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スカパー無料。 スカパーに限った話ではないが、無料っていい言葉だ。 ま、それはともかくとして、グリーンチャンネルの競馬を堪能してます。 しっかし、長らく離れていたんで、馬はもちろんジョッキーも知らん人ばかり。 馬券当たらないの、当たり前だな・・・
2014年10月27日
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思い立ったんで久しぶり(それもかなりだ)書いてみる。 深い理由はないし、あったところでいちいち書くのも面倒だろうから、まあこれでいいや。 今日は少年野球の審判を4試合もやってくたびれた。 明後日もやる予定だけど、台風で流れるんだろうなぁ。 秋の大会も目白押しなんで、冬になる前に片付いて欲しいんだけど・・・
2014年10月11日
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さて、この夏少しだけ盛り上がった各務原高校野球部。秋季大会でスコーンと負けました。特に誰も気にはしてないだろうけど、一応ご報告まで。さてさて、我が愛しのもときち君(仮名)のスポーツ少年団野球部・4年は順調です。今は市の東部ブロック大会(8チームのトーナメント)と、市大会(たくさんのチームのトーナメント)の2つの公式戦を抱えています。それぞれ1回戦は勝ったのだ。ま、市大会はどこまで勝てるかわからないけど・・・東部大会は優勝する気で親子共々頑張っております。僕なんて、9月だっていうのに日焼けで腕も顔も(ついでに心も)真っ黒だし、鼻の頭は皮がめくれて痛いし、これでもけっこうたいへんなのだ。とはいえ、普通に考えると、子供が親をうっとうしがるまであと2年半。めいっぱい、楽しませてもらいます。
2009年09月25日
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今年の夏の甲子園の予選も順調にすすんでいる。当然と言えば当然だが、岐阜県でもやってました。でも、今年の夏は今までとは違ったのだ。対戦カードは、各務原高校対県立岐阜商業であった。県岐商といえば、甲子園ではおなじみの存在だ。卒業後にプロ入りした選手だって何人かいる。ひるがえって各務原高校。今年の春は21世紀枠の岐阜県代表候補になったが、甲子園出場のおはちは回ってこなかった。そもそも、県大会での優勝はおろか、準優勝だってない。夏の予選なんて、ベスト8にだって残ったことがない。そもそも、各務原高校自体にたいしたセールスポイントはない。しいて言うなら、世界中探しても各務原市にしかないことくらいであろう。でもこれは各務原市役所だって各務原市立図書館だって各務原市民プールだって同じことなので、威張って言える事ではない。でもね、母校なのよ。いまだに校歌だって歌える。甲子園に行ったら会社休んでもいいよ、と言われていたのに、誠に無念なことである。ま、わざわざ行くのは面倒なので、休みはありがたくいただいて、家でビールでも飲みながらテレビで観るつもりだったんだけどね。しかし、こういう不埒なOBがいるので神様が負けさせたのだとしたら、選手には申し訳ないなぁ。
2009年07月31日
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新年、というか寒い時期になると、マラソンやら駅伝があちらこちらである。もときち君(仮名・3年生)の所属する野球チームも、マラソン大会というのに出ねばならない。というわけで、最近は野球の練習後に全員走らせることにした(っていってもまだ2回だし、1キロしか走らせてないけど・・・2年生も一緒だから)。指導者が何人かいるのに一人も付き合わないのはいけない気がして(相変わらず気が小さいのだ)、一緒に僕も走ってみた。見事1位獲得である。小学2・3年生を相手にしてりゃ当り前だけど、けっこうギリギリの勝利である。近いうちに抜かれるな、きっと。さて、本題に入る。最初に戻るけど(まだ10行足らずだけど)、地域の駅伝大会というのもけっこうあるようだ。先日新聞を読んでいたら、地方版にその結果というものが載せられていた。中学やら高校の陸上部が出場するのは当り前なんだろうけど、いわゆる市民ランナーの方々も頑張っていらっしゃる。一般の方々も、きちんとチームで出場してますね。○○走ろう会とか○○走友会とかね。一目で「走るのが好きな人の集まり」ということがすぐにわかる。ところが、どういう経緯でそんな名前になったのか、どう考えてもわからないチームというものもある。僕が見た新聞には、全く意味不明のチーム名がありました。あまりに面白かったので、これは楽天にでも書いてみるか!という気になったほどである。名前の由来は何だ?さぁ皆で考えよう!(逸見政孝名言集より)岐阜県某市の駅伝大会。6人1チーム。一般の部3位。その名もなんと「田中先生を尊敬する会」たとえば神様が「誰でもいいから一人、会いたい人に会わせてあげる」なんて言おうものなら、「田中先生ですっ!!!」と即答しちゃうだろう。これを読んだアナタも、そんな気になりませんか?
2009年01月20日
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明けました。妻子持ちにもバツイチにも、等しく正月はやってくるのだ。だから、僕にだって正月くらいくる。とはいえ、家族を失うと、それはそれなりに寂しいものである。まあ僕の場合は実家に転がり込んでるからまったくの一人というわけではないけど、それでも年寄りを相手にボソボソ過ごす正月って、なんとなくわびしい。更に気分を重くするのが、今年は四十路という事実である。ここに登場した頃は、みなさん御存知(かどうかは知らないけど)のとおり、まだまだ青年だったのにね。二枚目でモテモテだったのにね。そのへんは誰の賛同も得ないままに、7年も経ったんだ・・・ここ4年くらいほとんど顔出してないけど。確か去年は3回しか日記書かなかったけど。まあいいや。細かいことだ。今年は久しぶりに真面目に更新しようかなぁと思いつつ、唐突にこの日記は終了する。とりあえず今日は挨拶だけでいいのだ。怪人二十面相だって怪盗キッドだって、とりあえず挨拶から入るではないか。だから僕もそうするのだ。なぜ泥棒を見習うのか?そこらへんは気にしないで下さい。
2009年01月09日
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去年の四月、我が家にはもういないもときち君(仮名)は、スポーツ少年団の野球部に入部した。僕の頃は子供が多かったせいか、スポ少は4年生からが相場だったんだけど、今は1つの学年で9人集まるのが怪しいためか、「4年生以下」というくくりである。つまり、4・3・2年生の集団だ。最初の頃、2学年も上のお兄ちゃんたちと練習できるのかが不安で、僕は様子を見に行った。行ってみるとコーチの数は少なく、2年生や初心者の相手をしてもらえないか、と請われて手でコロコロとボールを転がしてやったり、キャッチボールの相手をしているうちに、なんのかんのと毎週顔を出すようになってしまった。そして今や、すっかりコーチの一員として頭数に入ってしまい、この6月には正式に指導者講習なるものを受けるように言われている。団からお金が出るやつなので、継続的に練習に参加できる父兄にのみお声が掛かる。もういい加減な気持ちではいられないねぇ。実際は4年生がメインなので彼にはあと1年の準備期間があるんだけど、人数が足りないからそうも言っていられない。3月だけで練習試合を2試合やったけど、フライを取った時には(ライン際に切れていくフライを逆シングルで取ったのです)、こっちが泣きそうなほど嬉しかったです。まあそんなわけで、もときち君(仮名)とはたいていの土曜日と日曜には必ず会うことができる。元妻とは、せいぜい試合のときに顔を合わせるくらいで済むであろう。僕が離婚してウキウキしてる理由、わかってもらえますか?
2008年03月28日
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仕事場での僕は、こう言っても誰も信じてくれないだろうけど、鬼と呼ばれるにふさわしい男である。それこそ、鬼のような形相で仕事をしている。理由は簡単。仕事なんて、大っ嫌いなのだ。ニコニコなんてしてやるものか。世の中には仕事が第一、という人がいることに異議は唱えないけど、その人の給料を全部取り上げてみればわかる。きっと僕のほうがまともなのだ。そういうわけなので、僕は職場のバイト諸君には「休憩室の王様」と呼ばれている(褒め言葉に違いない)。休憩室での僕は、本当にいい人だと思う。頻繁に休憩室に入り浸る社員が少ないという面はあるにせよ(入り浸りで悪かったな)、基本的には誰にでも話しかけるし、話しかけられればきちんと受け答えはするし、非の打ちどころがない。いつもニコニコしてるし、訊かれた事にはきちんと答える。ただ一つを除いて。この「ただ一つ」にピンと来た方は、かなりのモトキチ通ですね。悪かったな、ロクでもない通にしちゃって。って、何故に今日は怒り気味なのだ?まあとにかく、いくら休憩室の僕が温厚そのものでも、仕事の話をしてはいけないのだ。「っるさいなぁ。僕に仕事の話なんてしないでよ」って言われること、間違いない。仕事中に仕事の話をされるのが嫌いだというのに、休憩室にまで仕事を持ち込んで欲しくないね。そんな当たり前のこと、どうしてみんな気付かないんだろう?僕は家庭に仕事とセックスを持ち込まなかったように、休憩に仕事は持ち込まないのだ。本音を言えば、仕事中に仕事だって持ち込みたくない。持ち込むとかそういう問題じゃないけどさ。さて、少し前のことだけど、休日に研修(実際の仕事とは少し違う内容だった)があって、バイトを束ねる立場の契約社員の人にも参加してもらった。その時にその契約社員の方が「モトキチさんって、仕事を離れると本当にイキイキしてますねぇ」って褒めてくれた。「わかっちゃった?自分でもそう思うんだよねぇ。 やっぱりさ、こういう男を旦那さんにしたいと思わない?」って訊いたら「うーん・・・それはそれで困るけど・・・」というようなことを言われた。まったく照れ屋な方である。しかし、習慣というのは恐ろしいもので、最近になってその方はようやく僕を理解し出した。まさに、継続は力なりである。つい2,3日前のことだ。新しいバイトの人が入った。お目付け役は、件の契約社員の方だ。彼女は新しいバイトの子に、こう説明していた。「こちらがモトキチさん。私たちの責任者の方です。 でもね、仕事のことは私に訊いてね。 モトキチさんって、仕事の事訊くと怒るからね。 休憩室ではすごくいい人なんだけど・・・」K瀬さん、わかってくれてありがとう。これからもその調子でいきましょう。
2008年03月19日
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前回の日記とコメントに対するレス、自分で書いておいてこんなことを言うのもなんだけど、すごくウキウキした様子であふれている。理由は・・・言わなくても解かっていただけるでしょう。何年も願い続けたことが叶うのだ。喜ばずにはいられないのだ。みなさんにご心配頂いてますけど、もときち君(仮名・この春から3年生です)とは週に1,2回は会えるので、その時には精一杯楽しむつもりです。まあ今までだって、平日には起きてる彼を見たことないんだけど・・・「それでも寂しいに決まってるでしょ?もときち君(仮名)のために、思いとどまることは出来なかったの?」という人がいるかもしれない。ううむ・・・分が悪い・・・これから先の文章は、どう読んでも自己弁護の見苦しい文章になる。それに、誰かに賛同してもらいたいわけでもない。でも僕は書こうと思う。今までにもずいぶん意味の無い日記を書いてきたけど、救いようのない日記というのは、珍しいであろう(ここ、反論不可)。今から5年くらい前の、僕が本気で離婚を考え出した頃のことである。僕と、もうすぐ他人になる妻は、夫婦喧嘩をしていた。もともと言いたいことの半分も言わないタイプの僕にしては珍しく、かなり本気で言い争った覚えがある。僕はかなり昔から会話を自分で作り上げるだけでなく、その通りにすすまないと一言も話したくなくなるという、迷惑な人間だ。囲碁や将棋の有段者みたいに、僕がこう言う、相手がこう返す、そこで僕はこう言ってやる、なんていう様に、2,3手先を考えながら会話をしていることが多い。で、その通りにいかないと嫌になるんだから、かなり嫌な奴ですね。こういう言い方が適当かどうかは知らないけど、僕なんて離婚して当り前の人間だ。それはともかくとして、とにかく僕と妻の間に激しい口論があった。理由は忘れた。忘れるほどの理由で口論できたし、口論さえ出来れば理由なんてなくてもよかったのかもしれない。今となっては、もうどうでもいいことだけど。とにかく、その時である。若干3歳か4歳かのもときち君(仮名)が、僕たち夫婦に向かって笑いかけたのである。そしてその笑顔は、驚くほどのぎこちない笑顔だった。幼稚園児が、作り笑いをしたのだ。驚かないほうがどうかしている。多分それまでのように、自分が笑えばお父さんもお母さんも笑顔になるって、そう思ったのだろう。それはそれは、哀しい笑顔だった。今でも忘れられないほど、痛ましい笑顔だったのだ。その頃から僕は思っていた。僕たちが夫婦であり続ければ、彼はこの先また、あの哀しい笑顔を浮かべなくてはならないのかもしれない。そんなの、僕には耐えられない。あんなに可愛い(幼少の頃の僕に似ている。疑うんなら写真だってお見せしたってかまわない)もときち君(仮名)に、もう二度とあんな思いをさせてはいけないのだ。あの笑顔が無意識のうちに出たんだなぁって思うと、僕は今でも泣けてきてしまう。お父さんもお母さんも両方好きなもときち君(仮名)にどちらかを選ばせるなんてことは出来ないから、お父さんが君とお母さんから離れることにするよ。でもね、新しいお父さんができない限り、いつも父親として見守るつもりだよ。またキャッチボールしようね。じゃあ、また日曜日に!
