brog

brog

PR

×

Calendar

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

katu6448 @ Re:ティンバルカ(09/15) 正直な所、何を言っているのか? 最後はテ…

Archives

2026.06
2026.05
2026.04
2026.03
2026.02
2026.01
2025.12
2025.11
2025.10
2025.09

Freepage List

2023.07.05
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
栂尾(とがのお)上人(明恵) 鎌倉時代のひと

阿字観

それ菩提心といっぱ、すなわち阿字観なり。
阿字観といっぱ、本不生の理なり。
本不生の理といっぱ、すなわち諸仏の心地なり。
諸仏の心地といっぱ、一切衆生の色心の実相なり。
色心の実相といっぱ、我が一念の心なり。
一念の心といっぱ、悪に随わず、善に着せざる心なり。
方寸の胸中に八分の肉団あり。

この心蓮台の上に阿字あり。

変じて月輪となる。
月輪といっぱ、我が心に起こる菩提心の質なり。
我が心に、この理を具するのみにあらず。
一切衆生も同じく具せり。
乃至、非情草木もみな、ことごとく備えたり。
青き草の葉の上に置く白き露の色も阿字の質なり。
心といっぱ、五体身分に遍ずといえども、恒(こう、いつまでもかわらない)の棲(すみか)は妙法心蓮台なり。
この心蓮台に、我が神を宿すを阿字観と申すなり。
阿字は、すなわち我が心の形なるがゆえなり。
心といっぱ、無相の法なり。


音声を聞くといえども、その質は見えず。
無と言わんとすれば音あり。
音に付いて見んと尋ねれば、その体見えず。
有にあらず、無にあらず。
不思議の心なり。

心性の源、清しといえども、悪知識に随えば罪を造って苦を受け、
全知識に随えば、功徳を営みて阿字の実際を顕わすなり。
苦を受け、楽を受けるも、ともに一念にあり。
かるがゆえに、この理を知る人は、心に浄土を構え、自ら往生す。
この理に迷うものは、自ら地獄を作り、心に苦を受くなり。
喩えば、自ら口より糸を出して自身を緊縛するが如く、また無知の画師の

自らおそるべき夜叉を画いて、還って自ら怖れるが如し。
地獄も極楽も我が一心の所作なり。
他人の構うところにあらず。
かるがゆえに、華厳経の二にいうに、三界は唯一心なり。
心の外に別の法なし。
心仏および衆生、この三は差別べし文。
苦も楽も共に我が心なり。
厭えは速やかに離れ、願えばすなわり到る。
善というも、悪というも、ことごとく一心の所作なり。
誰人か厭わざらん。
何れの輩か願わん。
かくの如く、阿字の体相を観念するを、無相の菩提心と名くなり。

作用について、堂塔を造り、香花供養するなどの善根は、 有相の菩提心と 申すなり。
この二の菩提心の中には、無相の観行、最も勝たり。
諸仏の秘蔵、衆生の心地なるがゆえ。
自心頓覚の教門、これに如くはなし。
またこれを知るを、 月輪観とも申すなり。
月輪には三の功用あり。
一には、清冷の徳、 これは冷徳なり。
二には、 光明の徳、 これは照暗の徳なり。
三には、清浄の徳、 これは下界の塵にも垢されず、 上界の諸天の楽にも着
上下二界の間、虚空に住する清浄の徳なり。

吾が一念の心にも、この三徳を備えたり。
これ貪瞋痴の三毒対治の功用なり。
一には、 我が心は本性清浄なり (蓮花) と観ずれば、無始生死の間の貪欲 の罪を滅す。
貪欲といっぱ、 他人の財宝を望み、 我が物をしと思う罪なり。
二には、 吾が心は本性清浄なり(慈悲)と観ずれば、三界流転の間の瞋恚 の罪を消す。
瞋恚といっぱ、腹立てて違逆する罪なり。
三には、我が心は本性光明なり (悲智)と観ずれば、六道輪廻の間の痴 悩を断ず。
痴煩悩といっぱ、至って愚なる心にして、善悪を弁ぜざる心なり。
自ら心をせざるを無明と名づけ申して、総じて我が一念の心を知らざるを

