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大学時代のサークルのホームページに、昨日買って来たスキャナを使って早速、加工・編集し昔の仲間の写真を多数UPしました。アルバムから、写真を剥がそうとしたのですが破れてしまい、仕方が無いのでアルバムから直接スキャンし、切り張り・加工しましたが結構手間が掛かります。時間は余裕がありますので徐々にやって行く積りです。★1972年 千代田公会堂?での定期コンサートの写真の一部。やはり長髪でした。(アイビーキャップも最近は見かけなくなりました)
2005年01月28日
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高松の新しく出来たVANショップを覗いて見ました。小生、VANのブレザーだとAB6でぴったりですので店員の女の子に1型の紺ブレのフラノでAB6はありますかと聞いたのですが、当店にはおいていませんと答えられました。売り切れなのと聞き返したのですが、どうも1型とか、フラノの意味が判らなかったみたいで、1型のデザインの説明を当方からしてあげたのですが判ってくれず、ついに店長の登場とあいなり、再度同じ質問をしたのですが、やはり1型の意味を判ってくれませんでした。仕方無く自分で探して、サージの定番があった為、こういうデザインをそう呼ぶんですよと説明してあげましたら少々、逆ギレされたみたいで、当方はVANジャケットの名前を借りているだけで福岡のベルソンジャパンですからとの回答。小生、VANとVANファミリーショップの関係が知識不足で良くわかりませんが、いやしくもVANのロゴと永遠のあの言葉を謳っているのであれば少し、トラッドの最低常識を持って客に接しないと、VANをこよなく愛してきた人達に失礼だと思いましたね。(商品もちゃんとあるんですよ。廉価でありましたが・・)★早速、昨日購入したスキャナで、30年前の写真を読み込んで見ました。VANも阿波踊りに参加していたという貴重な証拠写真です。(右のガリガリの長髪が、20kg少ない小生です。左の女性二人はK女子大のOB。少なくとも現在は30歳年を取っています。)
2005年01月27日
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トリュフが今が時期との事で、M崎夫婦の高松の知人のフランス料理店に連れて行って貰いました。世界の三大珍味でも、トリュフは食べる機会も無く初めての経験でしたが、かなりの物でありました。この店のオーナーは、フランス・ベルギーで経験を積まれた有名な方で、店内の装飾・食器に至るまで、本物のプロの拘りを感じ、大満足でありました。その後予定通り、屋島第一健康ランドで温泉に浸かり、翌日帰って来ましたが、少しハイセンスな雰囲気を満喫出来た夜でした。
2005年01月22日
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TAKE IVYの復刻版(S48年発行)をオークションで手に入れました。S40年に出たアメリカ東部8大学のルポ写真集ですが、新品では手に入らないとは言え、10倍近い高値でした。家族にバカだのチョンだのと言われようが、某HPで触発され、我慢出来ず暴挙に及んだものです。これはあくまで、読む為の物では無く、持っておく為の物であります。今日はリクルートから連絡があり、某システム会社の再々面接が27日で、もうひとつは損保会社の話も出て来ているとの事。畑違いも良いかなあと思ったり・・早く就職しないと、生来の怠け癖が顔を出して来てます。
2005年01月17日