2008年03月05日
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突然ではありますが、このたび残念ながらこの「恐妻家友の会」を辞めることにしました。もっとも会員は、モトキチ・メンバー(ごめんよ稲垣)だけなので、僕が辞めると言うよりは、単なる消滅である。そもそも、会としての活動は何一つしてないし(だって会員がいないんだもん)、消滅しようが雨後のタケノコのようにたくさん出てこようが、皆さんの生活には何一つ関係ないであろう。実際のところ、僕の生活にもたいした影響はないのだ。まあ唯一の心残りといえば、僕がここで日記を書くたびに皆さんに頂いた「モトキチはホラ吹きだ」とか「嘘つきだ」とか「二枚目だ」などの、まあ3番目については深く考えないでもらいたいんだけど、とにかく前記2項に対する反論ができなかったことに尽きる。しかし、今回の日記で僕がホラ吹きでも嘘つきでもなかったということを証明できるのは、何にも代えがたい喜びである。ここで皆さんに質問です。恐妻家の条件って何でしょう?ここで間髪いれず、自分で答えます。まず第一に奥さんがいることですね。そして第二に、亭主関白ではないこと。食事の後片付けやゴミ出しなんかはもはや世間の常識となりつつある(ことを切に願う)ので、いちいち条件に挙げないのだ。まあ恐妻家といっても世間にはいろんなタイプがいるだろうし、ひょっとしたら嬉々として恐妻家をしている方だって(僕にはとても理解できないけど)数多くいるのかもしれない。ここに来てる皆さんは、僕が嬉々として恐妻家道に勤しんでいる、と思ってるかもしれないが、ぜんぜん楽しくないことを嬉々としてするほど、僕は変わり者ではない。というわけで、ここで思い切って恐妻家をやめてしまおうと決断した次第である。なんて言うと自らの意志で決定したみたいで格好いいけど、本当は少し違うんですね。僕が恐妻家をやめる理由は、実に簡単である。ただ単に、恐妻家の必要条件その一、を満たせなくなっただけだ。実は・・・ここ数年の念願がかなって、離婚することになりました。ピース!
2008年02月25日
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もうかれこれ15年前になると思うけど、参議院に新党ブームというのがあった。いわゆるミニ政党っていうやつが、それこそ雨後の竹の子みたいに乱立したのである。設立した人たちが今何をしてるのか気にはなるけど、政党名も名前も覚えてないのでどうしようもない。しかし、政党名も代表者の名前も覚えてはいないけど、どうしても忘れられない政党が一つだけある。その日僕は、仕事で富山に行かなくてはならなかった。ワゴン車に荷物を積んで、客先へ納品に行ったのだ。朝の九時ごろ会社を出て、国道41号線をひたすら北上するだけなので、特に難しいことはないし、初めて行くところでもない。昼過ぎには客先に着き、納品も無事終了し、支給部材と通箱を積んでまた国道41号線を南下して会社に戻る。雪の時期にはけっこうたいへんなのだが(なにせスキー場の横を通るくらいなのだ)、参院選挙前だから明らかに初夏だった。今書いてたらふと「♪迫るぅ~、ショッカー」が思い浮かんだけど、関係ないですね。さて、その日も順調に事は運び、帰り道でのことである。社用のワゴン車であるので、カーステレオは付いていなかった。AMラジオだけしかなかったので、行きも帰りもそれを聞くしかないのである。岐阜県北部、高山やら古川なんていうところより北は、もうはっきり言って山だ。山道でAMラジオを聞きながら走ったことのある方なら解ると思うけど、電波状況が悪いと聞くことの出来るチャンネルは限られてくる。選択肢は限りなく少ない。NHK第一か第二か、それしかない。平日の午後にNHK(それもAM)を聞くというのは、20代半ばの素敵なモテモテ男(僕のことです。文句ありますか?)にとってはかなりの苦痛であるのだが、まあ仕方がない。もう少し走って山を下れば民放も入るようになる。それだけを心待ちにして、ハンドルを握っていた。が、その日の放送は、参議院選挙の政見放送だった。テンションはかなり下がる。せっかくの平日休みなのに妻も休みで家にいる、くらいの激しい落ち込み方だ(皆さんに理解されなくてもいいです。しくしく)。が、ここで思いがけずとんでもなく楽しい政見放送を耳にすることが出来たのだから、人生ってよくわからない。そのうち離婚だって出来るかもしれない(これは理解してくれる方もいると思う)。僕がその時聞いた政党は、かなりの爺さんが代表だった(多分、彼一人の党だったのだろう)。彼は最初に訴えた。教育を昔に戻そうと。現代は心がすさんだ若者が多い。これは教育に問題があるのだと。昔の修身の教えを、現代に復活させるべきだ。そのために私は立候補したのだと。ここまでを、最初の1・2分で言い終えた爺さん(一歩間違えば国会議員)だったが、悲劇は突然やってきた。もっとも、NHK第一で政見放送を聞く以外術がない僕にとっては、神様からの何よりのプレゼントだったわけだが・・・「私は、この国の教育を・・・ゴホンッ」突然咳き込んだと思ったら、ここからやってくれました。「ゴホッゴホッ・・・若者に・・・ゲホッ」「にほ・・・ゲホッ・・・これか・・・ゴホッ」「ウッ・・・ゲホッ・・・ゴホゴホ・・・」残りの7・8分(もっとだったかもしれない)、ずっとこんな調子だった。公職選挙法の絡みだと思うけど、無編集でやらなきゃいけないんでしょうね。そして僕はその間、あまりのおかしさのために運転できなくなり、路肩に車を停めて笑い転げていた。日本広しと言えども、政見放送で腹が痛くなるほど笑ったことのある人は、そうはいないだろうと思う。その選挙のときに誰に投票したかはすっかり忘れてしまったけど、もし今もう一度あの爺さんが立候補したら、僕は間違いなく彼に一票を投ずるだろう。別にふざけているわけではない。そもそも国会議員の選挙なんて、マイナス30とマイナス50とマイナス80のどれかを選びにせっかくの日曜日にわざわざ小学校まで行かなきゃならないことからしても、税金を使った、国掛かりの大いなる悪ふざけとしか僕には思えない。
2007年07月25日
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タイトルと本文、因果関係ないですよ。いつものことだけど。さて、世の中の経済活動は、おおよそ売買により成り立っている。貸し借り、ていうのもあるけど、ほとんど売買といっても差し支えないだろう。仮に差支えがあったとしても、僕には何の関係もないことだ。気にするな。さて、物を売るのに欠かせないのが、セールスポイントというやつだ。牛丼なら早い・安い・美味いだし、世界最薄ならオカモトである。実に解りやすい。ジャパネットのCFで、社長の声が1オクターブ上がればソニー製だ。実に解りやすい。そして、皆さんはもう忘れてるかもしれないけど、二枚目といえばモトキチである。実に・・・まあいいや。しかし、世の中には実に理解しがたいコマーシャリズムを持つ物がある。腕時計だ。もうちょっと詳しく言うと、いわゆる電波時計というタイプだ。電波時計のウリと言えば「時刻合わせの必要がない!」ということですね。ジャパネットでも塚本君がすごく威張ってた。実際、アナログ時計を秒単位で合わせると、ものすごくたいへんなのだ。竜頭を押すのと時報の「ポーン」の間のズレは、これはもうやっかい以外の何者でもない。それに、竜頭を押した瞬間に長針が動いたりすると、アイスキュロス・ソフォクレス・エウリピデス(これであってたっけ?)に次ぐ悲劇としか言いようがない。特に、きっちりした性格のB型の僕にとっては大問題だった。「今日は腕時計の時刻を合わせるぞ」と思い立った日なんて、朝からお百度を踏んだり水垢離したりしてたくらいだ。と、こんな様々な苦労を取り除いてしまったのが、電波時計なのだ。しかし、時計屋はなぜかこの偉業に目を向けない。ジャパネットの塚本君があんなに自慢してるのに。メーカー各社のホームページでは、ご丁寧に「勝手に時刻が合う訳」を説明してるのに。なぜ時計屋に陳列されている電波時計は、一つとして時刻が合っていないのか?売りたくないのか?時計屋は。従来の電池式をわざとずらして陳列しているのはわかるが、なぜ電波時計までずらすのだ?ひどいのになると、ソーラー式電波時計までずれてやがる。何もしなくても絶対に狂わない、あのソーラー式電波時計が、ですよ。「腕の中に177のお姉さんがやってきた」と世に言わしめた(誰も言ってないかもしれないけど)、あのソーラー式電波時計が、である。携帯電話の普及で腕時計をしなくなっているこのご時世、せっかくの大発明を時計屋が宣伝せずにどうするのだ?一生懸命ふれ回ったって定着しない事だって、世の中にはたくさんあるというのに・・・例えば「僕はこれで案外二枚目だ」ってこんなに言ってるのに、いまだに誰も信用してくれない、とかさ。ちぇっ。
2007年04月17日
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さて、10ヶ月ぶりの更新である。実は年明けくらいから「さーて、そろそろ日記でも・・・」とは思っていたのだが、まあなんだかんだとあって(面倒、というのが主たる理由だけど)、結局今やっと書いている。書くからにはちゃんと書かなくちゃ、と常々思っている僕は(信憑性に欠けるな、ここ)、日記を書く前に身体を慣らしておこうと思い、ここに来て頂いている方の所へお邪魔してコメントを書くというのだけはそれなりにやっていた。ま、ウォーミングアップみたいなものである。クリーンナップが開幕に照準を絞って、キャンプ中にトスバッティングから身体を動かすのと原理だけは一緒だ。あくまでも、原理だけですけど。クリーンナップは周囲に期待されるけど、僕は特に誰かに期待されてるわけじゃないからね。ここに来て頂いてるやっさんには、御自分のページのコメント欄で「モトキチ君もたまには更新するように」って二度ほど叱咤されましたけど・・・さて、他所を廻って気付いたんだけど、日記の更新が滞っていらっしゃる方が多いようだ。たいへん嘆かわしい。どうなっておるのだ?毎日更新という方は、僕の知る限りではほとんど見受けられない。たいへん嘆かわしい。どうなっておるのだ?日記が滞る理由が、僕には理解できない。だって、パソコンを起ちあげて、ブラウザを開いて、チョチョイのチョイと書くだけではないか。どうして毎日書けないんだ?簡単ではないか。たいへん嘆かわしい。どうなっておるのだ?これを読んだ皆さんの中に「おぉ、これはまさしく自分のことではないか!」と思った方がいるはずである。そういう方が今日から心を入れ替えて、きちんと更新することを心がけられることを切望する。さて、この日記に対するコメントは「まるっきりお前のことだろ。お前がちゃんと書け」っていうのと「久しぶりだな。へぇ、ちゃんと生きてたんだ」の二つがほとんどであろう。タイトルの意味は、こういう意味でした。例外として「書きますよね、モトキチ」「書かんよモトキチは。書かんよなぁ?」「書かないでしょう」「わはははは」っていうのを、ゆが付く人が書いてきそうな気はしているのですけど。
2007年04月08日
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さて、今日はワールド・カップについて書こうと思う。もちろん、4年前にも書いた(はずだ)。確か4年前には記入率もかなりのものだったが今や30%だ。今書いておかないと、4年後のこの時期に「いやぁ、盛り上がってますね、ドイツ大会」なんて書いちゃいそうだ。そもそも僕は楽天内において、日付の概念というものが異常に希薄なのだ。まあそういう訳なので、「お前がサッカーについて語ってんじゃないよ。モトキチのくせに」なんて冷たいことは言わないで欲しい。今の日本代表の戦いぶりなんかについては、ここに遊びに来ていただいているやっさんという方の日記を読むとよくわかる。僕のページに書くコメントでは、性病の症状とその治療法については他の追随を許さないお方ではあるが(他にそんなこと書く人もそんなにいないけど)、日記を読むとよくわかるのだけれど、世の中の森羅万象をほとんど把握してるんじゃないか?っていうくらい面白くて為になる日記を書いていらっしゃる。いつか機会があれば「性病の罹り方」というのも教えていただきたいと思っている。さて、サッカーだ。クラミジアとかトリコモナスとは違う話をしよう。しかし、どちらも「旧ソ連から独立した国」みたいな名前だな。どうでもいいけど。僕は日本代表の戦力やら戦い方についてはよくわからない。わからないなりの感想は「なんだか弱っちいな」の一言に尽きる。90分も見ているのに、「おおっ、こりゃいけるぞ。それそれぇーっ!」と思うことがないのだ。ちっとも勝てる気がしない。確かに、元々僕は日本代表についてはかなり疑ってかかっていることは事実だ。4年前、フィリップ・トルシエは実に人気がなかった。選手間にも、サポーター間にも。で、ジーコが就任した時には喜んだわけですよ。選手達は言っていた。「トルシエは、すべてに口を出す。我々を手取り足取り動かさないと気が済まないみたいだった。 だけどジーコは違う。自主性を重んじてくれる」ふうん。そうなのね。「我々は上手になったのだ。子ども扱いされたくないのだ」そういうことなのね。偉いねぇ、君たちは。期待してるよ、ドイツ大会。が、ふたを開けたらこのザマである。今回のオーストラリア戦のあと、こんなコメントがありましたよ。「1点取ったあと、攻めるのか守るのかがはっきりしなかった」何?お前らやる気あるのか?「はっきりしなかった」だと?そんなこと(一番基本的なことだろ)まで教えてもらわなきゃ試合できないのか?自主性うんぬんはどうした?言ってることが滅茶苦茶だろ?僕がこんなに怒るのには、一つ理由がある。ピンと来た方もいらっしゃるかもしれない。「1点取ったあと、攻めるのか守るのかがはっきりしなかった」このセリフ、アジア地区最終予選のときにも聞いたよ・・・敗因として真っ先にあげたのに、本大会でもまだ同じこと言ってんの?勝てるわけないだろ、バカ。
2006年06月20日
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時計屋のことは、もう気にしないでください。さて、僕の暮らしは相変わらずである。会社は人不足で、仕方がないから毎日走り回っている。文字通り、本当に走り回ってるのだ。そのうち溶けてバターになっちゃうんじゃないか?と思うほどだ。まあそういうわけなので、休みの日はたいへんである。なんというか、睡眠のリズムが滅茶苦茶なのだ。2時間寝て2時間起きてを繰り返したと思ったら、突然12時間以上寝てみたりとかね。もしくは20時間近く眠気を感じなかったりとか。この間何気なく自分の手を見たら、明らかに生命線が短くなっていた。詳しく言うと、突然生命線を斜めに横切る線が出来ていて、生命線をぷっつりとカットしちゃっているのだ。占い一般は参考程度、と思う僕だが、さすがにこれには驚いた。「憎まれっ子世にはばかる」って、嘘じゃないかもしれない。いわんや「二枚目薄命」をや。僕にはまだまだやることがあるのだ。再婚してないじゃないか。いわんや離婚をや。
2006年05月24日
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言うまでもないし書くまでもない、ということが世の中にはけっこうあるものである。エジソンは偉い人だったりキオスクが駅の中にあったりと、数え上げればきりがない。まあこのあたりは日本の常識ですね。付け加えるなら、我が家の夫婦仲のひどさ、とかね。まあどうでもいいや、そんなの。実際のところ、本当にどうだっていいのだ。もっとも、これは特に日本の常識というわけではなく、ここだけの常識ですけど。あ、そうそう。まだありますね。僕が実は二枚目でモテモテっていうの。最近日記にこの文句を書いてないから、コロッと忘れてました。「けっ、テメェで書いてたくせに忘れてやんの。これだからホラ吹きは困るんだよねぇ・・・」とため息をついたアナタ。間違ってますよ。常識というのは、日常ではほとんど意識されないと決まっているのだ。話が長くなるから、こまごまと反論しないでいただきたい。もちろん、大きな声で堂々と反論するのもやめてね。まあいい。話を元に戻す。でも、元に戻すったってどこが元なんだかは書いてる本人にもよくわかっていない。「けっ、テメェで書いてたくせにわからねぇでやんの。これだからホラ吹きは困るんだよねぇ・・・」とため息を・・・違う。戻る場所はここではない。数行前に戻ってどうする。ちゃんと戻そう。「128!」これも違う。数行前から一気に数年前に戻ってどうする。そもそも、「128!」の意味がわかる人はどのくらいいるんだろう?さて、常識の話をしよう。今度こそちゃんとしますから「ん?ひょっとしてチェリモヤ?」とかなんとか、余計なことは考えないでいただきたい。つまりですね、僕が言いたいのは「僕はとてもにぶい人間だ」ということである。ね?言うまでもないことでしょ?実は先日、懐中時計の電池を交換しに行った。もちろん、時計屋にだ。間違ってもチェリモヤやらアンデス・ヤーコンやらいろんなパーセンテージの合い挽き肉を売っている、自分の店のお抱え税理士をからかって遊んでいる店主がやっているような奇妙な店ではない。もういいかげん忘れろって・・・まあとにかく、時計屋に行ったのである。そして、当たり前だけど、ショー・ケースに陳列してある腕時計を見たりしていた。しかしまあ、本当にいろんな種類の腕時計があるものですね。僕はここ数年、腕時計というものを滅多にしないのであまり感慨もなく見てました。でも、僕が腕時計と疎遠になってからすごいのが出てきました。その名も電波時計。長針が松本明子で短針が松村邦弘という斬新なデザインが、見る者すべての心をくすぐる・・・というのは真っ赤な嘘だ。そして僕は、誇らしげに並べて陳列してある電波時計を見て、「ふぅん、電波時計ねぇ・・・」くらいの感想しか持たずに家に帰った。しかし、それ以来ずっと、僕の頭には小さな違和感があった。何かがおかしい。僕は何かを見たはずなのだ。何か間違ったものを見たに違いない。でなければ、この小さなしこりのような感覚が残るわけがない。とかなんとかしているうちに時は流れ、気付いてみればかれこれ2週間になる。・・・あっ!さっき突然気付きました。なるほど、確かにおかしい。時計屋の光景があまりにも自然だったので、気付くのに時間がかかってしまった。僕が見た光景は、僕が時計屋をたまには覗いていた数年前とまったく同じだったのだ。だからこそ、気付かなかったのだ。誰でも気付くはずの、その奇妙な現実に。ううむ、僕はどうしてこんなににぶい男なんだろう・・・どうしてその場で気付かなかったんだろう・・・2週間もたってから気付くなんて、バカ丸出しである。恥ずかしいったらないのだ。ところで、僕がどうして時計屋の光景に違和感を覚えたのか、皆さんはわかりますよね?
