🌈ネガ マラゴシプッンゴッ🌷俺が言いたいこと🌸내가 말하고싶은 것🌻我想说的🍑Что я хочу сказать🍋

🌈ネガ マラゴシプッンゴッ🌷俺が言いたいこと🌸내가 말하고싶은 것🌻我想说的🍑Что я хочу сказать🍋

PR

サイド自由欄

設定されていません。

プロフィール

(*^−^)ノ  kohtei

(*^−^)ノ kohtei

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カレンダー

2022/05/05
XML
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ ​​ ​​​​​​​​​​ 芸能界は闇が深い。
派手な交友関係から騙される事も多いのだろう。
ご冥福をお祈りいたします。

​​ 辺裕之さん死去、66歳 自宅トレーニング室で発見 「縊死されました」妻原日出子事務所代表  日刊スポーツ新聞社 2022/05/05 13:19 ​​
 渡辺裕之さんが今月3日、神奈川県内の自宅で亡くなっていたことが5日、分かった。66歳だった。関係者によると、自宅の地下にあるトレーニングルームで倒れていたという。
 渡辺さんの所属事務所ユニコンの堀口明伯氏と同社と業務提携するYKエージェントの栗原健社長は、同社の公式サイトに連名でコメントを発表。
「弊社所属俳優、渡辺裕之(享年66歳)が自宅で縊死致しました。5月3日(火)昼頃に、ご家族により発見されました。あまりに突然の出来事に、ご家族もスタッフも驚きと悲しみに呆然としております」
と報告した上で
「マスコミの皆様におかれましては、ご家族のご心情にご配慮頂き、取材等はお控え頂けますよう、切にお願い申し上げます。尚、葬儀に関しましてはご家族との相談の上、密葬というかたちで執り行わせて頂きます」
と密葬を執り行う考えを示した。
また、妻の原日出子(62)の所属事務所アルファエージェンシーも5日、万代博実代表取締役名で文書を発表した。その中で
「5月3日(火)昼頃、渡辺裕之さんが自宅にて縊死されました。あまりに突然の出来事に、弊社・原日出子は呆然自失としており、現在、皆様に何かお答えできる状況にございません」
と原が現状、コメントを出せる状態にはないことを明らかにした。その上で
「心の整理がつきましたところで、改めて皆様にコメントを出させて頂きます」
と、原が後日、改めてコメントを出すとした。
 渡辺さんは、CM出演などで芸能生活をスタートさせ、82年に、出演した大正製薬「リポビタンD」のCM内の「ファイトー! イッパーツ!」のキャッチフレーズが人気となった。同年映画「オン・ザ・ロード」で俳優デビュー。翌年には映画「だいじょうぶマイ・フレンド」に出演。
 アクション俳優としても人気を博し、07年には映画「劇場版 仮面ライダー電王 俺、誕生!」に、シリーズ史上最高齢(当時51歳)となる仮面ライダーとして出演した。また、86年からドラマ「嵐シリーズ」の「愛の嵐」「華の嵐」「夏の嵐」に出演し、二枚目俳優としても活躍した。

実家がカメラ店だったこともあり、インスタグラムには最近まで、富士山や桜などの風景写真をアップしていた。
 93年には、3年5カ月の交際を実らせ、原と結婚した。2人は、90年にドラマ共演をきっかけに知り合い、お互いの趣味である音楽を通して意気投合。渡辺は交際3週間目にして早くも「熱愛宣言」をしたほどだった。渡辺は初婚で、再婚の原には長女がおり、養子縁組の手続きも行った。婚姻届は原が提出し、その際には「私の結婚よりも、娘の養子縁組の方が重いかな。学校でも日直当番のあいさつで、名字が変わったと言ったみたい。先生がびっくりしてました」などと話していた。
◆日本いのちの電話
ナビダイヤル=0570・783・556(午前10時~午後10時)
フリーダイヤル=0120・783・556(午後4時~午後9時。毎月10日は午前8時~11日午前8時)
渡辺裕之さん(21年8月撮影)© 日刊スポーツ新聞社 渡辺裕之さん(21年8月撮影)
俳優・渡辺裕之さん死去 66歳 「リポビタンD」CMなど出演
毎日新聞 2022/05/05 14:07
俳優の渡辺裕之さん(66)が死去したことが5日判明した。所属事務所によると3日昼ごろ、自宅で亡くなったという。葬儀は密葬で営むという。
 渡辺さんは水戸市出身。1982年に映画「オン・ザ・ロード」でデビューした。「ファイト、一発!」のキャッチフレーズで知られる栄養ドリンク「リポビタンD」のCMにも出演した。
 妻で女優の原日出子さんの所属事務所は5日、公式サイトで「原日出子は呆然(ぼうぜん)自失としており、現在、皆様に何かお答えできる状況にございません。心の整理がつきましたところで、改めて皆様にコメントを出させて頂きます」としている。