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最近の事ですが、女房と高松に遊びに行っていたら、VANファミリーショップが出来ておりました。高松勤務時代は無かったので最近出来たのでしょうか?思わず寄って見ましたが、だだっ広い店内で安売り商品を並べていました。店員は、何故か近づいても来ず、二人でおしゃべりしているだけ。私達も早々に引き上げてきましたが、何ともコメントがしづらいのですが、やはり購入客の個性を尊重するあまり、お仕着せの進め方はしないという事なのでしょうか。私の青春期のメンズショップの方は、トラッドのお手本であり、憧れでした。VANのねばならぬ調の着こなし学は、学校の先生の言う事は聞かなくても、メンズショップの方の意見は素直に聴いていたものでした。それが講じて学生時代にはアルバイトもさせて貰いました。もうあのような時代は来ないでしょうが、今では良き思い出となってます。VANが倒産して2年後に出た本が何故か我が家に残っていました。ロゴの周りの言葉は感涙物です。右のポパイは倒産したVANに対する敬意と賛美のページを設けています。某氏のホームページを拝見してから懐かしさと、まだまだトラッドファンが沢山いる事が分かり、トラッドの良さを再認識している昨今です。
2005年01月15日
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前述の我が家のシーズーたま(犬です)が極度の便秘でついに肛門裂傷で全治10日との診断。数日前にお尻から黒いもの(失礼)が半分出掛かっているのを女房が発見。何とティッシュでも取れず、已む無く風呂場にてほぐして摘出?しましたが、その後トイレが出来ず、あまりに苦しそうなので、幼馴染のI月動物病院へ連れて行きましたが、肛門内部が2ヶ所大きく裂けており、重症との事。抗生物質、消炎剤、塗り薬を貰って何とか連れ帰りましたが、2~3日通院で注射です。こんな事もあるんですねえ・・お腹の中がすっきりして病院から帰宅後、本人はいたって元気になっていますが。しかし、家族の一員であるのに保険が使えないのが辛い所です。
2005年01月14日
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かみさんはどうも貧血だったようで、元気で朝食は取れましたが、念の為午前中はホテルで待機となりM崎夫婦と3人で滑って来ました。今日がベストの天候でした。4時前のバス出発の為、ホテル送迎車の方のお勧めの山の茶屋(葵)で昼食。そこで、この店特製の馬喰鍋(ばくろうなべ)を食べましたが、これの美味い事、美味い事。料理のプロのM崎さんもお勧めです。それが上の写真。(中のうどん等はそのまま、玉こんにゃく、里芋等は、自製の味噌ダレで食べます。4人で2人前が目一杯。その後、雑炊にしてくれました。)伊丹空港到着が20時頃、其処から車で帰宅したのが23時過ぎでした。色々アクシデントも有りましたが、良い正月旅行と相成りました。留守番の息子に感謝です。
2005年01月02日
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明けましておめでとうございます。今年こそブログを充実したいと思っています。今日は、終日滑りましたが、生憎の吹雪とガスで視界が悪く残念でした。今日も露天風呂に浸かって、夕食前に蔵王センタープラザまで(四季のホテルから徒歩約10分)お土産を買いに出掛けましたが、これで体が急激に冷えたのか、女房が夕食(今日は石焼ステーキのご馳走)を目の前にして急にあぶら汗を出してダウン。そのまま寝てしまった為、どうなるか心配な所です。(あまり心配してもいけないと思い、再度温泉に浸かってきましたが・・)★蔵王ロープウエイ前で、雪がフラッシュに当たって良い雰囲気で撮れています。
2005年01月01日
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自宅を4時前に出発し、伊丹空港で車を預け、仙台空港に11時頃到着。仙台空港からバスで2H。此処でトラブル発生。帰りの飛行機の時間がM崎さんと一便違うと言う前代未聞の間違い。近畿日本ツーリストは休みに入っているし、困ったのですが、添乗の女性等と掛け合い、何とか事無きを得ましたが、最悪のスタートとなりました。四季のホテルに到着は12時半頃でした。チェックインには時間がある為、荷物を預けて早速M崎さん夫婦と4人で初すべり。ロープウエイもリフトもがらがらで、大満足ですが、滑りに関しては満足出来ません。M崎さんにご教示を頂いて少しマシになって帰らなければ。関西のスキー場と比べると、兎に角広い為、滑りやすく大満足です。只、山頂までロープウエイで上り、最後の滑りと思っていたのですがカメラ撮影中に手袋を片方飛ばしてしまい、山頂からそのままロープウエイで降りる羽目になってしまった。今日は色んなアクシデントがありました。ホテルの初日の食事は鍋料理。3日間の食事はすべて美味しかった。温泉にゆっくりつかって、(K1はしっかりと観て)明日に備えて就寝。
