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父の仕事の関係で子供の頃から色んな外国語や外国人と接する機会の多かった私達姉妹。まだMドナルドも日本になかった頃、会社のカフェテリアでハンバーガーを頼み、子供の私はケチャップのみ。父は、ピクルスだの色んなものを挟んでいました。そして、特大のバニラシェーク。妹と半分こでしたが、それでも飲み終わる頃には溶けてドロドロ。自宅の通りの奥には、朝鮮大学教員の寮(社宅)があって、私はそこのミョンスンとチョンチルという姉弟とよく遊んでいました。私は日本人の友達ともよく遊んでいましたが、日本人の彼らも最初の頃は、ミョンスン&チョンチル兄弟が遊びに混ざるとさ~~っと、くもの子を散らすように帰ってしまいました。私は気にせず一緒に遊んでいました。すると、向かいに住むおばさんが朝鮮人とは遊んじゃいけないって、わざわざ注意しに来るんです。子供ながらに、すごく嫌な気分でした。でも、反対に、(大学の)社宅の中でも日本人と遊んじゃいけないって言う雰囲気はあったみたいですが・・・。有難い事に、お互いの両親は国で差別する様な人たちではなく、色んな友達と遊びなさいと言ってくれて、そのうち、チョンチルは、私の母が働く、日本の保育園に通うようになりミョンスンは朝鮮学校1年生私は日本の小学校1年生にあがりました。日本と違うカリキュラムに驚いたり、きむいるそん????って初めて聞く名前にそれ、誰???とよく意味が分からなかったり…バイバイはアンニョンって言うんだよって教えて貰ったり、逆に、日本で習う漢字を教えてあげたり、日本の学校では(朝鮮学校では)こんな事もしてるんだぞ~~って自慢話になったり。その頃には、近所の日本人の友達も朝鮮人の子供達と混ざって遊ぶようになりましたが、それでも、大人達はいい顔をしていませんでした。何か問題があれば、あそこの朝鮮人がやったんじゃないかと言われ、日本の子達が何か良いことをすれば、それは当然って雰囲気がまかり通っていました。ミョンスンとウチの庭で遊んでいると「Konnieの家に朝鮮人が来てる」って陰口言われたり・・・。小学校3年生になった頃、ミョンスンと公園のブランコに乗りながら何か分からないけど、何か嫌な気分だね。大人になりたくないねって話したのを今でも覚えています。当時の私達は、大人の事情は分かりません。拉致云々で、北朝鮮に対して反感の念を持つ人も沢山いると思います。このブログではそこまで言及しませんが一つ言える事は、ミョンスンとはお互いに国籍を超えて、ずっと一緒に色んな話をしたり、馬鹿な事をしていっぱい笑って、純粋に友情を育んでいたって事です。私達両親も、それを見守っていてくれました。私が成田に引っ越して、連絡が途絶えてしまいましたがすごく頭のいい子だったので、世界のどこかで活躍している事を願うばかりです。
2007.04.21
大好きな犬が他界し、意気消沈の実家家族。そんな姿を思ってか5歳の次男が一言。「僕が大人になったら一生懸命働いてグラミー(実家の母)の為に犬を買ってあげるの。本当はラビと同じ犬を見つけたいんだけど、多分それは無理・・・」他の犬を買う、買わない、・・・はともかく、天国に行ってしまったラビをもう一度、グラミーの為に取り戻してあげたいって言う彼なりの優しさだと思いますそんな話から、神様が命を与えてくれた事から始まり色んな話に飛躍して、図鑑を持ち出して生物の進化についてまで話すことになりました。(↑どんな飛躍やねんっ!)神様の話から、現実的な進化の話につなげるのは、時々厳しいものもありましたが・・・。長男が「マミーは日本人で~ダディーはアメリカ人で・・・」といい始めると、3歳の次男が「違うよ!マミーは日本人で~、ダディーは大阪人やろ!N君(長男)、そう言ってたでしょ」大人になった長男は、ふっと一笑して「C君、ダディーはアメリカ人だよ。大阪人の訳ないやろ僕はアメリカ人と日本人。」すると、次男が突然「じゃぁ・・・マミー・・・ラビを産んであげたら?」はっ?!?!?!?!?どうして、そうなるの????「マミー、犬を生むのは無理だわ・・・人間の子供しか生めないの」というと、物凄く不思議そうな顔で「どうして?マミーは日本人でダディーはアメリカ人でしょ?違うのにN君生んだんでしょ?(↑あなたの事も産みました)どうして人間しかだめなの?犬は生めないの???(↑ダディーは犬ではありません)何で、人間しか産めないの??人間も犬も命あるよ。ご飯も食べるよ。鼻一つ。お目目二つあるよ。」言いたい事、分かる様な…「・・・じゃぁ、C君は犬なの?」と聞くと大爆笑して「僕は人間だよ~。犬じゃないよ~」と違いは分かっている様子。(↑何故かほっとする私)暫く経って、ひとりでお風呂に入った私。すると、突然、浴室のどが開きました。見れば、次男。何を言うかと思えば「マミー・・・やっぱり、ラビのこと産めば?僕、もう、妹ほしいって言わないから。グラミー、ラビが生まれたら嬉しいと思うよ」すみません・・・いくらマミーでも、無理なものは無理なんです。人間は犬を産めないんです。でも、これも愛犬を亡くしたグラミーを思う3才なりの優しさなんでしょうねえ…?!
