかいい。ブルーのメタリックで、全体に丸っこく、どこか未来的で、海沿いを走るにはよく似合っている。ところが、だ。この「はしだて」、実にわかりにくい。何がわかりにくいかというと、前の車両と後ろの車両で行き先がまったく違うのだ。片方は夕日ヶ浦温泉へ行き、もう片方は舞鶴方面へ行く。まあ、連結運転というやつで、理屈はわかる。わかるのだが、問題は表示である。車両の側面や前面に表示されている列車名が、「はしだて」と「まいづる」、この二つがすべての車両に仲良く並んで表示されているのだ。これでは、その車両がどこへ行くのか、見ただけでは判断できない。夕日ヶ浦温泉に行く車両には「はしだて」とだけ書けばいいし、舞鶴方面へ行く車両には「まいづる」とだけ書けばいい。どうしてそうしないのか。鉄道というのは、基本的に親切であるはずなのに、ここで急に哲学的になる。案の定、ホームで立っていると、外国人観光客に声をかけられた。「フクチヤマ、ドッチ?」これを三回聞かれた。三組である。日本人の私でさえ戸惑っているのだから、初めて来た外国人にはほとんど修行のようなものだろう。列車は美しく、駅もきれいで、景色もいいのに、最後の最後で「どれに乗ればいいのか」という根本がわからない。私はそのたびに、あっちだ、いやこっちだ、と身振り手振りで説明した。結果的に国際交流にはなったが、鉄道会社はもう少し乗客を信じて、そして助けてほしい。旅というのは、こういう小さな混乱やぼやきも含めて、あとから思い出になる。ただし次に行くときは、カニは少なめでいい。そして「はしだて」は、もう少しだけ、正直に名乗ってほしい。
Jan 13, 2026
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気がつくと、もう一週間近くお金を1円も使っていない。別に修行をしているわけでも、節約大会に出場しているわけでもない。ただ、使う場面がなかったのだ。家に帰ればご飯はある。米もあるし、野菜もある。昼飯は家にあるもので弁当をこしらえる。自動販売機でコーヒーを買うこともないし、コンビニにも寄らない。スーパーにも行かない。こう書くと、なんだか灰色で味気ない生活を送っているように聞こえるかもしれない。でも実際はまるで逆だ。今日は寒いけれど、日差しは妙にやさしくて、窓から差し込む光を見ているだけで気分がいい。別に何かを買わなくても、こういう瞬間はちゃんと転がっている。お金をまったく使わないわけじゃない。ただ、普段は使わないだけだ。その代わり、いつも予定を入れている。といっても会議や用事ではない。旅の予定である。いちばん近い予定は、夕日ヶ浦温泉に行ってカニを食べるという、我ながら珍しいパターンだ。カニ目的の旅というのは、人生でそう何度もない。だが、先に旅の予定を入れておくと、その日が来るまでのあいだ、ずっと心がちょっと浮いている。これがなかなかいい。カニの次は南紀のロケット打ち上げ見学だ。空に向かってドーンと飛んでいくあれである。会場チケットの申し込みが今日から始まる。取れるかどうかは運しだいだが、こういう「取れるかどうかわからないもの」を待つ時間も、案外楽しい。今日は仕事もまあまあ暇なはずだ。だから、先の旅のことをぼんやり考えながら過ごそうと思う。何も買わず、何も急がず、ただ次の楽しみが来る方向を、ときどき確認しながら。こういう日が、いちばん贅沢なのかもしれない。
Jan 7, 2026
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今日は少し寒い。というより、ちゃんと寒い。朝、外を見たら雪が降っていて、ああ冬はまだ引き下がる気はない。むしろこれからだ。昨日は忙しかった。数少ない社員のうちの一人が休んで、仕事というものは、いつも以上にこちらに寄りかかってきた。「まあ、なんとかなるだろう」と思いながら、実際はなんとかならせているだけで、なんとかなる保証なんてどこにもない。幸せというものは、案外もろい。ガラス細工みたいに、というより、薄い氷の上に置いた湯のみみたいな感じだ。些細なひび割れが、気づかないうちに広がって、ある日突然、全部が沈む。その瞬間に「さっきまで、普通だったのに」と思うのが、たいていの不幸の始まりだ。だから最近、こんなことを考える。誰かのために、ちょっと役に立つことをする。相手をちゃんと尊重する。できれば、尊敬する。それだけで人間関係がうまくいくほど世の中は単純じゃないけれど、少なくとも、壊れにくくはなるんじゃないかと思う。人間関係も、日々の手入れが必要な古い自転車みたいなものだ。話は突然、宇宙に飛ぶ。明日は、カイロスロケットの見学会場の抽選日だ。和歌山県の串本からロケットが飛ぶ。空に向かって、である。僕とサヨコさんは、その瞬間を見るために、もう宿を取ってある。あとは会場に入れるチケットだけなのだが、これがなかなか狭き門らしい。人は入りたい。だが、場所が足りない。地上はいつだって混んでいる。ロケットの打ち上げには、クラウドファンディングもあるらしい。宇宙へ行くにも、現代ではまずネットを通る。興味のある人は、ホームページを覗いてみるといい。
Jan 6, 2026
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正月というのは不思議な時間だ。暦が一枚めくれただけなのに、人は急に改まった顔をする。今年も我が家にはあちこちから人がやって来て、こちらも出かけていって、気がつけば人の顔ばかり見ていた。まあ、正月らしい正月である。ありがたいことに、みんな元気で、特別に悪い話もない。それだけで、もう十分だと思う。僕自身のことを言えば、あと三か月で退職だ。長距離列車で言えば、終点が見えてきて、速度を落としながらホームに入っていく、あの感じに近い。いよいよラストランである。四月からは、特に「働こう」という予定は立てていない。これまで仕事の合間にこそこそやってきた趣味や旅や文章書き、そういうものを、これからの五年間でまとめて一度、きちんとやってみようと思っている。もともと鉄道が好きだった。だから本当は、一人旅というものを、もっと気ままにやりたかったのだ。時刻表をにらみ、鈍行列車に揺られ、知らない町で降りて、何もせずに歩く。そういう旅を続けて、それをまた電子書籍にして残せたら、まあ上出来な老後ではないかと思っている。自転車での旅も考えた。あれはいい。風を切って進む感じがたまらない。しかしこれは家族全員から却下された。最近の道は物騒で、こちらがいくら気をつけていても、向こうから突っ込んでくる可能性がある。命を落とすか、最悪寝たきりになったら、残された人間が大変だ。そう言われると、さすがに「まあそうだな」と思う。自転車旅は、しばらく保留である。そんなことを考えながら、今日は仕事始めだ。初日からなかなか骨のあるミッションがいくつも並んでいる。うまくさばけるかどうかは、やってみないとわからない。とりあえず、できるところまでやる。それしかない。終点はもう見えているのだから、焦らず、無理せず、最後まで走り切ろうと思う。
