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11月に行われる合唱祭に向けて練習が始まっています。私が中学生のときに歌ったモルダウ(今はプルタヴァともいいます)や大地讃頌は今でもよく歌われています。長い間好まれる曲は、名曲ということでしょうね。一方、16分音符と4分音符がタイで結ばれたリズムなどがたくさん出てくる歌も多く、新しい歌もとても素敵です。最近よく歌われている曲は歌詞がとても美しく、聴くたびに心洗われる思いがします。本当に大切なのは人を思いやる優しい気持ち、みんな不安を抱えて生きているけれど、仲間がいるから大丈夫だよ、一人じゃないよ、生きていることはそれだけで素晴らしい、どんなに辛くても諦めちゃいけないよ…こんな歌詞に、車の中で聴いていると、泣けてしまうこともあります。これって、私が音楽好きだからでしょうか?私の友だちで、今までずっと我慢してきたけれど、ご主人とこのまま一緒にいるのはもうイヤだと悩んでいる人がいます。そんな彼女に、「素敵な歌がたくさんあるんだけど、こういう歌を聴いて、ご主人の態度が変わるということはないのかしら?」と話してみました。忘れていた優しさや、大切なことに気づくのではないかと思ったのです。しかし、友だちの反応は冷たく、「あのさ、あなた、あの人が何歳だか知ってるよね?もう50歳過ぎてるのよ!そんなことで気持ちが変わるわけないでしょ?」「本当に困っちゃうのよ、あなたみたい、世間知らずの幸せなお嬢様奥さんには、子供でもそんなことわかるわよ」彼女のいう通りなのかもしれません。でも、私は何と言われようと、大切にしなければいけないものは何なのか問続け、美しい音楽や言葉に生涯感動出来る自分でいたいです。純粋な気持ちを忘れてしまった大人に、子供たちの心を育てることはできないはずです。
September 9, 2011
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昨日、来ないと思っていたお返事が届きました。何のお返事が来たかといいますと、私は8月の演奏会で思ったことを知事宛に投書したのですが、それについてです。もちろん知事直々のお返事ではありません。演奏会を企画した部署からのものでした。恐ろしいような、でもワクワクする気持ちも半分持って、頂いたを開けました。頂いたは、全く気持ちの感じられない形式的なものでした。寄せられる意見に対して、企業は宝だと考え、行政はゴミだと考えるそうです。私が送ったものは、間違いなくゴミとして捨てられたと感じられるお返事でした。この演奏会の練習で、練習中におしゃべりをする、練習のマナーを知らない、あるいは守らない人たちのために、私が作ったプレート。捨てようかなとも思いましたが、もしかしたら学校で使えるかもしれないと思い、早速持って行きました。使う前に、職員室の机の上に置いておいたら、なんと他の先生方から私にも作ってくれない?とオーダーがありました。私が送った意見も、捨てられずにオーダーが来るようだったらよかったのですが…
September 3, 2011
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かつて、私は、公民館職員のあるまじき利用者への対応に腹を立て、行政のHPから投稿しました。それにより、私はその公民館から逆恨みされ、人生を大きく変えることになりました。しかし、それが学校に復帰するきっかけになり、素敵な人たちと出会い、素晴らしい体験をすることになったわけですから、人生はおもしろいものです。昨日、演奏会に参加した友達に私が感じたことをしました。すると、同じ気持ちだという返信がすぐにありました。ますます何とかしたい、しなければならないという想いでいっぱいになりました。黙っていては何もかわらない、進まない、疑問に思ったことは、解決していくべきで、トラブルを起こさないように黙って、我慢していることが必ずしも美徳とは言えないと教えて頂いたこともあります。散々考え、私は、トップに直接投稿することに決めました。ブログに書き留めたことにもう少し私の気持ちを加え、書き直し、投稿しました。とてつもなく長い投稿文になりました。本当に直接トップに届くとは思っていません。最後まで読んで頂けるとも思いません。まして回答など全く期待していません。ただ体裁を整えた見栄えのする音楽会、一部の方だけにスポットが当たった音楽会、実績を作りたい、残したい気持ちが全面にあらわれた音楽会に待ったをかけたい。県民が主役の、一人でも多くの県民に音楽の素晴らしさを伝えたいていうピュアな気持ちを思い出してほしい。そのきっかけになってほしい。こんな気持ちでまたしても私は投稿という手段に出ました。あんなにひどい目にあったのに、私は懲りていないようです。私の人生がまた大きく変わるかもしれません。
August 10, 2011
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演奏会を終えて帰宅した私に、夫は「アレ?きょうは、興奮冷めやらぬって感じじゃないね」と言いました。やっぱりわかるのですね。その通りです。演奏会を企画した方々は、きっと大成功だと満足されていることでしょう。でも、ちょっと待て!私はそんな気持ちです。聴きに行くより、出た方が絶対楽しいと思ったから参加することにした今回の演奏会。確かにその通りだったと思います。もし、聴きに来ていたら、私はきっと出演したかったと思ったでしょう。この演奏会を通して、私は本当にいろいろなことを考えました。優等生的に言えば、勉強させてもらったというのでしょう。本音を言えば、何とも疑問の多い演奏会で、心から感動する気持ちになれなかったということ。残念です。・なぜ出演者から出演料をとらないのでしょう? 好きで出演するのです。好きで練習に参加するのです。 出演料を払うことにすれば、出演者のレベルはきっと上がります。 練習中におしゃべりをしたり、先生やスタッフの話を聞かないような人は、いないくなるは ずです。・スタッフを無償ボランティアにするのはなぜでしょう?有償にすべきです。無償には責任が 伴いません。よりよいものにするためには、責任感も大事なのです。・出演者にお弁当を出す必要がありますか? 全く必要ないと思います。自分で持ってくればよいのです。 おそろいのTシャツも無料で配布する必要はなく、出演料として払う金額の中に含めればよ いのです。・出演者に交通費を支給するのはなぜですか? 依頼して来ていただいた方には支給すべきだと思いますが、自分から来たいといった人に まで交通費を出す必要はないと思います。・出演料をとり、お弁当や交通費を支給しないことにすれば、このイベントにかかるお金は大 幅に減ります。そうしたら、もっと他のこと(企画運営に携わるボランティアを有償にする など)に使えるのではありませんか?・合唱団とダンスチームは、おまけですか? 司会の方の言葉に、何度も300人のオーケストラという言葉が出てきました。 最年少・最高齢・お誕生日を聞かれたのもオケの方だけでした。 ダンスも合唱もみんな一生懸命練習したことは同じです。 合唱に関しては、一つの団体だけが紹介されるという、どう考えてもおかしいこともありま した。 会場の方の歌声だけでは足りないから、合唱団も募集したのではという声も聞こえてきまし た。確かに、合唱団だけで聴かせるものは、プログラムに一つもありませんでした。・県民のお祭りというのであれば、主役の県民の可能性をつぶすような演出は必要ないのでは ありませんか? 朗読した高校生の女の子、前日には、生き生きと彼女の言葉ですばらしい朗読を聴かせてく れましたが、かわいそうに、当日の彼女は別人でした。 演出の方が、目立ちすぎるとでもいったのでしょうか? 彼女の将来に影を落とすようなことにならなければよいのですが、私には、彼女の朗読に関 しての自信も今までの努力もつぶされたとしか思えません。・背の高い男性が前方に立つと後の女性は指揮がみえないという意見に、今朝まで演出上仕方 がない、我慢するようにといっておきながら、ゲネプロになると、背の高い男性は、女性が 一段高くなったところの前に立つように変わっていました。勇気を出して、見えないと意見 した方を、まるでわがままを言っているかのようにはねのけ、さらに少し考えれば出来るこ とをその場ではせず、何も言わずに変更する、この無神経さがどれだけ人の心を傷つけたか わかりません。・演出が全てで、体の不自由な方への配慮など皆無。速く歩くように言われても歩けないかた もいらっしゃるのです。簡単に上がれる台に上がれない方もいらっしゃるのです。このイベ ントには税金がたくさん使われていて、その中には、体の不自由な方が収めたものも含まれ れいるかと思うと、思いやりのない演出に心から感動できるはずがありません。主役は県民 なんて、口だけですね。・同じ企画では観客に飽きられます。一部の人だけが主役で楽しい企画では、出演者も減るで しょう。 トップは常に広い心で様々な意見を聞き、愛情を持って、それを受け止め、受け入れること を真摯に考えて欲しいと思います。・そして、このイベントが真にだれもが音楽を楽しめる、みんなが 主役のイベントに今後変 わっていくことを切に願います。
August 7, 2011
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残念なことですが、明日の演奏会で、私はおそらく感動することはできないでしょう。この団体、こんなに好きになれない団体といい音楽なんて出来るわけがないのです。音楽大好きな私が、一緒に音楽する人たちを好きになれないなんて、たぶん初めてのこと。本当に悲しいです。この団体(というかこの企画)、きょうになっても、なぜ?と思ってしまうことの連続。真剣にやらなければ、観客はもちろん、指揮者をはじめとする他の演奏者に失礼だと言った私に、お祭りだからこれでいいといい、文句があるなら出演しなければいいと言っておきながら、前日になったら、平気で真剣にやりましょうと書いたプリントを出演者に配ったのです。この感覚、信じられません。人の話を素直に聞けない、過ちを認めず無礼を謝ることができない、そんな人に、人を感動させる音楽ができるはずがありません。音楽の神様がそんなことを許すと思いますか?練習も全く変わりません。相変わらずの私語。指示を聞かず、守らず、それが許されるどころか当たり前という態度。きょうは、幾分気合いが感じられた部分もありましたが、前日になってようやく気合いが入るようでは遅すぎます。本来、前日はもうリラックスするべきときだと思います。前日になってもいまだ気合いの入らない人たちには、怒りを遥かに通り越した、私の気持ちを表す言葉が見つかりません。当初の予定にはなかった演出に、これでは指揮が見えないという意見が出ると、我慢しろという指示。演奏会ですよ。あり得ないと思いました。音がずれてしまうかもしれないじゃないですか?音より見た目の方が大事?指揮者が台に上がってもいいと思いますし、指揮が見える位置に動く指示が出るのかと思いました。足が少し不自由で、素早い移動ができない方がいらっしゃることに気づきませんでしたか?音楽をすることにすばやい移動が必要ですか?大事なのは、かっこいい演出ではなく、音楽をしたいと思って集まった人たちを思いやる気持ちではないでしょうか?東日本大震災で被災された方々に、頑張れ日本!の気持ちを込めて、選曲した歌。これが原語では、意味がわからず、応援する気持ちが伝わらない。だから、スクリーンに日本語訳を写したらどうでしょう?という私の提案は、しっかり受け入れられていました。これは、昨年の第九の反省に基づいて(スクリーンの文字にふりがなをつけて欲しいといったら、もう間に合わないと言われたので)早めにと思い、先週、伝えておいたのです。いい演奏会だったと言われるかもしれないことなので、私のしたことは良かったと思いますが、複雑な気持ちです。苦情は受け付けません、嫌われるようなことは人にいいたくないですから。でも、いいアドバイスはして下さい、私たちが考えたことにしますから・・・・こういうのを自分勝手というのではありませんか?この怒り、どこにぶつけたらいいのでしょう?この不満、明日までにどう解決できるというのでしょう?私は、ストレスのかたまりになっています。肩こりがひどく、頭痛と吐き気が襲ってくるのを待っているような状態です。明日は、偏頭痛の頓服を忘れずに持っていこうと思います。良かったことが一つだけありました。帰りに大学の先輩にお会いしたのです。私は、この先輩に所にお稽古に行こうとずっと思っているのですが、指が痛いこともあり、まだ実行できていません。次回はオケのメンバーとして、ステージに乗りたいので、きょう、お会いできたことをチャンスに、必ず実行につなげたいと思います。
August 6, 2011
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かなり前のことです。専門外のことでしたが、このままではきっと、どなたもやらないだろうと感じ、自ら手を挙げて、引き受けたことがありました。専門外といっても、好きなことでしたから、面白そう!私で役に立てるならと思ったのです。しかし、その時、私のすぐそばにいらした、人生の大先輩が「芸は身を滅ぼすって知ってるか?いいか、身をたすくのではないぞ、滅ぼすんだ」とおっしゃいました。その時、私は冗談だと思い、大笑いしたのです。(実際、私が受けた仕事もなんなく片付きました)しかし、今になって、この言葉は冗談などではなく、その方の経験から出た言葉であり、本当のことだとわかりました。今日、私のところに地元の小学校の学校応援団という方から、お電話がありました。この学校応援団というものが私にはよくわかりません。保護者なのか、それとも地域の方なのか・・・お話の内容は、この秋、まとめの発表会も含めて、計六回、一回が90分、クラブ活動のような音楽関係の授業を無償でしてほしいというものでした。その小学校の子供たちが、何人も私のところにお稽古にきていますし、私もその学校の卒業生でもあります。社会貢献とか、恩返しということから考えれば、お引き受けするのが当然なのでしょうが、このシステム、どうしても疑問が残るのです。技術というものは無形で目に見えません。しかし、もし、私の技術が形あるものだとしたら、こんなお願いをしてくるでしょうか?お月謝を払って教わっていることを無償で教えてということは、いつも売っているものを、ただでちょうだいとお願いしていることと同じだと思います。授業なら、先生たちがすべきです。先生たちで出来る方がいなければ、非常勤講師としてお願いし、その講師に相当の謝礼を支払うべきです。今は出来ないことも、きちんとお月謝を払って習いに行き、それから子供たちに教えてもいいのではありませんか?授業ではないというのなら、その時間の内容を先生と相談する必要はないはずです。公募して、無償であることを承知で応募してきた方に全面的にお任せして、お願いすべきです。予算がないというのなら、こんな企画をしたことが間違いだと思います。PTAで飲み食いするためになら、平気でお金を使っておきながら、肝心な子供たちのためということに使うお金は惜しみ、無償でしてもらおうことしか考えない。無償がいやだと言えば、きっとその人の心が狭いようなことをいうのでしょう。ボランティアという言葉を無償とお考えの方が多いようですが、それはまちがいです。自ら手を挙げて、やりたいといったら、それがボランティアであり、依頼したものはボランティアとはいえないのです。ボランティアには有償と無償がありますが、いずれにしても、自ら手をあげたものでなければなりません。学校応援団は、自ら手を挙げた方で、お電話下さった方もそうなのでしょう。でも、私は、学校応援団でもなければ、自ら手を挙げたわけでもないのです。内容ではなく、学校応援団として、手を挙げた方の中から授業する人を探せばよいのではありませんか?こんな学校のためにだけ都合のいい、勝手な依頼に付き合っていたら、確かに芸は身を滅ぼします。このやり方、文科省が推進しているというのですから、驚きます。厚意に甘えるのもいい加減にして欲しいものです。私は、大好きな音楽で身を滅ぼしたくありません。何より時間を費やしてきたもの、努力してきたことを、大切にしたいのです。私がしてきたことは、価値のわからない人に無償で与えてもかまわないと思えるような、いい加減なことではないのです。人が、人生の全てをかけて培ってきたものを、ただでもらおうなんて、ムシが良すぎると考える方が、そこには一人もいらっしゃらないのでしょうか?全財産を下さいといったら、すぐに渡す人なんていませんよ。私は、頼まれたらいやと言えない損なタチです。おそらく今まで依頼された役をお断りしたことは一度もなかったと思います。しかし、今回はどうしてもこの依頼をお引き受けすることが出来ません。文科省も教育委員会も考え直して下さい。
July 25, 2011
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昨日は、10年以上毎年参加していた、とある大学の夏季講座が開かれた日でしたが、私は参加しませんでした。というのは、8/7に地元で行われる音楽祭の練習と重なり、昨日は指揮者入りの大事な日でもあったので、行けなかったのです。でも、今は選択を誤ったと後悔しています。この団体、練習中や演奏中に、私語が罪悪感のかけらもなく平然と飛び交い、主催者がそれでも良しとしてしまう低レベルなのです。目に余る状況が続き、主催者にかけあったら、大人には注意出来ないとか、不満があるなら、あなたがやめればいいという回答、あきれ果てました。大人だってルール違反していれば注意されて当然ではないのでしょうか?ただ演奏が下手だというのは、アマチュアの方に言ってはいけないと思います。より良いものにしようと真剣に取り組む人を斬り、指導力や統率力のなさを指摘された形になったトップは逆ギレ、まるで今の日本を象徴しているようです。私はこの音楽祭を楽しみに、4月からの激務に耐えて頑張ってきたのに、この練習に行く度、ストレスを溜め込んで帰ってくる始末です。情けないです。悲しいです。アマチュアだから仕方がないと諦めるべきか、主催者が動けない(発言によって参加者が減ることや批判をおそれるのか、動かない、動こうとしない)なら、私が本番までに何とかすべきか、悩みます。演奏中に喋り出す方、しゃべっていり自覚がない方、なぜ静かにしなければいけないのかわからない方、注意しても繰り返す方、あなた方こそ、参加を辞退すべきです。練習中の私語をする方たちは、音楽する以前の問題です。こんなことなら、夏季講座に行けばよかった!
