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今日は、同部屋に残った3人のうち、景徳鎮に留学中のH君が江西省で起きた地震の影響で、状況を確認のため滞在先の寮に帰ることになった。旅行を中断して南昌に飛行機で飛んで、寮に戻り退学の手続きをするという。退学は、地震とは関係ないのだが、大理に戻って寺に長期間こもり、カンフーを習得したいとのことである。また、以前からオファーしていた、バンコク発オーストラリア行き航空券について、動きがあったので、度々ネットカフェに行って、メールしたり確認作業を行った。希望していた、12月の16-18日の出発が厳しめのキャンセル待ちで、19日は押さえてあった。ただ、12月1日までに入金して、発券する必要があったので、このさい12月19日出発で、戻りは2月15日として、予約を確定させた。そして、日本にいる妹にメールして、振込先と金額を伝え、父親に郵便局に行って、振り込んでもらった。12月19日 バンコク-シンガポール12月20日 シンガポール-パース2月15日 ブリスベン-シンガポール2月16日 シンガポール-バンコク60日のオープンチケットで、74782円。見積りよりも9000円ほど安い請求書がメールで届いていた。ちなみにフライトは、行きが、SQ973-SQ225 帰りが、SQ246-SQ60いずれも、夜出発の朝到着で、乗り継ぎ時間も3時間ほどだ。しかも、今回はEチケットという種類なので、予約の記録を自分でプリントアウトして空港でチェックイン出来るという、便利な航空券だ。つまり、旅行会社に行かずして、予約から航空券の獲得までネット上で全て完了出来るということになる。おかげで、バンコク市内に行かず、しかもベトナム(ハノイかホーチミン)からバンコクに飛び、そのまま乗り継いで、パースまで行けてしまうのだ。かくして、今後の日程がほぼ確定した。12月2日 昆明-南寧(3日に宿泊)12月4日 南寧-ピンシャン(泊)12月5日 ピンシャン-国境越え-ドンダン(ベトナム)-ハノイ12月19日 ベトナム-バンコク-シンガポール-パース(12月20日着)ベトナムには、ノービザで15日間一杯滞在可能な日程であるが、ベトナムが気に食わなかったら、バンコクに前倒しの可能性もある。。。とにかく、ようやく昆明から出られそうだ!
2005.11.30
昨夜は、結局2人が最後まで残って、朝帰りとなった。M君は、お持ち帰りに成功したようで、うまくいったようだ。もう一人の彼はディスコ内で1対1まで持ち込んだようだが、そこまでだったようだ。今日は、大理の菊屋で焼いてもらったCDから現像に出した。コダックの代理店のような写真屋で、店内のPCでおばちゃんと一緒に、画面を見ながらプリントしたい写真を選んでいった。結局、ポストカード位の大きさで25枚オーダーした。1枚1元なので25元だ。ワンサイズ小さいものだと、0、8元だ。16時に仕上がった。やはり日本と比べると多少粗い写りだ。まあこんなもんだろう。日本の家族に送る写真と、自分用に写真を仕分け、郵便局へ向かった。ここでは、CD1枚と写真を15枚ほど封筒に入れ、16元分の切手を買い、窓口に提出した。事前に、おばちゃんが中身をチェックしたので、もう開封して再度チェックされないはずだ。とにかく、10日後位には、無事日本に着いてほしいものだ。宿に戻り、夜になると5人がチェックアウトしていった。3人は河口に行って、うち2人はベトナムのサパに向かう。1人はシーサパンナに行くとのこと。3人とも、夜遊びにかなり期待している様子であった。1人は元陽という棚田で有名な町に向かった。4人は同じタクシーでバスターミナルへと向かった。もう一人のTさんは、23時の列車で大理へ向かった。そして残りは4人となった。M君と私は、一緒に夕食に出かけた。中華にお互い飽きたので、近くの洋食が食べられるレストランに行った。ハワイアンピザと、ビーフペッパーライスを頼んだ。大理で食べたピザとは違ってとても美味しかった。ビールを飲みながら、お互いの身の上話となった。M君は私より1つ年下で、大学を中退後1年半ほどリーマンをして、その後俳優の道を歩み、タイで1年滞在した時には、モデルの仕事をしたりして、資金を作りながら、今は3月までのんびりしているという。そして、4月からは再び日本で活動予定だという。彼の第一印象は、192cmと長身でガタイが良く、イマドキのイケメンといった感じだった。こないだ、各種映画のDVDを5万円分(1枚約6元500枚強)も買い込んでいた理由がやっと分かったのだ。昆明に留学中には、中国人学生が賭け事で負け、腹いせに複数の中国人学生を殺したとか、日本人留学生がガス漏れのせいで、朝起きたら死んでいたとか、色々なことがあったらしい。彼は、普通の旅行者と違って、観光もしなければ写真も撮らない。この後はタイに向かって1ヶ月位、のんびり遊ぶという。やはり、この時期の旅行者は、様々な事情というかタイプがあって、面白い。
2005.11.29
昨日の夜、新たに2人の日本人がチェックインしてきた。また、成都で一緒にパンダを見に行った、Tさんと再会した。彼女は、ラサにしばらく滞在した後、昆明までシャングリラ経由で飛んできたとのこと。今日は、郵便局と写真屋へ下見に行ってきた。日本の家族へ、デジカメの写真の入ったCDと、現像した写真を送るためである。値段を確認し、封筒も売られていたので、明日の午前中に現像に出して、午後の仕上がりの後、郵便局で郵送することにした。せっかく撮った写真が、何らかのトラブルで紛失した時の備えとして、CDは2枚焼いて、うち1枚を日本へ送っておけば万全である。さて、今夜は茶花賓館併設のレストランで、雲南衣装を着た踊りやショーを見ながら、食事をした。雲南名物の米線と中華料理を頼んだ。このレストランも7年ぶりだ。一人25元とか30元位になった。その後は、日本人7人でディスコへ行ってきた。昆明に留学経験のあるM君が主導のもと、2台のタクシーに分乗してディスコへ向かった。2つのエリアのうち、1つめは店数が少なく、また予約で一杯だったので、もう一方のエリアへタクシーで行った。こちらは、欧米人が泊まっている安宿や繁華街に程近いエリアだ。店数も多く、とりあえずこのエリアに決まった。M君のおまかせで、1軒目に入った。この店は、9月の中国東北地方の旅行中、丹東という北朝鮮との国境の街で行ったディスコと似ていた。セクシーな格好をした中国人ギャルが、店内の何ヶ所かのお立ち台で、音楽に合わせて踊っている。まだ、22時前だったためか、客で踊っている人はいなかった。みんな各々のテーブルで飲んでいた。我々は、とりあえず100元で缶ビール12本のセットを頼んで、適当に飲んでいた。あまり盛り上がっていなかったので、店を変えることにした。2件目はまずまずで、同じように100元で缶ビール12本のセットを頼んだ。ダンスフロアでは、数十人が踊っていた。我々もその輪の中に入った。このエリアのディスコにはトイレがなく、近くの汚い公衆便所で2角(約3円)払って用を足さなければならない。綺麗な格好をした中国人の男女が、汚い便所の受付でお金を払って。。中には、ニーハオトイレ(ドアなし)で踏ん張っている輩もいた。最新のディスコに通う小奇麗な若者が、クソ汚い公衆便所で用を足す。なんだか、このへんが中国らしいところだ。ほどほどに楽しんで、店を出ることにした。平日だし、それほど盛り上がっていた訳でもなく、また音楽も単調で飽きてしまった。M君の提案で、ここからは自由行動となった。私ともう一人は歩いて宿に帰った。残りの5人は、タクシーで最初に行ったエリアに再び向かった。話の続きは、明日のブログにて。
2005.11.28
今日は、今後の予定を立てるために、ガイドブックを読んだりネットをしたりした。また、手洗いで洗濯をしたのだが、手で思い切り絞りすぎたのか、2ヶ所ほど手にマメが出来てしまった。。ネット屋にて、バンコクからパースinブリスベンoutというシンガポール航空で60日オープンのチケットを、メールにて日本人スタッフがいる代理店にオファーした。値段は、総額で約28,000バーツだ。そのうちの3割強が、航空券代以外の諸経費(各種税金や燃料費)となっている。これも、思いっきり石油価格の高騰のあおりを受けた結果だ。思ったより、12月15日前後が混んでいて、16日か17日出発のリクエストをしておいた。なぜなら、各航空会社の空席状況が自分で調べられるサイトを見つけ、事前にチェック出来たからである。おそらく、パースからオーストラリアへ入国してから、情報収集や列車パスの手配等に、結構時間がかかることを想定して、早めにオーストラリア入りをしたいと決めたのである。また、オープンチケットなので、往路も当初の出発日よりも先であれば、変更可能なので、早めの出発日を押さえたいとの思惑である。新しい写真を、当ブログにアップしたり、今後の予定を考えたり調査したりして、結局は3時間ほどネット屋にいた。同宿の日本人も、ベトナムやラオスへ行く人がほとんどである。南国は、もうすぐそこだ!