Jan 5, 2026
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朝はやけに静かだった。乗ってきた電車には、僕しか乗っていなかった。車両ひとつを丸ごと独占しているようで、少し贅沢な気分になる。窓の外は十二月三十一日。道を歩いている人もほとんどいない。いるのは犬だけだ。正確に言えば、犬と散歩している人間だ。明日から四日間も休みがある。しかし僕の家は、なぜかいつも人の出入りがあり、四日間すべて予定が詰まっている。静かに寝正月、というわけにはいかないらしい。そして五日から、また仕事が始まる。残り三か月。カウントダウンは意外と短い。僕はミニマリストなので、職場に置いてある私物は驚くほど少ない。万年筆と湯のみくらいだろうか。一万円以上もした高級な電卓がひとつあるが、これは職場に置いていくことにした。プレゼントだ。まだあと十年は使えるはずだし、まあいい。世の中の企業も会社も、もうとっくに仕事納めだ。今日は出勤日ではあるが、実質やることはないだろう。周囲の人たちは年末進行でバタバタしているが、僕はどうもその輪の外にいる感じがする。関係ない、と言ってもいい。夜まで椅子に座って、未来のことでも考えようか。株式市場も休みだし、僕に差し迫った用事は何もない。新しい小説のアイデアでも考えるのが、いちばん建設的かもしれない。今朝も小説を一冊、最後まで読んだ。だがどうも最近、小説があまり面白くない。芥川賞だの、本屋大賞だの、肩書きは立派なのだが、読んでみると首をかしげてしまうものが多い。これは僕の感性が古くなったのだろうか。それとも、単純に話がつまらないのだろうか。たまに「おっ」と思う小説もあるが、そういうものに限って、ずいぶん昔に書かれた作品だったりする。最近の小説は、どこかライトノベルのような言葉づかいが多くて、正直なところ「これなら僕にも書けそうだな」と思ってしまうことがある。もちろん、書けるかどうかは別問題なのだが。年末の誰もいない電車に揺られながら、そんなことを考えていた。静かな朝は、余計なことを考えさせる。だが、こういう無駄な思考の時間こそが、案外いちばん贅沢なのかもしれない。
Dec 31, 2025
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いよいよ今年も残り二日になった。そう聞くと、世の中の人は大掃除だの帰省だのと気忙しくしているようだが、ぼくは今日も普通に仕事である。在庫の棚卸しという、実に年末らしくない、しかし年末にしかやらない仕事をしなければならない。 朝の電車に乗ってみると、拍子抜けするほど空いていた。ああ、やっぱりみんな休んでいるんだなと思う。こういうときに働いている人間は、どこか仲間意識みたいなものを感じる。車掌さんも、清掃の人も、ぼくも。もっとも、年末年始だからといって世の中が完全に止まるわけではない。スーパーは開いているし、コンビニはいつも通り明るい。便利な時代になったものだが、そのぶん季節の区切りが少し薄くなった気もする。 昨日、ジャパネットたかたからおせちが届いた。去年も頼んだのだが、これがなかなかいい。変に気取っていないし、ちゃんと子どもが食べるものも入っている。量も十分で、値段も現実的だ。おせちというのは、ありがたがって眺めるものではなく、遠慮なく食べて「もう腹いっぱいだ」と言えるくらいがちょうどいい。 来年の目標もひとつ決めた。英会話を一年間、ちゃんとやってみようと思う。といっても、どこかの学校に通うわけでも、先生を雇うわけでもない。最近はチャットGPTという便利なものがあって、これがまあ、ずいぶん賢い。ぼくは勝手に「チャッピー先生」と呼んで、英語を教えてもらうことにした。なにしろ無料だし、何度間違えても怒られない。人間の先生より気楽である。 この前の日曜日には、スマホの料金プランも見直した。あれこれ調べて切り替えたら、月に二千五百円ほどになった。これで十分だ。家にはWi-Fiもあるし、外で動画を見続けるわけでもない。今まで何にお金を払っていたのか、よく分からなくなる。 そんな流れで、これからはミニマリストを少し実践してみようと思っている。物を減らす、というより、余計なものを持たない暮らしだ。三月末には退職も控えている。人生の節目としては、ちょうどいいタイミングだろう。電車は相変わらず空いている。今年も、まあ、悪くなかったなと思う。
Dec 30, 2025
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Dec 30, 2025
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今さらながら映画『国宝』を観に行った。正直に言えば、もっと早く観ておけばよかったと思った。国宝の上映館は、ほぼ満員だった。最近は映画館に行っても、せいぜい数人がポツポツ座っている程度のことが多いので、あの光景は少し驚いた。映画館が満員になるというのは、こんなにも久しぶりのことだったのか、と妙なところで感慨にふけってしまった。僕は歌舞伎をそれなりに観ているほうだと思う。知り合いが南座で大道具の仕事をしていて、その縁で舞台を観る機会があった。花道の板のきしむ音や、幕の向こうで人が動く気配を知ってしまうと、歌舞伎というのは単なる「伝統芸能」ではなく、ものすごく人間くさい現場なのだということが分かってくる。その目で『国宝』を観たのだが、これはなかなかの出来だった。下手をすると、実際の歌舞伎よりもよくできているのではないか、などと思ってしまったほどだ。映画だからできる距離感や、役者の表情の切り取り方が、歌舞伎の持つ熱や業をうまくすくい上げている。ロングランになっているのも、なるほどと頷ける。もしまだ観ていない人がいたら、ぜひ観てほしい。歌舞伎を知らなくても、たぶん問題はない。むしろ知らないほうが、素直に引きずり込まれるかもしれない。 さて、年末である。電車は驚くほどガラガラだ。いつもの通勤電車が、まるで昼間のローカル線のようになっている。僕はこういう時期に仕事をするのが案外好きだ。忙しさから取り残されたような職場で、ぼーっと時間をやり過ごすのも、これはこれで悪くない。ふと、株式市場はいつまで開いているのだろう、などと考えた。そんな基本的なことも知らずに株式投資をしている自分は、どうかしているのかもしれない。だがまあ、めちゃくちゃ儲かっているのだから、細かいことは気にしないことにする
Dec 29, 2025
