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そろそろまた、師走の声が聞こえてくる。先のことを考えるなどあまりないぼくなのに、もう来年のカレンダーを取り寄せてみた。それもちょっと変わった代物だ。「月と季節の暦」。表紙には太陰太陽暦と書いてある。ケーナ奏者の八木倫明さんが紹介していたもので、彼の音楽に感じた広がりはもしかするとこういう天体とのつながりにあるんじゃないかと、少し興味をもったわけだ。 「月と季節の暦」は、単なる日付や時間の流れを追いかけるだけのものではないようだ。中を開くと、「ご利用のために」などとマニュアルがついている。読みものとしても楽しい一冊だ。さっそく特集の「月時計―月を知る生き物たち」を読んでしまった。 「地球に存在する生命体は、それぞれのリズム、時計を内に蔵して生存を可能にしています。単細胞生物という極小の生き物から私たち人間に至るまでがそうなのです」。 「生物は、いわば月や太陽のリズムに同調する機能を本来備えているということであり、それは月や太陽の恵みを受けて生物が存在し、体内に月や太陽を蔵する小宇宙が私たち生き物であることを示しています」。 なんとなく聞いたこともあって興味深いのに、でもほんとうにはよく知らない話だ。人も自然、という表現をぼくは好んで使ってきたけれど、自然に寄り添って生きるような態度をなにひとつ取っていないなぁと気づいた。特集「月を生きる生き物たち」の最後のページは、人間についてだった。 「地球の1日とは、自転によって同一地点が再び太陽に向く平均24時間ですが、月に対する1日は平均24.8時間。この月の1日が体内時計として人間にセットされている可能性が非常に大きいのです」。 特集には、睡眠と覚醒のリズムがこの24.8時間の周期を示した実験も紹介されているが、人類が誕生する前、はるか彼方の何十億年の日々に刻んできたリズムがまずこの宇宙にはあった。人はそろそろその時期だろうと、宇宙のリズムの中に誕生した生き物なのだ。人も自然、どころではなかった。人から見た自然、という視点ではなく、自然界のリズムが体内でも息づいているからこその人間なのだ。だからこうして今、呼吸している。 月のリズムを感じるとは、それではどうすることなんだろう。どんな暮らし方を言うのだろう。カレンダーの始まりに合わせることもない。月はきょうも地球の周りを回っている。 人と人はこの地球上で出会い、いつか天と地に別れてしまう。それを思うと、月を見上げながら言葉にならない思いが何度もこみあげてくるけれど、それもきっと、月のリズムを感じているからなのかもしれない。どうして月は、こんなにもやさしいのだろう。月的生活。月的な人。ぼくもそろそろ、そんな年だ。わけもわからず、そう思う。 ●「月と季節の暦」は、月と太陽の暦制作室の志賀勝さんが制作販売しています。
Nov 29, 2007

11月27日は、ユコタンの一周忌だった。あれからぼくはもう1年を生きているのか。言葉にならない感情に浸りながら長い日々だと思っていたのに、もう1年か。ユコタンは今ごろどうしているだろう。死は、創造の新しい階段を上るようなものだと、どうやら前向きにとらえられるようになってはいるけれど、かなうものなら死後の消息を知りたいものだと忘れたことがない。 命日。この世の命が終わった日。そしてきっと、あの世の命が始まった日。死は、人という生命が続けている永久の営みの、一世一代という大イベントなのかもしれない。生きている間に気づけなかった大切ななにかを、死んでゆく人も、遺される人も、その死を通して思い出すことができる。ユコタンに出会い、ユコタンと別れなければ、ぼくはそんなことさえ知らずに、ただのほほんと生き続けただけかもしれない。 ユコタンは、ぼくとふたりで開いた「ひかりっ子くらぶ」のある日、一期一会ということばを使った。何度も開いたふたりの会はとても小さなものだったけれど、集った仲間と静かに深くふれあえる素敵なひとときだった。まだまだ続くと思っていたのに、もう二度と開けない。どんな出会いも一生の間にあるたった一度のものだと、あれからぼくの覚悟はできたんだろうか。その覚悟ができないなら、ユコタンとの別れを無駄にしてしまうことになる。そればかりは、ぜったいにいやだ。いま出会っていることに、出会っているこの瞬間に、精一杯の心を開いて、誠意を尽くしていなかったなら、なんのために別れたというのか。命日が、遺されたぼくにまた大切なことを教えてくれた。 ユコタンと出会ったのは50を過ぎてからだった。今度会う時は、子どものころから会おうと約束してある。そしてその前に、今がある。ヨシエどんとは高校で出会った同級生だ。どこかで、今度は若いころに会おうと約束していたかもしれない。人と人の出会いはきっと何度も同じメンバーで繰り返す、果てしない創造のマスゲームのようだとイメージしてみた。少し歩き出す勇気がわいてくる。
Nov 28, 2007

