ラッコの映画生活

ラッコの映画生活

PR

×

Calendar

Comments

Jeraldanact@ Проститутки метро Электросила Брат замминистра инфраструктуры Украины…
SdvillkeS@ ИнтерЛабСервис [url=https://chimmed.ru/ ]brueggemannal…
hydraGes@ Новая ссылка на гидру v3 новый сайт гидры v3 <a href=https://hydraruzpnew4afonion…
間違い@ Re:『沈黙の行方』トム・マクローリン監督(米・加2001)(02/21) 姉ではなく、妹です。 なので、弟ではなく…
RogerEQ@ Это вам будет по вкусу разработка сайтов веб сервис - <a hr…

Profile

racquo

racquo

Favorite Blog

コイケランド koike1970さん
Kabu + Plus エースNo1さん
行きかふ人も又 はる **さん
Nobubuのbu… Nobubuさん

Keyword Search

▼キーワード検索

2007.03.21
XML
カテゴリ: アメリカ映画
KLUTE
Alan J. Pakula
(114min)

0.jpg

寸評:主演のジェーン・フォンダとドナルド・サザーランドがいいですね。謎解き、サスペンスとしての面は弱く、むしろ2人の関係の心理を見る方が面白い。原題を考慮するなら堅実な生活の地方から出てきたサザーランドの見た大都市ニューヨークの(光と)陰なのかも知れない。

1.jpg

この映画の邦題は『コールガール』でジェーン・フォンダ演じるブリーのことなんだけれど、原題は『KLUTE』でサザーランド演じる探偵の名です。映画は事件、つまりペンシルベニアの研究所のトム・グルネマンが失踪するより前の、友人を呼んでのグルネマン家の幸せそうな食事風景から始まり、そこにはトムの友人だからジョン・クルートの姿もある。地方の堅実な家庭生活の幸せが描かれている。そしてトム・グルネマンが失踪。ニューヨークなんて知らないというクルートがトムの探索に行くことになる。そして、ここではネタバレになるのでまだ書かないけれど、映画のラストを考えると田舎とニューヨークの対比であり、クルートの目で見た大都市ニューヨークっていう視点が根本にあるような気がする。

2.jpg

というわけでグルネマンという堅物の真面目で堅実な家庭生活を送っている研究者が失踪する。手がかりは彼がニューヨークのコールガール、ブリー・ダニエルズに宛てた卑猥な内容の手紙だけ。上司の重役か何かのケーブルに依頼される形でクルートはニューヨークに出て捜査を始め、ブリーと接触する。彼女は女優志願なのだけれど、年に600とか700人の客をとるコールガールでもある。独りで大都会ニューヨークに住む彼女は自らの感情を自分で感じないようにしてアイデンティティを保っている。彼女は精神分析医に罹っているのだけれど、意志としては売春はやめたいらしい。でも女優業の方はオーディションとか受けても上手くいかないし、売春では自分のペースで男を操れるのが快感らしい。彼女が一仕事終えて家に戻り、大きなグラスにワインを満たし、部屋着に着替え、ローソクに火を灯してくつろぐシーンが都会での彼女の微かな安らぎを表現している。ちなみにこのシーンでマッチ擦ってローソクに火を灯すジェーン・フォンダ、映画の役という以前のフォンダ自身が出ているようで好きなシーンです。あくまで役を演じてはいるのだけれど、そこに素のフォンダが顔を見せるような部分がフォンダの演技ないし映画に見るフォンダの女性としての魅力だとボクはいつも感じます。

