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週末になると我が家の嫁はんの口からは「どうしようかねぇー」の独り言が頻繁に発せられる。それは週末をどう過ごそうかとか、定期預金をどの銀行に預けようかとかそんな悩みではなく、何のことはない、向こう1週間の献立の事。しかしそれは、我が家にとっては会社で言えば定例役員会議に匹敵するほどの重要なものなのである。この嫁はんの「自分内会議」には、たまにおいらやA美も意見参考人として召集される。しかしここで「何か食べたいものある?」という議長の質問に対し、「何でもいいよ」とか「別に」といった類の発言は決して許されない。家族構成員たるもの常に当事者意識を持ち、人任せではなく自らが家計を切り盛りしているという目線で運営に参加する事を要求されているからである。しかし会社における経営参加でもそうであるように、例えば、「たまにはグラタンが食べたい」とか「こないだネットで見たこういう料理を食べたい」とか積極的に企画を提案しても、「それは弁当のおかずにならないから」だの「それは面倒くさい」などという理由で、おいら達の意見は結果的に嫁はんの独断でおおかた却下される。自分の意見を合理的・理論的に通すのは会社以上に難しいものがある為、たまに自分の意見が採用された際には、会社で企画書が通った時ほどに生きがいを感じる事がある。かくして決定した1週間の献立は、まるで料理の鉄人の道場六三郎のごとくお品書きとして書にしたためられる。(「書」のサンプル)そしてそのお品書きに基づき、1週間分の食材が調達され、それは週末までの1週間をかけて極めて計画的に消化され、果たして週末には冷蔵庫が完全に空となる。そんな完璧なまでの購買在庫コントロールがなされているのが我が家の家計なのである。この人にかかれば、レストラン食材原価率10%もあながち夢ではない。我が家ではこのように、計画的な台所運営がなされている為、期間中の計画変更には厳格な事前申告が要求されている。仮に外出の用事や接待商談などが理由でおいらの弁当や夕飯が不要になった場合、嫁はんの脳内会議において即座に計画変更、すなわち献立の再構築が行われる。例えば弁当が不要になった場合、弁当不要→前夜のおかずの弁当転用の必要性回避→→汁物・鍋系など簡単かつ単価の安い料理の採用→→メニュー変更最終決定→食材変更→食材の冷凍処理やリメイク、常備菜などへの転用→食材在庫繰越残高修正→翌週の調達量下方修正→預金残高上方修正このようなフローチャートが彼女の脳内で瞬時にプログラミングされ、週末に向けての期中計画変更が家計及び台所運営の生産性に影響を与えぬよう最大限の考慮がなされるのである。ちなみにこの事業計画変更は、「近所の奥さんが魚を分けてくれた」「賞味期限切れのパンがたたき売りされていた」このような場合にもしばしば実施される。上記の通りの厳格な運営体制のもとでは、直前の計画変更が発生する場合、まるで契約期限や支払期限を直近に控えた稟議書を社長に持ち込むサラリーマンのように烈火のごとく叱責される。ましてや申告なしでの「弁当いらなかった」とか「夕飯食べてきた」などは言語道断。戒告、場合によっては懲戒解雇(離婚)に匹敵するほどの背任行為と見なされるのである。そんな中、先日、予期せぬランチミーティングが開催される事を知らされ、当日持参した弁当が不要になってしまった。弁当を持ち帰って自宅で夕飯として食べてもよかったのだが、そうなると直前の事業計画変更となり、台所運営及び在庫管理に影響を与えてしまう事となる。そう思ったおいらは、咄嗟の判断でI子ちゃんにおいらの弁当を食べてもらう事にした。I子ちゃんは「えっ?いいんですか?やったー」と、喜んでおいらの弁当を引き受けてくれた。(当日は別のメニュー)そこでおいら、この事実を嫁はんへ事後報告するなり、I子ちゃんへ口裏あわせをするなりの事後処理をきっちりしておけばよかったのだが、業務に忙殺されてそれを失念してしまった。うっかり八兵衛以上のケアレスミスである。翌日、嫁はんから「昨日のお弁当美味しかった?」と訊かれ、普通にうなずくと、「ふーん、そうなの」という意味深な返事。実はその日、嫁はんがI子ちゃんに職場でバッタリ会った際に、「お弁当美味しかったですぅー。ありがとうございましたー」とお礼を言われたらしく、おいらの虚言がすっかりバレバレになっていた事が明るみに出てしまったのであった。A美は「優しい嘘」とかばってくれたのだが、弁当資産譲渡にも計画的な戦略と正直な報告が必要だ、と悟ったのであった。
2012.02.25
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もたもたと帰省日記シリーズをひと月かけて綴っていた結果、いつの間にか2月も半ばになっていた。いかんいかん。もっとヤップーンの話題を提供しなくては。という訳で、今日は昨日初めてチャレンジした、ヤップーンのもうひとつのタイ料理屋の話題を。先日から、日本の上司のご子息Soくんがヤップーンに遊びに来られており、彼とI子ちゃん、そしておいらの家族と一緒に夕食をとったのがこの「Thai Tanee Yeppoon」である。ここはロッキーに本店があり、好評でヤップーンに支店が出たという事実に違わずどの料理も非常に美味しかった。今までよく通っていたもう1軒のタイ料理と肩を並べる、いや、もしかしたらそれ以上に美味しかったかも。しかもこの日のサービス担当は、元うちの和食レストランのスタッフに、今の職場仲間の娘さんとほぼ「身内」。まるで我が家にいるかのようなアットホームなサービスでとっても「美味しい時間」を過ごさせてもらった。楽しい食事の後、SoくんとI子ちゃんには我が家まで足を運んでもらい、テラスで蚊に刺されながら夜中の1時近くまでよもやま話に花を咲かせる事となった。実はおいらが15年前にヤップーンに住んでいた時、Soくんも当時駐在員だった上司(彼のお父さん)とともにヤップーンに暮らしており、今回は実に15年ぶりの再会、であった。しかしその当時Soくんはまだ小学校低学年で、彼の当時の記憶はほんの断片的なものだったのだが。そんなSoくんも、今では外見や表情の一つ一つが「お父さんそっくり」になっており、まるでその上司と話をしているかのように錯覚しそうになるほどであった。唯一の違いは、お父さんほど鹿児島弁がキツくないという事だけだった。Soくんは春からの就職を前に、かつて自分が育ったこのヤップーンの地を卒業旅行先に選び、その断片的な昔の記憶を繋ぎ合わせる旅、をしている真っ最中。おいらや嫁はんとの会話を通じて、当時お世話になった人たちの事とか、その頃に食べた移動販売車のパイの味とかを思い出す度に本当に懐かしそうな表情を見せた。そしておいら達も、Soくんのそんな自分探しの旅の手伝いをする事が出来て非常に嬉しかった。なんだか、こういう目的の旅もいいもんだなぁ、って思った。おいらも、もし今そういう機会が持てたら、学生時代に住んでいた京都の街や、東京で働いていた頃に暮らしていた千歳烏山の街なんかを、もう一度ふらっと徒歩や自転車で散策してみたい、と思ったのだった。A美も大きくなったら第二の故郷となるであろうこのヤップーンの町をいつか訪れて、ノスタルジーに浸りたくなるんだろうなぁ。ふふ、しかし、キミのヤップーンの生活、いや今までの人生は、キミ自身を含め、全世界の人がこのブログを通じて知っているのだぞ、しかも何と画像つきで、と言いたい意地の悪い父親のおいらである。
2012.02.18
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