2005.11.27
今朝は宿でネットをして、それから、大理の町を歩きながら写真を撮った。今日は、1週間以上滞在した大理での最終日ということで、名残を惜しみつつ写真を何枚も撮った。綺麗な山の写真を撮るには、やはり午前中の早い時間がベストだ。今日も、晴天に恵まれて、いい写真が沢山撮れた。部屋に戻り、パッキングをしてチェックアウトした。それから、バックパックをかついで菊屋に向かった。すると、成都のゲストハウス・観華青年旅舎 Sim's Cozy Guesthouse のSimさんとマキさんと娘2人に会った。彼らは、菊屋にポスターを貼ってもらうように挨拶に来ていた。そういえば、今朝、宿のレストランでマキさんらしい女性と娘さんを見かけた。昨日の夜行列車で、昆明から大理入りして、午後のバスですぐ麗江に向かうとのこと。新しい宿なので、営業活動兼視察といった目的であろうか。私のことを覚えてくれていて嬉しかった。大理での最後の食事は、菊屋特製のすき焼き丼とみそ汁を頼んだ。昨夜に、すき焼きを食べた人が絶賛していたので、間違いないとの確信はあったが、その通り美味しかった。食事の後は、菊屋のダンナに焼いてもらったCD(2枚で8元の特価)をチェックして、このブログ用に画像だけ取り込んでおいた。13時15分頃に、菊屋の人たちに別れを告げ、バス乗り場へ。日本語が堪能で笑顔が素敵な奥さんとダンナ、小さな一人息子と、出稼ぎに来ている中高生位の女の子2人。みんな、とても雰囲気が良く、日本人には絶好の憩いの場所となっていた。大理で沈没が快適なのは、菊屋の存在なくしては有り得ないだろう。さて、市バスで大理の駅まで45分ほどかかり、駅の待合室では、すぐに改札が始まった。車内はガラガラで、席は事実上自由席となった。私は6人がけのボックスを昆明まで独占出来た。道中の景色は素晴らしく、また最後尾の車両だったので、車両の連結部がむき出しになっていて、その隙間からはダイレクトに外の景色が眺められた。ほぼ定刻の、20時10分過ぎに昆明へ到着。タクシーを拾おうと試みたが、運ちゃんが「そんな近いところ、行かねぇーよ(推測)」的に断られたので、ムカつき、そのまま歩いて行った。市バスを2回乗れば、目的の宿へ行けるのだが、タイミング悪く1元がなくて、この際だから歩きで行ってみた。推定17kgのバックパックを背負い、殺気立たせながら、早足で宿へと向かった。およそ4キロ弱であろうか。結局40分強かかった。普段、あまり汗をかかない私は、部屋に着いた頃には、汗でビショビショになっていた。たまには、いいだろう。重い荷物を背負ってこれだけ夜の街を歩ければ、怖いものはないだろう。前回と同じ、茶花賓館の306号室は日本人で満室になった。私で8人目である。大理からの顔見知りが半分を占めた。さて、ここ昆明では、ベトナムへの準備・情報収集、バンコク発オーストラリア行き航空券の手配など、これからの旅に向かっての重要な準備期間となる予定だ。
2005.11.26
今日は、ほぼ一日タケさんと過ごすこととなった。朝飯は、昨日会った旅行者が勧めていた麺屋に行って10元もする麺を食べた。先に食事を済ませていた、タケさん曰く美味しかったとのことだったので、頼んでみたがやはり具沢山で美味しかった。朝食を終えると、宿に戻りネットや大きな用事をして、シャワーを浴びた。やはり、お通じが良い中国だと、午前中に大きな用事を済ませないと、一日が始まらない気がするものだ。適当に、写真を撮り菊屋に向かった。テーブルでは既にタケさんがいて、酒を飲んでいた。彼は、夕方から無為寺という所に1週間ほど修行に行くので、その前に酒を嗜んでいるようだった。私はハンバーグカレーを頼んだのだが、とても美味しかった。なんでも、日本とタイのカレー粉を半々ずつ使っているという。タケさんと、NYのこと等について話をして、それから一緒に写真を撮りに行った。湖の方まで歩き、国道を渡り、農作業中のあぜ道を歩いた。やはり、今日の空も綺麗で、いい写真が撮れた。タケさんは、仕事用のカメラではなくキャノンのコンパクトカメラを使っていたが、慣れた手つきで人の写真を見事に捉えていた。宿に戻り、タケさんは無為寺に向かうとのことで、再会を願って別れた。夕食は、再び菊屋へ。安東さんを始め、日本人が大勢いた。安東さんは、21時の夜行で昆明へ向かうという。それで、彼との別れを惜しんで太陽島に泊まっていたメンバーも集まったようだ。彼は、名残惜しそうに去っていった。菊屋のホームページも作ってあげていて、間もなく閲覧できそうだ。今は、シベリア編の原稿を作成中だという。完成して出版されたら、また読んでみたいと思う。同宿のメンバーも明日、昆明へ向かう。7泊した私も、名残惜しいながら、14時半の列車で昆明へ向うことになっている。香港・中国の写真はこちら⇒
2005.11.25
今日は、朝と昼一緒の食事として、鍋焼きうどんを菊屋で食べた。K君とY君は、『ひとつ屋根の下』の続きを見るとのことだったが、私は、自転車を借りて行動することにした。まず、先日訪れた近くの湖に向かった。先日は、どんよりと曇っていたのだが、今日は天気が良く空が綺麗で、写真撮影には絶好の日和となった。青い空と、近くに感じる白い雲。そして、緑一杯の田園風景。カラフルな衣装を着て、畑を耕すおばさん達。取れた野菜をリヤカーで運ぶお婆ちゃん。彼らの集落の路地を、ゆっくりと歩くお年寄り達。それらの姿の背景には、綺麗な山々が見渡せた。良い写真が一杯撮れ、先日のリベンジを果たすことが出来た。その後は、今日のメインイベント。10キロほど離れた大理駅まで、自転車で向かった。明後日の昆明行きの切符を買うためである。もちろん、そのへんの代理店でも買えるのだが、35元の切符なのに、手数料が15元とか20元も取られる。また、大理駅から旅行者が泊まっている大理古城までの間は、両サイドの山が見渡せて、景色が良かったということもあり、また、大理でこれ、といったことをしていなかったので、駅までサイクリングすることにしたのだ。マスクとサングラスを装着し、相当怪しい格好で、15時半頃に出発した。片道1時間位として、日没前には帰ってこれそうな時間だ。道中は、思ったより風の抵抗を受け、なかなかスピードが出なかった。アップダウンも何ヶ所かあって、結局駅に着いたのは17時前だった。数々のバスやトラックの排気ガスを喰らい、また、農作業を終えた農民が馬を何頭も連れ立っていて、自転車道がふさがれたりした。けれども、必死にペダルを漕ぎながら見た山々や湖は綺麗だった。駅の切符売り場は、17時から18時まで閉まるとの表示を見て、慌てて自転車の鍵をかけ、何とか明後日の切符を買うことが出来た。帰り道には、湖に立ち寄ることが出来、また、多くの自転車での帰宅者と競りながらのサイクリングとなった。何とか日没前には帰ってきた。その後K君と、先日O君と食べた砂鍋魚の店に行った。同じメニューを頼んだのだが、この間より美味くなかった。。リベンジすべく、菊屋へ向かった。すると、新たな日本人旅行者4人と安東さんがいた。その中に、NYヤンキースのTシャツを着ていて、NYでフリーカメラマンをやっているというタケさんと出会った。彼は37才で、23才の時にアメリカ人と結婚したが、離婚し10才の娘は奥さんが引き取ったとのことだった。今はロイターに所属し、松井を中心とする日本人メジャーリーガーを撮ったりしているという。その風貌から、私はスポーツカメラマンですか??と尋ねたのだが、見事にその通りだった。偶然にも、このブログのタイトルにもあるように、私もタケさんと同じように、NYに移住する可能性があるのと、野球に精通しているという点で、非常にサプライズな出会いだった。この後、みんなで屋台に出かけ、各自お好みの串焼きを食べた。Tさんは、NYに来たら連絡してくれ、と言ってくれた。あの、砂鍋魚が美味しくて満足してら、菊屋に行かずタケさんとも会わなかったであろう。貴重な出会いとは、本当に紙一重だ。
2005.11.24
