2003年01月26日
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「すみません。ちょっとよろしいですか?」


「は?何でしょう?」
「実はわたくし(彼女は確かに『わたくし』と言った)、27歳の娘と一緒にここまで来てるんですが、差し支えなければこの先の日本平のサービスエリアまで乗せていっていただくわけにはいかないでしょうか?」
彼は少し考えた。が、すぐに答えた。
「日本平までですね。いいですよ。空気だけを乗せるのも、人を乗せるのもそんなに変わりはないですから。
ちょっとトイレに行って、煙草を吸ってきます。10分後にここにいてください。」

彼はそう言って歩き出した。
歩きながらも考えていたが、犯罪に巻き込まれる可能性は少なそうだし、どうせ日本平のサービスエリアの横は通るのだ。遠回りをするわけでもないし、時間だってロスするわけじゃない。

それに自分にも、いつか隣のサービスエリアまで誰かに乗せていってもらいたいような事情が出てくるかもしれない。先に誰かのために同じことをしておいたってバチは当たらないだろう、と思ったのだ。

ただ、どうしたらそんな事情が出てくるのかについては、さっぱり見当がつかなかった。

10分後に彼が車に戻ると、先ほどの女性とその娘が立っていた。特に身なりに不審な点は見当たらなかったが、かなりくたびれた洋服と、女性にしてはかなり黒く日に焼けた顔と、そして二人の表情にどっぷりと見える疲労感が少し気にかかった。

「さあどうぞ。狭くて申し訳ないですけど」
彼は二人を乗せると、本線へ向かった。日本平までなら、20分そこそこで着くはずだ。
「本当にありがとうございます。」
母親が彼に礼を言った。
「いいえ、気にしないでください。そんなに大したことじゃないですから。
それより、日本平まででいいんですか?僕ならもっと先まで行きますからかまいませんよ。」
「日本平で本当に結構です。あそこの高速バスの出入口から、下へ降りなければならないので・・・」
「そうですか。じゃあ、日本平まで行きますね。」


ふいに母親が娘に話しかけた。
「まったく雨は嫌よねぇ。もう、あの音を聞いているだけで苦痛だわ。」
娘はそれについては答えなかった。あるいは、うなづいていただけなのかもしれない。何となくルームミラーを見るのを遠慮していた彼には(自分達を気にしている、と思われるのが嫌だったのだ)、どちらなのかはわからなかった。

彼は無言のままハンドルを握っていた。由比の海岸沿いを通る頃には、雨上がりの西日が眩しくて、サンバイザーを下ろした。
「雨がやみましたね。本当に良かった。」

「そうですね。このまま晴れてくれるとありがたいんですけどね。」
「ええ、本当に。それより、娘が居眠りなんかしちゃってごめんなさいね。」
彼がちょっと後ろを向くと、確かに助手席側に座った娘は下を向いて眠っているようだった。
「気にしないでください。でもせっかく眠っているのに残念ですけど、もうちょっとで着いてしまいますよ。」
「本当にごめんなさいね。今日は朝から山梨の親戚のところへ行ったりして疲れちゃったみたいで・・・
まだこれから行くところがあるっていうのに・・・」

何だかこのヒッチハイクについての事情が絡んでそうだったので、彼は口を挟んだ。
どう考えたって楽しい事情であるわけはなさそうだし、それに逆の立場だったら絶対に嫌な事情なんて話したくないだろうから。

「出来れば目的地まで送って差し上げたいのですが、僕も8時に人と会う約束があるものですから。」
「いいえ。本当に乗せていただいただけで十分ありがたいと思ってます。
でも、人間眠れないというのは辛いものですね。娘もね、ご飯が食べられないのは我慢できるけど眠れないのは本当に辛いって言うんですよ。
今日もね、2・3時間しか寝てないものですからね、安心したのかこんなに眠り込んで・・・」
確かに、車が動き出してからまだ10分と経っていないのに、彼女は本当にぐっすりと寝ているようだった。見ず知らずの他人の車でこんなにすぐに寝てしまうなんて、本当に疲れているのだろうと彼は思った。
駐車場で受けた印象は、どうやら正解のようだった。

その後は、大した会話はなかった。やがて車は、日本平のサービスエリアに着いた。
「あの、ここに高速バスの停留所があるはずですので、そこで降ろしていただけませんか?」
「わかりました。」
彼は停留所に車を止めた。母親が娘を揺り動かし、目を覚まさせた。
「着いたわよ。この荷物を持って、早く降りなさい。」
娘は荷物を持って、先に歩き出した。

「こんなにお世話になっておいて、こんなことを言うのもまったくお恥ずかしいのですけど、もしも使いかけのテレホンカードをお持ちでしたら、いただくわけにはいかないでしょうか?」
最近はテレホンカードは使ってない、と彼は答えた。
「そうですよね。最近は皆携帯電話を持ってますものね。すみません、図々しいことばかり言って。」

そしてしばらく言いよどんだ後、彼女は意を決したようにこう言った。
「図々しいついでにもう一つお願いしてしまいますが、実は風邪をひいている娘に薬を買ってあげたいのです。できれば2・3千円お貸し願いませんか?」

