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こちらのサイトによると、「三寒四温」 とは もとは中国の東北部や朝鮮半島北部で冬の気候を表すために使われていた言葉で、シベリア高気圧から吹き出す寒気がほぼ7日の周期で、強まったり弱まったりすることに由来するのだそうだ。 そこにも書いてあるように、この言葉はたしかに最近では、むしろ低気圧と高気圧が交代しながらしだいに暖かくなっていく、春先の気候変化を表すことが多くなっているが、ここ数日の気候と気温の変動は、まさにこの言葉の本来の意味にぴったりのようだ。 昨日はひじょうに暖かく、近くにある小さな橋の上から下をのぞくと、浅く透明な川の底に、まるまると太った鯉が潜水艦のようにゆったりと沈んでいるのが見えたりしたのだが、今日は一転して冷え込んだ。明日はもっと冷え込むらしい。 冬はなんとなく人が死ぬ季節というイメージがある。今年も、かつての名投手小林繁をはじめとして、様々な人の訃報があいついだ。むろん、冬でなくとも人は死ぬのだし、有名人の訃報などなくとも、あちらこちらで人が死ぬことにはかわりない。古代人ならば、冬とは太陽が最も衰える季節であるから、生き物の力もまたそれに呼応して衰えるものと考えるところだろうか。 世間は不景気のようで、こちらもほとんど仕事がない。つぶれかけた零細塾から転職して、やっとなんとか人並みに暮らせるようになったと思ったら、また前の状態に逆戻りのようだ。とりあえず、しばらくは毎日散歩でもして体力増強とダイエット、それに長年書棚の肥やし状態になっていた積読本の解消に専念しようと思うのだが、それがいつまでも続くようではちと困る。 ところで、衆議院の党首討論と代表質問で、自民党の谷垣総裁は鳩山首相と千葉法相に対して、「指揮権」 発動について三度も尋ねたという (参照)。この場合の指揮権とは、公法のひとつである検察庁法に定められた、法務大臣の次のような権限をさす。第十四条 法務大臣は、第四条及び第六条に規定する検察官の事務に関し、検察官を一般に指揮監督することができる。但し、個々の事件の取調又は処分については、検事総長のみを指揮することができる。 法務大臣の指揮権は、このように明確な法的根拠を持つ。であるなら、事件とその捜査をめぐる状況が、今後どのように進行するかも分からないのに、その行使そのものを最初から問題視するような谷垣総裁の質問は、きわめて筋のとおらぬおかしな話でしかない。 法的にいえば、検察庁は法務省のもとにあり、したがってその最高責任者は法務大臣である。検察庁に所属する検察官は独任官庁と呼ばれ、全体としても、またひとりひとりとしても独立性が強いが、検察庁はあくまで行政機関のひとつであり、法務大臣とひいては総理大臣に責任を負う。そして、同時に大臣はまた検察官の行為に対して、最終的な責任を負う。 そうであれば、大臣が検察に対して指揮権を持つのは当然なのであり、その行使自体を問題視して、あらかじめ法務大臣の手を縛ろうというのは、本末転倒な話と言わざるを得ない。それに、法で明確に定められた権限を行使することが、それ自体としてはなんの問題も含まないというのは、それこそ 「法治国家」 としては自明の話にすぎない。 ただし、捜査への政治権力の不当な介入を防止するために、その行使は慎重でなければならない。だから、問題なのは指揮権の行使そのものではない。ただ、そこには正当な行使と不当な行使の区別があるということであり、その正当・不当については、政治家が責任を負うということだ。反対派は、当然その行使を非難するだろう。また、場合によっては、マスコミなどによって激しく批判されたりもするだろう。 しかし、その結果は国民の声であるところの世論として現れるし、次の選挙にも反映されることになる。つまるところ、政府や政治家の行為の正当・不当について判断するのは、国民自身なのであり、それが保証されているのが民主主義というものなのだ。法定の手続きに従った合法性は、それだけでその正当性を担保するものではない。 官僚ならば、とりあえず法に従っておけば、責任を問われることはない。足利事件で菅家さんを起訴した当時の検察官が、法的な責任を問われずにすんでいるのは、そういうことだ。しかし、政治家の責任はそういうものではない。合法であっても、不当な権力行使として責任を問われることはある。