6月7日の朝にいきます

6月7日の朝にいきます

2026年03月24日
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カテゴリ: 私の宗教観

取材で真言宗の僧侶と知り合い、その後に友達となった。

何かの折に祖母の戒名の話しになり、とてもきれいな名前なのだとその戒名を告げると、
「おばあさんは仏教徒だったの?」と聞かれる。「否」と応えると、
「その戒名は格が高すぎる。あの世に行った時、却って苦しむと僧侶なら本来は考えます。
もしかして寺に言われるままにお金で買ったのでは?」と聞かれ、ハッとした。

そうだと聞いていた。 祖父母の分は、まだ父母が若かった頃に言われたままの額を払ったと。  
信者なら朝の読経など、日々のお勤めは欠かさないはず。
でも我が家は無神論者の家庭で、仏壇にご本尊の像すらなく、当時は祖父の写真とお位牌があるのみ。
その祖父の写真やお位牌に手を合わせることも、たまにしかないことだった。

ただ、先祖代々400年もの長きに渡っての菩提寺なのだ。
お付き合いの一環として住職の求めるままに払ったらしい。
父母の時は知らないが、祖母は確か30万円だったと本人が言っていた。今から50年以上も前のこと。


今回、母が妹の家に世話になる際に持って行った小さめの仏壇を「仏壇じまい」する。
そもそも妹の嫁ぎ先は神道だし、私の家に運ばれても置き場所がなく、私も仏教徒ではないので困るから。

仏壇じまいには、中にあるご本尊や位牌から魂を抜く「閉眼」が必要で、
これまた彦根の菩提寺まで運ばないとならないようだが、
妹がネットで調べて「仏壇そのものには魂が宿っていないから、粗大ごみに出せるらしい」と言ってきた。

昔なら庭で燃やすこともできただろうが、このご時世では無理。
私はそれでいいと応じたのだが「でも、お位牌はお寺に持って行くらしいよ」と言われて驚いている。
まさか妹がそんなことにこだわるなんて‥。ちなみに妹の嫁ぎ先に神棚はないし、本人たちは無宗教のようだ。

そもそも戒名とはあの世での名前だというが、信心の度合で「格」が決まるのは良しとして、
お金で買える仕組みがあるって・・・どういうこと?(。´・ω・)?

関西出身の友人僧侶曰く、同和地区の人の戒名は末に「畜男」「畜女」とついているそうだ。
今はさすがに違うようだが、つい数十年前までは死んでまで差別を受けていたらしい。
なんというひどい仕打ちだ。私はこういうのはとにかく許せない😡

仏教の、本来の教えは素晴らしいと思う。
自我や執着を捨て、慈悲の心を持ち、人々に奉仕し、よりよい自分になるための修行を積む。

・・だが、この「戒名」と仏教の教えとの関係は? 
戒名の位が高いと閉眼供養にかかる費用(お布施)も、普通の戒名の10倍はすると聞く。
そもそも、魂は四十九日を経てあの世の入り口に辿り着くと言っているではないか?
位牌や遺骨に魂が宿っているって・・いったいどれだけ魂は分かれて存在するのだ?!

私はある高僧が言った「思うことがいちばんの供養です」を信じてる。
魂は瞬間移動して、思ってくれる人や自身が思う人の傍に行かれると言う。それを信じている。

「葬式仏教」と日本のお寺さんを揶揄する言葉は昔からある。
私は独自の考えで、独自の方法で、愛情を持ってお位牌じまいをしたいと考えている。








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最終更新日  2026年03月25日 16時45分42秒
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