ややネタバレにはなるけれど
、2つの作品は、ほぼ相似な物語構成だ。『白い馬』では少年・白馬 vs 牧童、『赤い風船』では少年・風船 vs 無理解な大人・普通の悪ガキという2項対立であり、理想論的人間を象徴する少年プラス白馬または風船は、この世界ではない何処かアナザー・ワールドに旅立っていくしかない。そういう意味では描かれている内容は非常に辛辣なものだ。白い馬は何ものにも屈服しない孤高な精神の自由を象徴しているのだろう。あるいは赤い風船は少年の友だちでもあるけれど、他と相容れない少年の分身的存在とも考えられる。『赤い風船』で描かれる大人たちや悪ガキの集団は、世界の主流、徒党を組む人々、つまりは個人の自由を屈服させようとする社会や政治でもあるわけで、風船は彼らに殺されることになる。色とりどりの風船が集まって少年をつり下げて空の彼方に連れ去るけれど、美しいけれどもハッピーであるよりは辛辣でペシミスティックなラストだ。同じように少年と白い馬も海の彼方に去っていくしかない。青空の彼方や海の彼方が象徴するのは、決して存在はしない理想郷でしかない。しかし、『白い馬』では能動的に、『赤い風船』では受動的にではあるが、そうした世界を選ぼうという少年の意志にこそ価値があるのだ。これはラモリスの理想なのだろうけれど、もし普通に言われるようにこれらの映画が子供向けに作られたものであるならば、理想主義者ラモリスの、子供たちに対する感動的とも感じられる深いメッセージだ。