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2022/10/01
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近年の容態を見て何時かは此の日が
来るなと思っていた。
謹んでご冥福をお祈りいたします。

今年は好きな人達が亡くなる年だ。
​前日の三遊亭円楽、そして武村正義の死も吹っ飛んだな。 ​​


アントニオ猪木さん 自宅で死去 79歳 燃える闘魂 プロレス黄金期けん引
スポーツニッポン新聞社 2022/10/01 09:13
元プロレスラーで、参議院議員を2期務めたアントニオ猪木(アントニオいのき、本名・猪木寛至=いのき・かんじ)さんが1日、自宅で死去した。79歳だった。横浜市出身。難病「全身性アミロイドーシス」で闘病中だった。
 2、3日前から低血糖で体調を崩し、自宅での療養生活が続いていた。前日持ち直したが、この日の朝、状態が悪化し自宅で息を引き取った。
 1943年(昭和18年)生まれ。5歳で父親を亡くし、13歳で家族とともにブラジルへ渡り、コーヒー農場などで働く。現地の陸上競技大会の砲丸投げで優勝した際、ブラジル遠征中だった故力道山さんにスカウトされプロレスの道へ。日本プロレス入りし。60年9月30日、プロ野球からプロレスに転向した故ジャイアント馬場さんと同日デビューを果たし、62年からリングネーム「アントニオ猪木」を名乗る。
 米国への武者修行、日本プロレスからの離脱、復帰、追放を経て、71年に女優の倍賞美津子と結婚(後に離婚)。72年に新日本プロレスを立ち上げ、その後プロレス全盛時代を築いた。76年6月のボクシング、世界ヘビー級王者・モハメド・アリとの「異種格闘技戦」は注目を浴び、世界中にテレビ中継された。
 政治家としては89年に「スポーツ平和党」を立ち上げ、「国会に卍固め」、「消費税に延髄斬り」をキャッチフレーズに同年の第15回参議院選挙に比例区から出馬し初当選。史上初のレスラー出身の国会議員となった。

「空手最強」「プロレスなんて」極真と猪木さんは数々の因縁が…訃報を聞いたときはただただ絶句した…山崎照朝さん猪木さんを悼む
2022/10/01 16:21 中日スポーツ
アントニオ猪木さんが1日に79歳で死去したことを受け、猪木さんが旗揚げした新日本プロレスリングは同日、公式サイトを更新。猪木さんの訃報を伝えるとともに、「アントニオ猪木さんのご冥福を心からお祈りいたします」と追悼した。
 公式サイトのニューストピックスに「【訃報】新日本プロレスの創設者・アントニオ猪木さんが逝去」を掲載。「新日本プロレスの創設者であり、元プロレスラーのアントニオ猪木さん(本名・猪木寛至さん)が10月1日、都内で死去されました。猪木さんは、数万人に一人の難病と言われる『全身性トランスサイレチンアミロイドーシス』で闘病中でした。享年79歳」と伝えた。
 猪木さんが13歳で家族とブラジルに移住し、力道山さんにスカウトされデビューしたことにふれ、「日本プロレスとの確執から追放を経て、1972年1月には新日本プロレスを創設し、3月6日に大田区総合体育館で旗揚げ戦を開催」「生涯のライバル、ジャイアント馬場さんの全日本プロレスに対抗して、ストロングスタイルを標榜する過激なプロレスを推し進め、“燃える闘魂”をキャッチフレーズに数々の名勝負を展開。日本中にプロレスブームを巻き起こしました」と、“アントン”の歴史を回想。
 76年6月26日に日本武道館で行った、ボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリとの“世紀の一戦”や、89年に政界にも進出して史上初のレスラー出身の国会議員となった功績もたたえた。
 さらに、「2022年1月4日東京ドーム大会のオープニングでは、場内ヴィジョンにVTRのかたちでご登場頂き、新日本プロレス旗揚げ50周年にメッセージを送っていただきました」とし、「アントニオ猪木さんのご冥福を心からお祈りいたします」と偉大なスターの死をしのんだ。


​WWE Hall of Famer Antonio Inoki passes away ​​
WWE is saddened to learn of the passing of WWE Hall of Famer Antonio Inoki.
One of the key figures in the history of Japanese wrestling, Antonio Inoki was among the most respected men in sports-entertainment and a bona fide legend in his homeland.
Born in Yokohama, Japan in 1943, Inoki grew into a natural in-ring competitor. The incredible squared circle figure found his greatest success in New Japan Pro Wrestling, a promotion he founded in 1972. Over the course of the next two decades, Inoki built NJPW into the most successful wrestling company in Asia. Utilizing talented Japanese competitors like Tatsumi Fujinami and Riki Choshu, innovative high-flyers like Tiger Mask and Dynamite Kid and American Superstars like Bob Backlund and Vader, the young promoter created a product that was unique, influential and far ahead of its time. In addition to running the company, Inoki himself was one of the top stars in NJPW, carrying the championship and battling the likes of Stan Hansen, Tiger Jeet Singh and Hulk Hogan.