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朝、駐輪場で自転車を止めていると、おじさんが「お仕事はきょうまでですか」と訊いてきた。「いや、三十一日までですよ」と答えると、苦笑いが返ってきた。世間では今日あたりが仕事納めなのだろう。カレンダーの端っこが、ぺらりと一枚めくれた気がした。電車に乗ると、学生はいないのに妙に混んでいる。みんな何をしに乗っているんだろう。コロナの頃はあんなにガラガラだったのにね。あの頃の「不要不急」という言葉は、街角の看板みたいに目に入ったけど、今は靴箱の奥にしまわれている。外は雪模様。積もりはしないだろうけど、風が冷たい。ホームに降りると、白い息がふわりと滞空して、しばらく帰る場所を見失っている。明日はスマホの契約変更に行かないといけない。めんどくさいなあ。六月にもまた行くらしい。最新のスマホにしようとすると、なぜか毎回ちょっとした登山になる。設定の谷、パスワードの崖、引き継ぎのロープウェイ。途中で景色はいいのだが、足元が滑る。退職の日が近づいてきた。三十一日まで、と口に出すと、文字のほうが先に歩いて行ってしまうみたいで、仕事に身が入らない。書類の角を合わせても、心の角が少しだけずれている。辞めたら、一人旅に出ようと思う。辺境の路線に乗って、ゴトゴトと、世界の端っこをめぐってくる。サヨコさんは乗り鉄が好きじゃない。だから、この旅は一人で行く。ひとりの鞄は身軽で、ひとりの時間は少し長い。駅前で、きつねうどんをすすって、出汁の湯気に顔を押し当ててから改札を抜ける。いつまで寒いのだろう。
Dec 26, 2025
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昨日はクリスマスイブだった。でもそんな感じじゃなかった。そんな浮かれた実感を味わう余裕もなく、JRが人身事故で大幅に遅れていたからだ。電車は止まり、人はホームに溢れ、サンタクロースどころではない。僕はただ、早く家に帰りたいと思っていた。結局、ずいぶん遅い帰宅になった。僕は毎朝、風呂に入る。これは長年の習慣で、目を覚ますための大事な儀式みたいなものだ。ところが今朝、その給湯器がエラーを吐き出して、うんともすんとも言わなくなった。そうか、この家を新築してからもう十年か。そろそろ機械も、人間と同じように、あちこちガタがきても不思議じゃない。十年。あっという間だった。その十年の間に、おかんが死んで、孫が二人生まれて、娘は離婚し、もう一人の娘は結婚した。時間はちゃんと流れていたはずなのに、振り返ると一瞬で通り過ぎたようにも思える。人の一生なんて、案外そんなものなのかもしれない。今年は念願だった円山音楽堂でコンサートもやった。あんな場所でギターを抱えて歌う日が来るとは、若い頃の僕は想像もしていなかっただろう。旅行もいろんなところへ行ったし、書籍も何冊か世に出すことができた。ありがたい話だ。定年ももうすぐだ。昨夜、ふと思い立ってお金の計算をしてみた。すると、このまま慎ましく生きていけば、たぶん死ぬまでお金に困ることはなさそうだという結論になった。 思い返せば、僕は一度もひもじい思いをしたことがない。いつも、どこかで誰かが助けてくれた。お金に困る前に、手を差し伸べてくれる人がいた。運が良かった、と言ってしまえばそれまでだが、たぶんそれ以上の何かがあったのだろう。まあ、いいか。そう思えるようになったのも、歳のせいかもしれない。今日は本当のクリスマスだ。でも、街は以前ほど浮かれていない。イルミネーションはあるけれど、どこか控えめで、みんな少し疲れているようにも見える。それでもいい。無理に盛り上がらなくても、今日という一日が静かに過ぎていけば、それで十分だ。
Dec 25, 2025
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昼から雨らしい。どうも空の機嫌がいまいちだ。こういう日は、なんとなく外に出る気がしない。青森のねぶた祭りを、ずっと前から見たいと思っている。あの巨大な灯りの怪物たちが夜の街を練り歩く様子を、実際にこの目で見てみたい。だが、なかなか行く機会がない。退職したら、古墳めぐりなんかと抱き合わせで、のんびりした計画で行こうと思っている。問題はホテルだ。青森の宿は、祭りの時期になると全部埋まってしまう。困ったものだ。青森じゃなくてもいいから、どこか近くに泊まって見に行くという手もある。最近はネット予約が主流だが、あれはもう戦場だ。クリック合戦に負けると、値段は跳ね上がるし、部屋は消える。むしろ昔ながらに電話で予約した方が、案外うまくいく。そういう時代になってしまった。今日はクリスマスイブだというのに、まるでそんな気がしない。サヨコさんと二人きりで、ケーキもチキンも買わない。まあ、それはそれでいいんだが、僕としては、晩飯に鶏のから揚げが出てきてくれたら、ちょっと嬉しい。そんなささやかな希望を胸に、雨の空を見上げている。
Dec 24, 2025
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昨日、たまたま手に取った本に、こんなことが書いてあった。放下する生き方。第一に、損得を離れること。やったことが自分の得になるかどうか、そんなことは考えない。第二に、それで人から褒められようと思わない。拍手も評価も、できれば遠くに置いておく。第三に、それによって友達を作ろうと思わない。人脈だの縁だのといった言葉も、少し胡散臭く感じるくらいがちょうどいい。読んでいて、僕はページをめくる手を止めた。あれ、これ、もうやってるな、と思ったからだ。僕は昔から、何かをする時に「得になるかどうか」をあまり考えない。気がついたらやっていて、気がついたら終わっている。それで誰かに褒められなくても、まあいいか、と思う。友達が増えなくても、それはそれで静かで悪くない。たぶん、これはミニマリストという生き方ともつながっている。物を持たない、というより、執着を持たない、という感じだ。部屋に物が少ないと、心の中もがらんとして風通しがいい。所有しない、というのは、物だけの話じゃない。人も、関係も、気持ちも、無理に抱え込まない。相手を自分のものにしようとしない。それは冷たいことではなくて、むしろ誠実な距離感なんじゃないかと思う。何も持たず、何も求めず、ただその時やりたいことをやる。結果がどうなろうと、風に吹かれて流れていけばいい。そう考えると、人生はずいぶん軽くなる。僕はたぶん、これからもミニマリストであり続けるだろう。荷物は少なく、期待も少なく、欲張らずに。そのかわり、今日の空の色とか、電車の音とか、そういうものは、ちゃんと味わいながら。放下する、というのは、あきらめることじゃない。手放して、身軽になることだ。そのほうが、遠くまで歩ける気がするから。
Dec 23, 2025
