移動祝祭日にて。

移動祝祭日にて。

2009.07.20
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ロッキング・オン・ジャパンに投稿したが、なんの連絡もない。
そんなことも十分に承知の上でやったことなので、別にこれといった感慨もない。
でも、せっかく書いた原稿が、発表されずに、お蔵入りするのは、嫌だ。
そこで、ここに掲載させてもらうことにする。


『ぼくの町には坂がない』 ──忌野清志郎に捧ぐ。
                                   広瀬陽一


 いま、忌野清志郎の追悼特集で、彼を褒め称えるのは、何の意味もないだろう。なぜなら、100%の人がそう思っているから。また、逆に、彼を貶すのも意味がない。なぜなら、100%の人がそう思わないから。とするならば、その両極の間をかいくぐり、どうにか言うべきことを言うというのが、残された者の取るべき道であろうと私は信じる。

最終電車で この町についた 背中まるめて 帰り道
何も変わっちゃいない事に 気がついて 坂の途中で 立ち止まる


 いうまでもなく、「いい事ばかりはありゃしない」の最終フェーズである。最初に耳にした時、自分のことがそのまま歌われてる気分がした。そう感じた人は、たぶん相当数いたんじゃないだろうか。私の場合、「坂の途中」とは、小石川の善光寺坂のことだった。やるせないくらい平坦でのっぺりとした日常をそっくりひっくり返してやるために、自分は大学を中退してまでロッキング・オンに入ったはずだった。なのに、このざまはなんだ、会社から家に戻って、この曲を聴く度に思った。忌野清志郎の、内心忸怩たる想いは自分のものになって頭を擡げた。
 1981年、RCサクセションは、初の日本武道館コンサートを行う。渋谷の屋根裏から武道館まで駆け上がった、バンドの「成り上がり」競争の記録を更新した時のことである。この後、彼らは十年間連続で武道館クリスマス・ライヴを行っている。そして、毎年のように、「いい事ばかりはありゃしない」も演奏された。
 しかし、いつも楽しみにしていたそのライヴと、いつも同じ気持ちで受け止めていたこの曲が、段々と、自分の気持ちからズレ始めていった。87年あたりだっただろうか。もう以前と同じような気持ちでは、この歌を聴けなくなっている自分がいるのが明確に自覚できた。それは、自分の生活が「金がほしくて働いて 眠るだけ」から離れてることができたからではない。まったく逆だ。昨日もこの歌詞は有効だったし、今日も有効であり、明日も有効だった。明後日も、そして、一年後も、そして十年後も……。つまりは、そうやって、すっぽりこの歌のフレーズに包まれてしまう自分の生に、いい加減嫌気がさしてきたのである。数直線上では十年でも二十年もいくらでも想像力は伸長していける。それは簡単なことだ。「いい事ばかりはありゃしない」で、八十年の人生を覆うことだってできてしまう。しかし、十年前の自分と今の自分は、やはり一緒ではない。この歌にそのまま回収できていた自分のある種の否定性が、十年後の時点では、もはやその器に収まり切らずにこぼれだす。そういう事実に直面したわけである。
 しかし、なおも自分は生き続いている。ならば、どうするか。一旦、自分で自分の核を成してきた否定性の枠組みを壊し、己の世界への否定性を生かす新たな道筋を考えなければならない。それには、この歌に自己移入できていたそれまでの自分の息の根を一旦とめる必要があった。RCも私も一度「死」を知る必要があったのである。
 しかし、当然のようにRCは続いてしまった。90年、最後に空中分解を起こして、三人になって制作されたラスト・アルバムは、個人的には“死に馬に鞭打つ”感じがした。にもかかわらず──忌野清志郎は、RCが止まって、ソロになったあとも、自らのスタンスを曲げようとはしなかった。それは、例えていうなら、自己否定を一切含まないラジカリズム、そして「おれは全然悪くない」という無邪気さであった。「偉そうに文句を言ってるが、てめえ自身に落ち度はなかったのか?」という疑念は一切出てこない。いや、当初はそれでまったくかまわないのだ。自分の欠点で糾弾の手を緩めなければならないほど、世の中のろくでもなさの量は少なくないのだから。しかし、そういうパワーは、一時暴力的な爽快感を与えてはくれても、その後、それぞれが置かれた相対的な存在条件の中で、徐々に振幅を弱めていき、どこかで均衡し静止する。そして、その均衡を崩す力はもうどこからもやってこない。とすれば、どこかで、「おれは全然悪くない」の無邪気さを解体しる自己否定を実行する他ない。
 忌野清志郎Little Screaming Revueの「Groovin’Time」の中で、歌われた「裏切り者のテーマ」。かつて私はこの曲を題材に清志郎を厳しく腐した憶えがある。「コンドー 会う時もまたしても 小屋敷の上で ポップだとか若さだというのか 出任せの言葉にまかせた 夢もプロジェクトも もうとっくにトンズラしちまった… どこに行くのも おまえの自由さ 出ていけ 俺の世界から 昨夜 こんな歌を思いついて作ったのさ 心を込めて おまえに捧げよう この曲は『裏切り者のテーマ』という歌さ」
 この曲を聴いた時、私には、実在する一人の人間の顔が浮かんだ。清志郎の周辺事情に詳しい業界人にとっては、誰もが分かる人であった。しかし、私からみれば、その誰かさんは、初めから最後まで「山師」然としていた。途中から、突然変節したわけではない。とするならば、その「山師」の真の姿を見抜けずに、相手の担ぐ神輿に乗っかり「出任せの言葉にまかせた夢やプロジェクト」にまんざらでもない顔をしていたのは、清志郎自身の責任である。かつてジャパーニーズ・ロックの「センシィティヴィティー」の代表格であった忌野清志郎がこういうていたらくでは、昔から知ってるものとして、失意を感じざるを得なかったのである。
 誰にも、ピュアな「否定性」や「攻撃性」はあるだろう。しかし、いまや、それを武器にストレートに戦ってみせても、高度資本主義の強大なシステムの前ではあまりに無力である。だとするなら、いったん、自分の中でその首を締め殺し、その上で、別のルートで、世界に返してやらなければ意味がない。その点、例えば、「ぼくらがずいぶんと聴いたレコードの話とか、忘れてしまったのなら、思い出さなくていいよ」(「いろんなことに夢中にあったり飽きたり」作詞・作曲/曽我部恵一)という言葉さえ普通に出てくるのが、90年代のJポップの最前線だったのである。かつて友と一緒に繰り返し聴いたレコード。それは誰にとってもピュアネスの源泉みたいなものだ。留保事項一切なしの親和性や無防備さは、そうしたある時期のある状況下でしか与えられることがない。それ故、多くの者がそれを神聖視したくなる。しかし、ここで作者は、ピュアネスに近づこうとしたら、それを絶対に奉らないことが、唯一の世界への通路であることを感受していた。このような若手が出てきた時に、私には、清志郎の筋道は、錯誤のアマルガムに見えざるをえなかったのである。
 それから、しばらくは、忌野清志郎の音楽からあえて距離をおいた。新作をフォローすることもなくなってしまった。それもまたしかたのないことだった。終わりはあっけなくきてしまうものである。わたしはひとつの教訓を噛みしめていた。やってしまったことはとりかえしがつかない。そして、そうした踏み越しは、実にあっけなく、起きてしまうのだと。