​​​​急死の渡辺裕之さん 2005年には投資失敗で1億円以上の損害【当時の記事全文】デイリースポーツ 2022/05/05 13:21​
俳優の渡辺裕之さんが、今月3日に神奈川県内の自宅で亡くなっていたことが5日、明らかになった。66歳。自宅で縊死(いし)していた。家族に発見されたという。
 渡辺さんは05年8月に、投資運用会社への投資に失敗し、1億円以上の損害を受けたことが報じられた。1日に会見を開き、「社長にだまされたと思う」と話していた。

【以下、2005年8月2日のデイリースポーツより】

 俳優の渡辺裕之(49)が7月に破産した投資運用会社「ジェスティオン・プリヴェ・ジャポン」に約1億2000万円を投資、1億円以上の損害を受けていたことが1日、分かった。渡辺は横浜市内で会見し、一部週刊誌で報じられた同社の広告塔疑惑には「心外です」と否定した。
 同社は02年の設立以来、340億円以上を集め、約200億円が不明となっている。
 渡辺は昨年7月、知り合いのイベンターから同社・(記事は実名)社長を紹介され、3回に渡り、計1億2000万円を投資。6月に1億円の返却を求めようとしたが、連絡が取れなかった。その間、同社は7月20日に破産し、渡辺は「社長にだまされたと思う」と話した。
 渡辺は2月に同社が企画した「カリブ海クルーズツアー」に司会として参加。“広告塔”と騒がれたが、「仕事として行ったこと。ギャラ800万円も受け取っている」と説明した。
 渡辺の妻は女優の原日出子。「内証でやったことで仕方ないわねと、あきれられた。でも、きずなを確認した」と離婚の可能性は否定した。
★「日本いのちの電話」相談窓口★ 厚生労働省は悩みを抱えている人に対して相談窓口の利用を呼びかけている。
◆ナビダイヤル0570・783・556(午前10・00~午後10・00)◆フリーダイヤル0120・783・556(毎日:午後4・00~9・00、毎月10日:午前8・00~翌日午前8・00) ​​​
​​​​​​​​​​​​​​​


​​​ 急逝した渡辺裕之さんの意外な素顔「俳優オーラを消して振る舞っていたすごい人」 東スポWeb 2022/05/05 13:59 ​​
ベテラン俳優の渡辺裕之さんが3日、神奈川県横浜市の自宅で急逝していたことが5日分かった。享年66。所属事務所によると死因は「縊死」で、自宅地下のトレーニングルームで倒れていたと伝えられた。
 渡辺さんと言えば、栄養ドリンク剤「リポビタンD」のCMで有名。1980年代初めから10年間、実に130本のCMに出演した。
 2人のイケメン俳優が自然と対峙し、最後に「ファイト!一発!」と雄たけびを上げる、お決まりのストーリー。渡辺さんは勝野洋の相手役に起用され、その後は野村宏伸、倉田てつを、西村和彦とパートナーを替えた。色黒で精悍なルックスと鍛えられた体で、男女問わずファンを獲得。肉体派タレントの元祖と言えよう。
 90年代以降は、Vシネマのヤクザ映画の常連俳優としてならした。コワモテで凄みのある演技で「映像制作会社の会長にもかわいがられていて、会長の誕生会とかにも来ていた」とはVシネ関係者。ただ、そういうカメラが回っていない場では、意外な素顔を見せることが多かったようだ。
「何度か会ったけど、すごくおとなしくてあまりしゃべらない人。ヤクザ映画に出てる俳優って目立ちたがり屋が多いんだが、プライベートの席だと渡辺君は俳優オーラを消して振る舞っていたから、逆にすごい人だと思った」と同関係者は明かした。 ​​