2007.04.20
実家にいる私の犬が永遠の旅立ちの途につきました。たくさんの幸せを私達家族にもたらしてくれた彼だけど彼は幸せな人生(犬生?)だったのかなぁ・・・。でも、私達家族の一員だった事は間違いありません。教育実習先の生徒が私の実習最後の日に白い箱をくれました。ずっしりと重いその四角い箱を開けると生後1ヶ月の真っ白な犬がひょっこり顔を出しました。私が「犬、飼いたいなぁ」って言っていたのを覚えていたらしくお別れに犬のプレゼントをしてくれたのです。実習中も色んな父兄からお野菜を頂いたり田舎の中学ならではなのですが箱が動く!開いたらが出てくるなんて、流石の私もびっくり。あれから17年。10歳を過ぎた頃から痙攣の発作を起こしたり三半規管の異常でくるくる、くるくるずっと円を回っていたり、年老いて勘が鈍るのか何度も迷子になったり。何度か生死の危機もあったものの毎回、生還して私たち家族は心のそこからホッとしたものです。春休みに久しぶりに会った犬はほんの数日前も発作を起こして歩けなくなってしまったとの事でとっても心配でした。でも、私や息子達の気配を感じるのかそれとも、一生懸命に元気な姿を見せようとしているのか途中、ドスン、ドスンと尻餅をつきながらも一生懸命、私達の方へ近づいてきます。物凄く年老いて、背中も曲がり目も殆ど見えない様子で・・・。私たちが大阪に帰った翌日、突然、意識不明になったと母から連絡がありました。昨日まで一生懸命歩いていたしえさも食べていたのに意識不明の危篤状態なんて信じられません。すぐに入院しましたが飲み込むことは勿論、もう体が点滴の栄養も受け付けない状態らしく、先生も手の施しようがないとのこと・・・。先生といろいろと話し合った結果、日中は病院、夜は自宅に帰るという方法をとることになりました。点滴といっても、ビタミン等のみなので、体の栄養にはなりません。今晩が山場、今晩が山場と言われながら、10日が過ぎました。この間にも痙攣発作が起こったり内臓老化からくる発作があったりそばで見ている母は本当に辛かったと思います。日曜日の夜、何かに呼ばれるように突然、実家に帰る!と決めました。どうしても、犬の様子が気になります。そして、最期に一目会いたかった…。抱きしめたかった…。もう夜中近くに朝の東京行きの予約を取り、気がついたら飛行機に乗っていました。動物の最期を見せるのは、ちょっと早いかな・・・とも思いましたが、5歳の長男も実家の犬をとても可愛がっていたので一緒に連れて行くことにしました。朝、出かける前に園に電話をし、丁度、電話に出た園長に説明すると園に来るよりも大切な事だから休む事は心配しないで行って来なさいと言ってくれて、心の教育を大切にする、この園に入れて本当によかったと思いました。病院に着くと、ぐったりした犬。その時も発作を起こしたりしましたが頭を撫でてやったり、声をかけると発作が治まり落ち着きます・・・。まるで、私達の声が聞こえている様。・・・多分、聞こえていたんだと思います。長男も一生懸命に犬の名前を呼びかけ、体を撫でていました。そろそろ行こうか?と長男に問いかけると「もう少しそばにいて、ラビちゃんを慰めてあげたい」まだ長男が生まれたばかりの頃ラビはいつも長男の足元で眠っていて、長男が愚図ると私達に知らせに来てくれました。以前、そんな話をしたせいか「ラビって最高だね!僕とラビは友達だよ。ラビ大丈夫かなぁ・・・」って危篤の知らせを聞いてからずっと気にしていた長男。そばにいて、体を撫でてやる事で長男なりの感謝の気持ちを表していたんだと思います。