2004年12月31日
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4日目の後半、ようやく(修行の道場)高知に入りました。徳島最後の薬王寺から走ること約2時間、室戸に入りました。先方に青年大師像が見えて来ました。この奥に空海修行の地[御蔵洞・みくろど]がありますが、何故か先に進みました。土佐最初の札所 最御崎寺(ほつみさきじ)は室戸岬の頂上にあります。此処で徳島からの中年紳士と出会いました。同じ車遍路で今後数回に亘って簡単な挨拶を交わすことになります。車遍路の出会いも一期一会ですね。例えが悪いのですが、小生の入院中に相部屋だった方々に対する親近感であります。もう会うことも無いと思うのですが・・参拝後、岬側の灯台を見学して来ました。目の前で見ると、かなりの迫力でした。土佐湾沿いに進むと室津港近くに津照寺(しんしょうじ)があります。まさに港町の中で、駐車場が良く分からず、狭い道路に路上駐車しました。石段は125段ですが急勾配で結構辛い往復です。26番金剛頂寺は山の上にあり、振り返ると絶景でした。27番 神峯寺(こうのみねじ)まで、30KM。土佐の関所寺で、此処も山の上に在ります。駐車場からまたまた石段を登って行かねばなりません。参拝後、雲行きが怪しい為、明日に備えて売店で菅笠を買いました。ビニールのカバーも付いていて、雨の日は着けると、しみて来ない按配です。既に夕刻で今日はここらで泊まり。売店の人のお勧めで民宿かとりへ。 17時前頃の到着でした。感じの良い若い男性が出迎えてくれ、まずは金剛杖を拭いてチェックイン。和室の一人部屋でした。まずは風呂に入り(結構広い風呂でした)、疲れを取ることにしましたが、此処は、遍路客と一般客が半々と言った感じでした。夕食は併設のレストラン。ビールが五臓六腑に染み渡るといった所ですか・・さすがに遍路客には肉料理は出てきませんが、なかなかの料理でした。早々に部屋に戻り、明日の巡拝ルートのチェック後、就寝。
2004年12月14日
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今日から、徳島の2ヶ寺を参拝後、高知県に向かう事になります。宿泊の準備をして、朝早く自宅を出発。22番平等寺へ。山を背にしたお寺で、明るい雰囲気でした。此処から南へ30分。徳島最後の札所 薬王寺に到着。徳島県民にとっては、大麻神社と共に、初詣で人気のお寺です。又、厄除けの寺で有名で、階段に一円を置いて行くのですが、33段の女厄坂、42段の男坂は既に終えていますがまだ61段の還暦厄坂が残っています。まだまだ先の話?ですけど。これでようやく徳島23ヶ寺を打ち終えました。これからいよいよ高知に入っていきますが、24番 最御崎寺まで85Km 車でも2時間を要します。歩き遍路の最初の長丁場で、3日をかけてひたすら国道55号線を歩き続ける事になります。途中で何人か出会いました。本当に一言声をかけたくなります。薬王寺を過ぎると、海南町(ジャンボ尾崎の故郷です)に鯖大師があります。四国八十八ヶ所と別格20ヶ所で108ヶ寺(まさに百八つの煩悩の数)となる訳であります。鯖大師は大きなへんろ会館なる宿泊施設もあり、徳島の区切りとして宿泊する人も多いと聞きます。私も参拝し、納経帳にご朱印も頂きました。その後、ひたすら高知目指して走りましたが、高知県境の生見海岸の当たりで休憩。ここは、サーフィン世界選手権が行われる位有名なスポットです。 次回から高知編です。
2004年12月13日