冬の前の青空にさそわれて、山を歩いてきた。身体の中で、山、山と声がする。山が恋しいんだろうか。登山家でもないのにと、自分でおかしくなる。 旧白峰村からの白山はすぐ間近に見えるせいか、神々しさが一段と増して感じられる。昇ったばかりのお日さまが里山の朝もやを黄金色に染めている。その朝もやを背景に杉の木立が真っ黒なシルエットをつくり、それと対比して透明なほど真っ白な御前ケ峰が浮かび上がっていた。 もちろん写真は撮ったが、こんな風景に出会ったときは撮るよりも、まずは感動だ。途中ですれ違ったあのカメラマンは、今ごろどこにいるだろう。美しいシーンを見ているだろうか、などと珍しくそんなことが気になった。見事なまでにすべてがそろった美しい瞬間に出会いながら、出会っていることは決して当たり前じゃないんだと、自然に手を合わせてしまう。 登り口へと続く県道はすでに閉じていた。冬山を登るつわものたちは、ここから10キロ、20キロと雪道を歩くのか。何日かけて登るんだろう。ぼくのこの生涯ではもうあきらめるしかなさそうな冬の白山だなと、少し残念な気もする。行く先を変えて、先日登ったばかりの富士写ケ岳に向かった。標高は940mほどしかないが、富士山を思わせる形が美しい。加賀市役所の撮影をきっかけに白山の周りの山々を歩く面白さを覚えたぼくの、お気に入りのひとつになりそうだ。今年はもうひとつ紅葉が冴えなかったブナたちはいまごろどんなだろうと、それが楽しみだった。 いきなりの急勾配がぬかるんで歩きにくい。ゆっくり登るしかなったが、このところ朝の散歩が滞っていたせいか息が切れる。それでもまだ、山だ、山だの声に包まれて、身体が喜んでいるような気がした。 2時間ほども経ってようやくブナ林に入った。すっかり葉っぱを落として、みんな裸ん坊。まっすぐなやつ、少しねじ曲がったやつ。お日さまのスポットライトを浴びて林立している姿はまるでダンスをしているようににぎやかだ。風がその間をすり抜けて、ぼくの身体をも抜けていった。インドで風を感じてからというもの、ずっと風になりたいと思っていた。もうあきらめてすっかり忘れていたのに、いつの間にか風になっていたんだ。誰にも悟られない静かな喜びがわいてきた。 帰りは登りよりずっと大変だった。雪を見かけてうれしかったのはほんの一瞬。なにしろ滑る。3回も転んだ。1度はまるでスローモーションで、カメラをかばうように身体をひねっている自分を感じながら転げ落ちた。おかげであちこち今でも痛い。でもこの痛みをなぜか身体は大いに喜んで満足しているようだ。相変わらず山、山の声に包まれて。まったく切りがないやつだ。
Nov 26, 2007

秘密の原っぱの空に向って、きのうもきょうも、大声で歌った。歌詞などないから歌というほどのことでもないか。口から流れ出るに任せて、「あ」の音だけでメロディーをつないでいった。いつものオカリナと違うせいか、小鳥たちは静かだ。聴き入っているんだろうか、それとも羽で耳をふさいでいるんだろうか。朝の静けさの中を声がこだまする。目をとじて、両手を広げて歌うと、勇気がわいて声はどんどん大きくなっていった。どこまで届くだろう。音の高低にはある種の力があるような気がした。言葉のない歌だからこそ、気持ちが乗ってゆくのか。喜びも寂しさも、いろんな気持ちがひとつになって、メロディに乗って広がってゆく。2、3分も歌っただろうか。生意気にも十分に歌い切った気がして、そのまま静かに立っていた。閉じた目の中で、空の友が微笑みながら拍手をしている。よく見ると、大勢の友がいた。みんないっしょに、聴いていてくれたんだ。 空があるように、あなたといたい。 山元加津子「宇宙の約束」
Nov 24, 2007

