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灰谷健次郎氏が逝去された。
以下はasahi.comの2006年11月23日15時55分付のニュースから
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「兎の眼」「太陽の子」の作家・灰谷健次郎さん死去
小説「兎の眼」「太陽の子」などで知られる作家で、教育問題に積極的な発言を続けた灰谷健次郎(はいたに・けんじろう)さんが23日午前4時30分、食道がんのため静岡県内の病院で死去した。72歳だった。故人の遺志により葬儀はしない。自宅は非公開。
神戸市生まれ。働きながら定時制高校に通い、大阪学芸大(現・大阪教育大)へ。神戸で小学校教師を務め、創作活動も始めた。72年に退職してインドやタイ、沖縄などを放浪。74年、工場地帯の学校を舞台にした「兎の眼」を発表した。
多感で繊細な子供たちや、彼らと向き合う個性的な教師たちを生き生きと描いた「兎の眼」は、児童文学として出版されたが、広く大人にも読まれてミリオンセラーに。国際アンデルセン賞特別優良作品にも選ばれた。
78年、神戸の琉球料理店の少女が、太平洋戦争と沖縄に思いを深めていく「太陽の子」を出版。その後も、寡作ながら絵本「ろくべえまってろよ」(絵・長新太)や、少年の成長を追った大河小説「天の瞳」など、ヒューマニズムにあふれた作品を発表。教員体験や独自の死生観をもとに、子どもや教育をめぐる問題にも積極的に発言した。83年には神戸市に保育園を開いた。
97年に、新潮社の写真週刊誌が殺人容疑の少年の顔写真を載せたことに怒り、同社との出版契約をすべて解消して抗議の意を表した。
作家デビュー後、兵庫県の淡路島で農耕生活を10年余り続けた。91年には沖縄県の渡嘉敷島に住居を移し、漁をして暮らした。04年12月に食道がんの手術を受け、回復していたが、今年9月に再入院していた。
97~99年、本紙家庭面(当時)にエッセー「いのちまんだら」を連載。2冊の本になっている。
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灰谷さんがマラソンランナーだったという事実は意外と知られていない。
1984年、当時49歳でフルマラソン初完走、走ったのはホノルルマラソン。
彼にマラソンを勧めたのはフォークシンガー 高石ともや
氏と群馬大学教授山西哲郎氏。
灰谷氏の 「遅れてきたランナー」
の中に、なぜ彼が走ることに目覚めたか、走ることについての彼の哲学らしきものが紹介されている。
こうめさんのホームページ
にも 「遅れてきたランナー」
の書評があるので参考にして欲しい。
自給自足をされていた淡路島での対談の見出しに次のようなことが書かれている:
『子どもの持っている可能性を引き出すのが教育の仕事
がんばるということが唯一の善ではないと思う
走ったからって世の中変るわけじゃない。でも走る行為の中には大きな意味がある
はやいだけの人生がすばらしいんじゃない
走るということには人生の生き方みたいなものがみんな絡まってる
心と体は対話のうえで成り立っているはずなのに若者が体を動かさなくなってきたことに危機感を持つ
子どものころは自然の中を自然のままに走っていた
人間はむかし、野山を駆け巡ってたんだね
自然回帰
いまは選択の時代
魂が躍動する行動と言うのはどこかで自然とつながったもの』
そして灰谷氏の結論は「マラソンは心身の調和の上ではじめて成立するもの」ということ。
自分自身の心との対話、そして自分自身の体との対話、心と体の声を聴くことで初めて自分の「走る」という行為が完成する。
教育関係の著書が多い中で、走るということに関して、灰谷氏の生き方の一面を垣間見る一冊。
晩年は自給自足の暮らしを続けておられたということだった。
恐らく自然と一体化することで自然に帰ろうという気持ちが人一倍強かったのだろう。
享年72歳、亡くなられるにはまだ若すぎた。
心より冥福をお祈り申し上げます。
合掌