July 24, 2011
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きょうになっても、まだ声が出ないので、もう一度診ていただくことにしました。まず私の声を聞いた先生のひと言、「喉の上のほうの腫れは引いているようですが、ほかのところが腫れてきていますね、これはひどい」出ない声を振り絞って「声がでないと困っちゃうのですが・・」というと、先生「この感じだとあと3~4日、通常の声に戻るまでには、一週間はかかると思いますよ」「どうしてもとおっしゃるなら、一時的に声が出るようになる薬もありますが、薬に弱い方ですから、やめたほうがいいでしょうね」「この前出した薬を飲んで、こうなるというのは、かなり免疫力が低下しているということなのです。ゆっくり休まないことには治りません」「ストレスになるようなことがたくさんあったのではありませんか?」こういわれると返す言葉がありません。考えてみれば、最近の私は、ストレスの原因の中にいたようなものでした。そして、今もまだ、どれも解決していないのです。ただ、ストレスもたくさんありますが、楽しいことやうれしいこともいっぱいあるというのも事実です。ゆっくり休むように言われても、それは、現実的にはかなり難しいこととしか言えません。長引くことを覚悟して、(少しずつでもよくなっていけば、いつか治りますから)風邪と向き合うことにします。
May 30, 2011
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ここ数日、喉が痛かったので、イソジンでうがいをしていました。でも、ときすでに遅しだったよう。昨日は高熱が出て、ほとんど一日寝ていました。薬に眠くなる成分が含まれているというものの、よくこれだけ眠れるものだと自分でも驚きました。熱は下がりましたし、喉の痛みも和らぎましたか、今朝から、声が出なくなってしまいました。私の仕事は声が出ないと本当に困ります。いつもどれだけ喉を酷使しているかよくわかります。私は、お稽古中、階名で歌い続けていることが多いので、これがないと楽譜が読めない子もいるのです。体調のすぐれない日に限って、いろんなことがおこるもの。超自分勝手な要求を平気でしてくる親がいたり、私の話を全く聞かずに、今、話したばかりのことを聞いてきたり…こういうことは、元気なときでもムッとしますが、きょうのような絶不調のときは、本当にイヤになります。無理しているつもりはないのですが、私は、心に余裕のない生活をしているのかもしれません。心にゆとりがないと、他人に優しくすることは難しいと思うのです。貧乏性で、何もしないでいると何だか無駄に時間を使っているような気がしてしまいます。次々と仕事をこなし、忙しくしている自分自身が好きなのです。以前、友達に「いつまで受験生を引きずるの?」といわれたことがあります。勉強して知識が増えたり、練習して出来るようになってほめられるのは、受験生までで、私は、もう、そういう年齢ではないということです。もちろん、いくつになっても頑張ることはいけないことではないと思います。しかし、ゆとりのある生活をすることで、人間として成長できることがあり、それが器の大きさにつながるのかもしれません。明日もお休み。少し、自分の生活を振り返ってみることにします。
May 28, 2011
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先日撮ったMRIの結果を聞きに行きました。もっとはやく知りたかったのですが、別の病院で撮ったことと、週末をはさんでしまったことで、きょうになってしまいました。腫瘍があるかも…と聞いてから、ずっと気になって、頭から離れませんでしたから、きょうまで、とても長く感じました。演奏会があったことので、その間だけでも忘れられたことは、本当にラッキーだったと思います。結果は、腫瘍はなく、手術の必要もなし。ただし、骨の中に空洞があることは間違いなく、折れやすいので、気をつけるようにとのことでした。整形外科の中でも、手がご専門の先生ですが、私のようになった骨は今まで見たことがないそうです。けがした後、無理したからではないかとおっしゃっていました。あれから20年も経っているのですから、けがは恐ろしいですね。でも、良かったです。本当に。私にとっては、大事な大事な指ですから。神様に感謝です。
May 23, 2011
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先週の土曜日は、演奏会でした。以前、宿題をやってこない人たちと書いた団体の演奏会です。私個人は、前日はもちろん、当日の演奏にも全く期待はしていませんでした。(期待できなかったという方が正しいかもしれません)しかし、先生の熱意が通じたのか、前日の練習には、多くの方が宿題をきちんとやった成果が表れ、演奏そのものは、かなりレベルアップしていました。気迫のようなものも感じられ、明日が楽しみ!と思えるほどでした。当日、朝からハイテンションで驚きました。舞台に立つことがあまりない方々にとっては、すごいことなのでしょうね。私は、自分が主宰する演奏会のことを考えれば、出演するだけ(しかも団体で)の今回は、楽しみという感覚しかなかったのですが。ステージでの立ち位置を決め、その後の客席での座る場所、アンコールでの立ち位置。練習時間が少ないので、仕方がないことだと思いますが、当日、こういうことをまとめて決めるということ、いかがなものでしょう?そうでなくても舞い上がっている人が多いのに。私が心配していたことが起きました。午後になり、最後の練習になったとき、午前中に決めた立ち位置や順番がわからなくなってしまった方がいらしたのです。その方に、先生ではなくスタッフのかたがおっしゃった言葉。「午前中に決めたばかりですよね、忘れちゃったんですか?しっかりしてくださいよ」この時の言われた方の困ったような表情を私は忘れることができません。絶対に使ってはいけない言葉だったと思います。わざとじゃないのです。話を聞いていなかったわけでもないのです。真剣に聞き、そのときはちゃんとわかっていたのです。でも忘れてしまったのです。仕方がないことなのです。実際に歳をとってみなければ、どれくらい忘れっぽくなるのかわかりません。それをまだ経験していない若い人が、忘れっぽくなったご高齢の方をせめるのは、間違っていると思います。忘れてしまった方には、何の責任も落ち度もありません。スタッフの方に、出演者が自分の立ち位置や順番を忘れないように、間違えないようにするための配慮が足りなかっただけのです。お金をもらっている人は、払っている人に配慮しなければいけないのです。本当はその場で言いたかったのですが、それはマナー違反だと思いました。ますます、みんなの気持ちがマイナス方向に動きますし、あってはならない発言だったとしても、大勢の前で恥をかかせることはいけないことだと思いますから。演奏会が終わってから、直接発言した方に言いたかったのですが、残念ながらお目にかかることができませんでした。ほかの方に伝えましたが、ご本人に私が言いたかったことがきちんと伝わったでしょうか?そして、今後改善されるのでしょうか?私ならこうすると具体的にわからなくならない工夫についてもお話しましたが、残念ながら、聞き流しているとしか思えませんでした。まして理解して、実践していただけるとは思えません。誰にでもわかりやすく、誰もが間違えにくい。そういう配慮ができてこそ、誰もが楽しい演奏会になり、心の通った音楽ができるのではないでしょうか?ユニバーサルデザインやバリアフリーは、心にも存在することがわかりました。
May 23, 2011
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少し前のことですが、小学三年生の女の子に、「指揮者って何する人?いないとダメなの?」と聞かれました。私が当たり前だと思っていることを、子供たちに質問されると、その答えに悩むことはよくあります。かくいう私も、邦楽の合奏には指揮者がいないと知った時、お琴の先生に「はじめと終わりはどうするのですか?邦楽では、速さや強弱を変えることはないのですか?」と聞き、先生を驚かせてしまったことがあります。邦楽はいわゆる「あうんの呼吸」で成り立っている部分が多いようです。邦楽の世界ではそれが当たり前。その世界でずっと音楽をしてきた先生は、指揮者がいないことに、何の疑問も感じなかったわけです。子供に聞かれて、指揮者って何をする人なんだろう?あらためて考えました。そして私が出した答えが指揮者はシェフ。同じお材料で同じお料理を作ったとしても、シェフによって味つけも見た目も違うものができます。少し辛いもの、甘いもの、やわらかいもの、固いもの・・・・音楽も同じではないでしょうか?同じ曲を演奏しても、指揮者によって、異なった曲になります。昨日、私は、演奏会に行きました。演奏された曲は、昨年、この指揮者先生が、他のオケで演奏された曲でした。同じ指揮者が振っても、演奏者が変われば、よく似た演奏にもならないことがわかりました。昨日の演奏は、昨年の演奏とは、全く別の物でした。どちらの演奏が指揮者先生の好み通りだったのか、よくわかりました。シェフは同じでも、お材料が違えば、出来上がるお料理は全く異なり、シェフがその出来映えに満足していると、それを食べた人も美味しいと感じるのかもしれません。人の気持ちは目に見えないものですが、心の目にはよく見えるものですね。
May 15, 2011
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今、私が参加している講習では、昨日までに宿題(暗譜しなければならない曲)が2曲ありました。何より好きなことですし、まさに寸暇を惜しんで、何度も何度も練習しました。この一週間の私は、過密スケジュールにプラスして、一大事につながるかもしれない診断もあり、気持ちにも余裕はありませんでした。でも、宿題は宿題です。どこでも意識できるように工夫しましたし、実際にそれを活用しました。昨日、会場に向かう車の中でも、最終チェックをし講習に臨みました。当たり前のことです。ところが、講習が始まると、この宿題をやってこない人が大勢・・・・宿題をやってないのに平気で参加している(それが当然のように)やってこなかったのに、へらへら笑ってごまかそうとする(恥ずかしいことだと自覚し、反省すべし)やってきた人に対して、時間があった、元々能力がある人で、それほど努力しなくてもできたのだと決めつける(与えられた時間はみな平等)大人のこういうところが大嫌いです。「スゴイですね。完璧に暗譜していらっしゃる。やっぱり力のある人は、すぐに出来ちゃうのですね」違いますよ!私が暗譜できたのは、力があるからではありません。もし私に何かの力があるとしたら、覚えようとする気力だけだと思います。宿題をやってこなかった人に、丁寧に教えている方がいらっしゃいました。すばらしいと思います。これが、自分に厳しく、他人に優しくということなのでしょうが、私にはできません。真剣に取り組み、努力した跡がみえ、それでも出来なかったとなれば話は別かもしれませんが。私が毎日悪戦苦闘している特別支援教育では、能力の違いをせめることは決してしませんが、やる気のなさや指摘を素直に受け止めないこと、反省しないことなどには厳しく接します。それが必ず自立した将来につながるからです。宿題をやってこなかった自分に甘い方々、次回は反省して、きちんと宿題をやってくるのでしょうか?昨日の態度からみて、全く期待していませんが・・・
May 14, 2011
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私は大学生のとき、左手薬指の骨を亀裂骨折したことがあります。その日は、皮肉にも、後期実技試験の曲が発表になった日でした。すぐに学校の近くの病院で調べてもらいましたが、その時には、骨折していることがわからず、打撲と診断されました。しかし、その夜、左手はグローブのように腫れ上がり、手のひらは真っ黒、指の関節も真っ黒で動かせなくなりました。私の身内にはお医者さんが大勢いるので、症状を話して、どうしたらいいか、何人かに聞いてみました。その結果、大きい病院で診てもらうようにとみんなが言うので、当時、叔父が少し関係していた大学病院の手を専門にしている先生に診てもらうことになりました。その大学病院で再度レントゲンを撮り、折れていることがわかりました。私が通っていた大学は、実技試験が受けられなければ、確実に留年。3ヶ月後には実技試験があるのですから、私は、折れていると知り、絶望的な気持ちになりました。みんなと一緒に卒業できなくなるのかと思ったら、涙が止まらなくなってしまいました。落ち込む私に、先生は、私が音大生だということをとてもよく理解して下さいました。石膏をはめると、他の指や腕の筋肉も落ちてしまい、3ヶ月後の実技試験に間に合わなくなる、だから、手のひらに薄い板をつけるだけにして、出来るだけはやくビアノが弾けるようにしましょうと考えて下さったのです。おかげで、決してよい成績ではありませんでしたが、無事実技試験を受けることができ、進級することができました。前置きが長くなりましたが、少し前からピアノを弾くと、ケガした指に痛みを感じるようになりました。新学期が始まってガタガタしていましたし、GWもありましたから、なかなか病院に行けませんでした。常時痛みがあるというわけでもなく、生活に支障があるわけでもありませんから、人気のある整形外科の順番待ちをするために、早朝から並ぶ気持ちにはならなかったことも確かです。姉に「あなたの手は、大事な手。早く診てもらったほうがいい」と言われ、昨日、早朝から病院の前にお年寄りに混じって並び、ようやく診て頂きました。診断結果は、ヘバーデンという中年以降の女性がかかる、関節の軟骨がすり減っておきる症状だということでした。しかし、レントゲン写真をみると、薬指の骨が黒くなっており、ヘバーデンではこういうことはないとのこと。骨の中に腫瘍があると骨が薄くなり、黒く写ることがあるので、骨のMRIを撮るように言われました。腫瘍ときいただけで、私は目の前が真っ暗になってしまいました。その上、手術して腫瘍をとり、人工骨を入れるというお話。そんなことして、元通りにピアノが弾けるのだろうか、と思うと、平常心ではいられませんでした。「骨に腫瘍というのは、もしかして骨肉腫ということ?」「サインはVのジュンさんは、確か骨肉腫で死んじゃったのよ」なんて考えたら、本当に心臓が止まりそうになりました。しかし、私は、根っからの楽天家。切りかえのはやさに自分でも驚きます。帰りに車を運転しながら、後悔のないように、したいことは全部しよう、行きたい所には迷わず行き、言うべきことは言っておこうと考えはじめました。今度の日曜日の演奏会に行こうかどうしようかずっと迷っていましたが、行くことにしました。参加を迷っていた夏の演奏会にも申し込みました。来週、精密検査を受け、結果次第では、大がかりなことになるかもしれません。そうならないことを祈りたいのですが。