2006年02月21日
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僕がここにこのページを開設した時、確か32歳だったと思う。ひょっとすると33歳だったかもしれない。まあそんなのどちらでもいい。とにかく、まだ青年だった。最初の頃の日記なんて、文章が結構攻撃的で勢いがある。「だ・である調」と「です・ます調」がそれなりに計算されていたりして、我ながら可愛いなぁとさえ思います。そんな僕も、なんだかんだとしているうちに中年の域に入ってしまった。その間、いろいろなことがあった。まずはっきりしているのは、体型の変化である。実は今、これが一つ問題なのだ。もうすぐ、もときち君(仮名)の卒園式がある。しばらくすれば入学式だって待っている。僕は出席する気でいる。が、問題が一つある。着ていく服がない。「父親なんて簡単じゃん。スーツでいいんだから」という人があるかもしれぬ。確かに、それはそうだ。母親に比べれば問題は少ないですね。元々スーツの色なんて大別すれば紺かグレーしかないのだ。黒系か紺系かグレー系かカラー系かなんて考える必要はない。他の父兄の中で浮くとか浮かないとか、つまらぬことも考えなくて良い。しかし、色は良くったって、サイズが問題なのだ。全部ブカブカなのよ、これが。僕はここんとこ、スーツとは無縁の生活を送っている(上層部からは着ろって言われてるけど、適当にごまかしてるのだ)。夜勤のおかげでラッシュアワーとは逆向きの通勤だし、気にならないです。またまた体重が落ちてきてしまったので、昔作ったスーツなんてとても着られない。と、ここで思いついたことがある。「うんと昔に作ったスーツなら着られるじゃん!」というわけで、無闇に物持ちが良い母親に成人式の時に作ったスーツの有無を確認すると、取ってあるという。「あんたの子が着るんじゃないかと思って取っておいたのよ」すごい意見だ。さすがは戦中派。東京大空襲を生き延びただけの事はある。で、今日久しぶりに実家に行ってみました。で、着てみました。ウエスト84センチ。でかいじゃんか・・・もうこうなれば、最後の手段だ。成人式より若返るしかない。でも、卒園式や入学式に父兄が学ランだったら、それはそれで問題ですよね?(さすがに学生服は残ってなくてホッとしたけど)
2006年02月08日
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まったく私事で恐縮ではあるけど、僕はとある会社に転職した。去年の2月のことである。転職後約半年、その会社自体がたいへん忙しかった。僕もそれなりに忙しかった。そして昨秋、配置転換があった。一つのセクションの面倒を見るようになり、なんだかんだとしているうちにそれに付随する流通関係を全部受け持つようになった。そして、それはすなわち夜勤を意味するのだ。まあそんなわけで、今の僕は午後7時から午前7時までの勤務をしている。身体がやっと夜勤慣れしてきました。いやぁ、物流って、けっこうたいへんだ。そもそも、日本の物流って深夜に行われることがほとんどである。つまり、いろんなお店の営業に間に合わせるようにするには、結局のところ深夜に物を動かさないとどうしようもないんですね。それも、時間設定はかなりシビアだ。で、ここで初めてタイトルの話になる。きつかったです、12月。さっき「今の僕は午後7時から午前7時までの勤務をしている」と書いたけど、12月は違った。前後それぞれ1時間以上は延長でした。基本的には人を使って号令をかけてりゃいいんだけど、施設は空けっぱなしの所なので、黙って立ってると非常に寒い。すると人間は、動きたくなるわけです。だって本当に寒いんだもん。Tシャツを2枚着て、その上に制服を着て、更にジャンパーを2枚着て、でも寒い。下は下着の上にタイツを履いて、その上に制服。でもすごく寒い。それでね、動いたんっすよ。えぇ、みっちりと動きました。そんなわけで、1ヶ月で4キロもやせました。普通なら「まぁ正月休みに飲んで食ってダラダラしてりゃ太るだろ」と思うところですが、なにせ今の会社は365日24時間休みがない。ということは、きっちりとローテーションで週2日、火・水以外に休みはない。飲んで食って寝てるヒマがなかった・・・いまだに太る気配がない・・・何と言うか、健康的に正月を迎えて今に至ってます。痩せたとはいえ、そもそも身長は165しかないので56キロなら正常範囲。働きながらダイエットが出来たので、文句を言う筋合いじゃないですね。しかし新年を迎えるに当たっての心残りといえば、休憩室でバイトの女の子と並んで喋ってるうちに、知らない間に年を越してたってことくらいだろうか?カウントダウンする気、満々だったのになぁ・・・
2006年01月11日
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性格バトンなるものがまわってきた。ここにチョクチョク来ていただいているneuniさんからだ。というわけで、早速やってみることにする。っていうのは大嘘である。まわってきたのは、かれこれ1週間近く前のことだ。その時は「明日にでもやります」と書いてきたものの、一応さっと答えを考えていたら、哀しくなってきたのでちょっと書くのが遅れたのだ。哀しくなった理由は、いちいち気にしないように。1、あなたは賑やかな人おとなしい人どっちですか?大人数でいれば賑やかだけど、一人や二人のときはおとなしい。2、あなたの性格に相応しい単語を5つ挙げてください。・熱い・冷たい・ズボラ・細かいことには割りとうるさい・愛くるしい・真面目・二枚目きりがないな、これ。3、好きな友達のタイプこれは難しいですね。気が合う人、としか言いようがないかな?好きな食べ物と、理論的には一緒みたいだ。僕は甘い物だって辛い物だって、両方好んで食す。ただ海老は苦手なんだけどね。でも、これだって刺身なら喜んで食べてしまう。エビフライには手を出さないのにねぇ・・・4、嫌いな友達のタイプさっきと同じ答えです。5、立ち直りは早い方ですか?落ち込み方しだいではあるだろうけど、基本的には遅い方だと思う。で、そのうち面倒になって開き直るタイプではある。6、恋人にしたいタイプ基本的にはさっきと同じ答えです。顔つきにしたって、わけ隔てなくいろんな女性を好きになった。細面も丸顔も、タヌキ顔もキツネ顔も、一重も二重も関係ない。髪型だって長かろうが短かろうが関係ないし。7、恋人と一番の親友、選ぶならどっち?これも答えられないねぇ・・・例えば一緒に事業を起すんなら親友だろうし、一晩ベッドで過ごすんなら恋人だろうし・・・これから恋人になるかもしれない女性、だってもちろんかまわないし。「ご飯とおかず」とか「仕事と家庭」みたいなもんで、対極に位置するものに優劣はつけられません。選びようがない。「北極と南極、いらないのはどっち?」って訊かれたって、答えようがないじゃないか、そんなの。「仏教とキリスト教」「白血球と赤血球」「すね毛と脇毛」これらも同様だと考えております。「カキフライとエビフライ」なら即答できるのにね。「正常位と後背位」なら、ちょっと悩むけど(答えは秘密だ)。8、バトンを廻す5人だれかやってくれませんか?なお本日のタイトルは、2番目の質問を考えていたら頭から離れなくなった言葉です。
2005年11月30日
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僕はたまに思うのだけれど、楽天に日記を書いてる人ってかなりいるはずだけれど、その事実を自分の身内やら周りの人が知ってる人って多いのだろうか?僕の場合、まあ当たり前だけど、現実の僕を知る人はこのページの存在をほとんど知らない。理由は言うまでもない。だって知られたくないに決まってるじゃないか、そんなの。楽天内においてだって、僕の姿かたちを知ってる人はかなり稀である。その人たちはきっと口をそろえて「楽天でのモトキチはああいう風だけど、現実はかなりまともだ。」と言ってくれるはずである。あくまでも想像だけど、きっと言うに違いない。えーと、ぜひ言っていただきたい(言う機会があるとも思えないけど)。こんなことを書き出したのには少々訳がある。ワイドショーのせいだ。最近僕は仕事が夜勤オンリーになり、生活リズムがくっちゃくちゃである。で、今までは見もしなかったワイドショーを見たりするわけですよ。それでですね、ここんとこ一番気になるのが東京都町田市の女子高校生刺殺事件なんです。同じ団地に住む人へのインタビューなんてしてるでしょ。それで、その映像が流れてるんだけど、どうにも腑に落ちない。「『助けて~っ』っていう悲鳴が聞こえてました」って答えてる人が何人もいるんですよ。じゃあそれを聞いてどうしたのかって事は何もわからない。ねえ、あの子は失血死だったんだよ。即死じゃないんだ。仮に何かの情報が警察なり消防なりにあれば、救えた命だったかもしれないんだ。夕方刺されて、彼女のお母さんが見つけたのは早朝。「誰か一人でも通報してれば・・・」って、僕なら思うね。例えば我が家のもときち君(仮名・来春からは小学生です)がそんな目にあったら、僕はインタビュー受けて「悲鳴が聞こえました」って答えてる奴を刺すかもしれない。それもかなりの確率で。団地中に聞こえる悲鳴なんてあげさせないほどに強く。「知ってて何故何もしなかったんだ!」ってね。法律なんて関係ない。感情が行動を支配するだろう。それが間違ってることは重々承知だけど。ふぅ。疲れたよ。そもそもは「もし今僕が死んじゃったら楽天にはずーっと前回のモトキチ刑事が最新版として残るんだな。だって僕が死んだことなんてここには誰も発表できないんだもの。新聞で『モトキチ死す』なんて書かれないしさ。遺作があれじゃあ、それはそれでかなりかっこ悪いな。何か他の事をとりあえず書いとかなきゃいかんだろうな」という考えから書き始めた今日の日記なんですが、思ったよりハードになったので、もうこれが限界です。彼女の母親のことを思うと、もうだめです。現実の僕はこんな風に弱いので、楽天のモトキチの野郎がうらやましくて仕方ない。
2005年11月15日
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NASAに勤めるモトキチ(最近勤務が夜勤になってたいへんな男)は、レーダーが捉えたある物体に注目していた。これはUFOだ!そう確信したモトキチは、早速彼自身が開発した特殊装置を使って、UFOとの交信を試みた。ちなみにそれはとても特殊な装置なので、どうしてUFOと交信できるのかという問いには簡単には今は答えられない。えーと、多分明日も明後日も答えられません。だから質問はしないように。「こんにちは。私の名前はモトキチです。 私はあなた、またはその仲間たちと交信するということを欲しています。 私はあなたへのいくつかの質問を持っています。 もし私があなたへ質問したならば、あなたはその答えを私に贈ることが出来ますか?」モトキチの質問がこういう文法なのは、ECCではなく旺文社の大学受験ラジオ講座で学んだからだ。UFOからは、すぐにその返答がきた。「我有準備返答」こいつらはどこで何を学んだんだ?「まず最初にあなたたちの名前が知りたいです」文体が変わったのは、僕が少々面倒くさくなってきたからだ。悪いとは思うけれど、好きにさせてください。「我々ノコトハ、君ノ好キナヨウニ呼ベバイイ」「では・・・」どう呼ぼうかと考えるモトキチの視線の先には、カレンダーがあった。今日の日付を見て、モトキチの頭にあるアイデアが閃いた。うん、今日は10月の第3週の木曜日じゃないか!これしかない!「私はこの地球のある地方のお祭りになぞらえて、あなたたちを『ボージョレー・UFO』とお呼びしたい。 それでかまいませんか?」とここで、UFOから思いがけない返事が返ってきた。「我々ハ地球ノコトヲチャント調ベタ。君ガ言イタイノハ、11月ノ第3週ノ間違イジャナイノカ? ワッハッハ。マッタク君ハ慌テ者ダナァ!」「あっ、そうだった・・・間違っちゃった。 いやぁ、毎年秋になるとこのネタ書いたような気がして・・・ でも、なにせいっつも日付を改ざんして書いてたんで、10月と11月と間違えちゃいました。まったくお恥ずかしい。」「オイオイ、誰ニ向カッテ言イ訳シテルンダ?」まったく細かい宇宙人だ。まあそれはともかく、これを機会にモトキチはNASAを辞めて芸人になった。相棒はもちろん、例の宇宙人である。そしてコンビ名は「ボジョレー UFO・慌てんヴォー」以外には思いつかなかった。