In his most-famous match, Inoki fought boxing legend Muhammad Ali in a rare wrestler vs. boxer match in June 26, 1976 – a contest that paved the way for the advent of Mixed Martial Arts, which would explode in popularity decades later. The bout also exemplified Inoki's undying love and respect for professional wrestling. This passion for competition earned him the nickname "Moeru Toukon" amongst his peers, which translates to "The fighting spirit that burns."

Inoki was also a tremendous ambassador for professional wrestling, bringing major events to places like Russia and China. And in 2010, WWE did the same by welcoming Antonio Inoki into the WWE Hall of Fame Class.

WWE offers it’s heartfelt condolences to the family, friends and fans of the squared circle legend and the wrestling world as a whole.

Published on September 30, 2022
WWE Hall of Famer Antonio Inoki passes away WWE.com Staff

アントニオ猪木さんの“最期の言葉”公開 期待の声は「敵」も「敵がいる限り、いいじゃない」 スポーツニッポン新聞社 2022/10/01 18:55
1日に心不全のため死去した元プロレスラーのアントニオ猪木さん(享年79)のYouTubeチャンネル、アントニオ猪木「最後の闘魂」が同日、更新された。「最期の言葉」と題した動画は今年9月21日に撮影されたもの。撮影した映像クリエイターの坂田栄治氏によれば、「おそらくここで喋った言葉がファンの皆さんへ向けた最後の言葉」(坂田氏ツイッターより)という。動画内の主な一問一答は以下の通り。

 ――すごいいい部屋に住まれている。景色めちゃくちゃいいですね

 「景色がいいじゃね、生きていけねぇよ」

 ――YouTubeを一生懸命やりたい理由は

 「別にやりたくないよ。やりたくないけどみんな、やればいいじゃんて。欲も何もまったくないんだから、俺。欲がないというのは何の欲もない。金銭欲なのか女なのかいろいろ。生きていること自体が何であるか」

 ――今、どんな毎日を送っているか

 「毎日毎日、この3年近く天井を見上げて話し相手もいない。天井に数あれど、あれを全部数えていて。(木目を数えている?)そのくらいやることもあるようでない。だいたい、見せたくないでしょ、こんなザマを。みんなに見せたくないでしょ、普通は。こういう状況が分かってて、みんなに見てもらって弱い俺を。しようがないじゃん」

 ――Youtubeチャンネルを見た人がたくさんコメントを書いてくれている、猪木さんの姿を見て勇気をもらっている

 「そういうファンもいることを、自分はしっかり分かっていなきゃいけないのかなと思います」

 ――別室で撮影する予定だったが、猪木さんが「ありのままの自分を見てほしいのかな」とここで撮りたいという話を聞いた

 「見てほしいというと、どうもちょっと抵抗がある。誰にも見てもらいたくないよ」

 「舌も回らなくて言葉も…寝ていても舌を動かす練習をしている。もう1つの口の食べる方、こっちがやっぱり胃が小さくなって。おいしいものは本当に全国から初めて取れた何々、珍しい何々、送ってくる。そういうのはね、手をつけないと悪いから。だけど、晩飯は1人で食べるのが一番つらい。(今は誰と食べている?)いないね。たまにいるけど、みんなも忙しい」

 ――今やりたいことは

 「もっともっと世界の環境問題。山ほどあるけど、今手近にやれること、それは世界のゴミを消していくこと。これだけ汚してしまった地球をね、自分たちの手でもう1回きれいに掃除をすべきだと。さらには、世界に向けて猪木しかできないこと『どうだーー』と大きな声が出せる日がもう、すぐそこに来ています。もう俺も80だから、もうそろそろ猪木さん楽にしてくださいと言う人は誰もいないんだよ」

 ――まだまだ猪木さんに先頭を走って欲しいです

 「この声が一番、俺の敵なの。でも、敵がいる限り、いいじゃないですか」
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最終更新日  2022/10/03 02:57:34 AM
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