今日は、昨日の反動で二日酔いになり、完全休養日とした。朝と昼一緒の食事を菊屋で食べた。麻婆豆腐丼を頼んだのだが、美味しかった。胃が疲れている時は、やはり辛いものの方が食べ易い。食事の後は、部屋に戻り音楽を聴きながら仮眠をとった。起きた後にネットをして、再び菊屋に向かった。二階に上がると、既にK君とY君、そして安東さんがいた。安東さんは、ヒマラヤやシベリア地方をサイクリングして、しかも出版までしたサイクリストだ。彼が、大理にいるという噂は、昆明にいた時に聞いていた。偶然にも、その彼の本を読んだことのあった私としては、是非会ってみたいと思っていた。前日の昼間に、太陽島で既に会っていたのだが、特にオーラのようなものは感じず、普通の35才といった感じだった。彼ら3人は、『ひとつ屋根の下』という、十数年前の大ヒットドラマのDVDを見ていて、私が席に着いた時には、既に第4回目だった。江口洋介、福山雅治、いしだ壱成、酒井法子といったメンバーが出演していて、当時の髪型、服装、眉なんかが懐かしく、黒髪や中分けの爽やかな髪型が新鮮で、時代の流れを感じた。古き良き時代。懐かしい東京、日本。ほんの少し、日本が恋しくなった。そういえば、この旅が始まって、もうすぐ1ヶ月になる。思えば、あっという間だった。結局、我々4人は閉店時間の23時前まで、見ていた。心温まるドラマであったし、日本が懐かしく思え、少し感傷的になった。そんな気分の中、部屋に戻ると、20代前半らしきイスラエル人が4人いた。しかも、彼らは2つのベッドを4人(男1女3)で使おうとしていた。他のルームメイト2人は、既に寝ているのにも関わらず、彼らは普通の声量で永延と話しこんでいた。痺れを切らし、後から来た2人に、部屋は無いのか??と聞いてみた。すると、ネズミが出たから、この部屋で寝たい、とのことだった。それじゃあ仕方ないか、とその時は思った。翌日、この事をK君に話すと、俺なら追っ払うよ、と言っていた。でも、私は争いごとが嫌いだし、無駄なエネルギーは使いたくないので、騒々しい位なら我慢しようと思っていた。ドミで寝る以上、うるさい位は想定内だが、まさか4人で2つのベッドを使うとは、想定外であった。結局、彼らの会話は1時半位まで続き、私はオーストラリアの歩き方を読んで過ごした。真夜中に他の部屋から移動してくるなんて。さすが、多くの旅人から不評を買っているイスラエリーだ。
2005.11.23
今日は、K君とY君と3人でサイクリングに出かけた。こういう日に限って、朝から雲が多く、大理に来てから一番天気が良くなかったのが残念だった。一人200元のデポジットと、10元のレンタル代を支払い、いざ出発!3人ともママチャリを借りた。まず最初は、湖に向かった。大理の中心地からは近そうに見えるのだが、意外と距離があった。麗江まで160キロという道路を横断し、その後真っすぐな道を走り、出発から20分ほどで到着。道中は、ローカルな馬車やバス、トラックの往来が見られた。また、湖の対岸にそびえる山々と、その傾斜に立つ家々が、いい味を出していた。天気が良ければ、なおさら綺麗な景色だっただろうに。。湖では、対岸まで遊覧船が出ているが、100元もするので断念。そのまま来た道を戻り、3つの塔が立つ寺に向かった。この三塔は7年前に見たし、また入場料もバカにならないので、外から写真を撮るだけにした。ここで、K君が昼寝andお疲れタイムということで、先に帰った。Y君と二人で、更に北へ走ってみることにしたが、じゃり道がヒドくて断念。このじゃり道は、7年前から変わっていなかった。やはり工事する余裕はないのだろうか。。観光客が集まる通りは、立派過ぎるほど美化されていたはずだが。このやり方が中国らしい。見た目重視というか、何というか。。Y君と山の方に向かって、坂を上ってみた。やはり、見下ろした景色は素晴らしかった。自転車を返した頃には、ちょうどポツポツと雨が降ってきた。すぐに止んだのだが。その後、2晩浴びなかったシャワーを浴びた。中国人だって毎日浴びないし、しかも寒いし汗もかかないとの理由だ。すっきりした後は、一人で菊屋に向かった。麻婆豆腐丼を食べながら、ミャンマーとオーストラリアの歩き方を読んでいた。すると、西洋人の男3人組が私の隣のテーブルに着いた。お互いの国籍くらいの会話しかしなかったのだが、お互いの勘定が終わると、「これから一緒に飲みに行かないか?」と誘われた。2階にいたY君も誘ってみたが、彼は断り、私だけついていくことにした。せっかくの機会だし、久々に英語が話せるから行ってみるか。そう思って彼らと飲みに行った。お互い同じユースに泊まっていて、その近くのビリヤードとサッカーゲームが併設されているバーに行った。ここには、おしゃれで金持ち風の中国人が結構遊びに来ていた。彼らは、陽朔で出会ったらしく、広州・昆明・大理と一緒に旅をしているとのこと。声をかけてくれたアイルランド人の彼は、23才(もっと年上に見えた)で4月から就職する大学生。半年近く中国と東南アジア、インド辺りを旅するらしい。スウェーデンの彼には旅の詳細は聞かなかったが、19才の時にインドを旅したらしい。あまり笑わず、流し目系のクールな男だ。コロンビア出身の彼は、親父の仕事のきっかけで11才の時にアメリカに移住したとのこと。今は、ノースカロライナの大学に通っているとのことだった。小柄で、ちょっと高めな声で話す流暢な英語が印象的だった。東京にも行ったことがあると言っていた。隣の部屋にいて、数日前に出て行った、深夜までバカ騒ぎしていた西洋人たちとは違って、結構まじめにというか、色々なことを感じながら旅をしている、という雰囲気が彼らから感じ取れた。結局、2時前までビール瓶を片手に、彼らと語っていた。3ヶ国の若者と色々と話せて、有意義な夜となった。これだから、旅は面白い。
2005.11.22
今朝、深夜まで騒いでいた西洋人が一斉にチェックアウトした。これで、今夜は快適に眠れそうだ。さて、O君と太陽島に昼食を摂りに行ったら、成都のゲストハウスで会ったK君と再会した。彼とは、ベトナムに行くルートが同じだったので、タイミング的に大理か昆明で再開出来れば、と大理の四季客桟に泊まることを決めていたのだが、彼は麗江からのバスが、太陽島の近くに着いたらしく、四季客桟は遠いとのことで、断念したらしい。ちょうど、彼が四季客桟に向かうところだったらしく、偶然タイミングが合ったということである。3人でカツ丼を食べ、その後、近くの公園でO君のサッカーボールを使って、軽く遊ぶことにした。みんな運動不足の解消が出来て、爽やかな気分だった。宿に帰り、今度は卓球をすることになった。その時、中庭の二階から声がかかった。昆明のユースで一緒だったY君だった。彼は、先に麗江に行ってから、大理に来たらしい。そして、4人で順番に卓球をした。夕食は、久しぶりに洋食を食べようということになり、繁華街の中でも繁盛してそうな店を選び、瓶ビールとピザ2品とポテトフライを頼んだ。ビザが思ったよりも小さく、満腹にはほど遠かったので、パスタを2品追加注文した。このパスタも、具は多かったがパスタが少なく、我々の腹は満たされなかった。仕方なく、菊屋に行って食べ飲み直しになった。私は坦坦面を頼んだのだが、これがまた美味しかった。今日は久しぶりに運動が出来て、また4人揃っての賑やかな食事を満喫出来た1日だった。
2005.11.21
