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先に講演会の感想を書いたが、私が講師に対して生意気な感想を抱くことができるようになったのは、間違いなくスクーリングで多くの素晴らしい教授たちの講義を受けたおかげだと思っている。北海道の田舎町では、一流の学者の講演会を聞く機会はあまりなかった。せいぜい、北海道大学や北星学園大学などの教授の話を、仕事関連で聞く機会があるだけだった。そして、何も知らないような市民に対し、難しい専門用語で話をして質問しようにもあまりにも自分が無知であるとわかると恥ずかしくて初歩的なことは聞くこともできないことが多かった。そのような、今となっては意味のないコンプレックスを少しでも解消したいと思ったのも、通信で大学の勉強をしたいと思った要因でもあった。初めてのスクーリングの時の衝撃を、私は忘れることができない。その時の講義は、「文学」と「社会科学特論」であった。(お二人の教授のお名前を、年のせいか失念している(;>_
2015年11月21日
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ブログリンクしている方の「夏スク第III期2日目 」を読んで、自分の英語のスクーリングの時を思い出した。左のフリーページの、夏スク「リーディング」と、夏スク「ライティング」でも書いているが、リーディングは「エコノミスト」の記事をまとめたものという、英語はもとより書いてある内容が経済分野でチンプンカンプン。当時大学生だった長男に概略を調べてもらい、それを手がかりに必死で予習しても、自分の訳文はほとんど間違っているという始末。もう、毎日毎日、予習と復習で追いまくられて睡眠不足だったことを思い出す。次の年のライティングはもっと悲惨で、講師はアメリカ人の(忘れもしない)トビン・ロバート先生。日本語を全く使わない先生だったので、先生の話していることは全く理解できず、何か指示をされたようなら、いつも隣の人に「何とおっしゃっていたのでしょうか?」と聞き、ライティングなので当然であるが、「英訳」や「英語のエッセイ」を書き、それを発表し合ったりディスカッション。もう、激しい劣等感と恥ずかしさに苛(さいな)まれ続けた一週間だった。受講生の中には当然英語の堪能な人もいて、先生と英語で談笑したりしている。多分あの時の受講生の中では、私の英語の力は最低レベルだっただろう。ただ、私は基本的には恥ずかしがり屋で恥はかきたくないけれど、いよいよになったら「まな板の鯉」になれるのかもしれない。「できないんだから、仕方がない」とばかりに、エッセイは小学生レベルの「今日は朝七時に起きて、パンとコーヒーを飲み、電車でここに来ました」程度のものでよしとした。(というより、それしか書けなかった)ただ、それではあんまりだと思い、「電車の窓から見たひまわりが美しかった」とか、「新宿の店で買ったパンは本当に美味しかった」などと、少しはエッセイらしい工夫はしたと思う。でも、その時わかったことは、「エッセイは小学生レベルの言語力でもそこそこ書ける」ということ。それは英語でも日本語でも同じで、その時以来私は、できるだけ簡単な言葉で伝えたいことを書くと考えるようになったと思う。論文等なら難しい言葉や専門用語も必要だろうが、エッセイに必要なのは「できるだけ多くの人に伝わる」ということが大切だと思う。話がずれたが、本当に英語のスクーリングは心身ともにヘトヘトになった。それでも不思議なことに、両方ともそこそこの評価だった。思うに、英語の教室はさほど人数も多くないし、各自が発表する機会も何度もあるので、先生たちは、それぞれがどの程度の実力を持っていて、その中でどれだけ頑張っているかがわかるのではないだろうか。だから、私のような中年のおばさんが、ない知恵を振り絞って必死になっている姿を見たら、「これで落としては気の毒だ…」と思ってくれたのかもしれない。私自身、その受講で不合格になって再受講になることが恐怖だった。もう一度同じような苦労をするくらいなら、ここで合格して病気になってもかまわないというくらいの気持ちだった。(たとえ多少体調を崩したって、命まで取られはしないと思っていた)だから、現在不安に苛まれている人には伝えたい。決して諦めないこと、コンプレックスに負けないこと、自分のできることを真面目に頑張ること。それが、通信で大学を卒業する秘訣かもしれません。
2015年08月21日
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慶應の通信課程で学んでいた時のテキストや資料、ノートや参考図書が、結構たくさんある。選択せずに使わなかったテキスト類で、「いつか読んでみようか」と思って取っておいたものは、もう絶対に読むことはないだろうと簡単に処分することができた。通信で学び始めた時には、新聞形式の情報紙が毎月届き、その頃は試験合格者の名前も出ていたので、科目試験で何を受けようかと参考にさせてもらったりしたので、ファイルしてあったのだが、これも古新聞と一緒に処分した。問題は、自分が選択した科目のテキストや、スクーリングの時の資料。それに、私の悪戦苦闘の証であるノートやレポートのファイル。これが結構な分量なのだ。テキストや参考資料の中には、もう絶対に手には取らないだろうものも多いのだが、どうしてもエイヤッ!と捨てる気にはなれないのだ。随分迷ったのだが、もうしばらくはアルバムと同じような意味で取っておくことにした。手紙や日記類と違って、私亡き後も家族が処分しやすいものだろうし。卒業してから随分経つのに、あの頃は文字通り私の青春だったなと、ノートや資料を見ながら思わず感慨に耽ってしまった。
2015年03月19日
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ひゃあ、こんな人もいるんだなと驚いた。そんな人が市長ですか。いや、こんな人だから市長にもなれたのかな。下関市長に「圧力」批判相次ぐ 修士不合格で学長面会03/14 18:11それでも、あまりにも批判が強くて少しは反省したのかな。下関市長、修士不合格問題で謝罪 「混乱招いた」03/16 14:22相当手直ししたのか、母校の大学に博士論文として提出したそうだが、受ける大学も困るでしょうね。(他校で修士論文で落ちたものを、たとえ手直ししたとしても合格させるのはねえ…)それにしても、修士論文って指導教官はいないのでしょうか。私の乏しい経験や他の人に聞いた話では、指導教授がOKを出したらよほどのことがなければ合格するはずですが。ひょっとすると、指導教授の意見も無視して自信をもって提出したのかも。だとしたら、その絶対的自信はどこからくるんでしょう。やってることを見る限り、かなり人間的には未熟で社会常識もぶっ飛んでいるようだけど、このような人を仕事で相手にしなくちゃならない立場の人は大変だろうと思う。まさか、論文作成の資料作りなどを、部下にさせたわけじゃないでしょうね。万が一にでもそんなことがあったら、コピペよりもっとタチが悪いと思うけど。日記リンクしているぼちぼちさんの「傲慢は病気」を思い浮かべた。この人も傲慢病なのかもしれない。市民のみなさん、選んだのだから上手にご活用ください。病気や障害もその人の個性の一つですから、否定するのではなくて上手に折り合いをつけて個性を生かしましょう。この話題で思い出したけれど、かつて通信で在学中に、論文どころかレポートの再提出結果に怒っているという人の話を聞いたことがある。私の経験では、再提出の場合は書き直すべきところや、ダメなところを指摘されているので、「憤慨する」ということがとても不思議だった。また、論文提出の際に指導教授とケンカして卒業が延びたとか、卒業しなかったとかの噂も。これも、先輩から聞いた話なので事実かどうかはわからないが、噂になるくらいだから当たらずとも遠からずだったんだろう。彼らも傲慢病なのか単なる独りよがりなのか、プライドが傷ついたためのパニックなのか…。人によって学ぶ目的も方法も違っていいけれど、あまり人に迷惑かけない方がいいですね。
2015年03月17日
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息子や孫たちがそれぞれ帰宅し、ホッと一息です。今年は二人の孫が、それぞれ高校生、中学生となる年。本当に月日の経つのは早いものです。このブログも、2003年に始めてからもう11年が過ぎてしまいました。今年も、ボケ防止とその時々の備忘録代わりに、できるだけ書いていきたいと思います。さて、年賀状の中に慶應通信で出会った人からビックリのお知らせがありました。私の卒業試験(口頭試問)の時に、サブの教授だった三井宏隆先生が亡くなられていたとのこと。卒論を書くことに悩んでいた頃、三井先生の「社会心理学」をスクーリングで受講しました。その時に先生がおっしゃった言葉が、私の卒業論文への敷居を低くしてくださいました。「卒論をあまり難しく考えなくてもいいんですよ。新しいことをやろうと気負わなくていい。 他の人の論文の追試でもいいし、違う角度からの論述でもいい。 とにかく、自分なりにテーマを持って調べるなりして、卒論を書いて早く卒業した方がいい」その言葉で、私の気持ちはとても軽くなりました。そうだよね、卒業論文は論文の書き方を学ぶためにあるんだもんね…と。その後、平野教授に卒論指導をしていただき、最後の仕上げの口頭試問の時に、その三井先生がサブ試験官をして下さいました。上記の思い出があったので、三井先生の顔を見たとたん、私の緊張感は一気にリラックスに向かいました。その時のことは、フリーページの「口頭試問(卒業試験)」にも書いてあります。その時の笑顔を思い出し、どのようなことで亡くなられたのかわかりませんが、本当に残念な思いでいっぱいです。私にそのことを知らせてくれた人は、三井先生に卒論指導をしていただいたのですが、彼女も詳しいことはわからないとのこと。人の寿命がいつ尽きるか、本当にわからないものです。先生ならば、人生の第二ステージでも現在の社会にとって大切なお仕事をされたと思うのですが、寿命だけはどうしようもありません。私だって、来年このブログを続けているのかどうかもわからない。一日一日、大切に生きなくちゃとあらためて思います。
2015年01月03日
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札幌学院大学のコミュニティ・カレッジを、面白い講座がある時には受講している。今回は、─こころの臨床心理学講座─近世の「奇人・変人」の物語 ─歴史上の人物の人生を精神分析する─というのがおもしろそうだったので、友人と一緒に受講することにした。今日はその二回目で、「奇行」の多かった重田貞一 (十返舎一九)〈1765~1831〉 の話。講師は安岡譽先生で、精神科医(精神鑑定医)、臨床心理士ということで、取り上げた人物の行動が、その人にとってどのような意味があるのかを分析しつつかつ、現代の問題ともからめながらお話しして下さるので、とても面白い。最近の受講の中では、ヒットであった。十返舎一九の辞世が彼らしい。「此世をば どりやおいとまに せん香と ともにつひには 灰(はい)左様なら 」。来週も楽しみである。ちなみに、私は人の話を聞くのが好きな方なので、興味があれば札幌や小樽などにも足を運ぶのだが、期待通りか期待以上のことはさほど多くはない。最近では、結構な長期間の講座(札幌学院大の講座ではない)に申し込み、数回で失望して途中からもうやめようかと思いつつも、ここでやめてはこの虫の好かない講師に「途中でやめた奴」と思われるのが嫌で、意地で最後まで我慢して聞き続けたこともある。なぜその講座に失望したかをここに書きたい気もするが、その講座に満足している人もいるのだろうから、ぐっと我慢しよう。
2014年11月13日
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STAP論文:極秘研究…サインだけの共著者 議論どこに 毎日新聞 2014年04月02日 05時40分(最終更新 04月02日 07時10分)STAP細胞:「不正は小保方氏単独で?」会見一問一答 毎日新聞 2014年04月01日 16時06分(最終更新 04月01日 20時47分)私には、論文疑惑の責任を一身に背負う小保方さんが、利用されて捨てられるモルモットのように感じられる。関連ニュースを読んでいるうちに、下記の記事が目に留まった。学生の代わりに業者が書く「卒論代行サービス」 利用したら「法律違反」になる?こんなサービス(といえるのか?)が成り立っているということは…?卒論作成には指導教授が存在すると思うのだが、学生が自分で書いたかどうか見抜けないのか?学生自身のモラルの問題が一番大きいが、モラルは厳しいモラルの目がなければ育たない。こんな形で大学を卒業する学生には、どんな倫理感・道徳観が育つというのだ。大学教育で育まなくてはならないものは何なのか、いや、「教育」の一番の目的は何なのか、教育関係者は原点から見直してほしい。そしてまた「研究」とは何なのかも、研究という分野で仕事をする人達は、しっかり考えてほしいと思う。
2014年04月02日
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<小保方さん>2011年早大博士論文取り下げの意向毎日新聞 3月15日(土)19時2分配信 若い女性研究者の快挙のニュースのすぐあとの論文疑惑騒動は、ビックリとガックリがないまぜの気分ではあったが、その後の経緯を見ていて、彼女個人の問題としてとらえてはいけないだろうと思うようになってきた。これは、日本の教育の結果だと思うからだ。「画像を加工し、『いけないという認識がなかった』」という言葉からも、彼女の論文作成技法の問題点を、今まで誰もきちんと指摘できなかったということだろう。彼女を批判するならば、今までの彼女の指導教官も批判されねばならない。小・中・高の日本の現在の教育システムの中では、レポート作成のイロハをきちんと教えてはいないのではないか。小学校・中学校の学校祭などで作成される壁新聞を見る機会が何度かあったけれど、その文章の中には明らかに新聞や書籍からの引用であろうと感じるものがあるが、その原典について明記しているものはなかったように思う。多分、中学校あたりからの課題のレポートなども、現在であればインターネットからのコピペの多用も普通ではないか。きっと、若い小保方さんは、そのような教育環境の中で育ち、要領よくレポートや研究をまとめる力もあり、成績も良かったであろうから、大学や大学院でも研究論文のイロハを学ぶ機会を逸したのではないだろうか。ふと思い出したことがある。もう十数年も前のことであるが、私が慶應の通信課程に在籍しスクーリングを受けた時、教授が「通信の学生の方がレポートを書く力がある」と言っていた。それはそうだろうと、その時は思った。私達は、テキストを読み、参考図書を読み、課題のレポートを書くことが勉強であった。(その過程で、引用の扱いなども学んだ)それに比べて、通学の学生は授業に出席して試験に合格したら良いわけで、通信学生には必須の卒業論文も、学部によっては不必要な場合もあると聞いた。(実際に、息子の大学も卒業論文は必須ではなかった)学校というところは、成績の良い生徒には甘い傾向がある。そのような学生は、決して少なくはないだろう。ひょっとすると、研究論文のイロハや、研究に対する倫理感が欠如したままそれに気づかず、大学の教員、あるいは研究者になって権威だけ身につけ始めている人も…。いやいや、それ以前の中学・高校の教師になった人も、そのあたりの常識が身に付いているかどうか。これが私の杞憂であってほしいと願う。