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いよいよ3日目の後半です。17番の井戸寺から、徳島市のバイパスを南に20分ほど走った山裾に18番 恩山寺があります。この日は台風の影響で、片側通行となっていました。(これから通行止め等の所が少々出て来ます。)この寺は、女人禁制であったのを、お大師さんの母親が尋ねて来た為、解禁にして招き入れたと言われております。左の写真に弘法大師ご母公ゆかりの地の碑が写っています。19番は小松島の立江寺で、町名のままのお寺であるので徳島の人間はよく知っているお寺です。又、此処は関所寺で、邪悪な心の人はこれから先に進めないと言われているらしい。何故進めたのでしょうかね。(各国一ヶ寺あります)只、納経所の人の無愛想さが、いささか興ざめでした。20番の鶴林寺は細い山道をひたすら登って行き、焼山寺程ではないにしろ500m程の山の上にあります。既に夕方になっていましたが、大急ぎで大龍寺のロープウエイまで飛ばしました。何とか最終便に乗れましたが、乗客は小生一人。それでもガイドの女性は、マイクで案内をしてくれました。(道中、写真も取って頂きました。)代金は往復2400円と結構な値段でした。大龍寺に着いた頃には、薄暗くなっており、急いで参拝をすませ、帰りのロープウエイでは、お寺の職員、お坊さんも一緒に降りる事に・・・これで、3日目の巡拝を無事終えました。この頃から、一ヶ寺の滞在時間が30分程になって来ました。(以前は20分弱)般若心経を本堂、大師堂で唱え出した関係ですが、これはお遍路さんの平均時間ではないでしょうか。
2004年12月12日
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10/25に徳島の後半14番から21番まで回って来ました。まず14番の常楽寺は徳島市内にありますが、駐車場が近くに無く、車での巡拝者は皆、路上駐車で仕方なく右に習えとしました。境内はでこぼこの岩で「流水岩の庭」と呼ばれているそうです。なかなかの雰囲気を醸し出しています。此処でようやく団体のお遍路さんに遭遇しました。遍路同士は何となく親近感を感じます。ここで般若心経をぎこちないながら一緒に唱えました。これから以降唱えて行く事になりますので、そういう意味で団体さんに感謝。只、納経時は添乗の方が纏めて行う為、少々待たされるのがやや苦痛で、俗世間から離れて急ぐ旅でも無いのにイライラするのは修行がまだまだ足りませんな。14番から800Mの距離に聖武天皇が各国に建立した15番 国分寺があります。当然四国八十八ヶ所では4ヶ寺巡拝する事になります。16番 観音寺は商店街の中に突然登場する感じでした。道路も狭く、駐車にも苦労しました。17番 井戸寺も車ですぐの距離にありまして、四国一と言われる大わらじが奉納されております。朱塗りの仁王門が目を引きます。
2004年12月11日
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11番の藤井寺は徳島の鴨島町にあります。初めての有料駐車場でした。この寺の裏から、歩き遍路は、内田康夫の推理小説にも描かれた遍路ころがしと呼ばれる険しい山道を越えて8H程の行程を行くのですが、車の場合は、一旦国道に戻って約1Hで12番の焼山寺に辿り着く事が出来ます。それでもかなりの険しい山道行で、どうもカーナビが細い道を選択した様で、なかなか辿り着けませんでした。到着後は少々長居。標高約700mの深山の幻想的なお寺の雰囲気と展望を十分味わいました。若い歩き遍路の女性がお握りをほうばりながら休憩していました。車で回っているのが申し訳ない気分でしたね。此処でも駐車場からお寺までが遠く、少々歩きを味わえましたが・・その後一気に山を降りて、13番 徳島2つ目の大日寺へ。此処は大日寺であるのに、本尊が大日如来でなく、向かいにある一宮神社から持ってきた十一面観音が本尊となっております。明治の廃仏毀釈の成せる業とは言え、珍しい事と思います。13番札所は徳島市内だし、一宮城跡も有名で身近に感じます。これで、2日目を終了。
2004年12月10日
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いよいよ2日目の巡拝となりました。と言いましてもまだ徳島ですので、朝自宅で起床後の出発です。まだまだ巡礼気分になっていません。8番の熊谷寺まで、カーナビが明確に行き先を指しているにも拘らず、2,3回迷った末に何とか到着しました。広い駐車場にタクシーが1台だけで少し、車上荒しが気になりましたが、(かなり多いとの事)取り越し苦労でした。大きな山門(四国最大とか)が駐車場から眺めれますが、少々たどり着くまで時間が掛かりました。眺めはなかなかのものです。打って変わって9番の法輪寺は田園地帯にあります。門前の店で昨日の千葉の中年紳士がお接待を受けていました。10番の切幡寺は、山の中腹にあります。どうも車で近くまで行けるらしいのですが、出会った東北の歩きの親子が、折角来たんだから333段の石段を登らんと・・と言われ、しかも写真も写して頂いた為、頑張って往復しました。すこし、巡礼気分になって来ましたか・