それを引き受ける覚悟があるのが、ようするにウェーバー言うところの、政治屋ではない本物の政治家ということになる。 そもそも、法で認められた大臣の指揮権そのものを封じることは、たんなる行政官庁にすぎない検察を、誰に対しても責任を負わない 「聖域」 とすることである。それは、捜査権と起訴権という強大な権力を有する検察を、絶対的な権力とするにひとしい。しかしながら、誰かの言葉にもあるように、絶対的権力は絶対的に腐敗する。そこに例外はない。 憲法上の三権のうち、司法権は最高裁を頂点とする裁判所がになっている。だが、裁判所は提訴された事件を扱うだけである。とりわけ刑事事件の場合、日本では検察官のみが起訴する権限を持っている。その意味で、検察官は行政権の一部でありながらも、司法権の重要な要素をも構成している。 まして、有罪率のきわめて高い日本の司法では、検察官の実質的な権力はひじょうに強いといわねばならない。その意味において、検察を誰も手をつけられない不可侵の 「聖域」=「独立国家」 とすることは、それを 「民主主義」 の埒外、言い換えるなら主権者たる国民の手の届かぬところにおくことにほかならない。 それにしても、かつて自党の議員が検察の捜査を受け、つぎつぎと逮捕・起訴されたときには、「検察ファッショ」 だのなんだのといって非難していた自民党の諸氏が、選挙に負けて野党に回ると、今度は一転して検察を持ち上げ、政府を攻撃するとは、これはなんとも無様なご都合主義以外のなにものでもない。 政治と金の問題は、たしかに重要な問題である。しかし、その摘発と捜査が検察の恣意に任されるなら、これは政治と政局を動かす大きな武器となる。悪質な違法行為は論外だが、法と手続きの煩雑化はその完璧な順守を困難とさせるものでもあり、場合によっては、「一罰百戒」 を名目とした捜査機関による恣意的な摘発と捜査をも可能にする。それは、政治家に対する生殺与奪の権を検察に与えるに等しい。 国会がほんとうにこの事件に関心を持ち、真相を究明したいと望んでいるのなら、検察という名の虎の威を借るキツネのようなことをするのではなく、開会直前に逮捕された石川議員を釈放させ、国会の場で宣誓のうえできちんと証言させるべきだろう。それが、少なくとも 「国権の最高機関」 たる議会を構成する者らの矜持ではないだろうか。検察の捜査は、被疑者の身柄を拘束せずとも可能なはずである。 政府を攻撃するという目前の利益だけで検察の威を借るような、現在の自民党のご都合主義的な言動は、「統帥権干犯」 や 「国体明徴化」 などの名を借り、一部の軍人や民間右翼を利用して、ときの政府や対立する政党、政党人を攻撃し、自らの墓穴を掘ったかつての愚かな政治家らとそっくりである。もっとも、検察が軍のような実力部隊ではないということだけは、幸いというべきではあろうが。 たしかに、55年体制以来、長年権力を独占してきた政党としては、野党慣れしていないという点はあるだろう。しかし、鳩山政権に対する 「社会主義」 などというピントのずれた非難や、先日発表された党の新綱領原案(要旨)なるものの、選挙前とかわらないイデオロギッシュな愚かさといい、その志のあまりの低さにはあきれるほかにない。 だいたい、党の綱領というものは一時的な政治状況に左右されない、党の長期的な基本方針を定めた文書のはずだが、これを見ると、現在の自民党には、どうやら現在の対立状況しか目に入ってないようだ。ということは、ひょっとすると、このままずっと 「万年野党」 の地位に甘んじるつもりなのだろうか。
2010.01.22
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「すさまじい」 とは、現代語では 「ものすごい」 とか 「恐怖を感じさせるほどである」 といった意味だが、古語では 「興ざめだ」 とか 「殺風景」、「寒々している」 といった意味で使われる。下に引くのは、『枕草子』 の第二十三段 「すさまじきもの」 の冒頭部分。すさまじきもの 昼ほゆる犬、 春の網代。 三、四月の紅梅の衣。 牛死にたる牛飼。 乳児亡くなりたる産屋。 火おこさぬ炭櫃、地火炉。 博士のうちつづき女児生ませたる。 方違へに行きたるに あるじせぬ所。 まいて節分などは いとすさまじ。 