第六章~Solitude



 カディールとスニータの出会いは今から20年前、当時25歳だったカディールが新米のサリエスとしてマグオーリ総督府の事務官に就任したばかりの頃のことです。

 スニータは鉱山の町クリオに程近いシムカの村から、人身売買同然でイエルカにあるカディールの実家に奉公に来ていました。先王の時代までイエルカの首都にネグリトやダスユが入ることは、奴隷として使役される者以外決して許されませんでした。

 イエルカの都市構造は城塞部と第1市街、第2市街からなり、王宮やサリエスの公館、天文台、元老院議事堂、神官養成アカデミーなどが城塞内部にあり、いずれも外装に窯焼きレンガ・内装に無垢の木材をふんだんに使った堅牢な造りです。

 城塞のすぐ外側には堀が巡らせてあって、東・西・南に大門があり1本ずつ、計3本の跳ね上げ式の橋が架かっています。

 堀の外側には王府に勤める高級官僚や元老院の閣僚達が住む贅を尽くした超高級住宅街があります。ここを第1市街陽光台と言います。

 そこから大通りを隔てて一段下がった所に中堅公務員・貿易商などの大富豪達の様な中流有産階級の高級住宅街が(ラーズの里親であるピロテーサの家もここに)あります。

 ここにある家の全てが中庭付き、窯焼きレンガの外装と、柱に無垢の木材を使い、標高差を利用した上下水道、水洗用の井戸がついたトイレ、沐浴用の小さな井戸がついた浴室完備の高級住宅です。ここを第1市街月光台と言います。

 さらに一段下がって一般公務員や宝飾品の仲買人達が住む準高級住宅街があり、第一貯水槽が囲んでいます。ここを第1市街明星台と言います。

 そして第1貯水槽の外側には問屋街、商店や工房、飲食街などがあり、それらの業種に従事する人達の住宅がある第2市街があって、第一市街に住む人達からは右側が衆星台、左側が群星台と呼ばれており周囲を第二貯水槽が囲んでいます

 第2市街の生活水準はほぼ平等で、貧富の差はそれほどありません。 

 第2市街にも第1市街との標高差を利用した上水道、共同浄化槽を使った簡易水洗トイレなどの汚水処理施設が完備しており、共同の大沐浴場がありました。

 イエルカの住宅は、強い日差しを避けるために、大通りに面した表側を厚い壁で覆い、小路や中庭に面した家の裏側に明かり取りの小窓を設けていました。

 また、第1市街にも第2市街にも各家毎にダストシュートが設けられており、
衛生局の職員が定期的に回収に歩くなど、衛生管理も徹底していました。

 市街地を囲む貯水槽はいずれも高さ10m・奥行き25m、幅が第1貯水槽で東西600m・南北1km、第2貯水槽では東西1・2km・南北2kmもあって、規格統一された石材を積み上げたり、敷き詰めた上に天然アスファルトを塗って防水加工し、乾季の耕作ために雨水を蓄えたり、天然のクーラーに利用したり、外敵の侵入を防ぐ城壁としても役立っていました。

 市街地への入り口は東・西・南・北4カ所の門のみで、貯水槽の下をくぐるようになっていて、いざという時には入り口の天井を破壊して敵を水攻めにする備えになっていました。

 山間の小さな村で、竪穴式住居に住んでいたスニータは、生まれて初めて目の当たりにした大都会に度肝を抜かれていました。まして陽光台の超高級住宅街たるや、どの家も、村の集会所より大きいのです。

 箒やちり取り同様に、道具としてこき使われる毎日が続き、食べるものはペットの犬さえ食べない様な余り物でした。当然、故郷の家族が恋しくなって、寂しくて眠れない夜もありました。

 31にもなって、しかも1児の父なのに自立できていないロンパリでフグの様な風貌で、仲間内では「くそバン」と陰口を叩かれているバンディから、毎日繰り返されるセクハラにもうんざりしていました。

 唯一の救いは、滅多に帰っては来ませんが、凛々しくて心優しいカディールの存在でした。

 スニータはいつしかカディールに心惹かれる様になっていました。

 それから数ヶ月後のある日の夕刻、カディールがマグオーリ総督府での執務を終えて宿舎に帰る途中、幽霊の様に青白い顔で力無くふらふらと道の反対側を歩くネグリトの少女とすれ違いました。

カディール:(何だ?ウチで奉公してるスニータにそっくりだな~。でもあの
      娘はイエルカにいるはずだし・・・他人の空似かな?)

