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マクラーレンチームの軌道(wikipediaより抜粋)
1980
それまでのマクラーレン・チームと、マールボロの後援を受けたロン・デニスによるF1参戦計画であった「プロジェクト4」とが合併し、現在まで続くマクラーレンの体制が作られた。この年以降、チームは ロン・デニス
によって指揮されることとなる。
1984
10年間にわたり、マクラーレンは「常勝」とうたわれるまでの活躍を見せ一時代を築く。
1988
アラン・プロスト
のチームメイトに アイルトン・セナ
を迎え入れた。このプロスト、セナのラインナップは、後にF1史上最強のタッグといわれることとなるほど強力に機能する。エンジンも ホンダエンジン
となり、2人で16戦中15勝(セナ8勝、プロスト7勝)という前人未到の記録を達成し、ダブルタイトル(ドライバーズはセナ1回目)を獲得する。
日本においては、この間のマクラーレンが1988年からホンダエンジンを使用したことから、アイルトン・セナとともにF1ブームの中心的存在となり、赤と白に塗られたマクラーレンは半ばF1の象徴となった。
1995
この年から、 メルセデス・ベンツ
がエンジンを供給することとなった。
1996
この年から、 ハッキネン
のパートナーにウィリアムズより デビッド・クルサード
を迎え、このコンビは2001年限りでハッキネンがF1を去るまで実に6年もの長きに渡り続くこととなる。
1998
ハッキネンが8勝をあげて初のチャンピオンを獲得する。
1999
ハッキネンがフェラーリのエディ・アーバインとの争いを制して2年連続のチャンピオンに輝いた。
2002
この年からはハッキネンの後を受けて、同郷の キミ・ライコネン
が ザウバー
から移籍してきたが、前年からのチーム内の乱れが尾を引き、車の熟成作業がヨーロッパラウンドに入ってから本格的になるというありさまとなってしまう。
2003
ライコネンがわずか1勝ながらしぶとくポイントを稼ぎ、最終戦までシューマッハを追い詰め、ドライバーズランキングではわずか2ポイント差のランキング2位の成績を収めた。
2005
ライコネンのチームメイトに ファン・パブロ・モントーヤ
を迎える。シーズン当初は信頼性不足などで出遅れたが、ヨーロッパラウンド以降は別格の速さを見せ、ルノー、 フェルナンド・アロンソ
と激しいタイトル争いを繰り広げる。チームは1989年以来となる2桁勝利の10勝を挙げるが、結果としては惜しくもチームもライコネンもランキング2位に終わってしまった。


古くは 1995年頃 TAGポルシェエンジン の供給を受け、1988年アイルトンセナの加入と共にホンダエンジンのの供給を受けたマクラーレンは ニキラウダ 、 アランプロスト や アイルトンセナ の手腕により10数年の間、黄金期を迎えた。
後に1998年、1999年 「フライングフィン」スエーデンの雄 ミカハッキネン により2年連続してチャンピオンに輝き、若き天才 キミライコネンにより2003年と2005年に惜しくも2位に終わっている。
去年はご存知のとおり一勝もできず閉幕となったが、今年2年連続チャンピオンのフェルナンドアロンソを今年から迎えアロンソ効果からか資金面でのバックアップも固まり起死回生の年となりました。
アロンソ本人も公言しているように2~3年はチーム再生にかかるとは思いますが、再び名門マクラーレンが復活しますかどうか?。昔のようにホンダエンジンの大パワーに頼ったようなレース運びはできそうもなく、ナーバスなハンドリングを示すマシーンにどうアロンソが対処し、信頼性と共に競争力のあるパッケージをどう開発していくかエンジニアの腕にかかっていると思われます。
世代交代が進みひとつの区切りを越えた2007年シーズンでありますから混戦の中不死鳥のように蘇って欲しいものです。