2005年10月20日
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カレンダーが読める皆さんなら知ってるだろうけど、今はもう10月だ。季節はすっかり秋で、海には誰もいない。トワ・エ・モワだってそう言ってる。でも本当は違いますね。密漁者なんて、はりきって海に出ている。海風は寒いだろうし、水は冷たいだろうし、まったくたいへんなお仕事である。頭が下がります。他に海に出ている人って誰かいたかなぁ?と思って考えたけど、浮かばないのでやめにします。さて、僕がこうして日記を書こうと思ったのと、10月というのには深い関係がある。プラトニックだけど。実を言うと僕にとって10月というのは、何かと浅からぬ因縁があるのだ。まずわかりやすいところから言うと、ここのページを開いたのが10月だ。毎年この時期には、ちゃんと日記を書いている。ような気がする。実際に確かめようと思ったけれど、日記の日付と書いた日付が大きくかけ離れた僕の日記一覧では、まったく確かめようがない。まだある。人生最大の失敗の記念日だって10月だ。これについて多くは語りたくない。しくしく。あとは・・・とある素敵な女性の誕生日だ。現実的におめでとうが言えないので、とりあえずここに書いておくことにする。さっきは偉そうに「実を言うと僕にとって10月というのは、何かと 浅からぬ因縁があるのだ。」なんて書いたけど、他には特に浮かばないな。まあとりあえず、開設して4,5年(よくわからない)になりました。今後ともどうぞよろしくお願いします。あっそうそう。今書いてて思い出したんだけど、秋の海にはちゃんと漁師さんもいますね。
2005年10月16日
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平蔵も純ちゃんも来ましたよ、自民王国岐阜。どうせ野田聖子でしょうよ、自民王国岐阜。つまらん。郵政民営化はもう既定路線だし(ものすごい勢いで金を使ってますね)、何を今さら言ってんのさ、っていうくらいしか感想ないです。民営化するのは間違いないんだから、他の事を争点にしてくれよな。ったく。郵政民営化に対する僕の見解は、そのうち書くので今日は知らん振りしてください。これは本当に書きますから。某企業の人に、面白い話聞いちゃったしね。じゃあ選挙についてって言っても、これはこれで書くことないんですよ。さっきも書いたけど、岐阜1区は選挙をやるだけ費用の無駄ですから。まあ、野田聖子氏についても言いたいことはいっぱいあるけど、本人は僕の言うことなんて聞く気はないだろうから、気が向いたら書きます。これは本当に、気が向いたらです。でも、今回の解散劇でひとつだけ勉強になりました。僕は言葉を知らないので、亀井静香が「刺客」を「しきゃく」と言う度に、「『しきゃく』じゃなくて『し・か・く』だろうが!」なんて憤っていたのですが、あれは「しきゃく」とも読むんですね。ふうん。驚いたねぇ。完全に静香の勝ちです。でも、テレビの前で「静香!お前間違ってんぞ!」って言ってた人って、日本中でけっこういたような気がしてならないんだけどねぇ・・・
2005年09月05日
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興味があるかないかはともかくとして、野球に例えてあなたへとりあえず一言。あなたは優秀な投手です。結構早いストレートを投げるし、コントロールだって決して悪くない。でもね、速いボールっていうのは、遅い変化球があってこそ生きてくるんだよ。昔のあなたは、その緩急のつけ方が下手でした。だから嫌な目にもあったし、苦労もしたよね。速いストレートとコントロールにに自信があったあなたは、それを打たれることに困惑していましたね。でもね、それは無駄なんかじゃなかったんだよ。無駄になる経験なんてないんだ。今、あなたはとても良いキャッチャーとバッテリーを組んでいます。サインに首なんて振る必要はない。リードを信じて、思いっきり投げなさい。信じればいい。疑う必要は、一つもないんだからね。単なる観客である僕は、あなたのパーフェクト・ゲーム達成を信じて、心から応援しています。
2005年07月16日
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今日は前回の日記の主人公、A氏の話。いちいちA氏って書くのが面倒になってきたので、これからは続柄で書いていこうと思う。わかり易く言うと、義兄だ。わかりにくく言うと、姉の旦那さん。もうちょっと複雑に言うなら、甥っ子のお父さん。前にも書いたけど、優秀な家系の一員である。僕が高校3年生の時に、二人の結婚が決まった。赤い夕日が校舎を染めていた頃の話です。その話を聞いた僕は「あのさ、うちみたいな雑種の一家にああいう サラブレッドが入っていいのか?福井にいる 向こうの親御さんに悪くないか?」という、僕にとっては当たり前の、疑問を抱いた。その意見に対して、よせばいいのに父親が「ま、確かにそうだな」と同調したもんだから姉が怒って、我が家はモメた。懐かしい思い出のひとコマである。さて、セントレア開港の半年くらい前から、義兄はものすごく忙しい人となってしまい、最近はほとんど顔を合わせていない。去年の10月に、我が家のもときちくん(5歳・仮名)の幼稚園の運動会に来てくれた後は、正月まで会えなかった。どうもその頃から、毎週土曜日には管理職を対象とした「危機管理セミナー」に出なくちゃいけなくなったらしい。その前から新規採用者の面接だのなんだので、けっこう休日出勤していたのに、さらに拍車がかかっちゃった。そういえば義兄に聞いたのだが、履歴書の特技の欄に「コーラの早飲み」と書いてきた奴がいたそうだ。一も二もなく、落とされたけど。僕は昔、履歴書の趣味の欄に「犬の散歩」って書いた人の話を聞いた事があるが、あの会社は単なる中小企業だから、まあ許そう。だいいち、ウケ狙いじゃなく、本気で書いたらしいし。まあ、それが本気だったっていうのも怖いけどね。でもねぇ、コーラの早飲みって書いて、採用されると本気で思ったのかねぇ。そりゃね、バブル期にはそういうのもあったかもしれんよ。なにせ売り手市場だったからね。まあどちらにせよ、時代感覚とユーモアセンスがちょっとずれちゃってたんだね。今頃その彼がどこで何をしてるのか、ちょっと興味がある。でもそんなことはどうでもいい。話を義兄に戻そう。とにかく忙しくなってしまったので、今年は正月と3月に会ったきりである。姉はまだしも、甥っ子もほとんど会ってないそうだ。この連休中は、望むべくもない。毎日泊まりになるらしい。前述したように、今年に入ってから義兄とは二回しか顔を合わせてないんだけど、思わぬところで見かけてしまった。セントレア開港後の最初の土曜日、空港は大混雑だった。飲食店はどこも満員で、通路には人が溢れていた。「そんな時に見学なんかするなよ」と思わないでもないけど、来ちゃったものは仕方ない。1日多くて5万人、って空港会社は予想していたらしいが、初日だけで9万人以上だもんねぇ。土日なんて10万オーバー。そりゃ混むわな。かくして、日曜の朝刊には、前日の混雑振りを伝える記事がバンバン掲載された。やれ人が多すぎるだの食事が出来ないだの、大騒ぎだった。さて、平成17年2月20日日曜日の午後7時過ぎ。いよいよその時がやってまいりました(また松平アナ風。あの番組好きなので)。NHKの7時のニュースを見ていた僕は、画面に思いがけない人物を見つけることとなる。その夜のニュースでも、例によってセントレアの混雑の様子が取り上げられていた。アナウンサーは語る。今日も混んでいた、食堂には長蛇の列、などなど。「今日は食堂に入れない人たちのために、空港会社の職員が 臨時にお弁当を売っていました」というコメントと共に、おにぎりを売る職員の姿が映った。ん?そこにいるのは誰だ?義兄だ。更には「お弁当いかがですかぁ」のナレーション入り。その昔、ファースト・キッチン自由が丘店でバイトしてた頃を思い出したかのように(そんな余裕はなかった・本人談)、若手社員と共に売り子をやっていた。ローカルニュースでも、けっこう流れていたらしい。それだけじゃない。月曜の朝刊の社会面にも写真が載っていた。我が家のもときち君(仮名・5歳)が、「僕のおじちゃんは空港でお弁当を売る仕事をしている」と思い込んでいないか、それだけが心配でならない。
2005年04月29日
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セントレアが開港して約一ヶ月。今度は愛知万博が開幕した。当たり前だ。空港は万博に間に合うように作ったんだもの。って僕なんかは簡単に言ってしまうけど、その裏ではかなりの強行スケジュールで建設は進行したのだ。あれが関西国際空港みたいに国の主導の下でやっていたら、ひょっとして間に合わなかったんじゃないか?工期はともかく、建設費はバカみたいに高かったろう。空港会社の社長がトヨタ出身だったっていうのが、やはりかなり良かったようである。僕はそのへんの事を関係者A氏に前からよく聞いていたので、普通の人よりはちょっと詳しいのだ。さてこのA氏、なかなかの人物である。「都内にあるKっていう大学」僕はよく、駒澤出身というのを隠すためにこんな風に出身校のことを言っていた。が、A氏はそんなことしなくてもよい。なにせ「本物のK大学出身」なのだ。偉いねぇ。ついでに言っておくけど、A氏の下の弟さんは関西で一番という「K大学」に行き、さらにその下の弟さんにいたっては、東京にある国立の「T大学」に現役で入ってしまった。世の中にはいるんですね、ちゃんとした一族って。なのにA氏は学生の頃、東急東横線に乗車中に意識を失って倒れたことがあるらしい。理由はなんと「栄養失調」言っておくけど、僕とは10歳も変わらない。確かに昭和の頃にA氏は学生時代を過ごしていたけど、いくらなんでも栄養失調で倒れるとはねぇ・・・まあそんなことは忘れてあげましょう。今は立派に空港会社でマネージャーをしているのだ。普通に言うと、課長職らしい。他の会社ではどうだか知らないけど、あの会社の中で課長って、そう簡単なものじゃないはずだ。全国の栄養失調者に勇気を与えるね(忘れろよ)。しかし、やっぱりもっと偉い人っていうのはいるのだ。そもそもあの会社は、民間とは言いながらもけっこうな国の予算だって入っているので、それなりの所から人員を寄せ集めて作り上げたものだ。であるからして、メンバーの構成は、元通産省の役人とかおトヨタ様(このあたりではトヨタをこう呼ぶ)からの出向とか、まあそういう人たちが多い。もうちょっとわかり易くいうと、偉そうな人たちが多い、ってことだ。万博が始まってすぐの頃、セントレアから会場までの直通の交通手段がないことがちょっと問題視された。せっかく国内はもちろんのこと、海外からも沢山の人々がわざわざやって来るというのに、直接会場に行けないのは何とかならないのか?っていうのは、誰がどう考えたって至極まともな意見である。しかし、その事について意見を求められた空港会社の人がインタビューでこう答えていた。「うちは空港ですからねぇ。飛行機の離着陸が仕事なので、 万博会場までのアクセスなんていうのは、こっちに何か 言われても困るんですよねぇ・・・」あのね、そりゃそうかもしれんよ。でもね、もうちょっと他に言いようがあるんじゃないの?僕はそのことを、官僚ともトヨタとも関係がないA氏に言ってみた。ああいう態度はおかしいんじゃないんですか?ってね。そしたら、実にわかりやすい答えが返ってきた。「ああ、あの人ね。確か元役人だったはずだよ」やれやれ。やっぱりか。今度の連休を控えて、今空港会社の社員は大忙しだ。A氏をはじめとするかなりの人が、ろくすっぽ土日の休みも取れずに働いているのが現状である。もちろん、代休だってない。そういう人達の努力も踏みにじっちゃうような事を平気で言う人が、社会では「偉い」とされるのって嫌だねぇ。皆さんもセントレアに行く機会があれば、大多数の空港職員がかなり謙虚な気持ちで働いていることをわかってあげていただきたいものである。ってここまで書いてから思い出したんだけど、免税店の女性従業員の態度って、けっこう悪いんだよね。旧名古屋空港からそのまま引っ張ってきたからだろうか?
2005年04月26日
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僕にはどうしてかよくわからないんだけど、こうしてたまに日記を書くと、アクセス数が50とかっていう、とんでもない数になる。2年前はそのくらいが普通だったけど、最近は1桁が当たり前なので、ちょっと驚く。とにかくどういう訳だかはわからないんだけど、たくさんの人が来るのである。そして、さぞかしがっかりして帰るんだろうなぁ、と思うと申し訳ないような気にさえなる。けっこう真面目に、そう思っている。でも、それは僕にはどうしようもないことなので、いきなり話はここからタイトルに沿うことになる。セントレアが開港して最初の土曜日、この日もとんでもないくらいの人が来ちゃった。ただの空港にこれだけの人だ。空港内に日本総領事館があったら・・・と思うとぞっとします(一応タイムリー)。と、こうしてたまに時事問題を書いておくのは、日付を遡って日記を書いていた頃の名残ですね。昔は皆さんに記入率のことをいろいろ言われて、なんだかムキになったりしていたのだ。いやぁ、良い時代になりましたね。最近は誰も記入率について触れない。羅列ともおさらばだ。つくづく、気楽なものである。でもねぇ、「モトキチ=羅列」っていうのも、それはそれで立派なコンビ芸だったんだよねぇ・・・中には羅列がきっかけでここに来ていただいている人だっているくらいだ。まあ、人間は時として自分でも知らず知らずのうちに無駄なことをしてしまう動物であるっていうことをこの場を借りて証明しているんでしょうね。ということでいいですか?はなちゃんさん。まあとにかく、昔は今よりももうちょっと考えてここに日記を書いていた気がする。「おい、あれがかよ?」って言われると、ものすごぉく辛いですけど・・・「悪かったな。あれでだよ」って大きな声で言えないのも、すごぉく辛い。って、今気付いたんだけど、結局はいつものようにタイトルと内容がさっぱり一致しないというのも、けっこうこれはこれで、堪える。なんだか書いてるのが悲しくなってきたので、今日はもう終わることにします。セントレア開港後の最初の週末については、そのうちにきっと書きます。いろいろあったのよ、これが。
2005年04月19日
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さて、前回は万博のことだけ書いて終わってしまった。「おい、万博とセントレアって関係ないじゃんか。 ちゃんとしろよな、35にもなってよお」なんて言われそうだけど、最後のほうでちょっとだけ関係あることを書くのでご容赦いただきたい。さて、セントレアのオープン時の混乱ったら、それはとてもすごいものだった。交通費がかかるとはいえ、基本的にはタダ。こういうのって、名古屋気質に合うんですね、きっと。実際、万博より入場者数は多かったりする。オープンしたての頃なんて、かのTDLより多かった。こんなの、中部国際空港株式会社だって予想してない。だって、見積もりの倍だもの。新聞紙上には、混乱振りが大きく報道された。確かに問題点は多いと思う。でも、いたしかたない部分っていうのもあるんですね。なにせ収入の60%以上を、テナントによる収入で賄おうというのだ。言ってみりゃ、日本初の試みですね。最初から完璧に出来るわけないのだ。空港オープンは2月17日の木曜日だった。いやあ、前日と当日の名古屋ローカルのテレビ局なんてすごかったです。ほとんど「セントレアから生中継」ばかりだったもの。まあそれは仕方ないですね。でも翌日の新聞やテレビの報道では、まあ当たり前だけど、混雑ぶりを強調しすぎだったように思う。利用者の声、っていうのを取り上げてたんですけどね。「人が多すぎて、飛行機から降りたあとに食事も出来ない」っていう、旅行者の意見があった。これは怒って当然でしょう。だって彼らは正当な理由で空港を利用してるんだもの。旅客専用のレストランくらい、どうにかしなきゃね。それは後日どうにかしたから勘弁してあげよう。しかし、「なんだかなぁ」っていう意見だって(こういうのはいつでもどこでも存在するんだけど)、あるにはある。「せっかく来たのに、人が多くて座る場所さえない。 これでは疲れに来た様なものだ(72歳・女性)」誰が考えたって混むに決まってるだろ、そんなの。考えろよ、72にもなって。僕なんてあなたの半分しか生きてないけど、それくらいは考えるまでもなくわかるぞ。っていう読者のツッコミを想定してるのか?C日新聞。ったく、新聞拡げた朝から笑っちゃったじゃないか。
2005年04月17日
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僕は中部地方に住んでいる。そりゃまあ好きで住んでいる訳じゃないんだけど、でも世の中には色々と込み入った事情というものがあるのだ。「込み入った事情」というよりは「なんとなく流れで」といった方が正確なのだが、ちょっと格好悪い。35も後半になると、色々気にするものなのだ。そういうわけで、僕は色々と気にしてるんだけど、皆さんには関係ない事なので、読み飛ばしてくれてかまいません。さて、今年に入ってから中部地方は何かと騒がしい。まず、万国博覧会をやりだしてしまった。まさか本気でやるとは思ってなかったのにねぇ・・・今でこそあんまり誰も言わないけれど、招致運動華やかなりし頃は、ちょっとした騒ぎだったのだ。だけど万博をやる意義って、どうもはっきりしない。未だに誰にも解ってないんじゃないかっていう気がする。多分僕が名古屋圏に良い印象を持っていない、というのが大きな理由なんだろうけど、「オリンピックの敵を万博で」というような意思が見え隠れしてる気がしてならない。もう巨大イベントくらいでは後世に何も残せない、っていい加減に行政はわかるべきなんじゃないの?と思う。ウェルカム・オリンピック。でも「その後のナガノ」を見ればわかる様な気がするんだけどねぇ・・・「祭りの後のむなしさ」っていうのは、かのピーナッツ・ブックスの中でさえルーシーの口のよって語られているのだ。でもまあ万博なんていうのは国家プロジェクトだし、僕が何を言おうと始まってしまったのだ。あとは沢山の人に来てもらって、いわゆる経済効果っていうものさえあればそれでいいんだけどね。「何かの拍子に入場券が手に入ったら、すかさず 売り飛ばしてしまおう」って思ってる僕には、きっと何も言う資格なんてないのだ。とかなんとか書いてるうちにくたびれてきたので、タイトルの「セントレア」については書けなかった。こういう事は僕にはよくあることだけど、こうも度々だとちょっと情けなくなってくる。でも続きはきっと書くつもりなので、待っていていただきたい。でもねぇ、たいしたこと書くわけじゃないんだよねぇ・・・
2005年04月12日
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昨日の日記の内容がそんなにすごかったのだろうか?なんだかものすごい驚きの声があがっている。みんながあんまりいっぺんにコメントを書いてくれたので、一つ一つにレスすることは無理みたいな気がする。数あるコメントの中で目に付いたのが「それでいったいその後はどうしたのさ?」というものである。まあ、考えてみれば当然ですね。というわけで、続きを書いてみます。話はどこまでいったんだっけ?燕の巣を取りに、危険な崖を登る所までだったっけ?すみません。今の冗談は面白くないかもしれないけれど、僕と僕の大切な人にとっては、かなり重要な冗談なのだ。例え世界中の誰一人として笑わないとしても、あるたった一人の口元がちょっと笑みを浮かべさえすれば、僕にはもう充分である。その人がこの日記を読むかどうかはともかくとして。まあいいや。続きを書こう。とは言え、続きなんて実はないに等しいんだけどね。「お前なんか荷物をまとめてさっさと実家に帰っちまえ!!!!!」と大声で叫んだ後どうなったかといえば、実に簡単である。午前七時。自分の声で目を覚ました僕は、いつものようにカフェオレを作って煙草を一本だけ吸い、歯を磨いて顔を洗ってねぐせを直して、そして、まったくいつも通り洗濯物を干してから仕事に出かけた。いつもと違うことを強いて挙げるとするなら、久しぶりに日記を書こうと思い立ったことと、毎日ちょっと浮かれてるくらいのことだ。追記上から4行目に「一つ一つにレスすることは無理みたいな気がする。」と書きました。書いたときはそのつもりでした。が、なんだかムキになって一つ一つにレスしました。偉いぞ、モトキチ。
2005年04月07日
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なんだかごちゃごちゃと忙しい日々を送っているので、なにかとストレスがたまる。まあもともとが思ったことの半分も言えない様な気の弱いタイプだし、嘘ともホラとも無縁な生活を送っているので、これで案外苦労するのだ。しかし、ここ何日かは上機嫌で生きている。巨人も弱いしね。僕はここに何度も書いていたように、大の巨人ファンである。が、今は巨人が負けたとなると、夜のスポーツニュースなんぞを見ながら、密かにほくそえんだりしている。これは心境の変化でもなんでもない。今だって、決してアンチ・巨人ではないのだ。ただ単に、読売グループのやり方が大っ嫌いで、ついでに堀内が嫌いなだけだ。「そういう奴は巨人ファンの風上にも置けない」という声も当然あるだろうけど、だったら風下に置いていただいても一向にかまわない。まあそんなことはどうでもいい。巨人の話はまた今度(いつだ?)書くことにします。話を戻そう。ここ2、3日僕の機嫌がいいのは、とある理由によるものである。結婚して6年半、ついに奇跡は訪れたのだ。4月4日(アンパンの日、もしくは北条時宗の命日)午前七時。ついにその時がやってきました(松平アナ風)。僕は大きな声で、はっきりと奥さんに向かって言ったのだった。「お前なんか荷物をまとめてさっさと実家に帰っちまえ!!!!!」やれば出来るじゃん、モトキチ。偉いぞ、モトキチ。
2005年04月06日
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これでも高校の頃は世界史を選択していた。なんて書くと、まるで理系の人間のようだけど、僕は自他共に認める文系人間である。世界史を選択していたって、特に不思議でもなんでもない。だったらいきなり「これでも」なんて書き出しはやめろよな、と思う。自分でもそう思うくらいだから、他人はなおさらだろう。でもまあもう書いちゃったんだし、特に不都合はなさそうなのでこのまま続けます。皆さんご承知でしょうが、そもそもですね、僕の文章というのはかなり読みにくいのだ。実は昨日の夜、酔った勢いで(素面では恥ずかしい)昔の日記をちょっと読み返してみた。感想その一。何が言いたいんだかわからないことが多い。言葉が足らないことが多すぎる。で、さすがに「これではいかん」と思うので、なんとかしようとしてカッコで補う癖がある。下手すると一つのセンテンスの中に、二つも三つもカッコが出て来る。なんとかするべきですね。その二展開が強引過ぎる。もうちょっとはっきり言うと、話がコロコロ変わりすぎる。一週おきに連続ドラマを見てる気さえしてきます。これは、本文より先にタイトルを付けるせいなんですけどね。とここまで書いて、嫌なことに気付いてしまった。今日の日記のタイトルだ。「世界史を選択していた」から素直に話を続けりゃ良いものを、余計なことを書いたせいで続きが書きにくいじゃないか。仕方ないですね。先ほどの反省は明日以降に生かす(かどうかはわからないけど)ということで、本題に入ります。いわゆる大航海時代を代表する人物といえば、コロンブスでしょうね。我々がコロンブスと聞いて思い浮かべるのは1、アメリカ大陸の発見2、梅毒の伝播3、卵を立てたくらいで威張ると、だいたいこの三つがある。でも、三つもあるってたいしたもんですよね。誰かの名前を聞いて、一つや二つは思い浮かぶ事柄があるけれど、三つってなかなかないです。例えば「モトキチ」と聞いたら1、真面目2、二枚目はすぐに思い浮かぶけど、三つ目って難しいでしょ?うんうんうなって考えても・論旨がよくわからない・文章にカッコが多すぎるくらいのことが、後からやっと出て来る程度である。一つしかない人だって沢山います。「水戸黄門」なら「徘徊老人」だし、「貝原益軒」なんて聞くと、何と言っても養生訓の年齢別のアレしかない。僕は常々「自分が衰えちゃったもんだから他人に色々強制しやがりやがって まったく嫌なジジイだな」って思っていた。嫌いなタイプでした。でも最近知ったんだけど、実際の貝原益軒はすこぶるお盛んだったそうですね。そしてまた、益軒の奥さんもなかなか凄かったらしい。「養生訓」は意外と、自戒のために書いたのかもしれない。僕の中で彼の印象は、180度変わりました。しかし、コロンブスについてはいまだにあんまり偉いと思ってない。まあ梅毒についてはあんまり彼に責任はないような気もするけど、それでも部下の管理能力という点においては、不合格でしょうね。実際、航海するたびに反乱を起されてたみたいだし。卵を立てて見せた事だって、あれは要はトンチじゃないか。それも、自分の名誉を守るための、腹立ち紛れのトンチだ。一休さんのほうがずっと洗練されてるし、可愛げがある。そして僕がもっとも腑に落ちないのは、新大陸発見である。あれはどうかと思いますね。そもそも彼は、アメリカとインドの区別がついてない。文字数も違うし、同じ字だって一つもない。都はるみをミソラと言ってクビになった生方アナが不憫でならない。だいたいやねぇ(竹村健一風)、新大陸発見って、ヨーロッパ側の見方でしかないじゃないか。アメリカ側からすれば「コロンブスに見つかってやった」というところでしかないはずだ。アメリカはもっと怒るべきだと思う。「見つかってやった」を猛烈にアピールしなくっちゃ。そうじゃないと立場のない人が、日本に一人いるんですよ。「王に756号を打たせてやった鈴木康二郎」野球殿堂入りの素質じゅうぶんの偉業だ。世界史にだって・・・名を連ねるべきじゃないの?
2005年02月11日
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身もふたもないタイトルですね。でも、「ぷっすま」を見ながら日記のタイトルを考えるっていうのはこれはこれでけっこうたいへんなのだ。まあそういうわけで、前回の日記の続きです。場所はガール・フレンドの部屋。クリスマス・イブの午後九時を過ぎていた頃だろうか。僕は風呂から出て、パジャマを着ようとしていた。彼女が買ってくれたパジャマだ。ま、そんなのどうでもいいけど。が、置いてあるはずの場所に、ズボンがないんですね。上はパジャマ姿なのに下はトランクスだけって、かなりマヌケだ。イブの夜なのに、これではいけない。もちろん、イブじゃなくてもですけど。仕方がないので、僕はあちらこちらを探し始めた。その時、彼女が言った。「ねぇ、パジャマのズボンを探してるの?」当たり前である。だから当然のように、僕は答えた。「あのさ、冬の夜にこんな格好で徳川の埋蔵金を探すと思う?」しばらく僕をじっと見た後で、彼女は言った。「そうは思わないけど・・・あなたってやっぱり変わってるわね」うーん・・・はたしてそうだろうか?それはともかく、やっぱりってどういう意味だ?だって、そんな格好でウロウロするなんて、ズボンを探す以外にどんなシチュエーションがあるっていうんだろう?誰がどう考えたって、ズボン以外に探すべきものなんてないと思う。僕は何か間違いを犯したのだろうか?今思うと「好き」「愛してる」なんていうセリフよりはるかに多く「あなたって変わってるわね」って言われてきたような気がする。そしてそういう傾向は、今でも少なからずあるようだ。なんだか腑に落ちないな。
2005年02月08日
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クリスマス・イブですね。まあ、昔から特に良い思いではないですけど。なんか一つや二つはないかなぁ、なんて思っていたのだが、突然十数年前のことを思い出してしまった。こーゆーことをこんな所に書いていいのか悩むのだが、考えるのもずいぶんと面倒なので、もうこの際だから思い切って書いてしまうことにした。笑わば笑え。さて、ガールフレンドにたいしたプレゼントも買えなかった、学生の頃の話だ。やってしまいました、ハタチくらいの青年・モトキチ。今思い出すと、本当に嫌な感じの汗が出てくるほどだ。イブの夜。彼女の部屋でくつろぐ二人。そして、問題はこの後だ。彼女を立たせて向かい合い、シャツのボタンを外す。うなじから首筋を通り過ぎ、もう一度うなじまで。「宝石は無理だから、口づけのネックレスで勘弁してくれる?」あぁ、もうしません、もうしません・・・
2004年12月24日
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感動しましたねぇ、夏の甲子園。駒大校の諸君、本当におめでとう。君たちが高らかに校歌を歌っているとき、僕もわざわざ庭へ出て、一緒に歌っておきました。2階の人が布団を取り込むときギョッとしてたけど、まあいいや。さて、冬の話もしよう。今はもう冬だからね。そういえば、もう日付を遡って日記を書いてないんだから、いちいちこういうコメントはいらないんだな。次からはやめよう。さて、今年の全国高校サッカー岐阜県代表は、我が各務原高校だ。僕らの在学中は大したことなかったけど、ここ数年は頑張ってます。インターハイやら天皇杯にも、たまに顔を出します。サッカーが強くなった分だけ学力の方は落ちてきているようですが、まあもともとが大したことないので、気にするな。僕らの頃ものんびりしていたしね。もし僕があの高校を出ていなければ、ここの日記の文体や内容や更新頻度は、少なからず違ったものになっているだろうとさえ思う。そういう校風なのだ、あそこは。切羽詰った感とは無縁に生きていける。がんばれ、各務原高校。以上で高校の話はおしまい。次は大学。さて、野球がすっかりダメになったので、最近は箱根駅伝一筋ですね。実はひっそりとサッカーも強いんだけど、いかんせん大学サッカーって盛り上がりに欠ける。ラグビーを見習え、と思います。そもそも、ラグビーなんてサッカーから出来たスポーツじゃんか。負けてどうする。でも僕は、どちらかといえばサッカーよりラグビーのほうが好きなんだけど、まあいいや。とにかく箱根駅伝だ。今年も正月に酔っ払いながら校歌を歌うつもりなので、ぜひ駒大諸君に優勝していただきたいものです。ってつらつら書いてますが、今日のテーマは実は母校のことじゃない。かなり昔から疑問だったことを、ちょいとはっきりさせてみたい。別に僕がはっきりさせるわけでもなく、出来れば他の皆さんの手ではっきりさせていただきたい。だったらタイトルも付けなおしゃあいいんだろうけど、一度決めたタイトルは変えない、というのが僕のやり方なので勘弁して下さい。さて、僕には長年の疑問がある。マラソンや駅伝に関してのだ(ちょっとタイトルと関係してる)。あのですね、あのての競技ってタイム争いですよね?やれ世界新だ日本新だ大会記録だって、かなり騒がしい。でもね、マラソンのスタートってかなりいい加減じゃないですか?「バーン!」って鳴ってから、わらわらと動き出すでしょ?後ろの方なんて、足踏みして待ってるくらいだもの。子供がトイレに行きたいのを我慢してるみたいだ。ああいう状態を「尿意ドン」っていうらしいですけど。そんなことはどうでもよろしい。とにかく、1秒を争うスポーツのくせに、出だしはいい加減だ。そのわりには1秒のことで騒ぐんですよね。ああいうのって、きっちりした性格の持ち主(もちろん僕のことだ)から言わせてもらえば、おかしいと思うんですけど・・・
2004年11月28日
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モデムが壊れてずっとネットと遠ざかってました。でも、NTTに電話したら、すぐ点検しに来て交換して帰りました。この間ものの10分。まあそんな程度だろうとは思っていたんですけどね。「じゃあ何ヶ月も放っておくなよ」と言われりゃその通りです。自分でも驚くけど、前回の日記のテーマが「梅雨」そして季節はめぐり、今はもう冬。えーと、日付をさかのぼるのが面倒なので、もうこのまま書きます。苦情は受け付けますが、対処はしません。さて、もうそろそろ年末ですね。年末の風物詩といえば、ドクター・コパだ。こう断定的に言われるとムッとされる方もいるかもしれない。ムッとするのは一向にかまいませんが、文句は言わないで下さいね。そもそも、僕の言うことを真に受ける方がどうかしてるのだ。まあいい。話をコパに戻す。僕はどうも奴を信用できない。だいたいにおいてあの顔立ちは、デパートの実演販売向きだと思う。人の人生の事までつべこべ言うな、っていう気がするんですね。まあそれはいい。僕の顔立ちだってずいぶんなものですからね。人並みはずれた二枚目という以外、たいした特徴は無い。また話がずれたな。とにかく、コパを信用できないのには理由があるのです。以前ラジオにドーター・コパが出て喋っていた。「うちの父(コパ)が言うには、風水というのは、教えられてやってもダメなんだそうです。『たまたままったく無意識に○○を△の方角に置いておいた』っていうように、無意識のうちにやっていることが重要なんです」ん?ってことはなにか?たまたま西に黄色いものを置いちゃったならいいけど、コパに言われてやったんじゃダメってことか?じゃあいちいち教えてくれるなよ、コパめ。あんなに本を書くから、うっかり読んじゃうじゃないか。欲しくも無いのに買った黄色いものを、どうしてくれるんだ。まあいいや。あきらめよう。だいたい、僕はどうやったってお金持ちになんてなれないのだ。これはもう、昔っから決まっちゃってる。「色男 金と力はなかりけり」
2004年11月24日
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ここの「日記を書く」のページだけど、前月と今月と次月しかなくてたいへん困る。前年の日記を書くのに、実に不便だ。前月を16回も押すのはたいへんなのだ。関係者の猛省を促したい。と書いても、前年の日記を書いている人が少なそうなので、非常に説得力に欠ける。実に無念である。さて、今年(2004年)はすごい年ですね。気がついたらもう夏だ。梅雨なんてほとんどなかった。これは実に残念ですね。梅雨について書きたいことが沢山あったのに、過ぎちゃったもの。僕は皆さんご存知のように、夏真っ盛りに梅雨のことを書くような季節感の無い人間ではないのだ。几帳面って、こういう時に不便です。でもまあ、せっかくなので何か一つくらいは書いておこう。来年の梅雨に日記を書く気があるかはすこぶる疑問ですから。さて、世の中には単位が不可欠だ。最近ではいろんな物にくっついてますね。「へぇ」なんて、その良い例ですね。気象関係も例外ではない。様々な単位に囲まれていますね。気圧のミリバール(最近の呼び方忘れた)なんて王道って感じだ。それに比べて、降水量は寂しい。ミリだもの。そりゃないだろう、って思わないでもない。地震を見習え、とさえ思う。あっちは震度はただの数字だけど、もう一つマグニチュードがある。すごいねぇ、マグニチュードですよ。なんだかいかにも「揺れてるぜ!」って感心しちゃうくらいだ。それに比べて雨の頼りないことったらない。ミリ。「おい、しっかりしろ」と、つい励ましてしまいそうになる。そういう雨の頼りなさに業を煮やした(わけでもないけど)僕は、学生の頃に雨の降り具合を単位で表していた。主に世田谷区でよく使われていたのだが、中にはご存知の方もいるかもしれない。雨といえば、もうこれしかない。三善英史だ。以下、バイト先での会話。「おーい、モトキチ。雨降ってるか?」「いや、たいしたことないですよ。 せいぜい1三善英史ってとこです。 まだ外に誰もたたずんでません」しばらくして「おーい、降り具合はどうだ?」「2三善英史くらいです。外に誰かたたずんでますよ」さらに「おーい、ちょっと強くなってねぇか?」「今、3三善英史です。たたずんでる人もついに傘さしました」ついにドシャ降り「おーい、どうだ?」「いやー、もう5三善英史ですよ。 今本人が歌いながら歩いてました」なんていう具合だ。実にわかりやすい。来年気象予報士の試験を受ける人は、頭に留めておいた方がいいだろう。
2003年03月04日
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さて、1000日です。さるすべりを10本買ってお祝いするつもりです。まあそれはともかく、よもやこのページに1000日目が来るとは思ってもいませんでした。これを読んでるアナタもそう思っていたはず。それはともかく、わざわざ来ていただいている皆さんに感謝しています。ただ一つ残念なのは、皆さんが時間を有効に使っていない、その一点です。
2003年03月03日
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ちょっと前の話を書く。ここの日記は日付の概念が希薄なので、一応ちゃんとしておこうと思う。何事によらず、きっちりとした性格なのだ、僕は。この日記の日付は2003年春になってますけど、これから書く話は2004年の年明け早々のことだ。そして何を隠そう、今日は2004年の6月である。でもいちいち気にしなくてもよい。僕もしないから。さて今年の正月頃のある夜、僕はボケーッとテレビを見ていた。「あの芸能人は今」みたいなやつだ。もっとも、この頃はこの手の番組に出て来る懐かしい芸能人がかなりレギュラー化されつつあり、特に驚いたりということも少なくなってきた。エマニエル坊やがうんと大きくなってから日本へ来て小錦になったのは、今や知らない人はほとんどいないほどですからね。まあそれはともかく、カルロス・トシキも案外常連である。僕は何度かテレビで彼の消息を目にしたことがある。その夜の番組では、またまたオメガトライブの映像が流れた。「やれやれ、またカルロス・トシキか・・・」なんて、ノルウェイの森のワタナベ君風につぶやいて、その続きを見た。「どうせカルロスだろ?もういいよ、知ってるから」と思っていた僕は、自分の目を疑いました。元来僕は自分自身の人間性についてはずいぶん疑ってるんだけど、ついには目まで疑うハメになってしまった。探されてました、杉山清貴が。カルロスじゃなかった。世間的にはどうだか知らないけど、僕の中では「夏=オメ・トラ」なのだ。チューブはオメ・トラの後だし、杏里ではマニアックに過ぎる。若大将・加山では古すぎるし、青大将・邦衛は論外だ。田中邦衛については、竹中直人の物真似だけで十分だもの。そもそも、杉山清貴がのん気にハワイで暮らしていることを知っている僕にはたいして驚きではなかった。その昔、NHK教育テレビの「サーフィン講座」の講師として出てきた時の方がもっと驚きました。とか何とかいいながら、結局毎回欠かさず見てましたけどね。おかげで僕は、アイロン台を3つも駄目にしてしまった。まあとにかく、画面の中では杉山清貴が再結成コンサートの告知をしていた。ふうん、プロモートってたいへんなんだね。探されなきゃいけないんだもん。久々に彼の存在を目にした僕は、家にある古いCDを探し出してきて、ずっと聴き続けている。冬から春。春からもうすぐ夏。何度聴いたことだろう。やっと音楽と季節が一致しようかというこの頃になって、もういい加減に厭きてきてしまった。我ながらこういう性格が嫌になる。本当はものすごく素敵な青年(気にするな)なのに。
2003年03月02日
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さて、話は今年のバレンタイン・デーのことである。今年というのは2004年のことです。一応お知らせまで。ずっと前にも書いたことがあると思うけれど、僕とバレンタインの相性はあまり良くない。っていうと多少は良い様な気がしてしまうので、正直に書いておこう。そりゃもう、ひどいものである。まあ考えてみれば当たり前だ。そもそもバレンタインって、人気投票みたいな物だもの。僕に良い思い出の出来るはずがない。それでも丸っきりダメか?というと、そういうわけでもないんですね。僕にだって一度や二度は良い事があった。二年前なんて、本当に良かった。生きてて良かったとさえ思いましたね。今は、生きてるのが、辛いです。まあそれはともかく、今年のバレンタインの話である。今年は週末と重なり、14日は土曜日だった。それが世の中にどう影響を与えるかなんて、僕にはわからない。「ラッキー」と思った義理チョコをあげる側の人もいれば、「ちっきしょー」と思った義理チョコを貰いそこねた側の人だっているだろう。僕の人生には何の影響もないから、どうでもいいんですけどね。例年のぼくはそうであった。ところが、である。今年はすごいことになりました。「いったいどうしてこんなに人気者になっちゃったんだろう?」って、自分でも不思議で仕方ないくらいだったのだ。そのモテモテぶりを披露して、日記はさっさと終わる。2月14・15日で、その数なんと160以上。何と言うか、朝から晩までたいへんな騒ぎだった。携帯への迷惑メールを削除する作業って、けっこう疲れるものである。
