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2010.08.23
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テーマ: 闘病日記(4009)
カテゴリ: 闘病記

SN3D0692


やっとの事ですが、今日はある意味私たち親子の記念日でもあるので
父の闘病記再開したいと思います
(一応 この日の日記 の続きになります) 

1年前の今日、8月23日の日曜日はとても印象深い日で
今もあの日一日の出来事はは私の記憶の中に鮮明に残っています

この日は日曜日で私はもちろん仕事でしたが
6月末頃から始まった父の下痢は、お医者様たちが色々手を尽くすも治まらず
体重は既に15キロほど落ち、急激な体重減から来る栄養失調で脳に栄養が回らず父は精神科の医師より 「せん妄症」 を宣告されており、既に一人で外へ出かける体力もなく、食欲も全くなく、1日に摂取できる食べ物は果物を一口か二口、それに病院で処方されている栄養ドリンクのラコールを100mlほど (医者からは父の体格からすると1日に5~6袋は必要と言われていた) と、点滴だけで命の火を繋いでいたような状態でした。

この頃、私は悲しいけどこのままだと父は飢え死にするだろうと思っていました。
もちろん近所の主治医や市民病院にも7月の中旬からかかっていて、いろいろ検査するも全く異常がなく、いつももう少し様子見ましょうで終わっていたのです
この頃の私はまだまだお医者様を全面的信頼していて、医者が異常ないというのならそうなんだろうとたとえどこかに異常があったとしても医者に見つける事が出来ない病は治しようもなく、ある意味病気のカテゴリーから外れてしまっても仕方がないという考えでした。

実際ある医師はこう言いました。

「お父さんの体は特に異常はなく、内臓もこの年齢にしてはとてもきれいで、お父さんに病気があるとしたら精神的なものでしょう。」

と、言われ当時の私はガックリしたもんですが

「でも父はほんの数カ月前までは海外にも元気で出かけ、体力だって人一倍あって、今の状態が精神的なものだけとは思いにくいんですが…」

と健気に訴えたりもしていましたが・・

「お父さんも間もなく80歳で、男性の平均寿命は生きておられる訳で、人間の寿命と終わりと言うのはこんな風にやってくるものですよ

号泣号泣号泣号泣号泣

と、鬼のような宣告をされたりもしました

医者がこんな風に言うのなら、本当に今まさに父の寿命は終わりにさしかかっているのだろうと、何とも納得できない思いを抱えていた事を思い出します

で、この日の日曜日は父の為に午前中に予約は取らず、朝タクシーで父と共にお店に出勤して、カットと髭そりをしてやりました
父はおしゃれな方なので、散髪や顔そりはとても大好きで、いつもならルンルンなんですが
やはり体力もなく食事もほとんど出来ていないので、直ぐにしんどいと訴えたので、カットと髭そりを済ませると早々にタクシーで帰らせました。
その後私はいつもと変わりなく仕事していたのですが、
1時半頃に父から電話があり

「しんどいねん。死にそうや!」
と言うけど、私は午前中の仕事も午後に回していたので帰宅は出来ないので

「どうしても我慢できなかったら救急車呼んで市民病院に運んでもらって」

とだけ言って、実際父が救急車呼べるかどうか (何せせん妄症で体力無いので119番をコールして市民病院に運んで下さいと言うだけの知恵が残っているかどうか疑わしかった) 解らないけど、私自身動きが取れなかったのでそのまま受話器を置きました。

で、結局4時半頃市民病院から電話があり、ひょっとしたら腸閉そくかもしれなくて緊急手術になるかも知れないので、何時でもいいので病院まで来て下さいと言われ、私は6時半頃に伺いますと言って電話を切りました。

この時はお客さんと、とりあえずちゃんと救急車呼んで市民病院行けたみたいやから安心したわなどと至って軽い会話をしていました。

私が市民病院に行くと丁度いろいろ検査が終わったところで、腸閉そくではなかったらしく とりあえず一旦自宅に戻ってもう少し様子を見てみましょう! と診断されたのですが

医師や看護師とのいろんなやり取りの中で、市民病院にかかって1ヶ月半・・・
何度も聞いた 「もう少し様子を見てみましょう」

突然ブチ切れてしまいました怒ってる

「あのね、様子見ましょう様子見ましょうって、いつまで様子見るの怒ってる

「父が死ぬまで様子見るつもりなん怒ってる


「いえ、そんな事は・・・ただ特別どこにも異常がないので今はこのまま様子見させていただこうかと・・・」

「何言うとんそんなオウムみたいに毎度毎度様子見ましょうって言ってる間に、うちのお父ちゃんこんなに弱ってしまったやん今にも死にそうやのになんで入院させてくれへんの

(こういう場合、市民病院には入院規定というものがあって、死にかけている父でも入院規定に達しないから入院できないという。
お役所仕事の病院やから、すべてマニュアル通り、万が一にも自分たちの能力不足で隠されたとんでもない病気が潜んでいるなどとは露ほども思わないらしい・・・)

でもこの時はさすがにこのまま父を自宅に連れ帰ったたら、死んでしまうような気がして
引き続き私は大声で救急外来のど真ん中で怒鳴り続けました

「カルテに書いてるかどうか知らんけど、父は最初ここに来た時はポートライナー乗って元気に歩いてきたんよそれが様子見で1週間たった時には体力がなくなってタクシーになりその次は歩行困難になって車いすで今は車いすにも乗れへん状態やん怒ってる

「様子見ましょうもええけど、その前に父の止まらへん下痢治してよっ父はウンチが止まらへんから熟睡する事も出来へんのよ怒ってる

と言う事で

私の大声の剣幕で父は無事 「消化器内科」 に入院したのでした

そして・・・

この日・・・

父のATL闘病の開始のゴングが鳴ったのでした



SN3D0689

写真は2枚とも昨年3月に行ったバリ島です

ちなみにこの時の体重は78キロほどだったと思います






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最終更新日  2010.08.23 17:29:00
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