10日間も何も食べていないので体は骨ばり、横たわっているだけでアバラがくっきりと浮かび上がっています。苦しむ犬を見ながら、母は何度か安楽死が頭をよぎったそうです。でも、いつか後悔する日が来るかもしれないと、最期まで命を粗末にしない事を心に誓いました。本当は泊まるつもりだったけれど息子達の幼稚園、残してきた次男翌日の夫の出勤等を考えると日帰りを余儀なくされました。そして、明け方、ラビは静かに逝ったそうです。「マミー、ラビは天使と一緒に神様のところに行っちゃったの?」って涙をいっぱいためてソファーにうずくまる長男の姿、「僕はお別れできなかった」って言う次男。(でも、次会った時に頭をナデナデしてあげるの!とも言っていた。ここが3歳児ですね)10日間も昏睡状態だったのに突然、何が何でも帰省する!って思った私。きっと、犬が私と長男にお別れを言わせるために、呼んでくれたんだと思います。10日間も昏睡状態だったからいつ実家に行っても良いのに他界する前日に突然「明日、絶対に成田に帰る!航空券のお金払ってでも帰る!」って決めたんですから…。体は言うこと聞かなくなってしまったけれど、多分、心は元気だったんじゃないかと思います。(心臓も最期まで元気だったそうです)そう言えば、父が他界する時も似たようなことがありました。普段なら、行きたくて仕方がない大好きな旅行。しかも、オーストラリア。でも、なぜか、この時だけは気が進まず、母に「何で心にひっかるものがあるんだろう?ゴージャスとの旅行なら絶対に楽しいのに、何か気が進まないんだよね」って言いながら出かけて行きました。普段なら絶対しないのに、この旅行では自宅に2回も電話をしました。それも、何故だか、無性に父とお喋りしたくて・・・その数日後、日本から訃報が届きました。あまりにもショックでどうやって朝を迎えたのかどうやって日本に帰って来たのかその後のことは覚えていません。人にしても、動物にしても最期に別れるという事はいつだって悲しく、寂しいものですが今回のことで長男も生死についてや、命の大切さ、そして、いつだって命を粗末にしてはいけない事を、彼なりに心に刻むことが出来たようです。ラビも10日間、ホントに頑張りました。もう病気とは無縁の天国で安らかに休んで欲しいです・・・。
2007.04.17

息子達と共に、高野山がある高野町の「ゲンジの森」にて植林のボランティア活動をしてきました。今年で3年目になります。今回は別の斜面に約130本の苗木を植えてきました。植林の方法は割愛しますが作業後に高野町の皆さんが山菜のてんぷらや餃子、その朝、山で狩ってさばいた「猪肉」の炭火焼山菜おこわ、豚骨ならぬ「猪骨&鶏がら」のラーメン(自家製燻製卵つき)その朝採った(焼き)筍等々、山の幸を沢山振舞っていただきました。食後には、阿倍野筋にあるドーナツとコーヒーの専門店あたりきしゃりき堂のマスターが入れてくれた美味しい~~~コーヒー。その時、ふっと・・・目に入ったのが・・・一見、普通のコーヒーだけどよ~~~~~く見るとHAWAII COFFEEOSAKA, JAPANって書いてあるんですっ!でも、マスターは、昔からある老舗の美味しいコーヒーと力説していました。確かに美味しかったです。満腹になったところで腹ごなしに散策へ・・・水辺にはひき蛙のタマゴが沢山。勇敢にも、5歳の長男が引き上げていました水玉恐怖症の私めまいクラクラ猪の寝床を見つけたり在来種・外来種の植物の生息や食べれる山菜、猛毒の山菜を学んだり・・・ちなみに、この可愛い葉っぱ。