昨日の夕食は、O君の希望で、太陽島という日本食が食べられるレストラン兼日本人用の安宿に行った。そこは、古い日本の本や情報ノートが置いてあった。私は生姜焼き定食と野菜スープを頼んだ。生姜焼きの味は絶品だった。下手な日本人が作るより、よほど美味しいと感じた。さすがに、生野菜には手をつけなかったが。。。ところでこの宿は、その筋の人にとっての溜まり場となっているようで、ちょっとタバコとは違う煙たい匂いがした。私は全く興味はないので、関係はないのだが、深夜にも関わらずトラップしやすそうな曲が大音量で流れていた。ここは、日本人の沈没者用の宿となっているようだ。そういえば、昼間から通りにしゃがみ込み、ボーッとしていたり、挙動不審なことをしながらキョロキョロしている日本人らしき若者がいた。昨夜は、隣の部屋の西洋人が3時位に帰って来て、大騒ぎをしていたので、またしても良く眠れなかった。さて、今日のランチはこれまた日本食レストランの菊屋に行った。中華料理に飽きてきた私は、ナポリタンを頼んでみた。味はまあまあだった。この菊屋の利点は、20元以上食事をすると1時間ネットが無料で使えることだ。(PCは無人の2階にあるし、別に店員のチェックはなさそうだが。。)ラッキーなことに、このPCはCDが再生出来るので、成都で焼いた写真を当ブログにアップする作業が行えた。宿のネットは終日無料なのだが、CDが5台ともCDが使えないので、菊屋のPCは非常に役立った。おまけに、画像編集ソフトを勝手にダウンロードして、画像をリサイズしてアップすることが出来た。この作業が出来たことは、非常に有難かった。なぜならば、中国にはネットカフェが多数存在するが、CDやUSBが使える所が皆無に等しいからだ。晩飯は、砂鍋魚という大理の名物料理を食べに行った。湖で獲れた鯉を豆腐や野菜とともに鍋で煮込んだ料理である。これが20元。ご飯と、お馴染みのトマトと卵の炒め物を2人で食べ、27元。日本人受けしやすい味で、とても美味しかった。宿に帰り、大理ビール(1瓶650mlで5元)を飲んで体を暖めて寝た。もう何日か、こんな生活が続きそうである。
2005.11.20
今の5人部屋は、道路に面しているため、車やバスが通過する度にうるさい。中国の朝は当然早く、そのノイズで早く目が覚めてしまった。7時前だったが、まだ日が昇っていないようで、日の出も見てみようかと思った。部屋の前に階段があり、2階に上がると小さな踊り場があって、周りの山などが見渡せる。ただ、建物が邪魔してサンライズは見えそうになかった。それではと、大理の中心地を歩いてみた。さすがに人出はまばらで、時より早起きした中国人観光客と、わずかな現地人が歩いているだけだった。サンライズ自体は見れなかったが、それが山に映える光景は素晴らしかった。しばらくすると、青と白の、後ろにDLYZの文字が入ったジャージを着た中学生が大勢いた。彼らは、通りの出店や小さな飲食店で、一様にナンに少々のおかずや、まんじゅうなんかを大挙して食べていた。その光景は、非常に新鮮で、思わず何枚も写真を撮っていた。綺麗な山々と湖に囲まれた小さな田舎町の中学生が、みんなで同じような朝食をとっている。一昔の日本も、こんな光景が見られたのであろうか。朝から、ちょっと清々しかった。私は、綺麗な山に近づいてみたくなり、歩いて山に向かってみた。宿から、ちょっと坂道を上っていくと、じゃり道に変わり、馬車が何台も止まっていた。客引きを無視して、しばらく歩いてみた。そこから眺めた山は、やはり綺麗で壮大であった。また、山と反対方向を見渡すと、大きな湖と山々が、これはまた素晴らしかった。大理の中心地へと戻り、しばらくブラついた。そこには、土曜日ということもあり、中国人観光客が大挙して押し寄せていた。そして、7年前には無かったような土産物屋、ファッションショップ、レストラン等々がズラりと並んでいた。逆に、7年前のお気に入りだったチベタンカフェは、無くなっていた。やはり噂通り、かなり観光地化が進んでしまったようだ。それはそれで、仕方ないので、昔から変わっていない素晴らしい自然と、現地の人達、路地なんかに目を向けていきたい。それにしても、天気が良く、近くに感じる青空と山々が素晴らしかった。これだけは、7年前と変わってはいなかった。
2005.11.19
今朝は、同部屋のO君と6時半頃に起き、荷造りをしてチェックアウト。タクシーで昆明駅まで行った(10元)やはり、北京より数千キロも西に位置する昆明の日の出は遅く、7時過ぎても暗かった。駅の待合室はとても広く、綺麗だった。同じ電車を待っている人民も少なかった。お互い大きな用事を済ませ、8時前に乗車。私は1号車でO君は隣の2号車だった。今回は、硬座でエアコンなしの車両でボロいが、その分大理まで35元と格安だ。私の座席は4人掛けのボックス席だが、運良く2人のみだった。他は満席なのに。列車は30分ほど遅れて、14時20分頃に到着した。道中は、緑豊かな段々畑や、大昔から変わっていないような集落、湖やガラガラの昆明からの6車線高速道路、トンネルや山々を眺めることが出来た。中国人の子供が催したのか、各ボックス席に備え付けのゴミ箱に向かって、小便をし始めたのには興ざめした。デッキに行けばトイレはあるのに。。。。大理駅からは、8路の市バスに乗り、大理古城へと向かった。大理駅は、下関という地区にあり、安宿やレストラン、土産物が集まる観光スポットは、大理古城という地区にある。そのため、45分位バスに乗っての移動となった。(1元)バスの車内からは、綺麗な青空と、山々、湖が見えた。7年ぶりに大理へ訪れたが、やはり当時の旅で一番気に入った場所なだけあって、その美しさ、のどかさは変わっていなかった。終点でバスを降り、目的の宿・四季客桟(通称No5)まで歩いた。我々は5人部屋のHルームを指定した。昆明で会った人から勧められたからだ。1泊ユース会員価格で15元と格安。部屋が道路に面しており、ちょっと騒々しいが我慢しよう。早速、荷物を降ろし溜まりまくった洗濯をした。この宿は、ネットと洗濯機が無料で使えるという、有り難過ぎるサービスだ。夜は、O君の希望で、日本食が食べられる菊屋というレストランに行った。私はカツ丼にみそ汁を頼んだが、とても美味しかった。(12元)この店は、日本の本や雑誌が読め、ネットやDVDも利用出来る。部屋に戻ると、隣のベッドでは、早くもアメリカ人が寝る準備をしていた。彼女はシカゴ出身で、この宿は2泊だけして明日の朝に昆明へ向かうという。2・3分話しただけで、彼女はさっさと寝についた。7年ぶりにやって来た大理の町は、かなり近代化が進んでいるが、それでも、独特な過ごし易い、癒しの町であることには変わりなさそうだ。
2005.11.18
昨夜は、同部屋のHさんと中華料理を食べに行った。同じ麻婆豆腐やチンジャオロースでも、ここ昆明の料理は辛い。とても辛かった。米で出来た面料理の米センが昆明の名物料理なのだが、ひとまず、昨日インスタントのものを試してみたが、結構イケた。ただ、カップラーメンと違って、6-9分熱湯に漬けなければいけない。Hさんは、33才で仕事を辞め、4月からかなりの長旅を始めている。東南アジアが好きなようだが、世界各地を5・6年かけて周遊するかも知れないとも言っていた。さすがに、母親には泣かれたそうだが、非常に穏やかで、柔らかい口調が印象的だ。今日やったことといえば、WALMARTで買い物、CDのデータが使えるネット屋探し、中国銀行で両替(レートは最悪の1万円=661元と大暴落)、昆明北駅に行って、ベトナム国境の河口までの列車が再開しているかどうかの確認(案の定、未だ不通。。)、ネットと宿のバーのPCで写真をアップする作業をしたくらいだ。23時位に、また日本人が一人チェックインしてきた。彼は、昨夜の20時にハノイを出て列車でラオカイまで、河口からはバスで昆明まで来たのだが、バスが3時間遅れ、こんな時間のチェックインとなったようだ。しかも、彼曰く、ハノイの宿で卑怯なボラレかたをしたので、腹いせに宿のタオルをパクリ、ベッドにコーヒーと砂糖、塩をバラまいてきたと言った時には、部屋にいた全員が大爆笑した。ベトナムはハノイ・ホーチミンを中心にボリがヒドいらしいが、やっぱり卑怯な手を使う奴には、然るべき報復もたまには必要かと。(単純に、高値でフッかける位なら別に構わないと思うが。。ダマし系は許し難いと思う)そういえば、同部屋のO君は朝早く起きて9時過ぎの列車に乗って大理まで行くと言っていたが、8時14分発の間違いであると私が教えてあげると、間に合わないと諦め、結局は私と同じ明日の列車で大理に行くこととなった。彼は季節外れの学生である。ただ院生なので、もうやるべきことは済んでいるとのことだが。2月か3月位まで東南アジア・インド周辺まで周遊し、余裕があればオーストラリアまで行きたいと言っていた。さて、明日は7年ぶりの大理へ向け出発だ!