May 11, 2011
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なかなか機会がつかめず、ようやく今日、お話出来ました。でも、今、私はお話などしなければよかったと思っています。なぜなら、私の気持ちを何もつたえることが出来なかったから。私に伝える力がなかったこともあります。しかし、私の話を理解しようとする気持ちを持って聞いていただけなかったことが悲しいです。聞きに来いと言われ、勝手に行っていいものなのかどうか、私には判断できませんでした。(こんなことなら勝手に行けばよかったです)行っていいという許可だけは出ました。但し、上から言われたことには、理由などわからなくても従うのが宮仕えなのだそうで、文句があるならやめろと言われるでしょうとのこと。やっぱり強い立場の人は、絶対に自分は悪くないのですね。これでは、障害者の支援なんて、出来るはずがありません。予算が確保出来ていると言ったか言わないかは水掛け論になるだけだという話も…。言いましたよ。みんなの前で、確かに。ぬか喜びさせたのですよ。公言したことが守れなかったのに、なぜ謝らないのでしょうか。あなた方は選ばれた人なのだから、仕事に誇りを持てともおっしゃいましたよね。これだけバカにされる立場に誇りが持てると思いますか?誇りを持つべき立場の人をバカするは、なぜですか?初めに電話したとき、地震のことには何も触れませんでしたよね。どこの学校にも平等にということをモゴモゴ言って、詳しいことは電話では説明出来ないから聞きに来るようにとおっしゃいましたよね。それが、今日になったら、なぜ詳しく電話で話したことになっているのでしょう。直接仕事をしている私たちに何も連絡がないのは失礼だと言ったら、そういうものだとおっしゃいましたよね。それなのに、きょうになったら、一人一人に説明するところだけれど、授業が始まっているから、校長先生に伝えたと変わっているのです。あきれます。こんなことされて、やる気を失うなという方が不自然です。弱い立場の人たちに謝罪の文書を出すことがそんなにイヤですか?こんなことされた人の気持ち、少しでも理解しようとしましたか?ひどいことをして申し訳ないと少しでも心を痛めましたか?誰も文句を言わないから、上手く利用していると思っているのでしょう?私は、世の中、そんなに甘くないと思いますよ。よく よく考えてみて下さい。どれだけ恥ずかしいことをしたか?
May 9, 2011
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昨日のこと。いきなり私の勤務時数が年間60時間減らされたという連絡がありました。もうひと月過ぎてしまったというのに。私は納得できず、担当部署に電話をしました。「ひと月たってしまってから、なぜですか?理由を教えて下さい。」最初に提示された時間で、予定をくんでしまいましたし、中学では、時間割の教科というものがはっきりしているので、困るのですが。すると、驚くべき回答が。「詳しく聞きたかったら、こちらに来てください。」まず謝ることが先ではないですか?研修の場で、どれだけ予算を確保したとか、今後増える可能性がある分は、予算を確保してあるとか、トップが公言していましたよね。さらに、あなた方は選ばれた人たちだから、誇りを持てとの発言もありましたよね。書類が仕事をする私たちにではなく、事務にだけ届いたり、捺印させなかったのは、こういうことがあるからだったのですか?これでは、悪徳商法と同じです。これだけバカにされる立場に誇りが持てますか?そちらは、はじめの約束が守れなくなったわけですよ。約束を破られた方が、破った理由を聞くためにわざわざ出向くのですか?破った人が謝りに来るのではないのですね。常識では考えられないことばです。「学校に伝えられるだけで、実際に仕事をしている私たちが連絡を頂くことはないのでしょうか?」「そういうことは、ありません」なんという非常識な発言を平気で繰り返すのでしょう。呆れたと同時に、私は、この仕事に対してのやる気を失いました。言いなりになる人たち、文句を言えない立場の人たちとくくられ、いいように利用されているこの仕事が心底イヤになりました。自分自身が努力を重ねることで、美しさや豊かさを感じられる音楽の世界で生きていきたいです。しかし、私は、子供たちを裏切ることは出来ません。私のことを信頼して下さる一緒に仕事をしている先生方も裏切ることは出来ません。納得できないまま、仕事をすることもできません。連休が終わったら、私は、自分の気持ちを校長先生・教頭先生に、話してみようと思います。そして、非常識な回答をした部署に直接聞きに行くことを許可してもらえたら、納得が出来るまで、しっかり説明を聞いてきたいと思います。
May 3, 2011
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きょうは、午後から心から尊敬している指揮者先生の演奏会に行ってきました。十分間に合う時間に出かけたのですが、ちょっと目の保養をするつもりで入ったお店で、素敵なお洋服を見つけてしまいました。そのお店には、他にも私好みのものがたくさんあり、あれこれ迷い、ふと時計を見たときにはすでに開場の時間を過ぎていました。大急ぎで電車に乗り、駅から会場まで全速力。最近、体育でもまともに走ったことなどなく、キツいキツい。ヘトヘトになって、ようやく着いたときには開演ギリギリでした。当日券はすでに完売、座席はもうほとんど空きがありませんでした。うろうろしていた私に、会場係の方が、「あちらの席ならまだ少し空いています」と声をかけてくれました。その席は、なんとステージの後ろ側。以前、私が先生のお顔がよく見えるから座りたいと言い、友達に目立つからやめようと止められた席でした。うっかりして、遅刻寸前の私でしたが、なんと憧れの席にすわることになったのです。人生、時にはこんなこともあるのですね。素敵な音楽に加え、先生の様々な表情もじっくり拝見させていただきました。後ろからでは見えない、右手の動きや、オケの方々とのアイコンタクトの様子もよくわかりました。あまりに素敵な時間で、ずっとこのまま演奏していただきたい、ずっと聴いていたい…と思っていました。まさに至福のひとときでした。 新学期が始まってから本当に忙しく、今朝まで疲れがたまっていた私です。でも、指揮者先生からいっぱいエネルギーを頂いたからでしょうか?疲れはどこかにいってしまったようです。5月は出演する演奏会の練習・本番も含めて、また忙しくなりますが、頑張ります!
April 30, 2011
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昨日、初めて女性指揮者の演奏会に行きました。テレビでは何度も見たことがありました。でも、実際に会場で見てみたいと思っていましたし、演奏される曲が大好きなシンフォニーだったこともあり、チケットを買いました。行ってみて、指揮には、男も女もないことがよくわかりました。というより、女性がどう振るのだろうと考えていた自分自身が情けなく思えました。力強さやスケールの大きさを要求するときはどうするんだろう?男性指揮者のように出来るのだろうか?オケの男性メンバーがちゃんとついてきてくれるのだろうか?昨日の演奏を聴くまでは、こんなことばかり考え、自分が振るわけでもないのに、不安な気持ちでした。同性に厳しいのか、自分も女でありながら、偏見を持っているのか、そういうことを一番嫌っているはずの私なのに。でも、力強さも優しさも、男だから女だからではなく、持ち味なのです。理論を勉強した人が譜面を読み込み、理解し、解釈し、オケが納得してついてきてくれば、それでいいのです。それぞれの指揮者が持ち味を生かして演奏することが何より素晴らしく、素敵なことなのだということを痛感しました。昨日の指揮には、知的で、真面目で誠実なお人柄や、真摯に音楽と向き合う姿勢が感じられました。会場やプログラムには細やかな心遣いもあり、本当に素敵な演奏会でした。感動と勇気をたくさん頂き、明日から始まる新しい仕事も頑張れそうな気がします。
April 4, 2011
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障害児を指導する立場の人たちの中で、真剣に彼らの将来つまりは社会に出た時のことを考えている人がどれくらいいるでしょうか?将来のことなど考えずに、いつもいい顔して、ご機嫌をとっているだけなら、だれにでも容易に出来ることだろうと思います。実際問題、こういう人たちが本人やその保護者から優しい人などと言われていることが多く、これだけは出来るようにとか、わかるように、守れるようにと、一生懸命戦っている人が疎まれたりするのですから、間違っていますよね。もちろん、注意するときには、言い方や回数、場面など、十分な配慮が必要です。学校というところは、手厚く守られた特殊な環境です。そこから離れ、一人で生きていかなければならないときが必ずやってくるのです。それまでに、世間で認めてもらえるような人にならなければ、自立することなど出来るはずがありません。もし出来なければ、親が生きている間は親の世話になり、その後は兄弟姉妹の世話に(負担に)なって生きていくことになります。最低守らなければならない社会のルールや、善悪の判断など、可能な限り学校に通っている間に身につけさせる。もしそうすることができれば、本人はもちろん家族の人生も変わってくると私は考えています。だから、自分勝手なルールを押し通そうとする、駄々をこねれば大人が負けて何でも許されるという考え方、面倒だと思うことは、すぐにいい加減なやり方で済ませようとする、自分でやろうとせず誰かがやってくれるまで待っているなど、こういうことがあったときには、それではいけないことをきちんと伝え、もし一度でわからなければ、その都度、何度でも繰り返し言わなければいけないと思います。でも、これには、その子の将来を真剣によりよいものにしてあげようと思う気持ちとかなりのエネルギーが必要です。世の中エコブームですが、これに使うエネルギーはエコにする必要は全くなく、エコしてはいけないことだと思います。表面的な優しさを本当の優しさと思ってしまう受け手も問題です。楽なことばかりに逃げていたら、将来が変わってしまいます。つらいことも厳しいことも立ち向かって乗り越えていかなければ。私のところに自閉症(アスペルガー)という発達障害を持った女の子がお稽古に来ています。何年待っても、彼女のような障害を持った子供たちの進路先は、あやふやなままです。行政の回答はずっと過渡期。知的障害ではないのに、知的障害とされたり、知的障害ではないから支援学校には入学できないと拒否されたり・・・本人はもちろん母親も、私のことを厳しいと思っていることはわかっていますが、何年か先も現状のままだとしたら、彼女の行く先が私には、はっきり見えているのです。いい顔だけをしていることなど出来ません。してはいけないと思っています。障害だから仕方がないと早々に諦めてしまうこともよいことではないでしょう。彼女は通常学級に在籍しているため、学習以外の生活・対人などの支援を受けていません。一週間に一度しか会わない私でさえ、驚くような行動の連続ですから、学校では、大変なことになっていると思います。家庭でどのくらいファローしているのか、定かではありませんが、私には、ほとんど何もされていないように思えます。支援学級や支援学校に通っていると、保護者同士のおつきあいの中で、情報交換をしたり、学ぶ会などに参加して知識を得ることが出来ますが、そうでない場合は、真剣になってかなり努力をされない限り、こわいもの知らずで、楽観的になってしまうのかもしれません。生活面の指導は、自然に出来るようになると思っていることを、繰り返し何度でも教えていかなければなりません。簡単なことだと思うことでさえ、何度教えても定着していない。そんなことがきっとたくさんあり、家族は、イライラしている自分自身がイヤになってしまう。行動に一貫性はなく、返答はオウム返しですから、理解できたのかどうかもわかりませんし、少し強く出ればパニックに陥ることもあり、とにかく教える側の継続も難しいのです。「私に出来ることは何だろう?」このところ、こればかり、ずっと考えています。
March 5, 2011
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来年度の配属先が内定しました。先日、勤務校の教頭先生からお電話を頂き、学校に行ってきました。その学校には、夫と仕事をしたことのある方や、私自身もお知り合いの方が何人もいらっしゃいました。その上、自宅からは車で5分。自転車や徒歩でも十分の距離です。この仕事をはじめて6年がたちました。これまでの市内の中学校での経験に加え、昨年の特別支援学校での勤務経験も買われ、この学校への配属が決まったと伺いました。とてもたいへんな生徒がいて、初めての方では少々のでは・・考えられるとのこと。さらに、一緒に仕事することになる先生が、以前もご一緒させていただいた方で、その方の希望でもあったこと、教育委員会からの推薦があったことも伺いました。辛いこともたくさんありましたが、評価していただいたことはたいへんうれしいことです。本来なら、この学校に決まったことは、とてもうれしいはず。でも、私は、まだこの話を誰にもしていません。話せないのです。なぜなら両親が私を必要としているからです。父は、ずっと仕事しかしてこなかった人なので、他のことは何も出来ませんし、自分がすべきことではないくらいに考えていると思います。出来ることを見つけようとする気持ちもなく、テレビの番人ばかり。母は、他力本願傾向がますます強くなり、それが当然とばかり、姉や私に何かしてもらうことばかり考えているようです。頑張って自分で出来ることはしようという気持ちはないように感じます。姉と私の行動力をうらやましがるばかりです。今まで私の人生に関わってきてくれた、伯父・叔父・叔母にも同じような傾向が見られ、本当に悲しいです。これが歳をとると言うことなのかもしれないですね。時は全てを解決してくれますが、残酷でもあります。私を必要としてもらえることはとてもありがたいことですが、残念なことに私の身体は一つしかありませんし、時間にも限りがあります。どう切り出したらいいのか、それとも黙ってお断りすべきか、もし、お断りすれば、私はもう二度とこの仕事は出来なくなります。待機している方がたくさんいらっしゃるのですから。自分でもどうしたらいいのか、わかりません。すぐにでも結論を出さなければならないのですが・・・