口語訳は省くが、このほかにも 「除目(ぢもく)に官得ぬ人の家」 などというくだりがあって、これなどは現代でも、内閣の組閣や改造のときに、入閣の知らせをまだかまだかと待っていながら、とうとう連絡をもらえなかった残念な議員さんなどにあてはまりそう。 さて、報道によれば、小沢一郎民主党幹事長の政治資金をめぐる問題で、同氏の元秘書であった石川知裕議員をはじめ、昨年の西松建設献金事件で公判中の公設秘書、さらに石川議員の後任であったという元私設秘書の三名が、東京地検によって逮捕されたという。 小沢一郎は、いうまでもなくかの角栄の秘蔵っ子である。「陸山会」 なる彼の後援会の名称も、むろん 「越山会」 という角栄氏の後援会の名前にならったものだろう。とすれば、彼が角栄氏から、政治資金の調達方法や錬金術の指南を受けたことは十分に考えられる。 その点で、小沢氏に金銭面でダーティなイメージがつねにつきまとうのはしかたあるまい。実際、氏が金銭的にまったくクリーンな人だと考えている者は、おそらく一人もいないだろう。 とはいえ、現時点での石川議員の逮捕容疑は、「政治資金収支報告書」 への記入漏れによる政治資金規正法違反という、ほとんど形式的な容疑にすぎない。東京地検は、その裏に企業からの不正献金による資金調達とその隠蔽という構図を描いていると思われるが、少なくとも現時点での逮捕容疑は、どう見てもたんなる形式犯にすぎない。 このようなやりかたは、警察や検察がある事件で狙った容疑者を、通常なら逮捕を要しないような軽微な容疑で逮捕し身柄を確保したうえで、本当の狙いである別の事件について取り調べるという、いわゆる 「別件逮捕」 に限りなく近いように思われる。 「別件逮捕」 の違法性・合法性という議論については省くが、伝えられているように、もしも、検察が不正献金事件という構図を描いているのなら、その件についての捜査を進め、証言や証拠を集めて容疑が固まった時点で容疑者として逮捕するというのが、少なくとも筋の通った捜査方法であろう。 日本国憲法には、「両議院の議員は、法律の定める場合を除いては、国会の会期中逮捕されず、会期前に逮捕された議員は、その議院の要求があれば、会期中これを釈放しなければならない」(第50条)という規定がある。いわゆる議員の不逮捕特権というものだ。 かつて12月に開かれていた通常国会は、国会法の改正によって、現在は1月中旬に開かれるものとなっている。今年の国会は明日18日に招集されるそうだが、その直前の逮捕は、どう見てもこの憲法による制約を免れるための 「駆け込み逮捕」 という感が強い。 たとえ、議員に不逮捕特権があったとしても、容疑に十分な裏づけがあり、また逮捕に法で定められた正当性と必要性があるのなら、議会に対して逮捕許諾請求を行い、その決議を受けて逮捕することが可能なはずだ。 実際、ロッキード事件での田中角栄をはじめ、近年では鈴木宗男議員の逮捕なども、会期中の逮捕許諾請求をへて行なわれている。したがって、これはきわめて異例な事態と言わざるを得ない。 議会の決議には、当然多数の賛成が必要ではある。しかし、十分な裏づけがあるにもかかわらず、多数党がその力で強引に許諾請求を否決したなら、それは当然に世論の批判にさらされるだろう。だから、たとえ多数党の有力議員であっても、請求が否決されることはそうそうあるものではない(参照)。 そもそも、会期中であろうとなかろうと、選挙で選ばれた国会議員が民意の代表者であることにかわりはない。だとすれば、法的にはともかく、検察は議員の逮捕については抑制的でなければならない。別件逮捕に近い軽微な容疑での議員逮捕が安易に認められるならば、それは国家の一機関にすぎない検察を、民意の上に置くことにほかならない。 健全なる民主主義を育てるのは、国民とその世論の役割なのであって、一国家機関が国民を代弁して行なうべきことではない。むろん、捜査機関の主観的な 「誠意」 まで疑おうとは思わない。しかし、東京地検特捜部といえども 「正義の味方」 などでは断じてないし(そもそも、そんなものはこの世には存在しない)、政治や政争とまったく無関係な超越的存在というわけでもないだろう。 どんな組織やシステムにも、それ自体の固有の利害というものがある。司法行政をめぐっては、ちょうど取調べの可視化などの議論も起きていることころだ。まして、組織を構成しているのは、地縁、血縁、学閥、閨閥などなど、様々な俗世のしがらみに縛られた具体的な人間である。 