渡辺裕之さん、自宅で死去…「ファイト一発!」のCMでも親しまれる
読売新聞 2022/05/05 15:56
俳優の渡辺裕之(わたなべ・ひろゆき)さんが亡くなったことが5日、わかった。所属事務所が「自宅で縊死(いし)致しました」と発表した。3日に家族が発見したという。66歳だった。葬儀は近親者で行う。
 水戸市出身。1982年の映画「オン・ザ・ロード」の主演に抜てきされ、本格的に俳優デビュー。硬派なヤクザ役を当たり役とする一方、フジテレビ系で86年に放送された「愛の嵐」を始めとする昼の帯ドラマで、男らしいイメージとは違った陰のある役柄を演じ、人気を集めた。また、「ファイト・一発!」のフレーズで有名な栄養ドリンクのCMでも親しまれた。
 妻は女優の原日出子さん。
 不安や悩みの相談は、こころの健康相談統一ダイヤル(0570・064・556)へ。 ​​​​​​​

​​​​ ゴルフを愛し妻を愛した渡辺裕之さん死去 4年半の交際実らせ94年にゴールイン  2022/05/06 04:00 サンスポ

© サンケイスポーツ 婚約会見で幸せそうな笑みを浮かべる渡辺さんと原(1993年撮影)
3日に急死した俳優、渡辺裕之さん(享年66)は家族思いで知られた。1994年に結婚した妻で女優、原日出子(62)や3人の子供たちとの時間を大切にし、その様子をインスタグラムでも報告。思い出の詰まった自宅でなぜ―。渡辺さんに何が起きたのか。
 実直な人柄で家族を大事にすることでも知られた渡辺さん。原とはドラマで共演し、4年半の交際を実らせ1994年にゴールインした。
 原は1度結婚に失敗し慎重になっていたが、渡辺さんは前夫との間に生まれた長女(38)にロケ先から欠かさず電話したり、海外土産でペンダントをプレゼントするなど交際中から実の娘のように愛情を注ぎ、原に結婚を決断させたという。米ハワイで挙式した際も長女を同伴した。
 当時挙式を取材した芸能リポーター、城下尊之氏は「夜のデートシーンをお願いしたら快く応じてくれて、すごく優しくて真面目な方でした。原さんも隣でうれしそうでしたね」と振り返る。
 夫妻の間には次女(28)と長男(25)に恵まれ、渡辺さんと同じ芸能界へ進んだ。長女は結婚し、孫も誕生した。原は2020年の本紙インタビューで夫婦円満の秘訣について、「『違う』ことを尊重すること。よく価値観の違いで離婚するけど、最初から全て一緒なわけがない。違った形の2人が人生をともに転がり歩んで、同じように丸くなる」と明かしていた。
 05年に破綻した資産運用コンサルタント会社から原に内緒で総額1億2000万円の詐欺被害に遭ったことが発覚した際には夫婦で乗り越えた。ある関係者は「現在は負債を抱えていなかったと聞く」と証言する。渡辺さんは仕事に貪欲で、オファーは可能な限り引き受けていたという。
 俳優のみならず、ドラムやゴルフはプロ顔負けの腕前を持ち、昨年の日本テレビ系「24時間テレビ」ではドラム演奏を披露。歌手のMISIAと共演した。また、15年前からジョギングを兼ねてのごみ拾いを朝の日課にし、ボランティア活動にも力を入れていた。
公私ともに順風満帆と思われていた中での急逝は謎を残した。
★悩み相談窓口
厚労省は、生きることに悩んでいる人々に、電話などで相談してほしいと呼びかけている。HPで紹介している主な電話相談窓口は次の通り。SNSの窓口の紹介とQRコードも表示している。
▽いのちの電話
(0570)783556(午前10時~午後10時)
(0120)783556(午後4~9時、毎月10日は午前8時~翌日午前8時)
▽こころの健康相談統一ダイヤル
(0570)064556 対応の曜日・時間は自治体により異なる ​​