何だか分りますか???一見、可愛くて食べてしまいそうですが猛毒の「トリカブト」です。これで大人がコロッと逝ってしまうそうです。お~~~怖っ!これ、何とかって言う(↑肝心なのに忘れた)食べれる野草とそっくりなので気をつけなければいけません。小一時間ほどの散策を終えおやつを作る事になりました。本日のメニュー。「苺大福」白玉粉砂糖水あんこ苺だけで簡単に作れます。でも、苺の味でかなり大福の全体の味が左右されるので吟味して選ばないといけないと教えて貰いました。このおっちゃんは昔、和菓子職人だったそうで作り方はプロだけど子供達に教えるのも本当に上手でした。また、彼が練った「大納言」の粒餡は絶品!例年は、皆でお餅をついて山で採ってきた蓬(よもぎ)を混ぜて蓬餅を作ってくれるけれど今年はチョット嗜好を変えたらしいです。↑私達、親子の作品。不恰好なのはご愛嬌♪でも、味は200点!ここに来て、色んな山菜を知り色んな新しい味と出会い好き嫌いを克服した私達親子。私も夫も蓬餅、苺大福を克服。長男は蕨もゼンマイもツクシも克服!次男は、筍のタンポポも三つ葉もクリアしました。本物の味に出会う「食育」の大切さを毎年痛感します。朝10時に高野町に到着し気がついたら、もう15時半。最後に子供達が呼ばれました。暫くして戻ってくると・・・息子達・・・カブト虫の幼虫を6匹も捕まえているんです。自然と沢山触れて欲しい。と頭では分っていても目の前にでっかくて、白いのがゴロゴロいると絶叫寸前の母・・・。私も昔は平気で持っていたのに大人って、どうして段々と虫類が嫌いになっていくんでしょう。でも、長男は名前までつけて大切そうにしています。・・・車に乗せて持って帰るのぉぉ・・・あぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・・気が遠くなる母・・・。でも、命の大切さやカブト虫の成長を知る上でとってもいいチャンス。成虫を買ったら高いんだし(←それか~っ!)とりあえず、大きなビニールに腐葉土を沢山分けて貰い逃げないと分っていてもビニールに空気を沢山いれ口をしっかりと結んで6匹を持って帰りました。毎年一緒になるご家族のご主人が「昔、居間でカブト虫の幼虫を飼ってていつの間にか孵化して成虫になったらお袋がゴキブリと間違えて殺虫剤かけるわ、スリッパで追い掛け回すわで大変でした」って言っていました。せめて、私がそうならないよう、息子達と大切に育てます。あぁぁ、でもなぁ・・・成虫も好きじゃないんだよねぇ。ちょっと憂鬱だなぁ、私。まぁ、7月の草刈に再度ゲンジの森を訪れる頃には立派な角のカブト虫になっている事を願って・・・。
2007.04.15
今日の一曲。この歌も大好きでした。SmashmouthのWalking on the Sun独身時代(婚約後)、オーストラリアでスカイダイビングをした時を思い出します。結婚するにあたり米国人夫から跳ね返りの私に幾つかのお願いがありました。1. 転勤しても何処にでも一緒に来る2. 中近東旅行はしないそして3.スカイダイビングはしない1と2はともかく、3は・・・こりゃまずい。さっさと済ませないと・・・。婚約していたとは言え、一応、独身だったので、悔やむ前に(?)親友・ごーじゃすと共に独身最後のオーストラリア旅行を楽しんだついでに激流下り(↑しかも、いきなり上級者コース)スカイダイビング体験をサクッと済ませておきました。お陰で、心置きなく結婚生活を始める事ができました?!