ものの見事にハードディスクのひとつからデーターが消えた。仕組みがわかって使っているわけではないぼくに詳しい原因を突き止めることはかなわないが、とにかく初期化されたみたいにきれいさっぱり吹っ飛んでしまった。幸か不幸かデーターの中味は仕事関連ではなく、誕生以来ことあるごとに撮ってきたかわいい孫たちの写真だった。ヨシエどんは「よかったじゃない。仕事じゃなくて」と慰めてくれたが、その瞬間にぼくの口から出た言葉は、「仕事ならごめんと謝ればなんとかなるよ。でもタウリンたちとの時間はそんな簡単なもんじゃない」だった。正直な気持ちだった。 デジタル化の波に乗って、ぼくは割と早くからデジカメを取り入れた。写真は銀塩にかぎると言う愛好家の話をときどき耳にするけれど、その歴史はまだ200年にも満たない。誕生してアッと言う間に変遷してきた写真の、いったいなににこだわる必要があるんだろう。憧れの先輩の真似をするようにコダクロームの発色が好みなどと言っていた時期があったぼくも、いつのころからか、生きている時代にあることを肩に力を入れずに楽しもう、という気持ちになって行った。ぼくの写真は何に記録するかより、生きているいま何に出会って、どう感じて、どう撮るのかと、自然に動いてゆく自分自身の瞬間がもっとも興味深い。ちょっと大袈裟なようでも、それこそがぼくが生きている、という気がするほどだ。photo by Namiko とは言いながら、データーは消えた。消えてやっぱり悲しい。はかないもんだ。フィルムなら防湿箱に保存しておく限り、ぼくが生きている間ぐらいはそのままだろうに。でも待てよ。火事もあれば天災だってある。仕事場もろともガラクタになってしまうことだってあり得るんだ。そこにぼくがいれば、同じように跡形もなく消え去ってゆく。どこかに境界線を引いて、ここからははかないもの、ここからは永遠のもの、などという区別などできない。大体が、地球や宇宙さえも、生まれて死んでゆく存在なんだ。はかないのはデーターだけではけっしてなかった。 はかないものに、少しだけこだわることにした。100パーセントじゃないがデーターが復旧できたと、依頼したパソコンショップから知らせがあった。伝えてきた代金はなんと100,550円。2日ほどの作業代らしいが、店主の言葉は「それで高いのかどうかはデーターの重要度の問題」とそっけなかった。大切にしているなら高くて当たり前なんだろうが、子や孫たちとの思い出の数々に値段なんかつけられるか。データーどころじゃない。人の命だって同じなはずなのに、嘱託殺人があり臓器が売買されている。まったくなににこだわって、世の中は成り立っているんだろうか。 その復旧したデーターをきょう受け取りに行く。財布の中味もこれできれいさっぱりなくなって、返ってすっきりした気分だ。はかないのだ、すべて。でもな、ほんとうに大切なものは、どこへも行きやしない。死んで還るまで、この心の中に大事に大事にしまっておこう。もしかするとそれは、天にだって持ち帰ることができるかもしれない。
Nov 24, 2007

一度断食というものをやってみたかった。おまけに沈黙という得難い経験もできる。2月に参加した小食念仏道場が実に良かったからと、迷わずに参加した愚静庵の沈黙断食道場だった。ところがふたを開けてびっくり。ほとんど一日中念仏と瞑想の繰り返しで、静養気分でなんとなく描いていた内容と大きなずれがあった。 初日にして、「こんなことやめて帰ろう」と思いはじめた。何時間も声を出して念仏を唱え、なにが沈黙だ。これじゃ修行だ。修行は好みじゃない。静かに座るための瞑想の時間だろうに、ぼくの心と頭の中はグルグルと不平不満の渦がさかまいた。ああ、いやだ。ほんとにいやだ。 そこに現れたのが、比叡山千日回峰行を2度までも満行された酒井雄哉大阿闍梨の姿だった。お会いしたこともなければていねいに著作を読んだこともないのに、なぜだか比叡山を歩いている様子が浮かんできた。「なんのために歩いているのか」。死をも覚悟した行を続けながら何度迷われたことだろう。単純なぼくだ。「阿闍梨さんの過酷な行に比べたら、こんな道場、屁でもない」と思い直していた。 4人の参加者のうち2人が体調をくずして、何日かはタカちゃんとぼくだけになった。正座や結跏趺坐などできないぼくは長い時間姿勢を保つのさえ苦労したが、それは若いタカちゃんも同じようで、たまに足を伸ばしたり背中を叩いたりしていた。ぼくはぼくで、念仏のリズムに合わせながら得意の背骨ゆらし。まったく行とも言えない、滑稽な行の姿だ。 ああ、もうだめだ。体力気力ともに果てそうになる度、タカちゃんがシャキッと座り直して、姿勢を正し合掌した。それを見て、ぼくもまた立ち上がれた。娘ほどの世代だろうに、大したもんだ。弥山堂から見えるふかしぎ光山に向かって、ふたりで手を合わせながら想像した。タカちゃんとぼくは同じ星からやってきた同士なんだ。いまふるさとの星では大変な紛争が起きている。ふたりで並んで祈りながら、それを鎮めているところなんだ。面白くもない念仏の時間は、ぼくの想像をふくらませる愉快な時間にもなった。 こうしてなんとか、1週間の道場を乗り切った。まったく、ようやく乗り切った。「少し念仏と瞑想の時間を減らしてほしい」と願い出て、完璧にやり遂げたわけではないんだから、乗り切ったとはお世辞にも言えないかもしれないが、それでも時々の助けがあり、それぞれに得るものがあるんだから、互いに影響しあう人生とはほんとに不思議なもんだと感じてしまう。
Nov 23, 2007

風にも言葉があるんだ 耳を澄ませてごらん そよ風のちいさな声がきこえるだろ もっと聞きたければ、耳に手のひらをあてるんだ ほら、ささやくような風の波 やさしくこころを吹き抜けてゆく かあさんの、あの ぬくもりに似て 風の言葉
Nov 22, 2007

