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2008.04.08
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カテゴリ: フランス映画
DANS LE NOIR DU TEMPS
Jean-Luc Godard
(所有DVD)


DANS LE NOIR DU TEMPS(時間の闇の中で)
Jean-Luc Godard


noir_0.jpg

大トリは巨匠ジャン=リュック・ゴダール。10分の短編という依頼に「1分の短編10本」と答えたらしいけれど、実際にはこの1分は10本で一つですね。観る方によってはいちばんつまらない、わけのわからないものかも知れないけれど、他の14本が、出来不出来、好き嫌いはあっても、やはりどれも平凡な作品である中で、ひときわ異彩を放った傑作です。このDVD、数千円の衝動買いをしてしまったけれど、ゴダールのこの10分で元を取った感じです。一回見て、2度目にメモ取りながら見ただけで、まだ不明なことはあるし、これから何度かまた見ることになりそう。普通2時間の映画でもメモは多くてノート1ページなのですが、この10分で既にノート2ページのメモになりました。

noir_1.jpg

邦題は『時間の闇の中で』となっているけれど、始まるとまず黒い画面に白抜きの文字で DANS LE NOIR と出て、次に DU TEMPS と出ます。「暗闇に中で」→「時間の」です。この暗闇というのは、一つには観客が今いるはずの映画館の暗闇のことで、時間というのは(まずは)映画という含意があると思います。つまりこの作品は一つには映画について語っているということです。そのテロップと重なる形で第一の引用映画から若い女のセリフ。老年の男がそれに答えます。

 「なぜ夜は暗いの?。」
 「昔は空も君のように若くて、
  明るく光り輝いていた。
  だが時と共に暗くなっていった。
  夜空に輝く星々の間には、
  失われたものしか見えない。」


これは映画のことを言っている。と言うより映画のことを言っているというコンテクストでゴダールが引用している。この作品はほんの一部を除いて自作や他作の映画の一場面、あるいはアウシュビッツ等の記録映像のコラージュで作られている。しかし単にフィルム to フィルムの引用ではなく、一度デジタル化され、多少ゴダールが画質をいじっている。結果として(DVDをテレビ画面で見ているので曖昧だがたぶん)画質的にデジタルであることがわかる。

noir_2.jpg

続く1分作品の題名テロップは「最後の瞬間」→「若さの」だ。引用映像は自作『メイド・イン・USA』のラストの方でジャン=ピエール・レオが撃たれるシーン。最後の瞬間とは映画の「ラスト」でもあり、レオの最後でもあり、また若さの最後とは「映画が若かりし頃の最後」でもある。引用映画の映像をわざとデジタル風に見せているように、デジタルの普及によって、フィルムによる映画という一時代が終焉することを言っている。他のゴダールの作品、例えば 『ゴダールのマリア』

noir_3.jpg

布のスクリーンを広げたり畳んだりのアート・ロボットが最後の方に写されるが、これも従来の映画館のスクリーンのフィルム映画の終焉の象徴でもあるのだろう。ラストのみカラーの使われたエイゼンシュテインの『イワン雷帝』からの引用もあるが、エイゼンシュエテインと言えば近代映画の創始者のような存在でもある。

noir_4.jpg

アンナ・カリーナの引用映像は、自作『女と男のいる舗道』でカリーナがドライヤーの無声映画『裁かるるジャンヌ』を見て涙を流すシーンだけれど、ここでは映画はまだ映画は生きていたということでしょう。あとは涙は作品全体の映画を弔う気分でもあり、自らの生を生きる Vivre sa vie(女と男のいる舗道の原題)という生の哀しみにもつながる気もします。

noir_5.jpg

途中「語れないことは、沈黙に任せるしかない。」というセリフもあったが、上に書いたように虐殺死体が片付けられるシーンの数秒だけが無音になる。無音と言えば『はなればなれに』を思い出しもしますね。ピアノの旋律がこのように雰囲気を持続するのはゴダールの作品としては珍しいわけだけれど、音楽は音楽でもって映画の気分を規定してしまう。一方には言葉の無力があり、他方音楽は安易に気分を規定するから、無音によって映像と沈黙に語らせるということでしょうか。中断したピアノをまた直接再開するのではなく、沈黙の後に別の歌で音声を再開し、いつの間にかまたピアノに戻すというやり方なども実に巧みです。

noir_6.jpg

そして途中に引用画像ではなく出てくる、本をゴミ袋に入れて捨て、トラックにゴミとして収集される映像。これは語りの終焉だ。『メイド・イン・USA』の引用部分でも語ることの意味を問うのがカリーナのセリフだった。そして映画よりももっと前に、あるいは同時に過去のものとなって行った書物、あるいはそういう思考スタイルの終焉をも描いている。最後の方でロウソクの炎がゆらめき、後ろに古い書物のような絵のようなものが見える映像があったが、それは何百年も前の書を暗い古文書館で見ているような趣きだ。書物も、ゴダールが慣れ親しんできた20世紀後半の知や映画が古文書の類になってしまった象徴だろうか。

noir_7.jpg

最後の方のテロップは、

 「夕暮れ」と彼は言う。
 「夕暮れ」と彼女は言う。
 「夕暮れ」と彼らは言う。


まるでマルグリット・デュラスの小説を読んでいるかのようなのだが、デュラスに代表されるヌーヴォー・ロマンという20世紀後半フランスの実験的・前衛的文学が物語の解体や言語の解体を行ったように、ゴダールは映画の物語性の解体を行った人だ。そして夕暮れとはまた、映画や知の黄昏れだ。夕暮れ(le soir)であって夜(la nuit)ではない。失われていく中の最後の時にまだあるということだろうか。

noir_8.jpg

一見自作映画や、ドライヤー、パゾリーニ、記録フィルム等他作をコラージュしただけではあるようでも、こんなコラージュは並み大抵の才能では出来ないでしょう。考えに考え抜かれています。映画に関する豊富な知識と、自らの思索・思想の深さがなければ、こういうものは作れませんね。感服しました。