彼は考えた。貸すって言ったって、多分この母娘と会うことはもうないだろう。要はあげるか、あげないかだ。
彼は自分の財布の中身のことを思い出していた。突然の出発だったので、彼の財布には2万円しか入っていなかった。
最初にガソリンを満タンにするのに4千円使った。行きの高速料金が約6千円だった。ということは、まだ1万円残っている。帰りの6千円を引いても、まだ4千円残るはずだ。
そして、4千円をもしあげたとしても、明日から自分が飲まず食わずになってしまうわけではない。ほんの少しコーヒーと煙草を我慢すれば、すぐに月末になり給料が入るのだ。

しかし、彼はこう答えていた。
「すみません。僕も今日のこの出張は昼過ぎに急に決まったので、ギリギリしか持ち合わせがないんです。
小銭を集めれば、少しくらいなら何とかなるでしょうけど・・・」

彼はそう言うと小銭入れを取り出した。そして、500円玉と100円玉を引っ張り出すと、母親に差し出した。
「すみません。1000円にしかならなくって・・・」
「いいえ、とんでもありません。これなら娘におにぎりくらい買ってやれますので・・・」
「じゃあ、この後もどうぞお気を付けて」

彼はそれだけ言い残すと、車を静かに発進させた。ミラーはまったく見なかった。
おそらくは頭を下げているであろう、その母親の姿を見たくなかったのだ。

彼はその後、自分のとった行動を考え続けていた。
あの二人は本当に困っていた。そして、とても疲れ果てていた。
彼は4千円を与えることが出来た。そして、与えたところで特に困ることはなかった。
でも、彼はそうしなかった。実のところ、最初からこうなるような気がしていたのだ。だから事情は聞きたくなかったのだ。聞いていたら、おそらく有り金をすべて手渡していただろう。
彼は自分の矮小さについて考えた。困っている人に手を差し伸べられない自分が嫌だった。

でも、と彼は思う。
少なくとも僕は、車に乗せてあげたじゃないかと。そもそも、それしか頼まれていないじゃないかと。
最低限の必要十分は、それで満たしたんじゃないかと思ってみた。

結局答えが出ないまま、彼は帰り道を走り続けた。あんなに楽しみにしていた日本坂トンネルの3車線のことは、何も覚えていない。
多分いつものように、必要以上に追い越し車線を走ることなく通り抜けてきたのだろう。

いつしか、雨がまた降り始めていた。彼はワイパーのスイッチを入れる。
と、彼は思い当たった。
あの母娘は、ひょっとしたら野宿を重ねているんじゃないだろうかと。であるならば、雨をあんなに気にした理由も説明がつく。
かなりくたびれた洋服も、ひどく日に焼けた顔も、なにもかもそれで納得がいく。

雨は段々ひどく降るようになってきた。
彼の頭の中に、雨の中の暗い道をトボトボと身を寄せ合って歩く母娘のイメージがいつまでも残った。
そしてそれは、いくらワイパーを動かしても決して消えることはなかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これで話は終わりです。
僕には彼の行動が正しいのか正しくないのか、さっぱりわかりません。
そして彼にも、まったくわからないでいるのです。

彼は日本平まで車に乗せて行ってあげた。そして、1000円を貸してあげた(返ってくることはないにしても)。
でも、彼にはそれ以上のことが出来た。でもしなかった。

だけど、少なくとも富士川サービスエリアよりは目的地に近づいた。おにぎりだって、きっと買えただろう。
たとえ4000円あったとしたって、どこかの旅館に二人で泊まれるとは思えない。

彼は考える。もしもこういうことがもう一度あったとしたら、いったいどうすればいいのかと。
あくまでも善意でしかないのだから、見返りなんてはなから期待しているわけじゃない。それを吹聴して、誰かに褒められたい訳でもない。

第三者的に言ってしまうのなら
「そこまでしてあげれば、それで充分なんじゃないの?その二人が抱えている問題を解決してあげられる訳じゃないし、家に連れてきて泊まらせるわけにだっていかないだろ?」
と割り切れるかもしれない。

ただ、あの二人を実際に見ている身としては、そう簡単に割り切れるものじゃないと彼は言う。
僕には、その気持ちがよくわかる。

なぜなら、この話は僕の身に起きた話なのだから。

僕は冷静になってみようと、自分を3人称に置き換えて書いてみた。それで少しは割り切った気持ちになれて、気分が落ち着くかもしれないと思ったからだ。
でも、実際には何も変わりはしなかった。

実を言うと、この日記も途中で書くのをやめたほうがいいんじゃないかと何度も思った。
こんな日記を書くと、誰かに慰めて欲しいみたいに思われるのが嫌だったからだ。

でも、結局は書き上げて、皆さんの目に触れることとなる。
いろんな意見をいただくことにだってなるだろう。

ただわかっていただきたいのは、僕は自分の行動について褒められたい訳でもけなされたい訳でもないということだ。
僕は単純に、もしもこの次にこういう状況になった時に今度こそ自分で自信の持てる、そして自分なりに納得が出来ることをしたいだけなのだ。
誰かの役に立つことくらい、ためらわずに出来るくらいの人間性を持ち合わせてみたいだけなのだ。





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最終更新日  2003年04月28日 02時31分45秒
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