2007.04.13

今週初めに3歳の次男が2年間待ち焦がれていた入園式がありました。この2年間・・・お兄ちゃんと一緒に幼稚園バスに乗りたくて毎朝、見送りながら号泣。お兄ちゃんと同じ制服が着たくて見送るだけなのにわざわざ同じ制服を毎朝、毎朝着たいと号泣。時には母の手をすりぬけ園児の列に混じってほんとにバスに乗り込もうと必死だった次男。引きずり出され、また号泣。そして、夏になると趣味嗜好が変わるのか「はっぴ」をきてお出迎えをしたがる彼。そんな彼は、入園前日は幼稚園モード全開。だけど、やっぱり緊張したのか、当日の朝は『幼稚園は行きたくない。マミーと一緒にいたい。幼稚園に行きたいって言った事無いっ!!!えっ?!幼稚園は来年で良い』と断言してました。一波乱、二波乱もあった入園式ですが、無事に年少さんとなりました。 長男も春休みにまた身長が伸びて、小学生並みの体格になってきました。来年の入学式を見込んで130サイズのスーツを買いました。彼のお気に入りです。その後、久しぶりに豆腐料理『梅の花』へお祝いランチへ・・・。ここでも、これは美味しい!これはまずい!と大騒ぎして、会計の際一番最初に「あ~、お腹いっぱい♪」とニコニコで、一番最初に店を後にした恐るべし次男。マミーは全然食べた気しません・・・↑牛乳豆腐と豆腐焼売は完食されました。 ↑生麩が次男のお気に入り・・・山菜御飯、お吸い物、デザート 有で倒れそうな位お腹がいっぱい。ホントはその後買い物に出かける予定でしたが、あまりの苦しさに気分が悪くなり即帰宅。4人で幸せに「お昼寝」タイムとなりました・・・。
2007.04.13
今日のアウチ。ただし、思わず声に出して痛っ!と叫んでしまうシーン有。心臓の弱い方と多くの男性陣にはきつい場面あり・・・。それとは別に、この歌Lou BegaのMAMBO NO.5って曲なんですがこれも流行ったねぇ。ラジオは勿論、六本木のクラブでも成田の某ブリティッシュ・パブでもガンガン流れてたんじゃない?ねぇ、ごーじゃす&しーし?!ついでに、私の披露宴でのダンスパーティーでも流れました…笑懐かしいなぁ。ちなみに、ホントのビデオクリップはこれです。18歳以上の方は(?)安心してご覧下さい。それでも、どうしても、最初のアウチが見たい方は見たい方はここをクリック!アウチ!って叫んでも知りませんよぉ~~。…って言うかおバカ満載です
2007.04.09
今日から長男の始業式。つまり、年長さんの始まりですそんなメデタイ日に(?)夫は奈良県の吉野山に花見に出かけてしまいました。私だって行きたいわっ!いつもシフト勤務で息子達とすれ違いがちな夫。お家にいるかと思えば早番で出勤後だったり仕事かと思ったら夜勤明けで寝ていたり…(↑強制的に起こされる)今日も出かけてしまった父親の事を思いながら3歳次男が一言次男「ダディーは?」私 「今日はお花見だって」次男「どこで?」私 「奈良県」次男「えっ!!!!!!」私 「な、何???」次男「ダディー、またおなか痛いの?」私 「はっ??」次男「また救急車?」私 「????」次男「だって・・・ダディーはおナラ県に行ったんでしょ?またおなか痛いの?おトイレ行きたいの?」彼の中で妄想が広がります・・・でも、かなり真剣な顔でした。・・・そんな県ありませんから・・・考えた事もなかった・・・こんな次男も、明日は入園式。新しい年少生活・・・大丈夫なんだろうか・・・?
2007.04.09

Boston Red Soxに松坂がいってくれたお陰で最近、ボストンの知名度がぐんぐんあがってます。驚いた事に、意外とボストンを知らない日本人って多いのね。アメリカで歴史を語る上で外す事のできない土地なんだけどそう、夫はそんなボストン出身。当然の事ながら、息子達にRed Soxの帽子やTシャツを着せスターウォーズの英才教育を施しています。あ、スターウォーズはボストン関係ないけどね(笑)そんな中、ボストンの球場近くの売店では、こんな帽子が売られ始めたようです。日本語万歳~!と叫ぶべきか。でも、何となくどっかの国で売られている海賊類似商品と重なってしまうのは私だけ?