10ミニッツ・オールダー ~人生のメビウス~
第1話『結婚は10分で決める』(カウリスマキ)
第2話『ライフライン』(エリセ)
第3話『失われた一万年』(ヘルツォーク)
第4話『女優のブレイクタイム』(ジャームッシュ)
第5話『トローナからの12マイル』(ヴェンダース)
第6話『ゴアvsブッシュ』(リー)
第7話『夢幻百花』(陳凱歌 チェン・カイコー)

10ミニッツ・オールダー ~イデアの森~
第1話『水の寓話』(ベルトルッチ)
第2話『時代×4』(フィッギス)
第3話『老優の一瞬』(メンツェル)
第4話『10分後』(サボー)
第5話『ジャン=リュック・ナンシーとの対話』(ドゥニ)
第6話『啓示されし者』(シュレンドルフ)
第7話『星に魅せられて』(ラドフォード)
第8話『時間の闇の中で』(ゴダール)



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Last updated  2008.04.09 08:29:22
コメント(4) | コメントを書く


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でしょうね・・・  
1回見ただけでは正直なところ、意味不明でした。

何年か経って、映画の知識が増えたところで
もう一度観たいと思いました。
それまでは、先延ばしということで・・・(笑) (2008.04.09 12:46:20)

Nobubuさん  
racquo  さん
>1回見ただけでは正直なところ、意味不明でした。

ただゴダールの作品としては見易いものかも。
上にも書いたようにピアノの旋律が全体の
叙情的雰囲気を持続させているから、
その気分に身を任せて、一時代の映画の終焉を
懐かしみ、哀しむという見方は容易に出来ると思います。
もちろんそれだけではない含意が非常に多彩なのだけれど。

ゴダールは1930年生まれだから、戦争が終わったとき14才。
映画的にはトーキーが主流になり、白黒からカラーになり、
アフレコから同時録音になる映画の青春・壮年期を、
最初は観客、50年代からは批評そして監督という形で生きてきた人。
そして19世紀的"知"を引きずってきた(もちろん今も)映画の
物語性というものを解体した人なんですね。
ところがその映画は今やフィルムからデジタルになり、
映画館からも離れかけて(あるいは既に離れて)しまっている。

ゴダールには長大な『映画史』という作品がありますが、
その超短縮版と言える作品でもあるかもしれません。


(2008.04.09 15:58:11)

こちらも  
はる*37  さん
ほんのりと記憶が残る程度になってしまいましたが
解説を読ませていただいたら
もう一度観直したくなりました。
『ゴダールの決別』は特にわかりませんでした。
情緒が続かない理由は音楽もあったんですね~。
次観る時は‘解体’という言葉も、手助けになりそう。
フェリーニ繋がりで『81/2』もわからなかった映画でした。こっちも近々再見したいな~。
(2008.04.09 18:44:02)

はる*37さん  
racquo  さん
>『ゴダールの決別』は特にわかりませんでした

これも要再見作。ビデオは持ってますがなかなか手が伸びません。
ゴダール作品は10分は良いけれど、2時間は疲れます(笑)。

>情緒が続かない理由は音楽もあったんですね~

逆の例がヴィスコンティー『ベニスに死す』のマーラー。
あの映画で、ゆっくりとした甘美なオーケストラを突然中断して、
「ジャーン」でも「チャララー」でも「チャチャチャチャーン」でも入れたら、
情緒もへったくれもなくなってしまう。

>次観る時は‘解体’という言葉も

文学史的に言うと19世紀バルザックは神の高みからすべてを物語った。
世界の価値観が単一でなくなるにつれて、主観で統一されたとでも言った語り、
それが20世紀初頭のプルーストやジョイスだとも言える。
2度の大戦、特に二次大戦でいよいよ価値観を持てなくなり、
とうに神は不在だったり沈黙していて、核による終末論的不安も。
物語の語りや、言語さえまな板に乗せられ解体されることに。
そんな中でバルザック的物語の語りであった映画の語りも無意味となる。
ゴダールで言えば、各人のその単純ではなくなった世界との関係の持ち方、
嫌でも政治的絡みを持たざるを得ないこともテーマになる。
パゾリーニともつながる世界であり、このショートにも
パゾリーニの『奇跡の丘』が引用されている。
音楽がそうであったように、語りや映像も持続性を持たず、
そしてそれぞれの脈絡、つまり一貫した物語の流れも破壊される。

>フェリーニ繋がりで『8 1/2』

これも遥か昔に見た要再見作品。
フェリーニの記憶にまつわるイマジネーション世界の羅列で、
各部分には彼の映画に対する考えのようなものがあらわれている。
そしてその結果が出来上がった映画となっているわけで、
映画に対する意思表明と言えるのではないでしょうか。

(2008.04.09 21:04:20)

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