2003年03月01日
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すっかり忘れていたけど、今年の日記は「~男」で通すつもりだったのだ。前回と前々回の日記のタイトルについて誰も文句を言わなかったからそれでいいと言えばいいんですけどね。こういう自分にとって不利なこともちゃんと話す態度、相変わらず偉いですね、僕って。さて、連休といってもたいしてやることもなかった僕は、割りと家にいることも多い。ということは、まあだいたい想像はつくと思いますけど、家での仕事だって多い。「こんなんなら仕事に行っていた方がいいなぁ」と思わないでもないけど、まあ仕方ない。自分で言い出してるんだから仕方ないけど、これだけ色々やってるとやっぱり「恐妻家」って言われても仕方ないのだろうか?僕はとてもとても個人的に思うのだけれど、家事と恐妻家は関係ないような気がするんですよね。そもそも、「家事をするイコール弱い旦那」という図式が気に入らない。僕が家事をするのは別に弱いからなんかじゃない(と思う。いや、思いたい)。僕は基本的に、「これは男の仕事、これは女の仕事」って分けるのが好きではない。世の中には力仕事が苦手な男性だっているし、電気関係にめっぽう強い女性だって沢山いる。そもそも一人暮らしなら、否応なしになんだってやらなきゃいけないしね。これは家庭内においてだって同じだと思う。基本的には炊事だって洗濯だって掃除だって、出来る方がやればいいのだ。特に我が家は共働きなので、家事だって分担しないとものすごい不公平ですしね。ま、確かにうちの奥さんの皿洗いはひどいものだという一面もあるのは事実だけれど・・・今まで僕はご飯を作る立場にはあまり立たないようにしていたのだが(すごく不味いのだ)、最近は炒飯が上手に作れるようになってきた。ご飯がパラパラ(踊るわけじゃない)にきちんとなっているのだ。味の具合は作るたびにばらついてはいるが、そういう細かいことに目をつぶりさえすれば、けっこうな出来栄えである。こうなれば次はオムライスですね。なんていう話をすると、家事をしない男性には割りと評判が悪い。家事をしない男性を持つ奥さん、にもたまに批判めいたことを言われる。「男なのに、そんなことでいいのか?プライドはあるのか?」っていう具合に。良いか悪いかは個人の考えだから仕方ない。僕は僕なりの考えで動くしかないです。僕の考えがおかしいと思う人は、その人のスタンスで生きていけばよろしい。でも年をとって、奥さんがいないと何も出来ないジジィになるよりはずっとマシなような気がする。よくわからないけど、多分奥さんにとっては邪魔な存在になるような気がしますね。その挙句に奥さんがいなくなったら、と思うとぞっとする。独り身になって、どうやって生きていけば良いのかさえわからないジジィ。僕はそんなジジィにはなりたくないのだ。スーパーでうろうろするより、ちゃんと底値を知ってて買う買わないをちゃんと判断できるジジィがいいのだ。出来合いの弁当じゃなくて、煮炊きできるジジィになりたいのだ。スーパー銭湯で一日過ごすようなジジィは嫌なのだ。一応ここで結論めいたことを言うなら、家事をするのって男の沽券に関わるようなことだろうか?ということですね。炊事洗濯くらいでどうにかなっちゃうような薄っぺらいプライドなら、そもそも最初から持たないほうが良い様な気がするんですけど・・・
2003年02月28日
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今回の長い長い休み時間(わかりやすくいうとサボり)の間には、いろいろあった。精神的にも肉体的にも、ずいぶんハードな日々だったと言える。その分、劇的な変化もありました。僕は「昭和のスモール・ジャパニーズ」と言われた最後の世代の生まれなので、身長はたいして高くない。うっかりすると、「前へならえ!」って言われると両手を腰に当てかねないほどだ。その分(と言って良いのかは知らないが)、横には成長していた。体重のピークは今を去ること5年半前、結婚を控えてマリッジ・ブルーになっていた頃ですね。ストレスから暴飲暴食を重ね、165センチしかないくせに、74キロもあった。で、家庭内での重労働(しくしく)の結果、それからずっと65キロくらいをうろうろしていた。が、すごいっすよ、ここんとこ。別に威張って言うことじゃないけど、今なんて人並みだもの。さっき風呂上りに量ったら、57キロでした。先日久しぶりにジーンズを買ったのだが、ちょっと驚いてしまった。というのも、自分の中では「あぁ、僕のサイズって32なんだよなぁ・・・」という意識が強かったので「ま、痩せたから30くらいなら穿けるだろう」と思って試着したんですね。ゆるゆるだ・・・拳が縦に入るほど。結局サイズ28のやつを買ったんだけど(でもまだちょっとゆるめ)、切り取る裾の量がびっくりするほど少なくて、ちょいと感動してしまった。そんな僕の目下の悩みは、スーツのサイズが合ってないことである。特にズボンがひどい。ゆるゆるズボンを強引にベルトで締めているので、見苦しいったらないのである。何と言うか、茶巾寿司みたいだ。今までは上着で隠せたけど、こう暑くなってくるとそうもいかない。という訳で、スーツを買うためにいっぱい働かなきゃなんないので、これからも日記の更新は滞ることだろう。って、ずいぶん長い言い訳をして日記は唐突に終わるのだ。
2003年02月27日
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もうここまで来ると、日記を更新するのも一苦労である。一年以上も日付をさかのぼるのって、けっこう辛いものがありますね。「じゃあちゃんと毎日書けよ」って言われるとすごく哀しいので、そういった書き込みはしないで下さいね。会ったことのある人ならわかるだろうけど、僕はものすごく気が小さいので、よく知らない人や初めて合う人とは恥ずかしくて話せないし、実は生来の上がり症なので思ったことも上手に喋れないタイプなのだ。「そういうことを言いながら自分のことを『竹野内豊と反町隆史を足して2で割ったような顔』なんて言うのはどういう了見だ?」と言う人があるかも知れぬ。そんなの僕の知ったことではない。だいいち、あの二人の顔を足して2で割った顔って誰か見たことがあるんですか?絶対にどう転んでも僕の顔にならないという保証はないでしょ?知りもしないくせに、人に文句をつけてはいけない。わかりましたか?それにだ、僕の二枚目感というものも変化するのだ。最近の僕の携帯の待ち受け画面は、ペ・ヨンジュンになっている。最初に(ものすごく前だけど)「冬のソナタ」を見た時には「どうしてアルフィーの坂崎幸之助が主役なんだ?」と思ったりもしたが、よく見りゃずいぶん違った(当たり前だが)。だいぶ話がそれた。一時期は日記記入率100%を誇ったこのページも、今では50%がやっとである。もうだいたい見当はつくと思うけど、久々に一晩で100%にしてみようと思う。今までは羅列だのなんだのと酷評されたけど、今度は違います。連載小説です(兵士は出てこないので安心してください)。実を言うと去年の秋ごろには「このまま日にちが過ぎて、ちょうど1年遅れになったら平気な顔して日記を書き始めよう。それで誰かに何か言われたら『えっ?日付どおりですよ。何か文句ありますか?』って言ってやろう」と思っていたのだけど(そういうことを考える前に毎日書いたらどうだ、と言われると返す言葉もないですけど)、なんだかグズグズしているうちに実際の日付に追い越されてしまった。こうなりゃ仕方ない。一気に書くだけだ。これから始まる小説はちょっとすごいですよ。他に類を見ない、画期的な小説である。どこが画期的かは、今はまだ言えません。勝手に想像してください。「苦悩する青年モトキチが、人生という名の大地を着実に一歩一歩進み続ける過程を描く壮大なストーリー」とだけ言っておきましょう。どんな内容かは、またのお楽しみということで。ただここに問題があるとするなら、約380回の更新にいったいどれだけの時間がかかるのだろうか?ということと、最後まで厭きずにちゃんと出来るだろうか?ということだろう。始めるにはけっこうな気力が必要な気がして、今から気が滅入っています。
2003年02月26日
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実は、結構前から練っていたのだ。どのくらい前かというと、もうかれこれ4ヶ月くらいだ。去年の10月に楽天開設2周年を何の感慨もなく迎えた僕は苦悩していた。ちなみに、日記の日付は2月15日だった。実はですね、もうその頃には羅列もあきらめてました。まあそんな必要はない、って思ってたんですね。羅列なんかしなくてもいい、とてもいい作戦を思いついちゃってましたから。つまりですね、今のようなペースでたまに日記を書くわけです。せいぜい1週間に1回くらいの更新。好きです、こういうペースって。どうせなら月にいっぺんくらいの方が望ましいのだけど、それじゃまるで中学や高校の頃の日直である。当番日誌を書くみたいで、どうもねぇ・・・そういえば高校3年の時は、日直が週代わりだった(週番って言えよ)。つまり、1週間丸々日直を続けるのだ。ということは、当番日誌も1週間ぶっ続けで書かなくちゃなんなかった。これは意外とたいへんなのだ。日誌には、なんかコメントを書かなくちゃいけない決まりだった。でも、毎日毎日そんなにコメントすべきことなんてあるわけがない。たいやき君じゃなくったって、嫌んなっちゃうくらいだ。若きモトキチは考えました。ちょうどその頃、古文の時間に「奥の細道」を習っていた。そこで、芭蕉先生を気取ってみたのだ。僕は日直をしている間、毎日毎日俳句を一首作った。そしてその後に「表八句を庵の柱に掛け置く」と書いておいたのだ。今振り返れば「受験生のくせに何してんだか・・・」と思わないでもないけど、そんなことでもない限り歳時記なんてまず手に取ることはなかっただろう。たかが当番日誌のコメント書くのに、歳時記を図書館から借りてくるのは少々やりすぎかもしれない。でも、良かった事だって一つある。歳時記を借りてきてから15年後の春、季語に関する日記を書きましたからね。1日分助かった。とか何とか書いてるうちに、去年の10月にひょいと思いついた作戦なんてもうどうでもいいような気がしてきた。これについては、またそのうちに書くことにしよう。なぜなら、単純な話だけど、もう眠たいのだ。「夜半過ぎ 日記書きつつ 凍死かな」(物騒な話だけど、「凍死」も立派な季語である)表八句を庵の柱に掛け置く
2003年02月25日
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今年はこのタイトルでいこうと思う。「~男」って書いてあれば、すぐに2004年に書いたってわかりますからね。「そんなことするんだったら、最初っからちゃんとした日付で書けよ」とお思いの方もいらっしゃるかもしれない。しかし、これには深い訳があるのだ。実を言うと、「また記入率を100%にしちゃおうかな?」と思わないでもないのだ。実際のところ、去年だけで3回ほど考えた。「とか何とか言っても、結局面倒でそんなことしないんだろうな」っていうのは、去年だけで30回以上考えてますけど。後から日にちを遡って日記を書いたことがある人がそんなに沢山いるとは思えないけど、やってみればわかると思うが、あれはあれでなかなか骨が折れる作業なのだ。一番最初にやった時は、一気に137日分の更新をした。日付が飛び飛びだったので、たいへん苦労した覚えがある。確か1時間半くらいはかかったはずである。今、また記入率を100%に戻そうと思うと、330日分以上も一気に更新しなくちゃならない。よく考えたら、「なにも1日で全部やらなくたって、コツコツと更新すりゃいいじゃんか」と思わないでもないのだけど、毎日コツコツ更新出来るくらいならば、最初っからこんなに空白期間は出来ないだろう。我ながら、まったく困ったものである。先日ふと「よし。今まで羅列で乗り切ってきたんだから、今回もやっちゃおう。 とりあえず、前にやった羅列の作戦名を羅列するっていうのはどうだ?」と思い立ち、思い出してみた。1、史上最大の作戦(兵隊の整列)2、史上最低の作戦(野菜・もしくは魚の名前)3、史上最短の作戦(前日の日記のタイトルの説明だけで1日分浮かした)4、戦後最大の作戦(台風に感化された。バカみたいだ)5、史上最悪の作戦(肉の名前)6、歳末大売出し(ひき肉の名前。存在しない肉の名前だって使ってる)これではいけませんね。6日分しかない。そもそも、3と4はタイトルに「作戦」と付いているけど、それぞれ1日分で終わってしまっているので、ぜんぜん羅列になってないし。よーく考えよー。日付は大事だよー。この間思いついたのが、ラジオで野球の実況をするっていう奴だ。毎日毎日「ピッチャー振りかぶって一球目、投げました。 ストライーク。外角低めにストレートが決まりました」とか「セットポジションから5球目を投げた。 ボール。きわどい。スライダーがわずかに外へ」なんて1球ずつ書いて、1試合やっちゃうの。これはいいですね。1試合9回の裏までやれば、300日分くらいにはなりそうだ。まだ足りないなら、解説者のコメントでも入れちゃえばいいしね。でも、これにも少々問題がある。バッターがタイムリーなんて打っちゃうと、それはそれで問題だ。「ピッチャー第3球を投げました。 打ったー!打球はセカンドの頭を越えて右中間に転がる。 さあ2塁ランナーは3塁を蹴ってホームへ。 今ボールはライトから中継のセカンドへ送られる。 セカンドからバックホームされるが間に合わない。 この間に打ったバッターは2塁へ。同点、同点です」 長いよ・・・こんなこと書いてたら、とても一晩では更新しきれないんだろうなぁ・・・
2003年02月24日