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昨日は娘のみっちゃんが忘年会で、夕方から僕は孫たちの子守り係になった。年末らしく冷たい雨が降っていて、空はどんよりと重たい。晩ごはんはマクドナルドに行こう、ということになっていた。さよこさんと、孫が二人、合わせて四人で、東野の西友まで雨の中をてくてく歩いた。傘に当たる雨音を聞きながら歩くこの感じ、悪くない。マクドナルドで持ち帰りを頼み、紙袋をぶら下げて店を出ると、宝くじ売り場が空いていた。年末ジャンボ、という赤い文字が目に入ったので、なんとなく一枚だけ買ってみた。一枚だけ、というところがミソだ。その帰り道、孫たちに宝くじの話をしてやった。こういうのはな、あんまり買わんほうがええんやで、と。当たったらそりゃうれしい。でもな、払ったお金の半分以上は、宝くじの会社が持っていくんや。つまりな、買ってる人は、みんなちょっとずつ損してる。競馬も同じや。派手に当たった話だけが残るけど、実は大半の人は負けてる。孫たちはポテトのことしか考えてなさそうな顔で、ふうん、というような顔をして聞いていた。そこで僕は、もう一つだけ聞いてみた。なあ、お金があったら何でも買えると思ってるやろ。でもな、お金で買えへんもんもあるんやで。それ、何やと思う?二人は顔を見合わせて、分からん、と言った。まあ、そりゃそうだ。だから僕は言った。楽しい、という気持ちとか、幸せやなあ、と思う気持ちは、形がないやろ。形のないもんは、お金では買えへん。お金で買えるのは、形のあるもんだけや。そうかぁ、と言って、孫たちは一応うなずいていた。分かったような、分からんような顔だった。まあ、分かるわけがない。僕だって最近になって、ようやく気づいたくらいなんやから。わかるかな?わかんねえだろうな。
Dec 22, 2025
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この年になって、ひとつはっきり決めたことがある。「なんだか気が重いなぁ」と思うことは、もうやらない、ということだ。日本語チューターのボランティアを、僕は辞めることにした。三月末で任期が切れるから、それまではやろうかとも思っていたのだが、朝起きて顔を洗っているときに、ふと鏡の中の自分が「うーん」と曇った顔をしていた。ああ、これはもうダメだな、と思った。サヨコさんにその話をすると、彼女もまったく同じ気持ちだったらしい。というわけで、日本語チューターのボランティアは夫婦そろって退場、ということになった。サヨコさんは観光ボランティアもやっているのだが、そちらは「楽しいから続ける」と言っていた。まあ、それでいい。人生は短いし、面倒なことを我慢してやるほど暇じゃない。明日はサヨコさんが大阪のお母さんと夕食を食べに行くらしい。つまり、夜はひとりぼっちだ。こういう夜は、もう決まっている。ジャンクフードをしこたま食べるに限る。だから明日の夜は、静かな場所で、誰にも邪魔されず、紙袋に入ったジャンクフードをむさぼるのだ。山科の駅前に、フレッシュネスバーガーという店がある。僕はハンバーガーが大好きで、人生最後の日も、できればハンバーガーを食べていたいと思っている。このあいだ、その店に入ってみようかと、昼間にガラス越しに中を覗いた。するとだ。店内の客席という客席に、おばさんがぎっしり詰まっていた。全員が一斉にしゃべっている。ギャーギャーというより、ドワーッという感じだ。その密度と音圧たるや、もはやバーガーショップというより、井戸端会議の総本山である。僕はドアに手をかける前に、そっとその場を離れた。無理だ。あそこに入ったら、ハンバーガーの味がわからなくなる。世の中のおばさんたちは、どうやら時間を持て余しているらしい。いや、持て余しているというより、時間を武器にしている、と言ったほうが正確かもしれない。平日の昼間に、あのエネルギー。あれはもう一種の自然現象だ。ああ、嫌だ、嫌だ。
Dec 19, 2025
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以前、富山地方鉄道の廃止についてブログに書いたことがある。あのときは「いよいよか・・」という気持ちだったが、どうやらひとまず首がつながったようだ。ネットニュースによると、営業赤字が続く富山地方鉄道(富山市)の鉄道事業をめぐり、地鉄側が2026年11月末で廃止を検討していた本線と立山線の不採算区間について、富山県と沿線自治体が2026年度の運行を支援することが決まったという。廃線はいったん見送りとなったが、これはあくまで応急手当。実質「余命宣告」を受けたようなものだ。線路の保守状態も極めて悪く、このままでは近い将来廃線になるのは避けられないだろう。県と本線の沿線自治体は11月29日に会議を開き、26年度の運行廃止を見送ることで合意した。沿線自治体は、あいの風とやま鉄道との並行区間を除く全線維持の方向で検討を進めるとのこと。並行区間の存廃は今後議論されるらしい。とにかく、地元のみんな、もっと地鉄に乗ってあげてください。鉄道は乗ってもらわないと生き残れない。僕も富山に行ったら必ず乗ろうと思う。
Dec 18, 2025
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最近、平日はほぼ毎日ブログを書いているけれど、今日はすっかり忘れていた。ネタもそろそろ尽きてきたかな…と思っていたけれど、よく考えたら僕にはとんでもなく楽しみな予定がある。それは カイロス3号のロケット打ち上げ見学だ。1月7日から入場券の申し込みが始まる。何としても手に入れたい。打ち上げを生で見るなんて、一生に一度あるかないかの体験だろう。さらに面白いのは、クラウドファンディングの仕組みだ。支援すると、なんと 僕の名前をカイロス3号の機体に貼ってくれるという。つまり、僕の分身が宇宙へ行くわけだ。こんなロマンのある話、なかなかない。宇宙開発を応援できるだけでなく、自分の名前が宇宙に飛んでいくなんて、子どもの頃の夢が現実になるような感覚だ。お金持ちの僕としては、少しでも力になりたいと思っている。クラウドファンディングのページを見ていると、支援額によって特典が変わるらしい。名前のシールだけじゃなく、記念グッズもあるとか。これは本気で検討中。ブログのネタがないなんて言っていたけれど、宇宙に名前を飛ばす話題なら、何度でも書けそうだ。1月7日、申し込み開始。絶対に忘れないようにしないと。
Dec 17, 2025