痴煩悩というなり。
この三毒の煩悩を断ずる力、我が心に備えたりといえども、知り難く、悟り難し。
かるがゆえに、彼の世間の月の三徳をもって、 心月輪阿字の体相用の三徳 を知らしむるなり。
地水火風の四大和合する時、神を不思議の中に宿して、 しばらく衆生と名 づく。
この四大種、各々離散する時、衆生の身破失する。
これを死というなり。
喩えば、桁梁梠椽などを採り集めて仮に坊舎と名づけ、もし桁梁など離散
すれば、坊舎なきが如く、魂に定れる形なし。
この身は終いに吾にあらず。
家に常の主なし。
去れば、常に住むべき形なし。
有為の生滅の法なり。
常住なれば、心性の月輪なり。 月輪といっぱ、すなわち阿字なり。 阿字といえば、我が一念の心なり。 一念の心というは、出入の息なり。
出入の息は、すなわちこれ命なり。
死すと申すは、息絶たるに名づけるなり。
息はこれ常住の月輪なるがゆえに、 有為の生滅を離れて、さらに生死を論 ず。
また死といっぱ、業報の依身尽くして死というなり。

生といっぱ、当来の果報の始めて顕れるに寄せて名けたり。
生滅共に業力の所作なり。
その業力といっぱ、縁起虚仮にして、実体なき有為の法なり。
有為の法といっぱ、有始有終に名づけることなり。
生は始まり、死は終わりなり。
かくの如く、有為無常に迷い、六道輪廻して、生死を離れず。
これすなわち、我が一念の菩提心を悟らざるによってなり。
この阿字の観門に入れば、死というとも業報の尽るしるしなれば、歎き還っ
これをもって、ある文には、 の尽きる時、歓喜することなおし衆病を捨てるが如し文。
生死の歎きは妄想顛倒より起こり、合離の悲は迷の前の恨なり。

我等衆生は、阿字すなわち一念の菩提心なりと知らざる間は、 願うといえ
ども真実の菩提心にあらず。
厭うといえども、真実の出離の行にはあらず。
迷の前の是非は、ともに非なり。
夢中の有無は有無ともに無なり。
現にも夢にも、自心の菩提を悟らざるがゆえに、鎮に輪廻の衆生なり。
静かにこの理を思うに、昨日といい、今日といい、日数を双れども、且く 一念の間なり。
過去現在未来といえども、またまたかくの如し。
昔といい、今といい、 去といい、 来るといえども、ただ言の替わりなり。
多刧の三世は、すなわち一念の間なり。
夢の中に千年の楽ありと思えども、夢悟ぬれば、千年の栄も五更の枕に眠

る間なり。 未だ真実を得ず。
夢の中には長遠の修行を送るといえども、即身成仏の悟りの前には、
五十小刧もただ半日の間なり。
かるがゆえに、華厳宗には、 一念を延べて永く三世を兼ね、 九世を摂して 刹那に入ると釈するは、すなわち十世の相、すなわち一念の心なり。
大師は、 一念の阿字に三大僧祇を越えると釈し給もう。
三大僧祇といっぱ、仏になること極めて久しきを申すなり。
我が一念の菩提心、すなわち阿字なりと知らずして、無量劫の間に仏道を 求める人なり。
この人、幾却の間、修行に心を費やすといえども、仏になること難し。
しかるに、 一念無相の観行は、彼の無量の間の修因に勝れたり。

そのゆえは、無量劫久しといえども、 思えばただ一念の間なり。
一念の心には、 三世の不同なし。
今とも昔とも、時節の長短をいうべからず。
時節の長短を論ずることは、長も短も、みなこれ安心妄境なり。
最後臨終の時に、出入の息を数え、 この理を観ずるを、 正念に住すとは申 すなり。
物をいわんに、必ず口を開けば初に定んで阿の声を出すなり。
すなわち、何と思わねども、自然に唱える真言なり。
最後の一念に望む時は、 時分極めて短かきがゆえに、六字名号も、文字
乱れて南無阿弥陀仏とも唱えざれ。
出る息の一刹那に、 今生の終りを極むるなり。
生まれる時には、入る息に便りを得て、 阿と唱え生を続くなり。

死する時には、出る息に寄せて、阿と唱えるなり。
生れて悦び、死に嘆く。
みなことごとく妄念なり。
悦ぶべからず。
歎くべからず。
去も来も、ともに一念の阿字に住するゆえなり。
人間に来る時も、心性の月輪に住し、 娑婆を去る時も、自性の阿字に魂を宿す。
臨終にこの理を観念するを、最後一念の往生とは申すなり。
もし、悪業身を責めて、 安心正念を乱す時は、ただ口を開いて息を出入す べし。
出息入息ともに阿字の息なり。