渡辺裕之「コロナ首吊り自死」前の奇行証言!「撮影現場で『物がなくなった』と妙なことを…」
アサ芸プラス / 2022年5月6日 11時50分
 俳優の渡辺裕之さんが5月3日昼頃、横浜市内の自宅地下のトレーニングルームで首を吊って自殺していたことがわかった。所属事務所が5月5日、「自宅で縊死致しました」と発表した。享年66。
 渡辺さんは今年に入ってテレビ朝日系の連続ドラマ「もしも、イケメンだけの高校があったら」に出演、映画は1月公開の「ポプラン」や3月公開の「永遠の1分。」などに出演していた。秋には公開予定の映画も控えていた。
 当時の状況ははっきりしないが、渡辺さんはコロナ禍になってから、仕事が途切れないながらも環境の変化になじめない面があったようで、塞ぎ込みがちだったという。芸能プロ幹部が明かす。
「コロナ禍で神経質になり、同時に世の中を悲観しがちに…。そのうち、半ばノイローゼのような状態に陥っていたようです。撮影現場で『(自分が持ってきた)物がなくなった』などと、妙なことを言い出したこともあったとか。周囲のスタッフらの目には、一種の奇行にも映ったようです」(芸能プロ幹部)
 渡辺さんは拓殖大を卒業後、独ルフトハンザ航空のアルバイトなどを経てCM出演して芸能活動をスタートさせた。
 日焼けしたほりの深い顔立ちで出演して話題になった大正製薬「リポビタンD」のCM「ファイト!」「イッパーツ!」のキャッチフレーズで一躍人気を獲得し、映画「オン・ザ・ロード」の白バイ警官役で俳優デビュー。その後は端正な二枚目俳優として数々のドラマや映画に出演した。
 私生活では94年に女優の原日出子と結婚。原は再婚。渡辺さんは原の連れ子の長女、原との間にできた2人の子供と、長女の子供3人も孫のようにかわいがり、温かい家族を築いていた。
 そんな名優の、突然の死。コロナで将来に不安を感じての自殺だとしたら、いたたまれない。 ​​​​​

渡辺裕之さん急死 歌手の次女にも知らせず公演 MISIAが涙で明かす
デイリースポーツ 2022/05/07 19:54
歌手のMISIAが6日、ニッポン放送「MISIAのオールナイトニッポンGOLD」に出演。3日に急死した俳優・渡辺裕之さんを涙で追悼した。渡辺さんは、昨年の日本テレビ系「24時間テレビ」でMISIAが歌ったチャリティーソング「歌を歌おう」でドラムを担当。公私にわたり数年間の交流があったという。
 渡辺さんの次女でボーカリストの渡辺磨裕美は、MISIAのバンドでコーラスを担当。4月30日、5月1日、3日、4日に山梨・河口湖ステラシアターで開催したライブ「MISIA CANDLE NIGHT」にも参加していた。
 番組冒頭、「今日は最初にお話ししたいことがあります。5月3日、俳優の渡辺裕之さんがお亡くなりになられました。心よりお悔やみを申し上げます。渡辺さんとは数年前に初めてお会いしたんですけれども、お食事をご一緒したこともありますし、音楽が大好きな方で、ライブにもよく来ていただいていて」と公私ともに数年来の交流があったことを震える声で説明。
 「お亡くなりになられた5月3日は、ライブ中ということで。磨裕美ちゃんにも、私たちにも、渡辺裕之さんがお亡くなりになったということは…(涙声)、知らされていなくて…(涙)、ライブが終わってから知ることとなりました…」とライブ中だったため、娘にも父の死が伝えられていなかったことを明かし、「ちょっとしばらく理解ができないというか…、信じられない気持ちだったんですけれども、ご家族のことを思うと、胸が苦しいです」と嗚咽しながら言葉をつむいだ。
 そして「会えていないけど、磨裕美ちゃんを、今すぐね、抱きしめにいきたい…」と涙で声を震わせた。
 10分近くに及んだ追悼の思い。「渡辺裕之さんのやすらかな眠りを心からお祈りしております。いつも優しく声をかけてくださり、気に掛けてくださり、一緒の時間を過ごしてくださり、ありがとうございました」と話し、「悲しみの中にいる人とも、みんなと力をあわせて、歌を奏でて…、前に向けて進んでいけたらと思います。あなたに届くように歌っていこうと思います」と、磨裕美もコーラスで参加した「歌を歌おう」の24時間テレビバージョンを流し、追悼した。
 渡辺さんの「縊死(いし)」が公表されたのは5日だった。 ​​​​​​