人には身体があって、心もあって感情があり、それにもうひとつ、見えない魂もあるという。『ミュータント・メッセージ』のあとがきにたしか、現代人に向けたアボリジニの長の言葉があった。「あなた方はなぜ魂の話をしないのか。あなた方には魂はないのか」。それを読んでぼくは相当なショックを受けた。魂って、ほんとうにあって、それを感じて日常として生きている人たちがいたのか。 ぼくは、ぼくも魂であると、だから信じている、つもりだ。けれども残念ながら、その存在を確かなものとして感じたことがない、ようだ。どうして魂ってやつをもっと身近に感じることができないんだろうと、ずっと思ってきた。 『神へ帰る』の中に面白い言葉をみつけた。 「感情は魂の言語なのだ」。 言葉は心の創造の産物で、行動は身体の言語だとも言っている。そして、「感情は最初の思考であり、純粋な思考だ。感情は言葉にならない思考だよ。何かについて『語る』ことなしに、たくさんのことを伝えている」。 ぼくがほんとうに撮るとき、つまり撮ることに集中しているとき、そこには言葉はひとつもなかった。思考さえないのかもしれない。なにかを感じていることは間違いないけれど、それがぼくの意識には上っていないのだから、言葉で表すことなどとてもできない。そこにもしかすると、魂ってやつが関係しているんじゃないだろうかと、少しうれしくなっている。 大して実感もないことをぐだぐだと考えているぼくに、友は言った。 「私達の本質が魂だから、鏡のようなものがない限りは自分が見えにくいのと同じようなもの。目を内に向けないで、外にばかり向けて、自分を外に探してるんだな。頭のさきっちょにぶらさげた人参を追い求める馬のように外に向かってるんだな」。 これは参った。まさしく今のぼくだ。これまでずっとそうしてきた、ぼくの姿が見えるようだ。人が魂だとしたら、その魂から魂を感じることは実に難しいかもしれない。 「魂は神の性質を持ち、個性をも持った存在。個性だけに注目して神の部分であることを忘れてしまったんだね。もし神と一体に繋がっていることを思い出し実感することができれば、個性を持ちながら神の性質を持つ素晴らしい生き方ができるね」。 そうだな。ぼくは、ぼくという個性をとても気に入っている。一時は、この人生なら永遠につづけていたいと思ったほどだ。でも、確かに抜け落ちていた。神の性質がぼくの中にもあることなど、畏れ多くてとても言えないだろう。だからか、神はいつも見守っている、という言葉に隠れて、これまで好き勝手にやってきた。ああ、でももういいや。人は誰もがみんな神の性質を持っているんだ。ぼくだけじゃない。みんなだ。だったらこれからは少し違った生き方をしようかな。 ますます感情を大切に。そこには、ぼくの真実があるんだ。ぼくの感情は、ぼくの魂の言葉なんだから。そうだろ、ぼくの魂。
Nov 22, 2007

4畳半にも満たない弥山堂の空間に4人がすわり、念仏と瞑想を繰り返していた。静かな時間が流れている。ただ、見えないけれどぼくの中ではざわざわと、こんな時間、早く終わらないかなと騒いでいる。突然ごう音とともに強い風が吹いた。目を開けた。開けて、驚いた。何万枚もの葉っぱが青い宙を舞っているのだ。きらきらと、くるくると、輝きながら。3枚のガラス戸越しに、それは信じがたいほど神々しい絵のようだった。数分もその絵は続いた。ひらひらと、はらはらと、降りてくるようだ。あれらはきっと、落ち葉とは呼ばない。黄色や橙色にひかりかがやく天使にちがいない。ざわめく心でしか座れないぼくだとしても、それでもいいのだと、天使たちがささやきかけていた。
Nov 22, 2007

窓を開けると、外は雨。冷たく湿った空気をゆっくりと吸い込んだ。北陸人は多湿を好む、などと言ったらほかの市民は否定するだろうか。それなら、ぼくは湿り気を好む、と言い直そう。肌もしっとり、心まで。やがて降ってくる真っ白な雪がふうわりと積もったところへ静かに身体を沈めるのは、さらに好み。ぼくの冬の最高の楽しみだ。つめてー。雪まみれの顔を一度自分で見てみたい。気持ちいいとかでもなくて、雪と遊ぶと喜んでいるのがわかる。身体も心も、ぼくの全部で。それに今気がついたけれど、これは想像するだけでも同じように感じられる。冬、早く来ないかなぁ。ぼくを真っ白にしておくれ。
Nov 21, 2007