March 4, 2011
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昨日の演奏会で指揮された先生は、ベテラン中のベテラン。音楽にあまり関心のない人でもお名前だけは聞いたことがあるのではないでしょうか。大変厳しい方として有名なので、ゲネプロからオケも合唱団も緊張の連続でした。数十年前に指導を受けた方の話ですと、ゲネプロは怒号の嵐で、泣き出す人や体調不良を訴える人が続出したとか・・ところが始まってみると、そんな評判はウソのよう。以前、評判通りだったことは確かなことで、経験や年齢を重ねられ、お人柄や指導法も変わったということなのでしょう。先生には、ベテランと呼ばれる方にありがちな横柄な態度も全くなく、真摯に音楽と向かい合っていらっしゃるご様子。楽譜を丁寧に読まれ、作曲者の気持ちをそのまま表現しようと努力していらっしゃることがひしひしと伝わってきました。指揮も基本に忠実で、自己中心的ないやらしさを感じさせませんでした。先生の指揮は、演奏者が出を全く不安に感じない、わかりやすいものでした。さらに表現力がたいへん豊かで、先生の要求が言葉なくして、十分伝わる指揮でもありました。先生の指揮で歌えたこと、最高でした。昨日のすばらしい演奏会。これまで私が参加した演奏会の中でこれほど満足感が得られた演奏会はなかったと思います。参加できて本当に良かった。感謝の気持ちでいっぱいです。指揮者には、統率力、包容力、温かみのある人間性・・・いろいろなものが必要なのだと思いました。単に音楽やその曲について理解しただけでは、決してマエストロとは呼ばれないのですね。私には大好きな指揮者の先生がいます。その先生は、もちろん今でも十分すばらしいのですが、昨日指揮された先生の年齢になるまでには、まだ30年以上あります。あと30年たったら、どんなマエストロになり、どんなタクトを振ってくださるのでしょうか。楽しみです。
February 28, 2011
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昨日のゲネプロでのことです。「アレ?あの人見たことあるような気がするんだけど、誰だったかな?」真剣にタクトを振る指揮者先生にはたいへん申し訳ないのですが、私はゲネプロの間、ずっとその方のことばかり考えていました。ゲネプロ終了後、合唱指導の先生がその方に「○○先生」と声をかけていらっしゃるのを聞いてびっくり。その方は、すっかりおじさんになった高校時代のオケの先輩でした。まあ、面影があったから気になったわけですが。声をかけてみようか迷いましたが、帰り道、他にどなたもいらっしゃらなかったので、思い切って声をかけてみました。旧姓とパートを言うと、先輩は、私のことを覚えていてくれました。うれしかったです。今回演奏するフィンランディアは、この先輩たちと一緒に演奏した曲。なんて素敵な再会なのでしょう。音楽の神様が私にプレゼントを下さったのでしょうか。演奏会がますます楽しみになりました。
February 26, 2011
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きょうは、語呂合わせで富士山の日。この語呂合わせということが何だか適当というイメージを与えたのではないかと思うのは、私だけでしょうか?きっと、大騒ぎしていたのは、静岡でもごく一部の人たちだけだったと思います。しかし、私はそのごく一部の一人でした。セレモニーに参加し、静岡にゆかりのある童謡を歌いました。「午後からお稽古があるので、時間通りに終わるのであれば参加しますが、如何でしょう?」と伺ったとき、県のイベントは時間に正確だから、遅くなることはないというお答えでしたが、終了時間は、予定よりかなりオーバーしました。何が原因だったのか、よくわかりませんが、時間がおしているのにもかかわらず、平然と予定してきたものを全て披露する団体には閉口してしまいます。後の人たちのことや全体のことを考えることが出来ないのでしょうか。先生も注意なさっていましたが、先生がお話をしているときに他のことをしたり、先生のお話を遮ったりする方が必ずいるんですよね。話を聞いていないから、その後間違えて、また他の方を待たせるなどして迷惑を掛ける、最もよくないパターンです。先生が話をはじめたら、しっかりきくなんて、当たり前すぎること。この当たり前のことが出来ない人は、恥ずかしいと思わなければいけません。よく反省し、日曜日の本番では、態度をあらためてくれることに期待します。きょうは、ゲネプロのときから感動しっぱなしでした。静岡にゆかりのある童謡を歌いながら、こういう機会に恵まれたことに感謝の気持ちでいっぱいになりました。私は、メロディの美しいイタリア歌曲やドイツ歌曲も好きですが、やっぱり一番好きなのは、誰もが知っている日本の童謡ですね。ましてきょうは、オーケストラの伴奏で歌ったのですから、こたえられません。ずっとこのまま歌っていたいと思いました。きょうは、デモンストレーションのようなもので、演奏会ではありませんでしたが、拍手と同時に「ブラボー」と声がかかりました。演奏がブラボーというより、企画が素晴らしかったのかもしれませんが。週末の本番に備えて、きょうは早めに寝ます。今度の演奏会では、きょうよりもっと感動したいと思います。
February 23, 2011
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今年の年末に行われる第九の演奏会についての話し合いがきょうから始まりました。以前ブログに書いたように、私は、昨年の結団式の翌日に、お手伝いをしたいと申し出たのに、忘れられてしまいました。新しい組織がきょうから動き始めるということで、連絡を頂きました。でも、私は、決してやる気十分という気持ちにはなれません。有志を忘れてしまうくらいにしか、行政が考えていない組織に使う労力は無駄ではないだろうかと思ってしまうからです。みんなで演奏会を大成功させようと頑張る組織なら、迷わず参加するのですが。会合に行き、やはり私は行政側の方の話に疑問を持ちました。市内で行われれているもう一つの第九より感動したという感想。言ってはいけない言葉ではないでしょうか?まず、あなたは、そのステージに乗ったのですか?聴きに行っただけでしょ?練習に一度でも行きましたか?行ってないですよね。あなたに語る資格はないと思いますよ。それぞれに良さがあるのです。手作りだからいい?大勢参加しているから素晴らしい?音楽のこと、何も知らないのですね。声が大きければいいと思っている中学の先生たちと同じレベルです。きょう、言いたかったけど言えなかったことがあります。明日、私は、勇気を振り絞って、合唱団の方たちが本番の日、お昼を食べながら、どんな話をしおていたか、電話しようと思います。
February 22, 2011
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ピアノの練習曲集で「ブルグミュラー25番」という、昔からずっと使われているものがあります。この曲集の一番が「素直な心」です。バイエル同様、古くさいとか、今の子供たちには合わないと最近では使わない先生もいらっしゃるようですが、私は、二台のピアノで弾くようにアレンジされたものなども含め、時々使っています。ちなみに私は、子供のころ、このブルグミュラー25番はもちろん、バイエルにも大好きな曲がたくさんあり、苦痛だと思ったことはありませんでした。話を「素直な心」に戻します。私が音大を受験するときにお世話になったピアノの先生は、「素直じゃない子は絶対に伸びない」とよくおっしゃいました。受験生だったときは、先生のおっしゃることをきく子が素直だと思っていたので、きっと教えやすいからそういうんだと思っていました。素直ってどういうことなのでしょうか?素直じゃないとどうして伸びないのでしょう?今になって、あの時、先生のおっしゃっていたことが本当によくわかります。素直というのは、まず先生の話をよく聞くこと、そして、言われたようにやってみること、すぐには出来ないこともありますが、言われたようにやってみようとすることが大事なんだと思います。学ぶことは、真似をすることから始まるとも言われます。まずは全部受け入れて、後で納得できるものを自分なりに消化し、身につけていくことが学ぶということではないでしょうか。3年生になってリコーダーの練習を始めた子が二人います。話をよく聞き、真似してみようと繰り返すSちゃんと、話を聞かず自分勝手に吹くHちゃんでは、10ヶ月で大きな開きが出来ました。Sちゃんは、決して器用なタイプではありません。教えたことが出来るようになるまでには、かなりの時間と努力が必要です。Hちゃんは、音楽的なセンスを持っていて、最初はよかったのですが、私が話をしている最中にリコーダーを吹き始めたり、つばを抜いたり・・・よい例とよくない例を私が吹けば、どちらがよいのかすぐわかりますが、とにかく話を聞かないので、それを自分の演奏に結びつけることが出来ないのです。Sちゃんは、3年生とは思えないほど低い音もきれいに出せるようになりましたし、リズム打ちや階名唱も自分で出来るようになり、新しい楽譜が一人でドンドン吹けるようになりました。なんてすばらしいことでしょう。私が、この曲は難しいよといったものも、見事に演奏しました。ところがHちゃんは、つばをゴクンと飲んでから吹くようにといっても聞かず、すぐにリコーダーにつばがたまってしまうので、つばを抜いている時間ばかりかかって、きれいな音どころどころではありません。リズム唱や階名唱は面倒なのか、その曲をまる覚えしようとするので、いつまでたっても、一人で新しい曲に取り組むことができません。素直な人は、柔軟性があり、吸収力もあるので、教える側も、もっと上手にしてあげたいと思うようになるのでしょう。素直じゃない人は、柔軟性がなく凝り固まっているので、吸収することができませんし、教える側も言うことをきかないので「勝手にすれば?」と見放してしまうことになるのでしょう。お稽古ごとだけでなく、日常生活全て、素直な気持ちを持った人は、周りの人がいろいろ教えてくれたり助けてくれたりしますが、そうでない人は、誰も教えてくれず、言うことを聞かないからいっても無駄というレッテルをカゲで貼られ、自分一人で戦わなければならなくなります。3人寄れば文殊の知恵といいますが、一人で出来ることには限りがあります。だから、素直な子はどんどん伸び、そうでない子は、いつまでたってもそのまま。それでは受かるはずがありません。先生が受験生たちに言いたかったのはこういうことなんだと思います。人は年齢を重ねると頑固になるとと言われますが、いくつになっても他人の意見に耳を傾け、自分の中に受け入れ、柔軟な心を失わずに生きていけたらすばらしいですね。ブルクミュラーさんが1番を素直な心にしたのは、何か意味があったのでしょうか。
February 21, 2011
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今月末の演奏会で、一緒に演奏することになっている子供たちと、初めての練習がありました。鍛え抜かれた透明感のある子供たちの歌声に、鳥肌が立ちました。まっすぐな気持ちが声にそのまま出ていて、とにかく素晴らしいのです。コンクールで賞を取るために練習した合唱とは、根本的に違うと思いました。コンクールが終わった途端に歌声が消えたり、生活の中に歌がなかったり、これでは、歌を愛する心が感じられる合唱が出来るはずがありません。この子供たちの歌う姿勢、楽譜の持ち方・・・すばらしいのは、見た目だけではありません。先生のお話を聞く態度、お返事、上級生が下級生の面倒をみる姿。今は忘れられてしまった本来あるべき姿を見たような気持ちがしました。子供たちの言いなりで、ご機嫌を取ることしか考えていないイマドキの大人たちが、本当に情けなく思えました。正しいことは正しい、いけないことはいけない、守るべきことを子供たちにきちんと伝えていくことが大人の大事な役割だと思います。難しいことや堅苦しいことを言えば、嫌われるかもしれません。だから、「時代が違うから」と言い訳をし、楽な方へ楽な方と流れているような気がします。時代が変わっても、許されることと許されないことはあるはずです。流されてはいけません。自信を持って、正しいと信じることは子供たちに伝えていかなければ・・・
February 20, 2011
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夫の龍馬検定の上位合格と、この一年の並々ならぬ努力に、何かごほうびをあげたいなとずっと考えていました。散々考え、結局、手拭い額を贈ることにしました。なぜ手拭い額かと言うと、昨夏、夫が高知で買ってきた「船中八策」が書かれた手拭いを飾りたいからです。この手拭いそのものは、千円足らずのものらしいのです。しかし、船中八策は、明治政府の基盤になった大切なもの。夫が受けた数々の試験の合格証と一緒に掲示したら?と聞いたら、即答で大賛成してくれました。ただ、手拭いそのものより、額の方がずっと高価で、何だかおかしいような気もしますが…そして、昨日、届いた額の中に船中八策が書かれた手拭いを入れ、壁に掛けると…すごい!すごい!高価な額のおかげで、手拭いの価値が急上昇です。私は、この一年、背中で教えてもらったと思います。まず、目標を持つことの尊さ、それに向かって努力することの素晴らしさです。そして、挑戦する限りトップを目指し、実際にトップを取る人の努力する姿から自分の甘さと弱さも知りました。私も負けてはいられません。何か目標を決めなければ。
February 15, 2011