2007.04.08

5歳の長男の年上GFのMちゃん、6歳。金曜日には入学式。土曜日はバレエの発表会と大忙しでした。いつもとは違うMちゃんに長男、ちょっと緊張気味次男に至ってはいつもと違うMちゃんにビビッて泣きモード優しいMちゃんは『お姉ちゃんだよ!お化粧してるだけだから怖くないよ。』って一生懸命慰めてます。いいなあ・・・だって・・・私だったら『マミーだよ。今、お化粧するから。ね、もう怖くないよ。ほら、声はマミーでしょ。超特急でお化粧するからね!』って言わないといけないかも一昨年は、いざ出番!って時に、怖くなって舞台の袖で泣いてしまったMちゃんだけど、今年は本当に堂々としていて一生懸命、踊っている姿に感動して、Mちゃんのママと一緒になって泣いている私くるみ割り人形も良かったけれど第3部に行われた、このピーターパンの森の妖精もほんとに可愛かったです。残念ながら足が切れちゃったけれど出番前にポーズもとってくれました。そして、全てが終わった時彼女自身もリラックスしているのを感じられました。お化粧もすっごく素敵だったけどお見せできないのが残念です。Mちゃん、頑張ったね!凄く素敵だったよ!
2007.04.08

大阪に戻った初日の晩御飯。当然ですっ大阪在住のあるお友達は「たこ焼きセットは嫁入り道具」と断言しています。(そう、あなたの事です!!)よっ!粉物消費量、日本一爪楊枝消費量、日本一歩く早さは、世界一(あ、関係ない?)生地にほんのチョットだけホントにほんのチョットだけ蜂蜜かメープルシロップを入れて焼くと外はカリカリ!中はトロトロ~と焼けるのです。時間が経ってもカリカリです。ウンチクは沢山あるのですが素人の私・・・まだまだまん丸に焼く事が出来ません。残りの大阪生活で修行あるのみ・・・。たこ嫌いのアメリカ人夫にはこんにゃくを入れたり・・・5歳の長男もひっくり返してみたり3歳の次男はひたすら食べに走り…久しぶりに家族で楽しい食事でした。
2007.04.07
昨日、大阪に戻りました。あっという間の春休み。今回は親友・ごーじゃす始め色んな友達に会う事が出来て楽しい時間はいつもの帰省よりも更にあっという間に過ぎ去ってしまいました。の業界にいると色んな知った顔に偶然出くわします。今回も、羽田で4家族に偶然会い、皆で仲良く大阪に帰ってきました。そう言えば、昔、アメリカはサンフランシスコのベイエリアを歩いていたら、「KONNIE~~~!」って声が聞こえて、振り返ったら偶然、休暇で遊びに来てた先輩だった…って事もあったなぁ。昨日の大阪までの飛行は、機体も比較的小さい上に向かい風が強かったせいか揺れました、揺れました。ホントに揺れました。近くに座っていた元スッチーだった友達が酔ってしまう位、揺れました。5歳の長男、揺れてる翼を見て「マミー!羽根が踊ってるみたいだよ!ほら、ビヨーン、ビヨーン動いてるよっ~~~(↑ここまで笑顔…しかし…)マ、マ、マミーこれ、折れちゃったらどうしよう~~~怖い~!怖い~!」と言いながら、非常脱出用のリーフレットを取り出して読み出す始末。し~~~っ!縁起でも無い事言うな~!隣に座っている3歳の次男も怖いと涙目。後ろの女の子も怖いと言い出し、その通路挟んだ女の子も怖い、怖いと叫び始めそれが乗務員に聞こえたのかこの揺れは飛行に何ら問題ありませんのでご安心下さいって言うアナウンスが入りました・・・ついでに、滑走路に着陸した時あまりの風に、飛行機が2~3回ジャンプして、1時間半ちかく揺れと酔いに戦い、その上にこれかよっ?!って感じで機内がシ~ンしてしまい…。無事に逆噴射してスピードが落ちた時機内から拍手が起こった程です。そう言えば、昔、仕事で乗っていた飛行機のエンジンからが出て急きょ、出発地に飛び戻るって事態が発生した事がありました。業界語で言うとATB(Air Turn Back)です。乗っていた飛行機と言っても正確に言えば、私はヨーロッパのある国で、この機が到着するのを待っていて、その折り返し便で、次の国へ出発する事になっていたのです。でも、こんな事態で飛行機が来れないので、私もヨーロッパで足止めです・・・。