だからこそ、政治がらみの事件捜査では、中立公正さがとくに強く要求される。当然ながら、その中立公正さには、法によって強い権限を与えられた捜査機関が自己の固有の利害で動いてはならないということも含まれる。 どのような制度的保証があろうと、捜査機関の中立公正さとは、社会的に要請されることであり、少なくとも捜査機関自身が自らを律し、適正な手続きに従うことで守られるものであって、先験的に保証されているわけではない。もちろん当人らが 「わたしたちは中立公正です」 といえば、それがそのままとおるという話でもない。 国会開会までずいぶんと間があり、それまで待っていられないというのならともかく、開会直前の現職国会議員逮捕という東京地検の今回のやり方は、その点において、憲法と国会法の条文に反してこそいないものの、その精神には激しくもとるもののように思われる。 故事に 「瓜田に靴をいれず、李下に冠を正さず」 という言葉もあるが、このようなやり方をしているようでは、その政治的意図や背景を推測されてもしかたあるまい。なんとも 「すさまじき」 話としかいいようがない。最後につけくわえておくが、これは、民主党を支持するかしないかとか、小沢氏を支持するかしないかといったレベルの問題なのではない。
2010.01.17
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ここ数日は 「西高東低」 のみごとな冬型気圧配置で、北風がびゅーびゅー吹き付けている。北陸から山陰にかけては、連日大雪が降っているとか。昔はこちらも冬には軒先につららが下がったり、路傍に霜柱が立ったりもしたものだが、最近はそういう話はとんと聞かぬ。雪が積もることも年に数回あるかないかで、雪だるまとか雪合戦などのような遊びもほとんど見られない。 清少納言は冬は早朝がよいとおっしゃったが、『枕草子』 にも年末から正月にかけて大雪が降り(旧暦だから今とはずれるが)、仕えていた中宮の命で役人や侍までかりだして、庭に雪山を作ったという話がある。それによれば、とちゅう雨が降ったりもしたけれど、一月以上、残っていたそうだ(第74段 「職の御曹司におはします頃」)。 昔の知り合いに、島根から福岡教育大に来た人がいたのだが、九州だからあったかいはずと思って冬物は置いてきたところ、寒くて寒くて往生したという。そりゃそうだ。そもそも北部九州は地勢的に山陰とつながっているうえ、福教大は宗像の山のふもとにあるのだから、玄界灘からの北風がもろに吹きつける。九州だから暖かいというのは、ただの偏見というもの。山のほうに行けば雪だって積もる。なんであれ、先入観というものはまことにやっかいなものだ。 報道によれば、奈良は桜井市にある桜井茶臼山古墳なるところで、81枚もの銅鏡が見つかったとか。桜井茶臼山古墳というのは、ひょっとして卑弥呼の墓ではないかとも言われている箸墓古墳とも近いが、箸墓のほうは宮内庁の指定により、孝霊天皇の娘である倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓ということになっていて、立入が禁止されているそう。 ところが、幸か不幸か、桜井茶臼山古墳のほうは昔はあまり目立たず、有名でもなかったため、誰の陵墓にも指定されることなく、放置されてきたらしい。おかげで発掘調査も可能だったということなのだろうが、これだけの副葬品が出てくれば、当然埋葬者は古代大王家につながる高貴なお方だと考えられる。規模だって、墳丘長が207mというからかなりでかいし。 しかし、宮内庁によれば、大王家の人々の墓は、すでにほとんど存在していることになっている。もし今後の調査で、茶臼山古墳の被葬者がその中の誰かということが明らかになると、いままでその人の墓ということになっていたところの指定を取り消さなければならなくなる。そもそも、古代の陵墓の指定はほとんどが江戸時代の尊皇ブームに始まるもので、当然ながら学問的な根拠などないに等しいものが非常に多い。 宮内庁が天皇やその一族の陵墓に指定しているもののなかには、怪しげなものが多いということは、以前から指摘されていることだが、そうやっていつまでも全然違う人の名前で祭祀を執り行っていたりしたら、いずれそのうちに 「おーい、おれはそこじゃないよ、ここにいるんだよ」 とか、「それは人違いだって、あたしゃその人とは違うよ」 みたいな声が、地の底から湧き出てくるのではあるまいか。 