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音楽の世界では、ステージには、その人の全てが出ると言われます。おそらく、音楽だけに限らず、ステージにも限らず、いわゆる発表という場には、その人の全てが出るのでしょう。どんなに繕って、体裁を整えたとしても、決して見せたくない部分を隠すことは出来ないと思います。日常生活をきちんとして、日々努力を積み重ねてこそ、人を感動させる発表が出来るということなのでしょう。先日、第九のDVDが届きました。今回は、買おうかやめようか散々迷いました。でも、第九以外が新しい企画だったので、それを聴く立場から見たい聴きたいと思って、買うことにしました。そして、昨夜、じっくり鑑賞しました。その感想が「ステージにはその人の全てが出る」と再認識したということです。新しい企画はとてもよかったと思いました。一生懸命演奏している姿は何より素晴らしく、客席にもそれが伝わり、演奏者と観客の一体感も感じられました。しかし、肝心要の第九は、情けないほど低レベル。音楽的なことを言えば、指示があいまいでフレーズの頭が不揃い。言い変えれば、 信頼関係がなく、まとまりがないということ。 テンポの変化にも、脈絡が感じられず、行き当たりばったり。それゆえ、オケと合唱がずれたり、ソリストが生かされていなかったり。直したいところだらけの本番で、完全燃焼なんてあり得ないですね。日常生活を見直し、ステージに立つ人が全員、最大限の努力をしてこそ、感動を与えられるステージが出来るのです。次回からは、全てが出ても恥ずかしくないステージにしたいものです。そのために私が出来ることは何か、じっくり考えたいと思っています。
February 14, 2011
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公民館の高齢者教室で、講座をしたときのことです。この仕事は、慣れているので、多少のトラブルがあっても、どうってことないのですが、今回の度重なるトラブルには、閉口&疲労困憊です。3週間くらいまえに、きょう使う予定の楽譜を持って打ち合わせに行ったのですが、その時の話が全く伝わっていなかったようです。そのとき、公民館を訪れた方に対しての職員の言葉使いに驚きました。敬語の使い方もお客様への応対の仕方も全くできない方だと言わざる得ないでしょう。会場のセッティングについても、打ち合わせの内容を記録していなかったのか、私がお願いしたようにはなっていませんでした。打ち合わせのとき、慣れていない感じがしたので、少し早めに行く予定だったのですが、私も用事があり、それほど早く行くことができませんでした。すると、打ち合わせ済みのことについて尋ねる電話があり、「先生、早めに来るって言ってましたけどまだですか?机はどうするんでしたっけ?」(オイオイ、打ち合わせしたでしょ?)そして私が公民館に着くと、何と駐車場がいっぱい。講師用のスペースが確保されていなかったのです。(こんなの初めて。あり得ない!他のところでは、講師用というコーンが置いてありました)教室は、ガンガンにエアコンがかかっていて、超乾燥状態。いるだけで喉が痛くなりそうです。インフルエンザも流行っていますし。しかもここは公の施設。設定は20℃のはずですよね。ウォームビズは何処へ。(ここで歌う講座?こんなところで歌ったら、みんなの喉がおかしくなっちゃう)黒板は汚く消してある状態。クリーナーも見当たらず。(子供の頃、黒板が汚いって、先生に叱られたことなかったのかしら)ピアノは、カバーがかかったまま、ふたも開けてない状態。中は埃だらけ。並べられた椅子とはかなり距離があり、これではやりにくいからピアノを動かしたいというと、動かせないというお答え。ピアノには下にゴロゴロがついていますから、ワッカさえ足でポンと蹴ってはずせば、大勢でとりかからなくても動くのです。(こんなことは今まで一度もなかったけど)講座を始める前に、長々と館長の話。 (聞いてなかったよ。こんなことがあるなんて)しかも、私の講座を30分早く切り上げて、その後何かするという内容。(打ち合わせのとき、私が早めに終わるようにしますかと聞いたら、その必要はないとのことでしたよね?)館長の話が終わり、「きょうの講座は、早めに切り上げるのですか?」と確認すると、私のところに何回も電話したけど、つながらなかったとのこと。(携帯なら着信ありと出るし、固定電話もナンバーディスプレイだし、着歴も残るし、留守電にもなっている。ファックスだってある。どうして、連絡するのを忘れたって本当のことを言わないの?)DVDを講座で使いたいと講座の依頼があったときにお願いし、これは用意されていましたが、いざ使おうとすると使えないのです。すると、「時間ばかり過ぎるから、いいですよね、使わないで他のことしてください」(それって、誰の台詞なの?)長年の経験から、担当者が言うように、突然DVDが使えないことになっても何とかなりますが、まず、準備がきちんと出来ていなかったことを認め、謝るべきではないでしょうか?第一印象は当たるといいますが、本当にそうだと思いました。何もわかっていない上に、一時が万事、上から目線のお役所体質。税金が使われているかと思うと腹が立ちます。講座にいらしていた方はとてもいい雰囲気だっただけに、ほんとうに残念な結果になりました。次回は今月下旬。今度講座をさせていただく公民館の方が、きちんと対応出来る方であることを祈りたい心境です。今回はとにかく疲れました。
February 2, 2011
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夫が待ちに待っていた龍馬検定の合格通知が届きました。もちろん開封することは出来ませんが、上位合格者だけに届く賞品が中に入っているようですから、間違いなく合格です。かなりの長丁場だっただけに、合格出来て本当によかった!私はこの一年、夫がマジで勉強する姿を間近で見せてもらい、かなり刺激を受けました。やっぱり難関を突破する人は違います。夫の勉強は、とにかくあきれるほど徹底的。妥協することがないのです。しかも、取り組み方が前向きで意欲的。きょうはお祝いのご馳走にしなきゃ。
February 1, 2011
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家事以外に仕事を持っている女性たちは、夕方は時間を気にしながら、仕事をしていると思います。仕事の合間には献立も考えるでしょう。メニューによっては、その日に買わなければならないものがあって、帰りがけに買うことも多いと思います。帰宅後は、一息つく間もなく、洗濯物をしまったり、夕食の支度に取りかかると思います。しかし、奥さまがそうしているとき、世の旦那様方は、いったい何をしているのでしょうか?仕事がはやく終わったから、きょうは、自分が夕食の支度をしようと思う方は、どれくらいいるのでしょうか?家事は奥さまがするのが当然だと思っている方がほとんどなのではないでしょうか?夫はまさにその一人です。はやく仕事が終わったからといって、昨日、帰りにスボーツクラブによったそうです。そうしたら、部活仲間の先生にお会いしたとのこと。この先生は、以前、私も同じ学校に勤務し、授業も一緒にやったことがあり、よく知っている方。奥さまも学校にお勤めです。旦那様方が、メタボ対策なのか、ストレス解消なのか、スボーツクラブで汗を流しているとき、奥さまは、きっと時間を気にしながら、帰宅を急ぎ、夕食の支度をしていたはずです。旦那様方は、何とも思わないのでしょうか?気づかないのでしょうか?ご飯は、時間になれば自然にできているものではないのですよ。スボーツクラブで使ったタオルやウェアは、自分で洗濯するわけではないですよね。つまり奥さまの仕事を増やしているのです。もし、どうせ一緒に洗濯機に入れるだけというのであれば、他のものも一緒に、洗濯してくれればよいのです。夫がどこかに出かけていないと、私がせっせと片付けるので、家の中はスッキリしますが、私が家を空けると、家中グッチャグチャ。もと通りにするだけで、かなり時間がかかってしまいます。私はいつも、ちらかった部屋を想像し、帰宅する前には、覚悟をします。女性がこれだけ外で働くようになったのですから、男性も考えを改めて頂く必要があるのではないでしょうか。私が中学生のときには、まだ男子は技術、女子は家庭科と分かれていました。でも、私より少し若い方たちは、もう一緒だったはずです。男性が変わる日も遠くないかもしれません。そう期待しています。
January 28, 2011
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オケと合唱の演奏会のステージに乗りたくて、申し込みをしました。そして、初回の練習日。合唱曲の一つが大好きなシベリウスのフィンランディアであることがわかりました。(もちろん原語ですヨ)いつか歌ってみたいとずっと思っていた曲です。うれしいです。思い切って申し込んで本当に良かった!フィンランディアは高校生のときオケで演奏した思い出深い曲です。フルートで芸大を目指していた先輩が、今回合唱団が歌うスオミ讃歌のところをよく練習されていて、私はいつも聞き惚れていました。フィンランディアはシベリウスの祖国を想う気持ちがあふれ、豊かな自然に恵まれた美しいフィンランドが感じられる曲だと思います。練習は大変ですが、本番が楽しみで、今からワクワクしています。
January 11, 2011
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きょうは、大好きな指揮者先生の演奏会に行ってきました。どうしたら、こんなに素敵な演奏に導くことが出来るのだろうと思い、深く感動しながら聴きいっていた私です。ほんの一部、もしかして、チューニングがちゃんとできていない?と思われるところがあり、一瞬会場がザワッ!そうか、気づいたのは私だけじゃないんだと思いました。(当たり前ですが)先生ももちろん気づかれたようで、ちらっと視線がそちらにいったように見えました。私のすぐ隣に座っていたご夫婦。(もしかしたらカップルかもしれません)どうやらアンチ指揮者先生らしく、演奏会が始まる前に、プログラムを見て、文句のありったけ。もう言いたい放題なのです。プロフィールなんて本人が書くはずないのですから、指揮者先生だって、言われても困りますよね。演奏の合間にはまたあーでもないこーでもない。だったら来なきゃいいのにね。もちろんチューニングについても。話からして、おそらくこのお二人は音楽の専門家です。ご自身も演奏されていることは間違いありません。指揮者先生の類い希なる才能や環境をひがんでいるだけなのかもしれません。アンチファンなんておかしい言葉もありますよね。好きじゃない、嫌いなんだけど気になっちゃうってことでしょうか。ただ、私は、一生懸命頑張っている人を認めようとしないことがどうしても許せません。チューニングができていなかったことなんて些細なことで、そんなことより長い時間かけて、きょうの演奏会のために努力してきたオケのメンバーがすばらしいのです。楽曲について、ご自身が深く追求し、理解を深め、伝え、指導し、オケのメンバーを一つにまとめて、音楽性あふれる演奏に導いた指揮者先生が素敵なのです。きょうの演奏会で、一番最後に演奏されたシンフォニーの終楽章が頭から離れません。(アンコールももちろん素晴らしかったのですが)自分自身に素直になり、努力を重ねる人たちを認めることが出来たとき、アンチファンのお二人もきっと素晴らしい音楽家になると思います。
December 26, 2010
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夫はこの一年、龍馬一色でした。彼は、大学時代、日本史専攻で、幕末から明治にかけて勉強するゼミに入っていました。もともと龍馬が大好きだったところへ、大ブームが拍車をかけたというわけです。準備などほとんどせず、インターネットで受験出来る龍馬検定をいきなりいくつも受けました。ほとんどトップレベルで合格。天狗に成りきったところで受けた上級試験でまさかの不合格。その日から、本腰を入れた勉強が始まりました。我が家のTVは、夫に占領され、龍馬と野球しか映らないのではと思われるほど。CS、BSも含め、幕末や龍馬関連と思われる番組は、全て録画。一度見て、必要なものはDVDに落とし、用語集を片手にチェック。それらをまとめたノートを作りました。社会科の教員という職業柄、まとめるのは得意中の得意ですからね。名付けて「龍馬バイブル」ノートが、ちょうど大きさも厚さもバイブルと同じぐらいだったからとのことです。明日は、ネットではなく、会場に出向いて、検定試験を受けることになっていますから、今夜は最後の仕上げをするのでしょう。検定を受けるだけで、こんなに勉強するのですから、大学受験をしたときは、もっとすごかったのでしょう。(ボールペンをグロス買いし、腱鞘炎になるほど、書いたとか…)でも、そうして難関といわれる大学に入り、今があるわけです。受験勉強で、勉強の仕方がわかっているというのは、今になっても活きているものなんだと、夫を見ていてつくづく思いました。受験勉強もマイナスの影響ばからではないですね。
December 18, 2010
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第九の事務局から、連絡がありました。私が聞きたかったことは、私の電話を受けた方からのお詫びのひと言。でも、残念ながら、それはありませんでした。おそらく忘れた方は、電話の近くにいたはず。それなのに、とうとう電話に出ることもありませんでした。なんということでしょう!はじめに電話したとき、誰がその電話を受けたかもわからないというお話でしたから、私としては、もしかしたら、私が電話した所は、事務局ではなかったのではないだろうか?都という気持ちもありました。謝る気配が全く感じられなかったので、「どなたが私の電話を受けたのか、おわかりになったのでしょうか?」と聞いてみました。ここまでいっても、まだ、私の気持ちはわからないようで、「おそらく自分が受けたのではという人はいるのですが」というお返事。もし、本当に忘れてしまったなら、認めてきちんと謝るべきではないでしょうか。でも、きっと、事務局の方と私では、音楽への思い(想いかな?)が違うのです。来年からやればいいじゃんくらいにしか、考えていないのでしょうね。来年からでは遅いのです。今年じゃなきゃダメだったのです。私がどんな気持ちで今か今かと連絡を待っていたか、ふりがなのついていない歌詞をみて、どれだけショックをうけたかなんて、わかるはずがありません。特別支援学校の勘違い甚だしい音楽のことも、ディズニーランドが大好きな、リズム感に秀でた重いダウン症の生徒がいることも、ご存じないのですから、仕方がありません。だからといって、許されることはないのですが。医療ミスがあったとき、ミスした本人は、記者会見の席にはいなくて、エライ方が白衣を着てずらっと並び、説明しますよね。あれって、被害者の方やその家族に、誠意が通じるものなのでしょうか?怒りでしかないと思います。人の気持ちって、そういうものではないはず。常に相手の立場になって考える、行動する。それは、とても難しいことだと思いますが、同時に大切なことでもあり、忘れてはいけないことでもありますね。そういうことが自然にできる人になりたいものです。会長先生からもお電話を頂きました。でも、私が事務局に話したことは、全く伝わっていないようでした。この方は、もと学校の先生です。私が話したことがきちんと伝わっていたのなら、おそらく違う反応が返ってきたと思います。残念です。