2004年12月09日
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五番地蔵寺の奥の院「羅漢堂」は有名なのに何故か行きそびれてしまいました。次回に置いておこう。六番 安楽寺は、その昔遍路救済の為に駅路寺として、食事、宿泊の役目をして来たそうです。現在の宿坊も薬湯で有名とか・・竜宮城の様な門の七番 十楽寺には、5時ぎりぎりに到着。何とか納経帳に記帳して貰えましたが、各寺すべて、5時までと決められているので、上手く時間コントロールをしないと非効率になります。礼拝を済ませると、もう夕暮れでした。本来ならこれから、民宿か、宿坊となるのですが、私は自宅に帰ります。こうして、10/21初日の一番~七番までの巡拝を終えました。まだまだぎこちない参拝ですが、少しずつ様になって来たようです。
2004年12月08日
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二番極楽寺と同じ赤色の仁王門の金泉寺は、大師が発見したと言われている「黄金の井戸」と、屋島に向かう途中で休んだ弁慶が持ち上げたと言い伝えのある「弁慶の力石」で有名。又、少し山に入った所にある閑静なお寺が大日寺。このお寺は唯一木製のスタンプを押してくれると聞いていたのですが、結果どっちが良かったか分かりませんが他と同じように手書きで墨書して頂きました。此処までスタートしてから一本道なので2時間位しか経っておらず、すぐに八十八ヶ所は終わるだろうと思っていましたが、それは少し甘かったようでした。此処で駐車場から車に乗ろうとしていたら、歩き遍路の千葉から来た中年の紳士と会いました。会釈しただけですが、後で何度か会うことになります。今頃どうされているのだろう?何となく、同じ時期に回ったと言うだけですごく親近感を感じてしまいました。此処から七番札所までが、10/21の出来事です。
2004年12月07日
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1番札所から1Km程西に行くと、すぐに極楽寺です。徳島の1番から23番薬王寺までは、発心の道場と呼ばれていまして、特に修行の始めとしては楽にスタート出来ると思います。ここ極楽寺には何度か除夜の鐘を聞きに来ていましたので馴染みがありました。山門の赤い色と、樹齢1200年の長命杉が目を引きます。写真を2枚貼れるといいんですが(後でそうします)ここまではカーナビは必要ありません。今年は台風・災害の影響もあり、参拝者が少なそうです。ここでも1~2人に出会った程度で、早く般若心経の唱え方を参考にしたいのですが、閑散としていました。
2004年12月06日
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昨年10月から始めた八十八ヶ所巡りを書いて行きます。定年になったら行こうと決めていましたが、思いの他早くチャンスが巡ってきた次第です。事前にインターネットで下準備をしていた為、あまり戸惑う事無くスタートが切れました。一番札所までは、自宅から車で30分くらいですか・遠路来られる方からすると羨ましい距離で、申し訳ない気分です。まずは、霊山寺前の門前一番街で身支度をを整えました。(お寺でも買えますが、専門店の方が若干安いし、気楽です。)まずは、白衣、輪袈裟(これは、我々のネクタイの様な物です)、数珠、さんや袋、金剛杖を購入。(今回は車で回るので、これ位でスタート)これだけで立派なお遍路さんです。事前練習したとうりの手順でお参りしました。ぎこちないですが何とか出来たと思われます。但し、般若心経は未だ無理で、南無大師遍照金剛を3回唱えるのが精一杯のスタートでした。それでもあまり戸惑わなかったのは、インターネット『掬水へんろ館』で勉強させて貰った事と、購入した4冊の本を読んだからだと思います。まずは一歩踏み出しました。
2004年12月05日
