佐久間和夫の心の東京革命            東京の民話・昔話集

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清掃大臣

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2004.09.23
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不縁の橋を淀橋と改名



yho

話を聞き終った徳川八代将軍、吉宗は「不吉な話じゃのう。淀 橋と改めたらどうじゃ」と、即座に命じた。新宿区西新宿の成子坂下の神田川にかかっている「淀橋」は、こうして、吉宗が名をつけたというのである。

 タカ狩りの帰りみち、吉宗は近習の者たちの話に耳を傾けていた。その話とは、応永年間(一三九四ー一四二八年)のことである。紀伊の国(和歌山県)からやってきた、鈴木九郎という夫婦ものが、武蔵の国の中野に落ちついた。野良仕事に精を出したかいがあって、暮しもだんだん楽になった。する
と、九郎は、わずかばかりの元手で、博労渡世をはじめた。ところが、しろうとの哀しさ、商売は思うにまかせず、苦労して蓄えた僅かばかりの元手も使い果たしてしまった。

kumano

写真はユネスコ世界遺産の熊野神社です。
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」

苦しい時の神頼みで、 熊野権現
 夫婦はほっとした。
「楽をしてお金もうけをしようとして、天罰が当たったが、熊野権現さまのおかげで幸い元どおりになった。これからは、また一生懸命になって働こうじゃない
か」ー 夫婦は固く戒しめ合った.
 それからというものは、九郎はよく働き、妻もこれに負けず仕事に精を出して働いた。
 ある日のこと、九郎が畑を耕していると、くわの先にこつんと当たるものがあった。掘り出してみると一つの壺だった。開けてびっくり、砂金などの財宝がいっぱいつまっていたのだ。当時は銀行という便利なもののない時代のこと、蓄えた財宝やお金はもっぱら地下に埋めておくのがならわしだったらしい。恐らくだれかが埋めておいたものだろうが、持ち主もはっきりしないので、夫婦はこれを
また「熊野権現さまのお授け」と、ひとりぎめしていた。
 砂金の壷を手に入れてから、夫婦には運がついてきた。やがて二人三人と子供が生まれた。いまは下男を抱える身分になって、有項点になっていたが、急に心
配がでてきた。心配事というのは、盗賎に襲われせっかくの財宝が奪われてしまわないか、ということだった。ひとたび不安が心の中に頭をもちあげると、居ても立ってもいられない。そこで「誰も知らないところへ埋めておこう」と決心し
た。
 ある夜遅く、下男に財宝の入った壷を背負わせて持ち出し、畑に埋めた。「これなら、まず大丈夫」とほっとしたのも束の間、こんどは「下男が盗みはしないだろうか」と、不安になってきた。そして、ついにある真夜中、九郎は下男の使いの帰り道を待ち伏せして切り殺し、橋から死体を神田川にけ落としてしまった。
 こんな無慈悲なことをした九郎だが、その後ますます栄え、近郷近在の人は、彼を″中野の長者〃と呼ぶょうになった。

 娘が年ごろになり、嫁入りすることになった。いよいよ椋入りの当日、花嫁衣装につつまれた娘が嫁入り先へ行く途中、どうしたことか、橋から落ちて死んだのである。遺体は、下流の橋の橋脚にひっかかっているのが発見された。不思議なことに、娘が落ちて死んだ橋は、先年、九郎が下男を殺してけ落とした橋だっ
たのである。「下男の報いが娘に来た」と、九郎は深く前非を悔いた。そして、髪を落とし、出家して正蓮と名乗った。正蓮はいずこともなく旅立って行った。村人たちは、
この事件の後、いつとはなしに、娘が落ちた橋を”姿みず橋″、遺体がひっかかっていた橋を″面影橋”と呼ぶようになった。このことがあってから、嫁入りや、婿入りの行列は、”不縁の橋”としてこの”姿みず橋〃を避けて通るように
なった。
″姿みず橋”を″淀橋”と改名してからも婚礼の行列は、決して通らなかったといわれ、この習慣は、ずっと明治のはじめころまで続いていたという。”面影橋”というのは、現在も新宿区の西早稲田にある。吉宗がなぜ「淀橋という名


熊野権現 から
そもそも熊野権現と申すのは、役の行者・婆羅門僧正が真の本地そのままを信仰されたのである。
 およそ熊野権現の縁起を見ると、昔、甲寅の年、唐の霊山から天台山にある王子晋(おうししん)という仙人の旧跡を慕って、日本の鎮西豊前の国の英彦山(ひこさん)に天からくだりなさった。その形は八角形の水晶の石である。高さは3尺6寸。その後、あちこちに御在所を求めて長い年月を送って後に、まぎれもない熊野権現として顕われなさった。日本の人皇の始め、神武天皇の治世76年の間、43年目の壬寅の年のことである。

 その後、仏法はいまだ本朝へ渡らず、仏法が渡ってきてからも上代においては熊野権現の存在はまだ幽かな状態のままであった。年月が300余年を経てのち、40数代目の天皇のころに、役の行者・婆羅門僧正らが参詣してのち、その御本地を顕わしなさったのである。

 このようなわけで、熊野十二所権現のうち、まず三所権現と申すのは、
 証誠(しょうじょう)権現は、本地阿弥陀如来である。両所権現は、・・・続きは 熊野権現








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Last updated  2004.09.23 08:15:03


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ずーこ@ 金額パネェwwwwwww 移動するのが面倒だけど、着いた後は寝て…
ヴォヴォ@ なんという・・!!! ウホっ! なんか意味わからんうちに女ん…
れでぃー@ 精 液ぬらあああぁぁwww ぴゃー!!! お口ん中にたっぷり出して…
臭い人@ ふぇじょふぁふぇじぇwwww 前ここに書いてたカキコ見て例のサイトや…
ぺいん@ イッテーーー!!! マ-ンコの締まりが良すぎるのも問題だと…

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