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今朝、和歌山県から飛び立つロケット、カイロス3号機の打ち上げ日が決まったというニュースを聞いた。2026年2月25日。場所は串本に近い、あの海と山が同時に見えるあたりだ。ロケットというのは、聞くだけで少し胸がざわつく。今回、僕とさよこちゃんは、そのロケットを見に行くことにしている。宿はもう押さえてある。行動が早いのはいいが、問題もある。どうやら見学スペースは狭く、整理券が必要で、入れるのは二千人ほどらしい。二千人と聞くと少なく感じるが、ロケットというのは本来、囲いの中で見るものではない。大空へ向かって飛んでいくのだから、見上げさえすれば、どこからでも見えるはずだ。見えるかどうかよりも、無事に飛んでくれるかどうか、それだけでいい。あとは天気だ。空が晴れなければ、ロケットは飛ばない。人間の都合より、空の機嫌のほうが強い。春にはイタリアへ行く予定だった。ローマだ、フィレンツェだと、頭の中ではもう何度も歩いていた。けれど、それは少し延期することにした。理由は、退職後の失業保険というやつだ。これがなかなか自由を許してくれない。ハローワークから「この日に来なさい」と言われ、その呼び出しに応じないと、「働く気がない」と判断され、保険がもらえなくなるらしい。つまり、イタリアへ行くには日程が読めなさすぎる。どの日に呼ばれるかわからないまま、地中海を眺めるわけにもいかない。まあ、イタリアは逃げない。あの国は、千年ぐらい平気で待ってくれる顔をしている。失業保険の期間が終わったら、堂々と行けばいいのだ。それまでの間、ふと思った。今まで行けなかった日本中の鉄道に、乗れるかもしれない。乗り鉄は、もう卒業したつもりだった。けれど、退職後というのは、とにかく時間がある。驚くほど、暇だ。だったら、暇つぶしに日本中を回ってみよう。特急でも、ローカル線でも、終点で降りて、駅前でコーヒーを飲む。それだけで十分な旅になる。
Dec 16, 2025
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いい夜だった。森崇のコンサートに行ってきたのだ。崇はドラマーである。しかも、いわゆるドラムセットを前に汗だくで叩く、というタイプではない。電子ドラムだけを使い、コンピューターとにらめっこしながら、音を重ね、増やし、ぐるぐる回して、気がつくと一曲になっている。映像と音のコラボレーションで、しかも演奏者は彼ひとり。ひとりで、である。世の中にはいろんな音楽家がいるが、こんなことをやっている人は、たぶん世界中探してもそうはいない。少なくとも僕は知らない。説明しろと言われても無理だ。言葉にすると、どうしても嘘くさくなる。だから「YouTubeで森崇(もりたかし)と検索してください」と言うしかない。映像を見てもらえば、ああ、こういうことか、と膝を打つはずだ。今回はさらにダンサーとのコラボレーションもあって、会場はなんだか別の星に来てしまったような、不思議な空間になっていた。客席は満員だった。崇は黙々と音を積み上げていく。ああ、この人は本気で生きているな、と思った。頑張っている。素晴らしい。それだけで、こちらの背筋も少し伸びる。と、感動の話はここまで。話はがらりと変わるが、昨日、家の車がパンクした。よりによってタイヤである。走れないわけではなかったが、タイヤ屋まで行くのはどう考えても危険だった。いつもの車屋に持って行ったら、今日は日曜日なのでできません、とあっさり言われた。途方に暮れていると、目の前にガソリンスタンドがあった。とりあえず空気を一回入れて、イエローハットまで駆け込んだ。ところがだ。僕の車は古く、しかも変なホイールがついていて、そのサイズのタイヤがもうこの世に存在していなかった。絶滅種である。仕方なく非常用タイヤに履き替え、タイヤを注文してもらうことになった。そのとき、ふと背筋が寒くなった。もし孫たちを乗せて高速道路を走っているときに、バーストしていたら。考えるだけでぞっとする。スーパーの駐車場で気づいた僕は、かなり運がよかった。人生、こういう小さなラッキーに救われて、なんとか生き延びている。結局、タイヤは4本とも頼んだ。これで10年は乗れるだろう。車が壊れなければ、だが。まあ、多分もうすぐ壊れる。
Dec 15, 2025
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僕はいま、二冊の本を同時に書いている。これを仕上げれば、電子書籍は九冊目になる。十冊目は何を書こうかと、ここ数日ずっと考えている。節目の一冊だ。どうせなら、ちょっと面白いことを書きたい。今日読んだ本に、妙に心に刺さる言葉があった。「今すぐやめるべき五つの無駄」というやつだ。なるほどと思った。書き留めておく。一つ、惰性で続けているが、やめても問題ないこと。二つ、よく思われたいがためにやっていること。三つ、不安だからやっていること。四つ、自分がコントロールできないこと。五つ、積みあがらないこと。こういうのは、時間の長さじゃなくて、ストレスの重さで決めるのがいいらしい。重たいものから順に、ぽいぽいと捨てていく。なるほど、僕の机の上にも、そういう「重たいもの」が転がっている気がする。古いメモ帳とか、やりかけのアイデアとか、惰性で続けている習慣とか。十冊目の本は、こういう「やめる話」を書いてみるのもいいかもしれない。人は何かを手に入れるより、何かをやめる方がずっと難しい。だけど、やめた瞬間に見える景色って、案外きれいなんじゃないかと思う。僕はそんな景色を、ちょっと覗いてみたい。
Dec 11, 2025
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今日はボーナスの日である。なんだか大げさに構えるほどのものでもないが、僕にとってはこれが人生最後のボーナスで、まあ記念品のようなものだ。この半月ほど、僕の財布はほとんど空っぽで、1円玉すら行方不明だった。それでも別段困ることはない。僕の生活は、ほとんど家の経済圏で完結していて、外で金を使う場面がほとんどないのだ。そもそも僕の普段の行動といえば、週に7日あるうち、6日半くらいは1円も使わない。使う必要がないし、使いたいものも特にない。物欲というやつが、僕の体のどこかから蒸発してしまったのかもしれない。ミニマリスト、というとなんだか気取った感じがするが、僕の場合はもっと原始的で、ただ単に「余計なものを持つと邪魔くさい」というだけの話だ。それでも最近は退職が近づいてきたせいで、職場の私物でも整理しておくかと引出しを開けてみた。すると驚くべきことに、何もなかった。正確にいうと、捨てるものが何一つなかった。これには僕自身がびっくりした。長年働いてきて、この結果である。世の中には、退職前に段ボール十箱分も私物を詰めて持ち帰る猛者もいると聞く。僕とは別の種族の人間なのだろう。僕が持って帰るのは、せいぜい万年筆1本くらいだ。それすら必要かどうか怪しい。まあ、そんなこんなで、これからも僕は静かにミニマリストであり続けるつもりだ。モノがなければ、迷うこともない。ボーナスが入っても、買うものもない。でもそれがなんだか、僕にとっては妙に心地よいのだ。
Dec 10, 2025
