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そろそろまた、師走の声が聞こえてくる。先のことを考えるなどあまりないぼくなのに、もう来年のカレンダーを取り寄せてみた。それもちょっと変わった代物だ。「月と季節の暦」。表紙には太陰太陽暦と書いてある。ケーナ奏者の八木倫明さんが紹介していたもので、彼の音楽に感じた広がりはもしかするとこういう天体とのつながりにあるんじゃないかと、少し興味をもったわけだ。 「月と季節の暦」は、単なる日付や時間の流れを追いかけるだけのものではないようだ。中を開くと、「ご利用のために」などとマニュアルがついている。読みものとしても楽しい一冊だ。さっそく特集の「月時計―月を知る生き物たち」を読んでしまった。 「地球に存在する生命体は、それぞれのリズム、時計を内に蔵して生存を可能にしています。単細胞生物という極小の生き物から私たち人間に至るまでがそうなのです」。 「生物は、いわば月や太陽のリズムに同調する機能を本来備えているということであり、それは月や太陽の恵みを受けて生物が存在し、体内に月や太陽を蔵する小宇宙が私たち生き物であることを示しています」。 なんとなく聞いたこともあって興味深いのに、でもほんとうにはよく知らない話だ。人も自然、という表現をぼくは好んで使ってきたけれど、自然に寄り添って生きるような態度をなにひとつ取っていないなぁと気づいた。特集「月を生きる生き物たち」の最後のページは、人間についてだった。 「地球の1日とは、自転によって同一地点が再び太陽に向く平均24時間ですが、月に対する1日は平均24.8時間。この月の1日が体内時計として人間にセットされている可能性が非常に大きいのです」。 特集には、睡眠と覚醒のリズムがこの24.8時間の周期を示した実験も紹介されているが、人類が誕生する前、はるか彼方の何十億年の日々に刻んできたリズムがまずこの宇宙にはあった。人はそろそろその時期だろうと、宇宙のリズムの中に誕生した生き物なのだ。人も自然、どころではなかった。人から見た自然、という視点ではなく、自然界のリズムが体内でも息づいているからこその人間なのだ。だからこうして今、呼吸している。 月のリズムを感じるとは、それではどうすることなんだろう。どんな暮らし方を言うのだろう。カレンダーの始まりに合わせることもない。月はきょうも地球の周りを回っている。 人と人はこの地球上で出会い、いつか天と地に別れてしまう。それを思うと、月を見上げながら言葉にならない思いが何度もこみあげてくるけれど、それもきっと、月のリズムを感じているからなのかもしれない。どうして月は、こんなにもやさしいのだろう。月的生活。月的な人。ぼくもそろそろ、そんな年だ。わけもわからず、そう思う。 ●「月と季節の暦」は、月と太陽の暦制作室の志賀勝さんが制作販売しています。
Nov 29, 2007

11月27日は、ユコタンの一周忌だった。あれからぼくはもう1年を生きているのか。言葉にならない感情に浸りながら長い日々だと思っていたのに、もう1年か。ユコタンは今ごろどうしているだろう。死は、創造の新しい階段を上るようなものだと、どうやら前向きにとらえられるようになってはいるけれど、かなうものなら死後の消息を知りたいものだと忘れたことがない。 命日。この世の命が終わった日。そしてきっと、あの世の命が始まった日。死は、人という生命が続けている永久の営みの、一世一代という大イベントなのかもしれない。生きている間に気づけなかった大切ななにかを、死んでゆく人も、遺される人も、その死を通して思い出すことができる。ユコタンに出会い、ユコタンと別れなければ、ぼくはそんなことさえ知らずに、ただのほほんと生き続けただけかもしれない。 ユコタンは、ぼくとふたりで開いた「ひかりっ子くらぶ」のある日、一期一会ということばを使った。何度も開いたふたりの会はとても小さなものだったけれど、集った仲間と静かに深くふれあえる素敵なひとときだった。まだまだ続くと思っていたのに、もう二度と開けない。どんな出会いも一生の間にあるたった一度のものだと、あれからぼくの覚悟はできたんだろうか。その覚悟ができないなら、ユコタンとの別れを無駄にしてしまうことになる。そればかりは、ぜったいにいやだ。いま出会っていることに、出会っているこの瞬間に、精一杯の心を開いて、誠意を尽くしていなかったなら、なんのために別れたというのか。命日が、遺されたぼくにまた大切なことを教えてくれた。 ユコタンと出会ったのは50を過ぎてからだった。今度会う時は、子どものころから会おうと約束してある。そしてその前に、今がある。ヨシエどんとは高校で出会った同級生だ。どこかで、今度は若いころに会おうと約束していたかもしれない。人と人の出会いはきっと何度も同じメンバーで繰り返す、果てしない創造のマスゲームのようだとイメージしてみた。少し歩き出す勇気がわいてくる。
Nov 28, 2007

冬の前の青空にさそわれて、山を歩いてきた。身体の中で、山、山と声がする。山が恋しいんだろうか。登山家でもないのにと、自分でおかしくなる。 旧白峰村からの白山はすぐ間近に見えるせいか、神々しさが一段と増して感じられる。昇ったばかりのお日さまが里山の朝もやを黄金色に染めている。その朝もやを背景に杉の木立が真っ黒なシルエットをつくり、それと対比して透明なほど真っ白な御前ケ峰が浮かび上がっていた。 もちろん写真は撮ったが、こんな風景に出会ったときは撮るよりも、まずは感動だ。途中ですれ違ったあのカメラマンは、今ごろどこにいるだろう。美しいシーンを見ているだろうか、などと珍しくそんなことが気になった。見事なまでにすべてがそろった美しい瞬間に出会いながら、出会っていることは決して当たり前じゃないんだと、自然に手を合わせてしまう。 登り口へと続く県道はすでに閉じていた。冬山を登るつわものたちは、ここから10キロ、20キロと雪道を歩くのか。何日かけて登るんだろう。ぼくのこの生涯ではもうあきらめるしかなさそうな冬の白山だなと、少し残念な気もする。行く先を変えて、先日登ったばかりの富士写ケ岳に向かった。標高は940mほどしかないが、富士山を思わせる形が美しい。加賀市役所の撮影をきっかけに白山の周りの山々を歩く面白さを覚えたぼくの、お気に入りのひとつになりそうだ。今年はもうひとつ紅葉が冴えなかったブナたちはいまごろどんなだろうと、それが楽しみだった。 いきなりの急勾配がぬかるんで歩きにくい。ゆっくり登るしかなったが、このところ朝の散歩が滞っていたせいか息が切れる。それでもまだ、山だ、山だの声に包まれて、身体が喜んでいるような気がした。 2時間ほども経ってようやくブナ林に入った。すっかり葉っぱを落として、みんな裸ん坊。まっすぐなやつ、少しねじ曲がったやつ。お日さまのスポットライトを浴びて林立している姿はまるでダンスをしているようににぎやかだ。風がその間をすり抜けて、ぼくの身体をも抜けていった。インドで風を感じてからというもの、ずっと風になりたいと思っていた。もうあきらめてすっかり忘れていたのに、いつの間にか風になっていたんだ。誰にも悟られない静かな喜びがわいてきた。 帰りは登りよりずっと大変だった。雪を見かけてうれしかったのはほんの一瞬。なにしろ滑る。3回も転んだ。1度はまるでスローモーションで、カメラをかばうように身体をひねっている自分を感じながら転げ落ちた。おかげであちこち今でも痛い。でもこの痛みをなぜか身体は大いに喜んで満足しているようだ。相変わらず山、山の声に包まれて。まったく切りがないやつだ。
Nov 26, 2007

秘密の原っぱの空に向って、きのうもきょうも、大声で歌った。歌詞などないから歌というほどのことでもないか。口から流れ出るに任せて、「あ」の音だけでメロディーをつないでいった。いつものオカリナと違うせいか、小鳥たちは静かだ。聴き入っているんだろうか、それとも羽で耳をふさいでいるんだろうか。朝の静けさの中を声がこだまする。目をとじて、両手を広げて歌うと、勇気がわいて声はどんどん大きくなっていった。どこまで届くだろう。音の高低にはある種の力があるような気がした。言葉のない歌だからこそ、気持ちが乗ってゆくのか。喜びも寂しさも、いろんな気持ちがひとつになって、メロディに乗って広がってゆく。2、3分も歌っただろうか。生意気にも十分に歌い切った気がして、そのまま静かに立っていた。閉じた目の中で、空の友が微笑みながら拍手をしている。よく見ると、大勢の友がいた。みんないっしょに、聴いていてくれたんだ。 空があるように、あなたといたい。 山元加津子「宇宙の約束」
Nov 24, 2007

ものの見事にハードディスクのひとつからデーターが消えた。仕組みがわかって使っているわけではないぼくに詳しい原因を突き止めることはかなわないが、とにかく初期化されたみたいにきれいさっぱり吹っ飛んでしまった。幸か不幸かデーターの中味は仕事関連ではなく、誕生以来ことあるごとに撮ってきたかわいい孫たちの写真だった。ヨシエどんは「よかったじゃない。仕事じゃなくて」と慰めてくれたが、その瞬間にぼくの口から出た言葉は、「仕事ならごめんと謝ればなんとかなるよ。でもタウリンたちとの時間はそんな簡単なもんじゃない」だった。正直な気持ちだった。 デジタル化の波に乗って、ぼくは割と早くからデジカメを取り入れた。写真は銀塩にかぎると言う愛好家の話をときどき耳にするけれど、その歴史はまだ200年にも満たない。誕生してアッと言う間に変遷してきた写真の、いったいなににこだわる必要があるんだろう。憧れの先輩の真似をするようにコダクロームの発色が好みなどと言っていた時期があったぼくも、いつのころからか、生きている時代にあることを肩に力を入れずに楽しもう、という気持ちになって行った。ぼくの写真は何に記録するかより、生きているいま何に出会って、どう感じて、どう撮るのかと、自然に動いてゆく自分自身の瞬間がもっとも興味深い。ちょっと大袈裟なようでも、それこそがぼくが生きている、という気がするほどだ。photo by Namiko とは言いながら、データーは消えた。消えてやっぱり悲しい。はかないもんだ。フィルムなら防湿箱に保存しておく限り、ぼくが生きている間ぐらいはそのままだろうに。でも待てよ。火事もあれば天災だってある。仕事場もろともガラクタになってしまうことだってあり得るんだ。そこにぼくがいれば、同じように跡形もなく消え去ってゆく。どこかに境界線を引いて、ここからははかないもの、ここからは永遠のもの、などという区別などできない。大体が、地球や宇宙さえも、生まれて死んでゆく存在なんだ。はかないのはデーターだけではけっしてなかった。 はかないものに、少しだけこだわることにした。100パーセントじゃないがデーターが復旧できたと、依頼したパソコンショップから知らせがあった。伝えてきた代金はなんと100,550円。2日ほどの作業代らしいが、店主の言葉は「それで高いのかどうかはデーターの重要度の問題」とそっけなかった。大切にしているなら高くて当たり前なんだろうが、子や孫たちとの思い出の数々に値段なんかつけられるか。データーどころじゃない。人の命だって同じなはずなのに、嘱託殺人があり臓器が売買されている。まったくなににこだわって、世の中は成り立っているんだろうか。 その復旧したデーターをきょう受け取りに行く。財布の中味もこれできれいさっぱりなくなって、返ってすっきりした気分だ。はかないのだ、すべて。でもな、ほんとうに大切なものは、どこへも行きやしない。死んで還るまで、この心の中に大事に大事にしまっておこう。もしかするとそれは、天にだって持ち帰ることができるかもしれない。
Nov 24, 2007