2014年03月17日
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この一週間出かけることが多くてどうしても書いておかなければならなかったことを書けなかった。それは、慶應通信のスクーリングで出会った友人との、多分14年ぶりの再会のことである。彼女とは、ライティングのスクーリングで出会った。左のフリーページにも書いてある通り、私は英語の単位取得では本当に苦労した。それでも、ずいぶん頑張って勉強はしたものの、私の実力はせいぜい中卒レベル。英会話なんてやったこともなく、ライティングの講師の先生がペラペラと英語で話し始めた時には、私は茫然として固まってしまった。そのため、何か指示された時には隣に座っている人に、「何とおっしゃったのでしょう。私は何をしたらいいのでしょう?」と聞くしかなかった。その時に運良く隣に座っていたのが、英語が得意な彼女だったのだ。彼女はもともと日赤の看護師で、海外支援プロジェクトにも参加するような人だったので、多分、スクーリングなどはお茶の子さいさいだったのだろう。きっと、何もわからない私をみて、「こんな人でもスクーリングを受けてるんだ」と思ったことだろう。それはさておき、午前中はライティング、午後は「家族社会学」を受講していたのだが、午後の教室に行った時に、何と彼女の姿をみつけた。いつものことではあるが、私は情報交換の意味も含めて、できるだけ話ができそうな人を見つけて声をかけることにしていたのだが、ライティングの授業で彼女の人柄に惹かれていた私は、迷うことなく声をかけたのだった。その時に、連絡先などを交換したのかどうかはわからないが、その後のスクーリングで再会していることから、私が彼女と友達になりたいと思っていたのは確かである。彼女はすでに指導的な立場にあったようで、更なるステップアップのために大卒の資格を取ろうとしていた。はっきりした目標があり、能力も高かったのだろう。何と、仕事をしながら五年で卒業したという。今まで何人もの通信生と出会ってきたが、仕事をしながら5年で卒業というのはすごいの一言。それだけでも、心から尊敬してしまう。彼女から先週札幌で開催された「災害看護学会」に参加するため来道するという連絡が入り、終了後の先週の土日に会うことが決まってから、私はその日をとても楽しみにしていた。とにかく、忙しい彼女が声をかけてくれたということが嬉しかった。彼女のような人であれば、素晴らしい友人が日本のみならず世界各国にいるはずで、私のよう北海道の地方都市で地味に暮らしている者に声をかけてもらえるなんて、という嬉しさである。そして待ちに待った8月24日、土曜日となった。その日は、札幌発の1日バスツアーで旭山動物園と富良野巡りに参加することになっていた。せっかくの北海道なので天気が良いことを願っていたのだが、天気予報はマーク。集合場所で彼女の顔がわかるかどうかと少し不安であったが、(実は、印象は記憶にあるが、顔は思い出せないままだった…)姿を見た時にすぐにわかったのは自分でもびっくり。つまり、私の記憶の中の印象のままだったのだ。少なくても14年は経過しているので、彼女だってその分年を重ねているはずなのに、話し始めるとその時間を一気に飛び越えた感じがした。何と言っても、直接ゆっくり話すのは3回目のはず。在学中は勉強やスクーリング、卒論の話ばっかりで、彼女の個人的なことはほとんど知らないまま。彼女だって、私のことはあまり知らないはず。もっとも私のこのブログは多少読んでいると思うが、ブログには具体的なことはぼかしていることが多いし…。ともあれ、そんなことでバスの中では話し続けた。(もちろん、周囲の邪魔にならないよう、また景色も見てほしいと思いつつ)彼女の現在の仕事のこと研究テーマのこと、私の今関わっていることなどなど話すうちに、全然違う場で仕事や活動をしているのだけど、リンクすることが沢山あることを感じ、本当に楽しい会話であった。その中で本当にビックリしたことを一つ書いておこう。私は卒論で「家族システムの危機対処行動」について書いたのだが、彼女はそれをよく覚えていたのだ。取り上げた「二重ABCXモデル(アメリカの社会学者・マッカバン)」について話し始めたのには、本当に驚いた。なぜなら、私自身の記憶のかなたになっていて、ほとんど思い出すこともなくなっていたからだ。彼女の仕事の関係でその理論に触れる機会があるのだろうと思うが、私の卒論について覚えていてくれたというのが、なんだかとっても嬉しかった。バスの中ではそんな話がはずんでいたのだが、途中でものすごい「ゲリラ豪雨」となり、旭山動物園も美瑛や富良野も雨を覚悟したのだが、天も私達の再会を喜んでくれたのだろう。バスを降りて外を歩かなくてはならない時は、空に晴れ間が見えるということが繰り返され、とうとう持参の傘は日傘として使うだけとなった。当日のガイドさんが「晴れ女」ということで、その日はガイドさんに感謝したのだが、ひょっとすると私達のパワーが雨雲を追いやったのかもと思う。というのは、次の日もやはり同じような感じだったからである。その夜は私の地元のビジネスホテルで宿泊してくれたので、午後2時までは時間があるという彼女を、私の親友にドライバーとなってもらい、恵庭渓谷からオコタンぺ湖、支笏湖、千歳の「鮭のふるさと館」などを案内した。この日も、何とか雨雲の合間をかいくぐりながら無事に千歳空港まで送ることができた。この日ドライバーになってもらったIさんは、今の私のソウルメイトのような人。大好きなこの二人を引き合わせることができたことが、本当に幸せである。今回の彼女との再会で、通信での勉強が終わって以来の知的刺激を受けた感じがしている。今の私は、現在関わっていることを淡々と続け、新しいことは余程のことがない限り手をつけないと決めていた。それなのに、彼女にマッカバンのことを思い出させられて、帰宅してから自分の卒論を引っ張り出して読んでみて、再認識したことがあるのだ。意識はしていなかったけれど、今の私の続けている活動の方向性は、確かにこの卒論で考えたことがベースになっているのだと。そして、「実践者と研究者」がもっと連携して、現実の課題を解決してゆくために役立つ研究にしてほしいと強く思ったことを思い出した。そして、実践者としての私ができることは、「淡々と活動を継続する」ことだけではないような気もしている。何ができるのかはまだわからない。もう少し自分の思いを熟成させたいと思うが、そんな気持ちになったのは、間違いなく彼女との再会のおかげである。私は「人の思い」は必ずその人の行動につながると思っている。今の私の思いが、私の行動を変化させるのかどうか、ちょっと見つめてゆきたいと思う。Mikikoさん、来てくれて本当にありがとう。これからもよろしくね。
2013年09月01日
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もともとこのブログは、左側のフリーページにある通信で大学を卒業した体験記で、通信で大学卒業を目指している人たちへの応援や参考になればと思って始めたものである。しかし、卒業してすでに13年。時代遅れになっているのではないかと、正直なところ心配である。そんな気持ちで、現在の慶應大学通信課程について書いてある他の人の記事を少し見てみたら、最近は入学選考で不合格になる人も多いとか私の入学時は、実際のところはよくわからないが、在学中に出会った人から入学そのものが難しいとは聞いたことはなかった。小論文(多分、入学動機や学びたいことなどを書く程度だったと思う)が必要だったが、それに格別苦労した記憶がないので、高校卒業程度の文章力があればいいのだと思っていた。私は、通信教育の良いところは、入口(入学)は広くて卒業が難しいことだと思っている。レポートや試験である程度の力をつけて、卒業に値するということを認めてもらってこそ、卒業の喜びがあるというものである。それが、入学選考で不合格となってしまうなら、一般入試と変わらなくなってしまうではないか。私が入学した頃は学生数も多く、レポート提出者も多かったようで、レポート返却が遅かったこともあった。また、スクーリング受講者も多かったから、毎日の席取り争いも熾烈で、少しばかり選考基準のハードルを上げたのかもしれないと思う。しかし、入学者は多くても、やがて単位をとれずに去ってゆく人たちもたくさんいた。挫折する人たちの多くは、私の想像や印象では、レポートを書く力が少し弱いことや、学生の頃の「一夜漬け」的な勉強で試験を受けようとする人ではないかと思う。どんな形で入学しようとも、たぶん卒業までたどりつく人たちは、諦めない粘り強さと、学ぶ喜びを味わっている人たちだろうと思う。そんな意味では、通信での学び方には普遍性があるのではないだろうか。ということで、私の体験記は少し時代遅れにはなっているでしょうが、こんな先輩もいたのだという程度に、お読みいただければ幸いです。
2013年01月09日
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田中文科相不認可問題 3大学新設を一転認可 野党側、政治責任を追及へ産経新聞 11月7日(水)お騒がわせ田中大臣の問題提起は、予想以上に早く腰砕けになり、予想通り「政治責任問題」となりそうだ。しかし、本当の政治責任は、田中大臣の言動云々ではなく、この国の教育のありかたについてきちんと見直すことではないのか。「大学が増えすぎて、大学の質の低下がある」というのは事実だろう。今では、大学入学を希望し親に経済力があれば、どこかの大学には入学できるのではないかと思う。問題は、なぜ大学に行こうとするのかということだ。本来大学は「学びたい」と思って行くものだと思うが、現在では義務教育の延長線上に大学があるような気がする。その背景には、いまだに根強い「学歴社会(信仰)」がある。子ども自身の何をやりたいのか、何を学びたいのかという目標が曖昧のままに、中学時代は「とりあえず(より偏差値の高い)高校に入学」が目標となり、高校時代は「とりあえず(より偏差値の高い)大学に入学」が目標となる。それだけではやはりまずいだろうという中・高校の考えもあり、在学中には一応「将来の目標」などと作文を書かされたりはしているが、子ども達は、親や教師の評価受けのしやすい仕事や目標を設定し、自分でそう思っているとごまかしていることも多いのではないか。最近は、学力低下が問題となり、小中学校では学力テスト向けの模擬テストなどもあるらしい。一直線に「高校→大学」というレールを走らせられている子ども達には、当然、自分の本音と反することを強いられたストレスが強まり、中には、学校の在り方や雰囲気に違和感を覚え、友人関係の些細なこともストレス強化となり、心身症となったり、登校拒否・不登校となっている子ども達は多い。現在は、中学生では37人に一人、高校生は60人に1人が不登校とされている。高校生になると、義務教育とは違うので長期の不登校は無理で、結果的に休学→中退となる。不登校生徒は若干減少傾向と文科省は言うけれど、まず少子化で子供の数は減少しているし、保健室登校・適応指導教室・フリースクール通学なども登校にカウントしているから、学校を拒否している子ども達の数は相当数に上っているはずだ。まだ、何らかの形で「学ぶ場」の選択ができればいいのだが、フリースクールもない地域では、ほとんど基礎学力をつける機会のないままに成長する子ども達も多い。これらのことを考えると、日本の青少年の学力不足は想像以上ではないかと思う。既存の小・中・高校の教育の場から離れざるを得なかった子ども達の受け皿しては、フリースクール、ホームエデュケーション、シュタイナー・モンテッソーリの教育、外国人学校、インターナショナルスクール、自主夜間中学などがあるけれど、ほとんどがNPOや有志の使命感と必死の努力で運営されている。そして、そのほとんどに公的補助金は入っていないのが現状だ。つまり、それらの場で学ぶためには、それなりの親の経済力が必要で、貧困家庭の子ども達には、選ぶ自由もないのだ。以上 多様な学び保障法を実現する会 のHP参照私は、大学の質の低下云々よりも、大切な子ども達の未来のために、教育行政はこれらのフリースクール等を認可し、補助金を確保してほしいと願っている。小・中・高校で不登校であった子ども達の中には、「やはり学びたい」という若者も多い。その子達は「高校卒業認定試験」を取って大学に進学する者も多い。大学が増えたおかげで、中学・高校とまったく通学していなくても、ちゃんと大学の受け皿はあるのだ。それについては、ありがたいと思っているけれど、問題はその場合でもなお、はっきりとした「学びたい」という意志とは少しずれている。「人並に大学を出たい」という思いに近い。私がこのブログを書くようになったきっかけは、50歳で慶應の通信課程を卒業した体験を、後輩たちの参考になればと思ったからだ。自分の経験から、学びたいときに学ぶのが一番だと思っている。「学びたい」というはっきりした意欲がわかない場合は、まずは社会で働くことだと思っている。昨日のブログにも書いたけれど、私の20代~30代は、仕事を通じてもがき苦しんだ。その期間に、私は「もっと学びたい」という思いがどんどん強くなっていった。大卒ではないコンプレックスと闘った時期も、今となっては大切な期間だった。もう十分、学びたい人が学ぶだけの「大学」はあると思っている。だから、これからはそれぞれに合った基礎学力を子ども達みんながつけることができるように、義務教育期間の受け皿の充実に教育財源を使ってほしいと願っている。
2012年11月08日
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このブログを始めたのは、慶應大学文学部を通信教育で卒業した体験が、これから始めようとしている人、または現在頑張っている人への参考になれば思ったのがきっかけ。どんな勉強であれ、通信教育で学校を卒業したり資格を取ったりすることは、独学が基本であり孤独なものだ。このような勉強方法でいいのかという不安も、常につきまとうことだろう。でも、卒業してからもう10年以上もたち、そのことでメールや書き込みをいただくことも本当に少なくなった。だが先日、本当に久しぶりに、同じ慶応の一類で勉強を始めた方からメールをいただいた。懐かしくなって通信教育関係のページを見直したりしていて、ふと気付いた。実は私は、慶應卒業後の数年後に、同じく通信教育で図書館司書資格を取ったのである。これは明星大学の通信教育部での、図書館司書課程履修生となり、二年間で司書資格をとったというわけである。慶應で学んでいた時、図書館には大変お世話になったし、その頃から図書館を中心としたボランティア活動にも関わっていたので、少しでも図書館での活動の役に立てばという思いと、あわよくばパートでもいいから図書館の仕事がしてみたいという夢もあった。結果的には、司書資格を生かす仕事にはつくことはなかったけれど、その後の図書館関係の活動にはとてもとても役に立った。現在も色々な場面で図書館に対する意見を言う機会があるが、図書館の役割・使命、図書館サービスのありかたなどについて、全体がわかっているのといないとでは、意見の言い方が違ってくる。図書館司書の勉強のためのレポートやスクーリングは、慶應でのものとは全く違った。科目試験は慶応の方が難しかったように思うが、レポートやスクーリングは、図書館司書課程の方が私には厳しかった。図書館司書の仕事の内容、特にレファレンスと関連するが、レポートは課題に対して必要なことがきちんと網羅されていなければいけなかった。「大体いいだろう」というあいまいさでは、再提出となってしまう。というわけで、私はレポートは何度も再提出をすることになった。スクーリングで難しかったのは、それまで全くなじみのなかった特に、資料の分類法や目録法は、予習しようにもテキストを読むだけではよくわからず、「まあ、スクーリングに行ったら何とかなるさ」と、慶應でのスクーリングをイメージしていたら大間違いだった。結局、スクーリング中に完全に理解することができず、慶應でもなかったスクーリングの再受講をしてしまった。とても役に立ったのは、スクーリングでパソコンなどを使った資料検索ツールを知ったこと。そして、レファレンスということが理解でき、それが司書の仕事の重要な要だと知ったことである。図書館は間違っても単なる貸本業ではないということが、それらの勉強によってはっきりと知ったことが、その後の私の図書館との関わり方を大きく変えたとも言える。今の私は、地元の図書館の理解者であると同時に、司書の人たちにとっては「味方なのか、意地悪ばあさんなのか」という感じだろう。それでも、大好きな図書館にそのような形で関われることが、私には喜びであることは間違いない。私は、通信教育で得た卒業資格も司書資格も、そのものとしては生かしてはいないけれど、日々の活動の中では大きな力となっている。学んだ知識は必ず過去のものとなる。でも、その知識をとっかかりとして、次の道筋を考えることはできる。それが多分、「学ぶことの意義」なのではないかとも思ったりする。
2011年05月20日
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入試ネット投稿 1人でやった…仙台の19歳予備校生逮捕毎日新聞 3月3日(木)21時13分配信カンニングでとうとう逮捕。日本はここまできたのかと、複雑な気持ちになってしまった。このニュースが出始めてから、携帯電話の最新機能事情を知るにつけ、こんな道具があるなら、やりたくなるだろうなと受験生に同情の気持ちが湧いていた。カンニングは「試験」というものが始まって以来、きっと様々な工夫をこらしてやっていた「ズル」だろうと思う。決して良いことではないが、試験で選抜されたり競争させられたりしたら、「カンニングへの誘惑」は必ず生じるものだろう。現実にやるかやらないかは別として…。実は私も、カンニングペーパーを何度も作ったことがある。一番作ったのは、恥ずかしながら通信教育で大学の勉強をしていたころだ。しかし、実際にそれを使ってカンニングしたことはない。それは、私の正義感・倫理観というよりも、格別に私が憶病だったせいだ。最初に作ったのがいつか覚えていないが、「持ち込み不可」の科目で、覚えなくてはならないことがいっぱいあった科目だと思う。私はフリーページの「科目試験」の項に書いたように、試験勉強にはカードを作って持ち歩き暗記作業を繰り返していた。そのカードの中でなかなか覚えられないものを、一枚か二枚の小さなペーパーに小さな字で書いて、試験直前まで見たりしていたから、それをポケットに入れていたのだ。はっきり言って、カンニングペーパーと言えるだろう。多分最初は、いざとなったらそれを盗み見るつもりだったはずだ。しかし、現実には私はそれをせずに済んだ。臆病であり見つかった時のことを考えると恐ろしかったせいもあるが、それだけ自分の弱点を整理する作業をすると、衰えかかった脳でも記憶として定着するものだからだ。ということで、私は「お守り」のようにカンニングペーパーを何度か作ったと思う。もう一つ、カンニングで思い出したことがある。高校時代、定期試験の時に監督になる先生の中には、まったく監督にはならない先生がいた。ひどい時には、教卓を枕にぐっすり寝込んでしまう。当然、生徒達は馬鹿にして、その時間はカンニングのやり放題。堂々と試験用紙が「その科目が得意な子」から「不得意な子」に回っていた。一応進学クラスで男子が多かったせいもあり、実行しているのは男子ばかりだったように思う。(その中には、教師になった人もいる)高校三年生の終わり頃の試験の時、一度だけカンニングを企てたことがある。私の前の席の子は英語が得意で、比べて私と後ろの席の子は英語が苦手。カンニングという禁断の方法をやってみることに話が決まった。(誰がどんな発端で言い出したのか、覚えていない。 ひょっとすると、一番英語嫌いの私が「助けてー」と言ったのかもしれない)前の席の子が解答用紙を少しぶら下げる感じで、私が盗み見をして書き、それを後ろの席の子に同様に見せる手はずだった。しかし、どんなことでも初体験は緊張とドキドキが伴うもので、多分私たち三人は緊張のために通常の雰囲気ではなかったはずだ。結果的に、勘のいい試験監督の先生は、何となく私達の動きというか雰囲気を「変だ」と察したのか、私達の近くの教室後方に陣取った。それで私達のカンニングは未遂となったのである。この時の監督が、前記の試験中に寝てしまう先生なら、私達はめでたくカンニングをして、あまり罪悪感を感じなかったのかもしれない。今回のことで、どうして大学の試験監督は全く気付かなかったのだろうと不思議であった。カンニングが悪いことは、受験生ならだれでもわかっているはずだ。たとえ良い方法を見つけたとしても、それが実行されるのはカンニングしやすい環境に決まっている。大学の入験がどのようなものかわからないが、受験生を逮捕するなら、試験監督責任も問うべきだろう。大学が謝って終わるのなら、なんだか不公平な気がする。【追記】↑大学側が謝っているんだと思い込んでいたが、テレビで見て「謝っていた」のは予備校だったことに今気付いた。京都大学は「監督体制は万全だった」と謝ってはいないのね。実際にカンニングを許したのに、この言い方ってどうなんだろう。腹が立ってきた。京大総長、会見で逮捕の予備校生に「深く反省して更生を」産経新聞 3月3日(木)21時57分配信 京都大などの入試問題が試験時間中にインターネットの質問サイトに投稿された偽計業務妨害事件で、京都大の松本紘総長は3日、大学本部で記者会見した。仙台市の男子予備校生(19)が逮捕されたことについて「受験生の不正行為が事実であれば残念。反省し、更生していただきたい」と述べた。 松本総長は冒頭、「午前中に京都府警からの要請があり、資料を提出した」と説明。今回の事件について「厳正、公正であるべき入試で、受験生や社会に不安を与えることになり誠に残念」との見解を示した。 一方、監督態勢に不備がなかったか問われると「監督態勢は万全だった。それをかいくぐったのであれば、新たな対応を考えていく」と述べた。 京大は10日の合格発表に向け、予備校生の答案も含め採点作業中。松本総長は「不正行為が発覚した場合には失格、不合格にする」としているが、大学側は、「逮捕されたことだけで不合格にはしない」との意向も示しており、予備校生が合格した場合、不正行為を確認した段階で、合格を取り消す。 一方、京大や同志社大の学生、受験生からはさまざまな声が聞かれた。 京大文学部2年の男子学生(21)は「日本中を騒がせていた人物が捕まってよかった。今後、大学はいろいろ対策をとるだろうが、もっとすごいカンニングの手口は出てくると思う」。 同志社大文学部1年の女子学生(19)は「受験の辛さはよく覚えている。浪人生なので後がないという思いがあったのでは。彼のおかげで受験会場での携帯電話のチェックが厳しくなるなど、多くの受験生に迷惑をかけたことを反省してほしい」と話した。 一方、今年の京大文学部を受験した京都市内の男子高校生(18)は「本当にそんな不正をする人がいるのだと驚いた。ヤフー知恵袋をカンニングに使うアイデアはなかなか思いつかない。その発想力を勉強に向けたら、不正なんてしなくても合格できるはず」と話した。
2011年03月04日
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もともとは、慶應通信課程で卒業した体験ブログだったのだが、卒業して9年も経つともう、書くネタもなくなってしまった。そんな私なのだが、このところ「慶應通信」を意識することがちょっとあった。二週間ほど前だったろうか、慶應から「卒業生のみなさんへ」のようなものが送られてきた。これは、年に一回か二回送られてくるものなのだが、まあ、「お知らせと協力依頼」に近いものだ。「あ、またか」という感じで、チラッと見たあと古新聞に紛れてしまうので手元にはないが、いつもちょっと気になることがある。通信で卒業したので、通信課程で特筆するニュースがあるかと見るのだが、今まで目にしたことがない。「創立150周年」の事業が色々あったと思うが、それにも通信関連のものはなかったような気が・・。まあ、仕方ないわね・・とは思うが、ちょっと「大人数兄弟の忘れられた末っ子扱い」されたような気分。もうちょっと、気を使ってほしいなと思ったりする。そんな記憶もまだ残っている数日前、同期に慶應通信に入学した人にすれ違いそうになった。私は、最近近視が強くなってきているので、少し離れた人の顔を判別しにくくなっている。その私が、前方から来た女性がフッと顔を横に向け、四つ角を曲がろうとするのに気付いた。直感で、「避けられている」と感じ「誰かな?」と目を凝らすと、同期に入学した彼女だと気付いた。多分、卒業はしていないのだろう。私よりずっと若く独身だった彼女は、最初は仕事との両立を目指していたのだが、数年後に「両立は無理だから、まずは卒業する」と言っていた。そのあたりまでは、私も試験会場などで勉強の進捗状況を話したりしていた。確か、文学部の別の類から、私と同じ一類に変更したはずだ。やがて私が卒業に近くなった頃から、彼女を試験会場で見ることが減った。私が受験しなくなったからだろうと、あまり気にもしていなかった。しかし、卒業したあとの慶友会「卒論発表会」でも、彼女の姿は見なかった。ひょっとしたら、スランプだろうかと思っていたが、そのまま時間が過ぎている。あれは、明らかに私を避けたのだと思う。私と会って、「大学、どうした?」と聞かれるのがイヤだったのではないかと思う。なんだか、ちょっと気の毒な気がする。頑張ったからといって、すべてがうまくいかないのが人生だ。ある時めざしたものが手に入らなくたって、それがマイナスになるとは限らない。いや、思いもかけぬ形で、違うステップに繋がることだってある。いつか、ばったり出会って、「あら、元気にしてる?」と、その後を語り合いたいものだと思う。
2009年03月10日
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「ゆみコアさん」からメールが届いたので書かれていたアドレスにお返事を書いたのですが、なぜか届きません。それで、日記にお返事を書くことにしました。見てくださればいいのですが・・。ゆみコアさん 、メールありがとうございました。2004年10月に入学され、来年卒業予定とは、本当によく頑張られましたね。私のブログが、多少なりと励ましになったということで、私も本当に嬉しいです。卒業して随分たつのに、時代遅れの内容を公開していることが少し恥ずかしくなっていたのですが、このようなメールをいただくと、もう少しこのままでもいいのかなと思ったりします。通信での卒業の達成感は、格別なものがあります。多分、どなたでも同じではないかと思います。私の58年の人生の中でも、これまでのところあの達成感は他に比較できないものです。ですから、今学んでいる人には、何とか諦めずに続けて、あの晴れ晴れとした気持ちを味わっていただきたいと思うのです。とにかく、本当に良かったですね。そして、わざわざのご報告、本当にありがとうございました。みらいより
2008年10月18日
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昨日、福祉現場で働く友人に誘われ、午後から「社会福祉研究交流集会」のシンポジウムに参加した。昨年は、自立支援関係の研修などには何度か出かけたけれど、研究者の話をまとまって聞く機会はなく、久しぶりに本質的なことを考える機会を得た。福祉の仕事をしていても、次々に案内が来る行政主催の「研修、説明」のような場には出ることはあっても、参加義務の無いこのようなセミナーやシンポジウムなどには、多忙さにかまけてなかなか出席できないものである。(それに、ほとんどが出張扱いにはならずに自費参加だし・・)そんな中で、このような機会に私を誘って行こうとした知人の向上心には感心する。その彼女も、福祉行政の大切な仕事を担っているのに、非常勤職員なのである。今回のテーマは「今日の貧困と社会福祉の方向 -ナショナルミニマムの再構築に向けて-」四人の研究者、実践者の報告を聞き、わずかであるが現在の状況が少しは整理されたような気がする。そしてそれは、全て政治の方向と連動してきたものであり、現代の所得格差の状況もデーターや統計で、その要因までもかなり明確に現れている。そんな中で、昨今の「生活保護」に対する不祥事などもあって、その矛先は生活保護受給者に対する「自己責任」という冷たい目で見直しを迫られている。保護費が高すぎるのではないかという指摘は、決して当たってはいない。むしろ、保護基準以下の所得で頑張り続けている貧困層が増大しているわけで、その影響は少子化や子どもの様々な問題が発生する土壌になっているのだ。保護費を削るのではなく、もっと保護を利用できるような政策転換が必要なのだろうと、報告者の話を聞きながら私も思った。今までも漠然とそのようなことは思ってはいたが、今回のようにデーターなどを積み上げて説明されると「目から鱗」の気分だった。そして、このような話が、もっと行政や政治の場に届かなくては意味をなさないとも。しかし、今の政治・行政システムの中では、現在の施策を推し進めようとする人たちにとっては邪魔な主張だから、無視されてしまうのだろう。そして、同じ学者でも施策に都合の良い論理を提示する人たちは、「御用学者」となって幅を利かしていくのかもしれない。となれば、やはり痛みを感じる人たち、痛みを感じる人たちと接している人たちが、連携・協力して声をあげていくしかないが、今は「派遣労働」「非常勤・パート」などと現場を支える人たちが分断されていて、それも難しくなっている。うーん、こんな状況を抱えながら、政治家や官僚達はこの国をどんな国にしようと思っているのか。
2008年08月31日
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今日は、忙しい1日だった。午前中は、北大での初聴講。仕事の関係で、どれだけ出席できるかわからないが、できるだけ諦めずに行きたいと思う。久しぶりの大学の講義は、とても楽しかった。現在の仕事や活動ともとてもリンクする内容なので、多分あの教室の中では、一番喜んでいるのは私だろう。その後、職場で仕事を終えてから、別の大学の公開講座へ。今は、帰宅途中のJRの中でメールを打っている。疲れたけど充実感がある。写真は、北大のクラーク像。半年間、よろしくお願いします。
2007年10月17日
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昨日は、仕事上のセミナー参加のために札幌へ。毎日、事業所でバタバタバタバタと過ごしているので、久しぶりに「セミナー」というものに参加することを楽しみにしていた。しかし、ほとんどが行政の説明を聞くばかりの「説明会」で、はっきり言って、つまらなかった。しかし、今までよくわからなかったこと、知らなかったことが色々と理解できたので、参加して良かったとは思っている。セミナーの会場は札幌医大の講堂だったので、今頃、慶應ではスクーリングが始まっているのだろうなと、ふと思い出した。私が在学していた頃とは、担当教授や開設科目も随分変わっているのだろう。あの、暑い日々がとても懐かしい。
2007年08月03日
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今月の初旬、北大文学部の聴講の願書を提出していた。1月16日の日記「聴講生へのリサーチの日」以来、聴講したい科目を主にインターネットを使って調べ、最終的に北大文学部のY先生の科目を聴講しようと決めたのだった。メールで直接先生とやりとりをして、科目を決め、先週願書を提出してきたのだ。この時点では、まだ仕事の話は影も形も無く、本当は4月から聴講できると思っていたのだが、今年のY先生の講義は後期(十月から)と知り、ガッカリしながらもそれで申し込んだのだ。今、許可通知を手に取りながら、「これも天の采配か・・」なんて、ふと思ってしまった。4月からの受講となれば、私自身「間が悪いな・・」と思ったはず。後期からとなれば、週に一度の半日都合くらいは、何とかなるのではなかろうか。色々なことが、全てうまくいくように廻っている感じ。そうは問屋が卸さないということもあるかもしれないが、少なくても今は「私ってついているかも」と・・・。ところで、「ついている」ってよく使うけど、何がついているんだろう。一般的には「幸運」が付いているという意味なのだろうが、ひょっとすると「守護霊」が憑いていて、そのように仕向けているとか?どっちにせよ、今のところ私はついてるようだ。
2007年03月15日
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4月から、どこかの大学で聴講、もしくは科目履修をしようかなと考えている。今日は、札幌に所用があったので、「北海道大学」に行ってみた。北大は、北大病院には何度かお見舞いに行ったことがあるが、まともに大学構内を歩いたのは初めて。家を出る前に北大のHPを見てみたが、聴講生になるための手続きはどこに行ったらよいかはっきりとわからなかったので、まずは大学の事務局へ。そこの受付の人が教えてくれたところへは、ちょうど止まっていた「構内循環バス」に乗っていった。しかし、そこで聞いたら、結局希望の学部ごとで受け付けるということなので、またまた「文学部」「教育学部」の校舎に向かう。循環バス乗り場は沢山の人で混んでいたため、構内見物も兼ねて歩くことにした。いやー、本当に北大の構内は広い。慶応大学も結構広いと思っていたが、はっきり言って比較にならない。何せ循環バスが必要な広さなのだから。結局は、まだ19年度の出願要綱やシラバスができていないということで、18年度の要綱や学部案内を貰い、今年度のシラバス(持ち出し不可)を見せてもらった。本当は、札幌市内の別の私学も行こうかと思っていたのだが、北大構内を歩き回ったため疲れてしまい、本来の用事をすませて帰宅。費用としては、検定料9,800円、入学料28,200円授業料は一単位14,800円。一般的に二単位以上なので、一科目20,600円。うーん、結構かかるものなのだなという印象。でも、このくらいお金を出さなければ、真剣に勉強しないかも・・。私大なら、当然もっと費用がかかるのだろうしね。まずは一科目を選んで、北大で聴講しようかと今は思っている。大学構内の雰囲気は、とても良かったし・・。
2007年01月16日
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慶應大学では、今日から夏期スクーリングが始まっているはず。今頃は日吉キャンパスの各教室で、受講生たちが意欲と期待に満ちて教授たちの講義を聞いていることだろう。慶應だけではなく、通信課程のある各大学のキャンパスは、様々な年代の学生たちが一杯だろう。外気温の暑さと、教室の冷房との温度差は、体調を崩しやすくなる。一日中座りっぱなしの姿勢は、足のむくみを誘発する。講義の後の仲間同士のコミュニケーションは、睡眠不足になりやすい。受講生の皆さん、体調管理に気をつけて、有意義なスクーリングを
2006年08月01日
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私の日記を見てくださったTさんから、先日「教育史」についてのご質問メールがあった。「なかなか試験に合格しないので、合格のコツなどご存知でしたら是非教えて欲しい」ということだった。それへのお返事メールを出したのだが、ひょっとすると同じように悩んでいる人もいらっしゃるかと思い、返信を多少編集して日記にアップすることにした。また、「合格のコツ」などがあるのかどうか、私にはわからない。あえて言うなら、「重要ポイントをキチンと理解し把握すること」くらいだろう。・・・・・・・・・・・・「教育史」の試験は、私も二回目で合格しています。もう随分前のことですので記憶も定かではないのですが、お返事の前提として、テキストは田中克佳先生の、昭和57年初版ですか?一回目の試験問題は、たしか「教育勅語」についてだったと思います。私は、これについてあまり勉強していなかったので、私にとっては「穴」でした。でも、二回目、合格した時の問題が何だったかは覚えていません。私は、基本的な勉強の方法として、テキストをノートにまとめてゆき、持ち込み不可の科目は、その要点をカードに項目ごとに整理しました。(フリーページの科目試験(1)参照)確認したところ、教育史関係のカードがありますので、当時は持ち込み不可科目だったようです。最終的にカードにするためには、私なりに試験に出るだろうと予測して厳選したものです。(これには、過去問題情報が役立ちました。所属していた慶友会仲間からの情報です)15年以上前のことなので参考になるかどうかわかりませんが、当時私が作ったカードの項目は、下記のものです。大項目だけ書きます。この項目を説明するのに不可欠なキーワードや説明を列記したのが「情報カード」で、これを常時ポケットに持ち歩き、チラチラ見ながらブツブツやってました。動きながら、声に出しながらの方が、私は覚えやすかったのです。ですから、キーワードはチラシの裏などに何度も書いて覚えたりしました。・新教育運動・教科書検定への移行・学制・江戸期の学問・江戸期の教育・教学論争・日本におけるヘルバルト主義教授論争・教育勅語の成立一回目の試験の時には、「教育勅語の成立」のカードは作成していなかったはずです。(だから不合格だったと思う。情報カードを作っていた課題が出て不合格になったことはないと記憶しています)二回目は、上記のどれかが出題されたので合格したはずです。現在、どのような出題がされているのかわかりませんので、参考にならないかもしれません。もしも「持込可」の科目であるならば、このテキストには「研究課題」が載っていますので、そのあたりが説明できたら大丈夫だと思うのですが。それでは、諦めずにご健闘なさることを祈ります。
2006年03月06日
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久しぶりに、このHPを見て、通信で在学中の方からメールをいただいた。海外でお仕事をしながら、通信で学んでいらっしゃるということだった。仕事との両立や、海外在住ということで、スクーリングや試験での不利など、色々なことで勉強のモチベーションが上がらないということのようだった。一度、メールでお返事をしたのだが、その返信へのお返事を書きながら、「これは多くの人にあてはまることかもしれない」と思い、こちらの日記に書くことにした。Tさんへスクーリングでは、同じ学部のお仲間と出会えなかったということですね。でも、同じ学部の友人もいいですけれど、他学部の友達も悪くないですよ。特に、一般教養科目では、それぞれ得意分野の知恵を出し合うことができます。また、学ぶ分野が違うということは、生活している世界が違うことも多いので、お話したらとても面白いのです。今は、このようにメールで連絡を取り合ったり、ネットで情報を得たりできますから、便利になりましたね。でも、色々なブログや掲示板などを見ていると、便利になり情報が沢山集まる分だけ、処理能力やその時の本人の学力レベルの問題で、情報やアドバイスに振り回されてしまうこともあるように感じます。レポートは論文ではないので、シンプルに考えた方が単位獲得の早道だと思います。そして、多くの参考書を多用するよりも、じっくりとテキストを含めて2~3冊を読み込んだほうがいいと思います。でも、海外だと参考図書を取り寄せるのにはご不自由でしょうね。そんな時こそ、ネットを通して、その科目の単位をとった人に情報をもらい、間違いのない参考図書を手に入れたら良いと思います。私は、参考図書のほとんどは図書館でリクエストして借りました。科目ごとに参考図書を購入していたら、書棚がどんどん重くなっていきますし、その本を再度読むということは、あまりないのが普通だと思います。海外では、図書館を通しての借用は難しいのかもしれませんが、それならば一層、絶対に無駄にならないような工夫をなさったらどうでしょう。その努力は、ポイントを掴むためには有効かもしれませんしね。お仕事との両立は大変でしょうが、可能な限り自分仕事と関連付けながら勉強すると、次の勉強にリンクしやすくなると思います。コツコツと続けていたら、必ず一歩一歩進んで行きます。あまり気張らず、諦めず、毎日の生活の中にたとえ5分でも勉強を組み込み、ご自分のペースで頑張ってくださいね。
2005年12月15日
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慶應通信で知り合った友人が、現在「図書館司書資格」を取得するために、別の大学の通信教育を受講しているという。彼女は道東に住んでいて、地方スクーリングの受講のために道央に来たため、昨日五年ぶりくらいで会うことが出来た。久しぶりに色々話をして楽しかったのだが、ちょっと驚いたこともあった。実は、私も別の大学で図書館司書資格を取ったのだが、同じ「図書館司書資格取得のための通信教育」でも、大学によってスクーリング内容が随分違うことを知った。資格を取ってしまえば、どの大学で取得したかどうかはあまり関係ないだろうが、日進月歩で情報処理の技術が発達していることを考えると、やはり設備が整ったところで演習科目は学んだ方が良いだろうと思った。図書館の情報ネットワークの処理技術と言うか知識は、パソコンの情報処理技術と共に、図書館関連情報の知識がとても重要だと思う。レファレンス実習も、十分なレファレンス・ツールがなくては・・・。これからの図書館がどのようなものを求められているかをふまえた講義と演習が、絶対に必要だと思うのだが・・。これから「図書館司書資格」を通信教育で取ろうと思う人は、受講しやすいかどうかと共に、その演習内容などについても調べてから学校を選ぶ必要があると感じた。
2005年09月17日
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多分今日から、慶應のスクーリングの三期目が始まるはず。日記リンクしている塾生の方々のスクーリング日記を読みながら、「私も受講したい!!」とジタバタしている私である。もしも今在学中なら、受講したい科目は何だろう。「政治学」「社会心理学」「中東関連」「中韓関連」あたりかな・・。「社会史」なんかも、受講したくてできなかった科目だし。イスラムに関しては受講はしなかったのだけれど講師派遣学習会などで湯川先生のお話をきいたことがある。その前に、「社会科学概論」のレポートを書くため「イスラームの心」黒田壽郎著、を読んでいたので、多少の基礎知識があったのにも関わらず、実際にお話を聞くと目から鱗というか、知らないことばかりであった。「政治学(総合)」はスクーリングで受講したのだが、その講義を受けたお陰で、それからの政治動向を見るときの視点が少し変わったように思う。直接的に現在の問題を講じていただかなくても、上記の講義を受けることで様々な現代の課題が複眼的に見ることができるようになるような気がする。そんな実感を毎回のスクーリングで感じていたものだから、今、スクーリングを受けたらどのようなことに気付くことが出来るのだろうと、こうやって書きながらでも飛んで行きたい気分になる。受講されているみなさんの「スクーリング日記」を読むのが、とても楽しみなこの季節である。
2005年08月19日
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レポートの書き方についてまとめていなかったことに気付いたので、フリーページの「復習のページ」に追加しました。
2005年07月07日
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久しぶりに復習ページに追加した。レポートを見直していると、もう十年前のことなのだけど、つい先日のことのようにその時の気持ちが甦る。でも、すっかり忘れてしまっていることもある。記憶って、不思議だと思う。
2005年07月02日
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フランス在住で慶應通信への入学を考えていらっしゃるEさんからメールをいただいた。そのアドレスにメールを送信したら、なぜかエラーになってしまったので、(多分、アドレスの入力ミスではないか?)こちらにお返事を載せることにする。メール、ありがとうございました。科目試験についてのご質問ですね。フランスにお住まいで、帰国が一年に一度くらいということなのでしょうか。科目試験は、現在は一年に4回だと思いますが、私の在学中は一年に5回、試験を受けることができました。HPにも書きましたが、私は一度の試験に2科目受験をして、一年間で8科目ゲットを目標にしてました。(受験できなかったり、不合格のこともあると思って)1回の科目試験では最大6科目が受験できますので、一年に一度の試験のチャンスに確実に合格するように計画を立てたらどうでしょう。慶應通信で学んでいる人の中には、海外にお住まいの方も結構いらっしゃるようです。でも、スクーリングや科目試験は日本でしか受けられないので、その分だけ大変ですよね。そんな中でも卒業までこぎつける人もいらっしゃるようですので、諦めないでいただきたいと思います。それでは、また何かありましたら、掲示板でもメールでもご遠慮なくどうぞ。
2005年05月21日
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北海道新聞では、「戦禍の記憶」というシリーズ記事が掲載されている。第二次大戦の体験者へのインタビューが中心となったもので、いつも興味深く読んでいる。まだ、体験者がご健在なうちに、このような体験談を記録に残すことは、とても大切なことだと思っている。今日の「第五部、兵士・国内編(5)」では、伏竜特攻隊のことが取り上げられていた。私がこの特攻隊について知ったのは、大学のスクーリングで白井厚教授の講義を受けたことがきっかけであった。白井教授には「社会科学特論(女性解放史)」の講義を受けたのだけれど、ちょうどその時期は「終戦記念日」の時期と重なることもあり、白井先生が企画した「戦争体験談を聴く会(正式な名称は失念)」へのお誘いを受け、私も興味があったので、講義終了後に聴きに行ったのだ。この企画は、私が参加した期間と二年ほど重なったので、「特攻体験談」、そして「学徒出陣」の話などを、直接お聞きする機会を得た。「伏竜特攻隊」については、この時に初めて知った。戦闘機による特攻についてはよく聞くが、潜水服に工夫をしたような装備で、爆弾を持って海中を移動し敵艦を爆破するというもので、素人が考えても「あまりにも無謀」なものである。この時には、確か「人間魚雷ー回天ー」についても聞いたように思うが、まだ「回天」の方が敵艦まで到達する可能性がある。その時に、この「潜水具」とその訓練の状況についても説明を聞いたけれど、危険な装置であるために、訓練中に亡くなった人が多いという話に、戦争末期の軍隊というものは、気が狂っているとしか思えないと感じたものだ。この時には当然、戦闘機による「特攻隊」の生き残りの人の話も聞いた。二度も出陣したが、飛行機がポロだったために途中で墜落や不時着して、三度目の出陣を待っているうちに終戦となったという人の話だった。それを聞いていた年配の女性の言葉も忘れられない。「私は当時女学生で、飛行機の部品を作らされていました。 飛行機について何もわからない女の子が作ったものに乗って、 兵隊さんは出撃なさったのですね。 当時は一所懸命でしたが、ちょっと考えたらとんでもない話です」学徒出陣についても、慶応大学から出陣した人の体験談を聞いた。慶応大学で学んでいた文系の人達は、当然諸外国の事情にも一般庶民よりは通じている。その知識から推察すると、戦争の行方がどのようなことになるのかは、当然予想がついている。学業半ばで心ならずも兵士になった学生達は、どのような思いで出陣したのか。また、当時の学長は小泉信三氏。多くの教え子達を、どのような思いで見送ったのだろうか。三田の図書館では白井先生の尽力で、出陣学徒の遺品の展示などもされていた。誰にもわからぬように、愛する人への気持ちを愛読書にしのばせたという本を見たときには、全身に鳥肌が立ち、熱いものが瞼に込み上げてきた。それは、一ページに一つか二つ、文字に印をつけているものだった。その印のついた文字をたどってゆくと、彼の気持ちが文章になるのだ。あの人たちは、靖国神社で東条英機と共に祀られていることをどのように感じていることだろう。私が慶應通信で学んで本当に良かったと思う理由の一つが、このようにスクーリングで大切なことを学ぶことができたことである。
2005年05月18日
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このHPを見て下さった若い方から、メールをいただいた。主に経済的なことで大学進学をしなかったけれど、「大学に行きたい」と考えていて、その選択肢の一つとして「通信課程」を考えていらっしゃるとの事。経済的事情や、大学に行きたいと考える動機についてはメールだけでははっきりとわからないけれど、一般的な考え方として、老婆心ながらの考えを書いてみよう。まず私は、若い人が「大学進学したい」と考えるならば、その理由の如何によらず、可能ならば通学課程に進学されたら良いと思っている。そのような場合、たいていは「親」が学費を出してくれるであろうし、何よりも通信課程に比較したら格段に「卒業しやすい」のだから。もちろん、「入学試験」というハードルがあるから、その人の学力レベルに合った大学ということになるから、必ずしも「憧れの有名大学」というわけにはいかないだろう。しかし、大切なのは「大学で何を学ぶか」であるので、無理して背伸びをして身の丈に合わない大学にもぐりこむよりは、目をつぶっていても何とか日々の講義や試験についていける大学のほうが色々な意味で良いと私は思う。その方が、勉強を楽しめるし、サークル活動やアルバイトもできるだろうし、友人達や先生達との交流も気楽にできると思うから。若い頃の勉強や大切なことは、学問に限ったことではないのだ。しかし、経済的に大学進学が困難と言う場合には、潔く自分で生きてゆく道を探ることの方が大切だ。本当に学びたいのであれば、夜間部も通信課程ももちろん選択肢の一つだ。しかし、「働きながら学び続ける」ためには、強いモチベーションの維持が重要になる。目的が明確であればあるほど、困難にもメゲズに努力を続けられると思う。通信課程には、若い人達もたくさん入学する。私が所属していた慶友会にも、毎年若い新入生が入会してきた。しかし、何度かの科目試験やスクーリングなどで見かけた後、パッタリと顔が見えなくなっていった人も結構いる。特に慶應は「ブランド大学」として定着しているようで、その名に惹かれて入学する人も多いようだ。だが、実際に卒業までたどりつくのは、若い人よりも「中高年」が結構多い。それが何を意味しているのか。しかしまた、通信の学費は通学課程に比較すると桁違いに安い。若い時には、まずは試してみるのも一手なのだろうと思う。チャレンジして実際に勉強を始めてみて、自分にとっての目標や目的と合致していると感じたなら、きっとコツコツと歩み続けることができるだろう。反対に「想像していたのと違うな?」と思い、別の道に魅力を感じたならば、その時こそ本当に自分の求めていることに出合うかも知れない。通信での学びは基本的に「独学」なので、レポートを見せ合い写すことはご法度である。(参考に見せ合うだけなら問題はないのだが)プログを書いたりしていて文章を書くことが好きな人はレポートもさほど苦労しないかもしれないが、文章で自分の考えをまとめてゆくことが苦手な人は、多分レポートでは大変な苦労をすることだろう。しかし、その分だけ、「自分の考えを整理して言葉にする力」は、間違いなくついてゆく。私は、43歳で入学した。つくづくと、私にはその時が「学び時」だったのだと思う。20代ならば「仕事と育児」で目いっぱいだったし、30代では仕事への欲のほうが優先していた。しかしその時代に、社会に対する様々な疑問が次々と渦巻き始め、自分の中に「もっと学びたい」という欲がムクムクと湧いてきた。その強い動機がなければ、私は通信での勉強を楽しめなかったと思う。私は何度も「私でも卒業できた」と書いているけれど、それは「簡単だから卒業できる」という意味ではない。私のように格別の能力がなくても、学ぶことが楽しみとなったら、苦労も楽しみに変えることができるし励みにもなり、自分でも予想外の成果を得ることができると思ったからである。通信課程の門戸は広い。しかし、卒業の門は人によってはとても狭い。それだけは頭に置いて、ご自分の歩み方を考えて欲しいと願うし、もしも入学なさったのなら、できるだけ早期に諦めることはせず、自分がどうして入学したのかという「初心」を大切にしてほしいと思っている。
2005年04月25日
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慶應通信関係のブログなどを見ていたら、「史学系レポート」で苦労していらっしゃる日記を見かけた。私には史学系の科目は比較的楽だったので、「人それぞれだなあ、それとも私は楽なのばかり選択したのかも」と思っている。それで、自分の史学系のレポートとテキストを読み直し、最初に取得した史学類の専門科目、「西洋史特殊1」について書いてみた。そちらにも書いたのだけれど、私は歴史が得意でも詳しくもないので、素直にテキストや参考図書などをまとめたのが良かったのかもしれない。何の科目についても言えることだと思うが、レポートは「研究」ではないので、あまりにも学術的で高度な資料を複数利用しようとしたら、頭の中がゴチャゴチャになって上手にまとめられなくなることもある。参考図書は、「自分にとってわかりやすい」ことを大切にして選ぶのが良いと思う。私がこのほかに取った史学系テキスト科目は「西洋史概説2」「西洋史特3」「考古学」「日本史特殊1」「オリエント考古学」である。どれも、それほど苦労した記憶がないし、再提出にもなっていない。不思議なのだけれど、わからないからわかるよう書いたのが良かったのだろうと、勝手に想像している。
2005年04月22日
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通信教育のテーマを見ていたら、在学生に慶應のスクーリング開催要綱が届いたようだ。今はまだ4月半ば、私の在学中はこんなに早く届いていたかなあ?私が慶應通信を選んだ大きな理由は、スクーリングへの期待であった。つまり、「東京でしかスクーリングがないこと」。これには色々な理由があるのだが、とにかく一年に一度、日常生活から完全に離れて、私のことを誰も知らない場所に身を置き、一人の学生として24時間を過ごせることは、無上の喜びであった。三年後からは、次男が就職して上京したため、「息子の様子を見に行く」という目的が加わってしまったので、「母」の部分を引きずることになってはしまったが、このような大義名分がなければ、無闇に息子のアパートにも行けないので、その意味でも一石二鳥といえた。要綱を見て受講科目を選ぶ時の楽しみ、スクーリングまでの準備のワクワク感、いよいよ飛行機に乗り込んだときの解放感、大学構内に足を踏み入れた時の喜び、そして何より、講義を受けている時の緊張感と目から鱗の連続。どれもこれも本当に懐かしく、今思い出すだけでも楽しくなってくる。あー、もう一度あの楽しさを味わいたい。通信の後輩達の日記を読みながら、羨ましさで涎が出そうな私である。
2005年04月19日
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この日記を読んでくださった方から、メールをいただいた。私は、この日記関係では個人的なメルアドを可能な限り流出したくはないので、その方へのお返事がてら、今感じていることを書いてみよう。その方は、「学歴についての謙虚なコメントは、他の通信学生にとってときに迷惑となるのでやめたほうがよいのでは?」という内容だった。私の書き方が、通信で卒業したことを卑下しているように感じられたようだ。そう感じられたのならばしかたがないけれど、自分では全く卑下しているつもりはない。むしろ、通信で卒業したことはひそかな誇りである。しかし、かと言って、「通信で卒業したからすごいんだ」とも思っていない。何度も書いているが、私には通学課程に入試を突破して入学することは、今はもちろんではあるが、若かりし頃だって絶対に無理だった。それは、学力の上でも経済的な意味でも、厳然たる事実である。(もちろん入試を受けてはいないけれど、問題を見ただけでアウトだとわかる。 それがわからなくて、「私でも受けたら合格したかも」なんて考えるほうが、 自分を知らないという証明のようなものだ)しかし、私がそうだからといって、他の人たちも同じだと言っているつもりは、全くない。当然通学課程に入学できた学力があっても、事情で進学できなかった人だってもちろんいるだろう。通信課程には、途方もなく倍率が高く困難な入試はない。つまり、入口は通学課程に比べて広いのである。(入口は間違いなく広いけれど、出口は通学課程に比べると相当狭い)また、学費だって通学課程に比べたら桁外れに安い。だからこそ私でも入学できたのだし、コツコツ勉強することで卒業もできた。それだけに、通信で卒業するにはそれなりの諦めない力も必要なのだ。単にそのことを書いているつもりなのだが、それが「卑下」になり、他の人たちの迷惑になるなんて、考えてもいなかった。だから、少しばかり困惑している。在学中には、スクーリングや慶友会で、本当に素晴らしい人たちに出会った。その中には、厳しい状況の中でもご自分を見失わずに頑張っている尊敬する人も多かった。しかし、中には首を傾げてしまう人もいた。つまり、通信であろうと学部であろうと、素晴らしい人は素晴らしく、変な人は変なのである。多くの人間の中には、色々な人がいるものだから当然である。慶應を卒業したからといって、それだけで自慢するならば、私に言わせたら「何か勘違いしてるんじゃない?」ということだ。私は「慶應通信」を卒業したことに、誇りは持っている。しかし、それを自慢げにちらつかせるのはいかがなものかという感覚の持ち主だ。(謙虚ということとも違う)人間の価値は、学歴だけで測るものではない。しかし、「学んだ歴史」は、間違いなくその人のものであり、どのような形で学ぼうと、それを卑下する必要はない。たとえば「中卒」であろうと、あるいは中学さえも卒業していなくても、それはその人なりの事情の中でのことであり、そのことで馬鹿にすることは恥ずかしいことだし、自ら卑下する必要もないのだ。しかし、今の日本社会では、私もかつてそうであったように、大学を出ていないことがコンプレックスになりやすい。そのことのバカバカしさを頭では理解しながらも、私にはコンプレックスがあったと思う。しかし、通信で大学を卒業したことにより、そのバカバカしさを私は一層感じるようになった。(そのことが、コンプレックスからの解放だと思う)人間は、成績が良いとかどの大学をでているとかは、その人の価値の一部なのだと。私はこの日記で、あくまでも「自分のこと」を書いている。そのことを理解して頂きたいと思う。
2005年04月12日
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「お気に入りページ」にある「ニフティ慶友会」の掲示板を見ていたら、「慶應依存症」という言葉が目に入った。最近は色々な依存症が大はやりだけれど、こんなところにも依存症があったかとビックリ。・・が、少し読んでいると「なるほどな」とも思った。そのサイトでの説明によると、「家庭や仕事を多大に犠牲にして、慶應通信にいれこむ方々」をさすらしい。(正確なことは、そのサイトの「教えてください!」のトピをご覧になってください)確かに、家庭や仕事に多大な犠牲を強いるということになると、依存症と言われてもしかたがないかも。そして、多大な犠牲を強いているということに気付いていてもやめられないとなれば、これは明らかに「依存症」だろう。でも、「慶應(通信)」を続けている人の中に、本当にそんな人がいるのか。そして、そこまで入れ込むことになってしまうのは何故なのだろう。こう書きながら、「私は大丈夫か?」と思ってしまった。卒業してからも、こんなHPで慶應通信体験を書いているなんて、もう「中毒」に近いかもしれない・・と。うーん、でも、自分の意識としては「慶應関連はもういいかな」という気持ちもある。何度も書いていることだが、入学したからには卒業して欲しいと思っているので、後輩達への応援メッセージのつもりなのだ。私の書いていることがあまり参考にもならず、エールにもならないなら、左側のページは今削除したってちっとも構わない。そして、「入学したからには卒業を」と言うのは、自分の体験から「卒業論文を仕上げる」というのが、通信での学びの最大の醍醐味だから、これをせずに終わるのは惜しいし、卒業してから実感することも間違いなくあるからだ。私の場合、大きな意味のある実感は、「学歴信仰からの解放」だった。私は大学を卒業していなかったので、大卒に対して多少のヒガミと過大な尊敬という、アンビバレンスな思いがあった。大卒の人たちや大学教授の言っていることに対して、反感を覚えることがあっても、言い返す自信がないというか・・。そして、自分の実力のなさを「勉強していないから、大学を卒業していないから」ということに収斂というか言い訳をしがちであった。卒業論文に取り掛かる前までは、通信で卒業した人を過剰に尊敬もしていた。しかし、自分で実際に卒業してみたら、「なんだ、私でも卒業できるものだったのか」と思うようになった。それは、とっても晴れ晴れした気分であった。卒業したことで、自分に対する自信がついたことも大きい。それは決して、「知識が豊富になった」という自信ではない。だって、私の場合は年齢的なこともあり、卒業までに費やした勉強時間は結構多かったと思うが、残念ながら「入力→消去→入力→忘却」の繰り返しで、入学前より知識量がどれほど増えたかといえば、とても心もとない。それでも、消去や忘却をしながらも、必要な分だけ必要な時間だけは覚えていられるのだとは思っている。(つまり、最初から「ダメだ」と諦めることは少なくなった)そして何より、時間をかければどんな年になっても可能性はあるのだということを体感した。また、私達が知ることの出来る知識なんて、この世界のほんの一つまみだということも実感した。これらの実感は、今後の私の人生への大きな糧であった。もしも途中で挫折して卒業しなかったなら、そのような実感もなかったのではないだろうか。しかし、人生には色々なことがある。勉強するというある意味では「贅沢」なことよりも、この現実を生きるうえでは大切なこともたくさんある。私は、人生は絶え間のない選択の連続だと思っているのだが、時には学業より優先すべきこともあるだろう。そのような時には、優先順位を間違えないでほしいとも思う。そんな場合は、たとえ退学したとしても「挫折」とは言わない。可能な限り両立の道を模索して欲しいとは思うが、退路を断つという決断が重要な時だってある。幸いなことに、通信教育はいつでも門が開かれている。時期が来たら、また門を叩けばよい事だ。話は戻るが、もしも「慶應依存症」があるとするなら、それはやはり現代の「学歴信仰」「ブランド依存」が大きいだろう。これだけはハッキリ言えることだが、「学歴」も「ブランド」も、多少の飾りにはなるかもしれないけれど、それがそのまま、その人の価値とはならない。多少の優越感を覚えて良い気分になっていても、周囲からはそれで馬鹿にされていることも意外に多いものだ。今でもなお、学歴が有効に働くことがあるかもしれないけれど、それは入口だけのことで、あとは本人の実力と努力と人間的な力が勝負だ。慶應に所属していることに価値を見出しているとしたら、それは勘違いが多いのではないだろうか。福沢諭吉先生が慶應依存症の学生達を見たら、きっと嘆かれることだろう。先生は多分、学んだことを自分の生活や社会に生かすことが、何よりも大切なことだと考えていたに違いない。
2005年03月07日
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某団体の例会終了後、仲間のAさんとランチをしながらおしゃべりをした。彼女は、関西に本校のある大学の通信課程で学んでいる。彼女はそちらの勉強のこともあって、しばらく役員としての活動を休止したいとのこと。(実は、私も役員なので、別の役員の人からそう聞いた)彼女が通信で勉強していることは、以前から別の人に聞いて知っていた。私は、自分が通信で大学を卒業したことをこの会の仲間には話していないのだが、Aさんが勉強と活動の両立に悩んでいるようなことを他の人から聞き、少し気になって声をかけたのだ。例会で次年度の役員は別の人に変わることになったので、そのことでまたプレッシャーを感じることがないようにとも思ったのだ。通信で大学の勉強をしていると聞いたら、多くの人が「偉いねー、あの人勉強家なんだ」などと言う事が多い。Aさんは、私なんぞより数倍真面目なタイプなので、一層そのように言われてしまう。彼女は会議などで「勉強が大変だから」なんて、一言も言っていない。多分、仲間の誰かにその話をしたことが、私の耳にまで伝わる結果となったのだろう。きっと彼女の本意ではないだろうと思いつつも、なかなか大学の勉強している意図が正しく伝わらないもどかしさを感じているのではないかと想像していた。そんなこともあり、会議終了後にランチに誘ったのだ。一緒に遅い昼食を取りながら、「通信で勉強しているんだって?」と切り出した。「えっ、知ってたんですか?」しばらく、彼女の勉強している内容のことなどを聞いた後、「実はね、私も通信で卒業したんだよ」と言うと、「エーッ!」と目を丸くして驚いていた。それまで多少硬かった話し方が、その時からリラックスしたように思う。大学は違えども、通信で学ぶ苦労と喜びは共通している。彼女もまた、いつか大学の勉強をしたいと思っていたようだ。しかし、お子さんがまだ学齢期と言うこともあり、自分のためにあまりお金をかけられないと、「短大」にしたのだそうだ。いつか、子ども達が育ち終わったら、大学に編入して勉強したいと言っていた。子育て中の時は、子どもが巣立つのは随分先のことのように感じるが、過ぎてしまえばあっという間だ。話を聞くと、彼女は資格や学歴欲しさというわけではないようなので、「焦ることないよ。ゆっくり勉強を楽しんだらいいよ」と話した。それでも、子ども達が高校や大学で学費がかかる前にケリをつけなくてはと、やはり少し焦っているようである。その気持ちは勉強に力を入れる動機にもなるので、決して悪いことではない。彼女の大学には、慶應における「慶友会」のような組織はないのか、あまり大学仲間とのつきあいはないようだ。そんなこともあり、大学の話を思う存分にできる相手(私)がいたことを、とても喜んでくれた。通信で学ぶことの楽しさや苦労は、やはりやった人でなくてはわからないところがある。学生気分で色々話せる相手がいるかどうかで、元気もやる気も違ってくる。慶應に「慶友会」という組織があったことを、あらためてありがたく思った。
2005年02月17日
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一週間ほど前に、このHPを読んだ方から、ギリシャ時代の教育についての質問をいただいた。それをきっかけに、「教育思想史」のテキストやノートを見直したので、フリーページに追加することにした。このテキストは昭和54年初版(西村晧著)だから、まだ使われているのだろうな。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ふと窓の外を見ると・・、えー、また雪が降ってる!また雪かきしなくちゃならないの?!もう、雪、いらないっ (゜ヘ゜)
2005年02月09日
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10日ほど前に、Kさんという方からメールでの質問をいただいた。来年の4月入学に向けて、出願の検討準備をなさっているという。その質問は、出願に際する小論文のことであった。多分、これから出願しようとしている方には共通する疑問ではないかと思ったので、ご本人のご了解を得て、その質問と私のお返事を日記に書こうと思う。ただし、ご本人の希望で、多少の脚色や補足をさせていただきます。【質問】出願に際して、自分の学びたい学問領域に関連する書籍の論評がありますが、私は二冊の日本人論に関する書籍を取り上げたいと考えています。しかし、要求されていることに対して的外れになってしまうのではないか、論文になっていないのではないかと、心配になっております。これから勉強するのですから、あまり専門的になってもいけないのかとも・・。また、教科書から離れてかなりの月日が経っている上に、基礎のまったくできていない英語も、とても心配です。希望と自信のなさとの間で、揺れながら準備をしています。【私の返事】メールにも書かれていたとおり、これから勉強するわけですから、それほど高度な論評を求められているわけではないと思います。なぜその本に興味(関心)を持ったのか、自分の学問的関心分野(心理学.社会学.社会心理学.言語学・哲学・文化人類学などなど)との関係性などや、著者の考え方に対して共感する部分や疑問点など、ご自分の「主観」を大切にして論評なさったらよいのではないかと思います。学問というのは、他の領域とも関連しあっているものですし、初心者にはその区別さえも付かない部分があって当然だと思います。ですから、多少的外れであっても、「何をどうして学びたいのか。自分が考えていることを他人にわかるように書くことができるか」という点が、とても重要だと思います。無理な背伸びをして、自分でもよくわかっていない「他人の論評」を真似たりすることは、慎むほうが賢明でしょう。書類選考で落とされる人もいるとは聞きますが、「基本的な日本語の読み書き能力での選考」だと思います。通信とは言え定員もありますし、入学希望者が多ければ入学動機がはっきりしていて、レポートを書く力がある人から入学許可をされることも当然でしょう。自分の考えを文章で書く力がとても弱ければ、通信教育での勉強を続けることが、とても難しいと思いますし・・。もしも不安ならば、どなたかに読んでもらって、書いてあることがどの程度正確に相手に伝わっているか確かめられたらよいかと思います。そのためには、直接顔を合わせて質疑応答できる人に読んでもらうことです。ご心配されている英語についてですが、HPにも書いてありますが、私の英語の基礎力はゼロに等しいものでした。これは、正真正銘の事実です。ですから、とても苦労したということも事実ですが、「成せば成るもんだ」ということも自信を持って言えます。ただし、その間の「なんでこんなことやってるんだ・・」という、何ともいえない不安感や苛立ちを乗り越えることができるかどうかということでもあります。 まあ、何事もやってみなくてはわかりません。あまり肩に力をいれず、「ダメでもともと」という気持ちで気楽に取り組んでみてください。そのうち「意外と楽しい」と思えたなら、もう卒業にかなり近づいたと言えるでしょう。それでは、また何かありましたら、ご遠慮なくどうぞ。私が入学した1993年にも、小論文の提出はあつた。その時自分が何を書いたのか完全に忘れてしまっているが、多分今よりは入学は簡単だったのではないだろうか。確か、入学した年のスクーリング参加者数は「過去最高」と言われていたと思う。在学生が多すぎると、レポートの返却も遅れるだろう。そんなことで、レポート返却遅延訴訟のような事態にもなったと思う。「慶應義塾大学」はそれだけで知名度も高く、その大学名に惹かれて入学を希望する人も多いのかもしれない。しかし、「ブランド」への憧れだけでは卒業にたどり着くのはなかなか大変かもしれない。自分が大学の学び自体に喜びや感動を味わうことができるか否かが、モチベーションの維持・強化に大きく関係する。だからこそ、自分がどうして慶應で学びたいのかということが明確であることが大切なのだと思う。
2004年12月26日
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パソコンの調子も、今のところまずまずのようで一安心である。このパソコンは夫も使っているので、ひょっとすると彼が何かやらかしたのかも・・。とはいえ、使用頻度では私の方が何倍も高いのだが。さて、このところ「復習ページ」を追加しようかどうかと迷っていた。後輩達がレポートを書く時の参考にしたり、これから学ぼうと思う人が「慶應通信のレポート」についてのイメージをつかむ参考になればと思っていたのだが、テキスト改訂も進んでいるようだし、あまり役に立たないかも・・と思うようになっていた。単なる「自己満足」だけのものなら、やめたほうがいいのかなとも思っていた。しかし、日記リンクしているメイミーさんからも、「参考にしています」というメールをいただいたり、私書箱メールで「読んでます」と書いていただいたりしたので、また元気が出て、今日は「都市構造論」を追加した。このレポートを書いてから、もう8年もたっているのに、レポートやテキストを見直してみると、この科目を勉強していた頃のことが甦ってくる。見直しても、あまり甦らない科目もあるので、「都市構造論」は、私なりに努力したり悩んだりした思い出深い科目なのだとあらためて思う。【追記】多分2・3日中に、55555というゾロ目アクセスになると思う。この番号を踏んで下さる方は、どなただろうか。楽天のお仲間だったらわかりやすいのだけど・・。
2004年12月17日
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「通信教育」のテーマを覗いたらニューズレター12月号という松柏[しょうはく]さんの日記があった。「ニューズレター」と「三色旗」は慶應通信の補助教材として、在学中は毎月届いていたので、とても懐かしくなってしまった。その日記によると、慶應通信の制度が着々と再整備されているようだ。「科目の統廃合と採用テキストの更新」も進んでいるようだし、科目試験のときに学生にアンケートを実施して制度改革の参考にしているらしい。多分、かつて私が四苦八苦した古いテキストなども、もう使用されなくなっているのではないだろうか。入学の時の「小論文」や卒論指導の時のポイントも明示されているらしいので、学生にとっては取り組みやすくなっているようだ。私が在学中の大きな課題であった「レポートの早期返却」もされるようになったらしいし、大学側が真剣に通信学生のことを考えてくれていることが、学生にも見えてきているのではないか。以前、別の掲示板で慶應通信、そして通信制大学への苦言なども寄せられたが、これからは志を持って入学した人たちがみんな、意欲をそがれることなく学び続け、喜びと自信に溢れた卒業の日を迎えられるようになれば良いと思う。昨日も、「マリさん」から入学の難易についての質問があった。彼女は来年4月の入学を考えていて、私の記事なども参考にしてくれているようだが、どんどん改革が進んでいるのなら、私の古い体験など役に立たないのかもしれない。返信にも書いたけれど、現在のことは現役の学生に聞いたほうが良いだろう。それでも、通信は独学で学び続けることに変わりはないし、レポート提出と科目試験、スクーリング、という基本も変わることはないだろう。そのあたりの一般論として、先輩として少しでもアドバイスや応援ができれば嬉しいと思っている。
2004年12月01日
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昨日から2日間は、所属する団体の親睦旅行。本当は、このような旅行はあまり好きではなくて可能な限り逃げるのだけど、11月一杯でこの会ともサヨナラなので、最後のご奉公(?)と思って参加した次第。昼過ぎに帰宅してパソコンを開くと、何件ものメールが入っていた。それに返信を書いたり、このHPのもとになっている掲示板に書き込んだりしていたら、もうこんな時間になってしまった。通信で学んでいる人たちの目的や目標は、人それぞれである。私は通信で学んだことをとても良かったと思っているし、その「学歴」を活用してはいないが、自分が得たものはとても大きかったと感じている。通信教育で大学を卒業するためには、それなりの努力が必要である。だからこそ、どのような意図で入学したとしても、今学んでいる人たちを心から応援したいと願って、掲示板やHPを開設した。卒業までには色々なことがあるだろうけれども、可能な限り諦めずに卒業をめざしてほしい。そして、その過程で得たものを、ご自分の力にしていってほしいと願っている。
2004年11月09日
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☆復習ページに「史学概論」を追加久しぶりにページを追加。レポートの綴りとテキストをザーッと見直すのは、結構楽しい作業だ。もう十年前に書いたものだけど、私の文章力はさほど向上していないような気も・・。こうやって日記を書いているのは、自分の文章力が少しでも向上したらいいなという期待もあるのだが、この年では低下を少しでも防ぐことに目標を変えたほうが良いのかもしれない。☆通信課程卒業の社会的評価このことについては、別の掲示板のほうで問題提起がなされている。私自身は、通信で卒業したことがひそかな誇りでもあるので、それに社会的評価がともなわないとしてもあまり問題はない。しかし、これから就職する人たちにとっては、「通信教育部」から証明書が出されることは、釈然としないことなのかもしれない。私は、たとえ「通信教育部卒」であっても、自分の喜びや誇りには違いがないように思う。だから、大学が「慶應義塾大学文学部卒」「慶應義塾大学文学部(通信課程)卒」のどちらも正しいと言うことで充分納得するのだけど、証明書が通信教育部から出されるということで納得できない人がいることも事実。本当に、世の中には様々な人がいるのだと思うばかりだ。世の中の偏見や差別は、差別している人たちを批判するだけではなくならない。不当なことに対して、誰にでも納得できる論理と誠意で訴えつつ、その偏見がいかに非合理的なことかを行動で示していくしかない。また、あまりにも話にならない偏見に対しては、相手にしないことも一つの方法である。話にならない理屈で差別している人たちが、誰から見ても変だと思われるようになったら、もうしめたものだ。さて、通信課程卒業生への差別や偏見(あるのかないのか、私にはよくわからないが)は、どのような状況にあるのだろうか。☆K議員の学歴詐称顛末に思うこと彼はとうとう、学歴詐称を認めて議員辞職をしたらしい。憶測で物を言うことはできるだけ控えるべきだが、私はあの顛末をニュースで見聞きしていて、多分家族に対して言い開きができないのだろうと感じていた。あのように、全く説得力のない言い訳をしている姿を見ていると、何とも切なくなってしまうほどだった。彼はきっと、やっと本当のことを言うことができてホッとしているだろう。期待されて育ったお坊ちゃまの陥りがちな穴に、彼もはまってしまったのではないか。学歴をごまかしてきたことは恥ずかしいことではあるが、それほど糾弾されることでもないだろう。彼は「議員」であったから、有権者を騙したということでは罪なことではあるが、有権者だって学歴だけで彼を選んだわけではあるまい。自分が卒業していないことは誰よりもよくわかっているはずだから、学歴を公表しなくてはならない状況になったときから、どれほど彼は心の底でビクビクしていたことだろう。最初は小さい嘘であったはずなのに、こんなに日本中、いやアメリカにまで騒動が飛び火して、どんなに彼は後悔したことだろうか。これからが、彼の本当の人生だ。やっと本物の大人へのスタートだ。少なくても、彼の家族達には、そのような彼の味方であって欲しいと願う。彼は多分、誰よりも家族を失望させたくなくて、あんな無理を重ねたのだろうと思うから。
2004年09月30日
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毎日、本当に暑い。こんな時期に上京するなんて、通常の私ならば考えたくもないのに、通教学生だった頃は嬉々として暑い東京に飛び立った。今頃は、ギンギンに冷房の効いた大教室で、大勢の人たちが目を輝かせて勉強していることだろう。私は、最初の三年間はクーラーのない教室での受講だった。当時、生協では「氷」を売っていた(あるいは自由に追加できた? はっきり覚えてない)ので、休憩時間になるとそこで氷を大きな紙コップに入れて、ハンドタオルをそれに巻きつけて冷やし、首筋や腕などを拭いたり当てたりして冷やしながら講義を受けたことを思い出す。最初の年は、木の椅子に直接座り続けて、お尻や太ももに生まれてはじめての「アセモ」が出来てしまった。次の年からは、先輩のアドバイスによりタオルを持参し、座布団代わりにして汗を吸い取る工夫をした。私は毎回一期間だけしか受講していなかったのだが、三年目のスクーリングも冷房教室に当たらなかった時は、みんなに「不運だね」と言われてしまった。その頃は、順次教室の冷房化が進んでいて、どうして暑さに弱い私がこのような「大当たり」になるのかと、チョッピリ神様を恨んでしまったものだ。それでも、どんなに暑くてもスクーリングは楽しみだった。そんな暑い日々が、本当に懐かしい。
2004年08月06日
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東京都の教育委員会の横暴と、日本人の自殺者の多さについて一時間近くかけて日記を書いたのに、何と途中でPCがフリーズしてしまい、「消えた・・・・」。ずっと前にもこのようなことがあり、それからしばらくは「メモ帳」で下書きをしてから貼り付けていたのだが、最近は不精していたのだ・・。後悔先に立たず、災いは忘れた頃にやってくる。もう、ガッカリして今日はもうダメ。それに、そろそろ出かけなくてはならないし・・。一つだけ、東京都教委に関連する情報を探していて、下記のページを見つけた。日記を書きながら別のサイトを見ていたりしたのが、強制終了の原因だったのかもしれない。(泣けてくる・・)私の日記代わりに、下記のサイトを見てください。「学校に自由の風を!」
2004年07月28日
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「通信教育で勉強してる人、卒業した人集まれ(掲示板)」で、この数日学歴に関するやりとりが続いている。ある人がメールで教えてくれたことによると、ネット上の掲示板で通信教育は誹謗中傷、差別の的になっているらしい。それでそれを探してみたが、要領がわからずどこにそのスレッドがあるのか見つけられず、忙しさもあってそのままになっている。通信で卒業したことで、どれほどの不利があるのか、実は私はあまり知らない。私は、20歳から退職する43歳まで「福祉分野」で仕事をしていた。前半は障害を持つ乳幼児とその子ども達と接することが多く、後半はもっと幅広い福祉業務だったので、心身に障害を持つ人たち、難病を始めとする様々な病気に苦しむ人たち、お年寄り、母子世帯、低所得者などなど、社会的に弱い立場の人たちと接する機会が多かった。私自身は、仕事をしながら子育てをしていたのだが、本当に余裕の無い日々だった。その中でも仕事に役立てたいと「保母資格」は試験で、社会福祉主事資格は通信教育(これは、慶應通信と比べると本当に楽ですが、当時は育児・家事・仕事の中での勉強でしたから、実に疲れました)で取得した。別に、どうしても必要な資格ではなかったが、自分が福祉を専門に学んでいないという気持ちから取ったまでだ。というわけで、私は「高卒」の学歴で何も不自由はなく、学歴による差別を痛感した体験はない。私自身がとても理不尽に感じてきたことは、実は「女性である」ということだった。これについて書き始めると止まらなくなりそうなのでやめるけれど、私(50代半ば)のような年齢の女性は、多かれ少なかれ女性であるということでの不利を体験していると思う。実際、私が通信で出会った同世代の女性の中には、「女だから大学に行かせてもらえなかった」という人が結構いた。弟や兄は当然のように大学進学をして、姉妹である彼女達は家計のために働かざるを得なかったなど、私の住む地方では普通のことのようにある。(私は違いますが)仕事をする中で、本当にこの社会は、強いものが有利になる社会だと痛感してきた。学歴もまた、強者になるためのパスポートであることも事実で、強者が強者であるためには弱者が必要なのだ。そんなヒエラルキー社会は、私達個人の力では変えることはとても困難なことだろう。私は掲示板やHPで書いてきたが、個人的には通信で学んだことを本当に良かったと思っているし、誇りに思っている。それは、慶應の塾員の一人になれたこともそうだが、私にとってはなかなか難しかった課程を、何とか頑張ることができたという「達成感」と連動する誇りだ。(私は、もともと並の能力が下降気味の、さほど自慢できることも無いおばさんですから・・)だからこそ、若い頃大学進学を諦めざるを得なかった人、若くても色々な事情で進学を諦めた人などに、「私でもできたから、あなたもきっと大丈夫!」と伝えたくて、掲示板やホームページを作ったのだ。このような書き方も、見る人から見ると「弁解、自己弁護」になるのだろうか。私は通信で卒業したら有利である、なんて露ほども思ってはいないが、特別に不利だとも思っていない。社会福祉分野では、通信で学んでいる人が結構いる。私自身、仕事との両立で大変な苦労をしながら大学を卒業した人を知っているから、自分が通信で学び始めるまでは、彼らを今以上にとても尊敬していた。(今は、通信で卒業する人の中には、必ずしも優秀とも言えない私のような人もいると思うが)そして、可能ならば私もあの人たちの仲間になりたいと憧れていた。私より若い人が頑張っていたら、「偉いなー、遊びたい時期なのに」と思っていた。そして、その人たちの多くは、とても真面目で努力家で、仕事もできたと思う。(同じ職場で働いた人ではないので、正確ではないけれど)そしてまた、有名大学の出身者でも、仕事上では全然つぶしのきかない人だっていた。出身大学が効力を発揮するのは、長い人生では最初の一時期だと私は思っている。しかし、これから就職しようとする人には「それこそが重大事」であることもよくわかる。そんなこともあり、私は掲示板の書き込みを、複雑な思いで眺めている。
2004年07月23日
