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心にぽっかりと穴が開いたまま時間だけが過ぎていく。その穴を埋めるものは何だろうか。何かが必要だ。やらなきゃいけないことがある。あとは決意と実行力だ。迷いながらもそうやって人は生きていくんだ。明るく生こうきょう
2013年04月30日
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父が亡くなってから父のことをよく考えるようになりました。例えば、どんな気持ちで普段働いていたのか、どんな気持ちで子供の成長を見守っていたのか、叱咤激励していたのか、家族を支えていたのか、誰にも言えず、悩んだり苦しんだりした時はどうしていたのか・・・いい部分も悪い部分も考えるようになりました。俺は長男ですので、この家とお袋を守るつもりでいます。親父が亡くなるなんて考えもしなかったから、ちょっと前までは本気で、また東京に出て教員をやるつもりでした。でも今は違います。責任を感じています。なんとなくですが、それが親父が喜んでくれることだと思ったからです。家庭を持ったことのない身ですので、父親の感覚というのが分からないのですが、親父を思うと少しだけそれが分かる気がするのです。個人的なことになってしまって恐縮ですが一つお礼をしたいと思います。今回の父親の闘病生活において、他界先生には本当にお世話になりました。感謝の言葉が見つからないです。約3ヵ月もの間本当にありがとうございました。父親は死去した先日に意識が朦朧となりながら独り言のように「アキラメルナ」とかたことでつぶやいておりました。それは、その数週間前に他界先生からのメールに「最後まで諦めない気持ちを持ち続けること」があったと父に伝えたところ父は笑っておりました。望んだキセキは起こりませんでした。しかし、もし、他界先生のご助力がなかったら父はどのように亡くなっていたのか、それを想像するによりよかったとは思えないのです。亡骸になった父の腕から外したブレスレットは、遺品として日々自分が身に付けております。「アキラメルナ」と父が語りかけてくれる気がするのです。かけがえのない思い出をありがとうございました。落ち着きましたら是非お礼をさせていただければと思います。父も喜ぶと思います。ずっと「申し訳ないな」と病床で苦笑いしておりましたので(笑)父は亡くなりましたが、親戚や親族、ご近所、会社関係、友人知人と、多くの方に励ましのお言葉を頂戴しました。改めて父親の真面目な人柄、人徳に驚いております。人間、真面目に堅実に生きていけば最後はこうして沢山の人に送ってもらえる、そして、残された遺族の力となることを学びました。それを父から教えられたことだと感じております。このブログでも沢山の励ましのお言葉をいただき改めて感謝を申し上げます。ありがとうございました。明るく生こうきょう
2013年04月29日
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4月13日7時12分 父が亡くなりました死因は、肺がんと書かれていましたが、肺がんは昨年の7月に発症して手術に成功しており、それがリンパへ転移し、腎臓へ転移したことが原因だと自分は推測しています。食事が取れなくなり日増しに痩せてはいったものの本人は闘病や仕事へのやる気を最後まで持ち続けました。4月11日まで仕事をやっていました。思うように身体が動かないので、自分が父を車に乗せて取引先の家へ行ったり、FAXを送ったりしていました。それでも、意識はしっかりしていましたし、勿論話もできていました。病院嫌いの父なので入院は拒否して自宅療養という形でやっていましたが、そんな父がついに「仕方ないけど、ちょっくら入院するか」とぼやいたのが4月8日。入院の予約が12日に取れたということでその日まで家でゆっくりすることに。12日当日の朝。トイレで父が転倒してしまいました。そのショックか、頭を壁に打ったのか、癌が原因なのか不明ですが、意識が朦朧としてしまい、家で少し休ませてから病院へ搬送。意識はあって「かばん」とか「下に降りる」とか「財布忘れた」など朦朧としながらつぶやく父。「仕事はいいから入院するんだよ」と言い聞かせる自分。この時既にまともに話ができる状態ではなかったです。認知症のような状態になってしまっていました。暴れてしまうため、ベッドに拘束され点滴をうける父。顔を痛そうにしかめるのが見ていてつらかったです。数時間してやっと動きが落ち着いてきて、流動食を食べてくれたので安心して、夜も遅くなったので「また明日朝くるね」と言うと頷きました。それが最後の別れでした。次の日の朝6時に看護師の電話で起こされました。あまりに突然の出来事で、入院の一日前に父親も自分で携帯で取引先に「ちょっと調子悪いから10日くらい入院するから」なんていっていたくらいだったので、本人が一番驚いているんじゃないでしょうか。自分ですら、もう二週間も立ちますけど、まだ父がいるような気がします。遺骨が家にあるからかもしれませんけど。ナイターを見ながら、晩酌している父の姿がいつでも、いまここでも、目の前に想像できます。こんなに現実を受け入れられないことはちょっと経験したことが無いです。喪主は自分がやりました。父への最後の別れの言葉は、いろいろ話しましたが、こんなにめちゃくちゃだった家族を支えてくれて助かったことへの感謝と労い向こうでおじいちゃんとおばあちゃんと仲良くやってくれということ(生前父が、母親にあって御礼を言いたいといっていたので)孝行が全くできなくて、ぎゃくに最後の最後まで迷惑をかけ続けてしまって本当に申し訳なかったということそして最後にこれからの俺の人生・生き様で、父への感謝・恩を何かに生かしていく、そういう心構えでやっていくから、そっちで見守ってて欲しいということでした。そんな偉そうなことを行っておきながら告別式から一週間以上立った今も抜け殻のようです無気力な毎日教員になりたい、という夢を家族で一番理解して、応援してくれた父でも、その父が死ぬ二日前に「そろそろ踏ん切りをつけろ。貯金でもして人並みにやっていけ」と言っていました。勉強がスランプでできなくなっていたのもあり、辞めようと告別式で決めました。そしたら、まるで生きている心地のしない日々になってしまいまいした。休みの時は勉強しかしなかったので、それをしないと何をしていいのかもわからず無気力なので一日寝てばかりの日々仕事もただこなすだけ自分はなんのなためにいきているのだウォーキングが趣味で20年前に禁煙してぼけたくないからと毎日必死に歩いていた父が、あんなにあっけなく死んで人間の人生ってなんなんだ俺にはやりたいこともない生き甲斐もない守るものも無い目標も財もない生きることになんの価値があるのかと負のスパイラルにずっと落ちていましたとにかく生きることが虚しかった生前父から言われていたことをよく思い出します「けじめをつけろ」「忍耐強くやれ」「考えずに動け」「人の喜ぶことをやれ」寡黙な人だったのであまり思い出せませんが至極当然のことをシンプルに教えてくれましたここでも以前書いたことがありましたが東京での一人暮らしに挫折して埼玉の実家に戻ってきた時(3年前)教員の夢は諦めて、就職して働くと決めて鬱々としていた自分をドライブに連れ出してくれ「やれるだけやってみろ。やることが大事なんだ。それでダメなら、いいじゃないか」と言ってくれたことを一番思い出します。それでまた勉強を再開した日のことを。父の遺言は「勉強には区切りをつけろ」でした。しかし、上のエピソードが頭から離れないんです。親父の本音はどっちだったのかと。母親は俺がふらふらと仕事に専念しないでいることにずっと反対していたので、これを機に勉強は辞めろ、5年もやってできないんだから、といいます。俺も流石に5年もやっていると疲労というか虚無感というか、病みます。「ここが潮時か」と決心したんですよ。でも、できない。どうやって生きていいのか分からない。働けばいいだろう、みんな、そうやってるんだよ、休みの日は遊びにいけ、彼女でもつくれ、買い物にいけ、映画でもみろ、でも、どれもやりたくないそんなことはどうでもよく感じる中途半端、という思いが遺恨が俺を蝕む父は辞めろといって死んだ母や辞めろという俺は、分からないという明るく生こうきょう
2013年04月28日
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