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こんにちは自分のコンプレックスに【声が小さい】【活舌が悪い】があります。学生時代は良かったのですが、社会人になって10数年経ちますが、いまだに注意されてしまいます(汗)・腹式呼吸を意識する・早口言葉を練習する・頭てっぺんから声を出す感じで・猫背の矯正・堅い食べ物をよく噛む(スルメ等)色々と試していますが、いっこうに改善されず声が小さい、活舌悪いは、社内評価に現れたり、自信が無いように見られたり、頼りなく思われたり、あまり良いことがありませんね(;´∀`)朝一は元気でも17時を過ぎると疲労してきてどんどん弱くなったり、、、何か皆さんのお勧めの改善策がございましたら是非ご教授お願いします(切に)明るく生こうKyo
2018年08月21日
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こんにちは五年前に亡くなった父親、その前に亡くなっていた父方母方の祖父母のお墓参りをしました。五年前に癌で父が亡くなりました。診断された時はかなり進行していた肺がん。オペで肺を切除しましたが、翌年早々に腎臓に転移。あっという間に大きくなり誕生日翌月に64才で逝ってしまいました。当時の自分は、まだ夢を追いかけて仕事と勉強を、心に病を抱えながら続けていました。それを一番理解して応援してくれていたのが父でした。最も口数が少ない男でしたので「がんばれ」とか「あきらめるな」とか直接言われたことはありません。唯一、自分が都内で一人暮らししていた時当時、派遣社員の仕事が打ち切り続きで、生活に困窮したり、彼女にフラれたり(汗)精神的にボロボロになってしまい、実家に出戻りを決意した時に、(わがまま言って親の反対を押し切って出たから)「もう夢は諦めた」と毎日、自暴自棄になっていた息子に「やりたいと思うならやってみろ。できる支援はしてやるから」と隣町の公園に連れ出されてぼそっと言われたことが印象的に残っています。そこから3年踏ん張ることができました。父が亡くなった墓前で、「絶対に夢を叶える」と誓いました。結果として格好のつかない息子で申し訳ない。。父親の死を受け入れられたのは葬式から1年程立った時に「自分が死んだら父親に会える。だから、恥じない生き方をしたい。そして、親父に感謝の意を伝えたい」と自然に思えるようになったからです。無理に言い聞かせていたのが、自然と受け入れられる様になってきました。自分が、いつかは死ぬということを考え、受け入れる様になりました。それまで、祖父母やペットや知人の死などを経験しましたが、肉親の死は、やはり最も我が事として、死について考えさせられました死んだらどうなるのか死にとは何かあの世はあるのか輪廻転生はあるのか罪人は地獄におちるのか無で何もないのか恐怖感の方が多かったのですが信仰や死生観がない(考えたことがない)自分はそこに父親が待っていてくれているということを根拠無しに信じることに決めましたその方が自分に都合が良かったからです生きる為に必要な考えでした今もそれを信じ続けていますあの世はないかもしれない誰もいないのかもしれないあるかもしれない草葉の陰から見守っていないかもしれない「ストーカーじゃないんだから止めてくれ」とツッコみたくなるかもしれないでもそれを証明できる人はいない死後の世界を語った人はいないからならば信じようと思いましたその方が僕は幸せな気持ちで死ねるからですちょっとした信仰心ですね「死後の世界に先人が待っていてくれる事を信じる思想」余談ですがそう思い始めたら幽霊や霊の存在も信じる様になりました輪廻転生も親父の死後、丁度一ヵ月後に後を追うように亡くなった実家の愛犬ロッキーも何かの生まれ変わりで何かの生物に生っているはずとか(父親はあの世に留まりロッキーは生まれ変わってる都合良くない?というツッコミは置いといて、、、)死生観を考えるで今を大切に生きようと思えるようになりました有限の生きている時間を大切にしようと人生一度きりだと父の死は大きな悲しみと死生観と生き方を僕に与えてくれたのだと6年目のお盆に想うのでした明るく生こうKyo
2018年08月16日
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こんばんは巷では「人生何度もやり直しがきく」とか「勉強に遅いという事ない」とかよく聞くフレーズありますね僕も五年前に診断を受けた時はそういう類の諺をネットや本で探しては言い方は悪いかもしれませんが慰め?にしていた時もありましたそして、根本的な解決にはなりませんでした例えばその心境は事故で半身不随になってしまった方片足や片腕を失ってしまった方記憶障害になってしまった方その様な後天的に障害を負ってしまった方の事態を把握した時に感じるショックに近しい物があるのかもしれませんだから、受け入れるには時間がかかりますし今も受け入れているとは言い切れない受け入れる必要もないのかもしれないもっと言うと自分にはそこに考えを及ぼすことがあまり意味をなさない気さえしています今だから言えることですが逆に診断時は過度に気にかけてしまうことがマイナス面に作用していた記憶がありますいつしか必要以上に気にかけないことが最良と思うようになりました思えば幼少の頃から主に対人関係、学習、スポーツ等特定の事に強い苦手意識がありました理由は、失敗してしまうからですしかも、何度繰り返してもですそれがなぜ失敗してしまう、上手く行かないのか理解できない繰り返すことで自然に避けるようになる諦めるようになる思春期を迎えるとそれが苦痛になり、ストレスになり、抗うようになるそして、別の事で昇華しようとし、また失敗を重ねるそして、高3で初めて神経症を発症したのでした至極当たり前の流れだと思います我慢の限界でしたその後もトライする対象は数知れずそして、失敗を続け、このブログのログにもその記録を綴りましたその後も数多くの失敗を仕事やプライベートで重ねました働き方を変えたり態度を変えたり考えうることをしましたしかし、結果は同じでした友人や仕事仲間は「どうしてもっとうまくやらないんだ?」と問います「やろうと思えない」と答えていました(やりたくてもできない)とは言いませんでしたできないとやらないが半々だったからです30代も後半になりよくもまあここまでしくじりの人生だったと思います全てを否定する訳ではありませんが人はそうでもないと言ってくれますがあくまでも主観的にはダメダメです目標達成率が、ほぼ0だからです思い描いた未来を殆ど叶えられていないそこが僕にとっての判断基準だからです「そんな人は世の中に五万といる」とよく言われますでも納得できない自分がいるのも事実です目標設定にそもそも無理があり方法選定に誤りがあったことも認めます全てにおいて緻密さと計画性が不足していました「人生やり直しは何度でもきく」それは、その人が過去の失敗や誤りを反省し、改善し、実現可能な未来を設定し、最善の方法で計画立案実行し、修正して再実行しての繰り返しの先に得られた成功を手にした時に手にした者が口にする言葉なんだろうなとぼんやり思います。その未来を今でも願ってます。明るく生こうKyo
2018年08月15日
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