2005.11.17
昨夜は、揺れが多く、また寝台ベッドのゴキブリが気になってあまりよく寝れなかった。列車は7時半前に昆明に到着した。かなり西に来たせいか、日の出が遅く、まだ薄暗かった。この超広大な中国大陸。しかも時間は北京時間で無理やり統一させてるから仕方ない。7年ぶりの昆明。駅はやはり見違えるように近代化された建物に変わっていた。あの田舎臭かった駅舎はどこえやら、本当に立派な駅に様変わりしていた。早速、大理までの切符を購入した。明後日の出発で、硬座(一番安いただの座席)で35元。5時間半で着くらしい。バス嫌いの私にとっては、しかも格安でラッキーだ。ちなみに他に3便ある夜行の大理行きは数日後まで何故か完売となっていた。私のは、唯一の日中便、8時14分発である。さて、お目当ての宿・茶花賓館にバスを1回乗り換え到着。7年前とは違い、別館の3階がユースホステルとなっていて、会員価格25元。私の306号室は日本人部屋となっていた。朝早いチェックインのせいか、結果として同部屋のみんなを起こしてしまった。2人は今夜ラオスに向かい、残りの2人は中国を周遊である。今日は、アメリカのスーパーWALMARTに行った。この街には、2軒あり他にカルフールもある。そこで100%果汁のオレンジジュースを2本買った。ビタミンC不足の解消である。あとはネットをやったくらい。部屋でのんびりくつろいだ。それにしても、この旅始まって以来の晴天だ。青空が眩しい。やはり空が近く感じる。この昆明は標高が約1900mあり、ベトナムラオスまで数100キロの距離だ。もう南国はすぐそこだ!!
2005.11.16
書き忘れましたが、昨晩ゲストハウスのマキさんとお話する機会がありました。彼女は、生後数ヶ月の次女を抱きながら、色々と話をしてくれた。この大きな土地は、隣接する幼稚園のものを借りているらしい。そして、オーナー一家は向かいの人民用アパートを借りて暮らしているとのこと。マキさん曰く、中国の医者は金儲けに走り、カゼ引いただけでも3000元とか平気で請求するらしい。すぐ点滴が必要だと言って、入院させるとのこと。まあ、患者の足元を見ているのだろうが、これだから中国の医者には、断じて世話になりたくない。先日、先日幼い子供2人を連れて、九寨溝の下見に行ったそうだが、今度はチベット方面へ下見に行くらしい。高山病とか子供さんの心配をしたところ、逆に子供には影響ないとのこと。しかも、現在はレセプションに併設する旅行会社に家賃だけもらってやらせてるそうだが、2月からはゲストハウス直営での旅行業を始めるとのこと。そのための下見である。また、11月下旬に日本のテレビ局が取材に来るそうである。テレビ朝日の、ポカポカ地球家族(土曜日の18時半~)に、海外で活躍している日本人ということで、マキさんを紹介するらしい。さて今朝も寒かった。幼稚園の、『ドラえもん体操』の音楽で目が覚めた。ゲストハウスで朝食を食べ、昼前にチェックアウト。李さんにタクシーを拾うところまで見送ってもらい、駅まで9元で到着。列車に乗り込むと、今回はさすがに外国人旅行者とは一緒にならなかったが、何と無数のゴキブリと一緒になってしまった。。。寝台の布団の上に1匹。周りの中国人の寝台の上にも、うじゃうじゃと。。。。立派にエアコンつきの車両なのだが、この有様。ゴキブリ列車に乗った記憶はない。。。まあ乗ってしまったものは仕方ないと諦める。さて、列車13時に成都を出発。15時半過ぎから絶景の連続だった。噂には聞いていたが、この路線から見える景色は圧巻だった。険しい山・谷・川、畑や大昔から変わっていないような農村・工場、そこにある家々。また、カーブやトンネルが幾度となく続いた。川も上流に近いせいか、流れが速く、時折見えた渡し船がいい味を醸し出していた。三峡下りは体験したことがないので分からないが、それに匹敵するくらいの見事な景色と川の流れだった。この路線は一乗してみる価値は十二分にあると思う。15時半頃からは、数時間デッキに立ち尽くし、窓にへばりついて写真を撮りまくった。
2005.11.15
今日も朝から寒かった。一気に冷えてきた感じだ。昼めしは、尚太郎君と一緒にいつもの餃子を食べ、彼は西安行きの列車に乗るために駅までタクシーを使った。彼も同じようにリアルタイムブログを作成していて、しかもまだ1年半は旅をする予定だという。また、偶然にもアメリカに住みたいとのことで、アメリカでの再会を願って別れた。見送りを済ませ、適当に市バスに乗って、市内をフラついてみた。川を越えたあたりでバスを降り、交通飯店まで歩いてみた。7年前に泊まったのだが、今はユースホステルの看板を立てていた。見た目は変わっていなかった。そこから、イトーヨーカドーまで歩いてみた。地下に行くと、餅をその場でついて、投げつけながらきな粉をまぶしている光景に出くわした。思わず買ってしまった。3個で3元。甘いタレも、日本ぽかった。そこからは、ゲストハウスまで歩いて帰った。途中、700m位に渡って、携帯電話屋がズラーっと並ぶ通りがあった。そして、沢山のおばちゃんが、電話番号の書かれたリストを配っていた。しかも路地に入ってみると、さらに薄暗い通路に、ズラーっと今度は中古のケータイ屋が無数に並んでいた。素朴な疑問なのだが、それらは合法なのだろうか??30分ほどかかって、ゲストハウスに着いた。ここで、西安から昆明行きの列車で会った、韓国人の李さんと再会した。彼は、九寨溝ツアーに参加していて、先ほど帰ったようだ。そして、彼と夕食を食べに行った。近くの鍋やに入ると、デカい鍋が二つに仕切られていて、辛い味と色んな出汁の味の鍋を囲んだ。具財は、ズラりと並んだ棚から、好きなだけピックアップし、串1本につき1角(1元の10分の1)だ。肉や野菜、豆腐等を取り、鍋に突っ込んだ。彼は、中国語は出来るが英語が出来ないので、それほど会話は弾まないのだが、楽しい夕食となった。彼は、韓国人特有のキツさ(見た目の)みたいのがなく、とても穏やかな人だ。さて、明日は13時発の列車で雲南省・昆明に向かいます。
2005.11.14
追記:11月10日 成都行きの列車でズボンを忘れてきたので、近くのスーパーのようなデパートで、バーゲン品で黒のジーンズのようなズボンのようなものを89元で購入した。今日は朝からひんやりしていて、次第に雨が降ってきた。毎日どんよりと曇っているくらいになら、一湿り欲しいと思っていたら、現実となった。ただ、結構寒くなったのは誤算だったが。。まあ、これで乾燥した埃まみれにならなくて済むのは有難い。そういえば、昨夜ゲストハウスから自宅に国際電話をかけた。2分で7.2元。今までの旅行では一度も自宅に国際電話したことはなかったが、さすがに今回は長旅なので、家族を安心させるために時々かけることにしている。そして、ヨーロッパ周遊旅行中の相方からは時々メールが来るが、東欧諸国は寒くて、しかも飯はマズイし、人々はルーズで冷たく、トイレもインドや中国よりヒドいと言っていた。おまけに体調を壊していたらしい。現在は、ギリシャ辺りにいるのだが、体調が悪いという点と、Momと折り合いが悪くなったらしいので、予定より早い今月の20日前にはアメリカに帰国するとのこと。体調はもとより、精神面が少々気がかりだ。帰国したら、国際電話をかけて久しぶりに会話をしたい。今日は、三国志を読んだりゲストハウス周辺でのんびり過ごした。また、火曜日に昆明へ行く切符を、近所の切符販売所で購入した。(208元+手数料5元)21才インターナショナルニート(自称)の尚太郎君は西安行きの切符を買った。その後、彼のPCを借りて今までの写真をCDに焼いて、その写真を家族と相方にメールで送った。気に入ってくれるといいのだが。そして、オーナー夫婦が九寨溝の下見から帰っていて、やっとお会い出来た。マキさんは2人めのお子さんを抱いていて、シムさんは長女を抱っこしていた。お二人とも人柄が良さそうな方であった。これからも、このゲストハウスが繁盛していって欲しいと願う。
