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花見山から二本松市の安達ヶ原ふるさと村へ。JRびゅうバスは一路南下。軍鶏で有名な川俣を通り、終戦直後の冤罪事件「松川事件」の現場付近を間近に見て、栃木県那須岳に発し宮城県で太平洋に流れ込む大河・阿武隈川を望む安達ヶ原に到着しました。気温は下がり続けているようです。「ふるさと村」は、全国各地のふるさと創生事業の一環として作り出された公園。建設趣旨がはっきりしない「ハコモノ」行政のひとつです。ただ広い敷地の中に古民家が立ち、水車が回り・・・風景としては小ぎれい公園ですが、寂しい感じは拭えません。桜の開花はやっと3~5分咲きというところです。安達ヶ原といえば「鬼婆伝説」で有名。能、狂言、舞台、漫画、小説などに取り上げられている、おどろおどろしい中に哀しみの漂う物語です。時は平安時代。鬼婆の名は『岩手』と言い、都の公卿屋敷の乳母でした。屋敷の姫が難病に冒されます。岩手は「妊婦の生肝を飲ませれば治る」という占いの言葉を信じて旅立ち、安達ヶ原までやってきました。晩秋の夕暮れ、若夫婦が一夜の宿を乞いました。岩手は、妊婦の肝を取るのはこのときとばかり、出刃包丁をふるって、苦しむ妻「恋衣」の腹を裂き、生肝を取ってしまいます。苦しい息の下から「小さい時、都で別れた母を探し歩いている」と語った恋衣の言葉を思い出し、若妻の持っていたお守り袋を見て驚愕。恋衣が自分の娘であることに気付き、発狂してしまいます。鬼と化してしまった岩手は、それ以来、宿を求めた旅人を殺し、生き血を吸い人肉を食べるようになってしまいました。数年後、阿闍梨祐慶(あじゃりゆうけい)という山伏が安達ヶ原を訪れ、一夜の宿を求めます。岩手が薪を集めに山へ出かけたすきに、山伏の従者は「絶対見るな」と言われた奥の部屋をのぞいてしまいます。そこには死骸が山のように積み重なっていました。見られたと知った岩手は怒り狂い、祐慶たちに襲い掛かります。祐慶は、逃げるにあたり持仏・如意輪観音にすがったところ、空中高く如意輪観音が浮かび上がり、破魔矢を鬼と化した岩手に放ち射殺してしまいます(能では、祐慶の経によって祈り伏せられた岩手は感謝しつつ成仏していきます)。岩手が隠れ住んだ岩屋のある観世寺。この寺には、出刃包丁、肝を入れた壷、包丁の血を洗い流した池など、笑えるような宝物があります。また、公園内には、真新しい五重塔が建てられ、塔内には鬼の岩手が鎮座しています。つづく
2008年04月17日
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第2日。母ちゃんの足は、就寝前に貼ったシップが少しは効いたらしく、朝には痛みがずいぶんましになっていました。万が一のために、冷湿布薬や鎮痛塗り薬、足裏用湿布を持参していたのが正解。余談ですが、どんな小さい旅行でも、傷薬・腹痛薬・頭痛ほか解熱鎮痛薬・目薬など救急薬を持っていくようにしています。意外と役に立つものです。7時15分ホテル出発。コンビニでおにぎりとお茶を買い地下鉄に。烏丸御池駅で近鉄奈良駅直行電車を待つ間、ベンチに座り朝食タイムです。8時45分奈良着。八部衆全員が一堂に会した興福寺国宝館へ向かいました。9時開場ですが、まだ行列はできておらず、すんなりと入館できました。