やっと到着した乗務員の話によるとパニックになるかと思われた乗客は逆に、恐怖のどん底に落とされ誰も一言も口を利かず、怖い位に機内は静まり返っていたそうです。同期の彼女もこれはあの時の「おふざけ」ではなく、ホントの非常事態だしかも、出発したてだったので燃料も満タン。このまま何かあったら生きて帰れない・・・って自分も怖かった・・・と。お客様も相当の恐怖だったらしくエンジンから出たを見たある女性が『・・・あ・・・花火・・・』と目を真ん丸くして言っていたそうで・・・。あの時、スッチーって言うのはサービスも大切だけれど、乗客の命を守る為に訓練されているプロなんだ!チャラチャラやってちゃいけないんだ!って新人ながら(↑まだ2回目のフライトでした)肝に銘じたのを覚えています。ま、スッチー云々に限らず何事にも全力投球しないとね。…って事で、明日は…出来る事なら見て見ぬ振りしたい旅行後の私達の分と留守中に溜まっていた山のような洗濯物と真剣勝負します。
2007.04.05
海外旅行が終わり日本に帰ってくるとパスポートを出して入国検査を済ませ税関構内で、預けたスーツケースを受け取ります。その税関構内には毛並みの良い、賢そうなを連れ歩く、税関職員がいます。旅客、一人一人の横を歩きニオイを嗅いで回ります。大概、そのまま通り過ぎますがたま~~~に旅客の横に黙って座る事があります。賢い犬だわ~♪と感心して頭を撫でてはいけません。これは、犬と税関職員とのサイン。つまり、この人、臭いですっって意味なんです。臭いったって、長旅による体臭ではありません。この人麻薬臭い!って意味なんですから。そうです、この犬は麻薬探知犬。その後、即座に旅客の特徴が構内の税関職員に伝えられその荷物を持って通過しようとする旅客がいようもんならかばんの隅々調べ上げ(↑底上げしたってすぐにばれます)特別室に連れて行かれ全裸にさせられて体の隅々まで徹底的に調べ上げられます。場合によっては、レントゲンを撮ったり(注1)下剤を飲ませたり・・・(注2)。(注1)胃液に溶けない様厳重に包んだ麻薬を飲み込んで、胃に隠していたり、お腹の皮下脂肪の中に隠したりって事が現実に起きてます(注2)同じ様な方法で、直腸に隠し持っていたりする人も現実にいるのですまた、飛行機から取り卸したスーツケースはベルトに乗って旅客の元に流れてきますがその裏では、やはり犬がクンクン、クンクン嗅ぎまわり、怪しい荷物を教えてくれています。ある航空会社の地上職員をしていた社会人なりたての頃、税関の人とよく 合コン 飲み会をする機会が多かったんです。で、到着旅客の業務で税関構内をウロウロしてると知り合いの税関職員にちょっと練習、手伝って~とハンドバッグを渡されます。私は、それは、それは、怪しい、怪しい、怪し~いハンドバッグを肩にかけて、ごった返す旅客の中に消えていくわけですが、すぐ、この賢い犬にみつかり静か~~~~に隣でお座りされます。悪いことしてないのに、何故か、ドキドキします。そう、このハンドバッグには麻薬の臭いがしみ込んだ布が隠されているのです。こうやって実地訓練も積み(?)実際に本物の麻薬がこの賢い犬達によって水際で発見されています。発見後は、ハンドラーのお兄さん、お姉さんとこれでもかっ!って位タオルで遊んでいます。ち・な・み・に・・・麻薬探知犬は麻薬中毒という噂が流れたことがありましたがそれは間違いです。詳しくは成田税関支署のページへ・・・犬の種類も、ラブラドールとか、シェパードがいたなあ。個人的には「ジパング」って名前のコッカースパニエルが好きだったな。古い話だけど。余談ですが・・・犬が怪しいと教えてくれた荷物。引き取り手が分かれば後は税関の仕事なのですがたま~に、危険を察知するのか怪しい荷物を引き取らずに税関を抜ける人もいます。そんな時は「麻犬」と書いて税関構内に置いておくのですが新人の私・・・まけん・・・まけん・・・まけん・・・て書くんだったよな・・・と頭の中で思いながら書いてしまった漢字は「魔犬」税関の人に「こりゃ、相当、怪しそうだわ・・・」って失笑されたのが今になっても恥ずかしい・・・
2007.04.02
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