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言うまでもなく、僕のことだ。何が困ったって、日記のことである。1月3日に書いた2月22日の日記のことである(しかしややこしいな)。僕があんなに健気に「本当に日記を大晦日に書きました」と訴えてるにもかかわらず、掲示板には「お前の言うことを信じる奴なんて、この世にいるものか」という書き込みばかりである。僕は哀しい。皆さんが目が曇っていることが、とても哀しいです。とか何とか言いながらですね、日記の最後を「ほんと」で終わらせて、本当に鼻がつっかえてキーボードに手が届かなくなって字が打てなくなった風を装ったりしましたけど。もっとも、誰もそんなことには気付いてないみたいですね。「こっそり道、ここに極まれり」みたいで、けっこう嬉しい。有名人が変装して街を歩くのは、きっとこんな感じなのだろう。今気付いたけど、そんなことはどうでもいいのだ。僕は困ってるんだった。すっかり忘れてました。喜んでる場合じゃない。日記を書いたのが正月だったためか、掲示板への書き込みがものすごく多い。今現在(1月7日の深夜です。ややこしくて申し訳ない)、レスをつけてないものが実に21個もある。今までにこんなにたくさん書かれた事がないので、ぶっちゃけ(生涯3度目の使用)困っている。微妙に(これは生涯初)困っている。そもそも、僕は掲示板レスなんてどうして始めちゃったんだろう?これは簡単なことです。日記記入率100%と掲示板レス。どちらも「僕がやったら皆びっくりするだろうなぁ」と思っただけのことだ。特に昔の僕を知る人にとっては。もうこうなったら開き直るしかない。わざわざカキコしていただいた皆さんには申し訳ないのですが、レスはこれからボチボチと、1日につき3件分くらいのペースで書かせていただきます。挙句の果てには、きっと一言しか書きません。「そりゃあないだろうよ。こっちはあんなに書いたのに、お前は1行止まりか?」って言われると辛いのですが、元々僕は1行しか返事しないことが多いので、もうそのへんはきっぱりと諦めていただくより仕方ありません。あ、それから最後にもう一言。大晦日に本当に日記は書いたんですよ。どうしてアップされないのかわからないけど。本当にほんt
2003年02月23日
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ちなみに、僕のことである。どういう訳だかは知らないけれど、巷間ではどうやら僕は嘘つきという事になっているらしい。どうにも理解し難い。とはいえ、まったく100%真実というわけでもないんですけどね。実を言うと、このページには2つばかりの嘘がある。まず1つ目。今日は1月の3日であり、2月22日ではない。たまにこうやって書いておかないと、自分でもいつ頃書いた日記なのか実のところとんと見当がつかぬ。そして2つ目。これは度々言い訳をしてるのでもう周知の事実になってしまったことだが、僕はどう転んでも二枚目ではない。どうせ誰も本気にしないので、つい書いちゃっただけです。もう勘弁してください。まあそういう細かいことは気にせず、日記を続けてしまう。実を言うと今を去ること2日前、12月31日の午前2時ごろに日記を書いた。ちゃんと書いた。アップした。「このように書き込まれました」画面も出た。なのに、2日経った今もその日記は現れない。これは困ったことである。何が困るのかという理由を説明をしようと思えばそんなの簡単に出来るのだけれど、残念なことに今はちょっと忘れてしまった。でも、3行前までは本当に困っていたのだ。書いてる途中でトイレに行ったら、すっかり忘れてしまった。でもまあよくよく考えれば、たかが1日分である。ゴチャゴチャ言うほどのことでもない。どちらにせよ大した違いはないし、そもそも大した日記じゃあないのだ。僕がここではっきりさせておきたいのは、ちゃんと大晦日に日記を書いた、というただその一点である。本当なんですよ。嘘じゃないってば・・・と書いてるうちに、伸びてきた鼻がモニターにつっかえてきて、キーボードに手が届かなくなってきたので、今日はもう書くのを止めます。これ以上鼻が伸びたら、もう文字を打つことも出来なくなるだろう。でも書いたんだってば。ほんと
2003年02月22日
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けっこう前からしつこく夢見てるのだけど、いまだにやってないことの一つに「お見合い」というものがある。「もしも生まれ変われるとしたら、絶対に結婚なんてしないけど、お見合いだけはしてみたい」なんて思うほどだ。もっとも、今からだって遅くはないだろう(本当か?)。もしもこの日記を読んでいる人の中に「あのねぇ、これから毎日日記書いて、本当の日付に追いつくことが出来たらお見合いをセッティングしてあげる」なんていう人がいたら、ホイホイと289(数えてみて自分でも驚いたけど)もの日記だって書き上げることだろう。しかしいいですねぇ、お見合い。窓の外では鹿威しがカッコーンと音をたてたりしてね。で、仲人役のじいさん(ばあさんでも何でもいいけど)が「まあ、あとは若い2人にお任せして」なんて言い出して、相手の女性と庭なんか散歩させられちゃうの。でも、ここで一つ問題が生じる。なんたってお見合いだから、当たり障りのない話から入らなきゃいけない。いきなり「年金、どう思います?」とか「失業率、なんとかならないですかね?」なんて話から始めたりはしない。まあ、年金やら雇用やらについては、僕にはとっておき(とか何とか言いながらしゃあしゃあと日記に書いたりしちゃったけどね)の秘策が有るんだけど、あれを知られるとまとまる話もまとまらなくなるのが辛いところだ。まあたいていは趣味や特技なんかを訊いたりするのが普通でしょうね。そうそう、特技と言えば僕には悲しい思い出がある。あれは高校2年の時だったと思うけど、学校で身上書みたいなものを書かされた。いったい何のために書くのかはわからなかったけど、一応は書いてみた。で、その中に「特技」という欄があったんですね。これには困りました。と言うのも、僕にはそんなものがなかったからだ。で、仕方ないからたった一つの特技を書いておきました。「舌が鼻にとどく」職員室に呼び出されて説教された、哀しい17の秋。その頃は、書道やら珠算の級が特技のうちに入るなんて知らなかったんだもん。ちぇっ。さて、17の秋から更に17年経った今年の春。とても面白い話を聞いた。仕事上知り合ったある方から聞いた話だ。ちなみにこの話は、「趣味について」です。その人(面倒なので以下Kさんとする。でも『その人』って書くのも『Kさん』って書くのも、手間に大して違いがないことに今気付いた。はっきり言って、『Kさん』って書く方が変換の手間が掛かる)の会社に新しく社員が入ったそうだ。その新人さん(こちらはOさん)は、29歳。分別盛りである。Kさんが気になったのは、社長と部長がOさんについて話すと、必ず「犬の散歩がどうしたこうした」というセリフが出てくることだった。Oさんが入社して1週間ほど経ったある日、Kさんに絶好のチャンスがおとずれた。部長と2人で取引先に行くことになったのだ。移動の車中で、Kさんは思い切って部長に尋ねてみた。「ところで部長、Oさんと犬の散歩って、いったい何の関係が有るんですか?」「ああ、犬の散歩ね。あいつの趣味なんや」「へぇ、そうなんですか。まあ人それぞれといえばそれまでですけど・・・ しかし、趣味が犬の散歩っていうのも面白いですねぇ」「そうやろ?でもあいつの趣味らしいぜ。なんたって履歴書にそう書いてあったからな」Kさんは運転中にもかかわらず、涙を流して大笑いしたらしい。履歴書に「犬の散歩」って書くなんて、もう笑う以外にないからね。僕もそこまで聞いて大笑いした。が、Kさんは浮かない顔をしていた。「でもさモトキチ君。そんな奴を入れるうちの会社、ずいぶん問題だと思わない? 俺、このままここで働いてて良いのか、不安になっちゃってさ・・・」なるほどねぇ、確かにごもっともだ。「で、Oさんは元気に働いてます?」「ところがさ、あいつ、2週間で辞めちまってさ・・・」ここまで来ると、ご立派の一言だ。「でも、履歴書に堂々と『趣味・犬の散歩』なんて書いちゃうような人、この先どこかに雇ってもらえるんですかねぇ?」「そう思うだろ?うちみたいなバカ会社、そうそうないと思うんだけどなぁ」その後我々2人で話し合った結果、Oさんの進むべき道は「ヨーヨー・チャンピオン」しかないのではなかろうか?ということで一応の決着をみたのであった。
2003年02月21日
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「神も仏もあるものか」最近、これが人生のテーマになっている。自分で言うのもなんだが、かなりの罰当たりでは、ある。「人生を切り拓くのは自分自身だ。 俺は何物にも頼らない」というような理由では、もちろんない。まあ、こういうことを言う人も、中にはいらっしゃいますけどね。それなりに成功を収めていらっしゃる人に多く見受けられます。まだ成功してない人にもたまに見受けられるけど、これはその人自身のポリシーなので、僕にはコメントのしようがない。ぜひ頑張っていただきたいものである。僕は僕なりに、違う方向で生きていきますので。そもそも僕は、他力本願なのだ。誰かの力がないと、生きていくことなんて出来やしない。だってそうでしょ?物を売る人の裏には作る人がいて、その部品を作る人がいるのだ。この中で、誰が偉いかなんて決められるわけがない。また話がずれていく。元へ戻そう。「神も仏もあるものか」つくづく、そう思うことが多い。というのもここ数日、子供についてのニュースでロクなものがない。ロクなものどころか、あまりにひどすぎる。胸が痛むくらいじゃ済まない。親による虐待死なんてね・・・もしくは、親が惚れた高校生に、親が見ていたのに殺されるなんてね・・・単純な話だ。子供が親に望むのは、無償の愛である。寂しい時・悲しい時・辛い時に、ただただ抱きしめてくれる温もりだ。「私は、私の全てを賭けてお前を守る」っていう、言葉なんかよりもずっと激しい、その想いだ。そしてきっと、それは世界で一番清らかなものに違いない。僕はそう信じてる。例えそれが、キレイ事だろうが何だろうが。子供が親に愛情を望んで何が悪い?いったい彼らがどんな悪いことをしたって言うんだ?命が途切れる瞬間、彼らは親の顔をどういう気持ちで見ていたんだろう?ねぇ神様。アナタは間違ってます。こんなこと許されることじゃないし、起こっちゃいけないんだ。ねぇ神様。でも現実的に、世界中で起こってしまってるんですよ。どうして何もしてくれないんですか?非力で他力本願の僕には、もう祈ることくらいしか出来ないんです。アナタの救いを夢見ることは、間違ってますか?
2003年02月20日
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さて、いよいよ選挙が近づいてきた。。二枚目党の党首であるモトキチは、マニフェスト作りに余念がなかった。彼の理念は、シンプル・イズ・ベスト。公約だってズラズラと無駄に並べたりはしない。細かいことをゴチャゴチャ言わない、という彼のモットーがそうさせるという面もあるが、党員が自分一人しかいないから色々は出来ない、というのが真実である。しかし、公約が一つだとしても、心配には及ばない。彼の掲げる公約が実行されれば、現代日本が抱える問題の多くが解決されるのだ。二枚目党のマニフェストは、以下のものである。「重婚を認める」もうこれしかない。これさえ出来れば、日本の未来は明るい。まず何が変わるって、出生率が上がりますね。これはもう間違いない。なんなら実証してみせたっていい。だいぶ前にさる厚生大臣(変な髪形)が「残業を失くして亭主を早く家に返せば、出生率が上がる」と言っていたが、あれは間違いだ。上がるわけがない。上がるとしたら、離婚率だと思う。詳しくは言えないけど、僕は実証済みだ。出生率が上がると単純な構造として、年金問題が明るい方向へ向かう。そうなれば、あんなおかしなテレビコマーシャルだってやらなくて済むじゃないか。「年金は、かければ必ずもらえる」だってさ。馬鹿じゃなかろうか。あのねぇ、年金もらえたって、そのために訳のわからない税金の上げ方なんかされりゃまったく意味なんて無いんだよ。支払額と受給額のバランスを問題にしなくて、何をPRしてるんだ?そもそも、国が言うことを信じる方がどうかしてるのだ。まあいいや。話を戻そう。重婚を認めると、ラブホの利用率なんていうのも上がりそうですね。だって今までコソコソしなくちゃいけなかった人が、堂々と使えるからね。するとラブホの建築ラッシュになり産業が活性化します。新しいラブホが出来る以上、従業員だって必要になる。雇用問題も明るくなってきますねぇ。さて、重婚を認めると、離婚が減りますね。これは当たり前。しかし、これで司法改革も出来るんですね。つまり、民事の弁護士が供給過多になるわけです。離婚訴訟がなくなりますからね。すると、弁護士としても食ってかなきゃなんないから、刑事のほうへ流れたりするわけです。ヤメ検、と呼ばれる方々も検察を辞めることもなくなるでしょうね。するとどうでしょう。刑事裁判のスピードアップ化が図れると言うことになりますね。例えばオウム事件だって、こんなにかかることなんてありっこないのだ。裁判の活性化に伴い、全国に数万いると言われる司法浪人の方々も、今までのようにうかうかしていられなくなる。司法制度を変えてでも(今やってる程度では手ぬるい)、司法の現場に入っていただく。いいですねぇ、労働人口が増加しますね。またまた年金に明るい兆しが見えてきちゃう。ね、日本の未来が明るくなってきたでしょ?さらに言えば、警察官の数だって増やさなきゃなんない。何故かって?理由は簡単。裁判官や検察官や弁護士が増えると、みんなで事件を奪い合うということになる。すると警察だって黙ってるわけにはいかないじゃないの。「もっと事件を!」なんて標語を作って、犯罪者増加キャンペーンをしたりしちゃう。これもラブホ同様、刑務所の建設ラッシュがやってきますね。受刑者にも、年金は払っていただく。いいねぇ。刑務官だって増やさなきゃなんないでしょ?雇用もアップだ。めでたいめでたい。ほら、重婚を認めるだけでこんなに未来は明るい。今からでも遅くはない。各党とも「重婚を認める」ってマニフェストに追加するべきだと思う。僕なら、まず間違いなくその党を支持しますね。そういう人は、僕みたいに公言するかどうかはともかく、けっこう多いはずだ。
2003年02月19日
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