December 17, 2010
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運営委員会のことで、落ち込んでいる私に。夫「僕は、これでよかったと思うよ」 「その委員になったら、君は、またストレスため込むのがわかってるからさ」私「どうして?」「私、やりたかったことがあったのよ」夫「自分でわからない?」私「わからない」夫「君がどんなにやりたいことがあっても、他の人が、君の意見に賛成してくれるとは限らな い。むしり、賛成してくれないと考えた方がいいかもしれないな」 「そうしたらどうなる?君は、わかってもらえないことで、また悩んだり、落ち込んだりし て、ストレスをため込むんだ。目に見えてる」私「ふりがなをつけてもらうことや、ウェルカムコンサートがいけないの?」夫「それは、僕にはわからない。でも、君は、いつも自分の思いが必ず通じると思ってるだ ろ?そんなことはありえないんだよ。もう少し大人になれよ」確かに夫の言う通りかもしれません。でも、私は、来年から企画に関わりたいのです。もっともっといい演奏会にして、音楽の楽しさ・素晴らしさを一人でも多くの方と分かち合いたいのです。
December 14, 2010
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今年の結団式(第九のコーラス隊)でのこと。会長さんから、運営に協力してくれる方を募集しているというお話がありました。あの時は、まさか9月から特別支援学校に勤務することになるとは思ってもいませんでしたし、なんと言っても私は、ずっと音楽を専門に勉強してきたわけですから、何かお役に立てるかもしれないと思ったことが一つ。それから、大好きな指揮者先生をもう一度お招きしたい気持ちもありましたし、ウェルカムコンサートをしてみたらどうだろう?という考えも持っていました。翌日、事務局に早速電話しました。運営委員の仕事について伺ってみると、それほど頻繁に招集されるわけでもなさそうでしたし、これなら出来るかなと思い、私の経歴を話し、お仲間に入れていただけることになりました。ところが、待てど暮らせど、運営委員会からの連絡がありませんでした。練習にいくたびに、「きょうこそ、受付で何かお話があるかもしれない」と思っていましたが、本番の日までとうとう一度も私には連絡がありませんでした。おめでたい私は、「そうか、来年のことだったわけね、今年は、もう始まってから応募したのだから」と思い込み、どなたにも運営委員会のことについてお聞きしませんでした。今年の第九の演奏会で、とても気になることがありました。それは、第九以外の歌の歌詞が、ステージに映し出され、会場のお客様も一緒に歌うという企画。素晴らしいことだと思いました。この話を聞いたときから、私は、ずっと、日頃、音楽と言える音楽とは全く無縁の特別支援学校の子供たちに、ぜひ聞かせたい、いっしょに歌って楽しんでもらいたいと思っていました。ところが、リハーサルで、歌詞が映し出されると、それにはふりがながついていませんでした。これでは、「先生も出るから来てね」とは言えません。すぐに「今からふりがなをつけてもらうことは出来ませんか?」と聞いてみましたが、答えはバツ。業者さんに頼んで作ってもらったから、今更間に合わないとのこと。今更って言ったって、私は、きょう、その時初めてふりがながついていないことを知ったのですから、どうしようもありません。でも、もしも、私が運営委員会に入っていたら、どうだったのでしょう?本番の日も私はこのことが頭から離れませんでした。そしてきょう、私は、思い切って事務局に電話をしました。すると、事務局と実際に動いている人たちとは連絡がとれていないという現実。つまり、私がお話のあった翌日に電話していることが、会長さんをはじめとする運営委員の方のところに、全く届いていなかったということ。私の電話を受けた人もわからない?静岡市役所では、そんなことってありえるのですか?さすがお役所仕事ですね。一般の会社ではあり得ないと思います。謝りの電話がすぐにかかってくるかと思いましたが、それもなし。連絡を取らない事務局なんて、いったい、毎日、何をしているのですか?それで給料もらっているんですよね。しかも、それは税金ですよ。私、落ち込みました。がっかりしました。きちんと仕事をしてくれたら、特別支援学校の生徒たちを演奏会に招待出来たかもしれないと思うと、本当に悲しいです。このことはこのまま黙っているべきでしょうか?もしかしたら、氷山の一角かもしれません。もっともっと大きなことが忘れられているかもしれないのです。でも、市役所のHPに投稿したところで、忘れた方が反省することもなく、このしくみが改善されることもなく、きっと内部でかたづけられてしまうでしょう。お役所は身内に甘いところですから。何かよい方法はないでしょうか?
December 14, 2010
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先日の第九の練習でのことです。先生「ここはコーラスが属七なんですよね」(属七だって。懐かしいなあ。でも、これ本当に属七?)と思いましたが、その時は練習中。貴重な時間ですから。(家に帰ってからじっくり考えよっと)それにしても、指揮者の先生がそうおっしゃったところで、いったいこの中で、属七の意味がわかる方が何人いらっしゃるというのでしょう。会場は一瞬ザワッとなりましたが、それだけでした。属7が続いて、その後解決するから、どう歌うって教えてくれなきゃ、合唱は変わらないのでは…帰宅後、じっくりアナリーゼしました。不思議なもので、大学時代は、こういうこて好きじゃなかったのに、今、やってみると面白いんですよね。第九はd-mollですが、途中、何度も転調していて、なかなか複雑。受験生時代の調性判断の問題を思い出してしまいました。伴奏にBがあるので、疑問は残りましたが、とりあえず属七(属九)から解決まで、私なりに納得しました。でも、正直、だからなんなの?って感じがしないわけでもありません。本番まであと一ヶ月余り。今年も感動的な演奏会になるといいなあと思っています。
November 10, 2010
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昨日、市内の特別支援学校や支援学級に在籍している生徒たちの球技大会がありました。昨年までお世話になった先生方に大勢お会いしました。挨拶し、現在の状況を話したりしているうちに、私は、大事なことを忘れていたことに気づきました。私には、また一緒に仕事したいと思う方がこんなにたくさんいて、私の来年度の希望まで聞いてお誘ってくれる方もいらっしゃるということ。もちろんリップサービスだと思いますが、私がしてきたことを認めて頂けることは、本当に嬉しく、ありがたいことです。楽しく仕事をしていた時の先生方と今の学校の先生方はどこがちがうのか、昨日、私は第三者的な視線で、一日中、今の学校の先生方を見ていました。一番手のかかる生徒はベテランの方がみるべきだと思います。通常の学校から来た特別支援学校は初めてという先生に押し付けて、上手くいかないと能力がないようにいう。このことだけをとっても、ここの先生方の考え方には大いに問題があると思いました。もちろんそういう方ばかりではないと思いますが、嫌なこと、きついこと、苦しいことなど、大変なことこそ、黙って自分が先頭きってやるくらいの気持ちがなければ、人の上にたつ資格はないと私は思います。昨日お会いした元教頭先生も、前任校の教頭先生も、毎日、校内の汚れているところをきれいにされていたことを思い出しました。私が人の上に立つことはないと思いますが、そうありたいと思いました。
November 6, 2010
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クラフトパンチにはまっています。もちろんコレクションしているわけではなく、使うためです。発表会のプログラムの表紙をクラフトパンチでデザインしたいと考えているのです。以前から少し持っていましたが、ネットで探したり、文房具屋さんに行くと、いろんなタイプがあり、全部欲しくなってしまいます。極めつけは外国もの。夏にアメリカでも探し、日本では手に入らないものを買ってきました。私が作るプログラムは、いつもA4を二つ折り。試しにいろいろ作ってみるのには、少々大きいので、メッセージカードのサイズで、作ってみました。夏休みくらいから始め、もういくつ作ったかわからないほどです。なぜかこの試作品が私のまわりの人に好評で、欲しい方には差し上げました。プレゼントに添えたり、ちょっとしたメモを渡すときに使いたいという方がほとんどです。このカード自体は、100円ショップで買ったものですが。ほんのちょっとしたことで、こんなに喜ばれるとは…昨夜、ようやく本来の目的であるプログラム作りに取りかかりました。こういうことは大好きなので、時間を忘れ夢中で作りました。試作の時はいいかなと思っていたものが、大きさが変わるとイマイチだったり、新しいアイディアがまた浮かんだり…やめられなくなり、今日は睡魔との戦いです。それでも、全部は出来なかったので、今夜また続きをやります。プログラムを見て、喜んでもらえるといいのですが…
November 4, 2010
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毎日、毎日、木工品のコースターを作っています。木の切れっ端で、いくつかのピースを作り、ベニヤ板に並べるだけです。生徒たちのアイデアを入れる余地もなく、誰が作っても全く同じ。つまらない作業です。そこに何かプラスしようという考えを誰ももたないのでしょうか?そんな子とすれば、仕事が増えちゃいますからね。こんなつまらない作業を、よく生徒たちが黙ってやっているものだとそれが不思議なくらいです。最近は、形の出来上がったコースターにニスを塗る作業をしているのですが・・・数年前、私は、ここの学校で生徒が作ったコースターをいただきました。ところが、ニスの塗り方が甘いため、コップを置いたところが真っ黒になってしまいました。今回のコースターもプレゼントをすることになっているのですが、プレゼントするものがこれじゃいけないと思うのです。一生懸命作ったからそれでいいというのは、先生方の甘えです。昨年、前任校で生徒たちが本箱を作ったとき、ニスを塗ってはサンダーをかけ、水洗いして、乾いたタオルでよくふき、乾かす。この作業を何度も何度も繰り返しました。私が中学生だったころは、まだ女子は家庭科しかやらなかったので、私はこのことを知りませんでした。塗っては削り塗っては削り。繰り返しているうちに、表面の凸凹がなくなり、仕上がりがきれいになると教わりました。出来上がった本箱は、ピカピカで、どこに出しても恥ずかしくない、本当に素晴らしいモノでした。主に授業をしている先生に、この前、この話をしました。知らなかったそうです。その前にも他の先生にお話はしたのですが、聞き入れてはもらえませんでした。毎年やっているわりには、知識がなさすぎませんか?授業にお手伝いで入っていただけの私が知っているのですよ。メインで授業する人があまりに勉強不足ではありませんか。とにかく、私が他の先生方と同じことをしているのがイヤで、別のこと(誰が見ても、何段も下がったようなところで、どうでもいい仕事)をさせていないと気がすまない人たちです。きょうは、私の仕事として、生徒たちの作業テーブルから少し離れたところに、使い古した紙ヤスリとニスを一度ぬって乾かしたコースターがかごに入れてありました。つまり、生徒たちと同じテーブルには私を座らせたくないのです。始めの頃は、そのテーブルで、生徒たちが使うピースをみがけと言い、その次は、そのピースを作るために、のこぎりで切れと言い、きょうは、そんなに言うならやってみろと言わんばかりに、ニスがきれいにぬれるように、使い古しの紙ヤスリででこぼこをとってみろ、です。私は、電動のサンダーと言ったはずですよ。使い古しの紙ヤスリでは、手が痛くなるだけで、表面がきれいになるはずがありません。他の先生方と同じ動きをするのはおかしいといいながら、主になって授業をしている先生が話をしているとき、話を聞いていないと注意されました。こういうときは同じ動きを要求するのですよね。私は、与えられた使い古しの紙ヤスリで変化があるかどうか、少し試していただけです。変化がなければ、サンダーを使いたかったし(一度も使ったことがないから、この学校にサンダーがあるのかもわからない)なければ、もっと使える紙ヤスリが欲しいと思ったから。朝の会で、生徒が話をしたり、メインの先生が話をしているとき、連絡ノートを書いたりしているじゃないですか。これはよくて、なぜ、私はいけないのでしょう?私に、きょうの授業のことが開いてあるプリントを廊下に出て読めというじゃないですか。(なぜ、廊下に出て読むのか私にはこの意味がわかりません)都合よく、同じにしなければいけなかったり、同じにしなければいけなかったりでは、私はどうしったらいいのかわかりません。生徒たちは、ボンドを入れたお皿を洗ったとき、流しまできれいにしません。できないのかもしれません。(就労を考えれば、そこまで指導しなければいけないのではないかと私は思います)ボンドの汚れは、すぐに、スポンジなどで擦れば、簡単に落とせるけれど、時間がたつとなかなかとれなくなります。だから、きょうも、生徒が残したボンドをとっていると、早く席に着けとまた注意。メインの先生の話が終わってから、急いでまた流しの所に行くと、今度は、生徒が優先だから、生徒について教室に行けという。私以外の先生がいっぱいいて、私なんて全く必要なく、一番後を歩いていっただけ。あなたの研究授業の前に、流しにボンドがこびりついていたから、かっこわるいと思って、きれいにしたのは私ですよ。覚えていますよね。必要とされていない、居場所がない、一挙手一投足に文句つけられ、自分たちより低いモノとして扱われ、こんなところで働くのは、イヤだ。途中で逃げ出すのもくやしいです。負けたことになりますから。(でも、あの学校には相談できる人、誰もいないんだよね)私は、今まで、自分の人生なかなかいいじゃん!って思ってきました。私なりの努力もしたと思うけれど、ずっと恵まれてたし、楽しいこともたくさんありましたから。でも、こんなみじめな思いをさせられたら、もういいじゃん!なんて思えません。人生をリセットできるのなら、こんなみじめな気持ちを持つことがない道を選びたいと思ってしまいます。どうしたら、みじめな思いをしない人生になるんだろうって考えてしまうのです。だけど、何度生まれ変わっても、私は、音楽だけは絶対にしたいと思います。今のように楽譜も読めて、楽器も出来て、歌も歌えて、演奏を聴く耳も持って、また音楽であふれた人生にしたいと思います。音楽がなかったら、私は、私ではなくなります。車の中でリストの前奏曲を聴きました。ボロボロになっている私の心の中に、美しい旋律がすーっと入ってきて、涙が止まらなくなりました。