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昨日の空は、どうにもおかしかった。雨が降る気配なんてこれっぽっちもないのに、分厚い雲が空をべったり貼りついたみたいに広がって、昼間だというのに辺りは妙に暗い。昼過ぎだっていうのに、まるで夕方の五時くらいの、あのしんとした時間帯の暗さだ。その雲がまた、やけに黒くて重たかった。見上げていると、どこか遠いところで巨大な怪獣でも寝返りを打ったような、そんな嫌な予感がじわりと背中を這い上がってきた。「これ、ひょっとして大きい地震でも来るんじゃないか」なんて、同僚に半分冗談みたいに話していたら、案の定その夜、青森でマグニチュード7.5という巨大地震がドーンと起きた。東日本大震災のときより何十倍も大きい規模だなんて、ニュースは淡々と言っていた。地震雲なんてものは科学的には存在しないらしいけれど、どうも人間ってやつは、“いつもと違う何か” に気づいてしまうときがある。直感とか経験の積み重ねとか、そういうもっと説明しようのないものだ。話は変わるが、僕が電子書籍をちょこちょこ出しているのを、職場の二十代の女性がスマホで見たらしく、「私にもできるんでしょうか」と言ってきた。やってみなよ、と言ったら、本当にやってしまった。スマホ片手に、原稿用紙四十枚ほどのミステリー短編を書き上げ、しかも表紙まで器用に作り、今すぐでも電子書籍としてポンと世に出せる仕上がり。若い人は、ときどき信じられない速さでやりたいことを形にしてしまう。「これで一冊出たら、私も小説家って名乗れるね」とからかってみたけれど、もし将来、彼女がとんでもなく偉大な作家に育ったりしたら、僕は胸を張って言おうと思う。きっかけは僕だったと。
Dec 9, 2025
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土曜日は、八鉄会の飲み会だった。円山コンサートが終わり正式な打ち上げだ。メンバーの顔を見るなり、あっという間に時間が溶けてしまう。例によって、誰かが妙に高そうな酒を抱えてくるし、別のやつはどこで手に入れたのかよく分からないつまみをどっさり持ってくる。八鉄会というのは、たまに会うとやたら気前がよくなる不思議な集団なのだ。案の定、僕は最後のほうで調子に乗りすぎて、べろんと酔っ払ってしまった。歳をとると酒が弱くなるとはよく言うけれど、弱くなったのは僕のほうなのか酒のほうなのか。そんなことを考えたが、どちらでもいいか、とすぐに忘れてしまうのがまた僕らしい。春になったら大分県の鉄輪温泉へ行こうじゃないか、という話になった。大人ナビと称して、ちょっとした探検の旅である。やっちゃんが「土日しか動けんのや」と言うので、1泊2日の小ぢんまりした旅になりそうだ。宿はもちろん、あのオンボロで愛すべき陽光荘だろう。ボロいくせに居心地がよく、湯気がそこらへんをうろうろしているあの宿に、また世話になろうと思う。今朝、孫のチヨちゃんが風邪でダウンしたという知らせが入った。サヨコさんが面倒をみるらしい。彼女が元気でいてくれるおかげで、僕もこうやってのんきにいられる。まったく頭が上がらない。それにしても、僕ももうすぐ定年退職である。そう思うと、なんだか人生というのは、ゆるゆるとした川みたいなもので、気がついたら川下に流れ着いていた、という感じだ。でもまあ、川下には川下の景色がある。春の鉄輪温泉も、その景色のひとつだ。
Dec 8, 2025
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今、角幡唯介の『地図なき山』という本を読んでいる。あの人、真冬の北極をひとりでうろついたり、チベットの山奥に地図もない空白地帯を求めて分け入ったりする、いわば“へんな方向に勇気のある”冒険家だ。で、この本では北海道の山脈を地図なしでさまようという、普通の人なら最初の一歩で帰りたくなるような旅をしている。 考えてみれば、地図というのは文明の象徴だ。僕らは気づかないまま、その恩恵のどっぷりの中にいる。地図がない場所なんて、もう世界にはほとんど残っていない。だから彼は、逆に「ない」状態を自分でつくって山に入っていくらしい。なんだかすごい発想だ。 でも、地図がないのは山だけじゃない。僕らの人生だって、地図なんかない。あったらあったで、きっと面白くない。どこに寄り道するかも決まっていたら、旅にならない。だから角幡さんは山で地図を捨てて、僕らは人生で右往左往している。そういうことなのだろう。 とはいえ今日の僕の仕事はきっちり地図がある。やるべきことはあらかじめ線を引かれた道の上に並んでいるし、明日の予定もちゃんとパッケージ化されている。人生の地図はないのに、日常の地図はきっちりあるという、このちぐはぐさ。 夜は従兄弟のオミちゃんが家に来るらしい。実家の不動産を手放した件の報告だろうか。オミちゃんは兄妹仲が悪くて、お姉ちゃんと絶縁している。僕だって弟が生活保護から抜けられないままで、ほとんど付き合っていない。 気がつけば、親族というものはまあ見事にバラバラである。気がついたら、僕がその中で最年長の“長老”になってしまった。六十歳で、長老という肩書きはどうにもくすぐったい。いや、くすぐったいというより、ちょっと笑えて、ちょっと寂しい。 山の地図は手放せるけど、人生の地図はどこにも売ってない。だからまあ、今日も僕は線の引かれた一日を歩きつつ、その端っこで少しだけ道草を食って生きていくのだ。
Dec 5, 2025
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朝、外に出たら空気が妙に冷たくて、鼻の奥がきゅっと縮こまる。「今日は寒いぞ」とつぶやきながら歩いていたら、山科でも雪が降っていた。初雪だ。冬が本気を出してきたな、と思う。職場の近くのJR の駅を降りたら、そこに一台ぽつんとある券売機が、よりによって故障していた。この駅にはその一台しかない。なんだか、無人の砦が潰れたみたいな感じだ。「これ、みんなどうやって電車に乗るんだ?」としばらく眺めていたけれど、まあうまいこと乗るのだろう。日本人はこういうとき、不思議となんとかなる。昨日は昨日で、サヨコさんの楽天カードが不正利用された。電話とメールで突然通知が来て、調べてみれば、見事に知らない誰かが楽天市場で何やらこそこそ買っていたらしい。11月28日と12月1日、二度も使われていた。金額は大したことはないけれど、買われていたものが「サーティワンのアイスクリーム」と聞いて、思わず「そんなもん買うなよ」と、犯人に向かって心の中でツッコミを入れてしまった。しかし、いったいどうやってカード番号を盗んだのか。その抜け道みたいなものを想像すると、楽天カードの脆弱性とやらも、なんとなく気になってくる。こういうのは僕ら一般人にはさっぱりわからない。ただ、勝手に誰かが僕らの財布に手を突っ込んでくるような気味の悪さがある。とはいえ、返金はきっちりしてもらえるらしいので、ひとまず安心だ。それにしてもクレジットカードというのは、今や生活にべったり貼りついて離れない存在になっている。便利は便利だが、そのぶん危なっかしい。持たずに暮らすのは難しいし、持てば持ったで不正利用がある。なんとも、世の中うまいことできていない。