阿字を唱える功徳不思議の力用あるがゆえに、妄念漸く滅して、 正念に住するなり。
所詮、我が心はすなわち出入の息なり。
息はすなわち阿字なり。
阿字はすなわち一念の菩提心なり。
菩提心はすなわち毘盧舎那の内証なり。
毘盧舎那はすなわち自仏の悟なり。
周遍法界の大智恵の光明なり。
これをもって、金剛薩埵、大日如来に問い奉っていうに、いかんが菩提心と。
如来答えていうに、実の如く自らの心を知るなりと教え給もう。
自心を知るというは、我が一念の菩提心といっぱ、阿字なりと悟れと示し給もうなり。

かるがゆえに、大日経疏に釈していうに、
一切如来、昔、この門によって正覚をなし給もう。
異路あることなし文。
成仏の道に二なし。
ただこの一念の阿字の一門なりと判じ給もう。
一切如来、 十方の菩薩、 伝法聖者、みなことごとく阿字門に帰り給もう。
設え、その心に知らずとも、仰いで信を致すべきなり。
金剛智三蔵のいうには、この理を知るといえども、 不信の人は三世の諸仏
を誹謗する罪を受け、仏法の中に重罪を犯して、必ず三悪趣に堕すべしと 釈し給もう。
かるがゆえに、仰いで信ずべし。行ずべし。

努力々々空く過ごすこと莫れ。
最後の一念の阿字息風とともに出て、 法界円明の月輪と顕わし、
虚空に住 して虚空に周遍するなり。
心と虚空と菩提との三つは、すなわち阿字にして同体なり。
心といっぱ阿字、菩提心なり。
虚空といっぱ、常の虚空にあらず。
我が一念の菩提心なり。
その量を思うに、 広大無辺際の心なり。
三世の心不可得なるがゆえに、始中終ただ一念の間なり。
昔といい、今という。
年は替われども、太虚空は替わらず。
昨日、今日の言は二なれども、その日はただ一なり。

かくの如くあることは、余所にあらず。
しかしながら、我が身に備われり。
盛年二十五の形と衰老九旬の質と齢を双れば、仮に老若不同なりといえど も、心はただ一なり。
年月は積れども、心は改まらず。
年は替れども、心は老いず。
加様に百千無量劫といい、乃至一念十念と申すも、我が心性の月輪の上の
時節長短の論は偏に発心の前後によって、 成仏の遅速を知らしむなり。
刧数を経ると経らざるとの差別ばかりなり。
成仏の遅速得道の遠近は、ただ一念の菩提心の阿字本不生の理を悟る程な
この一念不生の理は、周遍無際の我が心なり。

かるがゆえに、世間無碍の虚空を喩えとして、世無際の阿字菩提心の法を 顕わすなり。
喩えの月輪は、全く法の阿字心月輪なり。
喩えの虚空は、同じく全く法の阿字無障碍堅固金剛の同体、阿字の虚空なと了知するを、 阿字菩提心と名づくるなり。
仏といい、衆生というも、知ると知らざるとの差別なり。
知を実知といい、不知を妄念と名づくるなり。
これをもって、ある経文にいうには、安念によるがゆえに生死に沈み、 実知によるがゆえに、
菩提を証す文。
大師は、知ると知らざると、誰が罪過ぞと釈し給もうなり。
我も人も、噴劫多生の昔より、この理を悟らあるゆえに、今に至って生死を出でざるなり。

ただ早く万事を拗て、 一心に観行すべし。
有相の行は、修し難くして至り難し。
無相の観は、行じ易くして速やかに正覚を唱う。
行住坐臥四威儀、怠ることなく観行すべし。
三密の観行は、ただ一念の阿字に如かず。
凝の値い難き観行を、自性の蓮に宿すべし。
常の観行は疎なりといえども、臨終には必ず顕れるなり。
速やかに疑心を捨てて、妄念散乱の心を断じて、よくよく一息の阿字を観じて、
早く決定成仏の思いを凝らすべし。
如彼三世中諸仏菩薩等○乃至心敷曼荼羅文。
もし人、この字を観ぜば、 自心の中に白色八葉の蓮花あり。
蓮花の上に一肘の月輪あり。

その月輪の中に、金色の阿字あり。
白色の光を放って、無辺の世界を照らし、一切有情の身中の無明煩悩を除く。
その字、立て観ずべし。
その月輪は、水精の玉のうつろなるが如し。
月輪は智なり。
阿字は理なり。

以上 明恵上人御房の作なり。
この観の成就の瑞相は、夢中に月輪を見て、口より光明の出入を顕現するなり

金剛仏子 曇寂





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2023.07.19 17:12:04
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: