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2021.06.13
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1925(大正14)年は、岩手県紫波郡を中心に干ばつで大きな被害がありました。宮沢賢治研究家の鈴木守氏が新聞記事を中心に当時の被害をまとめています。鈴木氏のブログをご覧ください。
https://blog.goo.ne.jp/suzukishuhoku/e/6f4c4dd638d877736b5efb8debbdff49

東北地方では「日照りに不作無し」ということわざがあります。冷害に比べて干ばつに対する危機感が薄い傾向があります。賢治も1925年の干ばつでは、有効な対策が取れなかったようです。その後悔が1926年以降の作品に影響を与えているようです。

この作品は1927年4月の作品です。一昨年、すなわち1925年と推定される年に開墾して農地を増やした「きみ」が主人公です。「きみ」の努力を高く歌い上げたのち、「そしてその夏あの恐ろしい旱魃が来た」でドスンと落とす怖い詩です。

「去年の春」が間にあることから、1926年の干ばつを描いているとも思われます。

(本文開始)

一〇二二
  〔一昨年四月来たときは〕

          一九二七、四、一、


きみは重たい唐鍬をふるひ、
蕗の根をとったり
薹を截ったり
朝日に翔ける雪融の風や
そらはいっぱいの鳥の声で
一万のまた千億の
新におこした塊りには
いちいち黒い影を添へ
杉の林のなかからは
房毛まっ白な聖重挽馬が
こっそりはたけに下り立って

去年の春にでかけたときは
きみたちは川岸に居て
生温い南の風が
きみのかつぎをひるがへし
またあの人の頬を吹き

川が鉛と銀とをながし
楊の花芽崩れるなかに
きみは次々畦を堀り
人は尊い供物のやうに
牛糞を捧げて来れば
風は下流から吹いて吹いて
キャベヂの苗はわづかに萎れ
風は白い砂を吹いて吹いて
もういくつもの小さな砂丘を
畑のなかにつくってゐた
そしてその夏あの恐ろしい旱魃が来た

(本文終了)

#宮沢賢治 #干ばつ #ヒデリ





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最終更新日  2021.06.15 12:25:27
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