2 022.05.09 11:00  女性セブン
苦悩を抱えていた渡辺裕之さん 
老化で感じる肉体の衰えによる「喪失体験」か

 5月3日、俳優の渡辺裕之さん(享年66)が急逝した。死因は「縊死」。常に溌剌とした印象の渡辺さんだったが、深刻な悩みを抱えていたという。
「実際にはこの2年ほど元気がなく、顔色も冴えませんでした。コロナ禍だけが理由ではないですが、以前のように仕事が入らず、思い悩んでいたようです。先のことを考えると不安になり、食事も満足に喉を通らないようでした。それでも、人前に出るときには周囲が期待するエネルギッシュな姿を見せたいと責任感を抱き、それが余計な負担になっていたのかもしれません」(テレビ局関係者)
 今年3月に開催されたジャズライブでは、演奏前に「どうしても自信がもてない」と震える姿をライブ関係者に目撃されている。
「老年性うつ」を引き起こす喪失体験
 なかなか心が前向きにならない。思ったように体が動かない──こうした「理想と現実のギャップ」は多くの人を苦しめる。
「渡辺さんは、自分に求められる役割を充分理解していました。60才を過ぎてもトレーニングに精を出していたのは、“ファイト一発”のイメージで語られることが多いとわかっていたんでしょう。ですが、筋肉や関節などの痛みが常態化していて、トレーニングが満足にできず、肉体の衰えを感じていたようです。ものすごくストイックで自分に厳しく、繊細なかたなので、自分を追い込んでしまっていたのかもしれません」(芸能関係者)


 精神科医の片田珠美さんが解説する。
「渡辺さんは、『老年性うつ』の1つである初期老うつ病だった可能性が高いと思います。初期老うつ病は、本人が『大切なものを失った』と感じ、『自分はもうダメだ』と思い詰めるような“喪失体験”が契機になることが多い。たとえば、仕事が減ったり、うまくいかなくなったりして被る経済的な損失や、そのせいで愛する妻や家族を養うという自分が果たすべき責任を果たせなくなり、自分の存在意義がなくなったと感じることなどです。
 また、以前のように肉体をうまく動かせなくなったと実感する場合も、喪失と受け止められやすい」(片田さん・以下同)
渡辺さんは、ゴルフを筆頭にマリンスポーツやウインタースポーツ、音楽など趣味も多く、どれもかなりの腕前だったという。

「こだわりが強く完璧主義の人は、常に100点、常にいちばんじゃないと気が済まないわけです。ですが老化と同時に脳も肉体も衰えます。当然、いつかは100点満点にできなくなりますし、いちばんでいられなくなる。それが本人には“喪失体験”になる」
 こうした例は、渡辺さんに限った話ではない。一般の人にも言える。
「肉体も体力も年齢とともに衰えますから、いつまでも筋骨隆々というわけにはいきません。体形も変わってきます。それに伴い、気力ももちろん低下します。むしろ、老年期を迎える前までアクティブで活動的だった人ほど、そのギャップは大きくなってしまいます」
 それはまるで、定年を迎えたサラリーマンが、長い老後を目の前にして、生きる目的や、自分の居場所を見失ってしまうことに似ているのかもしれない。渡辺さんのご冥福をお祈りしたい。
【相談窓口】
「日本いのちの電話」
ナビダイヤル0570-783-556(午前10時~午後10時)
フリーダイヤル0120-783-556(毎日午後4時~午後9時、毎月10日午前8時~翌日午前8時)
「日本いのちの電話連盟」
https://www.inochinodenwa.org/
※女性セブン2022年5月26日号