母ちゃんにとって奈良はほとんど縁のなかった場所で、興福寺を訪れるのも初めて。三面六臂の阿修羅像は人気の高い仏像ですが、母ちゃんもその1人。初めてのご対面に感動を隠しません。 八部衆とは、古代インドの民間信仰の神々が仏教に取り入れられて、仏法守護の役割を担った仏たちで、法華経の序品に登場します。だから名前がみんな変わっています。興福寺の八部衆は、五部浄(ごぶじょう)、沙羯羅(さから)、鳩槃荼(くはんだ)、乾闥婆(けんだつば)、阿修羅(あしゅら)、迦楼羅(かるら)、緊那羅(きんなら)、畢婆迦羅(ひばから)という名前です。八部衆立像(興福寺データベース)阿修羅はアスラと呼ばれ、力の神であり雷の矢を放つインドラ(帝釈天)に壮絶な戦いを挑んでは敗北を繰り返す、闘争心の強い悪神とされています。他の7人が完全武装しているのに、阿修羅は6本の腕を持つとはいえ、華奢な体に薄布1枚まとっているだけ。相当な魔力があったのでしょうが、勝てるはずもないインドラに立ち向かったのです。少年のような顔には、苦悩と悲壮感あふれる表情が見事に刻まれ、拝観するものを引き付けずにはおきません。写真で見るより実物の表情は遙かに生々しく緊迫感があります。私は、阿修羅像の前で、小説「橋のない川」を思い出していました。住井すゑの小説「橋のない川」は、奈良県の被差別部落を舞台に、人間の尊厳をかけて差別と闘い、激しく生き抜く人々を描いた不朽の名作ですが、その中に阿修羅像が登場します。学校で、雑巾がけをしていた主人公の畑中孝二。「エッタの雑巾で拭くと臭い」など同級生の激しい侮辱を受ける。怒った孝二はバケツを蹴飛ばす。同級生は自分の非を棚に上げて「エッタが暴れてる」と教師に訴える。教師からも差別的扱いを受ける孝二。友人・志村貞夫は、今にも泣き出しそうな孝二を見守っているが、孝二は泣き出さず、悔しさを噛みしめ佇んでいる。その時、貞夫は孝二の表情を「阿修羅像と同じ表情だ」と感じた。その後、孝二は式典のため母が用意してくれた羽織を脱ぎ雑巾代わりとして床を拭き始め……という筋書です。阿修羅像 拡大興福寺は国宝と重要文化財の宝庫。他にも見るべき仏像は多々ありますが、中でも、鎌倉時代の作で運慶の三男・康弁が彫り上げたとされる「天燈鬼」「竜燈鬼」は傑作と思います。ふつうは四天王に踏みつけられている邪鬼を独立した作品とし、仏前を照らす役目を与えました。天燈鬼は、2本の角と三つの目を持ち、口を大きく開き、やや横目で前方をにらみ、左肩に載せた燈籠を左手で支えています。竜燈鬼は、腹前で左手は右手首を握り、右手は上半身に巻きついた竜の尻尾をつかみ、頭上に載せた燈篭を上目づかいににらんでいます。よほど重いのでしょう。全身の筋肉が盛り上がり力をみなぎらせています。でも、表情はユーモラスです。館内の仏像を見ていてふと気付きました。いかにも強そうな四天王の太い足で地面に押さえつけられた邪鬼の姿は、多くの寺院で見かけますが、どの邪鬼もユーモラスな顔をしているのです。仏師や手伝いの人々が、自分たちの姿を託したのでしょうか? 時の権力者に虐げられる庶民。それでも、泣き笑いながらしたたかに生きる自分たちの姿をなぞらえたのではないかと、思いました。龍燈鬼(左)と天燈鬼(興福寺データベース)続いて、秘仏・聖観音像が公開されている大圓堂。境内に入るとギョッとさせられました。薮内佐斗司さん作の人形たちが、広くはない庭園に配置されています。係りの人の話では、それぞれの人形が持っている面は七福神。縁側に置かれているのは阿修羅像をシンボライズした像です。本堂正面には聖観音像が神々しく金色の光を放っています。興福童子(中央が阿修羅)と聖観音像第2日 午前後半につづく
2007年12月02日
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箱根の山は天下の険 函谷関も物ならず万丈の山 千仞の谷 前に聳え 後に支う 雲は山を巡り 霧は谷を閉ざす 昼猶暗き杉の並木 羊腸の小径は苔滑らか一夫関に当るや万夫も開くなし 天下に旅する剛毅の武士大刀腰に足駄掛け八里の岩根踏み鳴す斯くこそ在りしか 往時の武士友人たちと箱根へ行ってきました。歩行訓練と温泉療法を兼ねての旅行です。なんで箱根かって? 新宿と箱根湯本を結んでいた小田急ロマンスカーが、地下鉄との相互乗り入れで、週末だけ東京23区の最北(大げさな)足立区の北千住駅から直通運転するようになりました。わが家の旅行コーディネーター(つまり母ちゃん)がパクッと食いついたというわけです。人生全てにこれくらい熱心だったら、とんでもなく出世したかもしれない、と感じるほどの集中力で旅行日程を組み立て、現地での交通機関のダイヤも綿密に調べていました。梅雨本番中の旅行ですから、家の中にテルテル坊主をやたらぶら下げて、ひっきりなしに天気予報をチェックして…もう大変!地下鉄北千住駅に入線する『メトロはこね』母ちゃんのテルテル坊主は効果覿面、当日はみごと傘マークが消えました。出発です。今回は松葉杖なし。装具もなし(きめ細かい柔肌がかぶれてしまいました!)。歩くスピードは遅いし、下り階段では相変わらずズッキーンと痛みますが、とりあえず頑張ることに。念のためミズノの登山用サポーターと湿布をバッグに入れました。ブルーのロマンスカーは『メトロはこね』と呼ばれ、ブルーの新型車両。内装もすっきりとして乗り心地はまずまず。シートが少し硬く、2時間座っていると結構つらかったです(お尻の肉がやせた私にとっては!)。『メトロはこね』は北千住駅を定刻9時13分に発車。特急なので地下鉄線内は3駅しか止まりません。小田急線に合流するまで17駅。すごい! 先行電車をガンガン抜いていくぞ~!と思いきや、複々線でないこの路線は追い越しができません。何のことはない、止まらないだけ。ずっと各駅停車のあとについて走っているのです。かったる~。ロマンスカーの車内。絶賛するほどのことはない小田急線内に入っても、特段スピードアップするわけでもなく緩やかな走り。ナンじゃこの電車は! ノンビリと景色でも見てくださいというスローライフの見本か? 沿線の大半は住宅街やないか!? まあエエわ、焦ってもしゃーない! 定刻に着きさえすれば文句は言えんはなあ。どうです、この達観。それでも町田・小田原間はそれなりのスピードで、丹沢山系を望む田園地帯を走り、鮎釣り師が長竿を振っている相模川や酒匂川を渡ります。これはなかなかいい感じ、と思ったのは小田原まで。単線区間に入るや対面の電車待ちの連続です。小田急ロマンスカーの辛いところです。それでも、定刻11時14分には箱根湯本駅に到着しました。めでたしめでたし。この先の珍道中は次回から紹介します。乞うご期待!!