 そう思って通り過ぎようとしたのですが、何やらただならぬ様子に振り返ると、少女はホー川に架かる橋の欄干を乗り越えようとしていました。

カディール:わ~っ!早まるな~!

大柄なカディールがひょいっと抱き抱えると、少女は「カディール様~~~~!!」と絞り出す様な声で呟き、カディールの腕の中で泣き出しました。

カディール:やっぱりスニータか。どうして君がここに?何であんなことを?
      ウチで何があった?

 スニータは嗚咽しながら、「イエルカで中年男に乱暴された。(カディールを傷つけまいとバンディに乱暴されたことと、「カディールが待ってる。逢わせてやるからついてこい」と言われ、第2市街の空き家に連れ込まれて乱暴されたことは伏せていました)、子供を身ごもってしまったためにカディールの実家から暇を出されてしまった。口減らしのために金で売られて来たので、故郷の村も、養う口が2つ増えるといって追い返されるに違いないから帰れない。これから子供を抱えてどうやって生きて行ったらいいかを考えたら、もうお腹の子を道連れに死ぬしかないと思った」と言いました。

 でもその前に一目カディールに逢ってから死にたいと思ってここを死に場所に選んだことは黙っていました。

 カディールも、スニータのことは憎からず思っていました。ボロ雑巾の様にこき使われて、死んだように眠っている寝顔を見た時、いつか人権が認められる様にしてあげたいと思っていました。
 目の前で、孤独と悲しみと絶望に潰されそうになっている姿を見て、もう放っておけなくなりました。

 ただ、14歳のスニータを妻として娶る訳にもいきませんので宿舎の近くに家を借りて、4年間匿い続け、スニータが18歳になった時、3歳のカダージを連れて結婚の許しを得るためにイエルカの実家に向かいました。

 父、ラグズの怒るまいことか。結局玄関先にも姿を現すことなく、執事を通じて「もう親でもなければ子でもない。マグオーリの事務官も解雇する。明日からはユートム島の遺跡で土器でも掘っておれ」と通告して来ました。

 その時から、カディールの出世の道は閉ざされました。
 でも、それとは引き替えにスニータやカダージと一緒に暮らせる自由を手に入れました。

 シジムの浜に程近い、アムナス湾に浮かぶユートム島で遺跡の管理の傍ら、サリエスの技能を活かして治療院を開業し、日々の糧を得ていました。
 豊かとは言えない島民の診療報酬は、魚だったり、イモや生姜だったり、葡萄だったりもしました。
 イエルカやマグオーリの何倍も、時間がゆっくり流れていく・・・、そんな毎日に、じんわりと滲むような幸せを感じ始めていた時、突然、父の訃報に接しました。
 しかし親族は、ネグリトを娶ったカディールに対して、葬儀への列席を許しませんでした。
 それから9年の歳月が過ぎ、カダージが12歳になると、すっかり年をとって気弱になっていたカディールの母が「カダージはお前(カディール)に似て賢い子の様だから、従兄のダルヒム(バンディの息子・鳶が鷹・・・どころかトンボが鷹を生んだ様な秀才)と一緒にアカデミーに通わせたらどうか?ユートムからでは無理でもウチから通えば大丈夫だから」と手紙をよこしました。
 そしてカダージは、祖母の家からアカデミーに通う様になり、スニータのことも一応「嫁」と呼ぶ様になってきました。

 深かった家族の溝が埋まりかけて来た・・・。カディールはそう思い始めていました。

 そしてそれは五年前の夏休みも終わりかけたある日のこと、元老院入りしたことで「得意満面」のバンディが、元老の証である指輪を見せびらかしにカディールの家にやって来ました。

