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お昼ごろから松代に行く。 象山神社に参り象山の生まれた家があった所や高義亭、煙雨亭など見る。富岡日記を書いた「和田英」の実家、横田家のかやぶきの屋根の前を通り、暑い日差しの中、ぶらぶら歩いて行く。通りに人通りはほとんどなく、水を補給しながら歩く。 結構新しい綺麗な武家風の塀(丈が低く、黒を基調としたシックなもの)を持った家が時折見かけられるが、廃藩の後松代藩士たちはあまり窮乏しなかったのだろうか?など考えながら行くと、関山仙太夫の旧宅を見つけた。関山仙太夫は江戸時代のアマチュア囲碁の名人で本因坊と戦って何番か勝ったこともあるという。囲碁ファンなら有名な人らしい。その旧宅はなんとも見るからに古びていて、どこにでもある冴えない民家であった。屋根はトタンで家も相当痛んでいる。 子孫は絶えてしまって、囲碁ファンの篤実家が立てた標注がさみしく門の前に立っていた。そのすぐ隣には豪勢な塀を持った結構な邸宅が建っている。 なにか釈然としない感じがした。歴史の中に名を残した人物の家が粗末でその隣や近辺の無名の人間たちが贅沢な塀や家を建てて生きている。アンバランスな気分で暑い通りをてくてくと歩いていったのだった。
2014年05月11日
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この旧増富中学校は小さな学校である。 ドラマで見ていると勝手にそこそこの大きさの学校と思ってしまうのだが、実際は一階に職員室と3つの部屋(図書室と教室か)、二階に3つの教室があるだけなのでいくら生徒が多いときでも200人がぎりぎりだと思う。 校舎に入って突っ切って進むと音楽室や理科室、技術室に通じる渡り廊下がある。ここが羽田美智子が始めてマエストロを見た地点、そして教師たちや生徒たちが何度も登場する場所だ。しかし実際にそこに立ってみると、わずか30メートルほどの場所だった。片側には黒板が設置してあって、ドラマ当時は何も書かれていなかったが、今は白墨でめちゃくちゃに丸やらなんやらがごたごたいたずら書きされて、そのままになっていた。その横は風呂場になっているのが、ドラマを見て分かった。 萩原聖人が風呂に入っていて、酒井美紀と会話していて、最後に萩原が浴槽から立ち上がりながら、酒井に向かって「見る?」酒井「ばっかじゃないの!」というシーンでした。その横の方には給食室と書かれた部屋があって、ここで給食を作ってたんだなと当時の学校のお昼に思いを馳せました。いろいろなところの柱を触ったり、しながらドラマ撮影時を偲びながら一時間ほど滞在してそこを辞しました。校庭へ降りる石段の下のステンレスの踏み板が茶色に錆びていたのが時の経過を語っているようです。すぐそばに置かれたお立ち台(ラジオ体操などの指導者用や校長のスピーチ用か)も板が一箇所割れたまま、余生を送る隠者のように静かにそこに存在していた。車のドアを閉めながら、満開の桜の花々の中に見えるあの校舎にさよならと声をかけて僕はそこを後にしました。おわり。
2014年05月05日
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当時、1997年にこのドラマのことは知らなかった。多分、他局の番組を見ていたのだろう、このタイトルさえ全く覚えていないのだから。あるブログでこの廃校が紹介されていて、しかも昔ドラマのロケ地だったと聞いて興味を持った。そのドラマの第一話をYoutubeで見て、僕の中の何かが反応したのだろう、続きを韓国のサイトで最後の12話まで見てしまった。この撮影地が山梨県の山の中であること。 俳優になりたての深田恭子と藤原達也が出ていること。少しミーハーではあるけど(それこそが大衆受けするための要素でもあるのだが)人間ドラマがあること。 そして僕はこのドラマを見て何度も涙を浮かべてしまったのだった(恥)。中央に居た人間がはじかれて、田舎の子供たちと出会う。 田舎の学校の教師たちがそれぞれの恋愛を育てながら突然現れた元有名指揮者と付き合っていく。 まわりにはまぶしいばかりの緑と自然。 これらが融合した世界に引きつけられて見てしまった。わづか3ヶ月の夏のあいだの田舎の中学校での出来事が、3ヶ月の放映時期と重なってなんとも不思議な感覚を持って見るものを引きつけたのかもしれない。つづくかも。