一度断食というものをやってみたかった。おまけに沈黙という得難い経験もできる。2月に参加した小食念仏道場が実に良かったからと、迷わずに参加した愚静庵の沈黙断食道場だった。ところがふたを開けてびっくり。ほとんど一日中念仏と瞑想の繰り返しで、静養気分でなんとなく描いていた内容と大きなずれがあった。 初日にして、「こんなことやめて帰ろう」と思いはじめた。何時間も声を出して念仏を唱え、なにが沈黙だ。これじゃ修行だ。修行は好みじゃない。静かに座るための瞑想の時間だろうに、ぼくの心と頭の中はグルグルと不平不満の渦がさかまいた。ああ、いやだ。ほんとにいやだ。 そこに現れたのが、比叡山千日回峰行を2度までも満行された酒井雄哉大阿闍梨の姿だった。お会いしたこともなければていねいに著作を読んだこともないのに、なぜだか比叡山を歩いている様子が浮かんできた。「なんのために歩いているのか」。死をも覚悟した行を続けながら何度迷われたことだろう。単純なぼくだ。「阿闍梨さんの過酷な行に比べたら、こんな道場、屁でもない」と思い直していた。 4人の参加者のうち2人が体調をくずして、何日かはタカちゃんとぼくだけになった。正座や結跏趺坐などできないぼくは長い時間姿勢を保つのさえ苦労したが、それは若いタカちゃんも同じようで、たまに足を伸ばしたり背中を叩いたりしていた。ぼくはぼくで、念仏のリズムに合わせながら得意の背骨ゆらし。まったく行とも言えない、滑稽な行の姿だ。 ああ、もうだめだ。体力気力ともに果てそうになる度、タカちゃんがシャキッと座り直して、姿勢を正し合掌した。それを見て、ぼくもまた立ち上がれた。娘ほどの世代だろうに、大したもんだ。弥山堂から見えるふかしぎ光山に向かって、ふたりで手を合わせながら想像した。タカちゃんとぼくは同じ星からやってきた同士なんだ。いまふるさとの星では大変な紛争が起きている。ふたりで並んで祈りながら、それを鎮めているところなんだ。面白くもない念仏の時間は、ぼくの想像をふくらませる愉快な時間にもなった。 こうしてなんとか、1週間の道場を乗り切った。まったく、ようやく乗り切った。「少し念仏と瞑想の時間を減らしてほしい」と願い出て、完璧にやり遂げたわけではないんだから、乗り切ったとはお世辞にも言えないかもしれないが、それでも時々の助けがあり、それぞれに得るものがあるんだから、互いに影響しあう人生とはほんとに不思議なもんだと感じてしまう。
Nov 23, 2007

風にも言葉があるんだ 耳を澄ませてごらん そよ風のちいさな声がきこえるだろ もっと聞きたければ、耳に手のひらをあてるんだ ほら、ささやくような風の波 やさしくこころを吹き抜けてゆく かあさんの、あの ぬくもりに似て 風の言葉
Nov 22, 2007

人には身体があって、心もあって感情があり、それにもうひとつ、見えない魂もあるという。『ミュータント・メッセージ』のあとがきにたしか、現代人に向けたアボリジニの長の言葉があった。「あなた方はなぜ魂の話をしないのか。あなた方には魂はないのか」。それを読んでぼくは相当なショックを受けた。魂って、ほんとうにあって、それを感じて日常として生きている人たちがいたのか。 ぼくは、ぼくも魂であると、だから信じている、つもりだ。けれども残念ながら、その存在を確かなものとして感じたことがない、ようだ。どうして魂ってやつをもっと身近に感じることができないんだろうと、ずっと思ってきた。 『神へ帰る』の中に面白い言葉をみつけた。 「感情は魂の言語なのだ」。 言葉は心の創造の産物で、行動は身体の言語だとも言っている。そして、「感情は最初の思考であり、純粋な思考だ。感情は言葉にならない思考だよ。何かについて『語る』ことなしに、たくさんのことを伝えている」。 ぼくがほんとうに撮るとき、つまり撮ることに集中しているとき、そこには言葉はひとつもなかった。思考さえないのかもしれない。なにかを感じていることは間違いないけれど、それがぼくの意識には上っていないのだから、言葉で表すことなどとてもできない。そこにもしかすると、魂ってやつが関係しているんじゃないだろうかと、少しうれしくなっている。 大して実感もないことをぐだぐだと考えているぼくに、友は言った。 「私達の本質が魂だから、鏡のようなものがない限りは自分が見えにくいのと同じようなもの。目を内に向けないで、外にばかり向けて、自分を外に探してるんだな。頭のさきっちょにぶらさげた人参を追い求める馬のように外に向かってるんだな」。 これは参った。まさしく今のぼくだ。これまでずっとそうしてきた、ぼくの姿が見えるようだ。人が魂だとしたら、その魂から魂を感じることは実に難しいかもしれない。 「魂は神の性質を持ち、個性をも持った存在。個性だけに注目して神の部分であることを忘れてしまったんだね。もし神と一体に繋がっていることを思い出し実感することができれば、個性を持ちながら神の性質を持つ素晴らしい生き方ができるね」。 そうだな。ぼくは、ぼくという個性をとても気に入っている。一時は、この人生なら永遠につづけていたいと思ったほどだ。でも、確かに抜け落ちていた。神の性質がぼくの中にもあることなど、畏れ多くてとても言えないだろう。だからか、神はいつも見守っている、という言葉に隠れて、これまで好き勝手にやってきた。ああ、でももういいや。人は誰もがみんな神の性質を持っているんだ。ぼくだけじゃない。みんなだ。だったらこれからは少し違った生き方をしようかな。 ますます感情を大切に。そこには、ぼくの真実があるんだ。ぼくの感情は、ぼくの魂の言葉なんだから。そうだろ、ぼくの魂。
Nov 22, 2007

4畳半にも満たない弥山堂の空間に4人がすわり、念仏と瞑想を繰り返していた。静かな時間が流れている。ただ、見えないけれどぼくの中ではざわざわと、こんな時間、早く終わらないかなと騒いでいる。突然ごう音とともに強い風が吹いた。目を開けた。開けて、驚いた。何万枚もの葉っぱが青い宙を舞っているのだ。きらきらと、くるくると、輝きながら。3枚のガラス戸越しに、それは信じがたいほど神々しい絵のようだった。数分もその絵は続いた。ひらひらと、はらはらと、降りてくるようだ。あれらはきっと、落ち葉とは呼ばない。黄色や橙色にひかりかがやく天使にちがいない。ざわめく心でしか座れないぼくだとしても、それでもいいのだと、天使たちがささやきかけていた。
Nov 22, 2007

窓を開けると、外は雨。冷たく湿った空気をゆっくりと吸い込んだ。北陸人は多湿を好む、などと言ったらほかの市民は否定するだろうか。それなら、ぼくは湿り気を好む、と言い直そう。肌もしっとり、心まで。やがて降ってくる真っ白な雪がふうわりと積もったところへ静かに身体を沈めるのは、さらに好み。ぼくの冬の最高の楽しみだ。つめてー。雪まみれの顔を一度自分で見てみたい。気持ちいいとかでもなくて、雪と遊ぶと喜んでいるのがわかる。身体も心も、ぼくの全部で。それに今気がついたけれど、これは想像するだけでも同じように感じられる。冬、早く来ないかなぁ。ぼくを真っ白にしておくれ。
Nov 21, 2007

なんで文章なんか書くんだろうと、ふと不思議に思った。 私的なことをあっさりと公開している田口ランディさんがそれをご自身の芸風だと書いているのに出会って、生きている体験と書くことの間に適度な距離を置きながら、しかも両方ともがランディさんなんだと思って、面白く感じた。作家と同じにように考えることはできないが、ぼくも自分なりにまじめに書いて、そしてそれを楽しんでいる。でも、なんで文章なんか書くんだろうか。 1年前のあの夜、毎日のようにやりとりしていた友が逝った。深く心を通わせた人とのはじめての死別の中で、もうなにも考えることができなくなった。今にして思えば、感情という機能が止まってしまったような気さえする。生きて会えない、その意味がわからなかった。寂しいとはどういうことだ。哀しいってなんだ。なにをどう感じていいのかわからなくなった。それが永遠の眠りについた友の病室に入った瞬間、そこに確かな現実があるはずなのに、自分が自分とその場から離れてゆくのを感じていた、ような気がする。どうにもわからなくなっていた自分が、わかったような自分になった、のかもしれない。 冷たくなってゆく友の手を握りながら、共に悲しむ友らと抱き合って泣きながら、そうしている自分を少し離れて見ている、どこか冷ややかとさえ思う自分がいた。迫真の演技でドラマを演じている、と言えば、近いかもしれない。そしてその数日後から、毎日のように文章を書き出した。ふんだんにあった友との時間を埋め合わせるようにして。 それは、寂しさを紛らわせたり自分を保とうとする行為だったのかもしれない。身の回りをていねいに見つめることができると、書くことの効用を誰かに伝えたかもしれない。でもやっぱりほんとうのところはわからない。なんで文章なんか、書くんだろう。ランディさんは違うところで、動転してたら文章なんか書いてない、というようなことを書いていた。ぼくはきっとまだ、ほんとうには動転したことがないんだろう。文章を書いている気持ちの余裕があるのだとしたら。 文章、書く言葉、それらは心ではないところで表現している。または心のことを、頭で置き換えている。生きるということは、心で感じているような気がするのに。文章なんか書かないで、友の死とひとり静かに向き合っていたらどうなっていただろうか。それを想像すると、書くことの意味が少しはわかってくるかもしれない。
Nov 21, 2007

かさかさになりし心の真ん中へどんぐりの実を落としてみたり 約束があって生まれて来たような気持ちになって火を吹き起こす 埋没の精神ですよゆったりと糸瓜は蔓にぶらさがる 愚静庵の本棚には、庵主の静栖さんの蔵書なのか何冊もの心惹かれる本たちが並んでいる。一日中念仏や瞑想を繰り返す日程の中でゆっくりと手に取る時間はなかったが、その中の山崎方代『こんなもんじゃ』が目にとまった。表紙のイラストが好みだったからだが、帯には「妻子がなくても寂しくない、地位も名誉も欲しくない、金がなくても不満はない」というのに添え「方代さんふうに生きてみませんか」などと書いてあって、中をのぞきたくなった。 方代さんは昭和の歌人。戦争で右目を失明、左目の視力は0.01となる。生涯独身、定職を持たず、世話する方の敷地内で小屋のようなところに住んだ人。ネットで調べると、放浪の歌人、異端の歌人、奇行が多くたわいもない嘘をつき続けた伝説的歌人という形容があちこちに見られる。1985年に亡くなった。 いつまでも転んでいるといつまでもそのまま転んで暮らしたくなる 洗面をおこたりおれば眼のへりのあたりに青いカビが生えてきた 冷えて来てねむれないので風呂敷をかむりて顔をくるんでしまう 帯の言葉がもどってきた。「方代さんふうに生きてみませんか」、とは、どういう意味だろう。なになにふうに、という場合、それはスタイルを真似することか、それとも心持ちを合わせることか、などと考えてみたが、方代さんふうに生きられるはずなんかないじゃないかと思ってしまう。方代さんが亡くなった20年ほど前は、いまと大して変わらずあくせくとせちがらく、ばたばたと慌ただしく世間の時間は過ぎていただろうに、そこに居て、呼吸して、茶をすすり、眠り、歌い、好き放題に死んでゆくなど、簡単な話ではなかっただろう。それは方代さんしかできなかった人生だ、心だけ方代さんふう、などあり得ない、と決めつけた。 卓袱台の上の土瓶に心中をうちあけてより楽になりたり ときのまに死ねば死ねると云うことのかかるおごりを持ってぞ生くる このようになまけていても人生にもっとも近く詩を書いている ああ、また念仏と瞑想の時間だ。早朝の4時にはじまり就寝の8時まで、一日の10時間あまりを仏の前に座って過ごしている。ここは自ら選んで来た場所だ。それなのに強制されて座っているような辛さを感じつづけている。瞑想とは内側を見つめるためにあるだろう。それなのに外の環境ばかりに気を奪われている。ぼくは「いつまでもそのまま転んで暮らしたくなる」。神に願わなくても、転んだままで、いいではないか。
Nov 20, 2007