November 1, 2010
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これが福祉に携わる人のすることかとあきれます。特別支援の勉強を本当にした人たちなのでしょうか?通常の子供たちと同じように出来ないから、支援を必要としているから、この学校に来ている子供たち。その彼らになぜ温かい気持ちを持って接することが出来ないのでしょうか?私たちはみんな同じ人間です。助け合って生きていくという気持ちが持てないのでしょうか。弱い立場の人をバカにして、いつもその人たちの上に立って、指示をしないと気が済まないのでしょうか。私に対しても同じです。私を自分たちより低いものとして扱い、同じことをしてもらっては困る、同じことをするのはおかしい、とその時にしなくてもいい他の仕事をするようにいうのです。私のこと、自分たちより低いものとして扱わないとやっていけないほど、自分に自信を持てないのですか?情けない人たちです。心の貧しい人たちです。私がいないところで、私の行動について話し、その過程は何も言わず、理由も言わず、もちろん私の意見は全く聞かず(自分たちより低い人の意見は聞く必要がない?)、勝手な解釈をして、結論だけを私に伝えるのです。これってまるで欠席裁判じゃないですか。完全に人格否定です。日によって、同じ授業でも、私への指図の内容がコロコロ変わるのですからたまりません。なぜそうするのか、わかるように話してくれなければ、納得できません。子供たちへの指導でも、よくみられます。なぜそうしなければならないのか、そうしてはいけないのか、全く説明がないのに、命令することばかりです。理由がわからないのですから、繰り返すのも当然です。いつも、私がまるで何も気づかない、気が利かないような口ぶりで、いちいち、何から何まで、命令、指図の連続です。あなた方はそんなに立派なのですか?一歩外に出たら、教職を離れたら、あなた方こそ通用しませんよ。私は生徒(子供)じゃないのです。(もちろん生徒でも許されないことだと思いますが)こんなふうだから、生徒たちは、強く言われなければ動かない、おっかない先生の前でだけいい子になる。言うことを聞く。してはいけないことを繰り返す、いつまでたっても一人では何も出来ない。あなた方がそうしてしまったのです。気づきませんか?大事なことも忘れていませんか。相手の立場に立って考えること、弱い立場の人を優先すること。ひと言で言えば思いやりということです。人として生きていくために、一番大事なことだと私は思います。常に上から目線の言動をし、相手の人格否定をしていることに気づかない人たちに、福祉の仕事なんてできるはずないじゃありませんか。あなた方こそ、心に障害を持っているのではないですか。相手を傷つけることでしか、自分を守れない。人の気持ちがわからない。人として生きていくために支援が必要なのは、あなた方です。私、何も感じていないように見えているかもしれません。でも、本当はものすごく傷ついているのです。必死で、我慢に我慢を重ねているのです。(でも、身体は正直ですね)本当の私を知っている卒業生は、私が無理していることに、すぐ気づいてくれましたよ。言いたい気持ちはあって、本当は言いたくてたまらないのです。今朝も、今日こそはと思って出かけたのですが、結局ダメ。勇気がないのです。トラブルがこわいのです。私が我慢して終わるのならそれでいいとすぐに逃げに走ってしまうのです。はっきり言える人がうらやましい。でも、私は、あの人たちよりずっとずっと心豊かな人生を歩んでいる。それだけは、絶対言えること。
October 29, 2010
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私は、縁あって、中学3年間をずっと一緒に過ごし、今年の3月に卒業した生徒たちが通っている学校に勤めています。私は中学部に所属していますが、彼らは、もちろん高等部。それほど大きくない学校ですから、校内でほぼ毎日、彼らの姿を見ることが出来ます。卒業した生徒が元気で頑張っている姿を見ることは、本当にうれしく、なんてありがたいことなのだろうと思います。昨日のこと。私が、廊下で、何をするかわからない、目を離すことが出来ない自閉症の生徒に悪戦苦闘していると、卒業生の一人が声をかけてきました。「先生、大変だね」なんと彼は、悪戦苦闘している私を励ましてくれたのです。私は「同情してくれるの?ありがとう。大人になったね」と答えましたが、涙が出そうでした。そして彼は、こう続けました。「先生が体育でもないのに、ずっとジャージ着てるだけでも、なんか違和感あるんだよね。」「先生、ここの学校、大変でしょ?○○中で、僕たちと一緒にいたときの方がよかったでしょ?」彼には、私がかなり無理しているように見えるのですよね。その通りなのですが。そして、今朝。昨日の彼にまた会いました。「先生!おはよう。頑張れよ。」この後、彼は、他の先生に「先生は友だちじゃない」と注意されていましたが、私は、彼の気持ちがうれしくて、そんなことはどうでもいいと思いました。今の学校には、私を助けてくれたり、守ってくれたりする先生は誰もいません。でも、いつも私を助けたり、守ったりしてくれた先生の姿を、一番近くで見ていた生徒たちがその先生の代わりに励ましてくれるのですから、ホント感激です。泣けちゃいます。ここの学校に勤務するという話、なんで受けちゃったんだろう?正直、やめておけばよかったと後悔しています。でも、頑張っていると、こんな素敵なこともあるのですね。
October 28, 2010
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また、更衣室でのことです。どうやら、涼しくなってきたら、何を先に脱いで、何を着ればいいのかわからない生徒がいるようです。体育の時にはくハーフパンツを長いジャージの上にはいてしまったり、制服のブラウスの下にベストを着てしまったり・・・毎日、毎日、先生に叱られてばかりの中学3年生の女の子。何とかしてあげたくなります。きょうは、一つ脱いでは、先生に次は何を脱ぐのか、何を着るのか聞き、その度に叱られていました。私は、全く目が離せない生徒を見ているので、余計なことを考えている暇はないのですが、気になって仕方がないのです。この指導、おかしくない?「言葉で説明してもわかりにくいことやわからないときには、視覚に訴える」これって、障害児教育の基本中の基本。障害児だけじゃなく、全ての教育の基本と言えるでしょう。先生と呼ばれる人であるのなら、理解できない生徒を責めるのではなく、まず理解できる方法を考えるべきです。今は、デジカメで簡単にいつでも写真が撮れ、現像できるのですから、学校で着る体操着、自宅から着てくる制服、これらの写真を撮って、ラミネートしたものの裏にマグネットをつけます。そして、この生徒が着る順番、脱ぐ順番に、小さなボードに並べるのです。そうしたら、先生に聞く回数は確実に減ると思いますし、実際に着替えるときだけでなく、授業中にも何度も繰り返して使えば、わかるようになるのではないでしょうか?家庭でも協力していただく必要があるかもしれません。何度叱っても、それだけでは、正しく着られるようにはならないと思います。私には、このとてもおっかない、若い先生にアドバイスすることは出来ません。学年が違いますし、入ったばかりの私が言える立場じゃないと思うからです。本当に生徒のことを考えれば、言うべきなのでしょうが、簡単にできることではないのです。他の先生方は、この若い先生の指導に疑問を持たないのでしょうか?それとも持っても何も言わないのでしょうか?あるいは、言ってもこの先生が受け入れないのでしょうか?私には、この先生の常に上から目線がとても気になります。毎日、彼らと過ごしていると、何か自分が特別優れているような気になってしまうのでしょうか?相手の立場になって考えることが出来なくなっていることに気づかないのでしょうか?この先生の指導する姿を見て、魅力を感じる男性がいるでしょうか?私には、なぜ、この人がこの学校の先生になったのか、全くわかりません。
October 18, 2010
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きょうは、久しぶりに高齢者教室の講師をさせていただきました。同じ区内といっても、中心部からはかなり遠い所で、行くときには、いつもドキドキしてしまう公民館です。かなり遠いというのに、講座の開始時間が、他の公民館より1時間以上もはやく、今朝は、大忙しでした。学校に行く日より早く自宅を出ましたが、工事渋滞もあり、着いたのは、講座開始10分前でした。講座に参加してくださった方は、50名くらいでしょうか?私の講座は、もちろん音楽が中心なのですが、必ずしも音楽に興味のある方ばかりではありませんから、遊びや運動も取り入れています。講座の目標は、歌が上手になることでも、音楽的な知識を増やすことでもなく、参加して良かった、また来たいと感じてもらい、笑顔で帰宅していただくこと。考えてみれば、私は、高齢者教室の講座を今までに何回したのでしょう?かつて、私は、定期的に毎週2回、月8回。そして、不定期に年8回くらい。それをおよそ10年やったわけですから、1000回以上になるのです。1000回もやると、少しくらいのトラブルなら、動じることもなくなり、臨機応変(行き当たりばったりの方が正しいかも)受講されている方の様子を見ながら、いくらでも変えられるようになるものです。きょう、研究授業をした夫も、もう20年以上、教員をしているのです。私が昔、イジメのように感じた授業の反省会も、「どうってことないよ。こういわれたら、こう返すくらいのシナリオは、授業する前から出来てるから」と余裕。経験ってすごいですね。これから年度末までの半年の間に、高齢者教室の依頼がたくさんあります。それぞれの地域にあわせた、楽しい講座ができるように、頑張って勉強します。明日は、ずっと楽しみにしていた大好きな指揮者先生の演奏会。気持ちはすでに演奏会の会場にある私です。
October 8, 2010
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この学校は、私の所まで連絡が届かないことがあまりの多く、私、日々とまどっています。きょうは、以前同じ学校で勤務したことがある先生がゲストティーチャーで招かれ、授業をされました。先週、この先生が子供たちの様子を見に学校までいらしたとき、私は、先生のリコーダーの伴奏を頼まれました。練習しなくちゃ!たいへん!という気持ちより、音楽出来ることの喜びが大きく、なかなか届かない楽譜に少しも焦らなかったと言えばうそになりますが、ウキウキした気分で、きょうを迎えました。いくらなんでも、ぶっつけ本番で、伴奏するわけにはいきません。授業の前に打ち合わせもかねて、一度合わせることになっていました。しかし、きょうは、初任者研修の先生の研究授業の日でもありました。私の所に届いていた伴奏あわせの時間は、この先生の研究授業の最中でした。どうすればいいのかわからず、とりあえず、その時間に、前に私の所に伴奏あわせの時間を伝えてくれた先生に、聞いてみました。すると、「今日は、研究授業だから、打ち合わせは○時になりました」とのお答え。「そうだったんですか」と返しましたが、内心は「聞いてないよ。だったら、先に言ってよ」という気持ちでした。いよいよその打ち合わせの時間になっても、他の先生が、私に仕事をいろいろ言われるので、これにもまたびっくり。とりあえず、その仕事はしましたが、「聞いてないの?」と言いたかった私です。まあ、音楽に対する気持ちが私とは全然違うと思うので、たとえ聞いていたとしても伴奏あわせを大切にしたい私の気持ちなんてわかるはずもありませんが。きょうのこの伴奏は、実は私の勤務時間外でのことでした。でも、そんなことはどうでもよく、この先生と演奏できたことは、私にとって本当に楽しい時間であり、貴重な体験でした。ただ、いくら特技だといっても、練習は必要ですし、はっきり感じられる「好きでやってるんでしょ?」という対応が何とも不愉快。音楽に関して、素人の方が、ボランティアで来てくださったゲストティーチャーに対して、あれこれ注文をつけたという事実にも、驚きです。大ベテランの先生なのですよ。ボランティアと感謝はセットになっていること、知らないのでしょうか?評価されるのは嫌いなのに、他人は平気で評価し、批判するんですよね。初任者研修の研究授業の時、私には、椅子がありませんでした。与えられた仕事も驚くモノでした。聞かされたときは、ショックでしたが、所詮私の仕事はこんなモノだという気持ちもありました。こういうことは今までにも何度もありましたし。しかし、きょう、その研究授業の最中、授業を見学に来た方の中でたった一人でしたが、私に声を掛けてくださった方がいらっしゃいました。この方のひと言で、私の気持ちは救われました。ここの学校の先生たちは、上から目線がしみこんでいて、誰に対してもそうなっていると思います。こんなこと、一般の社会では絶対通用しませんよ。「何、威張ってるのかしらね。」「あのいい方は失礼なんじゃないの?」「あなたは、そんなにエライの?って言いたくなるわよね」今にもこんな言葉が聞こえてきそうです。相手の気持ちになって行動できない、つまり人に優しく出来ない人に、福祉の仕事ができるのでしょうか?子供たちやその家族の身になって考えた支援ができるのでしょうか?