3.jpg

(以下ネタバレ)
そんな彼女にクルートは捜査の協力を求めるのだけれど、他人の人生とか他人との心理的交流に関わることが、無感動でいることで保っている彼女のアイデンティティーを危うくすることを彼女は無意識に知っているから、クルートへの協力なんてにべもなく断る。それでクルートは彼女の電話を盗聴したり、彼女を尾行したりするのだけれど、それも彼女に伝えてしまって正攻法で誠実に彼女に迫っていく。巧みに画策してとかでなくって、正面から彼女に接していくんですね。ある意味この辺が都会的であるよりも人を信じる田舎的発想なのかもしれない。無骨、不器用なんですね。彼女に犯人らしきの魔の手が迫るのもあってクルートが彼女を保護するというのもあるのだけれど、精神分析医に語るように彼女的発想からはクルートの誠実さが理解できない、あるいは無意識的に受け入れたくなかったりするのだけれど、段々に無理矢理彼女の閉ざしていた感情的面が刺激される。部屋に独りなのが不安だとか言ってクルートの部屋に泊めてもらい、上手くクルートの心理を操ってクルートに自分を抱かせて、終わると彼を翻弄するような言葉を残してクルートの部屋を去っていくののだけれど、彼女の気持ちの揺れと言うか、悪態ついてるんですね。

4.jpg

事件解明的サスペンスとしては最初から上司のケーブルが再三怪しい人物として描かれているから、実際にどういう背景だったかと、結局ケーブルがブリーをどうするかっていうのを確認するだけであって、謎解きはほぼ最初から済んでいると言ってもいい。コールガールを呼んで暴力的行為をしているのを知られたケーブルがグルネマンを抹殺したのであり、最後に残る証人や証拠も抹殺しようというのがケーブルの目的だった。そのために他の娼婦を殺したりしてしまって、最後はクルートの仕掛けた罠にはまってブリーを抹殺しようとした直前にビルから飛び下りて自殺してしまう。その直前にブリーはケーブルが暴力を振るった時の録音テープを聞かされて、そこに男の性的妄想を翻弄する女としての自分のあり方やケーブルの弱さを思い知って涙するのがこの映画の見どころでもあるのだけれど、これが最終的に心を閉ざし男を操ることでアイデンティティーを保持してきたブリーのカタルシスなんでしょう。

5.jpg

映画の見どころということでは、ブリーとクルートの市場での買い物シーンも良かったですね。田舎出の堅実な人物たるクルートが果物とか吟味して選んでいて、その背後にくっつくでもなく離れるでもなくちょこんといるブリー。自信満々ではなく、自分の居場所をちょっと喪失したような場面のジェーン・フォンダっていうのもまた彼女の魅力でもあります。ロジェ・ヴァディムは彼女のそういう面を『獲物の分け前』とかで描いていますが、さすがにヴァディムは彼女のそういう魅力を分かっていたわけです。強そうなんだけれど、実はなんか弱さを秘めたとでも言うか、まあフォンダ自身に言ったら怒られそうですが。

6.jpg



7.jpg

20年ぶりくらいに見ましたが良い映画でした。映画全体としての評価としては、あまり好きになれないアメリカ映画としてはボクとしては満点ぐらいを付けてあげても良いといった気分です。フォンダもサザーランドもものすごい好演です。映画作りとして感じた不満は主に2つでした。一つはケーブルという人物の設定があまりにお粗末だということ。この点はクルートとブリーを描くことの背景としての意味しか持たないということで我慢しましょう。もう一つはブリーの心理を精神分析医に語らせたことです。2役者の演技が良かっただけに、こうして言葉にしてブリーの気持ちやその変化を語らせなくとも、演技だけで十分にそれは伝わったと思います。このようなやり方は映画を分かりやすくすることは事実ではあっても、その分観客の映画の解釈や鑑賞を一面的に規定してしまうので、映画の深みを減じてしまいます。

8.jpg

あとはまったくの余談ではあるのですが、あのネコどうなったかな?、って思ってラストを良く見直したら、ちゃんとペットケースに入れられていて、それをブリーが手にして部屋を去っていくのが確認できました。途中に心理的小物としてペットなどを登場させながら最後にそのてん末を知らせない映画にボクは抵抗を感じてしまいます。

9.jpg



監督別作品リストはここから

アイウエオ順作品リストはここから





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2007.04.02 01:21:32
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: