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にほんブログ村 愛知県の愛知池にある大観音。この大観音は、私にとって大きな謎でした。作家 高見彰七、施工 鹿島建設㈱の大観音。昭和35年、仏像製作10年の農業が専門の彰七が、いきなり大手建設メーカと協業できたのはあまりに不自然です。如何にして、大観音建立のプロジェクトを任されたのか?大手建設メーカと、どの様な縁があったのか?考えるほど、謎が深まります。今回、この謎も解明できました。しかし、すぐに答えを示すのも、楽しみがないでしょう。みなさんも、「高見彰七調査隊」の一員として、ぜひこの謎を推理なさってください。推理のお題は、「高見彰七がいきなり大手建設メーカと手を組んで、 大観音建立というビッグ・プロジェクトに携われたのはなぜか?」です。答えは次回の記事で掲載します。【 冬のぶどう 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.20
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にほんブログ村 ダイソーで100円の加湿器を購入しました。素焼きの人形に入れた水の蒸発を利用して加湿します。もちろん無電源です。ハスキー・タイプもあります。素焼きは水が漏れるので、釉薬で防水されたトレイに乗せて使います。パンダ・タイプもあります。昔、流行った”素焼きの置物型の芳香剤”と同じですね。水の容量は20mL。100mLの大容量型も100円でありました。現在、投資金額は税込み440円。”買い過ぎ注意”の100均の罠にはまりつつあります。並べてみると、なかなかかわいい。では次回から、加湿性能を評価します。・・・・・・・・・・・・ご心配をおかけしています。通信障害、仮復旧しています。・・・・・・・・・・・・【 出来の良さはこちらが勝ります 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.01.19
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にほんブログ村 「水子弘法の謎を追って」、最終回です。なぜ多くの場合、立像の作家は、その名を作品に残さないのでしょうか。一方で、寄進者の名は作品に刻まれます。寄進者はなんらかの想いを持って、立像を発注します。そして、その想いが具現化されたのが立像です。寄進者の想いを残すことが重要ですから、寄進者の名は作品に刻まれます。一方で、作家は想いを立像に変える「通訳者」にすぎません。通訳者が目立てば、立像が持つ本来の想いがぼやけます。だから、通訳者である作家は、作品に名を刻まないのでしょう。*豊明市の神社散策中に、毛受善市氏の名を寄進者の中にみかけました。阿野八剱神社でのことです。善市氏がどの様な想いで、各地で寄進したかはわかりません。残すべき想いさえも、こうして消えてゆきます。水子弘法像も、私有地にある性格上、長期の保存は難しいでしょう。作家名は忘れられ、作品も失われ、想いさえも消えてゆく。すべて人の営みは、儚いものなのです。全9回に渡り続いた「豊明市 水子弘法の謎を追って 最終章」、これで終わります。長くお付き合い頂き、ありがとうございました。(最新記事)【 記事 1】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 1) 」【 記事 2】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 2) 」【 記事 3】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 3) 」【 記事 4】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 4) 」【 記事 5】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 5) 」【 記事 6】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 6) 」【 記事 7】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 7) 」【 記事 8】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 8) 」(過去分)【 以前の記事 1 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像」【 以前の記事 2 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像 2」【 以前の記事 3 】 「謎のコンクリート像の情報収集をしました 1」【 以前の記事 4 】 「謎のコンクリート像の情報収集をしました 2 」【 サクラビスク 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.02.16
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オリオン座の赤い一等星、ベテルギウス。オリオン座の左上にある、全天でも9番目に明るい星です。このベテルギウスは、近く超新星爆発すると言われています。いえ、もうすでに、超新星爆発しているかもしれません。ベテルギウスはこの30年で、直径が2~3倍に膨れています。しかもその形も丸くなく、凸凹と膨れています。ベテルギウスは地球から640光年の距離。私たちが見ているのは640年前の姿ですから、あの星はすでに爆発した後かもしれません。ベテルギウスの超新星爆発の光が地球に届いたら、3~4か月は満月の100倍の明るさで夜空に光ります。その光は、昼間ですら見える、小さな太陽となります。その後4年もすると、ベテルギウスは肉眼では見えなくなります。そして、オリオン座は、あの星座の形を失います。ベテルギウスの超新星爆発が観察されるのは、明日のことかもしれません。世界は、オリオン座が消える日が近いことを知っています。「オリオン座」 ウイキペディア・フリーライセンス画像より
2017.10.02
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にほんブログ村 瀬戸の原型師 稲垣勝美氏。その存在は、哀しい報せとともに知ることになりました。稲垣勝美氏のアトリエは、家族の皆さんにより保存されていました。しかし、2021年12月の公開を最後に、アトリエは解体されてしまったとのことでした。詳細は下記にあります。【瀬戸ノベルティ文化保存研究会】 「瀬戸ノベルティの名原型師・稲垣勝美アトリエ、最後の見納め見学会」アトリエは、資料館として保存されても良いレベルかと思います。研究会の皆さんの努力があっても、保存されませんでした。原型師が、その名を遺すのは難しいことでしょう。それでも知名度を得た稲垣勝美氏は、如何に優れた技能を有していたか、推し量ることができます。それでもなしえなかった、アトリエの保存。文化財を守ることの難しさを再確認した、哀しい出来事でした。次回、ついに最終回です。【次の記事へ】 「最終章 9 最終回」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(最新記事)【 記事 1】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 1) 」【 記事 2】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 2) 」【 記事 3】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 3) 」【 記事 4】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 4) 」【 記事 5】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 5) 」【 記事 6】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 6) 」【 記事 7】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 7) 」(過去分)【 以前の記事 1 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像」【 以前の記事 2 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像 2」【 以前の記事 3 】 「謎のコンクリート像の情報収集をしました 1」【 以前の記事 4 】 「謎のコンクリート像の情報収集をしました 2 」【 雛人形 有田焼 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.02.14
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パワーストーンとして扱われることも多い、水晶玉。光を屈折させる力に、人は神秘を感じるのでしょうか。世界最大の水晶玉は、アメリカのスミソニアン博物館(国立自然史博物館)にあります。その大きさは、直径32.7cm,重さは48.5kgもあります。この水晶玉の原産地は、ミャンマー。カットは中国、仕上げの磨きは日本で行われました。その製作には、1年半もかかったそうです。日本の水晶加工の技術は優秀です。その技術の素晴らしさは、ウィーン万国博覧会への日本製水晶玉の出品で有名になりました。1873年のことでした。水晶玉加工の技術は、今ではレンズや水晶振動子の加工技術に生かされています。伝統技術から、ハイテク技術へ。匠の技術は、今も受け継がれています。 「世界最大の水晶玉」 ※ ウィキペディア フリーライセンス画像より
2017.06.24
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にほんブログ村 浅野祥雲のコンクリート像が立ち並ぶ、愛知県日進市の五色園。今回は、探し出すのが最高難度レベルの浅野祥雲作品をご紹介しましょう。それは「先祖供養像」として知られる、小さな作品。その小ささと設置場所から、この像に出会えるのは愛好家のみに限られます。まず「板敷山弁円狙撃」に向かいます。すると、坂を上る階段で、次の方に行く手を阻まれます。そこで少し下に降りて、上りに向かって右をご覧ください。赤丸の部分にコンクリート像が見えています。しかし、黄色の線は、土手を固めるコンクリート塀の端。数メートルの落差があり、落ちれば無傷では済みません。それにも関わらず、ご覧のとおり足元は極めて悪い。突き出た鉄筋が怖く、土と塀の間の溝にも足を取られます。もし行かれるなら、自己責任でお願いします。私は再び行く気にはなれません。崖下からのアプローチ法もあるかもしれませんが・・・。では、浅野祥雲作品のご紹介。そこにあるのは、まずは鳥。カラスかと思いますが、くちばしが黄色く塗られているのは謎です。そして、高さ20cmほどの小さな人物像が、草をかき分けると出てきます。人物像は5体。崖を滑り落ちながら、草をよけて撮影します。そして、この人物像。この人物像に肩を並べるようにして、婦人像があるはずでした。しかし深く草に覆われ、私は見落としてしまいました。いや、見落とすというより、私は崖を滑り落ちていきました・・・。もう一度警告します。この像をご覧になる方は、自己責任でお願いします。落下、受傷、毒虫、ヘビ、あらゆる危険が待っています。五色園の鑑賞難度最高レベルには、それなりの理由があります。【 夏の和菓子 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2021.06.27
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にほんブログ村 豊田市の霊岩寺、謎の巨大なコンクリート像、続きです。霊岩寺の山門は、檀家以外には閉ざされています。過去に不審者の侵入などがあったかもしれません。コンクリート像は高台にあり、階段もありません。足場の巨石は傾き、落ち葉で滑ります。地蔵の高さが3メートル超ですから、かなりの高さにあります。落下しないように注意して、コンクリート像を見ましょう。前後合わせ目を、ノロで埋めた様な痕が見えます。これは高見彰七作品の特徴です。足元付近、前後中心線にヒビ割れが少しあります。背側のモルタルも粗くはありません。型を使ってはできないような鋭い線刻もあります。錫杖さえも平面的に作り、体にくっ付けてしまう。故に錫杖が短い。これも高見彰七作品の特徴です。近くで見ると、高見彰七作品の特徴も見えます。お地蔵様、貴方を作ったのは誰ですか?【 甘夏もち 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.09
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にほんブログ村 クリスタルガラスには、基本的には鉛が含まれます。この鉛は飲料に溶出しないのでしょうか。コロンビア大学の調査結果は衝撃的でした。長期間、クリスタル製のデシカンターに保管されたアルコールから、多量の鉛が検出されたのです。その鉛の濃度は、200mg/リットルにもなりました。この報告後、クリスタルガラスは鉛の含有量の表示がされるようになりました。ガラスメーカーも、長期間のアルコールの保管や乳幼児・妊婦に対しては、クリスタルガラスの使用を避けるように警告しています。通常の使用では、クリスタルガラスからの鉛の溶出は心配ありません。長期間、アルコール、炭酸水や酢などの保管に使わなければ良いのです。鉛の溶出に関しては、クリスタルガラスより楽茶碗の方が危険です。「赤楽」には炭酸鉛が、「白楽」には酸化鉛が使われています。本来は楽茶碗は、食品衛生法の規制対象。しかし、楽茶碗は伝統工芸ですので、特別に許可されています。楽茶碗で、抹茶を飲むには心配ありません。酢の物などの酢に曝したり、酸味のある飲料を楽茶碗で飲むのは止めましょう。危険とは書きましたが、クリスタルガラスも抹茶碗も通常の使用では安全です。極端な使い方をしないように、正しく使えば良いのです。 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2018.04.07
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コンクリート像作家、浅野祥雲。祥雲の神髄に迫りたいなら、ぜひご覧戴きたい作品があります。その作品は、愛知県知多郡南知多町の岩屋寺の傍の大慈山 中之院にあります。それは、他で見る祥雲の作品とは一線を画す軍人像です。昭和12年、上海上陸作戦が行われ、日本軍は中国軍の大群の眼前に出る愚行を犯しました。上陸したのは、名古屋第3師団歩兵第6連隊の兵士。大軍を前に、わずか8日間で150名の兵士が全滅しました。それは一方的な虐殺出会ったと言われます。石像は全92体。このうち、浅野祥雲が81体のコンクリート像を、11体の石像を4人と石職人が作製したと言われます。昭和12~18年に、兵士の写真を参考にして作られました。犬を連れた兵士もいます。一人は服を着ています。この像は、当初は名古屋市千種区の覚王山の霊園北側にありました。第2次世界大戦後にG.H.Qにより廃棄されそうになりましたが守られました。しかし近年の土地問題から廃棄されそうになりました。そこで、平成7年に中之院に移設されることになりました。一部、名古屋市に残る像もあります。浅野祥雲が作る仏像は、仏像らしくないと言われます。人間味のある仏像は、愛らしくユニークです。仏像を人らしく、そして人も人らしく作る作家。浅野祥雲は、そういう作家なのです。【 風化しつつある日中戦争 】※中之院の兵士像の日記、次回も続きます。
2020.09.21
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にほんブログ村 薄暗い木立の中、立ち並ぶ人物像。御嶽社は霊山、そこを歩けば異界との狭間が見えてくる。落ち葉を踏みしめ斜面を登ると、そこにはあの美しいヒトがいた。僕はカメラのレンズを、あのヒトに向ける。すると、周囲の人物像達の視線が僕に集まる。写真の画角を迷う僕。右の方から、咎めるような視線を感じる。ピントの調整に手間取る僕。左から、つぶやくような声が聴こえる。光を選び、シャッターに指を掛ける僕。後ろから、吐息のような生暖かい風が首筋をなでる。夕暮れに響くシャッター音とともに、僕は斜面を駆け下りていた。写真は撮った。明るい場所まで、何も近寄れない場所まで、駆けていく。撮れた写真を見て、驚いた。ありえないモノが写っている。写ってはならないモノが、写っている。勇敢にも、いや、無謀にも、僕はその写真を掲げよう。次の写真は、その写真。写ってはならないモノが、写った写真。写真を見て欲しい。異界の美意識は 現実の美を拒絶する。あらがう異界の声を、あなたにも、よく聴いて欲しいから。【 般若心経 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2022.03.13
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こちらのおかたをご存知でしょうか?座高は7メートル、台座を含めて全高14メートル。褐色の端正な御姿。昭和3年生まれのコンクリート造りです。この御方は、愛知県西尾市の常福寺におられます。地元では「刈宿の大仏さん」と呼ばれているとか。海に向かって鎮座されています。露天の大仏で、光背があるのは珍しいそうです。大仏の下の入り口が気になりますか?実は大仏内部に入れます。内部の御紹介は次回で。【楽天商品】
2020.02.13
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にほんブログ村 愛知県豊明市のコンクリート像、身代わり弘法の続きです。まずは、先回ご紹介できなかった像のご紹介から。二体の弘法大師像の像の間には、少女の像があります。いわくがありそうな少女像。一方の足が裸足なのにも、意味があるのでしょう。弘法大師が抱く赤ん坊、そして水子弘法の名称にも背景があるのでしょう。さらに御堂もあります。内部には、12体の弘法大師像。「身替り弘法」として説明の木板があります。木板には、この12体の弘法像が「江戸時代後期の瀬戸の名陶工 弘法善治」が製作した「千体弘法」の一部と記されています。木版の記載日は「明治9年4月吉祥日」。この「身替り弘法」が、本来の「身代わり弘法」だと思われます。では、コンクリート像は何でしょうか。それは傍にある2本の石柱にヒントがあります。2本の柱には、下記の記述があります。「毛受兄弟四百年祭に當 昭和五十七年四月 十五代毛受善市建也」「昭和五十七年癸亥年正月 初代毛受組建之」つまり昭和57年に、初代毛受組の毛受善市という人物が建てたとあります。毛受家の子孫は、多くが水野に改姓しています。そのため毛受は全国で1,200名しかいない姓で、そのうちの840名が愛知県在住です。特に豊明市には、毛受姓の方が多くおられます。善市という人物は、毛受兄弟の家系なのでしょう。では、コンクリート像の作家は誰でしょうか?像は昭和57年(1982年)製とあります。つまり作家は、後藤鍬五郎(1976年没)や浅野祥雲(1978年没)ではあり得ません。また、高見彰七とも作風が異なります。毛受組というのは建設業者。セメント会社も傘下にあります。作家は、毛受組の職人か、毛受善市自身なのでしょう。ただ作家が誰にしても、その技量はかなりのものです。これらのコンクリート像は、昭和57年の400年祭に、毛受組の作家が造った。そうですよね、弘法大師様。【前の記事】 毛受兄弟記念の謎のコンクリート像1【 戦国武将せんべい 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから >にほんブログ村
2021.04.26
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にほんブログ村 先日の謎の石像。この石像は、下記のコンクリート像と同じ人物を模したと思われます。こちらも初めの石像と同じく、愛知県日進市の岩崎御嶽社にあります。このコンクリート像、私は浅野祥雲作品ではないかと思っていますが・・・。これらの像に似たコンクリート像が、愛知県日進市の五色園にあります。こちらは、浅野祥雲作品です。この像は「名僧・皇円」。皇円は、法然の師です。皇円は静岡県の桜ヶ池(御前崎市浜岡)で大蛇の身を借りて、入定しました。衆生を救うためです。こちらは、その大蛇。岩崎御嶽社の石像なども、皇円を模したと思いますが如何でしょうか?コンクリート像の比較では、岩崎御嶽社と五色園でデザインが異なります。その点では、同じ作者・浅野祥雲かの疑問は残ります。如何でしょうか?【 多分、これは皇円じゃない 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2022.03.06
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にほんブログ村 こちらのコンクリート像(セメント像)を覚えておられるでしょうか。愛知県豊明市の作家不明の水子弘法です。以前の記事で、製作年から「作家は浅野祥雲ではない」と推定しました。浅野祥雲作ではないとしても、実によくできた弘法様です。そこで、作家が知りたく、今回、現地周辺で聞き込みしました。聞き込みからは、意外な事実もみえてきました。では、調査結果を列挙します。まずは水子弘法の横にある、御堂の中の「身替り弘法」の情報から。「身替り弘法(千体弘法)」●石碑にある通り、この場所は「昭和57年」に「初代毛受(めんじょう)組」が整備した。●毛受組は現在も、この場所の地主である。●千体弘法はもともと山中の別の場所にあり、初代毛受組(毛受善市)がこの地に移設した。千体弘法は移設されていました。次回は続いて、本命の謎の水子弘法の情報です。【 以前の記事 1 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像」【 以前の記事 2 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像 2」【 晴れないと聞き込みも辛い 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2022.06.04
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にほんブログ村 名古屋市 日泰寺の浅野祥雲作品、続きです。先日の2体の兵士像が見つめる方向。そこには次の兵士像があります。腹部から上の像です。像のみの大きさは、高さ50cm,幅30cm,胴部厚さ18cm。まだ顔には幼さも残っています。この像も含め、多くの兵士像が日泰寺の近くにありました。その場所が売却され、多くは中之院に引き取られました。今回の像などは、日泰寺の墓苑に移されたものです。[中之院の兵士像]【過去の記事1】 「中之院1」【過去の記事2】 「中之院2」破棄寸前だった浅野祥雲の兵士像は、かろうじて守られました。今回の記事の日泰寺の兵士像は、その一部です。破棄されかけた高見彰七の仏像群は、50体強が妙楽寺にあります。そして日泰寺には、高見彰七の観音像もあります。日泰寺には、浅野祥雲と高見彰七両名の作品があります。一歳違い、同世代のふたりに交流があったと考えるのは、ごく自然なことに思われます。[日泰寺の高見観音]【 名古屋コーチン さんわの手羽先 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.08.11
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にほんブログ村 今回ご紹介する新発見の高見彰七作品は、重要な意味を持っています。民家の敷地内にありますので、詳細は省かせて頂きます。撮影許可などを頂いての画像掲載となります。まずはご覧ください。一見して高見観音とわかります。ただ服装の表現などが、多くの高見観音とは異なります。微笑みは少なめで、お顔も下膨れのふくよかなお顔ではありませんが、高見観音で見かける表現です。実はこの観音像、高見彰七作品であって、高見彰七作品ではありません。今までこの作風の観音像も含めて、私は高見彰七作品としてきました。しかしこれは、「高見正美」氏の作品です。高見正美氏は、彰七氏の御子息に当たります。高見彰七氏と正美氏の親子は、時に協同で作品の製作に携わった様です。今回ご紹介の観音像は、高見正美氏単独での作品例です。思えば高見観音を私が4分類に整理した時、第2分類の観音像の作風は一定ではなく、その理由に悩んでいました。もちろん製作活動での試行錯誤と捉えることはできますが、彰七氏と正美氏の両者の手が加わっていたということであれば、より納得ができます。【第2分類】 「高見彰七作品 第2分類」いずれにしても「高見彰七としていた人物はふたりいた」というのは、私にとっては衝撃の新事実でした。まずは従来通り、高見彰七作品リンク集2「観世音菩薩像」にNo.29として登録します。リンク集2 (No.29) ・所在地: 豊田市 民家 ・製作年月: 不明 ・作家銘: なし, 高見正美作品 ・特徴: 高さ120cm, 胸部幅25cm, 胸部厚さ15cm今後、リンク集を活用して、明らかに高見正美氏の作品と判明した作品があれば、その旨を表記したいと思います。次回はさらに新発見の作品の紹介をしつつ、また別の重要な情報をお伝えしたいと思います。【 福寿柿 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.15
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27億年前、シアノバクテリアの光合成により、大気中に酸素が多量に放出されました。原始の生物にとって、酸素は猛毒。猛毒の酸素により、生物は絶滅の危機を迎えました。しかし、細菌には猛毒酸素をエネルギー源とする変わり者もいました。それが今も私たちの細胞の中にいるミトコンドリアです。原始の生物はその細胞の中に、ミトコンドリアを取り込みました。ミトコンドリアは酸素を無毒にし、多量のエネルギーを作り出しました。ミトコンドリアを細胞内に取り込むことで、動くための大きなエネルギーを得る。それが動物が選んだ、猛毒酸素への対処法でした。さらに酸素は分解し、オゾン層が作られました。オゾン層は毒となる紫外線を防ぎ、生物に良い環境を作り出しました。こうして、毒であるはずの酸素は、生物を生かす気体に変わりました。毒を薬に変える。そのためには、時には自分自身を変える必要もあるでしょう。時には、毒は見方を変えれば、毒ではないのかもしれません。柔軟に対処を変える。多面的に見て判断する。自分自身の心掛けが、世界を薬に満ちたものに変える秘訣なのでしょう。【以前の日記1】 「温暖化の終着点 - 金星 -」【以前の日記2】 「少しずつ 死に向かう生き方 - 酸素 -」【以前の日記3】 「たとえ うけいれられなくても - ミトコンドリア -」 ※ ミトコンドリア・サプリメントというものがあるのには驚きますが、その効果の有無は私は知りません。
2016.10.24
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岡山県岡山市の最上稲荷山 妙教寺。ここには、2体の仁王像があります。撮影時は知りませんでしたが、福崎日精(ふくざきにっしょう)という方のコンクリート像でした。仁王像を納める仁王門は、昭和33年に完成しています。金色の仁王像、足元にも金箔貼りのガラス製草鞋。これらをライトアップしているので、反射で写真写りが悪く、すみません。手前のガラスの写り込みもあります。福崎日精さんは、1905年生まれ。没年は1966年。謎の多い作家です。仁王様の足元の基台には、「奉納 サントリーホールディングス株式会社」とあります。本日は仁王様をご堪能ください。・・・・・・・・・・・・・・・・【 金パンダまもり 】 にほんブログ村
2021.02.18
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にほんブログ村 謎の水子弘法像、その後、日を改めて再調査しました。調査方法は、弘法像近所での聴き込み。その結果、下記がわかりました。水子弘法の横には祠があり、内部に千体弘法(身替り弘法)があります。●祠の中の千体弘法はもともと山中の別の場所にあり、 初代毛受組(毛受善市氏)がこの地に移設した。●千体弘法は「江戸時代後期の瀬戸の名陶工 弘法善治」が製作。まず千体弘法の由来はわかりました。次に水子弘法です。●水子弘法は昭和57年に、初代毛受組 毛受善市氏により建てられた。●毛受善市氏は他界。 水子弘法の経緯を知る人はいないだろうとのこと。まだ水子弘法の調査は続きます。次回からは、未公開の新情報です。【次の記事へ】 「最終章 5」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(最新記事)【 記事 1】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 1) 」【 記事 2】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 2) 」【 記事 3】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 3) 」(過去分)【 以前の記事 1 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像」【 以前の記事 2 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像 2」【 以前の記事 3 】 「謎のコンクリート像の情報収集をしました 1」【 以前の記事 4 】 「謎のコンクリート像の情報収集をしました 2 」【 ビスクドール 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.02.04
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にほんブログ村 豊明市 水子弘法像の謎を追い、手掛かりを得た毛受家照像。善市氏も寄付をしたという、その銅像の作家は「稲垣勝美」氏でした。稲垣勝美氏は、瀬戸ノベルティの有名な原型師です。1913年に生まれ、1995年に他界されています。あの彫刻家・北村西望に師事し、名古屋製陶所や大倉陶園で勤め、その後は、丸岡陶器など、多くの原型作りを手掛けられました。瀬戸ノベルティとは、瀬戸で作られた陶磁器製の置物や装飾品。輸出用を中心に人気を博し、瀬戸の産業の振興に大きく貢献しました。豊明市の水子弘法像の作家が、稲垣勝美氏という記録はありません。ただ、水子弘法などの顔立ちは、陶磁器の人形の顔立ちにも似ています。私が毎回、ビスクドールをリンクしていたのは、そのためでもあります。謎を追い、たどり着いた稲垣勝美氏。ただその調査では、哀しい出来事を知ることになります。【次の記事へ】 「最終章 8」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(最新記事)【 記事 1】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 1) 」【 記事 2】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 2) 」【 記事 3】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 3) 」【 記事 4】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 4) 」【 記事 5】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 5) 」【 記事 6】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 6) 」(過去分)【 以前の記事 1 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像」【 以前の記事 2 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像 2」【 以前の記事 3 】 「謎のコンクリート像の情報収集をしました 1」【 以前の記事 4 】 「謎のコンクリート像の情報収集をしました 2 」【 サクラビスクドール 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.02.11
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にほんブログ村 お待たせしました。ようやく以前から報告を頂いていた高見彰七作品候補の現地確認をしました。今回の新発見は神馬です。発見者は「FDG公式さん」です。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」豊田市にある人気観光スポットの鞍ヶ池公園。観光客で賑わう鞍ヶ池公園を東に過ぎると閑静な矢並町。そこに神馬のある八柱神社があります。名鉄バス矢並区民会館から南へ徒歩数分。突然目の前に意外な風景が広がります。田園風景に存在感のある真っ白な神馬。もうこの時点で、高見彰七作品への期待が膨らみます。さらに接近。はい、高見彰七の神馬決定です。(リスト集1「神馬」 No.8) ・所在地: 愛知県豊田市矢並町 八柱神社 ・製作年月: 判読不能 ・作家銘: 無銘, 奉納者銘あり ・寸法: 神馬のみの高さ 190cm, 前後長195cm ・発見者: @FDG_official01 さんまずは神馬をご覧ください。現地確認では、この神馬などを管理されている地区の方のお話も聴けました。次回はその情報と、神馬の銘板などをご紹介します。【 おすわりマスコット 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.30
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にほんブログ村 今回も民家敷地内の観音像を、撮影許可を頂いて紹介します。背景などはAI処理、トリミングしていますので、違和感がある箇所もあるかと思います。やや経年を感じさせる風化が進んでいます。お顔もややわかり難くなっています。高見彰七作品リンク集2「観世音菩薩像」にNo.30として登録します。リンク集2 (No.30) ・所在地: 豊田市 民家 ・製作年月: 不明 ・作家銘: なし ・特徴: 高さ105cm, 胸部幅30cm, 胸部厚さ20cmこの観音像には像の前面/背面の境界に、縦に明瞭なヒビ割れがあります。高見観音の製法は、1)前面,背面を別々に半割りの像として作り、2)その後、前面,背面を接合して一体化して立像としたということが、ご親族の情報から確認できました。観音像の観察から推定していた「半割り接合製法説」は正しかったことがわかりました。半割りであれば接合面を下にして、像を造形できます。一方で、接合面が弱く、ヒビ割れなどの劣化が進み易くなります。モルタルを使いコンクリート像を作ることは、一見、容易なようで、実際は難しいことがよくわかります。【 元祖 くず餅 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.18
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正月早々、風邪で寝込んでいましたが、復活です。ゴロゴロ寝込んでいると、西部劇で風で転がるタンブル・ウィードを思い出しました。タンブル・ウィードは、いつも風に吹かれて転がっているわけではありません。秋に実が熟すると、種をばらまくために茎が折れて転がるのです。”西部劇の草”のイメージですが、アメリカにとってタンブル・ウィードは外来種。本来はアフリカとユーラシアに生育し、アメリカには1877年に持ち込まれました。タンブル・ウィードがアメリカに広まったのは、早くても西部開拓時代の終わりでしょう。(※画像出典:http://karapaia.com/archives/52117483.html)タンブル・ウィードが多数転がり、交通の障害になることもあるようです。下記の動画では、自動車がタンブル・ウィードを押しのけながら進んでいます。どこの国でも、動植物の外来種は困りものですね。
2018.01.13
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にほんブログ村 いよいよ、刈宿の大仏様の内部へ入ります。入ってすぐには金色の阿弥陀様。左右に階段があります。胎内窟かと思いきや、意外に内部は明るい。電灯ではなく、太陽光の明るさです。フラッシュなしで撮影可能な明るさ。見上げると、大仏様の内部が見えます。写真の左が大仏様の前面。写真右の大仏様の背面側には、明り取りの窓があるようです。こうしてみると、大仏様がコンクリート造りとわかります。参拝者も少なく、落ち着ける場所でした。ゆっくりと、大仏様と語り合ってみては如何でしょうか?【日記】 「この大仏様はどちらのおかた?」【楽天商品】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2020.02.15
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写真を整理していて、竜宮門で気になることがありました。竜宮門は、黄檗(おうばく)宗の中国式の門。黄檗宗は、臨済宗に近い禅宗。 次の写真は、名古屋市 桃巌寺。曹洞宗の寺院です。次の写真は、愛知県刈谷市 松秀寺で曹洞宗の寺院。 曹洞宗は禅宗ですから、竜宮門は禅宗関連にも思えます。しかし、次の写真は、愛知県知立市 総持寺。この寺院は、天台宗です。次の写真は、名古屋市 雲心寺。こちらは、浄土宗鎮西派の寺院。(参考: http://takakura.ed.jp/unshinji/index.html)もはや、竜宮門は宗派の枠を超えています。調べると、黄檗宗の門だった竜宮門は、中国から日本に伝わり人気になったそうです。その結果、日本では黄檗宗以外の寺院でも、竜宮門を作り始めたとのこと。つまり、竜宮門は流行りもの。日本のご住職、意外にミーハーです。【楽天】
2020.04.04
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にほんブログ村 豊明市 水子弘法像の謎を追い、毛受組を探しました、毛受組は当初予想した国道1号線沿いではありませんでした。毛受組は豊明幹部交番の近くにありました。しかしコンビニの壁の陰になり、県道239号線からは見えません。毛受組の場所は、少しわかり難くなっています。毛受組で聴き込みし、下記の情報が得られました。●水子弘法を建てた毛受善市氏は、ご夫婦ともに他界されている。●善市氏にはご子息がおられるが、話を聴ける健康状態ではない。つまり、水子弘法の作家は、まだ解明できませんでした。しかし新情報が得られました。善市氏が関わった別の立像があるというのです。その立像から、一人の作家につながります。【次の記事へ】 「最終章 6」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(最新記事)【 記事 1】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 1) 」【 記事 2】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 2) 」【 記事 3】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 3) 」【 記事 4】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 4) 」(過去分)【 以前の記事 1 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像」【 以前の記事 2 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像 2」【 以前の記事 3 】 「謎のコンクリート像の情報収集をしました 1」【 以前の記事 4 】 「謎のコンクリート像の情報収集をしました 2 」【 Made in Japan 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.02.06
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にほんブログ村 高見彰七について色々とわかってきました。そこで一度、重要な事項を整理します。1)高見彰七は昭和25年頃から、夢に見た観音像を追って、 観音像の製作を開始した2)高見彰七は農家の人であり、プロの作家ではない3)昭和31年にはみよし市の大狐、昭和35年には愛知池の大観音など、 代表作と言える大型作品も製作している 「みよし市の大狐」 「愛知池の大観音」4)昭和36年には道路沿いに並ぶ250体の作品とともに、 当時71歳の高見彰七が全国誌で紹介される5)その後、昭和46年の昌福寺の観音像まで、 作家活動が確認されている 「昌福寺の観音像」6)道路沿いの250体の作品群は、平成2年頃に安全上の理由から撤去7)そのうち58体は妙楽寺に置かれている8)宮口神社の神馬、森下交差点の観音像など、 その後も作品の廃却が続いている9)多くの作品が各地に移設されて四散し、現在捜索中 現在まで約110点の作品が発見されているにすぎない10)長野県での作品の確認例もあり、作品の分布は愛知県に留まらない11)高見彰七は知名度が高いコンクリート像作家・浅野祥雲より 1歳年上の同世代の作家であったが、 今日ではほぼ完全に忘れられてしまった約20年間ほどの活動で、高見彰七は多くの作品を残しました。一時期は高い知名度があった高見彰七ですが、その後、急速に人々の記憶から消えました。人の記憶の儚さには驚くばかりです。【 大須 栗りん 栗三秋 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.04
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タイタニック号の唯一の日本人乗客、細野正文氏は九死に一生を得ました。細野正文氏は、ミュージシャンの細野晴臣氏の祖父。その正文氏によって、事故から救助までの様子が、タイタニック号の便箋を使って残されています。長い手記ですので、抜粋で救助までの一部をご紹介します。・・・・・・4月14日10時、船が何かに突き当たる感じがあり、間もなく停船した。11時、知人がドアを叩き、甲板に行けと言う。甲板に行くと、知人は救命胴衣を渡して立ち去った。説明が何もなかったが、船員は3等デッキより下に降りろと言う。2等船客であると言って許されたが、荷物を取りに部屋に帰ると、甲板に来るなと船員に再び言われた。船員の指示を無視して甲板に上ると、救命ボートが降ろされていた。ここに至って、非常事態と分かったが、静かにボートの順番を待った。婦人が優先され、右舷から4隻のボートが降ろされた。ボートに乗ろうとする男もいたが、船員に銃で制された。船は45度傾き、最後のボートも降り始めた。「あと2人」の船員の声に、2人の男が飛び乗った。もはやこれまでと覚悟したが、もうひとり、男が飛び込んだ。船員に銃で撃たれるのを覚悟で、自身もボートに飛び乗った。幸い、船員は他に気を取られ、撃たれることはなかった。ボート内は、婦人や子供の泣き声に満ちていた。その後、他のボートとも合流したが、あることに気がついた。ボートには船員の割合が多く、乗客より船員を助けようとしているように見えた。タイタニック号からは、逃げるすべのない乗客の叫び声がすさまじかった。1時ごろ、爆発音が聞こえ、船は沈没した。海面からは、おぼれつつある者の叫び声が聞こえた。ボート内では、夫を気遣う婦人の声が響いた。しかし、4時ごろには、おぼれる者の声も聞こえなくなった。8時ごろ、カルパチア号という船に、ようやく救助された。聞けば、100マイルほど離れた場所から、無線を聞いて来たという。カルパチア号に700人、カルフォルニア号に70人が救助された。乗船していたのは3000人というから、約2000人が亡くなったことになるのだろう。・・・・・・1912年4月14日、今から100年以上前の事故でした。
2014.04.30
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にほんブログ村 リンク集更新 2024年10月10日掲載数 計106体●【リンク集1「神馬」編】 掲載数7体 「高見彰七 神馬編」●【リンク集2「観世音菩薩」編】 掲載数36体 「高見彰七 観世音菩薩編」●【リンク集3「その他」編】 掲載数6体 「高見彰七 その他」●【妙楽寺の仏像群】 掲載数57体 「妙楽寺」 「妙楽寺 追記」●【年表】 「高見彰七 製作年 (年号記述があるもののみ)」●【高見彰七氏とは?】 「高見彰七の真実1」 「高見彰七の真実2」 「高見彰七の真実3」 「250体はなぜ消えた?」皆様のおかげで、リンク集が充実してきました。これからも情報をよろしくお願いします。【 幻のチーズケーキ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2022.12.16
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にほんブログ村 謎の水子弘法像、調査の経緯を振り返ります。まず現地では、石碑に書かれた説明書きが参考になりました。「毛受兄弟四百年祭に當 昭和五十七年四月 十五代毛受善市建也」「昭和五十七年癸亥年正月 初代毛受組建之」この説明から、下記が分かりました。 ・水子弘法は「毛受(めんじょう)兄弟400年記念」で建てられた。 ・建てられたのは、昭和57年4月である。 ・建てたのは、初代毛受組の毛受善市氏 (毛受家15代目)。ネットでは、有名なコンクリート像作家の作品とも噂されていました。しかし、像は昭和57年(1982年)製。作家は、後藤鍬五郎(1976年没)や浅野祥雲(1978年没}ではあり得ません。また作風から、高見彰七でもないでしょう。まず、この時点では作家の謎は深まった形となりました。【次の記事へ】 「最終章 4」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(最新記事)【 記事 1】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 1) 」【 記事 2】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 2) 」(過去分)【 以前の記事 1 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像」【 以前の記事 2 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像 2」【 以前の記事 3 】 「謎のコンクリート像の情報収集をしました 1」【 以前の記事 4 】 「謎のコンクリート像の情報収集をしました 2 」【 ビスクドール 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.02.01
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にほんブログ村 岡山県玉野市下山坂白坂峠傍の化粧地蔵、続きです。今回は化粧地蔵と石仏,石祠のご紹介です。まずは、この場所のGoogle mapストリートビューです。周囲も広く、アクセスしやすい場所です。ただし駐車スペースはありません。岡山県玉野市下山坂1748さて、この化粧地蔵の左隣には石仏と石祠があります。私はこの中央の石仏が、一目でお気に入りになりました。この石仏は何でしょう。蓮の花をお持ちですので、観音菩薩と分かります。さらに頭部に11個の楕円があります。この楕円は顔を示しているのでしょう。つまり、この石仏は「十一面観音」とわかります。十一面観音の右の祠は石造りです。この地域には石祠が多くあります。児島半島では花崗岩が多く産出され、石材が豊富なためでしょう。手入れの良い化粧地蔵、ユニークな十一面観音、そして石祠。多くの出会いがあり、満足感の高い化粧地蔵探索でした。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その32)」【次の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その34)」【 岡山産白桃 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.08.07
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にほんブログ村 愛知県豊明市にある、謎のコンクリート像。それが身代わり弘法(水子弘法)です。大きな弘法大師。身代わり弘法と水子弘法のふたつの銘がありますが、一般的に言うと子安弘法でしょう。やや小ぶりな像もあります。生々しい顔つきです。謎なのは、傍の石柱に「毛受兄弟記念碑」とあること。毛受(めんじょう)兄弟は、柴田勝家の家臣。賤ヶ岳の戦いで、羽柴軍から敗走する柴田勝家。この際に、毛受兄弟は柴田勝家にフリをして、敵の注意を集めました、結果、毛受兄弟は討ち死にしますが、柴田勝家は逃げることができました「身代わり弘法」とあるのは、この逸話からでしょう。では、なぜ毛受兄弟記念碑がこの地にあるのか。このコンクリート像の作家はだれか。今日の2体以外にもあるコンクリート像の紹介も含めて、毛受兄弟記念碑と作家の謎を、次回考察してみます。【 鯉のぼりブッセ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2021.04.24
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にほんブログ村 豊明市 水子弘法像の謎を追い、たどり着いた別の立像。それは愛知県尾張旭市の文化会館前にあります。毛受家照の銅像です。(画像出典:https://www.asuka-tobira.com/dozo/album/index.html)毛受善市氏はこの像を建てる際に寄付されたそうです。毛受家の子孫としての立場から。この像は、昭和63年に建てられています。豊明市の水子弘法が建てられた昭和57年の6年後。時期も近く、関連性がありそうです。(画像出典:https://www.asuka-tobira.com/dozo/album/index.html)次回、この像の作家のお話をしましょう。【次の記事へ】 「最終章 7」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(最新記事)【 記事 1】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 1) 」【 記事 2】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 2) 」【 記事 3】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 3) 」【 記事 4】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 4) 」【 記事 5】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 5) 」(過去分)【 以前の記事 1 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像」【 以前の記事 2 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像 2」【 以前の記事 3 】 「謎のコンクリート像の情報収集をしました 1」【 以前の記事 4 】 「謎のコンクリート像の情報収集をしました 2 」【 ノリタケ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.02.08
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にほんブログ村 時間をかけて、霊岩寺の地蔵菩薩像を検証しました。地蔵菩薩の比較には、妙楽寺の作品を参照します。【関連記事】 「霊岩寺の謎のコンクリート像1」【関連記事】 「霊岩寺の謎のコンクリート像2」左は霊岩寺、右は妙楽寺の地蔵菩薩像です。(類似点)・顔形(目鼻口、眉などの形と配置)・なで肩・上半身の着物の表現・体に付いた平面的な錫杖・錫杖を持つ右手の位置・簡略化された指の表現・体の前後に接合部がある(相違点)・妙楽寺の地蔵は微笑んでいる・妙楽寺の地蔵の方がやや耳が大きい・着物の裾の表現・妙楽寺の地蔵の方がやや平面的な造形・妙楽寺の錫杖は長い上半身、特に肩から右手周辺は酷似しています。一方で着物の裾などは違いがあります。ただし相違点の「着物の裾の表現」については、別の類似作があります。それは霊岩寺の近くにある京町区民会館の観音像です。以下、左は霊岩寺、右は京町区民会館のコンクリート像です。腰から下の表現が、両者でよく似ているのが分かると思います。3メートル程度の高見彰七氏の作品は、左官などとの共作の可能性があります。高見彰七作品らしくない花入などが気になりますが、類似箇所が酷似していますので、「高見彰七氏が関わった作品」と考えて間違いはないと判断しました。105体目の高見彰七作品として、リンク集3 No.6に登録したいと思います。【 静岡抹茶バウムクーヘン 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.08.23
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にほんブログ村 高見彰七の観音像の分類2は厄介です。分類2は作風が一定していません。それは試行錯誤のためとみられ、比較的初期の作品と推定しています。【分類2の特徴】a)造形 微笑みのない表情。 指の造形などが簡略化。 x)直立形が主。b)材質 モルタル中の粒度が粗い。 経年劣化が激しい。c)造形 前面と背面に継ぎ目状に亀裂がある。分類2の例です。「割目池」 地蔵菩薩像と並び立つ「吉浜 柳池院」 「妙楽寺」 子安観音「妙楽寺」 劣化が激しい分類2は、大形像はないように思います。また全て無銘です。【 ナイトライト 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.09.21
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にほんブログ村 しばらく遠方に出ていました。その間にX(旧Twitter)を見ていて、興味深いものを見つけました。それは高見彰七作品によく似た神馬です。場所は、茨城県の八溝山にある八溝嶺神社です。写真は 「ツネツネツネ」さん の許可を頂いて転載しています。如何でしょうか。四つ脚で立つ姿、たてがみ、尾の造形など、高見彰七の神馬によく似ていないでしょうか?ネットで別の画像を探しました。(画像出典: 「CROW'S CLOW」 )高見彰七の神馬に比べると、やや細身の神馬です。高見彰七作品の様な、違う様な……。また別の方の画像から。(画像出典: 『栃木発「ちゃりあん」ブログ2』 )やや小柄な神馬らしい。高見彰七の神馬と酷似した台座には、銘板が見えます。もし茨城県での発見となれば、愛知から最遠方での発見例。真贋が気になります。さらに調べると、別の方の画像で銘板も解読できました。それをご紹介しつつ、次回はこの神馬の謎解きを試みます。【 秋の味覚 食べ比べ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.15
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にほんブログ村 名古屋市緑区の緒畑(おばた)稲荷神社。そこにも大きな白狐のコンクリート像があります。作者は不明。ペンキは塗り替えられて間がない様子です。口元はペイントで、やや雰囲気が変えられています。この白狐、名古屋市中区の豊福稲荷堂(安用寺)の白狐と似ていると思います。比較してみましょう。左) 緒畑稲荷神社、右) 豊福稲荷堂【関連記事】 「豊福稲荷堂の白狐」いかがでしょうか。双方の白狐ともに、作者不明のコンクリート像。作者はだれか。双方、同じ人物の作品か。謎は、いまだ解明されません。【 レアチーズ大福 】 にほんブログ村
2021.04.10
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にほんブログ村 私が生まれ育った地域のサザエには”トゲ”がなかった。父親に聴くと、「海が穏やかな地域のサザエにはトゲがない」と答えた。では、海が荒れる地域ではトゲがあるのかと聴くと、分からないとのことだった。はっきりしない説明だから、このトゲがないサザエは”ニセサザエ”だと思っていた。最近、東海大学・海洋科学博物館監修の「貝殻の名前」を読んだ。その本にも、サザエには”トゲあり”と”トゲなし”があると書かれていた。さらにトゲの有無は、種類や性別の差ではないとあった。波の荒さなど、環境の違いが理由とあった。驚くことに、父親の説明は合っていた。さらに本には、トゲの有無ができる理由や、トゲの役割は不明とあった。いまだ、サザエのトゲは謎なのだ。ウィキペディアには、下記の様に書かれていた。「水槽で飼育するとサザエはトゲを形成しなくなる。 逆にトゲの発達しない個体を外海に放流するとトゲを形成する。」個体差もあることから、サザエのトゲの有無は環境と遺伝のふたつの要因があるとのこと。サザエのトゲは、今でも謎の存在だ。その役割も、できる理由も分からない。でも、kopanda06は、そのトゲに自説を持っている。それはサザエの立場になればわかることだ。きっと、こうだろう。短気なサザエは海が荒いとイライラしてトゲトゲし、気長なサザエは静かな海で呑気にマルマルになる。私なりに、謎が解けた気がしている。(画像出典: Wikipedia )【 サザエ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2021.06.09
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にほんブログ村 愛知県豊明市の水子弘法。この作家不詳のコンクリート像(セメント像)を覚えておられますか。実は、2022年の初夏には、一人の作家にたどり着いていました。しかしそれは、消えてゆくものの寂しさを感じざるを得ない結路でもありました。全調査の内容を振り返りつつ、一人の作家へ。「豊明市 水子弘法の謎を追って 最終章」、始めます。【次の記事へ】 「最終章 2」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【 以前の記事 1 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像」【 以前の記事 2 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像 2」【 以前の記事 3 】 「謎のコンクリート像の情報収集をしました 1」【 以前の記事 4 】 「謎のコンクリート像の情報収集をしました 2 」【 ビスクドール (陶器製の人形) 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.01.28
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にほんブログ村 今回も化粧地蔵をご紹介します。所在地名は、岡山県玉野市下山坂の白坂峠傍です。 普通車でも通行可能な道の登坂の途中に化粧地蔵はあります。緑色が印象的な六地蔵です。綺麗に彩色されています。日頃からの手入れの良さがうかがわれます。幸せな化粧地蔵です。化粧地蔵も微笑んでおられます。ところで、この化粧地蔵の左隣には、興味深い石仏があります。次回はこの場所のストリートビューと、その石仏をご紹介します。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その31)」【次の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その33)」【 岡山産マスカット 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.08.05
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にほんブログ村 渡刈町 銘「与次」の観音像の続き、観音像の由来です。地主さんのお話から。******かつてこの交差点脇には貴人の墓(古墳)があったそうです。地区の皆さんは貴人の墓は祀るべきと考えていました。折しも破棄される予定の観音像があり、その観音像を譲り受け、墓に祀ったそうです。しかし道路拡張工事の際、墓は撤去されてしまいました。その時、「観音像が泣いているように見えた」そうです。泣く観音像を不憫に思った皆さんは、墓がなくなった後も観音像を移設し祀りました。その後も交差点付近を転々と場所を変え、今の場所になりました。また経年劣化の傷みは、石工に依頼して補修もしたそうです。******この観音像は「破棄される予定の観音像」だったそうです。これは「撤去された高見彰七の250体の作品群」を示しているのかもしれません。それであれば、「与次」=「高見彰七」の可能性が高まります。この観音像に、人々は「鳴き顔」を見たそうです。高見彰七は夢に見た理想の観音像を追い、その創作に「まごころ」を込めました。人々が鳴き顔を見た観音像が、もし高見彰七作品だとしたら、高見彰七は、その夢をかなえていたのかもしれません。【 人形ライト 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.04
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にほんブログ村 愛知県豊田市 八王山 春光院の観音像の注目点をご紹介します。(1)失われた首飾り春光院の観音像も首飾りをしています。ただし他の観音像の様に2重の首飾りではありません。その特徴としては、首飾りのペンダントが取れていることがあります。渡刈町の与次の観音像は写真の様に、円い飾りが付いています。「渡刈町 『与次』観音像」当初は渡刈町の様なモルタルの飾りが付いていたのか、それとも別の象嵌風の飾りが貼りつけられていたのか。あまりに綺麗にはがれています。モルタル以外の飾りの貼り付けの可能性を感じます。(2)消えた作家銘?観音像の背面右下に、違和感のある模様が見えます。次の様な作家銘の可能性はないでしょうか。作家銘を示す長方形の縁取りと「七」の文字が見えませんか。参考に、今は亡き宮口神社の神馬にあった高見彰七の作家銘を示します。「七」がよく似ていませんか。春光院の観音像は、作家銘の上半分が補修用のモルタルで消されている様に見えます。「与次=高見彰七の弟子」に加えて、「与次=高見彰七」の可能性も高まった様に思います。はたして「与次」とは誰でしょうか。いささか「見たいものが見える」、心霊写真的な要素がありますが、もし作家銘ならば、「与次」の重要な手がかりにもなるかもしれません。【前の記事】 「春光院 1」【 活性炭アニマル置物 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.09
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にほんブログ村 今回は、岡山県玉野市八浜のだんじり小屋隣の化粧地蔵をご紹介します。 化粧地蔵の祠の隣に見えるのは、この地区のだんじり小屋です。大きなお地蔵様。輪郭を黒く縁取りした質素な御化粧です。八浜地区は児島半島の北部、児島淡水湖側に位置します。今までご紹介することが多かった東児・胸上地区とは御化粧が違います。八浜地区にはベンガラで赤く塗られた化粧地蔵があります。今回の化粧地蔵はベンガラを使わず、極めてシンプルな御化粧です。御化粧は質素ですが、綺麗な祠と地域住民の信心で守られた幸せなお地蔵様でした。次回はストリートビューと、だんじりの話を少々ご紹介します。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その35)」【 岡山津山ホルモンカレー 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.21
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にほんブログ村 高見彰七について、幾つもの新情報が得られました。その中には、すべての前提をくつがえす、驚愕の新情報もあります。私自身、大混乱で、なにからお伝えすべきか迷います。情報を整理しつつ、まずは新発見の高見彰七作品からご紹介したいと思います。新発見の作品にも、皆さん驚かれることでしょう。そして新情報は、謎を解くことにもなりますが、さらなる混乱を生むことにもなります。次回以降の記事にご期待ください。【 ショコラクリスタル 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.09
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にほんブログ村 今回以降お伝えするのは、高見彰七のご親族3名の方からのヒアリング結果です。最も御詳しい彰七氏の御孫さんにたどり着くのにやや手間取りましたが、皆さん丁寧にご対応下さり、ヒアリング継続中です。まず、新情報1件目です。高見彰七の活動期間が判明しました。80歳で他界されましたが、79歳まで製作活動を続けていました。活動期間を年表で整理します。没年、昭和45年。製作活動は、昭和25年から44年の19年間。この期間に、あれほど多数の作品を製作されたわけです。しかも当初は木彫りの仏像を製作していましたので、コンクリート像の製作期間は更に短くなります。ここで奇妙なことに気付きます。没年以降に建立された観音像もありますが、これは移設でしょうか。実はそこには驚愕の新情報が隠されていました。そのお話は次回以降でお伝えします。【 かぼちゃ バウム 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.13
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にほんブログ村 イヌには「AU101」という独特の表情があります。次の写真がその表情です。(画像出典: photoAC)眉の内側を引き上げた、この表情。この表情は、イヌがヒトと向き合った時に、しばしば見られます。一方で、ヒトが背を向けると、この表情の出現頻度は下がります。オオカミが、このAU101という表情を見せることは稀です。AU101はイヌがヒトに向き合った時に示す、極めて特徴的な表情です。イヌは眉の内側を引き上げる「内側眼角挙筋」が発達しています。一方で、オオカミは内側眼角挙筋は発達していません。内側眼角挙筋は、ネコにもありません。内側眼角挙筋がなくても、似た表情はできますが、しかしあれば、AU101は表情として現れやすくなります。イヌはヒトと向き合うことで、特徴的な表情AU101を発達させました。AU101は、少し哀しげに見える表情です。ヒトがその表情を見ると、イヌの気持ちを知りたくなります。ヒトに想いを伝えたいけど、上手く伝わらない。その想いが、イヌにAU101という表情を与えたのかもしれません。※※※※※※先日、飼い主と再会すると、イヌのなみだの量が増えるという記事を、下記で拝見しました。イヌとヒトには、深いつながりがあります。【ただのデブ0208さん】 「イヌのなみだと飼い主」【 目薬をさせば、あなたも愛される? 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2022.08.28
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にほんブログ村 強力な加湿の助っ人を呼びました。十分な水を蓄えた助っ人です。その助っ人とはkopanda06、私自身です。予想外でしたか?人体からは、1日に900mLの水分が自然蒸発します。1リットル近い水分量、なかなか多量です。これを1時間当たりに換算すると37.5mL。ダイソーの加湿器には勝りますが、加湿に必要な1時間あたり600mLには足りません。う〜ん、惨敗です。ダイソーの加湿器、加湿能力は足りません。でも安価でしかもかわいいので、許すことにしましょう。【 大容量5L 加湿器 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.01.26
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にほんブログ村 探さなくても出会える、京都の化粧地蔵。目的地までのわずかな距離。往復で歩く通りを変えて見ました。早速、祠がありますね。ではちょっと覗いてみましょう。おや、お休み中でしたか。すみません、お邪魔しました。あっ、ここにも祠がありますね。格子もないので、写真も撮れそうです。失礼します。残念、化粧地蔵ではありませんでした。でも、おや、背後に何やら白いものが。なんでしょう?小さな化粧地蔵さんでした。こんにちは。あれ、また隠れてしまいました。ちょっと恥ずかしがり屋の化粧地蔵さんだったようです。【 ねこがいます 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.09.30
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にほんブログ村 茨城県の八溝山、八溝嶺神社の神馬。はたして、これは愛知から最遠方にある高見彰七の神馬でしょうか。通常の神馬は駆ける姿で造られます。しかし高見彰七の神馬は、四つ脚で立つ静止した姿であるという特徴があります。おそらくコンクリート像の劣化による破損を避けるためでしょう。神馬に限らず、高見彰七の作品は破損を避ける造形がなされています。たてがみ、尾の造形など、八溝嶺神社の神馬は高見彰七の神馬によく似ています。しかしこれだけでは判別できません。そこで、さらにネットで別の画像を探しました。(画像出典: 「YAMAP」 )神馬の正面からの画像で、正面から見るとひび割れがあります。この神馬は石像ではなく、コンクリート像の可能性がありそうです。ただし神馬の顔つきが、高見彰七の神馬にしてはシャープです。また、正面からは銘板も読めます。拡大しましょう。奉納者が常陸屋商店であることと、店主のお名前があります。年号は「昭和五十五年」あるいは「昭和三十三年」と読めます。高見彰七の年表で確認しましょう。昭和三十三年であれば、まさに高見彰七の活動期です。一方、昭和五十五年の場合は、移設された可能性が出てきます。そう悩んでいましたが、下記のネット情報で昭和五十五年奉納と分かりました。もし高見彰七の神馬であれば、移設となるでしょう。 【奉納年の情報: 「茨城見聞録」 )残念ながら、高見彰七の神馬であるという確証を持つには到りません。可能性はあるとは思いますが。今後、新たな情報が待たれます。またネット調査の中で、八溝嶺神社近くに別の神馬も見つけました。次回、こちらも紹介します。【 栗秋山 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.17
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