仕事への不安抱えた渡辺裕之さん 撮影現場から妻に2時間電話することも
NEWSポストセブン / 2022年5月9日 6時15分
あまりに突然のことだった。愛妻家で、家族思いで、周囲から慕われた渡辺裕之さん(享年66)がこの世を去った。悲しみ以上に残ったのは、なぜ渡辺さんがその“選択”をしたのかという疑問──その陰には、いつもエネルギッシュな人だからこそ陥る落とし穴があったのかもしれない。
 神奈川・横浜市内の静かな住宅街に、あたたかみのあるオレンジ色の外壁が印象的な、豪華な邸宅がある。軒下には電飾が施され、門に掛けられた「こども一一〇番のいえ」の札からは、この家の住人の人柄が伝わってくる。その玄関にうつむきかげんの弔問客が吸い込まれていく──ここは、5月3日に急逝した渡辺裕之さんの自宅だ。25年以上連れ添った夫の突然の死に、妻の原日出子(62才)は憔悴しきった様子だという。
 死因は「縊死」。聞き慣れないこの言葉は、一般的には「首を吊って亡くなること」を意味する。いつもエネルギッシュで、芸能界のみならず、近隣住民からも慕われていた渡辺さんは、周囲に悩みを吐露したり、弱みを見せることが極端に少ない性格だったという。だが、親交の深い関係者は最近、渡辺さんの異様な言葉を耳にしていた。
「アイツに金を取られた。オレは狙われているんだ」──。
エネルギッシュな姿を見せたいというプレッシャー
 渡辺さんは、自宅の地下室で心肺停止の状態で倒れていた。見つけたのは原だった。
「この日はゴールデンウイーク中ということもあり、渡辺さんも原さんもオフでした。原さんが昼食の準備を終え、地下室にいる渡辺さんを呼びに行って発見したそうです」(芸能関係者)
 その地下室は、何事にもアクティブだった渡辺さんのすべてが詰まった場所だった。筋骨隆々とした肉体の維持のために欠かせないさまざまなトレーニング器具に日焼けマシン、ジャグジー、音楽好きの渡辺さんらしくカラオケやドラムセットもあり、ゴルフクラブやワイン、ラジコンなど、多趣味で知られる渡辺さんのコレクションがずらりと並べられていた。
 渡辺さんのインスタグラムを見ると、つい最近まで笑顔の写真がアップされている。だが、その様子とは裏腹に、近年は深刻な悩みを抱えていたようだ。
「実際にはこの2年ほど元気がなく、顔色も冴えませんでした。コロナ禍だけが理由ではないですが、以前のように仕事が入らず、思い悩んでいたようです。先のことを考えると不安になり、食事も満足に喉を通らないようでした。それでも、人前に出るときには周囲が期待するエネルギッシュな姿を見せたいと責任感を抱き、それが余計な負担になっていたのかもしれません」(テレビ局関係者)
渡辺さんと原が結婚したのは1994年。4年以上の交際期間を経てのゴールインだった。
「原さんには離婚歴があり、前夫との間に当時10才の長女がいました。渡辺さんはその長女が“新しい父”を受け入れられるようになるまで、しっかりと時間をかけて関係を築いていきました」(別の芸能関係者)
 原との間には、その長女に加えて1男1女をもうけた。2001年には「パートナー・オブ・ザ・イヤー」を受賞するほど、芸能界きってのおしどり夫婦だった。自宅の近隣住民が明かす。
「夫婦揃って散歩に出かけたり、買い物をしている姿をよく見かけました。ご家族思いで、自宅で開いたバーベキューに招待していただいたこともあります。芸能人らしくないというか、どんな人にも敬語で丁寧に接し、優しかったことを覚えています。近所の若い人からは『隊長』という愛称で親しまれていました。ジョギングするときには必ずビニール袋を握りしめていて、ゴミを拾いながら走っていたことが印象的でした」
「ファイト一発!」のイメージが強すぎる
 渡辺さんといえば、1982年から10年以上にわたって出演したリポビタンDのCMのイメージが強い。
「ファイト一発!」
 そう叫んでポーズを決めるさまは、まさに絵になった。だが、渡辺さんを芸能界の高みに押し上げたその名台詞は、一方で渡辺さんを苦しめていたのかもしれない。
 渡辺さんは1955年、茨城県水戸市内で写真館を営む家庭に生まれた。小学生の頃から映画スターに憧れ、中学時代はバンド活動に熱中。二枚目のルックスで、もちろん地元では有名人。東京の大学を卒業後もバンド活動を続け、世に出るチャンスをうかがっていた。一度は家業を継ぐことも考えたが、大学時代のアルバイトのつてでモデルのマネジャーとして働きながら、自分自身の売り込みも続けた。
 そうした地道な活動が実り、1980年に飲料のコマーシャルに出演。1982年に映画の主演に抜擢され、同年から、前述したリポビタンDのCMへの出演が始まった。その後は俳優業だけでなく映画の吹き替えやゴルフ番組への出演など、活躍の幅を大きく広げた。