 それから、数年が過ぎた。そこに、喉頭ガンのニュースが入り、長期療養があり、そして、「完全復活」のライヴがあった。前のようにライヴに通いつめ新作を逐一チェックしてたわけではない我が身である。ここで、知ったかぶりをするのは失礼だし、絶対に何かを見誤る危険がある。そこで、初めて忌野清志郎に接する初心者と同じように、アルバム『忌野清志郎 入門編』を買って、何の色眼鏡もなしで、もう一度彼の歌に接してみようと思った。なにか久しぶりに、昔の彼女にあったような気分になった。俊逸だったのは、「毎日がブランニューデイ」。

君と真夜中に話した いろんな事 75%は 忘れてしまった

………
僕とこれから うまくやって行けるか 20%ぐらいは 疑問を感じるかい?
Hey Hey Hey でもいいのさ Hey Hey Hey 問題ない 君がいつもそばにいるから 毎日が新しい

 この詞は、自分の内面を「ピュアネス」でまったく武装していない。相対化どころか、すべてのフレーズが「許し」の姿勢に満ちている。まさに曽我部恵一以上に。一旦、正念場を迎え、死を間近に感じて、なおかつこの詞がでてくるというのは、表現者として法外である。かつての「ピュアネス」の代表が、もう一度自分の内面を再構築したといってもいい。また、そういう作業を経なければ、出てこない言葉群である。しかし、それ故に、なおさらに思う。2008年の7月、腰骨にガンが転移してることが分かった時、清志郎自身がホームページに書き込んだ言葉を。
《妙に前向きになるのはなぜだろう。腰にガンが見つかった。心配はしないでくれ。このくらいのことは覚悟してたんで ぜんぜんヘコんでないから。ブルースはまだまだ続いているというわけだ。……》

私はふと、大江健三郎の小説『日常生活の冒険』の中、ジャック・ケルアックが惹かれ続け、ビートニクの先行者であったニール・キャサディのように、主人公を鼓舞する親友、斎木犀吉の最後の手紙を思い出していた。
《元気だ、ギリシアの難破船の船長の話をきいたんだが、かれは航海日誌の最後にこう走り書きをして死んでいた。イマ自分ハ自分ヲマッタク信頼シテイル。コウイウ気分デ嵐ト戦ウノハ愉快ダ。そこできみはオーデンのこういう詩をおぼえているかい。いまおれはそのことを考えている。
  危険の感覚は失せてはならない。
  道はたしかに短い、また険しい。
  ここから見るとだらだら坂みたいだが。
それじゃ、さよなら、ともかく全力疾走、そしてジャンプだ、錘のような恐怖心から逃れて!》
 残された者の困惑を持ちながらも、私には、忌野清志郎と斎木犀吉が重なって見えてならない。「そしてジャンプだ」の言葉は、当然新世代の“雨上がりの夜空に”に当たるであろう名曲“JUMP”に繋がる。
 清志郎が亡くなってから、たまらん坂には、献花をする人が絶えないという。だが、引っ越しをして、下町に越してしまった私には献花したくとも、また「いい事ばかりはありゃしない」をi-podに入れて上り下りをしたくとも、「坂」がない。野辺送りをしようにも、その足場がない。アーティストの見直しは、本人が生きていれば意味がある。しかし、腐した言葉だけが残り、今現在のこの想いは行き場がないのだ。それが、私にとっては、最大の喪失感である。ごめんね、清志郎。謝る機会を私は永遠に失ってしまったよ。





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最終更新日  2009.07.20 16:16:38
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