Dec 4, 2025
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朝の空気がピリッと冷えていた。今日は北のほうでは雪が降るらしい。京都の冬は、油断してると背中から忍び寄ってくる。そんな話を聞きながら、ふと次の旅のことを考えていた。昨日知ったんだが、どうやら次に夕日ヶ浦温泉へ行くときに乗る「特急はしだて」は、あのKTR9000系、つまり北近畿丹後鉄道が京都駅までズズイと乗り入れてきてるらしい。へえ、そんなことになっていたのか、とちょっと驚いた。昔、「丹後ディスカバリー」なんて名前の列車が京都へ来ていたことを思い出した。あれの流れがいまも細く長く続いている、というわけだ。最近はYahoo!で時刻を検索すれば、旅程なんてチャチャッと組める。便利といえば便利なんだが、どうも現実の旅とは噛み合わないところがある。今回もそうだ。検索すると「ナギ辻から地下鉄に乗って二条駅で特急に乗れ」と出てくる。確かに安いし早い。理屈は合ってる。でも、なんだか味が薄い。旅ってのは、そういう最適解で動くもんじゃないんじゃないかと僕は思う。やっぱり京都駅にどっしり向かって、ホームの売店で駅弁を選び、缶ビールをひとつぶら下げて、始発駅から特急に乗り込む。これが旅の儀式だろう。始発から乗る。これは僕の旅の大原則である。Yahoo!のAIが何を言おうと、これは譲れない。だから僕は紙の時刻表を捨てない。あの分厚い本。重いし、開くたびにちょっとした決意がいる。でもあれには、旅のすべてが詰まっている。全ての駅が、全ての路線が、ひとつの本の中に息をしている。あれを広げて工程を組む。そこから旅が生まれる。電子じゃないからこそ、紙ならではの地図の匂いがふっと立ちのぼる。そういう瞬間に旅のエンジンがかかるのだ。僕は時刻表をめくりながら、次の旅の始発駅を思い浮かべてニヤニヤしている。ああ、やっぱり始発からがいい。旅はそこで、もう半分始まっているのだ。
Dec 3, 2025
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「カニを食いに行こう」という話が転がりこんできた。温泉旅館でカニを腹いっぱい食う。ただそれだけの目的で旅に出るというのは、なんだかひどく贅沢で、そして久しぶりだ。しかも今回は電車だ。特急だ。大人の遠足だ。旅の軍資金はというと、サヨコさんがついこのあいだ売っぱらった車の“落札金”である。あれこれ値踏みされた末、なんと五万円になった。二十万ちょっとで買って六年ぐらい乗って五万円。まあ、よく走ったものだ。さすがはトヨタ。自動車屋のおじさんも「結局トヨタはええで」と頷いていた。あの頷きが、妙に深い井戸の底から響いてくるような実感があった。行き先は山陰の夕日ヶ浦温泉。名前を聞くだけで、もう湯気が立ちのぼってきそうな場所だ。僕らは京都駅で弁当を買い、ビールを仕込んで、特急はしだてに乗りこんで、あとは車窓の流れるのに身をまかせる。ゴトン、ゴトンと音を刻む列車の揺れが、日常をゆっくりと剥がしていく。こういう旅は本当に久しぶりだ。今日の京都は妙に暖かい。駅前を歩くと冬の気配がちょっと肩透かしを食わせてくる。それでも天気予報は「明日の朝は冷えるぞ」と脅してくる。インフルエンザも流行っているらしい。とはいえ僕はマスクをしない。これには理由がある。いや、たいそうな理由じゃないけれど、「エビデンスがない」と僕は頑固に思っている。こういうところだけ、僕は妙に石頭になる。そんなこんなで、旅はもうすぐ始まる。カニが待っている。湯気が待っている。ああ、旅というのは、ただそれだけで心の奥のほうをポッと明るくしてくれるから不思議だ。旅の予定があるだけで毎日が楽しくなるのだ。常に旅の予定をいれましょう。
Dec 2, 2025
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今日は妙にあったかい。十二月の入り口だというのに、どこか秋の名残がまだ居座っているようで、月曜の朝の空気もふわふわしている。もっとも、僕の体のほうはというと、これがどうにも重たい。昨日はたっぷり休んだはずなのに、どういうわけか鉛を詰め込んだようなだるさだ。 理由は簡単だ。昼間っから飲んでしまったのだ。 昼酒というやつは、どうも背徳の匂いがして危険だ。一本開ければ、まあいいかともう一本。さらに「ついでだ」と三本目。そうして夕方にはすっかりゆでダコのようになって転がってしまう。にもかかわらず、これが妙にうまいから始末に負えない。 昨日はさらに“肉三昧”の日でもあった。隣のおっちゃんは肉屋で、特上の霜降り肉を、なんと五百グラムも「食うか」と持ってきてくれたのだ。 こういうとき、僕はためらいなく食べる。ありがたく受け取って、ありがたく焼き、ありがたく胃袋へ。久しぶりの上等の肉というのは、噛むたびに口の中で勝手に踊り出して、いやはや、なんとも幸せな一日であった。 季節は秋の終わり。カラコギカエデという木をご存じだろうか。あれが今、見事な紅葉をしている。普通の楓とは少し違って、黄色から赤へとゆっくり色が滲むように変わっていく。通りがかりにそれを見つけるたび、僕は立ち止まってしまう。自然の仕事というのは、どうしてこうも見事なんだろう。 そういえば昨日、椎名誠がアイスランドを旅した本を読んだ。読んだら最後、僕の頭の中はそのままバスッとアイスランドに持っていかれた。氷河と温泉と風の音ばかりがする、あの不思議な島へ、やっぱり一度は行ってみたい。三週間くらい腰を据えて、ぼんやりと過ごしてみたい。そんな気持ちになっている。
Dec 1, 2025
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子どものころ、学校への行き帰りには決まって石けりをしながら歩いた。あれは不思議な遊びで、石一つで世界が急に冒険めいてくる。いま思えば、大人になってもあれは十分楽しいに違いない。道端の石ころをつま先でコツンと蹴ってみたが、やっぱり面白い。 さて、明日は日本語チューターのボランティアの日である。学習者さんたちは皆、わざわざ日本語を話しに来てくれるのだから、なるべく僕は聞き役に回ろうと心がけている。だが、この「人の話を聞く」というやつが案外むずかしい。気を抜くと、ついつい自分の話をしすぎてしまう。まあ、人間なんてものは油断するとすぐに喋りだす生き物なのだ。 しかし、黙って相手の言葉を受け止めるというのは、なかなか奥が深い。僕はそのむずかしさを毎回のように感じている。話を聞くというのは、ただ静かにしていればいいという話ではない。どうにも、心の中の何かを整えないとできぬ芸当らしい。 そんなことを思っていたら、モバイルデータの速度が急に低速になってしまった。これはもう「今日はスマホを触りすぎるな」という神様からの申し渡しだろう。僕は観念して、なるべくスマホ断ちをすることにした。 情報を遮断するというのは、ミニマリスト的には立派な活動らしい。だが実際にやってみると、これはなかなか面白い。余計な情報を切ると、ぽっかりと静かな空洞のような時間ができる。そこに、いつの間にか自分の考えごとがひょっこり顔を出してくるのだ。 そういう体験を重ねているうちに、「これはちょっと書いておくべきだぞ」と思いはじめた。いま僕は、そんな気づきや実験の記録を本にまとめている最中だ。情報を減らしていくと、かえって頭の中が騒がしくなる。この妙な感覚を、どう書いたらいいか、それを考えている時間が、いまはなんとも楽しい。