汁椀に茶を注ぎ、すすりながら、小食のあとの静かなときを楽しんだ。断食を終えて、あったかな11月の陽に包まれているのは、至福に値するというものだ。揺れる茶に、空の青が映っている。手前のゴツゴツとしたものはなんだ、と一瞬凝視した。なぁんだ、この顔かぁ。こんなふうに見上げるような角度の自分を知らなかった。テカテカと光る額は岩だ。奥まった眼窩は岩陰になり、そこから眉毛がひょろひょろと伸びてまるで水がなくても育つ不気味な植物に見えてきた。無骨な風景だ。美しいという形容からはおよそほど遠いけれど、たくましい。力を感じた。見ていて飽きない。飽かずに見ていると、いつか行ってみたいと思っているセドナが浮かんできた。きっとこういう風景が広がっているんだ。青の空に突き出た岩、岩。その狭間でぼくは、乾いた大地に寝っ転がって、見上げている。そのとき、どんな気分なんだろう。地球なんて汁椀みたいなもんだ、なんて笑いながら、断食道場をなつかしく思い出しているのかもしれないな。
Nov 19, 2007

厚い灰色の雲がたれ込めた北陸の空だ。綿あめを工場や車の排ガスであぶったら、こんなふうになるんだろうか、などと想像してしまう。1週間滞在した栃木の粟野の空は、すっきりと透明な青だった。比べることもないけれど、空がその下に住む人へ及ぼす影響というものがあるのなら、全国一、日照時間の少ない金沢の人とは、いったいどんな人たちなんだろう。ぼくもその中のひとりだ。 沈黙断食道場を初めて経験して、気持ちは確かに一段落してしまった。見た目も中味もほとんど何も変わっていないのに、気持ちだけが一段落。だから、このどんよりとした空がありがたい。とても落ち着く。 今日は日曜だったのか。おやじを連れ出して、ふたりで近所の温泉に出かけた。「日帰りか?」と、銭湯なのにとんちんかんなことを聞く。それでも久しぶりの会話が息子にはうれしい。並んで湯に浸かった。おやじの真似をして、頭にタオルをのせた。昔からこうだった。普通のスタイルをなんのためらいもなく好んでするおやじだ。それを見てきた息子は、だから普通を好まなかったんだろうか。自分のスタイル、自分の道と、そんなことばかり求めてきた。タオルをのせてみて、そんなことどっちでもよかったんだと、今になってわかったように、またうれしくなった。 「洗いっこするか」と、息子が言う前におやじが言った。「石けんは使わんでいいよ」。「湯だけかぁ?」と少し驚いている。10年以上もそうだと言ったら、「それは知らなんだ」とまた驚いた。家族なんて知らないことだらけなんだろう。ゴシゴシと、傾くほどに力を入れて擦ってくれた。手加減というものを知らない人でもあるけれど、それがおやじの心なんだろうか。交替して、おやじの背中を見つめた。シミだらけだ。耳の縁も同じように黒ずんでいる。右肩には細い傷がある。どれも初めて見たような気がした。ほんとうに家族なんて知らないことだらけだ。石けんで洗っているうちに、知らなかったおやじを見つけては幸せのようなものを感じてしまった。 することのない息子は、シャワーの湯をほとばしらせて頭を洗っている様子を見ていた。周りに人がいないからいいようなものを、まったくこれではゾウの水浴びだ。豪快だなぁ。決して豪快な人ではないと思うが、仕草だけはどうも違うようだ。何を見ていても、うれしかった。事故以来、運転禁止になったおやじだ。これからは暇な冬。何度でも連れ出してやろうか。外はみぞれになりそうな冷たい雨が降っていた。どんよりとした雲の下は、家族が近くなる。なぜかそんな気がした。
Nov 18, 2007
愛する人の待つわが家へと、今夜は心やすらかな帰り道。そんな道で見かける旅人は、なぜだかとても愛しい。越後湯沢駅の階段を大きなスーツケースとバッグを両手に、長い黒髪の若い女性が降りようとしていた。きれいな方だ。ぼくも年を取ったものだ。なんの照れも気負いもなく近づいて、手を貸した。持ち手を離さない女性の手にふれながら、ゆっくりと並んで降りた。車内を出たばかりだというのに、その手はもう冷たかった。ありがとうと、なめらかだが、ご両親のひとりはどこかよその国の方のようだ。バランスがね、この方が歩きやすいみたいよ、と言うと、でもわたしの大きい、と返してきた。だから持ってあげたんだよと、ふたたび心で返す。おたがいそれ以上見合うことはなかったが、きっと見えないところで微笑んだ。誰もがみんな帰り道。行く先は、わが家なんだ。寄り添いあって、歩いてゆこう。
Nov 17, 2007
「あなたが何をしようが、どんなことを引き起こそうが、取り返しがつかず、癒されることも不可能なほど恐ろしいことはありえない。わたしはあなたをふたたび完全にすることができるし、また、そうする。しかし、あなたは自分自身を批判することをやめなくてはいけない。いちばん強力な批判をするのはあなた自身だ」。 まったく、どうしようもなくその通りだ。ぼくなどは、どんな自分も大好きだと言いながら、ぼく自身への批判の手を休めることがない。おまけに、自分のその痛みを通して他をも批判している。まあ、それも良しだ。いま自分の中のカラクリが見えたんだから。 「たったいま、このわたしが驚異と真実のなかであなたを見ていること、あなたを完璧だと見ていることを知りなさい。あなたを見るわたしには、たったひとつの思いしかない。『これがわたしの愛する者、わたしがおおいに喜びとする者だ』」。 もしもこれが本当のことなら、自分自身を批判している場合じゃなさそうだ。今はそれでもいいけれど、いずれ『神へ帰る』ものなら、その時に喜びを持って答えられるだろうか。「神さま、愛してくれてありがとう」なんて。 今日からしばらく小さな旅です。沈黙断食のひととき。くたばる練習でもしてきます。
Nov 10, 2007
人生なんて、くそくらえ。一生懸命に生きようとしても、ちょっとした行き違いで馬鹿げたことになってしまう。まったくどうしようもないぜ。人生とは、なんて言うやつは、人生を生きているとは思えない。光とか、愛とか、言葉でならいくらでも言え。わかったふりして、なんとでも言え。所詮はおんなじ人間じゃないか。人生なんて、くそくらえ。それでもな、くそくらえの人生から、一つぐらいは学んで死んでゆくんだ。それくらい、当たり前だ。そうじゃなかったら、いったいぜんたい、なんのために生まれてきたんだ。生まれて、生きて、死んでゆけ。
Nov 9, 2007

こんな海を見たの、初めてだ。海も空も、いつも同じように広がっているのに、なにひとつ同じじゃない。大体が、広がっているということが、ぼくにはものすごく不思議だ。空間って、いったいなんなんだろう。どうしてこんなものが広がっているんだろう。小さなぼくではなにもわからないけれど、そんなぼくが、ぽつんと広がりの中にいる。限りがないんだ。なんのことだかさっぱりわからないけれど、心も同じように広がってゆけ。 春喜らと、三国沖の広がりの中で
Nov 9, 2007

「ひとつの生涯がひとつの段階だ」。(ニール・ドナルド・ウォルシュ『神へ帰る』) ひとつの階段、と読み違えてしまい、しばらくそのまま先へと進んでいた。段階と、階段はもちろん全然意味は違うだろうが、ひとつの生涯はひとつの階段なんだと、なぜかぼくは思ってしまう。生涯をかけて、たったひとつのステップを上がる。人生は、それで十分に価値がある。そう思いたいぼくなんだろう。2段飛び、3段飛びで、早くあがるのがいいというわけじゃない。ゆっくりでいい。足下の花と戯れながら、ぼくは生涯をかけて、一歩だけ歩を進めたい。きっとその方が美しい、人間らしいと、そう思っているんだろうな。
Nov 8, 2007
「ほかのひとたちとの対話や外の世界から得る情報のすべては、太陽の光のようなものだ。あなたのなかの種を成長させる。人びとも場所もモノも出来事も、すべては思い出すきっかけだ。道標のようなものだ。それどころか、要するにそれが『外の世界』なのだ。物理的な世界は、あなたが内側で知っていることを外側で経験する場を与えるためにある」。 道しるべかぁ。素敵すぎるぜ、この本の言葉。 「どの方向へ進もうと、神に帰り着かないはずがない。まったく、絶対に、間違いなく、どの道を行ってもかまわない」。 「それでは、ある道を選ぶ意味はどこにあるんですか?」。 「道には、険しい道とあまり険しくない道がある」。 ぼくの道。ここまではあまり険しくもない道だ。友は逝った。でもこんなぼくをあんなにも愛してくれた。ぼくの道。これからはどんなだろう。険しくても険しくなくても、愛してみたい。こんなぼくでも。
Nov 6, 2007
「あなたのなかにある真実以外に真実はない。そのほかはすべて誰かがあなたに言っていることだ」。 「あなただけが、あなたを真実に連れていくことができる。なぜなら、真実のあるところは、ひとつだから」。 『神へ帰る』より あぁ気持ちい。心が晴れる。こういう言葉をぼくは待っていたんだ。「ただし、明晰さは自分の外側に存在する」。そうなんだよな。人は自分のことはわからない。だから人の言葉を頼りにしてしまう。けれども帰る道はここにある。ぼくの神へ帰る旅の再開だ。京都、うさとの服の撮影のひとときにも、神さま、いっしょにいるだろか。
Nov 6, 2007

「あめつちのしづかなる日」の2日間を終え、ほっとして、ヨシエどんとふたり遅い朝の食卓だった。おふくろがぼそぼそと、ひとりごとのようになにやらしゃべっている。いつものことだが、今朝のはすこし大きめの声だった。「きょうでじいちゃん、81んなったぞ」。おっ、そうか。誕生日だったか。そこへおやじが入ってくる。毎日おなじことが繰り返されている。朝のコーヒーをたててくれるのだ。 「おとうさん、誕生日おめでとう」。 目を見て、大きな声で言わないと届かない。 「おお、わしかっ。きょうは誕生日かぁ」。 「そうや、81歳おめでとう」 「はははっ、80を越えたんは知っとったけどな。ははははっ」 入れ歯をすればいいのにと言ってもそのままだから、隙間から空気が抜けて気も抜けたような妙な笑い方だ。 「長生きしたもんやなぁ。ありがと、ありがと」 息子の心は、ぽっとあったかくなった。こんなこと言うおやじじゃなかったのに。近頃は日がな一日テレビの前に陣取っている。生涯を働き通しできたおやじだからもう動きたくないのかもしれないと、そばにいてときどき思ったりする。それでも愚痴一つこぼしたことがないおやじだった。もしかすると、人生を達観しているな、とヨシエどんとそんな会話を楽しんだ。息子も少しはおやじを見習うべきか。いまだに愚痴や文句が出てしまう。
Nov 5, 2007

