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5,6年前 李正吉、秋相美
主演
の 『白丁の娘』
を見た。
凄まじい差別を受けていた 李氏朝鮮最下層賎民、
被差別階層『白丁』。
この 白丁
に興味を抱いた。
白丁
というのは 日本の穢多と同様
に、かつての 中世朝鮮社会
で
畜獣の屠殺などの仕事に従事 してきた 被差別民 で、
職業のみならず 結婚、住居、衣服までもが
厳しく制限された。 φ(..)
19世紀の末 に 李氏朝鮮王朝 のもとで、形のうえで身分解放が
行なわれたが、 白丁差別は厳存した。
1923年、 日本の水平社 の結成 に刺激されて 衡平社 を結成し、
身分差別解放運動
を果敢に闘った。
皮肉にも 白丁開放の動きは 日帝支配下に
初めて進展したのである。
白丁(はくちょう、はくてい)
とは中国と日本の律令制において、公の職を持たない無位無冠の良民の男子の事を差す。無位無冠のものは、色を付けた衣を身につけず白い衣をつけたことからそう呼ばれていた。
李氏朝鮮においてはペクチョン・ペッチョンと呼び、八賤、七賤と言われた賤民(非自由民)の中で最下位に位置する被差別民を差す言葉である。その差別のされ方は凄まじいものがあったとされ、白丁の位置づけにされた者は、道を歩くときすらまともに顔を上げて歩くことすら許されなかったほどとされる。大抵は都市や村落の外の辺鄙な場所に集団で暮らしており、食肉処理、製革業、柳器製作などを本業にしていた。白丁と常民の結婚は許されておらず、居住地域も制限されていた。また高価な日常製品の使用も禁止されていた。農業や商業に従事する事は禁止されていたが、李氏朝鮮中期になるとこの規制は緩み、農業などに従事していた者もいたようである。一方国の管理に属さない化外の民であったため、戸籍を持たず税金や軍布(徴兵の変わりに収める布税)なども免除されていた。奴婢が国により管理されていたのとは対照的である。支出や行動が厳しく規制される反面、本業による手数料などを得ることができたことや、両班階級が財産を没収することすら忌み嫌ったために、李氏朝鮮時代に繰り返し行われていた庶民に対する過酷な財産徴収なども行われず、李氏朝鮮の中では唯一資本蓄積が可能な階級だったとも言われている。
免賤と言われる白丁階級からの解放もあったが滅多に行われなかった。高宗時代の甲午改革の後、白丁の身分から解消され国家官吏になる者も現れたが、差別は相変わらず残った。1923年に白丁差別解消のための朝鮮衡平社が作られ、日本の水平社と協力して身分差別解消の運動を行っていた。
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