なんで文章なんか書くんだろうと、ふと不思議に思った。 私的なことをあっさりと公開している田口ランディさんがそれをご自身の芸風だと書いているのに出会って、生きている体験と書くことの間に適度な距離を置きながら、しかも両方ともがランディさんなんだと思って、面白く感じた。作家と同じにように考えることはできないが、ぼくも自分なりにまじめに書いて、そしてそれを楽しんでいる。でも、なんで文章なんか書くんだろうか。 1年前のあの夜、毎日のようにやりとりしていた友が逝った。深く心を通わせた人とのはじめての死別の中で、もうなにも考えることができなくなった。今にして思えば、感情という機能が止まってしまったような気さえする。生きて会えない、その意味がわからなかった。寂しいとはどういうことだ。哀しいってなんだ。なにをどう感じていいのかわからなくなった。それが永遠の眠りについた友の病室に入った瞬間、そこに確かな現実があるはずなのに、自分が自分とその場から離れてゆくのを感じていた、ような気がする。どうにもわからなくなっていた自分が、わかったような自分になった、のかもしれない。 冷たくなってゆく友の手を握りながら、共に悲しむ友らと抱き合って泣きながら、そうしている自分を少し離れて見ている、どこか冷ややかとさえ思う自分がいた。迫真の演技でドラマを演じている、と言えば、近いかもしれない。そしてその数日後から、毎日のように文章を書き出した。ふんだんにあった友との時間を埋め合わせるようにして。 それは、寂しさを紛らわせたり自分を保とうとする行為だったのかもしれない。身の回りをていねいに見つめることができると、書くことの効用を誰かに伝えたかもしれない。でもやっぱりほんとうのところはわからない。なんで文章なんか、書くんだろう。ランディさんは違うところで、動転してたら文章なんか書いてない、というようなことを書いていた。ぼくはきっとまだ、ほんとうには動転したことがないんだろう。文章を書いている気持ちの余裕があるのだとしたら。 文章、書く言葉、それらは心ではないところで表現している。または心のことを、頭で置き換えている。生きるということは、心で感じているような気がするのに。文章なんか書かないで、友の死とひとり静かに向き合っていたらどうなっていただろうか。それを想像すると、書くことの意味が少しはわかってくるかもしれない。
Nov 21, 2007

かさかさになりし心の真ん中へどんぐりの実を落としてみたり 約束があって生まれて来たような気持ちになって火を吹き起こす 埋没の精神ですよゆったりと糸瓜は蔓にぶらさがる 愚静庵の本棚には、庵主の静栖さんの蔵書なのか何冊もの心惹かれる本たちが並んでいる。一日中念仏や瞑想を繰り返す日程の中でゆっくりと手に取る時間はなかったが、その中の山崎方代『こんなもんじゃ』が目にとまった。表紙のイラストが好みだったからだが、帯には「妻子がなくても寂しくない、地位も名誉も欲しくない、金がなくても不満はない」というのに添え「方代さんふうに生きてみませんか」などと書いてあって、中をのぞきたくなった。 方代さんは昭和の歌人。戦争で右目を失明、左目の視力は0.01となる。生涯独身、定職を持たず、世話する方の敷地内で小屋のようなところに住んだ人。ネットで調べると、放浪の歌人、異端の歌人、奇行が多くたわいもない嘘をつき続けた伝説的歌人という形容があちこちに見られる。1985年に亡くなった。 いつまでも転んでいるといつまでもそのまま転んで暮らしたくなる 洗面をおこたりおれば眼のへりのあたりに青いカビが生えてきた 冷えて来てねむれないので風呂敷をかむりて顔をくるんでしまう 帯の言葉がもどってきた。「方代さんふうに生きてみませんか」、とは、どういう意味だろう。なになにふうに、という場合、それはスタイルを真似することか、それとも心持ちを合わせることか、などと考えてみたが、方代さんふうに生きられるはずなんかないじゃないかと思ってしまう。方代さんが亡くなった20年ほど前は、いまと大して変わらずあくせくとせちがらく、ばたばたと慌ただしく世間の時間は過ぎていただろうに、そこに居て、呼吸して、茶をすすり、眠り、歌い、好き放題に死んでゆくなど、簡単な話ではなかっただろう。それは方代さんしかできなかった人生だ、心だけ方代さんふう、などあり得ない、と決めつけた。 卓袱台の上の土瓶に心中をうちあけてより楽になりたり ときのまに死ねば死ねると云うことのかかるおごりを持ってぞ生くる このようになまけていても人生にもっとも近く詩を書いている ああ、また念仏と瞑想の時間だ。早朝の4時にはじまり就寝の8時まで、一日の10時間あまりを仏の前に座って過ごしている。ここは自ら選んで来た場所だ。それなのに強制されて座っているような辛さを感じつづけている。瞑想とは内側を見つめるためにあるだろう。それなのに外の環境ばかりに気を奪われている。ぼくは「いつまでもそのまま転んで暮らしたくなる」。神に願わなくても、転んだままで、いいではないか。
Nov 20, 2007