古来より、怨霊というものは恐ろしいものである。菅原道真は雷神となって恨みある藤原氏や天皇の一族に害をなしたし、保元の乱で弟の後白河天皇に負けて讃岐に流された崇徳上皇は、「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」 という誓いをたてて、平安末期の争乱を引き起こしたという。日本古来の信仰に忠実たらんと欲するならば、名を取り違えたままで祭祀を行なうのは、御霊(みたま)を恐れぬもっとも不敬な行為と言わざるを得ない。 さて、御年77歳の藤井財務相が健康上の不安を理由に辞任し、後任が菅直人に決まった。高齢の大臣といえば、戦前に6回も大蔵大臣を務めた高橋是清の場合、最後の蔵相を務めたのが80歳、また先の小泉内閣での塩爺こと塩川正十郎の場合が79歳であった。是清さんは2.26事件で暗殺されてしまったのだが、高齢な方にいつまでも重責を担わせるわけにはいかないだろう。いっぽう菅直人としては、鳩山首相がいつこけてもいいように準備万端といったところだろうか。 地元では、先の総選挙で落選した山崎拓前衆院議員が、夏の参院選への出馬をめざしているとか。しかし、自民党の谷垣総裁は、山崎氏がすでに70歳を越えていることを理由にそれを拒否する意向だという。これはまあ当然のことだろう。野党に転落した自民党は、ここで若返りをはかるとともに、それを世間にアピールすることが勢力回復のための第一歩なのだから。 本人としては、まだまだ心残りのこともあるのかもしれない。おまけにたたき上げの政治家である彼としては、安倍や麻生をはじめとした若い連中ときたら、どうしようもない世間知らずのお坊ちゃんばかりという心配もあるのだろう。とはいえ、参院は衆院とちがって解散もない、そのうえ任期は6年もあるわけで、どう見ても最近の山崎氏の姿は、たとえ当選したとしても任期を無事にまっとうできるようには思えない。 先日、今年初めての仕事が入ったのだが、たった2時間の仕事で2000円にもならなかった。今年も先行きは暗そう。前途多難な予感がする。景気の回復はなかなかむずかしそう。おまけに、正月早々、人混みの中に出かけたために風邪までひいてしまった。関連記事: 宮内庁もまだまだ了見が狭いと思う
2010.01.09
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昨日はえらい寒く、予報ではこちらも雪といわれていたが、起きてみれば天気もよく比較的暖かだった。もっとも、一日家にこもっていてどこにも行かなかった。「初詣」 などというものには、とんと縁がない。別に「迷信」 だからというわけではなく、たんに人ごみが嫌いというだけのことだが。 正月とは新しい年の始まりだが、時間は物理的な延長のように目に見えるものでも、手で触れるものでもない。人が時間を実感するのは変化によってであり、その時間を区切ることが可能なのは、時間が円環的に進行するからである。時間が直線的にしか進行しなければ、そこに区切りを持ち込むこと、言い換えるなら時間の進行を単位によって計測し、それによって時間の経過を明確に意識することも不可能だっただろう。 つまり、われわれにとっての時間とは、生物の世代交代と同じように、死と再生を繰り返すということだ。日没とは太陽の死であり、日の出は太陽の再生である。そして、それは新たな一日の誕生でもある。同様に、大晦日とは古い年を埋葬する日であり、正月とは新しい年の誕生を祝う日のことである。これを神話的に言えば、「死」 と 「再生」 の物語ということになる。 たとえば、ルーマニア出身の宗教学者であるエリアーデは、『聖と俗』 という著書の中でこんなことを言っている。 これらのすべての事実がもつ意味を要約すれば次のようになると思われる。古代文化の宗教的人間にとって世界は年ごとに更新される。世界は新しい年がくるたびにその原初の神聖性を取り戻す。すなわち、再びかつて創造主の手を離れたときのようになるのである。... 時間が再生し、新たに始まるゆえんは、新年のたびごとに世界が新しく創造されたからである。宇宙創造の神話があらゆる種類の創造、建築の典型としていかに大きな意味を持つかはすでに前章に見たとおりである。今やわれわれはそれにつけくわえて、宇宙創造の中には時間の創造もまた含まれている。 