 普通、元老にはある程度年功を重ねたサリエスやセージが就任するのが普通で、二等修道士を三回留年したためにアカデミーから除籍され、セージにすらなったことのないバンディが元老になるには、相当の鼻薬が必要だったでしょう。

 バンディやカディールの父親であるラグズはミュカレの後輩にあたる優秀なサリエスであり元老だった様ですが、子故の闇というべきか、愚かなバンディの行く末を案じてバカ息子を元老院入りさせるために、他の議員に賄賂攻勢を仕掛け、神聖な議会を汚してしまいました。ミュカレが元老院を去って隠居したのもこのことが原因です。

 そんなラグズの苦悩もバカなバンディには解るはずもありません。それに小さい頃から何をやっても叶わなかった弟が優秀なサリエスながらネグリトと結婚したために父親に勘当され、ユートム島の遺跡管理人という閑職に追いやられ、はては貧乏医者に成り下がったことを冷やかしに来た様です。

 しかし、玄関先で応対に出たスニータの顔を見て、顔がこわばりました。

バンディ:何でお前が!?嫁はマグオーリで拾ったネグリトっていうからシジ
     ムの村人だと思っていたのに・・・・。そうか!カダージをダシに
     私の弱みを握って骨の髄までしゃぶり倒す気だな!?蛮族らしい浅
     ましい根性だこと!おーヤダヤダ!!

 スニータも突然の来客が「くそバン」だったことを知ってパニック状態になりました。

 カディールは、「くそバン」が思わず口走ってしまった言葉を聞いて、15年前の真相に今やっと気づきました。

 そして「くそバン」に馬乗りになると、これでもかというくらい殴り倒しました。

 「くそバン」は、両手(というより顔)で殴打する拳を受け止めながら、

バンディ:でぇぇ~~~!!何だよ~~~~!たかがネグリトじゃないか~~
     ~~!?俺のお手つきになりながら、図々しくお前の嫁になるなん
     て見下げ果てたズべ公じゃないか~~~!?よ~~~~っ!?お前
     も早く目を覚ませよ~~~!!何か狙いがあるんだって!!よ~~
     ~~~~っ!!

スニータ:そんな!酷すぎます!!私はただカディール様のお側にいたかった
     だけです!!他には何も要りません!!

バンディ:はッ!どうだか!そう言って俺達が死ぬのをまってんだろっ!?ネ
     グリトは無駄に長生きらしいからなぁ!!

カディール:どこまで愚劣なんだ貴様は~~~~!!それだけツラの皮が厚け
      ればこの打擲(ちょうちゃく)も痛くあるまいなぁ!!さあ謝
      れ!!スニータになづき(頭頂)を見せて謝れ!この腐れ外道!!
      王府に婦女暴行罪で突きだしてやろうか!?

バンディ:おお~~~っと!俺は元老だぞ!会期中に不逮捕特権があるのは知
     ってるな!?裁判はどうする!?嫁を晒し者にする気か!?
      お前に逢わせるって言ったらこいつ自分から付いてきたんだ
     ぞ!!だったら和姦じゃないか!?えっ!?カダージに知られてい
     いのか?父親は俺だって!えっ!?言うぞ!?殴ったら言っちゃう
     ぞ!?ん~~~っ!?いいのかぁ?いい~のかぁっ!?

カディール:言えるモンなら言って見ろ!!その前にお前のその空っぽの頭を
      粉砕してやる!!

バンディ:ヒイイイイイイイイイイイイ!!!!!!!!!解った!わかった
     ってばぁぁぁ~~~~!!やめれって~~~!!よ~~~~っ!?

 その時、玄関の外に目に涙を一杯に浮かべたカダージが立っていました。友達と、隣のベンディン島に遊びに行っていたのですが、予定より早く帰宅したために、3人のやりとりを聞いてしまった様です。

 カダージはそのまま駆け出して、どこかへ走り去ってしまい何日も帰って来ませんでした。

 それからというもの、カダージの円らな瞳は、まるでカマキリの様な危うい色彩を帯びるようになってしまいました。

つづく

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