汁椀に茶を注ぎ、すすりながら、小食のあとの静かなときを楽しんだ。断食を終えて、あったかな11月の陽に包まれているのは、至福に値するというものだ。揺れる茶に、空の青が映っている。手前のゴツゴツとしたものはなんだ、と一瞬凝視した。なぁんだ、この顔かぁ。こんなふうに見上げるような角度の自分を知らなかった。テカテカと光る額は岩だ。奥まった眼窩は岩陰になり、そこから眉毛がひょろひょろと伸びてまるで水がなくても育つ不気味な植物に見えてきた。無骨な風景だ。美しいという形容からはおよそほど遠いけれど、たくましい。力を感じた。見ていて飽きない。飽かずに見ていると、いつか行ってみたいと思っているセドナが浮かんできた。きっとこういう風景が広がっているんだ。青の空に突き出た岩、岩。その狭間でぼくは、乾いた大地に寝っ転がって、見上げている。そのとき、どんな気分なんだろう。地球なんて汁椀みたいなもんだ、なんて笑いながら、断食道場をなつかしく思い出しているのかもしれないな。
Nov 19, 2007

厚い灰色の雲がたれ込めた北陸の空だ。綿あめを工場や車の排ガスであぶったら、こんなふうになるんだろうか、などと想像してしまう。1週間滞在した栃木の粟野の空は、すっきりと透明な青だった。比べることもないけれど、空がその下に住む人へ及ぼす影響というものがあるのなら、全国一、日照時間の少ない金沢の人とは、いったいどんな人たちなんだろう。ぼくもその中のひとりだ。 沈黙断食道場を初めて経験して、気持ちは確かに一段落してしまった。見た目も中味もほとんど何も変わっていないのに、気持ちだけが一段落。だから、このどんよりとした空がありがたい。とても落ち着く。 今日は日曜だったのか。おやじを連れ出して、ふたりで近所の温泉に出かけた。「日帰りか?」と、銭湯なのにとんちんかんなことを聞く。それでも久しぶりの会話が息子にはうれしい。並んで湯に浸かった。おやじの真似をして、頭にタオルをのせた。昔からこうだった。普通のスタイルをなんのためらいもなく好んでするおやじだ。それを見てきた息子は、だから普通を好まなかったんだろうか。自分のスタイル、自分の道と、そんなことばかり求めてきた。タオルをのせてみて、そんなことどっちでもよかったんだと、今になってわかったように、またうれしくなった。 「洗いっこするか」と、息子が言う前におやじが言った。「石けんは使わんでいいよ」。「湯だけかぁ?」と少し驚いている。10年以上もそうだと言ったら、「それは知らなんだ」とまた驚いた。家族なんて知らないことだらけなんだろう。ゴシゴシと、傾くほどに力を入れて擦ってくれた。手加減というものを知らない人でもあるけれど、それがおやじの心なんだろうか。交替して、おやじの背中を見つめた。シミだらけだ。耳の縁も同じように黒ずんでいる。右肩には細い傷がある。どれも初めて見たような気がした。ほんとうに家族なんて知らないことだらけだ。石けんで洗っているうちに、知らなかったおやじを見つけては幸せのようなものを感じてしまった。 することのない息子は、シャワーの湯をほとばしらせて頭を洗っている様子を見ていた。周りに人がいないからいいようなものを、まったくこれではゾウの水浴びだ。豪快だなぁ。決して豪快な人ではないと思うが、仕草だけはどうも違うようだ。何を見ていても、うれしかった。事故以来、運転禁止になったおやじだ。これからは暇な冬。何度でも連れ出してやろうか。外はみぞれになりそうな冷たい雨が降っていた。どんよりとした雲の下は、家族が近くなる。なぜかそんな気がした。
Nov 18, 2007
愛する人の待つわが家へと、今夜は心やすらかな帰り道。そんな道で見かける旅人は、なぜだかとても愛しい。越後湯沢駅の階段を大きなスーツケースとバッグを両手に、長い黒髪の若い女性が降りようとしていた。きれいな方だ。ぼくも年を取ったものだ。なんの照れも気負いもなく近づいて、手を貸した。持ち手を離さない女性の手にふれながら、ゆっくりと並んで降りた。車内を出たばかりだというのに、その手はもう冷たかった。ありがとうと、なめらかだが、ご両親のひとりはどこかよその国の方のようだ。バランスがね、この方が歩きやすいみたいよ、と言うと、でもわたしの大きい、と返してきた。だから持ってあげたんだよと、ふたたび心で返す。おたがいそれ以上見合うことはなかったが、きっと見えないところで微笑んだ。誰もがみんな帰り道。行く先は、わが家なんだ。寄り添いあって、歩いてゆこう。
Nov 17, 2007
「あなたが何をしようが、どんなことを引き起こそうが、取り返しがつかず、癒されることも不可能なほど恐ろしいことはありえない。わたしはあなたをふたたび完全にすることができるし、また、そうする。しかし、あなたは自分自身を批判することをやめなくてはいけない。いちばん強力な批判をするのはあなた自身だ」。 まったく、どうしようもなくその通りだ。ぼくなどは、どんな自分も大好きだと言いながら、ぼく自身への批判の手を休めることがない。おまけに、自分のその痛みを通して他をも批判している。まあ、それも良しだ。いま自分の中のカラクリが見えたんだから。 「たったいま、このわたしが驚異と真実のなかであなたを見ていること、あなたを完璧だと見ていることを知りなさい。あなたを見るわたしには、たったひとつの思いしかない。『これがわたしの愛する者、わたしがおおいに喜びとする者だ』」。 もしもこれが本当のことなら、自分自身を批判している場合じゃなさそうだ。今はそれでもいいけれど、いずれ『神へ帰る』ものなら、その時に喜びを持って答えられるだろうか。「神さま、愛してくれてありがとう」なんて。 今日からしばらく小さな旅です。沈黙断食のひととき。くたばる練習でもしてきます。
Nov 10, 2007
人生なんて、くそくらえ。一生懸命に生きようとしても、ちょっとした行き違いで馬鹿げたことになってしまう。まったくどうしようもないぜ。人生とは、なんて言うやつは、人生を生きているとは思えない。光とか、愛とか、言葉でならいくらでも言え。わかったふりして、なんとでも言え。所詮はおんなじ人間じゃないか。人生なんて、くそくらえ。それでもな、くそくらえの人生から、一つぐらいは学んで死んでゆくんだ。それくらい、当たり前だ。そうじゃなかったら、いったいぜんたい、なんのために生まれてきたんだ。生まれて、生きて、死んでゆけ。
Nov 9, 2007