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このHPの元になっているのが、teacup掲示板「通信教育で勉強してる人、卒業した人集まれ」である。(よくいくページにあります)この数日、ここに「通信教育で卒業しても社会的に不利だし、通学課程卒業とは差別されている」というような意味合いのご指摘が、ご自身が「聞いたエピソード」などで書かれている。そして、今日見てみると、「通信学生の皆さんはなぜ、受講するのかといえば、やはり『大学学部卒』の経歴と名誉が欲しいからですよね。」とまで書かれていた。そのやり取りについては、直接掲示板を見ていただければと思うが、本当にそのような人が多いのだろうか?私は、確かに「大学で学ぶ」ということに憧れていたとは思うが、それが「名誉」なことと思っていたかと考えると、「否」である。今時、大学を卒業したからと言って名誉だと考える人がいるのだろうかと、不思議な気持ちであった。私は、以前某国会議員の学歴詐称事件の時にも書いたけれど、どこの大学をどのような形で卒業しようが、あるいは中退しようが、それ自体を名誉とも不名誉とも思わない。大切なのは、そのような学歴(学んだ歴史と言う意味)をどのように「今の生き方に生かすか」ということだと思っている。若くてこれから就職しようと考えている人にとっては、いわゆる「学歴」が重要な意味を持つのかもしれない。(私は、学歴社会の現実もわかっているつもりである)しかし、私のような人間や、学士入学で自分の知識を深めようとする人などには、「大学学部卒」であるか「通信課程卒」であるかは、あまり意味がない。もしもこの社会に通信学生への差別感覚があるとするなら、見当違いの認識で通信学生を見ている人たちであろうと思う。掲示板に書き込んでくれた人は、「普通に考えれば通学であろうが通信であろうが、差別をすること自体、おかしなことです」と書かれているが、どうもその差別の実態が私にはよくわからないままである。あえて言うなら、ご本人自身に差別感があるようにも感じる。しかし、これは私の主観であり、彼自身は通信学生が不条理な差別を受けないようにと言う暖かい応援の気持ちなのであろう。この社会は、不条理や無意味な差別がゴロゴロしている。そのことで不必要に傷ついたり、泣き寝入りをしないためにも、何が間違っていて何を是正しなくてはならないのかを、自分の体験を通してしっかり見詰め、少しでもよい方向に向うように声を出したり行動してゆくことがとても大切だと思う。物事の本質を見詰める力を育てるためにも、学ぶことはとても大切だと思う。そのための学び方は、人それぞれで良いのだ。さらに言えば、過剰な優越感やレッテル(学歴・肩書きなど)への誇りは、社会にとって弊害が多いとさえ思っている。しかし、自分が精一杯歩いてきた道のりに対して、ひそかに誇りを持つことは大切だ。私自身は、通信で大学の勉強をしたことをとても良かったと思うし、志あれば誰でも学べる通信課程があればこそだったと、この仕組みに本当に感謝している。
2004年07月15日
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午後から市内の高校に、ボランティア関連研修会の打ち合わせのために出かけなくてはならない。そのための資料を作った方が良いことに、今、気付いた。(現在、9時40分)2日間のリンク先の日記を読んだり、書き込みへの返信を書いたりしているうちに、一時間経過。まずい!すぐに必要な作業にとりかかろう。続きは、夕方書けたら書きます。【続き】高校での打ち合わせを終了して帰宅すると、放送大学からの資料が届いていた。実は、少しずつでも「勉強」を自分の生活の中に取り入れておきたいと思い、資料請求をしていたのだ。一応、教養学部と大学院の両方の資料を申し込んでいたのだが、ペラペラと見ていながらつくづくと、「今は勉強するには良い時代だ」と思った。慶應通信に在学していた時も思ったのだけど、放送大学の学費も実に安い。それに難しい入試もないし、開設されている科目も実に多彩で、見ているだけで楽しくなる。まだ決めてはいないけれど、何かの科目は履修してみようかと思っている。それで思い出したけれど、新聞などに投稿する人の中に、「大学(院)生」という肩書きを使う人をチラホラみかける。若い人を想像して読んでみると、かつての私同様の「主婦大学生」あるいは「社会人大学生」であったりする。そんな時、私の心の中には「???」のマークが点滅することがある。「大学生」という肩書きを使う必然性がどこにあるのだろうと思うことがあるのだ。通学課程の大学生ならばそう書いても良いが、もしも私の場合ならば「大学生」というのは、自分を一番適切に表現する肩書きには思えない。「無職、主婦、あるいは地域活動等での役職」などが、投稿内容などによっては適切ではないかと思うのだ。ましてや、何かの職業に就いていたならそれを書けばよいものを・・。「私のような社会人でも大学生になれますよ」ということを、PRするためなのかな・・。どのような肩書きを使うかを決めるのはその人自身なので、文句を言うつもりでは全くないのだけれど。
2004年06月21日
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このHPは、もともとは「通信教育体験」をまとめるためのものだった。しかし、最近は日記更新ばかりで、あまり通信教育には関係ないものになっている。4月は「入学の季節」だから、慶應通信に意欲を持って入学した人も多いことだろう。もう、私が在学していた頃とはテキストや課題も随分変わっているだろうけれど、私自身の復習も含めてレポートを見直し、その時々に感じていたことや参考図書の紹介などをしていきたいと思う。今日は、入学して初めて取り組んだ「日本史」のレポートについて、左ページの最後に追加した。関心のある人は、左側をズーッと下がってご覧下さい。(レポートを提出した順に記述していくつもりですが、もしも参考にしたい科目があればお知らせください)。
2004年04月27日
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私書箱メールに、入学に当たって「西洋史」と「国文学」を学びたいのだが、どの類を選択したらよいかという質問があった。早速、記されていたアドレスにメールを送ったのだが、戻ってきてしまった。そこで、そのメールで書いたことを、そのままここに掲載することにする。**********************************************Mさん、はじめましてメールをありがとうございました。入学に際しては、色々と情報を集めて納得してから始めるのが大切ですよね。慶應だけではなく、他の大学も充分調べて検討されたら良いと思います。費用は多少かかるかもしれませんが、「入学案内」を取り寄せて比較検討し、ネットを使って複数の在学者に意見を聞いたら、より良いかと思います。さて、西洋史と国文学を学びたいということですが、その内容にも色々あります。一応、それぞれの類で(関係があると思われる)専門科目をお知らせしますね。【2類(史学類)】 史学概論、歴史哲学、日本史概説1、日本史特殊1、日本史特殊2、日本史特殊3、古文書学、東洋史概説1、東洋史概説2、西洋史概説1、西洋史概説2、西洋史特殊1(古代オリエント史)、西洋史特殊3(近代イギリス国家の成立)、オリエント考古学、考古学、地理学1、地誌学、人文地理学、【3類(文学類)】米英文学は除き、国文学に関係する学科のみ書きます。 国語学、国語学各論、国文学、国文学史、近代日本文学、国文学古典研究1(俳諧の展開)、国文学古典研究2-1(近世前期小説)、国文学古典研究2-2(近世後期小説)、国文学古典研究3(古代和歌概説)、国文学古典研究4(平安和歌研)、国文学古典研究5(随筆文学)、書道、このうち、所属する類から28単位以上とれば、あとは他の類の科目を自由に学んで構いません。しかし、卒論は、自分の選択した類に関する論文を書かなくてはなりません。Mさんが、最終的にどちらの分野で研究したいのかによって、類を決めたほうがよいでしよう。でも、学ぶ途中で気が変わることもありますので、その時は類の変更も可能です。それから、スクーリング開設科目は、上記の科目とは別です。印象では、2類の科目は比較的少なかったような気がします。ということで、よくわからないことがあれば、ご遠慮なくご質問くださいね。
2004年02月29日
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年に数回、同じ慶應通信を卒業した友人達4人と会っておしゃべりをする機会を持っている。彼女達とは在学中に同じ慶友会に所属していたのだが、私は慶友会主催の学習会に参加するくらいにしか顔を出していなかったし、あとは科目試験の時に顔をあわせて、その都度情報交換をする程度の付き合いだった。唯一Mさんだけは、同期に入学したことや同じ年齢でとても魅力的な人だったので、在学中も電話で励ましあった仲である。思えば、このMさんと一緒に卒業式に出たいという思いが、私の学習意欲を高めてくれたようなものだ。他の二人は卒業式に上京し、それが縁で付き合いが始まった。卒業式後の興奮の中で、「時々会って近況報告しよう」、さらに「共通テーマで年に一度レポート(論文)を書こう」なんてことになってしまった。とはいえ、今までに二つのテーマで「論文もどき」を書いたけれど、それをネタに会っておしゃべりをすることが主目的になっている。それぞれの関心分野が、「政治学」「文学」「歴史」「社会学」などと4人がバラバラなのだが、それだけに刺激的で、自分の知らない世界のことを知っている人への尊敬の思いが強くなる。お互いに「みんなすごいねー」と感心し合っていて、自分がすごいとは全く思えずにいることが面白い。結局、何かを知るということは、知らない世界の大きさに圧倒されるということでもあるのだろう。これが、同じ関心分野の人同士の話し合いとなると、「知識の多寡レベル」の感じ方になるのだろうが、違う分野同士になると「自分がそのことについて無知である」と痛感するのだ。私たち人間は、それぞれ本当に狭い世界でしか生きることが出来ない。たとえ世界中を飛び回って仕事をしていたとしても、それは「経済畑」「政治畑」「マスコミ畑」「教育畑」「医療畑」など、それぞれの畑の広がりでしかないことが多い。それぞれの畑では常識であることも、違う畑では非常識になることもある。私はずっと「福祉畑」で仕事をしてきたので、やはりその畑での価値観や常識に縛られている。しかし、慶應通信で学んだことで、全く違う畑に生きている人達と出会い、自分がいかに狭い世界に住んでいたかを痛感することになった。しかしまた、狭い世界で何かを追求してきた人は、それなりの深さや他の世界との普遍性に繋がる何かを持っていることが多く、まったく知らない畑の話をしていても、共通する何かを発見し、それを自分の畑の肥料にすることもできるのだ。卒業生仲間とのおしゃべりは、いつもそのようなことを実感させてくれる。さて、今年中にテーマに沿ったレポートを書かなくてはならない。これがまた、今の私にとっては唯一の「新たな知識への取り組み」なので、大切にしたいと思っている。同じテーマであっても、4人が四人とも違う切り口になることが、本当に楽しみなのである。
2004年02月15日
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某議員の学歴詐称で、必要以上に世間が騒いでいる昨今だが、ふと「私の学歴はどうなるんだろう」と思い、卒業の時にいただいた「学位記」を見直した。私は、卒業の時には「卒業証書」をもらうのだと思っていたのだが、大学の場合は「学位記」となっていたので、あらためて「そうなんだ・・」と思ったものだ。(息子が大学を卒業した時に見たはずなのだが、あまり意識していなかったので気がつかなかったのだろう)その「学位記」には、[慶応義塾大学学則に定めた文学部の課程を修め 本大学を卒業したことを証し 学士(人間関係学)の学位を授与する]と書いてあり、慶應大学塾長と文学部長の名前と公印が押されている。これを見る限りは、私が「通信課程」で卒業したことは明記されてはいない。しかし、大学院を(無謀にも)受験する時に取り寄せた卒業証明書には、「本塾大学文学部(通信教育課程)を卒業したことを証明する」と書いてある。さて、私がもし学歴を公表しなければならない時があるとするならば、どのように書けばよいのか。多分、「慶應義塾大学文学部卒」で良いのだろうが、私の気持ちとしては「文学部(通信教育課程)卒」としなければ、なんだかスッキリしない。というのは、もし「文学部卒」だけにしたとするなら、そこに私自身の多少の見栄の存在を感じるからである。話は違うが、慶應大学を卒業したら「三田会」というものに入会できる。「三田会」は全国各地に様々な形で存在していて、巨大なネットワークを形成しているようである。私は、在学中には「慶友会」の仲間にとても刺激を受け、励まされ、そこで出会った何人かとは、今でも交流を持っている。だから、卒業したら「三田会」に入って、知的刺激を受けることを多少楽しみにしていた。しかし、私の在住する地方にある三田会には、卒業後二年ほど会費を払って退会した。それぞれの三田会によって性格が異なると思うのだが、私は「親睦団体」のように感じて、現在の私にはあまり意味がなかったからだ。もしも私が、現在も仕事をしていて、そのネットワークを活用できるとなれば、きっと親睦の集まりにも参加していただろう。でも、今の私にそのような必要はなかった。さらに、同じ三田会でも、「通学課程」の人たちからは「通信課程の卒業生」は少し見下げられているように感じるという人がいた。確かに、私は通信課程だから卒業できたのであり、決して間違っても試験での合格は望めなかっただろうし、何よりも学費が桁違いである。貧乏でも卒業できるのが通信課程なのだ。だからこそ私は、「通信課程卒業」と明記したい。チャチな見栄に振り回されたくないし、等身大の私でいたい。それに、学歴信仰の人には「ああ、通信ね・・」と軽く見られるかもしれないけれど、そこで卒業することの重みや意味を、少なくても私はわかっている。また、大学院を受験した時や、大学院説明会に行った時に、そこの大学教授から「通信で卒業されたのですか、すごいですね」と言われたことも事実。それは、単なるお世辞ではなかったと感じている。だから、通学課程卒業では持ち得ないであろう誇りを、ひそかに私は抱いてもいる。学歴を必要以上にあがめることは愚かだと思うけれど、それがその人の生きてきた歴史の証明の一つであることは事実だ。自分の歴史をキチンと認めて出発しなければ、足元は思いがけないところでぐらついたり崩れたりする。人の歴史も国の歴史も、同じだと思う。国の歴史を美化することも隠すことも卑下することも、同じように愚かだと思う。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「通信教育」のテーマで書こうと思って、以前書き込んだテーマを選んだら、前に書いていた二件が消えていた。どうしてなのだろう。どなたか、理由がわかる人はいらっしゃいませんか?
2004年01月28日
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