2005.11.13
ご紹介が非常に遅くなってしまったが、今泊まっているゲストハウスの名前は、観華青年旅舎 Sim's Cozy Guesthouse という。http://www.gogosc.com地球の歩き方には掲載されていないが、口コミ等で日本人を始め、各国のバックパッカーが連日訪れている。しかも、宣伝用や宿泊者に配るカラーのゲストハウスの案内カタログは、おすすめスポットも掲載された地図も詳細で、非常に役に立った。西安のユースホステルにも置いてあったし、日本人のパート従業員が香港にビザを取りに来たついでに、ラッキーハウスに宣伝売り込みに来ていた。開業して2年も経っていないが、今のところは大変繁盛している。まだ、オーナー夫婦には会っていないが、バックパッカー出身の彼ら独自のセンス、アイディア、気配りが随所に見受けられ、非常に快適に且つ、格安で利用出来る。気に入って沈没してしまう日本人の気持ちが良く分かる次第である。費用対効果は、特級クラスだ。今からオーナー夫婦に会うのが楽しみだ。さて今朝は、早起きしてパンダ保護園のような所に行ってきた。動物園とは違って、いわばツーリスト向けに造られたパンダ園だ。7時半ころの市バスに乗り、一度乗り換え、1時間足らずで到着。30元を払い、早速中に入った。すると、何ヶ所かでパンダを目の前で鑑賞することが出来た。バリバリと美味しそうに笹の葉を食べるパンダ。尻が痒いのか、尻をこすり付けているパンダ。飼育係の言うことを聞かずにだらっと座ったきりのパンダ。どれも皆愛嬌があった。ちなみに、400元!!支払えばパンダを抱いて記念写真を撮れます。(ちなみにアメリカ人の相方は、昨年パンダを抱いたようです。)パンダ園には、一緒にいたTさんも満足していた。Tさんは空路で成都に前日入りしたばかりで、明日はラサに行くという、こてこての関西人だ。10月にはモンゴルに行っていたらしいが、阪神の日本一を見るために帰国したが、見事、我が千葉ロッテマリーンズに4連敗を喰らい、痛過ぎる思いをしてきた熱い関西娘だ。このパンダ園では、西安のユースで一緒だったトルコ人のオッや、イギリス人の彼に再会した。何と飲んだクレのフランス人ジェジェは列車に乗り遅れたとのことである。せっかく手配してあげたのに、何てこった。。。再会したときのリアクションが楽しみである。その後は、日本人4人で自転車を借り、交通マナーが最悪な人民に紛れ、市内サイクリングがてら、骨董品が並ぶ通りに行ったり、中国風茶屋でお茶を飲んだり、最後はマッサージ屋に行った。このマッサージが、5回目の訪中にして実は初めての体験だった。マッサージといっても、本当にピンきりなのだが、この本格的、且つ格安なマッサージは、連れの日本人の評判通り最高だった。マンションらしき建物の1階にひっそりと店があり、おばちゃんが4・5人常駐している。前もって、自分のウィークポイント(胃腸)を伝え、頭から全身をマッサージしてもらった。1時間弱で8元。しかも、的確なマッサージで、適度に痛く気持ち良かった。おばちゃん曰く、胃と胆のうが小さいと言われ、納得した。全身がリフレッシュされたところで、ゲストハウスに戻り、中華料理を5・6品頼んで夕食となった。連日連夜、様々な料理を食べられ、非常に満足している。旅人が集ううちに、皆で豊富な分け合って栄養を蓄えたい。これからの長旅には栄養が必要不可欠だ。食細りになりがちな私には、非常に有難い毎日が続いている。
2005.11.12
今朝は、12人部屋に空きが出来たので、そちらに移動した。12人部屋のベッド上段で15元。これでカップルに気を使わずに済む。今日は、西安からの移動疲れや、昨夜のビールが残っていたので、完全休養日にした。ネットや読書。このゲストハウスには各種アジア方面の地球の歩き方、三国志まんがの全50巻など、沈没にはもってこいの本がそろっている。近くのスーパーで買い物をしたり、部屋でくつろいだりした。夕食には、日本人3人で近くの有名な麻婆豆腐レストランへ行った。7年前の前回は、あまりの辛さに、舌が完全に痺れ、9割以上も残す羽目になってしまった。。。。今回は、辛さを控えめにしてもらった。そのせいか、他の2人ほど辛くは感じずに、完食出来た。条件は違うが、7年ぶりにリベンジした、と思うことにしよう。しかし、内陸部の成都も西安同様に、どーーんよーり、と曇ってばかりである。余りに埃っぽいので、中途半端に曇っているなら雨でも降って欲しい、と西安から思っているのだが、この旅始まってから、皮肉にも雨粒は1滴も落ちてはきていない。
2005.11.11
今朝の9時半に成都駅へ到着した。何と、寝ぼけてたせいか、緑のズボンを列車の網棚に置いてきてしまった。。。でも、安物だったし、どっかで現地調達すればいいや、とさほど気にしなかった。3人で改札を出ると、目的の宿のプラカードを持った中国人スタッフがいた。送迎無料ということで、3人はタクシーに乗り、ゲストハウスに向かった。しかし、7年ぶりの成都は駅前が綺麗になっていて、駅舎は近代的な立派な建物に変わっていた。早速、チェックインするが、12人部屋が満室で、私とA君は4人部屋にチェックインした。(25元)そこには、日本人カップルが泊まっていて、無防備にも彼女の日記がむき出しに机の上に置いてあって、思わずちょっと読んでしまった。後で話して分かったのだが、二人は、ラサに行って戻って来たらしく、体調を崩していた。これからバンコクに飛び、オーストラリアへ行くらしい。最初はカップルが同部屋にいて気まずかったが、なかなか良いカップルだと分かった。このゲストハウスは、思ってた以上に規模が大きく、スタッフも大勢いた。そして、この時期にしては多くの旅行者で賑わっていた。日本人も予想以上に泊まっていて、7・8人は既に滞在中だった。この旅始まって以来始めての洗濯をした。約2週間分だ。洗濯機の利用は洗剤込みで2時間以内8元。ちょっと高いので、A君と割り勘で一緒に洗濯機を使うことにした。ゲストハウスの掲示板に、2件ほど洗濯物が無くなったとの張り紙があったので、盗まれたくないやつは部屋に干した。夕食は、日本人7人で近くの庶民的なレストランで、羊肉のしゃぶしゃぶと餃子を6種類くらい頼んだ。中国でしゃぶしゃぶは初めてだったが、これまた絶品だった。野菜も豊富に採れ、この度始まって初の豪華な夕食となった。このゲストハウスには1週間近く沈没している日本人も多く、私も後を追いたいな、と感じた。
2005.11.10