こんな海を見たの、初めてだ。海も空も、いつも同じように広がっているのに、なにひとつ同じじゃない。大体が、広がっているということが、ぼくにはものすごく不思議だ。空間って、いったいなんなんだろう。どうしてこんなものが広がっているんだろう。小さなぼくではなにもわからないけれど、そんなぼくが、ぽつんと広がりの中にいる。限りがないんだ。なんのことだかさっぱりわからないけれど、心も同じように広がってゆけ。 春喜らと、三国沖の広がりの中で
Nov 9, 2007

「ひとつの生涯がひとつの段階だ」。(ニール・ドナルド・ウォルシュ『神へ帰る』) ひとつの階段、と読み違えてしまい、しばらくそのまま先へと進んでいた。段階と、階段はもちろん全然意味は違うだろうが、ひとつの生涯はひとつの階段なんだと、なぜかぼくは思ってしまう。生涯をかけて、たったひとつのステップを上がる。人生は、それで十分に価値がある。そう思いたいぼくなんだろう。2段飛び、3段飛びで、早くあがるのがいいというわけじゃない。ゆっくりでいい。足下の花と戯れながら、ぼくは生涯をかけて、一歩だけ歩を進めたい。きっとその方が美しい、人間らしいと、そう思っているんだろうな。
Nov 8, 2007
「ほかのひとたちとの対話や外の世界から得る情報のすべては、太陽の光のようなものだ。あなたのなかの種を成長させる。人びとも場所もモノも出来事も、すべては思い出すきっかけだ。道標のようなものだ。それどころか、要するにそれが『外の世界』なのだ。物理的な世界は、あなたが内側で知っていることを外側で経験する場を与えるためにある」。 道しるべかぁ。素敵すぎるぜ、この本の言葉。 「どの方向へ進もうと、神に帰り着かないはずがない。まったく、絶対に、間違いなく、どの道を行ってもかまわない」。 「それでは、ある道を選ぶ意味はどこにあるんですか?」。 「道には、険しい道とあまり険しくない道がある」。 ぼくの道。ここまではあまり険しくもない道だ。友は逝った。でもこんなぼくをあんなにも愛してくれた。ぼくの道。これからはどんなだろう。険しくても険しくなくても、愛してみたい。こんなぼくでも。
Nov 6, 2007
「あなたのなかにある真実以外に真実はない。そのほかはすべて誰かがあなたに言っていることだ」。 「あなただけが、あなたを真実に連れていくことができる。なぜなら、真実のあるところは、ひとつだから」。 『神へ帰る』より あぁ気持ちい。心が晴れる。こういう言葉をぼくは待っていたんだ。「ただし、明晰さは自分の外側に存在する」。そうなんだよな。人は自分のことはわからない。だから人の言葉を頼りにしてしまう。けれども帰る道はここにある。ぼくの神へ帰る旅の再開だ。京都、うさとの服の撮影のひとときにも、神さま、いっしょにいるだろか。
Nov 6, 2007