2009年07月07日
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東武線草加駅東口から10分。旧日光街道沿いにある「高瀬煎餅店」の堅焼きがオススメです。原料のうるち米がいいのか、搗き具合がいいのか、とにかくおいしいのです。お店では手焼き実演も見られます。生地と妙にテカラないきりっとした醤油との調和がいいのか、本当にああ煎餅を食べていると感じてしまうのです。草加市にはたくさんの煎餅店があり、それぞれ技と味を競っていますが、食べ比べても私としては草加一おいしいのが高瀬煎餅だと確信しています。堅焼き中丸10枚入り630円。その他ごま、えび、青のり、からし、ざらめがあります。通信販売があるのですが、こちらは専用用紙をプリントアウトしてFAXでの注文。親切な対応もありがたいです。今回の大阪行きの際も到着日指定で大阪まで送ってもらいました。http://www.takase-senbei.com/index.html
2006年05月30日
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本白根に始まった旅の日記も最終回。たった1泊2日の出来事に1カ月もかかってしまいました。「うづまける白渦見ゆれ落ち合へる落葉の山の荒岩の蔭に」大正7年、群馬の吾妻渓谷を訪れ、その景観に魅了された若山牧水の短歌です。群馬と長野の県境に端を発する吾妻川は「関東の耶馬渓」と称賛される渓谷を刻んでいます。その渓谷美をこよなく愛した牧水は、2年後にもこの地を訪れ、地元の川原湯温泉に逗留、吾妻渓谷を逍遥しています。ちなみに、川原湯温泉は源頼朝が開湯したと伝えられる名湯で、10年ほど前私たちも宿泊しました。その時の宿「敬業館みよしや」は、牧水も逗留した老舗旅館。源泉かけ流しの湯量豊富な巨大樽風呂は鄙びた魅力を満喫できるものでした。吾妻渓谷は、白根火山の噴火によって堆積した火山岩層が浸食を受けて形成されたもので、奇岩、断崖、多くの滝、淵が連続する名勝として、1935年(昭和10年)国の名勝指定を受けています。牧水が逗留した「敬業館みよしや」の大樽露天風呂理解に苦しむのは、この景勝地のど真ん中にダムを造るべしと決めたのは何故?ということ。昭和22年のカスリーン台風級の水害から東京と利根川水域を守り、首都圏の飲料水を確保するためという理由で、当時すでに景勝地を抱える温泉地として有名だった川原湯温泉を水没させ、天下の名湯・草津温泉への鉄道・道路を大規模工事で付け替える――そこまでして、この地にダムを造る必要はあったのでしょうか?群馬県出身の歌人・吉野秀雄が「谿ふかく散りこむもみぢ魚棲まぬ吾妻川に揉まれゆくべし」と歌ったように、吾妻川は支流から強酸性の水が流れ込むため魚の棲まない川でした。コンクリートも鉄材も溶かす強酸性水のため、八ッ場ダム計画はいったん白紙に戻りました。しかし、1965年(昭和40年)石灰による中和方法が考案されます。川に1日60トンもの石灰を投入して川水を中和(強酸性を酸性化)し、その中和生成物を沈殿させるため品木ダムを建設しました。そして2年後、八ッ場ダム建設計画が再燃します。なんで、そこまでしてこの地にダムを造りたいのか? 理解に苦しみます。エメラルドグリーンの水を湛える品木ダム。左の建物は送水装置「穴地獄」と「チャツボミゴケ」探勝(前々回の日記)に向かう途中、この品木ダム脇を通過しましたが、異様な雰囲気のダム湖が広がっていました。ひとつには、石灰汚泥(中和生成物)の堆積によって人造湖全体がエメラルド色になっていること、もうひとつは石灰汚泥(中和生成物)を常時浚渫していること。品木ダムは、通常のダムと違って汚泥沈殿のため造られたのですから当然と言えば当然ですが…。石灰投入から浚渫までの中和事業にかかる費用は年間10億円だそうです。石灰汚泥はダンプカーに積んで産業廃棄物として処分場に運ばれます。が、ここから先が大問題!これまでに運び込まれた汚泥はA処分場10万立米(満杯)、B処分場12万立米(満杯)、現在は第3処分場(容量32万立米)に投棄を続けていますが、この先10年も経たずに満杯になります。国土交通省は処分場をこれ以上造れないとしていますが、石灰汚泥はこれからも発生し続けます。どうするのでしょう?浚渫した石灰汚泥を搬出する装置加えて、これまで捨てられた石灰汚泥は処理も何もせず野ざらし状態。この未処理汚泥の中に猛毒のヒ素が大量に含まれていることが上智大学の調査で明らかになりました。新聞報道され、国会でも取り上げられましたが、調査結果によると、放置されているヒ素の量は既に500トンを超えているとのこと。ちなみにヒ素の致死量は200ミリグラムなので、何と25億人を殺せるヒ素が野ざらしに。国交省のダム湖底の汚泥の分析では、04年時点で汚泥1キロあたり最大5.6グラムのヒ素が含まれていました。これは農地の土壌環境基準の370倍以上です。もともとこのあたりの温泉には微量のヒ素が含まれています。しかし、ヒ素は皮膚から吸収されないので入浴には全く差し支えありません。中和作業の中で石灰汚泥に取り込まれて蓄積されているのです。国会での追及に国土交通省は「風評被害が出ると判断したので」その事実を公表しなかったと答弁しています。また群馬県は「危険性はない」としています。野ざらしの汚泥が雨などで河川などに流入する危険性があるにもかかわらず…。猛毒のヒ素を野ざらしにしてまで中和作業を進め、八ッ場ダムを建設したいのはなぜなのでしょうか? いくら「魚が住める川になりました」と宣伝しても、これでは本末転倒です。完成した湖面第2号橋湖面2号橋の上部。橋はできたが、めったに車は通行しない民主党政権になって、いきなり八ッ場ダム建設中止が打ち出されましたが、周辺道路・橋は「地元の生活関連工事」として継続されてきました。また鉄道の付け替え工事も進行しています。住民の移転が進むなか一定の道路整備は必要なのでしょうが、目を疑うほどの建造物が出来上がりつつあります。これも驚きです。右肩写真は「有名」な「八ツ場の十字架」、湖面2号橋の橋梁工事。いったいこの建造物は何? 工事中のJR線付け替え鉄橋そもそも、八ッ場ダム建設の目的であった首都圏利水は現在のダムで十分とされています。水の最大利用者である東京都でも水需要が年々減少しているのです。また、水害対策という目的も、堤防整備で十分との調査結果が出ています。魚の棲める…は先に述べました。福島原発事故以来「八ッ場ダムを完成させ水力発電に!」という善意の声があります。八ッ場ダムの発電というのは2008年に追加された建設目的で、それによると、ダム直下の吾妻渓谷に群馬県営の発電所を設置、最大で毎時11,400kWの発電をするとのこと。決して大きくありません。八ッ場ダム自体は大量の水を必要とするので、周辺水力発電所の発電量(現在は合計毎時112,000kW)は大きく減少。専門家の計算では年間に22,400万kW(毎時25,500 kW)のマイナスになるとのこと。だとすると、既存ダムを整備して最大発電能力を発揮させればいいと思うのですが…。小渕元総理の娘が「建設するより中止の方が費用がかかる」と発言、それが真実であるかのように一部マスコミが大キャンペーンを貼りました。果たしてそうなのでしょうか? 「工事は7割完成している」と言っていましたが、予算が7割使われただけで、ダム本体の建設には全く手つかず。また付帯の道路工事も当初予算は大半使い終わっているのに工事完成はまさに「道半ば」。このあとどれくらい税金が投入されるのか見当もつきません。なぜ、そんなウソをついてまで八ッ場ダムを推進したがるのでしょうか?結局、八ッ場ダムというは官僚(族議員もゼネコンも)天国ニッポンの無駄の象徴でしかないようです。諫早干拓と同様で、必要性が失せても決定事項は不変なのです。また、群馬県、周辺自治体も巻き込んだ政官業癒着の象徴と言われるほどの天下り、巨大利権…振り回されてきた地元住民には気の毒ですが、やはり八ッ場ダムは中止する以外ないと思われ…。伊香保温泉石段街。ずいぶんと観光客が増えた八ッ場ダム関連工事の現状を見て、ため息をつきながら東京方面へ。何となく脱力感に襲われて伊香保温泉に立ち寄り、石段の湯でリフレッシュ! 予定時間を大幅に過ぎての帰宅となりました。
2011年08月18日
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