October 7, 2010
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近くの小学校で、地元のアマチュアオーケストラの演奏会が開かれることになっています。学校では、一人の児童に対して何人参加するのか、人数を把握したかったらしく、参加者は、申し込みをしたようです。この話は、かなり前から聞いていたので、私は、お稽古に来ている子供たちに、この演奏会に向けて、事前学習を使用と考えていました。何の知識もなく、ただ、演奏を聴いても、途中で飽きてしまうかもしれませんし、記憶に残らないと思ったからです。一般の方は、日頃、生のオーケストラの演奏を聴く機会はほとんどないと思います。その少ない機会を最大限に利用して、子供たちがオーケストラのことはもちろん、それぞれの楽器や、演奏される曲について、少しでも興味を持てるようにしてあげたいと思ったわけです。オーケストラで使われている楽器の話をしたり、楽器の音を集めたCDを聴かせ、以前作った楽器のカードを見せて、どの楽器の音か当てさせたり・・・・お稽古の時間を使うわけですから、参加するかしないかは大事なこと。ここで私は、驚くべきというかやっぱりねというか、そんな現実にぶつかりました。参加しない子の保護者ほど、批判や注文の多い方だということ。文句ばかりいってないで、やることやったら?と言いたくなりました。あなたの子供が上手にならないのは、誰のせいでもなく、そちらの家庭に原因がありますねと言えたら、どんなにすっきりするだろうと思いました。(いつも言いたいことが言えず、百歩譲って、こういう方々の言い分を出来る限り、かなえている私です)義務を果たさず、権利ばかりを主張する人が本当に増えていますよね。困ったことです。そういう人に育てられた子供が、これから大人になっていくのですから、恐ろしいです。言ったもの勝ちではなく、みんなが相手の立場を考えて行動できる世の中になったらいいなと思います。きちんと義務を話している人は、きっと権利を主張することなどないはず。そういう人は黙っていても、権利が守られるのです。それにしても、保護者が興味を持てない、持つ気持ちもないことをどうして子供に習わせるのでしょう?子供がやりたいといったら、一緒に取り組むくらいの気持ちがなかったら、上手になるはずがないじゃないですか?日頃の努力なしに、いい思いだけをしようとする子供と変わりません。自分の子が出るからというだけで、音楽には全然興味のない親たちのために、発表会をするのかと思ったら、何だかバカバカしくなりました。こういう人たちは、私が、発表会のために、どれだけのことをしているかなんて、全くわからず、「あなたの仕事でしょ?」「もっと他のやり方もあったんじゃない?」など、批判と注文で片付けるのですから、たまりません。でも、子供たちが音楽に興味を持ち、楽しさを実感し、末永く音楽と共に豊かな人生を送ってもらえるように、私は、発表会を開いているわけで、くだらない親のことは、関係ないのです。はやく気持ちを切りかえなければ・・・
September 26, 2010
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特別支援学校には、「なぜこの子は、ここにいるのだろう?」と思われる生徒がいます。学区の通常学級、学区外の通常学級、学区内の養護学級(特別支援学級)、学区外のy養護学級(特別支援学級)、特別支援学校。これらのうち、どこの学校を選択するのかは、「◎◎相当」という判定は、教育委員会から出るとはいえ、最終的には、保護者が決めてよいことになっています。だから、学校側の立場からすると、「なぜ、この子が・・・」ということがあるわけです。どうみても、知的障害があるように見えない一人の女の子。初日から、私は、この子が気になって仕方がありませんでした。日常生活をずっと見ていても、これといって出来ないことはなく、会話や動作にもぎこちなさはありません。昨日、同じクラスの先生に、彼女の障害について、少し聞いてみました。彼女の障害は「自閉症」でした。自閉症といっても、いろいろあるわけですが、彼女は、「高機能自閉症」。高機能といっても、彼女の知能は、いわゆるボーダー。通常学級では、少し厳しいかもしれません。保護者の方は、彼女の学校を選択するとき、相当悩まれたのではないかと思います。彼女が住んでいる学区の中学校には、残念ながら養護学級(特別支援学級)はありません。どうせ他の学区の学校に通うのなら、ということで、特別支援学校を選択したということも考えられます。しかし、本来、あってはいけないことだと思いますが、現実的には、通常の学校を卒業したということ、特別支援学校を卒業したというのでは、世間の目が違うことは明らかです。先日、美術の時間に、私は、彼女の隣に座りました。手先も器用で、先生の指示も一斉指導で十分理解できる力を持っていると思いました。ところが、いつも授業にはいらっしゃらない、大ベテランの先生が、彼女にひと言アドバイスをしたときのこと。「表面にボンドがはみ出していると、仕上がりがきれいじゃないのよ」と話しながら、ボンドの付け方を実演して下さっていました。すると、それまでにこやかだった彼女の表情は、こわばった顔つきに一変。先生のアドバイスを全く無視して、それまで通りのやり方で作業を再開しました。「そうじゃないのよ」とまた話しても、彼女のやり方は、全く変わりませんでした。ただ、パニックに陥ることはなく、淡々と何もなかったように、その後も作業を進めていました。人の話が、耳に入らない。どこまでも、自分が思ったようにする。友だちとの関係も同じで、友だちの話を聞いて、譲り合ったり、認め合ったりして、何かをするということが出来ないようです。(昔なら「自分勝手」「わがまま」で終わっていたのかもしれません)確かに、これでは、社会に出たとき、とても困ると思います。でも、先日、書いたように、彼女のような子は今、たくさんいるのです。保護者も本人も、これが病的なモノだと考えることもなく、そのままになっている子がたくさんいるのです。その子たちは、このことに対して、何の支援も受けず、訓練することもなく、通常の学校を卒業し、ためらいもなく、社会に出ていくのです。一方、彼女は、保護者が彼女の将来を真剣に考え、悩み、特別支援学校を選択したわけです。彼女は、在学中、個別支援計画のもと、訓練を受けて卒業することになるでしょう。しかし、世間が彼女を見る目は、決してあたたかくないのです。親子で何も考えずに通常の学校を卒業した子より、彼女の方が能力的に低いような扱いをされることになるかと思うと、胸が締め付けられるような気持ちになります。もちろん、何の支援も訓練も受けてこなかった子たちがすんなり社会にとけ込んでいける可能性は低く、仕事をきちんとせず、転々と職業を変えたり、まわりの人たちに迷惑をかけ続けたりということも、大いに考えられます。彼女のような子たちが、これから社会で活躍し、出身学校ではなく、どれだけ仕事がきちんと出来るか、よりよい人間関係を築いていけるかで、その人を判断してもらえるような社会に、少しずつでも変わっていくことを祈ります。
September 23, 2010
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お稽古に来ている子で、ずっと気になっている子がいます。正直言って、この子の言動は、病的(ヒステリック)だと思います。わがままが過ぎるだけかもしれません。精神的に幼いだけなのかもしれません。私が強く言わないので、試している、あるいは何でも許されると思って甘えているだけなのかもしれません。末っ子で甘やかされ、家族が彼女のことを赤ちゃん扱いしてきた結果かもしれません。彼女は、自分の思い通りにならないと、自分の感情をコントロール出来なくなり、ワケのわからないことをします。私が何を言っても全く聞こえないようで、無視したまま、自分がしたい行動を続けます。こうなってしまうと、もうどうしようもないので、ちょっと怪しくなったとき、私は、他のことに切り替えたり、おけいこを終わりにしたりします。そうしたくて、わざとやっている可能性もあります。私のところでは、学校でリコーダーの学習が始まると、どの子もみんな一緒にリコーダーの練習もします。そのリコーダーを練習しているとき、何度言っても、息の入れ方がわからないようなのです。「それじゃ、強すぎるよ。もっと優しく吹こう」といっても、ピーピー強く吹き続けます。「弱く吹いてみて」というと、音が出ないくらい弱い息になってしまいます。適量がわからず、いい音で吹くという意味もわからないのではないかと思われます。リコーダーの穴をふさぐ力が弱く、隙間が出来てしまいます。また、動かさなくてもいい指まで動いてしまう(固定出来ない)ので、ふさぐ穴が増えていけば、当然指示された音は出せません。「上手くその音が出ないときは、もう一度はじめから、ゆっくり確認しながら、ひとつずつ穴を押さえてみよう」といっても、その指示は全く聞こえないようで、無視。反対の手で、穴をふさぐ指を押さえつけるようなことをします。いくらギュッと上から押さえつけたところで、全く意味はないのですが。「先生、上から押さえるなんて言ってないよね、もう一度、シから押さえてって言ったのよ」といっても、上から押さえ続けます。上手くできないから、どうしたらいいのか、教えてもらっているのに、その指示に従わないわけですから、出来るようになるはずがありません。聴く耳持たずで自分勝手なことを繰り返し、上手くできないとわかると、今度は、椅子をガタガタさせたり、椅子から落ちそうなくらい浅く座ったり、深く座って背もたれに寄りかかったりします。背筋を伸ばすということも、毎回言っていますが、何度言っても数秒後には猫背に戻ります。「背中を伸ばして」というと、その時だけお腹と胸をグッと前に突き出します。「それじゃ、苦しくて、吹けないよね、リコーダーも持てないし」というと、元の猫背になり、背もたれに寄りかかります。猫背で、首が折れ曲がったような姿勢では、たくさん息を吸うことは出来ません。その上、息を強く出してしまうのですから、ブレスの位置が守れないのは当然です。字を書く姿勢もよくないのですが、それは、鉛筆の持ち方に問題があることも原因の一つだと思います。これに関しても、全く直す気持ちはゼロ。いろいろな持ち方も直す器具を与えても、無意味でした。それゆえ、背筋も曲がったまま、伸びることはないわけです。ピアノに関しては、練習しないというレベルではありません。指使いはでたらめ、というか守ろうとか直そうという気持ちがないのです。指をくぐらせたり、またいだりするときも、「肘や腕まで上げなくても大丈夫だから」と何度話しても、肘も腕も高く上げ続けるので、そこで遅れ、リズムや拍子が乱れてしまうのです。楽譜や楽器に触れている時間が短すぎるからなのか、音階そのものが理解できないのか、何年たっても音符がパッと読めるようになりません。ですから、楽譜を自分で見ないで、私が歌った階名を覚えて弾こうとします。それはそれでいいと思いますが、覚えて弾くためには、繰り返し練習することが不可欠です。しかし、練習しないのですから・・・二回くらい弾いて、出来ないと、リコーダーの時と同じくパニック状態。ピアノが壊れそうなくらいたたきつけるように弾いたり、私の「ここから弾いて」という指示を無視して、同じところを同じように間違えたまま、何度も弾き続けたりします。弾きにくいところを取り出して部分練習するように、番号を書いたりシールを貼ったりしていますが、これも無視。はじめからしか弾きません。何でも練習(勉強)しなければ、出来るようにはならないということも、まだ理解していないような気がします。つまり、彼女は、これ以上、私とお稽古を続けても全く意味がないと思うのです。彼女が、私のことが嫌いで、反抗しているだけなら、私との関係を断ち切ればよいのです。ただ、今まで接してきた子どもたちと比べてみても、彼女の行動は、やはり病的ではないかと思えるのです。彼女の様子を母親に伝えるべきか・・・伝えるとしても相当ことばを選ばない限り、イヤな思いをさせてしまうことになります。特別支援学校には、中学生になっても、高校生になっても、自分の思い通りにならないとき、泣き叫ぶ子がいます。でも、その子に、先生方はとても厳しく接しています。我慢しなければいけないことを繰り返し教え、社会に出たときに困らないように導いてあげることがとても大事だからです。そう思うと、このまま黙っていることが果たしていいことなのか・・・言いにくいから、聴きたくないだろうからと、知らん顔して通り過ぎていいものか・・もう一人、発達障害(ADHD及びアスペルガー傾向)の診断を受けている子もいますが、これほどのことはないと思います。確かにこだわりがあることは感じますが、私の話も聞けますし、不可解な言動もありません。世の中いつもそうです。問題になっていることは、さほどのことではなく、公にされていないことの中に、このまま放置してはいけないことがあるようです。
September 17, 2010
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教育の原点は、「待つこと」だと教わり、今までずっと私なりに実践してきたつもりです。その子(の可能性)を信じて、待つ。たとえ、裏切られるようなことがあっても、許して信じて待つ。それこそ教育者だと堅く信じていることには、今も変わりありません。しかし、特別支援学校では、少し、様子が違うようです。私は、つい今までの感覚で動いてしまうので、生徒たちが動き出すのを待ってしまうのです。「先生、待ってちゃダメだよ。この子たちは、待ってても、絶対動かないから」「動かなくても、焦ったり、困ったりということがないからね」そうなんですね。待っていないで、まわりのペースについていけるように、道を切り開いてあげなければいけないのです。一緒にグランドを走ろうでは、走るのがイヤな子は全く動きません。後から背中を押して、走っている子の中にいれてあげれば、走ることができる子もいるのです。背中を押すと言っても軽くじゃないんです。ドーンという感じ。はじめは驚きました。そんなことしていいの?という気持ちでした。教室やグランドもすごいけれど、更衣室がまたすごいのです。一人で着替えが出来ない子がたくさんいます。何を脱ぎ、何を着るのか、脱ぐモノを引っ張り、着るモノを袋から少し出しておくと、着替えられる子もいます。一つ着替えては止まり、次の指示を出されないと、何もしない子もいます。中学生になると、先生より背が高く、体格もいい子がたくさんいて、先生が台の上に乗って着替えさせたり、少しでも一人で出来るようにさせたい気持ちからか、朝から先生の大きな声が狭い更衣室のあちこちから・・・・私と更衣室に行くことをとてもうれしがる子がいます。「この子、先生と更衣室に行くのがすごくうれしいらしいのよ。先生のこと、大好きみたい」でも、そうじゃないんです。私は、まだ慣れていないし、今までの経験から、彼女のペースをそのまま受け止めて待ってしまうのです。だから、彼女にとっては、とても心地いい、それだけのことなのです。それでは社会に出られないということもよくわかります。でも、やっぱり私は、彼女のペースを守ってもいいのではないかと思ってしまいます。今からやろうとしていた時に、やりなさいとか、それが出来たらこれ、などと次々指示を出されたら、やる気がなくなってしまうのではないでしょうか。判断がとても難しいことだとも思います。残暑厳しい中での運動会の練習は、先生方もやりたくないのですから、生徒たちは、イヤでたまらないのでしょう。いざグランドへという時間になっても、教室から(というか自分の椅子に座ったまま)出ようとしない子がいます。「時間だから、もうグランドへ行きますよ」なんて言葉では、その子は全く動きません。先生は、後から椅子を持ち上げ、イヤでも立たせ、腕を引っ張り、廊下に連れ出します。言葉が上手く出ない子でも、イヤだ、行きたくないと言っていることはわかります。彼らは、中学生でも、イヤだとなったら、大声で泣き叫びます。それでも、先生も負けずに、引きずってでもグランドへ連れて行くのですから、驚きます。いちいち驚いている私にも、こんなことが出来る日が来るのでしょうか?それが当たり前になってしまうのがこわいような気もします。私が私でなくなってしまうようで。毎日、毎日、いろんなことが起こります。今まで経験したことがなかったことの連続です。正直、疲れますが、とても素直な子供たちの笑顔に癒やされ、救われます。
September 14, 2010
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