つまるところ、正月が新たな年の再生であるとすれば、それを遡れば、宇宙の創造にまでたどりつく。だから、宇宙起源神話は同時に時間起源の神話でもある。時間を支配するものは宇宙を支配するものであり、その逆もいえる。実際、王や皇帝が人々を支配していた時代には、年はその治世をもって数えられた。洋の東西を問わず、それはどこの国をとってもかわらない。 さらにまた、新たな暦の制定とは、時間そのものの創造であり、新たな歴史の誕生を意味する。西暦がイエスの誕生した年を紀元とし(実際には少しずれているが)、イスラム暦がその開祖たるムハンマドらのメッカ退去の年を紀元としているのは、そのような事件によって、まったく新たな歴史が開かれたということを意味している。それは、それまでの時間の流れとその後の時間を切断することであり、神によって祝福された時間の開始を告げることでもある。 同様のことは、政治的な革命や建国の場合にもしばしば見られる。たとえば、フランス革命では、それまでのグレゴリオ暦にかわる革命暦が採用された。ジャコバン派の独裁が覆された事件は、「テルミドールの反動」 と呼ばれるが、テルミドールとは「熱月」という意味で、7月から8月にかけて。また、ナポレオンが権力を握ったのはブリュメール(霜月)で、10月から11月にあたる。 むろん、グレゴリオ暦が嫌われたのには、それがローマ教会に起源を持つという理由もあっただろう。また、「理性」 を崇拝するロベスピエールらにとって、時間が不均一な暦は 「理性」 に反する不合理なものに見えたのかもしれない。実際、革命暦では一月を一律に30日とするだけでなく、週=10日、一日=10時間、一時間=100分、一分=100秒というきわめて 「合理的」 な10進法まで採用されたということだ。 ところで、Wikipediaによれば、旧ソ連でも一時期ソビエト暦なる特殊な暦が使われていたらしい。恥ずかしながら、これは全然知らなかった。始まりは、レーニン死去から5年後の1929年。一月をすべて30日として、あまった五日間をすべて休日にするとか、7曜制を廃止するなど、フランス革命暦と非常に似ている。ただし、休日を年末にまとめていたフランス革命暦に対して、ソビエト暦では休日が月の合間に挟まっているのが少し違う。 その前年の28年には、トロツキーは国外追放処分を受けていた。その直後、今度は農民を擁護したブハーリンが、「右翼的偏向」 の名の下に失脚する。いわゆる 「大粛清」 はまだ先の話だが、スターリンはこの時期、すでにほとんどの政敵を追い落とし、ほぼ独裁に近い権力を握っていた。 その結果、スターリンは国家の工業化と近代化を旗印にした、強引な農業集団化と五ヵ年計画をスタートさせる。赤軍を動員して行なわれた集団化の実態がどのようなものだったかは、いまさら言うまでもないだろう。農地を採り上げられて自暴自棄になった農民は、土地の耕作を放棄し、数年後には大量の餓死者が発生することになる。 そのような状況下での、ソビエトのみに通用する暦の採用は、ソビエトを世界の他の地域とは違う、特別な時間が支配する特別な地域、つまりは 「革命の聖地」、「地上の天国」 として聖別化することにほかならない。それは、トロツキーに対抗して、「一国社会主義」 をぶちあげたスターリンの政治路線とも合致する。ちなみに、現在の階段ピラミッドのような石造のレーニン廟が作られたのは、翌年の1930年なのだそうだ。 一国での社会主義建設が可能かどうかという当時の論争には、いささかスコラ的な面もないわけではない。しかし、このような事実は、スターリンにとってこの論争がそもそもたんなる理論の問題ではなく、むしろ革命ロシアを、人類の新たな時代を切り開くという神聖なる使命を有する国として聖別化するという意味があったということを暗示している。そして、それはまた、政治的情熱と宗教的情熱とがときに持つ、強い親近性をも示している。 もっとも、この暦は不便だという声が強く、月の長さを元の戻すとか、5曜制を6曜制に変更するなど、数回の修正によってしだいにもとのグレゴリオ暦に近づけられ、最終的には第二次大戦勃発後、独ソ戦がはじまる前の年である1940年に廃止され、曜日も万国共通の七曜制に戻されたということだ。
2010.01.01
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