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2007年09月01日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
今日は「博士課程への準備期間」第2回、

「寮の思い出」。
(2001年9月中旬)

修士課程の1年間、
私は大学の寮に住んでいたのだが、
寮生活の話は
ほとんどしなかったね。

まあ以前書いたように、
この1年間、

ほとんど交流しなかったからね。

「そして僕は英会話を捨てた」

と書いたように、
寮のキッチンで毎夜のように始まる
宴会のような夕食に参加していては
自分は落第すると思ったから、
午後5時以降はキッチンに
入らないようにした。

その代わり、
英語で会話する時間は激減するわけで、
私は「英会話」と「修士号を取る」を

「修士号を取る」を
選んだわけだ。

普通の留学生は
そんなことしなくてもいいんですよ。(苦笑)

私はあくまで最低最悪の

留学を始めたから、
こうせざるを得なかったということでね。

逆に言えば、
留学の目的を明確に持って、
いろんなことの取捨選択を
しっかりと判断できれば、
英語力ほとんどゼロから始めても
修士号くらいは取れるとは
言えると思うけれども。。。。

まあ、そんな私ではあったけど、
それなりに寮生活の思い出もあった。

今日はそんなことを書いてみたい。

。。。と、ここまで昨日書いて
ブログに載せていたら、
なにやらまじめなコメントを
いただいてしまって。。。(苦笑)

今日の話は人生の選択みたいな
難しいことじゃなくて
はっきり言っておふざけです。

うひょひょ。。。

寮の私のフラットは
8人で1つのキッチンを
シェアする形になっていて、
その8人の国籍構成は

ギリシャ2人(男、女)、サイプロス1人(男)、
トルコ2人(男、女)、ブラジル1人(女)、
台湾1人(男)、そして日本1人(男=私)

であった。

なんか嫌な予感のする構成でしょ(笑)

まあ、この中には
「かみぽこぽこ」に登場した人もいて、
今は亡き(?)「男の手料理」のコーナーで
好評だった

マリアちゃんのペペロンチーノ

の、ギリシャのバリキャリ・ウーマン
マリアちゃんとか、

私のエッセイ提出前日に

どどどどどどどどどどどどどどど、

と、隣の部屋で大音響で
民族音楽を鳴らして
私を絶好調にさせてくれた
トルコ人の男とか、

その同じ日に私を挟んで反対側の部屋で

(放送禁止の音)

を大音響で鳴らしながら
ヒゲ男と情事を楽しんでいた
ブラジル姉ちゃんとか

「かみぽこの9・1・1」で
銭形平次の

「親分、てえへんだ!てえへんだ!!」

みたいな感じで
私にテロが起きたことを
教えてくれながら、

「そんなことより
俺の車が大変なんだ!」

と、私に一喝されてしまった
台湾人の男とかね。(苦笑)

まあ、愉快な人たちだったのだが、
この公式な(?)フラットメート8人とは別に
非公式なフラットメートが7人いて、
さっき書いたヒゲ男など、
私以外の7人には
それぞれパートナーがいて、
ほとんど同棲状態だった。

ギリシャの男は
ニワトリみたいな顔した
イギリス女に毎晩怒鳴られてたし、
マリアちゃんは
言葉をなくすような
美しい金髪のギリシャ美女と
親密な関係だった。(笑)

さっきのヒゲ男など、
私がキッチンに行ったときなど、
ふんぞり返って座っていて、

「ハーイ!かみぽこ」

と、声を掛けてくるのだが、

(俺の名前を知ってるのはいいんだけど、
ところでお前は誰やねん?)

と、内心思いながら
私はにこやかに挨拶を返していた。(苦笑)
(こういうところ、
私も日本人である。)

まあパートナーがいるのは
別に構わないのだけど、
どうしてどちらかのフラットのうち
私のフラットに住むことを
選ぶのかというと、
多分それはこのフラットが
当時はあった
「喫煙フラット」
だったからだろうね。
(現在は、大学に「喫煙フラット」はない。)

ある時、こんなことがあった。

夜、図書館で勉強して
寮に帰ってくると、
私のフラットのキッチンに
ものすごい数の人がいて、
ものすごい音で音楽を鳴らして
パーティをやっていた。

(すごいな。。。)

と私は思いながらも、
そのまま部屋に入って寝た。

翌朝。。。

私がキッチンにいると、
フラットメートが
入れ替わり立ち替わり
やってきてこう言う。

「昨日のパーティすごかったね。
寝れなかったよ。
誰がやってたパーティだ?」

ついに7人全員が
同じことを言った。。。

つまり、このパーティには
フラットメートが誰も参加してなかったと
思われるわけで、
勝手に外部の人間が

「ここ、喫煙フラットだから
ちょうどいいや」

って、パーティをやってたと
思われるわけだ。(笑)

まあ、この寮には
そんな思い出も多少あるわけだけど、
基本的にはあまり
フラットメートと
交流することもなかった私だが、
それでもあまり
居心地の悪さを
感じることはなかった。

そもそも外国人の多くは
日本人にありがちな、
人付き合いがいいとか悪いとかを
気にすることがほとんどない。

だから、私が図書館に行きっぱなしで
夜のキッチンでの交流にほとんど加わらなくても、

「かみぽこは勉強したいのね」

と、みんな思うだけで、
私のことを不快に思う人は
1人もいなかった。

朝とか昼とかにキッチンで会うと
にこやかに挨拶を交わしたしね。

それに、このキッチンは
比較的年齢層が高くて、
学校の中でも
年齢層が高い人が利用する
「芸術会館のカフェ」を
全員がよく利用していた。

だから、キッチンでは顔を合わせなくても
カフェでフラットメートと私は
よく顔を合わせていて、
フラットメートも私が
何をしているのか、
よくわかっていたというのもあった。

だから私は夜の交流に
参加しなくても
そんなに疎外感や孤独感を
感じることはなかった。

2001年9月14日。

1年間住んだ寮から
退寮する日が来た。

あんまり交流がなかったし、
私は引き続き博士課程があるので
学校の近所の時計台村に
引っ越すだけだから、
なんにも感慨はないかなと
思っていたが、
意外にグッとくるものがあったね。

それでは、またね。





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最終更新日  2007年10月21日 22時50分26秒


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