「あめつちのしづかなる日」の2日間を終え、ほっとして、ヨシエどんとふたり遅い朝の食卓だった。おふくろがぼそぼそと、ひとりごとのようになにやらしゃべっている。いつものことだが、今朝のはすこし大きめの声だった。「きょうでじいちゃん、81んなったぞ」。おっ、そうか。誕生日だったか。そこへおやじが入ってくる。毎日おなじことが繰り返されている。朝のコーヒーをたててくれるのだ。 「おとうさん、誕生日おめでとう」。 目を見て、大きな声で言わないと届かない。 「おお、わしかっ。きょうは誕生日かぁ」。 「そうや、81歳おめでとう」 「はははっ、80を越えたんは知っとったけどな。ははははっ」 入れ歯をすればいいのにと言ってもそのままだから、隙間から空気が抜けて気も抜けたような妙な笑い方だ。 「長生きしたもんやなぁ。ありがと、ありがと」 息子の心は、ぽっとあったかくなった。こんなこと言うおやじじゃなかったのに。近頃は日がな一日テレビの前に陣取っている。生涯を働き通しできたおやじだからもう動きたくないのかもしれないと、そばにいてときどき思ったりする。それでも愚痴一つこぼしたことがないおやじだった。もしかすると、人生を達観しているな、とヨシエどんとそんな会話を楽しんだ。息子も少しはおやじを見習うべきか。いまだに愚痴や文句が出てしまう。
Nov 5, 2007

夢みたものは・・・ 立原道造 夢みたものは ひとつの幸福 ねがったものは ひとつの愛 山なみのあちらにも しずかな村がある 明るい日曜日の 青い空がある 日傘をさした 田舎の娘らが 着かざって 唄をうたっている 大きなまるい輪をかいて 田舎の娘らが 踊をおどっている 告げて うたっているのは 青い翼の一羽の 小鳥 低い枝で うたっている 夢みたものは ひとつの愛 ねがったものは ひとつの幸福 それらはすべてここに ある と ぼくがまだ中学生だったころ、グループサウンズというのが流行って、女の子たちがキャーキャーと黄色い声で毎日のように話題にしていた。もちろん男のぼくがそんな輪の中に入ることはあるはずもなかったが、タイガースの「青い鳥」は好きだった。ジュリーの歌声に透明な響きを感じて、それがぼくの中にしみ込んでいたんだろうと、今ならそう思える。 青い鳥は もう二度と 帰っては来なかった ぼくには はかない初恋だった そうか、この歌は、初恋が破れた話だったのかと、これも今さら気づいている。当時は意味など考えてもいなかったようだ。声に憧れ、ひとりでよく口ずさんでいた。それでも廊下で好きな子にすれ違う瞬間などにはわざと、しかもなるべくさりげなく、「あ~おい~と~り~」と小さめに歌いながら歩いた。青い鳥を求めて気を引こうとしていたものか、それともただのかっこつけか、あの頃の気持ちが懐かしいばかりだが、どうやら女の子が気になりだした初々しい時代だったようだ。 あれからもう40年だ。恋心は健在だ、なんて言うと、世の中にバカにされそうだが、まんざらウソでもない。ぼくは青い鳥を求めつづけているのかも知れない。その青い鳥は、幸せはここにあるのだと、告げているというのに。 幸せは、いま、ここにある。ここ? どこだ。となりの部屋でヨシエどんがまだ眠っている、幸せそうに、布団にくるまって。それを見つめながら、そうだな、と、静かにうなずいてみた。みた、というのもおかしな話だけれど、ぼくには正直、なにが幸福なのか、なにが愛なのか、それを感じようとしてみてもよくわからない。それが、少し哀しい、気がする。 秘密の原っぱにいるたくさんの小鳥たちも、毎朝美しく澄んだ歌声でぼくを迎えてくれる。あのさえずりも、同じように告げているのか。 夢みたものは ひとつの愛 ねがったものは ひとつの幸福 それらはすべてここに ある と 言葉にするほどはっきりと、夢みても願ってもいないぼくは、生きているということは自ずと夢や願いを持たなければならないんだろうかと、ときに不思議な気持ちになり、ついにはよくわからなくなってしまう。念ずれば花開く。求めよ、されば得られん。などと言葉が浮かんできても、なぜか遠い国の話のようだ。あぁ、とため息をひとつ。幸せそうなヨシエどんを見ていると、ぼくも幸せになる。世界が幸せだと、ぼくもきっと幸せになる。でもどちらかと言うと、何が幸せなのかと、やっぱりわからない。青い鳥よ、ぼくはお前になりたいのかも、しれない。
Nov 2, 2007

昨日は、前夜の予報では晴れだというので心の準備をして、加賀の秋を見つける小さな旅に出た。朝見上げた空は、レースのカーテンのようなうすい雲で覆われていた。行けるだろう、と車に乗った。数分走った。フロントガラス越しの西の空に厚い雲がある。うーん、やめておくか。これじゃ秋らしくないかもな。予定は変更するためにある、などと進路を仕事場に向けた。おお、そうだ。樹木公園で気功をして行こう。下りて針葉樹の林の中に入った。天の気を取り入れようと、空を見上げる。あれ? いつのまにか気持ちのいい青空だ。やっぱり、加賀へ行こうか。ぼくの予定はコロコロと変わる。まったく決断力のないやつだ。優柔不断とは、こんな男を言うのだろう。今日が誰かと共にする日でなくてよかった、と思った。ひとりだと、どんないい加減な自分でも楽しめる。ぼくの心はお天気といっしょだ。コロコロと変わりつづける。
Nov 1, 2007
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