2014年05月04日
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フジテレビで1997年7月から9月にかけて放送されたドラマ「それが答えだ」で撮影に使われた「増富中学校」が今日の目的地だ。この学校は2004年に最後の生徒9人を送り出して以来、閉校になっている(現在個人の美術館として使用されているそうだ。ちなみに無料で見学できるそうです)。まわりは満開の桜が咲き誇っている。 正面の入り口から覗くと、龍を描いた大きな墨彩画が飾られている。これはドラマ撮影時にはなかったもの。 でもこの靴脱ぎ場もなつかしい。校舎のまわりを通り、裏に回ると音楽室を発見! 何と言っても、ここがドラマの重要な場所。三上博史が壊れたピアノを直し、美しいメロディを弾いて学校中の人間を引き寄せてしまったあの場所だ。入り口が少し開いていたので覗かせてもらうと、左手には当時のままの五線の黒板、そして右手には三段になった生徒たちの居たあの場所がありました。ここで深田恭子が藤原達也が吉野さやかがバイオリンやチェロを弾いていたんだなとしばらく眺めていた。 まるでそこで彼らの幻影が音楽を奏でているみたいに僕は17年前の空気を呼び戻そうとでもしていた。萩原聖人や酒井美紀が立っている横で三上博史がタクトを持って、指導しているあの場面が浮かんできた。続く。
2014年05月04日
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朝5時に出発、久しぶりの早起き。 明けたばかりの街を南に向かって車を走らせる。空いている国道141号を2時間ばかり走ると長野県と山梨県の県境を越える。 次第に車の数も増えてきた。太陽が昇ってくるにつれて、外気温も上がり、冷房を入れ、持ってきた冷えたお茶を飲みながら運転。清里のあたりに差し掛かると、観光地オーラがただよって(w)。今日の目的地に向かってまっしぐら。 清里には寄らない。高原らしく、牛のマスコットだかキャラだかが、そこらじゅうに置かれている。 牛乳は苦手なんだよ。だらだらと続く長い坂が終わると道幅がせまくなり、人家や飲食店が立ち並んでいる。そこを過ぎて幾分行くと、道の駅があるのでそこで一休み。そこを出発するとまもなく左に折れて141号から山のほうへ。村っぽくなってきた山際の道路を10kmほど走るとダム湖に出た。「みずがき湖」だ。そこにかかるアーチ橋を通過するとまもなく「神戸(かんべ)トンネル」に入る。そこを出ると今日の目的地、増富地区だ。道路を脇道に入って5分ほどで電圧装置が横にある校庭とおぼしき場所に出た。古くなって何も読み取れない石の門柱が二つ立っている。そして向こうには見慣れた(TVドラマの中で)校舎が建っていた。ああ、ここだという感慨。 17年前にここで俳優たちがひとつのドラマを作っていたのだ。三上博史、萩原聖人、羽田美智子、酒井美紀、そしてまだ15、6歳だった藤原達也や深田恭子らがここに居たんだな。時刻はまだ9時前だ。 校庭には近くのおばあさんがウオーキングをしているらしくてくてく歩いている。校庭をゆっくりと歩いていく。 この真ん中にグランドピアノを置いて三上博史が弾いている姿が思い出される。校庭から校舎へ通じるあの石段もそのまま。 僕はゆっくりとそこを登っていく。校舎の前に立つ。 羽田美智子が始業の鐘を鳴らしていた場所、そして萩原聖人や藤原達也、深田恭子らが出入りしていたあの校舎がそのままの姿でそこにあった。つづく。
2014年05月04日
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