夢みたものは・・・ 立原道造 夢みたものは ひとつの幸福 ねがったものは ひとつの愛 山なみのあちらにも しずかな村がある 明るい日曜日の 青い空がある 日傘をさした 田舎の娘らが 着かざって 唄をうたっている 大きなまるい輪をかいて 田舎の娘らが 踊をおどっている 告げて うたっているのは 青い翼の一羽の 小鳥 低い枝で うたっている 夢みたものは ひとつの愛 ねがったものは ひとつの幸福 それらはすべてここに ある と ぼくがまだ中学生だったころ、グループサウンズというのが流行って、女の子たちがキャーキャーと黄色い声で毎日のように話題にしていた。もちろん男のぼくがそんな輪の中に入ることはあるはずもなかったが、タイガースの「青い鳥」は好きだった。ジュリーの歌声に透明な響きを感じて、それがぼくの中にしみ込んでいたんだろうと、今ならそう思える。 青い鳥は もう二度と 帰っては来なかった ぼくには はかない初恋だった そうか、この歌は、初恋が破れた話だったのかと、これも今さら気づいている。当時は意味など考えてもいなかったようだ。声に憧れ、ひとりでよく口ずさんでいた。それでも廊下で好きな子にすれ違う瞬間などにはわざと、しかもなるべくさりげなく、「あ~おい~と~り~」と小さめに歌いながら歩いた。青い鳥を求めて気を引こうとしていたものか、それともただのかっこつけか、あの頃の気持ちが懐かしいばかりだが、どうやら女の子が気になりだした初々しい時代だったようだ。 あれからもう40年だ。恋心は健在だ、なんて言うと、世の中にバカにされそうだが、まんざらウソでもない。ぼくは青い鳥を求めつづけているのかも知れない。その青い鳥は、幸せはここにあるのだと、告げているというのに。 幸せは、いま、ここにある。ここ? どこだ。となりの部屋でヨシエどんがまだ眠っている、幸せそうに、布団にくるまって。それを見つめながら、そうだな、と、静かにうなずいてみた。みた、というのもおかしな話だけれど、ぼくには正直、なにが幸福なのか、なにが愛なのか、それを感じようとしてみてもよくわからない。それが、少し哀しい、気がする。 秘密の原っぱにいるたくさんの小鳥たちも、毎朝美しく澄んだ歌声でぼくを迎えてくれる。あのさえずりも、同じように告げているのか。 夢みたものは ひとつの愛 ねがったものは ひとつの幸福 それらはすべてここに ある と 言葉にするほどはっきりと、夢みても願ってもいないぼくは、生きているということは自ずと夢や願いを持たなければならないんだろうかと、ときに不思議な気持ちになり、ついにはよくわからなくなってしまう。念ずれば花開く。求めよ、されば得られん。などと言葉が浮かんできても、なぜか遠い国の話のようだ。あぁ、とため息をひとつ。幸せそうなヨシエどんを見ていると、ぼくも幸せになる。世界が幸せだと、ぼくもきっと幸せになる。でもどちらかと言うと、何が幸せなのかと、やっぱりわからない。青い鳥よ、ぼくはお前になりたいのかも、しれない。
Nov 2, 2007

昨日は、前夜の予報では晴れだというので心の準備をして、加賀の秋を見つける小さな旅に出た。朝見上げた空は、レースのカーテンのようなうすい雲で覆われていた。行けるだろう、と車に乗った。数分走った。フロントガラス越しの西の空に厚い雲がある。うーん、やめておくか。これじゃ秋らしくないかもな。予定は変更するためにある、などと進路を仕事場に向けた。おお、そうだ。樹木公園で気功をして行こう。下りて針葉樹の林の中に入った。天の気を取り入れようと、空を見上げる。あれ? いつのまにか気持ちのいい青空だ。やっぱり、加賀へ行こうか。ぼくの予定はコロコロと変わる。まったく決断力のないやつだ。優柔不断とは、こんな男を言うのだろう。今日が誰かと共にする日でなくてよかった、と思った。ひとりだと、どんないい加減な自分でも楽しめる。ぼくの心はお天気といっしょだ。コロコロと変わりつづける。
Nov 1, 2007

命、というこの深く不可解なものの意味を知ることができたなら、生きていることは、気楽になるんだろうか。それとも、ますます重くなったりするんだろうか。こうして確かに生きているというのに、生きていることも、死んでゆくことも、ぼくにはなにひとつよくわかっていない。 まゆみさんから知らせが届いた。「心臓病で生きるためにオペに望みをかけた小さな命が、今それを終えようとしています」。 命を閉じようとしているその子のおかあさんが、病院のエレベーターに貼られた写真をそばに置きたいと言われたそうだ。写真には言葉が添えられていた。 ひとりより ふたり ふたりより 3人 3本の枝が仲良しのようにして並んでいる様子から浮かんだ言葉だった。ずっと以前、エミサリーで学んだことも参考になっていた。ひとりで出来ることは限られているけれど、確かな意志を持っていれば、必ずや同士に出会う。すると、ふたりだ。ふたりが確かな意志を持って行動すれば、3人目が寄ってくるという。そしてここからが大切で、同じ意志を持った3人がひとつになって力を合わせれば、もはや決して崩れることはない、というのだ。 おかあさんの気持ちを、ぼくなどが思いやることはとてもできない。気持ちを向けようにも、何をどうしていいのかわからない。もどかしいばかりで、当てもなくさまよってしまう心をただ沈めようとつとめている。祈ること、願うこと、せめてそれを言葉にしないままで、ひとりで感じていよう。生きて欲しいとか、がんばれとか、気を落とさないでとか、そんな言葉、ぼくには見え透いた気がして、かけることなんてできない。命のことを、ぼくはなんにも知らない。 小さな命のそばに、おじいちゃんがいて、おばあちゃんがいるそうだ。おとうさんが、ありがとうと、声を掛けている。その後ろで、その子のおかあさんが泣いているそうだ。小さな命の周りには、4人の命が寄り添っている。3人より、4人。遠くから、ぼくの命も集まれるだろうか。何人目でもかまわない。命がなんだかわからなくても、かまわない。その子の周りに、ぼくも集まろう。 いま生まれる命、いま還ってゆく命。すれ違い、ふれあいながら、人は同じ時代を生きている。それだけでも、同士と言えないだろうか。
Oct 31, 2007

質問 63 宇宙人って 本当にいるんですか? (波蘭 14歳) 谷川さんの答 いますよ。あなたもそのひとりです。 『谷川俊太郎質問箱』より 自分のこと、宇宙人だって思えたら、地球上の戦争なんかなくなるのかも知れない。ロケットに乗って宇宙に飛び出した飛行士が任務を終え地球に帰還すると、人生が180度変わってしまったりする。きっと地上では想像もできない衝撃的な出会いがそこであるんだろうなと、それくらいなら想像できる。 あなたも宇宙人です。 谷川さんに言われると、その気になってしまう。想像力をたくましくして、宇宙を自分の中に描いてみる。うーん、実感がわかない。当たり前だ。ぼくは宇宙飛行士じゃないもの。でも確かなんだよね。 ぼくも、宇宙人です。
Oct 30, 2007

写真愛好家からはほとんど見向きもされないぼくの写真でも、気に入って大切にしてくれる人が何人かいる。100人くらいだろうか。それとも少し多めに、200人くらいかな。2005年の国勢調査によると、日本には127,767,994人が住んでいる。その中の、100人だ。広い世間でぼくの写真に出会い感じてくれるなんて、ほんとうに希少価値の高い、心の仲間たちとでも呼びたくなる人たちだ。 そんな仲間のひとりに、藤波宏子さんがいる。藤波さんは金沢国際デザイン研究所の事務局をまとめている。何年か前、その学校で写真を学びたいデザイナーの卵たち数人を相手に写真のクラスを担当させてもらったのがご縁だ。 非常勤講師を安請け合いしてしまったぼくは、半年間の経験をして、教えるなんて柄じゃないことを悟った。翌年の契約時にその気持ちを伝えて辞退しようとしたが、返って来た藤波さんの言葉に思わずほろりとしてしまったのを覚えている。「教えるプロならたくさんいます。でも私が求めているのは、情熱を持って写真と学生に向き合ってくれる人です」。それでまた安請け合いをしてしまった。まったく懲りない男だ。 学生たちとの日々は、それでも実に楽しかった。相変わらず教えることが浮かばないので、いっしょに外へ出て、よく撮った。話し合うことと言ったら、写真に関するものは少なくて、ぼくでも実践できる、今を楽しむ自分でいようよ、というようなことばかりだった。卒業後、希望のデザインではなく、写真の世界に進んだ子もいて、それでいいのか、と思いながらも少なからずうれしかったものだ。 藤波さんはクラスが閉鎖になったその後も、ぼくの写真を大切に感じてくれている。写真が中心のブログならうってつけのサービスがありますよ、などと細やかなアドバイスもくれる。「いつかkazesanの写真を使って、商品化しましょうよ」というのが、ふたりの間の合言葉のようにもなって行った。 それが今度、実現してしまった。藤波さんが営むデザインショップ・ファンタジスタの2008年オリジナル年賀状に、kazesanシリーズが誕生した。 清らかなイメージの写真をビジネスに使おうとしている私なんだと、藤波さんは何度か心の内を話してくれたことがある。まっすぐで正直な方だなと、ときどきまっすぐでないぼくは感じている。ビジネスに利益は必要だろうが、そればかりでなく、たとえば売買の場なら売り手と買い手が喜びを交換し合うというつながりもあるかもしれない。撮るときの喜び、カードにする喜び、それを買って投函する喜び、受け取る喜び。そうなれば、喜びだらけだ。などと藤波さんは、とりあえず考えたりしているかもしれない。喜び屋さんなんて、そんな店ならぼくも出してみたいもんだ。
Oct 29, 2007

今朝は風があった。ススキや、ススキに取って代わろうとするセイタカアワダチソウが、その風に揺れた。いつもの秘密の原っぱの草花たちが、揺れながらいつもと違って見えた。ニコニコと微笑んでいる。ほんとうの話だよ。50を過ぎて、草花を感じている。おもしろいな、楽しいな、愉快だな。世の中のこと、なんにも知らない男は、知ろうともしない。だから世の中の役には、立てそうにない。けれどもやっぱり、愉快だな。 今日の草花と別れて、原っぱを出ようとした。ニコニコとぼくの心も微笑んだ。外へと通じる出口のような細い道まできたときだ。小鳥たちの声が気になった。急に聞こえてきたかのように、大きくなった。そうか、と気がついた。オカリナを聞きたいのかもしれない。気功のあとのオカリナを今日は忘れていた。少し面倒くさいと思ったけれど、聞かせてあげようかなと、リュックを下ろして取り出しだ。 取り出しただけで、もう飛び出して喜んでいるやつがいる。さえずりのように、吹いた。音楽ではない。世の中を知らない男の、小鳥たちとの遊びだ。森がにぎやかに踊り出した。ほんとうの話だよ。そうか、と気がついた。天上の友も聞きたかったんだ。街に下りても、風があった。風に揺れながら、いつもと違うぼくを感じていた。
Oct 29, 2007

月明かりの下を走る。ゆっくり、ゆっくりと。舗装された山道の人影に気づいた。気づいた影を、見つめながら走った。ぼくに合わせて、影も走っている。いや、そうではなかった。影はこちらを見ているのだ。ぼくが影を見ているように。月明かりの下を、影と人が、見つめ合いながら走っている。 気功の、ある瞬間に、地面に立つ足を見た。20年あまりも履いているエコーの靴は、もうあちこちが破れている。なのに丈夫な靴だ。ただの履物を越えて、共にあるものになっている。その靴を見た瞬間、誰もいない早朝の原っぱにひとりいる、ぼくという存在に気づいた。存在は、影だった。 「秘密の原っぱは、もう誰にも教えないでおこう。ここは影の人しか入れない、秘密の隠れ家にしよう。これまで案内した3人の人たちもきっと、自分は影だと知っているに違いない」と思った。影が靴を履いている。
Oct 28, 2007

