PR
キーワードサーチ
カレンダー
コメント新着
今日は粗削りなる 自己分析
をしてみます。なぜかと言うと、何かしら書きたい衝動に駆られてはいるのだけれども、ブログに書こうとしている ネタがつんでいる
(※ネタがナッシング)状態だからです。
辺境の地にふらりと旅に出て、道に迷ってしまう。さてどうしようか?
周りには人も案内図もないし、とりあえず、勘で進んでみようとしている状態に酷似しているのかもしれません。
あとはtwitterで、自己紹介を活字中毒者にしているのも手伝っています。
だから、フロイトのような心理学の観点から論ずる立派な 『 自己分析
』
を期待されると困ります。期待していないか。ここまで書いてきて、行き当たりばったり感が頭を支配しているので、『 事故分析
』の方が正しいでしょうね。
くだらない前置きはここまでにして。
『 活字中毒者
!』を自称しているからには、それなりの覚悟と複雑な理由があるのではないかと思われそうですが、実は単純明快なんです。猫でもわかります。言い過ぎか。
ここでは活字を書籍とします。
過去、自分なりの名著と出会って人生救われた。
のような美談や、
書籍を一日平均、六冊読んでいないと、日中、貧乏ゆすりが止まらなくなってしまう。
といった特異的な依存性があるわけではありません。
単に、 他のツールよりも自発的に求めようとするポテンシャルが高いからです。そしてアナログであるから。
この表現が正しいかは置いておきまして、他のツールとはTV、GAME、映画、アニメ、音楽、ネットに相当します。
なので、決して軽んじているわけではありません。
しかし、それらのツールは他者からの影響が非常に強いです。
手放せなくなっているネットも、他者とのコミットに重点を置いているので、つまりは他者からの影響が強い。その他TV、GAME、映画、アニメに至るまで、誰かしらの反応を伺ってから、試してみるケースが多い。
ですが、書籍は違います。 書籍を選んで読む時はどこまでも我儘になります。
ブックレビューも、勧められた本も、素直に受け入れて買おうとしないです。あまのじゃくも真っ青な性格ですね。自慢するな!
買い込んでから、実際手にとって読むまで数年かかったりする。買ったDVDを何年も放置しておくことはまずありえません。書籍を読み終わるまでの時間やら、価格の差異にも関係してきますが、やはり自発的に購入した経緯が大きいのだと考えています。
又、 アナログ趣向が残っているのも事実です。
例えばGAME、ファミコン世代の僕が、ハード、ソフト共、飛躍的に発達したプレステ3用のソフトをやってみた場合を考えます。そのグラフィックに感動するものの、ファミコン用のソフトをやっている時にあった執着心は薄れてきています。無論、感受性が薄れてきて、好みが固定されていることも否定できません。
デジタル化してもっと楽しめるようになったネットや、映像作品もありますが、前述したように、他者の影響が色濃い。
しかしながら、書籍はいつまでもアナログです。戦前、戦後の娯楽から、学の向上まで幅広いニーズがありながら、いつまでもアナログ。このギャップに胸キュンです。
僕の持っている感受性や好みを無視してまで受け入れられるのが書籍です。もちろん、最後まで読めなかった本も沢山ありますが、読もうとする(やり遂げる)努力は他のツールよりも力を注ぎます。
まだ終わりませんよ(―ω―)Vニヤリ
記憶の密度という観点からすれば、残ったTVを棚に上げてみます。
TVはエンターテイメント性を重視している分、見終わったら目にもとまらぬ速さで頭の中から逃げてしまう。あるいは逃げていかないまでも、要点だけを知っているだけの、足元がぐらついた記憶がみにつく。その点、書籍から得た記憶は逃げ足が遅いです。それは、読書の持っている、能動的ベクトルが強いからという点があるからだと思います。
最後に、これを書いている途中で思いました。
そもそも書籍とTV、GAME、映画、アニメ、音楽、ネットを比較して考えるのは、力士とボクサーを戦わせて、どちらが強いかを競わせているような感じですね。ナンセンスというか身も蓋もない思考というか。ただ、どれだけ活字中毒なのかをアピールするために、そのような表現を用いたことを了承ください。そして、TV、GAME、映画、アニメ、音楽、ネットがダメだといっているわけでもないことをご理解ください。
そんな感じで今日も、『活字中毒者!』を自称しているわけです。
新年初めての書き込み 2011年01月09日
でかいものをあつめてみた 2010年12月25日 コメント(4)