 端正な顔立ちと鍛え上げた肉体を武器に、1980年代には高木美保(59才)とのコンビが話題を呼んだ『嵐シリーズ』(フジテレビ系)などで主演を張った。2000年頃以降は、特撮映画や任侠もののVシネマなどでの活躍が目立った。
「現実には、渡辺さんのようにハンサムでスタイルのいい男性はなかなかいませんから、役も限られてしまうんです。恵まれすぎたルックスゆえに、ずっとジレンマを抱えていたようでした」(前出・テレビ局関係者)
プライベートでは金銭トラブルに見舞われたこともある。2005年、富裕層を中心に高利回りを謳っていた投資運用会社が突如、破綻。渡辺さんは約1億2000万円もの大金を投資していた。
「返ってきたのは900万円ほどで、1億円以上が溶けてしまったことになります。投資は原さんには内緒で行っていたようで、結果として大金を失い、家族をも裏切ることになってしまった」(前出・芸能関係者)
 俳優という不安定な職業柄、将来のお金に大きな心配を抱えていたのが、投資に手を出した理由だったという。
 一方、妻の原は1981年のNHK連続テレビ小説『本日も晴天なり』のヒロインとしてブレークし、以降もコンスタントに映画やドラマへの出演を続けた。結婚後の1996年に映画『Shall We ダンス?』で主演の役所広司の妻役を演じ、最近では、2019年の朝ドラ『なつぞら』でヒロインの妹の養母、昨年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』では徳川慶喜の母という重要な役を演じた。
 年齢相応の女性役でオールラウンドに活躍する原と、先行するイメージが強すぎるがために、特定ジャンルの役柄の色が濃くなっていた渡辺さん──2009年の短編映画や、今年1月公開の映画『ポプラン』での共演はあったが、仲のよい夫婦でありながらも、仕事の足並みはいつしか揃わなくなっていた。
「特にコロナ禍以降、渡辺さんの仕事のペースは以前に増してゆっくりになりました。ドラマのオファーがあっても、1クール出続けるレギュラーではなく、1話のみのゲスト出演のような形が多かった。渡辺さんはそれを気にしていたようです。原さんとの差異を重圧に感じる、何とかしたいと吐露することもありました」(別のテレビ局関係者)
 そうした変化に敏感に気づいていたのが原だった。一緒にいるときもそうでないときも、不安に苛まれる渡辺さんを気遣っていた。
「今年に入り、渡辺さんは京都でのドラマ撮影に臨んでいました。夜遅くまでかかる日もあって、少しつらそうにすることもありました。渡辺さんは、仕事の合間にしょっちゅう原さんに電話をかけていましたね。1時間、2時間になることもザラでした。
 特に何か用事があるというわけではなく、原さんの声を聞くことで心の落ち着きを取り戻そうとしていたようです。原さんも、渡辺さんをなんとか元気づけようと、電話口で明るく接しているようでした。本当に良妻です」(ドラマ関係者)
 しかし、渡辺さんの気持ちは乱高下した。今年3月に逗子市内で開催されたジャズライブの際には、次のようなこともあった。
「プロ級の腕前のはずなのに、演奏前に“どうしても自信がもてない”と震えていたんです」(ライブ関係者)
 時には耳を疑う発言もあったという。
「話が支離滅裂になることがありました。個人事務所の経営者として資金繰りにも悩んでいたようで“だれそれに金を取られた”“オレは狙われている”と口にすることもあったのです。これには原さんも困惑して、病院に行くことを考えていたそうです」(前出・テレビ局関係者)
夫の不調に相対していた原もまた、かつては精神的なゆらぎに悩まされた時期がある。
「いまから20年ほど前、原さんが45才になった頃です。倦怠感に襲われ、更年期障害との闘いが始まりました。もともと貧血気味の原さんは症状が重く、手足の冷えや発汗が続き、大変な思いをした」(前出・別の芸能関係者)
 そうしたとき、原を支えたのが渡辺さんだった。
「泣きながら不調を訴える原さんに戸惑いながらも、慣れない家事を代わってするなど、辛抱強くサポートを続けたんです。体調が戻ってからは、原さんはことあるごとに渡辺さんへの感謝を口にしていました」(前出・別の芸能関係者)
 心身をコントロールできない経験をした原は、ふさぎ込みがちな渡辺さんの気持ちが痛いほどわかっていたに違いない。だからこそ、何時間でも電話につきあい、渡辺さんの不安を受け止め続けたという。
 あれだけ元気いっぱいだった渡辺さんが、もうこの世にいないことが信じられない。心からご冥福をお祈りしたい。
【相談窓口】
「日本いのちの電話」
ナビダイヤル0570-783-556(午前10時~午後10時)
フリーダイヤル0120-783-556(毎日午後4時~午後9時、毎月10日午前8時~翌日午前8時)
「日本いのちの電話連盟」
https://www.inochinodenwa.org/
※女性セブン2022年5月26日号
​​​​