「今からでも遅くないよ。形はないけれど彼女の魂には伝わります。今彼女の全てを受け入れてあげなさい」。これは、もう一度ユコタンにはじめから会えるなら、今度は、いつでも彼女のすべてを受け入れてあげたい、と打ち明けたぼくの気持ちに美智世さんが返してくれた言葉だ。 失ってはじめて、大切な友だったことに気づいた。となりにいる間にどうしてそれがわからなかったのかと、ずっと悔やんでいた。あのとき、もっと賛成してあげればよかった。いっしょに喜んであげればよかった。泣いている時には、支えてあげればよかった。ひかりっ子くらぶの相棒として、ぼくはいつでも味方であってよかったはずなのに。たくさんの後悔が残った。もうなにを言っても遅い、そう思っていた。 今受け入れてあげなさい。死んでしまった今になって? 目を閉じて、静かにユコタンを想った。友の全人生を受け入れる。それは、あっけなく死んでしまったことを受け入れることでもあるのだと、はじめて気がついたように気づいた。 そしてぼくは、受け入れた。友の死に囚われていたぼくが見える。まるで死を許していなかったように。その瞬間、大らかなぬくもりが漂い、包み込んでくれたような気がした。それは、友がぼくの呪縛から解き放たれた証だと思った。その夜、初めて友の夢を見た。となりであまりに自然に微笑んでいた。 受け入れることができなくても、受け取ることならできる。などと、心の技術指導みたいな話を聞いたことがあるけれど、そんな中途半端なことで生死を捉えることなどできるはずがない。なのに、どうして受け入れることができたんだろう。流れてゆく愛という名前の時間が、解決してくれたんだろうか。受け入れると、何かが確かに変わり始めている。 叶うはずがないと感じていた、友の死を受け入れた。それができたくらいなら、あとのすべても受け入れることができるかも知れない。夫婦という間柄、親しい友とのふれあい、子や孫へと続くつながり、老いてゆく人たちから受け継ぐもの、病に苦しむ仲間と家族への心、知らない隣人、もっと知らない世界の人への願い。そういう中で過ぎてゆく、今日という暮らし。暮らしにあふれている様々な問題を、ぼくは静かに受け入れてみたい。友がまたにっこりと微笑んで、きっとできるよと、応援しているようだ。
Oct 27, 2007

牛蒡はこんなにもまっすぐで太いものだったのかと、土から掘られるのを初めて見たとき、すっかり感動してしまった。北海道小清水町に広がる臼井博さんの畑でのことだった。もう20年ほども前になる。広大な大地の上で、トラクターを運転する臼井さんと、傍らに寄り添い牛蒡を並べてゆく奥さんの姿はほんとうに小さかった。たったふたりでこの広さを相手にしているんだと思うと、大地に根を張って生きるという言葉が大袈裟でなく感じられた。ふたりの姿を撮りながら、カメラマンほど薄っぺらなものはないなと、悲観してしまったほどだ。ぼくも、もっと根を張って生きてみたい、と思いはじめたいつまでも忘れられないシーンだ。その牛蒡が今年も届いた。たった一度、産地の農家を紹介するポスターの撮影でお邪魔しただけのぼくだったのに、ずっとこうして送ってくださる。 ヨシエどんの手料理にすっかり馴染んでしまったぼくの口には、他での味はいつも濃く感じてしまう。人間はぼくのような薄っぺらでは物足りないばかりだが、味は、素材の滋味まで感じようとするなら薄い方がずっと好ましい。この牛蒡。小枝のように太くて、しかも柔らかい。健土塾の野菜はどれもこれも逸品ぞろいだが、牛蒡がまた最高なんだ。あの畑の、生きた土の味がするようだ。 人参畑を案内してもらったときのことも忘れない。柔らかな土に突っ込んだ臼井さんの手には、夕陽に輝く美しい1本の人参。どうするんだろうと見ていたら、ズボンできゅっきゅと拭いて、がぶりと食べた。ほら、と言って差し出され、受け取った。これじゃリンゴだな、と思いながら、真似して一口ぱくり。人参にも刺身があるのだと思った。 グラウンディングなどという言葉を耳にするとき、いつも臼井さんたちを思い出す。地に足をつけるということは、決してイメージなどではなくて、生きる姿そのものだと思ってしまう。さて、ぼくはどうだ。薄っぺらな男でも、それなりに大地に立っているか。天の誰かにいきなり引き抜かれても、せめてこいつのようにまっすぐなぼくであって欲しいものだ、としげしげと牛蒡をながめた。
Oct 26, 2007

この世に生を享けて、さて記憶が始まったのはいつのことだったか。最近は胎児のころの記憶や、おかあさんのお腹の中に入ってきたときのことを話す子までいるそうだから、ぼくの場合など記録しておくほどのこともなさそうだが、思い出したからメモ代わりに。 ぼくの始まりは、けっこう悲惨なものだった。保育園時代、それもかなり小さなときだ。ホールの片隅にある小さな檻の中にぼくはいた。鉄製だったかそれともプラスチック製かそこまでは覚えていないけれど、格子状のパイプをガタガタと揺らして、外へ出してくれと訴えていた。外に見えた風景を今でもかなり鮮明に覚えている。人生の始まりがこれでは、少しひねくれた性格になっても仕方がないかもしれない。 どうして檻の中に入れられたものだろうか。なにか悪さをしたとしても、乳幼児への体罰などがまかり通っていたのか。理解に苦しんでしまう。とりあえずぼくは、自由になりたかった。 それがきっかけとなったのかは知らないが、今日まで自由、自由と叫び続けて生きてきた。カメラマンになろうとしたのも、石垣島に住もうと決めたのも、同じころ結婚もしてしまえと選んだのも、すべて自分自身の自由意志を尊重してのことだった。自分の人生だもの、誰に左右されることもなく自分の足で歩け。授かった3人の子にも同じように言い続けた。 でも、自由とは。好き勝手にやってきて、まだ自由を求めているのか。ぼくは自由ではなかったんだろうか。どうやら好き放題と自由を取り違えていたようだ。まさに、あの檻の中から出たいと願った、それこそが自由だったと、今になって思う。そうだ、今は自ら作り上げた檻の中に、自分で自分を閉じ込めている。日々訪れるもろもろのことに惑わされ、心が自由な解放を求めていることを無視し続けてきた。長い間そんなぼくだったと気づいて、ようやく檻の扉に掛かった錠に鍵を差し込むときがきた。メモ代わりに言葉を並べながら、そんな予感に心がすこし震えている。きっと、年を取ったんだな、こんな気持ちになるなんて。そう思う自分というものを感じているこの意識は、あの檻の中から始まったものと同じなんだろうか。
Oct 26, 2007

抜けるような秋晴れの空を見上げながら、「仕事なんかしている場合じゃない」と、自然大好きな誰かがどこかで言っている。まったくの同感だ。いつも暇なカメラマンが、この素晴らしい季節になって少しだけ忙しくなっている。天に神さまがいるなら、何をお考えですか、と聞きたくもなる。 昨日の午前中は、信用金庫のカレンダーの撮影だった。「最高のお天気ですね」とすれ違った行員もニッコリするほどの撮影日和。「そうですね」と微笑みを返しておいたが、気持ちはこんな町中ではなく山に飛んで行った。名古屋からわざわざ呼んだモデル事務所の女の子は小学校2年生。去年起用されて、銀行から大いに気に入られたらしい。青空の下で、ますます活発になった女の子と遊ぶようにして撮った。ぼくの仕事は遊びのようなもんだ。なんて、他のスタッフにはないしょだけど。 午後からは、念願の山へ。加賀の鞍掛山(477m)に登った。白山しか知らないぼくだが、この程度の高さなら朝飯前だと思っていたら、とんでもなかった。ほとんど直登している感じだ。少し歩いては一息ついて、水を含んだ。あぁ、でも最高。これも仕事なんだから。加賀市の秋を撮る仕事だ。見渡しても、どこにもそれらしい風景には出会わなかったけれど、身も心も十分に喜んでいた。 「すぐそこに獅子岩というのがあって、絶景ですよ。白山もよく見えるし」と、頂上で出会った人が教えてくれた。さっそく向った。これだな。空と山並みに向って、獅子岩が突き出していた。ほとんど見通しの利かないコースを歩いていたから、うれしくなった。うれしくなって、細長い岩の上を慎重に探索して居場所を定めた。もちろん横になるためだ。こんな贅沢、ほかにないだろう。仕事とか遊びとかいう範疇じゃくくれない。これは、この世に生きているという、幸せだ。空と山に抱かれて、小1時間ほども眠ってしまった。 目が覚めると、目の前をトンボがひらひらとチョウチョみたいに飛んでいた。お日様を浴びて、光ってもいる。記憶なんて残ってはいないけど、まるで天国みたいだ、と思った。カラスがギシギシと潤滑油が切れたような音を立てながら近づき、頭上の松に止まった。あいつら、いつも力の限り飛んでるみたいで、タカのような優雅さがないよな。カァカァ、と2羽して鳴いた。大きなお世話だ、とでも言っているのか。カラスが鳴くから帰ることにするか。本当は、向こうの富士写ヶ岳のシルエットが見事だろうなと、きれいになりそうな夕焼けをここで見たいとも思ったが、あの急斜面を暗がりで下りるほどの勇気を持ち合わせてはいなかった。終日仕事だった秋の一日。天に神さまがいるなら、もうなにも言いません、と感謝して、獅子岩を後にした。
Oct 25, 2007

自分はいまこそ言おう 山村暮鳥 なんであんなにいそぐのだろう どこまでゆこうとするのだろう どこで此の道がつきるのだろう 此の生の一本みちがどこかでつきたら 人間はそこでどうなるだろう おお此の道はどこまでも人間とともにつきないのではないか 谿間をながれる泉のように 自分はいまこそ言おう 人生はのろさにあれ のろのろと蝸牛(ででむし)のようであれ そしてやすまず 一生に二どと通らぬみちなのだからつつしんで 自分は行こうと思うと 原っぱからの帰り道、カタツムリに出会った。いくら山道とはいえ、ここは畑に通う車が朝早くから通るんだぞ。しゃがんで見つめているうちに、持って帰りたくなった。ジョギングはやめてゆっくりと歩いた。かたつむりとお話しながら。 カタツムリはでんでん虫とも蝸牛とも呼ばれてなんとも人気者だが、実は陸に棲む貝類だ。いしかわ自然学校関連の講座ではじめて陸貝という言葉を聞いて、急に興味がわいた。貝なんて水の中だけのものかと思っていたのに、生き物ってほんとうに不思議なやつがいっぱいいるもんだ。 殻には右巻きと左巻きがあるが、日本産のものでは種ごとに巻きの方向が遺伝的に決まっていて、大部分は右巻きだとか。こいつも大部分の一匹だった。庭にそっと放して、しばらく観察した。1分もしないうちに、殻の中からモゾモゾと身体を出してきた。触角をニョロニョロと伸ばした。こっちが頭だな。2対ある。つのだせ、やりだせ、目玉だせ。だったかなと歌ってみた。長い方の触角の先端に、確かに目のようなものがあった。あたりを伺うようにゆっくりと旋回させている。緩慢な割にはなんとも用心深いやつだ。おっ、180度も振り返って様子を伺ったぞ。愉快なやつ。ずっと見ていても、これなら飽きそうにない。 渦の数を数えれば個体の年齢がわかるとか言っていたと思うが、それでいくと、こいつは4年目ぐらいになるんだろうか。もしもそうならすごい話だ。4年間もこんなペースで動いて、食べて、生きている。ところで何を食べているのだったか、講座で聞いたはずなのに、少しも覚えていない。陸貝への興味はわいただけで、それから一度も深めた試しはなかった。なにごとも、だいたいこんなぼくだ。なにもかも中途半端。ま、それでも慌てることはない。のろのろと蝸牛のようであれ。10分ほども見ていたが、動いた距離はほんの数センチだった。
Oct 24, 2007

なにもそうかたを…… 高橋元吉 なにもそうかたをつけたがらなくてもいいではないか なにか得体の知れないものがあり なんということなしにひとりでにそうなってしまう というのでいいではないか 咲いたら花だった 吹いたら風だった それでいいではないか ぼくは完璧主義でも潔癖でもないし、白黒をはっきりさせたい性格でもない。それなのに、何にとらわれ、こだわっているんだろう。生きるということ、死ぬということ。かたをつけられる話じゃないのか。生まれて成長したら、ぼくだった。それでいいではないか。そんなものなのか、人生とは。死んだら、光だった。それでいいに決まっているけれど、今は想像するしかない得体の知れないぼくだった。それで、いいかもしれない。
Oct 23, 2007

気功合宿で学んだ中で、簡単でしかも最高に気持ちいい準備体操のようなものがある。リラックスして立ち、両手を広げながら上げて大地の気を取り入れ、下げて邪気を取り払う。同じように両手を上げながら天の気を受け取り、身体の中を通すというものだ。中健次郎さんの初歩の気功は、とてもシンプルで効果抜群のような気がする。ここ数日、ジョギングで出かける秘密の原っぱで練功していると、生きているということを考えているこのごろの自分が、なんだかかわいい存在に思えてくる。 今朝は青空が広がり、天地のはざまで遊ぶに最高の気功日和だった。大地の気が手からも立っている両足からも流れ込んできた、とイメージした。10数年前に始めたころは言われた通りに忠実にやったものだが、再開した今は、どうもそんな気になれない。身振りもイメージもどんどん自分流に創り直している。この身体と心が一番喜ぶ功法こそ、ぼくにとっての気功だと思える。 たとえば、邪気を払う、ということがぼくにはどうも理解できない。邪気って、いったいなんなんだ。邪悪なものがぼくの中にあるのか。いや、人を嫌ったり批判したりする限り、それを邪気というのだと言われればそうかなと納得するしかないか。けれどもだ。ガン細胞にさえ愛を送って完治させてしまった寺山心一翁さんみたいな人がいたりする。大先輩なのに心さんと呼んでしまうほどに気さくな方で、いつもニコニコ満面の笑みを浮かべていらっしゃる。心さんの世界には、邪悪なものが存在しているんだろうか。 流れ込んできた大地の気を感じ、息を吐きながら両手を横に広げてゆく。自然に生まれた自己流だ。広げながら、大地の中に溶け込んでゆく。うまく行けば、大地というよりも、地球とひとつになってしまう感じさえする。吐き切ったら、自然に吸う。吸いながら両手をまた少し上げ、大地の気を身体中に満たしてゆく。そして最後に吐く時は、両手をゆっくりと下ろしながら、満たしていた気を大地に返してゆくのだ。それは決して邪気なんかじゃない。大地とぼくの好ましい気の交流だ。ぼくがどんなにちっぽけな存在だとしても、それを創り出した創造主というものがいるのだとイメージするとき、もはや邪気などという狭い了見に囚われるのは似つかわしいものじゃなくなってしまう。 豊かな滋味深い大地の気と交流したあとは、どこまでも大らかな天の気とふれあう。気のシャワーを浴びるようなものだ。身体の表面に、内側に、背骨の中にと光り輝いたエネルギーが流れてゆく。遠くの山肌からガサッと音が聞こえた。ここには鹿が住んでいる。近所では熊が出た年もあった。星野道夫さんのことを想った。白熊に襲われたなら、どっちが命を落としてもそれは熊とぼくがひとつになることだ、というような話をどこかで書いていた。そして本当にひとつになってしまった人だ。天地の気とふれあいながら、極上の気分を味わっている今、もしも熊が現れたならぼくはどうするんだろうと、ふと思った。逃げ惑うようじゃ、気功もまだまだ本物じゃないだろうなと思うとおかしくなった。けれどもいつかは本当に天と地の気と、ぼくはひとつになるに違いない。死んでゆくとはそういうことだと、かの荘子が言っている。
Oct 22, 2007

今日は早朝から全市一斉美化清掃の日だそうで、おふくろが案内のチラシを持ってきたのは、これは息子のぼくに出ろ、ということか。いつも朝は早いから、まぁそれもいいかと、町中を歩き回ってゴミ拾いした。朝の空気は気持ちはいいが、どこが全市をあげての清掃だ、と首を傾げた。誰もいないじゃないか。そうだよな、週に一度の日曜日だ。連日忙しい仕事で疲れて、休日の早朝にゴミ拾いなんかできるか。出られるのは暇なカメラマンぐらいなもんだ、と納得した。 美化運動なんかしなくても金沢はきれいなもんだ。そんなには落ちていなかった。それでもたまに見かける空き缶やペットボトルのほか、吸い殻が一番多かった。喫煙者のみなさん、タバコの葉はそのうち消えても、フィルターはずっと残るのだ。まとめて捨ててあったのは車の灰皿からか。自分の車がきれいになれば気持ちはいいだろうな。ぼくのハイエースは、まるでゴミ箱が走っているようなもんだから。なんて、お利口さんぶったことを書きたいのじゃなかった。どうも行けない。こんなブログを書いていると、自分がいい子になってしまう。愛煙家の頃はぼくだって時に吸い殻をポイ捨てしたことがあるのだった。 ゴミ拾いしながら、今朝目覚めてから感じていることを、ずっと考えていた。「生きているって、どういうことだ」。哲学者でも掃除しながらでは考えそうにないことを、ましてや考えてわかるはずもないことを、グダグダと考えている。まったくおかしなやつだ。こんな美化運動したかっらて、それがどうだというんだ。生きていることと、なんの関係があるんだ。ますます土つぼにはまってゆく。 仕事でなく田口ランディさんにお会いするかも知れないというので、著書を読まないではエチケット違反だとばかり、読みはじめた。まずは興味のありそうなところから、タイトルに惹かれて、『寄る辺なき時代の希望』(春秋社)。副題に「人は死ぬのになぜ生きるのか」とあった。ミクシィの日記も拝見していて、作家ってすごいなぁと、日々を見つめる豊富な知識と見識に、そしてなにより自分に正直な態度に、ただ感動する毎日だ。考える、ということは、こういう方の思考を言うのだろうと、風の吹くままカメラマンなどどこかへ飛んで行って、消え去ってしまえばいいのにと思う。 その中の第1章「老いという希望」の最後の部分で、ランディさんは書いている。 「人間としての重荷を降ろしたとき、人はようやく生命の尊厳まで立ち還る。生命はすごいんだ。人間じゃなくたって、すごいんだ。動物も植物も、みんなすごいんだ。すべての生命は生命としての光をもっている」。 グループホームでの体験やスウェーデン視察、藤原新也さんとの対談など、ここまでの経緯を飛ばしていきなり結論めいた箇所だけを読んでも、その意味するところの半分も届かないかもしれないが、この降ろす重荷、というものをぼくは考えた。グダグダと自分なりに、ランディさんの足下にも及ばない思考で考えて、それがどんどん重荷にまでなればいいと思った。重荷になるほど考えてこそ、降ろすことができるんだ。ぼくはまだまだグダグダが足りない。なぜかそう思った。 この章の最後をランディさんは谷川俊太郎の言葉で結んだ。 生きるだけさ、死ぬまでは。 それはわかった。そして、それで、だからどうだというんだ。生きるだけさ、と言うために、生きているのか、人は、すべての光の生命は。ゴミなんか拾うのが少しバカバカしくなってきた。捨てるやつにこのゴミ袋を投げつけるとどんな顔するかな。足下には、コンペイ糖のようなミゾソバが群生していた。かわいいなぁ、こいつ。「ごくろうさん」と、おっさんが声をかけて通り過ぎて行った。そうか、ぼくももうおっさんだった。花を見ていると、忘れてしまう。こんなふうにグダグダと、じじいになっても考えているだろうか。
Oct 21, 2007

質問 4 どうして、にんげんは死ぬの? さえちゃんは、死ぬのいやだよ。 (こやまさえ 6歳) (追伸:これは、娘が実際に母親である私に向かってした質問です。 目をうるませながらの質問でした。正直、答えに困りました~) 谷川さんの答え ぼくがさえちゃんのお母さんだったら、 「お母さんだって死ぬのいやだよー」 と言いながら さえちゃんをぎゅーっと抱きしめて 一緒に泣きます。 そのあとで一緒にお茶します。 あのね、お母さん、 言葉で問われた質問に、 いつも言葉で答える必要はないの。 こういう深い問いかけにはアタマだけじゃなく、 ココロもカラダも使って答えなくちゃね。 この質問と答えは、『谷川俊太郎質問箱』(発行・東京糸井重里事務所)にあるお話のひとつ。はじめの数ページをそっと開き、まるでのぞき見るように読んだ。誰かの質問をぼくが聞いてもいいものだろうかと、なぜかそんな気がした。でも読んでいるうちに、詩人の深い思いやりが伝わってきた。詩人って、ほんとうに深い心を持っている。詩人の足下には到底及ばないが、ぼくも少しでも深くやさしく生きられたらどんなにいいだろう。 この本は、遠くの友が贈ってくれた。昨日届いたばかりだ。文字量は少ないが、なんだかもったいなくて一気に読めない。友のココロがこの本の中にぎっしりと詰まっているような気がする。 「どうしてそんなに真剣に生きるの? どうしてそんなに考えてばかりなの?」というような言葉を何度か言われたことがある。考え過ぎよ、疲れない?というニュアンスがいつも伝わってくる。人が感じるほどぼくは真剣でもないし、考えすぎてもいない。むしろ無知無学なノンポリで、ほとんどのほほんと構えていると、自分では思っている。けれどもしも生きるという大きなテーマについてなにも考えなかったら、なんのために生きているのか、とは確かに思う。楽しく遊んで、美味しいものを食べて、行きたいところを旅して、もしもそれで人生が十分だというなら、その人はそうできなくなった時どうやって生きてゆくんだろう。そうできない人の方が、世界では圧倒的に多数派なんだ。だから、とは言わないが、環境を生きるのではなく、生きている環境で考えることの方がよほど大切だと思っている。 たとえば、花のように生きたい、と言う人がいる。ぼくも、花のようにさりげなく咲いて囚われなく散っていきたいと、時々思ったりする。でも、人は花じゃない。ほんとうに花になって生きることが何よりも素晴らしいことなら、人に生まれるはずがない。生き方を考えるという他のどんな生き物にもできないことを、人はできるんだ。 ぼくの生き方、どうしよう。いつも考えてばかりでは、実際に生きたことにはなって行かない。生きるとは、アタマでも考えて、その考えを抱えて呼吸することだろう。呼吸して動くことだろう。動けないカラダでも呼吸し、ココロからいろんな波を起こしているに違いない。 本を贈ってくれた友をまた思う。やさしい人だ。あったかな人だ。何度も会ってはいないけれど、ぼくにはそう感じられる。そう言えば、このところいろんな品が立て続けに届いている。先日の秋鮭。柔らかでふっくらとして最高にうまかった。さすがに北の海を渡ってきただけのことはある。贈ってくれた友のココロを、さばいてくれた弟ばかりか、伊丹の娘にもお裾分けできた。北海道の小清水にある健土塾の友からは、野菜がどっさりと届いた。10年以上も前に撮影でお邪魔したのがご縁で、ずっとそんなふれあいが続いている。水っぽいジャガイモが最近は多いのに、純度が100パーセントという感じがする。牛のカラダを数回循環させた尿を液肥にして、それだけを使った農業だ。ココロの入り方が違う。品物って、深くてやさしい思いやりでラッピングされている。 ああ、そう言えば、所沢での個展でも沢山の花や品をいただいている。いただきながら、そのままになっている。ぼくはココロをいただきながら、まだココロを返していないじゃないか。どんな生き方をしたいのか。これで答えがはっきりしたじゃないか。いただいたココロをぎゅーっと抱きしめて、ゆっくりと味わい、味わったらまたゆっくりとココロをお返しする。花に虫が飛び交い風が花粉を運ぶ自然界のように、さり気なく深くやさしく、そんな生き方をココロで感じて、アタマでも考えている。 どうして、にんげんは死ぬの? きっと、死ぬのがもったいないくらいに、にんげんって やさしいからだよ おじさんも、死にたくないくらいに、やさしくなりたい
Oct 20, 2007

遠くに住んでいる孫たちの様子が届くと、やっぱりうれしくなる。そばにいると慣れっこになってしまうぼくだから、離れて想像するのもいいかもしれない。ヨシエどんが笑い出しそうになりながら、タウリンが通いはじめた幼稚園の運動会の話を聞かせてくれた。 どこにでもある定番のかけっこの話だ。赤ん坊のころから動き回る活発なタウリンの勇姿を、運動音痴だった母親のナミはビデオカメラを構えて楽しみに待っていた。ヨーイ、ドン。合図と同時に一斉にスタート、と思いきや、なんとタウリンがひとりポツンと残って、まるでウサギかバッタのようにピョコタンピョコタンと両足を揃えて跳ねていたそうだ。一瞬なんのことだか聞いただけではわからなかったが、その場にいてもわからなかったかも知れない。このかわいい孫ったら、まったくジッジの性格をしっかりと受け継いでいる。いや、百倍ほども増幅して備えているようだ。自分流なのか、それともまさかウケをねらったものか、とにかくおもろいやつだ。何度想像してもおかしくて笑ってしまう。 血は争えないということか、ナミにもこんな思い出がある。小学校の運動会で障害物競走を最後尾で走っていた。同じように遅い子もいるようで、ほぼ並んで平均台の前に来たときだ。お先にどうぞと場所を空けて待ったナミ。思い出すと、今でも微笑ましくなる。競争するとは、我が家系では勝ち負けを競うことじゃない。いかに楽しめるかと、心の在りどころに素直になって演技力を競うのだ、なんて運動会が大好きだったこのおやじは今さらながら負け惜しみを言っている。そう言えば、息子のユウにもあった。よほど負けたくなかったのか、ゴール近くになって前を走る子のTシャツをわしづかみにしてしまった。負けず嫌いは今も変わらないだろうが、彼の名誉のために、根はやさしい男だ。それにしても、タウリンだ。今度の会うのは正月だろうか。真っ白な雪の上でピョコタン競争しようかな。
Oct 19, 2007

雨が降っている。心までしっとりと濡れて、潤うのだ。雨の日が好きだ。ジョギングはやめた。代わりに横着して軒下気功だ。どこにいても人は、あめつちのはざまで呼吸しているのさ、などと横着の理由を考えながら。登校する中学生の女の子たちが、なにやら歌って通り過ぎて行った。文化祭の練習だろうか。笑い声のまじった澄んだ歌声が住宅街の静かな朝にこだました。雨で潤ったぼくの心に微笑みが広がった。見えなくなっても聞こえてくる。思わずないしょで拍手した。 中学生って、いいなぁ。白山に登った少年たちも、あんなだった。性格も環境もみんな違うし、それぞれに抱えた悩みや苦しみがあるにはあるけれど、純なやつらだった。駆け引きというものがなかった。 山小屋で賑やかな大学生のパーティといっしょになった。男女が10数人、夜の静けさをどこかに押しやってしまった。特別気にもならなかったが、近くにいれば目にも入った。かわいい子が大声を出して、笑顔を振りまいている。静まったかと思えば、今度はさかんに視線を動かして仲間たちをのぞきみていた。駆け引き、という言葉が浮かんできて、ぼくはなんだかそらおそろしくなった。大人の関係には、駆け引きがあるのだ。ぼくにもきっと同じように。 ぼくの小さな仕事の世界でさえも、駆け引きが目立つようになった。不景気がつづいて以前のような大らかさがなくなってしまったんだろうか。まっすぐな関係が感じられなくなっている。もちろん時代に関係なく駆け引きが仕事だと思っている輩がいたことはいた。正直さ、素直さ、そんなものだけで仕事ができたらどんなに気持ちがいいだろう。ぼくは生涯仕事をしつづけてもいいと思うだろう。 山にいると、小さなことはどうでもよくなる。できるならこのままずっと山に居たいと思うくらいだ。大自然は潔い。生まれて死んでゆくことを、その間の地上の生を淡々とその場で繰り返しているみたいだ。そうだ、まるで今朝の中学生のように天真爛漫に歌いながら。中学生はいいなぁ。学校現場が荒れているとどこからともなく聞こえてもくるけれど、純なやつらに純な大人で向き合ったらどうなるだろうか。できることなら、駆け引きのない山のような大人でいたい。雨があがって、青空が広がっている。晴れの日も好きだ。心まで広がって、喜んでいる。
Oct 18, 2007

天使にくちづけした。あたりは暗闇だというのに、それが天使だとわかった。雰囲気がやわらかい。ドキドキと緊張するというのではないワクワクという陽気なものでももちろんない。ただやわらかいものに包まれて、ぼくもやわらかになっていった。自然な気がして、くちびるをあわせた。そのとき、重ねたくちびるの隙間からやわらかなものが広がっていった。世界中へと広がっていった。暗闇だというのに、ぼくにはそれがわかった。
Oct 18, 2007

つくりの輪。ちょっと素敵な響きを持った言葉だ。金沢にそんな輪が生まれた。人生は自らの道を創造すものだと信じて疑わないぼくだから、さっそくその輪に参加することにした。つくりの輪が一堂に集う「つくりの祭り」で、千晶さんとのコラボレーションコンサート「あめつちのしづかなる日」と、「親子でバーチューズ」というひとときを創らせてもらう。 つくりの輪を作ったのは、俗に言う業界の人だった。北野道規さん。東京でコピーライティングとディレクションを手がけてこられた。もう10年以上も前のことだろうか、初めてお会いして、出来る人という印象が強く残った。要するにぼくにはあまり縁のない仕事人、だと感じた。それ以来今日まで大した関係もなく、ともに地方の業界を歩いてきた仲だった。 経済優先のこの資本主義社会の中で広告業界を歩くことは、真っ当な心を持っている人には少し辛い作業になってしまう、とぼくは思っている。いくら情熱を傾けても、いや、傾ければ傾けるほど、否応なく環境破壊の手先になってしまったりすることだってあるのだ。そんな業界に、北野さんもぼくもいる。 それがどこでどう変化したものか、つくりの輪という場ができて、疎遠な関係が急接近してしまった。まるで目指すところが一致した、という感覚がぼくの中を走った。この名前ではたった一度しかない人生をいま歩いている。寄らば大樹の蔭では、本物の男なら納得できるはずがない。個人個人はどんなにちっぽけな存在だとしても、巨大な組織や企業に踊らされることはない。地道でも自分の足で大地に立ち、心を開いて大空を仰ぐ。それが男の生きる道だ。(こういう表現をすると、それだけで爽快になるものだったか。いつまでも子どもだなと、苦笑いしている) 大学生の頃つけていた日記の最初のページには、いつも「道程」を書いた。あれからもう30年以上も経っているというのに、ぼくの中味はなにひとつ変わっていないようだ。きっと北野さんも好んで読んだに違いない。そんな気がする。 道程 高村光太郎 ぼくの前に道はない ぼくの後ろに道は出来る ああ、自然よ 父よ ぼくを一人立ちにさせた広大な父よ ぼくから目を離さないで守る事をせよ 常に父の気魄をぼくに充たせよ この遠い道程のため この遠い道程にため
Oct 17, 2007

長女のナミが午後から白内障の手術を受ける。今では日帰りするほど簡単な手術になっているそうだ。けれども老いてからの自然な症状ならわからないでもないが、なぜ今、という気持ちにもなってしまう。叶うものなら代わってやりたい。このおやじなど、もう十分すぎるほどに健康に生かしてもらった。 10年以上も前の高校受験の年だった。ナミの目は、今と同じ白内障で右目が見えなくなった。網膜剥離の左目と合わせて、数週間入院して光を取り戻したことがある。現代医療を半ば否定していたぼくは、手術などしなくてもなんとか治せるはずだと、あまり気乗りしない娘を連れてあちこちと民間療法を尋ね歩いた。快医学、枇杷葉温灸、レイキ、外気功、酵素玄米、浄水器。健康食品の類いなどどれだけ試したか忘れてしまったほどだ。今から思えば娘には本当に無理をさせてしまった。「これ以上長引くと、手術もできなくなりますよ」と医者に言われた娘の見えない目を見つめながらついに観念した。 中には、いかがわしいのを承知で出かけた気功治療院もあった。後に摘発されて、やっぱり、と自分を笑ったが、その時は騙されてもいいと思っていた。万にひつでもありそうな可能性に賭けたかった。 その治療院で行われたまじないもどきの儀式に参加したことがある。願い事を紙に書き、それを持って煮えたぎる油の入った鍋に両手を入れるものだった。いかさま治療師のその男の呪文でもとりあえずは熱くは感じなかった。ヨシエどんもぼくも、「娘の目が治りますように」と当然のように書きながら、となりのナミの用紙をのぞき見た。目に飛び込んできた言葉に、ぼくは恥ずかしくなった。そこにはナミらしい踊るような文字で、「世界が平和でありますように」とていねいに書いてあった。 入院期間中のナミは、同室だったお年寄りたちのアイドルになった。退院するとき、「ナミちゃん、元気でね」と涙を浮かべた老婦に抱きしめられ、微笑みを浮かべて「はい」と頷いていた娘を今でも思い出す。どんな経験もきっと人生の肥やしにはなるのだろう。ナミは一段と優しい子になったような気がする。その娘にも今ふたりの子がいる。あれから世界は平和になったのだろうか。せめて今日一日ぐらいは娘と共に、心を静めて祈っていよう。
Oct 16, 2007

「おめでとう」とニコニコ微笑んで、ヨシエどんが言った。「えっ?」と向かっていたパソコンの日付をのぞいた。そうか、結婚記念日だった。昨日で、いっしょに歩き出して31年目。高3で同じクラスになって以来、もう干支が3周もしてしまった。長かったのか短かったのか、何かの記念日がめぐってくると、最近はそんなことばかり思ってしまう。サッシの磨りガラスから柔らかな朝日が差し込んで、人生の同伴者を照らしている。何年かしたら、そんなこともまたなつかしく思い出すのかも知れない。 「ほんじゃ、今夜はどこかで食事でもする?」 「いえ、いえ」 「はうす」 しゃれた会話が飛び出して、ふたりで笑った。 午前中は白山の筋肉痛を持て余しながら雑誌の取材。曹洞宗の古刹大乗寺を撮った。ご住職の東隆眞禅師の簡潔でしかもていねいな話を伺いながら、それでもぼくの心は少しうつろだった。若者たちにもっとお寺に親しんでもらおうとコンサートなどいろんな催しをされているそうだが、観光コースからはずれたこの静かな山寺の雰囲気は、何にも代え難い。必要のある若者が訪れるだけでいいのではと、昨日までの白山を想いそんなことを感じていた。 このままじゃなんにもない記念日だなと、少し気になったが、アイディアも浮かばずに帰宅した。おお、そうだ。昨日北海道の友から届いたばかりの秋鮭が丸ごと1尾、どかんと玄関脇に鎮座していた。コックの弟が忙しいからと今日までそのままになっていたが、これを捌くことで記念日にするかと決めた。決めると、弟宅から電話。ヨシエどんの実の妹でもあるイッちゃんからだ。それではと、ここはやっぱりプロの腕に頼ることにした。見事な鮭は、美しい切り身にしてあげたい。 ハードな仕事のあとで疲れているだろうに、手際よく淡々とさばく弟を見ていると、言葉にはできなかったがありがたいなぁと少ししんみりした。これで何年目だろうか。北の幸を届けてくれる友のことにもまた思いが及んだ。ありがとう、友。さりげなくあたたかにふれあう、人と人。記念の一日もさりげなく過ぎて行った。ふとんにもぐるとすぐに眠ってしまった。31年目の古女房にありがとうを言うのをすっかり忘れていた。
Oct 16, 2007

「すっげえなぁ。雲海だぁ」。にぎやかなダイキが体中で感動している。となりではもの静かなシュンが遠くを見やる。スマートにマイペースなケンは、実物と液晶画面に映る風景を比べるように撮っている。高1のリュウは、3人とは年齢がひとつしか違わないというのに頼もしく落ち着いている。そんな彼らの近くにいて、そっとその心の中をのぞいてみたくなった。夕焼けはほとんど見えなかったけれど、天候にも恵まれて、錦秋の白山はいつもにも増してどっしりと少年たちを迎えてくれたような気がした。 この数年、子どもたちとの場を創りたいと思ってきた。ひかりっ子くらぶという名前までつけて、友人のゆうこさんとふたりで描いてきた。その相棒がほんとうのひかりっ子になってからは、何かを求めるような気持ちは薄くなり、描いていた場づくりを積極的に進める気もなくなっていた。それなのに、天上の友は計画を変えずにますます楽しんでいるのかも知れない。どこかへ連れて行ってとシュンが言い出し、カウンセラーのるみ子さんが世話するリュウも登りたいと手を挙げた。ひかりっ子くらぶが図らずも動き出してしまった気分だ。 どこまでも素直な子どもたちに、いい加減なぼくだけで関わるのは少し気が引けた。細やかな心配りができる相棒を頼もうとふと思い浮かんだのが、ナオコさんだった。学生時代はワンゲルで、今は日常を愛する詩人でもある、ぼくが信頼する友だ。おかあさん役にはうってつけ。2人の子をゆったりと育てた母だ。 同行をお願いしたとき、「お話し会のようなこともするの?」と不安そうに尋ねたナオコさんだったが、終わってみれば「もう少し何かあるのかと思ったわ」とすっかり拍子抜けしたようだ。定めた目標に向って動き回るようなことを、ぼくはもうしたいとは思わない。ひかりっ子くらぶの思いは、日常というこの地上の暮らしをなるべく楽しもうよと、その程度のことだ。 子どもたちにはひとつだけルールを伝えた。自分が居たいように居ること。ということは、誰もが居たいように居るということだ。互いを思いやる目で共にひとときを過ごせたら、それでいいのだと思った。あとは白山がなんとかしてくれる。そんないい加減なぼくだった。 午前4時少し前、階下の子らを起こした。眠れなかったぼくよりも手早く準備を済ませ、4人とも山小屋の外で待機していた。リュウが任せたリーダー役を静かにしっかりとこなしてくれる。早朝に目指す山頂は眠っている身体には辛いものだが、若さとは実にうらやましい。若者は先に行かせて、ナオコさんとゆっくりと登った。御前ヶ峰の風は冷たいという感覚を通り越し、岩陰にジッとしていても身体が震えた。「ほらっ」と促して、撮ったばかりのまだ薄暗い空の写真を見せた。ご来光のシーンは、万歳がこだまする日の出の瞬間より昇る前の方がずっと魅力的だと感じているぼくだ。御岳がくっきりと浮かび上がっている。「あれが八ヶ岳だと思うわ」。ナオコさんが指差す先に北や南のアルプスの山並みが連なる。秋の山頂の空気はどこまでも透明で、心にパリッと染み込むほどに澄み切っていた。
Oct 15, 2007

不思議な夜だ なにかをやり遂げたわけでもないのに 満たされている これから先、当てがあるわけでもないのに 不安も心配もない 夢とか希望とか、確かにあるわけでもないのに 前を向いていられる 不思議な夜だ 人を愛し、傷つけてもきたのに 自分を責める気持ちがなくなった 人を愛し、傷つけるかもしれないのに それでも前を、向いていられる 不思議な夜だ 人と人は 前を向いて、歩いてゆける いつかどこかで不思議な夜が終わるまで
Oct 14, 2007

植物たちの声、森の声を 私たちは聞くことができるだろうか。 あらゆる自然にたましいを吹き込み、 もう一度私たちの物語を取り戻すことはできるだろうか。 大好きな星野道夫さんからの問いかけだ。アラスカの大自然の中で呼吸した星野さんの生きた言葉の奥にあるものを感じることは、身近な小さな自然しか知らないぼくなどにはなかなか叶わない。大体が、たましい、という存在をストレートに言葉にしてしまうことに戸惑いを感じてしまう。天と地のはざまに生まれて生かされているあらゆる生物にとって、たましい、とはいったい何なんだろう。吹き込むことができるのか。私たちの物語とは、いったい何だ。同じ写真に関わり、なぜかその言葉に意味も分からずに惹かれる。星野さんの生きた長さを、ぼくは越えてしまった。何も見い出せないままに越えてしまった。たましい、というものを自然の中に吹き込んだとき、もう一度物語がはじまるんだろうか。 明日明後日の2日間、数人の中高生と白山の懐に抱かれて過ごす。初めて登る若者たちに、自然を分かっていないぼくが伝えられることなど何ひとつない。けれども、共に森の声を聞こうとすることなら出来るかもしれない。ぼくがもう間に合う年齢でなかったとしても、これからの若者たちにはまだたっぷりと時間はある。たましい、というものがあるのなら、いつまでも吹き込まれるのを待っていてくれるはずだ。アラスカも白山も、スケールは違っても自然とはきっとそういうものだ。若者たちよ、物語を取り戻せ。ついでにぼくのも取り戻す。意味もわからずに、そう願っている。
Oct 12, 2007

朝は散歩か、車でちょっと遠くの公園まで出かけての気功が続いていたが、今朝はふと思い立ってジョギングにしてみた。金沢に来ても奈良へ行っても走ったというヤギおじさんの影響は大だ。用もなく走るなんて何年ぶりだろうか。これでも中学時代は駅伝の代表選手だったし、子どもが小さかったころの町の運動会では、毎年優勝する強者家族をのぞいたらいつも上位に入っていた。とまずは昔を思い出してはみたものの、いきなり走るのはきっと無理があるだろう。ときどき見かける大手を振ったご近所のウォーキングよりずっと遅いじゃないかというスピードにした。 ジョギングだからと空手で出かけるはずがない。カメラは身体の一部。撮ることは呼吸みたいなもんだ。リュックに一番重い180mmのマクロレンズをつけた1Dsを入れて背負った。ギュッと締め付ければかなり安定して走れそうだ。調子は上々。朝日に鈍く光る側溝の鉄板さえきれいに見えた。落ち葉がかさこそと足にからみつく。ほら、大好きな葉っぱの朝露。立ち止まってカメラを引っぱり出す。気の済むまで何枚も撮って、また走り出した。あら、今度はかわいく寄り添ったコスモス。また担いだばかりのリュックをおろす。これじゃジョギングにならないな。 お目当ての公園についたときは、日はかなり高くなっていた。でも朝の空気はやっぱり最高のご馳走だ。裸足になって濡れた芝の上に立った。そうすると気功の間、より親しみをこめて大地を感じられる気がする。天人合一が気功の最終的な目的だと聞いて10年以上も親しんできたけれど、もう今はそんな大目標はどうでもよくなった。中健次郎さんの話を思い出す。「天も地も人も、はじめからひとつ」。きっとそれぞれの感じる度合いに応じて、ひとつの深さが違うのだろう。そう思ってしまえば、到達するべきゴールなどあってもなくても大差はない。人は、生まれても死んでも、変わらずに天とひとつなんだ。ぼくの気功はそんな具合に気ままなもので十分に効果的だ。 帰りまで撮ることは、もうなかった。出勤の車がビュンビュンと走り出していた。スピードは相変わらず歩くに似たり。どうせなら空いている両手も動かしてやれ。ぐるりんと肩を回しているうちに、飽き足らなくなってひらひらとチョウチョの真似をしてみたり、鷹のように大空を舞って走った。道路に映る自分の影を見ていると思わず笑ってしまった。瞬間的なら運動にも見えるが、何秒間か見られたらきっとこれでは変人扱いだな。ますます楽しくなって変人ぶりがエスカレートした。ジョギングは実に楽しい。明日からはもうすこし早めに出かけた方がよさそうだ。ゴミ出しの若い女性が少し訝しがっていた。
Oct 11, 2007

朝玄関の引き戸を抜けると、近頃は秋の祈りを思い出す。山尾三省さんの「秋の祈り」だ。おやじが庭仕事をしなくなって荒れ放題だったのが、この夏、庭師に頼んでかなりすっきりしてしまった。しまった、というのも、ぼくはどちらかと言うと荒れている庭が好きだった。その方が何となく落ち着いた。きっとだらしのない性格がそうさせるんだろう。すっきりした庭の代表格が、金木犀だった。至る所の枝がばっさりと切り落とされた。それでもまた、たくさんの花を咲かせ、甘い匂いで庭を包んでいる。 秋の祈り ―辻幹雄さんに― 山尾三省 金木犀 咲き匂う 秋の日に 祈りのこころが たどりつく わたしのこころが しずかでありますように あなたのこころが しずかでありますように わたしのこころが 流れますように あなたのこころが 流れますように 金木犀 咲き匂う 秋の日に 祈りのこころが たどりつく わたしのこころが 人を責めませんように あなたのこころが 人を責めませんように わたしのこころが そこにほとけを見ますように あなたのこころが そこにほとけを見ますように 金木犀 咲き匂う 秋の日に 祈りのこころが たどりつく わたしのこころが 傲りませんように あなたのこころが 傲りませんように わたしのこころが 幸いますように あなたのこころが 幸いますように 金木犀 咲き匂う 秋の日に 祈りのこころが たどりつく わたしのこころが 流れますように あなたのこころが 流れますように わたしのこころが 幸いますように あなたのこころが 幸いますように 金木犀 咲き匂う 秋の日に 祈りのこころが たどりつく この詩は、数年前の秋だったか、三省さんを愛した友が送ってくれた。祈りという人の深い行いなのに、あまり関心のないぼくだった。もう10年以上も前になる。娘が目を患い、毎日神頼みをしたけれど、その祈りは叶わなかった。それ以来、祈りから遠ざかった。叶わないものは祈ることもないし、叶ってほしい願いもない、などと心でうそぶいていた。 それがどうしてこうなったんだろうか。今は祈りを欠かせない。叶ってほしい願いなどは、神頼みするほどのこともない。そんなものは、必要があれば叶うことになっている、などと心でうそぶいているというのに。 金木犀の匂いがうそぶいていた心にまで染み込んでくるとき、なぜだか少し恥ずかしくなる。心がそっと、三省さんにならって祈りたくなる。祈りとは、願うことではないのだろう、と思ったりしながら。
Oct 10, 2007

久しぶりに映画でも見ようかと雨の中を出かけた。映画館に着いてちょうど始まるものにしようと決めて、それに当たったのが「幸せのレシピ」だった。有能だが自分を保つために自らにも周りにも厳しい女性シェフが、母親を喪った姪っこと暮らしはじめ、恋もし、幸せをつかむ単純明快なストーリーだった。アメリカの作品だろうか。原語ですべてを理解できれば細かな心模様までつかめるんだろうが、字幕を追いかけながらでは流れがわかる程度だったのかも知れない。 姪っこのゾーイが母親の墓の前で泣いているところへ、主人公のケイトが歩み寄り、抱きしめた。「ママを忘れてしまいそう」。「大丈夫。決して忘れないわ」。全編の中でそれはとても短いシーンだった。この世で別れた最愛のママが、さらに思い出からも遠のいてゆく。少女は、ほんとうに離れて行ってしまうと感じたんだろうか。映画は、人のそんなやり切れない寂しさを少女を通して語りたかったのだろうか。 忘れられないはずの人を、もしも忘れてゆくとしたら、それは幸せなことなんだろうか。それとも哀しいことなんだろうか。「大丈夫。決して忘れないわ」と、ママのようにささやいた伯母の言葉に少女は決して納得したわけではないだろう。人の心は明確な線を引いたようには行かないことが多い。ラストシーンの3人の幸せな姿を見ながら、どんなひとりの物語にもひと言では片付けられない出来事が積み重なっていることを、また思った。
Oct 9, 2007
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