Nov 28, 2025
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円山野外音楽堂というのは、どうしてあんなに不思議な場所なんだろう。秋の風がふっと吹き抜けたと思ったら、いきなり空気が澄んで、どこか見えない「舞台の神さま」のようなものがこちらを見ている気がする。そんな場所で開いた僕らのコンサートは、拍子抜けするほどの大盛況だった。来てくれた人たちはみんな満足して帰ってくれて、終わったあと、僕はしばらくベンチに座って余韻を噛みしめた。これも全部、みんなのおかげだ。とくに森琢麿、森崇の両名には、ほとんど“無償の愛”みたいな協力をしてもらった。あれは本当に莫大だった。感謝してもしきれない。控え室に戻ると、そこに置かれた古い椅子が目にとまった。見たところ、なんてことのない椅子だ。ぶつかればギイギイ鳴りそうだし、座面は微妙にへこんでいる。それなのに、ふいに妙な気配がした。「ここに座ったのかもしれない」と思ったのだ。谷村新司も、堀内孝雄も、村下孝蔵も、五輪真弓も。昭和の名シンガーたちが、この椅子に腰掛けて出番前、何を考えていたのだろう。そう思うと、急に椅子が“日本音楽史の遺産”みたいに見えてきて、僕はひとりで勝手に感慨深くなった。コンサートが終わってしまうと、不思議なことに、そこから急に予定がスコーンと空っぽになった。日本語チューターのボランティアは続くけれど、それ以外は白紙だ。ひとりでぶらりと旅に出てみるなんてのもいいが、現実はそんなに気楽でもない。まあ、旅に出られないなら、せめてサヨコさんとどこかへ食べに行きたい。この季節ならカニだ。カニを食べたい。できれば巨大なやつで、身がぎゅうぎゅうに詰まっていて、食べるたびに「なんだこれは!」と叫びたくなるようなやつだ。しかし、二人で五万円という壁が道に立ちはだかっている。あとちょっと足りない。職場ではインフルエンザが大流行している。みんなマスクをしているが、僕はどうにもあれが苦手だ。呼吸するたびに布が顔にまとわりつく感じがどうにも性に合わない。そのかわり黒にんにくをモリモリ食べている。あれは身体の奥で火がつくように効く。インフルになったらどうするのかって?まあ、そのときは仕事を休めばいいだけだ。人間、寝て治るものは寝て治せばいい。
Nov 26, 2025
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いよいよ円山コンサートが、明日に迫ってきた。空気がどことなくザワザワしていて、胸の奥がすこしむずがゆい。ところが昨夜、ノムさんのお母さんが救急車で運ばれたという知らせが飛び込んできた。ノムさんは当然キャンセル。まあ、それは仕方がない。人生というのは、ときどきこういう横槍を容赦なくブスリと刺してくる。だが、ここで森タクマさんが、ぬうっと現れてキーボードを引き受けてくれた。ありがたい。本当にありがたい。さらにWESTBLACKさんまで緊急参戦してくれるという。なんだか怪しい増援部隊が続々と集まってきて、妙に心強い。天気予報を確認すると、どうやら晴れそうだ。晴れる、というだけで、もう半分くらいは成功したようなものだ。やはり野外の神さまは偉大だ。思えば、このコンサートの始まりは、八鉄会の三人が「やるか?」となんとなく言い出した、あの一言だった。たった一歩だけれど、その一歩を踏み出しただけで半年が転がり転がり、こんなところまで来てしまった。やってみれば、案外なんとかなるものだと、今さらながら痛感している。孫のひーくんとチヨにとっては、生まれて初めての“コンサート”というやつだ。どんな顔で見てくれるのか、それを考えると、胸の奥でちいさな花火がポンと鳴る。さあ、明日だ。僕も、できるだけのことをやってみよう。たくさんの人に支えられてここまで来たのだ。ありがたい。もう、それだけで十分すぎるくらいだ。
Nov 21, 2025
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円山コンサートまで、もうあと二日。追い込みの時期に限って、妙な知らせが転がり込んでくるのは世の常だ。今回も例外ではなかった。ママさんブラスuji隊が、まさかの全滅。インフルエンザと喘息のダブルパンチにやられて、出られません、との連絡がきた。ああ、せっかくギターまみれの我が軍に、紅一点のブラスを呼び込んで、会場の空気を華やかにするつもりだったのに。遠くからババーンとトランペットの音でも鳴り響けば、観客も「おっ」と思うだろうに。実に惜しい。だが、出られぬものは仕方ない。むしろ会社関係者だけの内輪編成になったことで、ある意味やりやすくなった気もする。タイムスケジュールも、あのイモ洗い状態から少し余裕のある流れに変わった。これはこれで、風向きが変わったと喜んでおこう。代わりに、舞台に立てなかったあの人に声をかけてみているが、なにせ時間があと二日。準備が間に合うかどうかは、もう神さまの気まぐれみたいなところがある。風が吹けば来てくれるかもしれないし、来ないかもしれない。まあ、どっちに転んでも面白いのが、小さなコンサートのいいところだ。さよこさんはというと、今回ブラスバンドを紹介してくれた張本人なので、肩を落としてしゅんとしている。そこへ追い打ちをかけるように、風邪まで引いて声がガサガサになってしまい、完全に弱っている。「僕に移されたら大変だ」と思うが、もうここまでくると運命共同体みたいなもので、逃げ場もない。僕は今日こそ早く寝て、体力温存モードに突入だ。そんな中でひとつ明るい話題があった。娘のみっちゃんが、外国人向けのパンフレットを作ってくれた。孫たちも色を塗ったり絵を描いたりと手伝ってくれて、なんとも愛嬌たっぷりの仕上がりになった。ほほえましくて、ちょっと胸があったかくなる。いやはや、コンサートとは、思った通りにならないものだ。だが、だからこそ面白い。僕はそんな風に、妙なハプニングの連鎖を、静かに楽しんでいる。
Nov 20, 2025
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