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今回の八十八ヶ所巡りに際して、参考にさせて頂いた4冊です。他にもHPで印刷して持って行きました。特に四国八十八ヶ所巡りガイドは、札所間の距離と時間(歩き・車別)が比較的正確であった為、重宝致しました。前回書き忘れていましたが、今回の遍路は、会社の定年退職時の挨拶でも言いましたが、サラリーマン生活での煩悩落としと、再就職祈願。又、先輩の術後の健康祈願を兼ねての旅でした。
2004年12月04日
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巡礼の証で、各札所にてご朱印、お墨書を頂きます。昔は、経を納めた証に朱印を貰っていたようですが、現在では、読経で済ませているようです。只、今でも納札箱と写経箱がありますからちゃんと写経を納めている人もいると言う事です。私も、最初は、スタンプラリーの感覚で朱印を頂く事に主眼を置いていたのですが、少しずつ気持ちが変化して行くのは不思議なものでした。ちなみに納経料は各寺300円です。(左は、一番 霊山寺、右が高野山の朱印です。)
2004年12月03日
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頭陀袋(ずだぶくろ)とも言います。殆どの巡礼者が使っています。中には 下の経本、納め札、数珠、ろうそく、線香等巡礼に必要なものを入れておきます。表には同行二人(どうぎょうににん)と書かれていましていつもお大師様と一緒と言う事です。決してどうこうふたりとは読みません。後、お賽銭の小銭を入れておきました。お賽銭も本堂・大師堂で使いますから、結構必要になりました。又、最初のうちは、ローソクを忘れたり、納札を入れ忘れたり大変でした。
2004年12月02日
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学生時代から、クロスビー・スティルス・ナッシュ・アンド・ヤングが好きだったもので、何十年たっても時々聴いていましたが、今回、オークションでCS&Nの日本公演(1991)のDVDを落としました。海賊版故、映像・音は今一ですが、マニアにはたまらないかも知れません。他のも纏めてUPしました。 関連サイト紹介 http://www02.so-net.ne.jp/~m-sasaki/sstills.html
2004年12月01日
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四国八十八ヶ所巡りの場所を別に作ろうとしたんですが技量不足で出来ず、ここで話て行って、出来た所で移動すればと安易な結論に達しました。左の写真は、共にした菅笠と金剛杖。未練たらしく置いてあったんですが、一旦片付けてしまいました。でも、今回の旅を忘れない為に書きとめていく事にします。でも此処では一枚ずつしか貼れないので、他にも服の話もあるのに困った。勉強せんと行かんなあ。
2004年11月10日
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八十八ヶ所を廻り終えた証は、納経帳とか、掛け軸に朱印・墨書きを貰うのですが、88番最後の札所で結願(けちがんと言います)の証明書を発行して貰えます。私は、誕生日が最後の88番大窪寺となった為、記念に発行して頂きました。記念として、納経帳と共に大切にしています。道中の話はこれからです。
2004年11月09日
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古い話ですが、7/10に関東フォーク連盟のOB・OGの復活祭がニッポン放送の協力で実現しました。多くの大学OBが参加しましたが、我が大学は、4000人に気後れし、又練習不足が露見し、少々不満が残ったかも・・でも良き思い出となりました。見に来てくれた沢山の皆様に感謝!しかし暑かった。関連サイト紹介 http://www.hoote2004.com/index.html
2004年07月10日
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