原日出子、急死した夫・渡辺裕之さんが自律神経失調症だったと明かす
「お薬を服用していました」
報知新聞社 2022/05/10 18:57
3日に急死した俳優の渡辺裕之さん(享年66)の妻で、女優の原日出子が10日、所属事務所の公式ホームページにコメントを発表した。この日、渡辺さんの葬儀・告別式が10日、横浜市内でしめやかに営まれた。原が喪主をつとめた。
 渡辺さんが他界してから初めてのコメント。原は「急すぎる別れから一週間、とても心の整理も出来ませんし、語る言葉も見つかりません。『何故…』は、きっと誰にもわからないと思います」と吐露した。
 渡辺さんの近況については「コロナの最初の自粛の頃から、人一倍家族思いで心配性な夫は、先行きの不安を口に出すようになり、考え込むことが多くなりました。何事にもストイックで、一生懸命で、手を抜くことをしない人でした。『眠れない』と体調の変化を訴えるようになり、自律神経失調症と診断され、一時はお薬を服用していました」と明かした。
 一時は渡辺さんの体調も良くなったようだが、「少しずつじわじわと、心の病は夫を蝕(むしば)み、大きな不安から抜け出せなくなりました。医師にも相談し、希望の持てる治療を始めた矢先の、突然の出来事でした。亡くなる前日は、楽しみにしていたゴルフ番組の収録に向けて、久しぶりに元気に動き回り準備をしていました。治療の甲斐もあったのかと安堵(あんど)していたところでした。この数ケ月、私も、家族も、懸命に向き合った毎日でした。でも、今は何を思っても、言い訳になってしまいそうで、後悔を数えたらきりがありません。渡辺にも、彼を大好きだった方達にも、申し訳ない気持ちでいっぱいです。今は全ての苦しみから解放され、自由になれたのだろうと信じたいです。渡辺は、信じられないほど綺麗(きれい)で、安らかな顔で旅立ちました。それだけが、私たちの救いです」と悲しみをつづった。
 所属事務所は「本日、故渡辺裕之氏の近親者による密葬を終え、荼毘(だび)にふされました事をご報告申し上げます。原日出子より一文を預かりましたので、掲載させていただきます。原日出子とご家族のこれからをそっと見守っていただけますよう切にお願い申し上げます」とした。  
◆厚生労働省のホームページで紹介している主な悩み相談窓口
 ▼いのちの電話 0570・783・556(午前10時~午後10時)、0120・783・556(午後4時~同9時、毎月10日は午前8時~翌日午前8時)
 ▼こころの健康相談統一ダイヤル 0570・064・556(対応の曜日・時間は都道府県により異なる)
 ▼よりそいホットライン 0120・279・338(24時間対応) 岩手、宮城、福島各県からは0120・279・226(24時間対応)
​​​​​​





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2022/05/11 12:34:04 AM
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: