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皆さん、おはようございます。今日は、「親子という特殊な人間関係」というテーマで綴ってみたいと思います。私には子供がおりますが、私自身が親との関係に苦慮したため、自分が子供を持った時に、子供との関係を構築するのに苦慮しました。人間関係においては、自分の育った環境の中で、周囲にモデルケースはなかったのではないかと思います。そんな中で子育てをしてしまって、本当に無我夢中、五里霧中でした。しかし、幼い子供と言うのは、親が神みたいに思いながら育ってしまいます。親を100%信じ切っているんですね。ここが中々大変な所です。そして自分が親になって初めて、その重圧に気づいたのです。そして色々頑張ってみるものの、そんな子供の期待に応えようとすればするほど、それが不可能だという出来事に遭遇するわけです。自分は大した人間じゃなかった、自分は人の気持ちを考えてなかった、自分は人のために生きれる人間ではなかった、自分は、一つの事しかできない人間だった、自分は寝不足だと精神的に不安定になる、などなど、子育てを通して知った訳です。子供には申し訳ない話しかもしれません。ただ、それを「無知の知」として、自分を知ることができた事は、誇りに思う事にします。そしてまだまだあきらめずに進むことにします。しかし今は成人した彼ら。これからは自分の力で、いくらでも何とでもなると思っています。そして、私の事はしょうがなかったと思ってくれることを期待します。なにせ、彼らの火事場の馬鹿力的生命力は、私譲りなのです。これが「親バカ」と言う世に通じない特殊な概念です。でもそれで良いのです。親は子供を100%信じることができる唯一の人間なのです。それでは皆さんの一日が素晴らしい一日でありますように。
2024年06月26日
皆さんおはようございます。今日は「へずまりゅうさん都知事選に立候補した事で感じた事」というテーマで綴ってみたいと思います。私はお恥ずかしながら、40代以降になって初めて選挙にちゃんと行き始めました。それまでの私は、子育てで忙しいとか、自分が一票を投じても、どうせ世の中は変わらないだろうという思いで、政治に信頼を寄せることはほとんどありませんでした。だから選挙には行ったことがありませんでした。不信感を抱いていた事もありました。それは子育てにおける社会環境です。私が子育てをしていた頃は、1990年代~2010年代の頃ですが、もうその頃には、女性も外で働きながら子育てをしている人がほとんどでしたが、明らかにそれに政治は追いついていなかったと体感的には思います。私の子育て中には、幼児と乳児二人の高い保育料(約55000円ほど)が生活を圧迫し、食べ物を買うのがやっとの生活でした。子供を病院に連れて行くのも、お金がない時は、熱は3日以上続いてから行くという時もありました。今思うと危なかったのですが(;'∀')離婚したこともありました。そして母子手当の申請に行くと、「国民の血税ですから」という、何かこちらが税金をせしめるかのような、悪いことでもしているかのような威圧感で、窓口の方に取り調べとも思える身辺調査を受け、やっとの思いで申請していました。そんな社会とは、子育てを応援してくれるどころか、「産んだ母親の自己責任だろ」と言われているようでした。それで今、このご時世ですから、少子化になるの当たり前だよなと、思わざるを得ません。今思えば、社会が少子化問題には、見て見ないふりをしているような時代でした。そんな子育てしにくい世の中で、政治には不信感しかありませんでした。(もちろん、自分に原因があることは大前提です。)そしてその原因の一つは何か?それは「男性社会」から、「男女共生社会への過渡期」への移行の中で、まだまだ子育てしたことのない男性ばかりが、政治の主導権を握っていた事だと言えると思います。当時の男性社会というのは、当たり前ですがほとんど「男性」であり、子育てをしたことがない人達ばかりでした。そういう人達が子育てを想像できるでしょうか?当然なんですが全くできないと思います。当時の夫にこんな事を良く言われました。「いい身分だなあ、一日中遊んでで」と。子育てが、女が家の中で子供と遊んでいるように見えたのでしょう。彼は子育てをほとんどしたことがないから、その様な事を言えたのでしょう。本当に苦虫をかむ思いでした。そんな訳で、子育てがどんなに大変かという事は、実際は子育てをしてみないとわかりません。もちろん、それは子育てだけに限った話ではありません。それをふまえた上で、今回のへずまりゅうさんの都知事選立候補を考えますと、圧倒的に色々な社会経験が足りないと言えるのではないでしょうか?自分の経歴や本籍地もちゃんと言えず、明確なビジョンなどがほとんどなく、自信がなさそうに見えた記者会見。それは彼の一般社会の経験値の足りなさを、物語っています。少なくとも、政治的に明確にできることをきちんとアピールできないと、人の心に訴えかけることはできないと思いました。むしろ、彼はyoutuberとして、自分のブランドを確立したすごい人なんだから、そちらを伸ばす方が賢明なのでは?と、余計なお世話ですね(笑)。しかし、社会においては、「身の丈を知る」って大事ですね。しかし、へずまさんの行動する勇気はリスペクトです。行動しないと何も変わらない。行動することで、初めて何かが変わっていく。すなわち、変えるためには行動するしかない。そんなメッセージがへずまさんから聞こえてくるようでした。また、今回こうやって、考える機会を与えて下さったという意味で、へずまさんには心から感謝したいと思います。それでは今日も皆さんにとって素晴らしい一日でありますように。
2024年06月07日
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