今日は、17時の列車で西安から成都への移動となった。古都・西安には1週間滞在した。泊まったユースホステルは立地もよく、また部屋は狭くて日当たりは悪く、しかも若干何らかのベッド上の原因で、足が少し痒くなったが、1階のレストランの居心地がよく、とてもくつろいで過ごすことが出来た。同部屋だった、フランス人のジェジェと、トルコ出身でイギリスに移住したオッと昼食を一緒にレストランで摂った。フランス人の彼は、パリからモスクワへ列車で移動し、モンゴルと北京経由で西安へやってきた。小柄だが、深夜まで飲み続け、しかも今日は朝からまた飲んでいた。英語はあまり出来ないが、笑顔が絶えず愛嬌のある青年だ。トルコ人の彼女は、目がパッチリしていて日本人好みの可愛い顔だ。中国の山東省で英語の先生をしていて、これから長旅に出るという。オーストラリアにもワーホリしに行くので、メルボルンあたりで再会がありそうだ。彼女は、上海行きの切符が取れず悩んでいて、成都を勧めたら、じゃあ行く、ということになり、フランス人の彼も誘って、私より一日遅れで成都に来ることになった。早速、近くの中国工商銀行で1枚5元の手数料を払い、私のサポートで切符を入手した。彼らと別れ、A君と一緒にタクシーで西安駅に行った。この駅の待合室も、狭苦しくて埃っぽくて不快だった。定刻より10分ほど遅れて、西安駅を出発した。A君とは切符を買った時間が違ったので、車両は別々だった。ただ、偶然にも私の隣の寝台には大連に留学している韓国人の李さんが乗っていた。彼は中国語が堪能だが、英語は苦手だった。しかも、成都では同じ宿に泊まるということで、意気投合した。彼は、近くの若い中国人と親しそうに話していて、連絡先も交換していた。そのうちの一人は、英語が出来たので日韓中の三者会談が行われた。広州から西安行きの列車で会った南アフリカ人とは違い、過激な発言も無く、3ヶ国間の友好が深まった。かも知れない。。今回の列車の旅は、2回ともいい出会いに恵まれてラッキーだった。人が寝ている間にも、平気でタバコを吸う人民何かと一緒になった日には、最悪な列車の旅となり兼ねないが。。安いだけあって、この列車は古くて汚く、埃っぽかった。。。さて、次は麻婆豆腐で有名な四川省・成都です。
2005.11.09
今日は、のんびり過ごした。まず、清真大寺という西安最大のイスラム寺院を見学しに行った。西安のムスリムは、ウルムチ等に住む新疆の民族とは顔が異なり、見た目は漢族だ。ただ、みんな白のイスラム帽を被っていた。その後は、昨夜に日本人3人で食べに行ったパオズ屋に行って昼食を食べた。パオズも美味いが、トマトと卵入り野菜スープが絶品だった。いったん宿に戻り、それから路線バスでシルクロードの始点とされる場所へ行った。そこは公園のようになっていて、シルクロードを模したオブジェがあった。そして、公園の外から、ローマへと道が続いている。記念にその道路の写真を撮ってみた。西安からローマまで、いったい何キロ位あるのだろうか?想像もつかない。徒歩や、車か何かでローマに辿り着いた人はいるのだろうか。シルクロード。名前の響きもまた素晴らしい。いにしえの頃から、幾多の旅人が通ったシルクロード。その始まりは、これまた歴史の深い古都、西安である。
2005.11.08
さて、今日はいよいよ兵馬俑と秦の始皇帝陵を見学しに行って来た。西安に来た目的は、その2箇所を見に来るためだ、といっても過言ではない。普通はツアーに参加するのが一般的だが、そんなの面白くないし、時間や色々なことを拘束されたり、不要な所に連れて行かれるのがオチだ。といったわけで、A君と2人で行くことにした。彼は中国語が出来ないし、先陣を切るタイプではないので、私が仕切ることになった。前もって下見しておいた通り、西安駅前の東端に、西安-兵馬俑(高速)と書かれた緑色のマイクロバスに乗ることにした。路線バスもあるが停留所が多く、こちらを選択した。5元で約一時間で兵馬俑まで行くという。駅前を出発したバスは、所々で次々と人民を乗せ集めていたため、最初は時間がかかった。ようやく高速道路に入り、華清池と秦の始皇帝陵を経由して一時間後に着いた。敷地はとても広く、マイクロバスを降りてから入口まで15分位は歩いた。そして法外な90元という値段を払い、中に入った。最初は博物館のような建物に入ったが、特に興味なかったので、足早に去った。とにかく、先にメインである1号坑に行きたかった。早速1号坑に入った。すると体育館のような縦長の建物内に兵馬俑がズラッと並んでいた。ただ、正面からは2階からしか見ることが出来ず、1階は立ち入り禁止になっていた。想像していたよりは、兵馬俑の数が多くないように感じて、それほど驚いたわけではなかった。階段を下りて、サイドからは兵馬俑と同じ高さで見学することが出来た。1体1体凝視してみると、やはり各々が違う造りをしていた。中には首から上が取れている兵馬俑も結構見受けられた。2号坑と3号坑も続けて見学したが、1号坑ほど魅力はなかった。続いて、秦の始皇帝陵に行った。兵馬俑からは路線バスで1元、5分ほど。中に入ると、敷地内の真ん中から頂上に向かって長い階段があった。頂上に着くと、辺りが一望出来た。やはり始皇帝の墓だけあって、広大であった。ただ、実際の遺留品や装飾品等は、周囲に埋められているので、これといって何かを見学出来たわけではなかった。ただ、その広大さに始皇帝の偉大さを感じた。帰りも、行きと同じマイクロバスを拾い、45分で西安駅に着いた。兵馬俑と秦の始皇帝陵を個人で見学して、約125元。費用対効果は抜群であった。これで西安の街を訪れた目的が達成出来て、満足、というかホッとした。
2005.11.07
今日は、フラッと宿の近くを歩いていたら、日本人のA君に会って、ユースまで連れて行ってあげた。彼は、旅行人の中央アジア編のガイドッブクしかなく、情報も古い。勝利飯店という安宿のドミがなくなっていたのを知らず、南門へ行ったらいい、と勝利飯店の人に言われたらしい。そして、我々は近くの地元民用のめし屋でチャーハンを食べた。その後は、南門から城壁を登り(40元)さらに自転車を借りて(1時間半15元)、城壁の上を1周した。4方の合計が14kmもある城壁に登れることさえ知らず、しかも、サイクリングで1周出来るなんて思いもしなかったので、これは楽しめた。城壁の上からは、西安市内を四方八方に展望出来た。城壁の外側は、広範囲にわたり公園が作られていて、市民の憩いの場になっている。また、高層ビルやマンションも多くそびえていた。逆に城壁の内側は、工事中だったり、貧しい地域や庶民的なアパートが多く見られた。また城壁から西安駅を真下に見下ろすことが出来て、駅周辺の賑わいを感じられた。途中には4箇所ほど各所に門があり、上り下り出来るようになっていた。トイレは所々設置されていた。2時間かけて1周した。結構いい写真が撮れたと思う。その後は、駅に行って成都行きの切符を買った。水曜日の出発で2等寝台の上段で113元と距離の割りに格安だ。(約16時間)特別快速でもないし、エアコン無しの列車なので安いのだ。もう1本ある成都行きは、200元前後するらしい。宿に帰ると、中国人の若い女性に話しかけられた。明後日に日本語の試験があるので、教えてくれないか、とのことだった。別に暇だったので、快諾した。彼女は西安に住んでいて、英語の先生をパートでしながら、大学院に通っているという。聞いてもいないのに、35才の中国語の先生をしている彼氏がいるとか、彼女はいるのか等聞かれた。ここのユースは若い中国人の男女が沢山働いていて、その友達として日本語の勉強やら、外国人と接しに来ているケースが多い。彼女は、日本語のテキストを持っていて、それを基に教えたのだが、選択問題や穴埋め問題、作文などがあったのだが、日本人にしても難しい問題が多かった。ちょっと日本語に疎い日本人なら、答えられないような問題も結構あった。何というか、日本語を説明するときに、日本語以外で説明出来ないようなニュアンスの語句も多く、説明に手間を焼いた。日本語って、実は難しいような気がしてならなかった。さて、明日はいよいよ兵馬俑と秦の始皇帝の墓を見に行きます!!
2005.11.06
今日は、陝西省歴史博物館と大雁塔に行った。博物館は、南門からバスで南下し、下車して東に10分歩いた所にあった。陝西省の歴史を古代から順番に展示していて、その時代の出土品を各々見ることが出来た。兵馬傭の一部も展示されていて、今から行くのが楽しみになった。ここの博物館は西洋人や中国人の団体客が多かった。土曜日ということもあり、館内は混雑していた。次は、近くにある大雁塔に行った。塔の周りはとても広く、公園や広場、様々な観光用施設が並んでいた。公園も最近作ったような箇所も多く、緑が豊富で綺麗だった。その広場には、一部一時的な噴水が行われる場所があって、ちょうど噴水が始まる時間になり、中国人が大挙集まっていた。音楽に合わせ、あちこちで水が噴出し始めた。その吹き出た水を通して背後に大雁塔を見ることが出来た。早速、大雁塔に行ってみた。敷地は広く、別料金を払って塔に登ってみた。意外と高く頂上からは市街地が一望出来た。ただスモッグのせいで、さほど遠くは見えなかった。大雁塔は玄奘が持ち帰ったインドなんかの経典等を保存するために建立したようだが、それらは見当たらなかった。歴史的な観光スポットではあるが、観光客用に綺麗に仕立てられていて、ちょっと浮いてしまっている感は否めない。最近は、観光地から目に届く所ばかり美化されているような気がしてならない。ある中国通の旅人が、外部に対する見栄を張りたがっている、と言っていたのもうなずける現実だ。逆に目に見えない所とのギャップもまた、著しい。これが中国の現実である。
2005.11.05
今日は、まず中国銀行に向かった。今回の旅でまだ中国元に両替していなかった。街を歩いていると、視界不良なことに気がついた。排気ガス等による大気汚染で、スモッグが街中にかかっているのだ。常に風もなく、俳気ガスがそのまま溜まってしまっているようだ。これには驚いた。こんな都市は見たことがない。北京でさえ、高い所からスモッグを確認出来るが、グランドレベルから、これほどスモッグがかかっているとなると重症だ。早速、中国銀行でレートを確認すると、1万円の現金で、672元とのことだった。9月は1万円のTCで715元位だったので、かなりレートが悪くなったものだ。やはり円安ドル高の影響だ。仕方なく、2万円分両替をした。その後は、牛湯面という日本で言うと、塩ラーメンにチャーシューと、ゆで卵、野菜が入ったものを食べた。やはり、寒いときにはラーメンが一番だ。その後は、ネット屋を見つけるが、日本語が打てず1時間で切り上げ。そして、大きめなスーパーで買い物をした。茶飲み用のステンレスカップ、デカい水、安い手袋、洗剤、石鹸ケース、トイレットペーパー、と一通り買い揃えた。昼飯で食べたラーメンの野菜のせいか(あまり加熱されてなかった)腹の調子がイマイチなので、晩飯はマックで済ませた。香港での食中毒の件があるので、今のところは慎重にならざるを得ない。宿の戻ると、今日は餃子パーティーがあった。19時半頃から、レストランで宿泊客が集まり、餃子の皮と具を練って、餃子を皆で作っていた。私はやらなかったが、そこで知り合ったシンガポール人の彼と話していた。餃子が出来上がり、皆で食べ始めた。そこに集まったのは、北京から東に行った、何とかという街で英語の教師をしているという4人組(アメリカ人、イギリス人等)フランスのマルセイユから来たオシャレな若いカップル、シンガポール人の彼、中国人の女性といった面々だ。色々と皆で話した。その後は、韓国人の日本語・英語・中国語が堪能な怪しい34才の彼と、我々日本人の3人で話をした。韓国人の彼は、見た目はお世辞にも格好良くないが、女好きで、中国人の女性の電話番号をたくさんゲットしたらしく、自慢していた。しばらく中国にいるらしく、その後はモンゴルに行くらしい。とにかく女の話ばかりしていて、中国人の女がいい、と盛んに言っていた。彼の旅の目的は、女探しといっても間違いではない感じだった。他にも、英語圏ではない西洋人がたくさんチェックインしてきた。この時期はアジア人は少なく、西洋人が多いようだ。とにかく、色んな人が集まっているので、しばらくは楽しめそうだ。リアルタイム旅行記の詳細ページ作りました
2005.11.04
列車は長沙、武漢、洛陽、三門峡等を通り、1時間半遅れの2日目の21時に到着した。香港からは34時間の長旅だった。ただ、西安行きの列車は、いい人たちに恵まれ、楽しい時間を過ごせた。夜なのに駅前は凄い人だかりだった。駅舎は綺麗にライトアップされていた。記念に1枚撮っておいた。南アフリカの彼と別れ、旅行ガイドのロッキーと一緒にタクシーに乗り、15分ほどして、南門で降ろしてもらった。メーター通りの8元を渡し、お礼を言って彼と別れた。丁度、彼の帰り道で南門を通るということだったので便乗させてもらった。しかも、彼は列車の中でユースホステルに電話で予約をしてくれた。非常に有難かった。ユースホステルは南門から30秒ほど。レセプションで4人部屋の宿代(会員価格40元)と押金(デポジット)の計90元を払った。ユース内で日本人に会った。彼は杭州の留学生だが、しばらく旅行中とのことだった。メガネにヒゲといった、いかにも中国好きな風貌だった。同じ部屋には、寡黙なメガネをかけた上海人、顔は見てないが西洋人といたメンツが泊まっている。ネット(1時間8元。。。)をして、ホットシャワーを浴び寝た。西安は、思っていた以上にデカい。交通量も多いし、とにかく広い。明日からが楽しみだ。
2005.11.03
さて、今日は香港を出発する日だ。食中毒という予期せぬアクシデントが発生したが、出発には問題なさそうだ。佐敦近くのネイザンロードからA21の空港発ホンハム行きのバスに乗り、11時15分頃に到着。(HK$8)30分ほど待ち、広州東行き国際列車専用の改札に向かった。改札を抜け、出国審査があった。それから、ホームに降り乗車となった。12時15分発で13時47分には広州東駅に到着だ。在来線のKCRと同じ線路を使用しているため、国境を越え深センを過ぎるまでは、ノロノロ運転だった。そこからいよいよ本気を出し、列車は加速し出した。車窓から深セン駅という名前が入った高層ビルを目にした時は、思わず嬉しくなったというか、ホッとした気持ちになった。深センに入った瞬間に、線路沿いに訳もなく中国人がしゃがみ込んでいたのを見ると、香港とのギャップというか、もう中国なんだなー、という気にさせてくれた。やっぱり自分には中国が落ち着くというか、第2の故郷のようにいつも感じる。狭い車内は、ほぼ満席で、香港人や西洋人のビジネスマンがほとんど。自分のようなバックパッカーなんて皆無だった。広州東駅に着くと、ホームの階段を上がった所に、入国審査場があった。早めに並んだせいか、5分ほどで難なく通過した。気のせいか、9月の時は入国時にはビザの上にペンでチェックされたのに、今回はチェックされていなかった。まあいいか。3ヶ月も滞在可能なビザだし、文句を言われる筋合いは全くない。広州東駅からは、地下鉄で広州駅まで向かった。切符を自動販売機で買うと(5元)、ビックリ、500円玉程の大きさで黒のプラスチック製の円形な切符だった。1回乗り換え30分ほどで到着。地上に上がり広州駅前の広場に出た。7・8年に初めて広州駅に降りた時は、駅前にいる無数の中国人民の群れに恐怖さえ覚えた。とにかく歩く隙間が無いほど、広ーい駅前に夜中なのに訳も無さそうにただ座り込んだり、客引きをしたり。。。噂では聞いていたが、以前の光景は無くなっていた。広場も道路で寸断されたのか、かなり縮小されていた。警察も治安維持に努めていた。さて、今度は人民をかき分け、駅の待合室に向かうため、駅構内に突入した。駅構内や待合室は経済発展の著しい大都市・広州の名に恥じた惨状だった。工事中で埃だらけ。通路には無数の人が座り、電光掲示板は無く、列車番号のみの表示案内。おまけに、2つの列車分を兼用していて狭苦しく、しかも、突然係員がスピーカーを使って、何かのアナウンスをし始めた。場内がざわめき始めた。人民は慌てて動き出し、係員に寄って集っていた。とにかく、シーアン、という言葉だけは聞き取れたが、何をアナウンスしたか分かるはずも無かった。状況を把握したかったので、近くにいた若い中国人に、中国語会話の本を見せながら、「英語は出来ますか?」と尋ねるも、出来ないとのこと。近くにいた人にも尋ねるが、一様に無視するか、物乞いが寄って来たかのような嫌な顔をしていた。結構ムカついたが、仕方ない。中国人はそんな程度である。とにかく、あわててバナナや水、パン、カップラーメン等を買出し、いつでも動ける準備をした。そして人民が集まっている場所に移動をし、自分の西安行きの切符を見せた。そしたら、彼も西安行きの切符を持っていた。どうやら、もう改札が始まるらしい。まだ、1時間ほど前だ。こうして、事なきを得て、工事中の駅構内を歩き渡り、やっとのことで乗車出来た。何てことはなかった。ただ、人民が大騒ぎしていたので、ちょっと焦っただけだった。自分の2等寝台席に着くと、網棚が既に荷物で埋まっていた。そこにいた、中東系の男性に英語で、荷物をどかしてもらえないか、と尋ねると、英語の出来る女性乗務員が、1番下の座席の下に置いてくれと言った。今まで何十回も中国の列車を利用したが、英語の出来る乗務員は初めてだった。チェーンでロックを掛け、やっと落ち着いた。中国の列車では、荷物を置き終わるまでが一苦労である。さて、中東系の彼と色々と話をしてみた。何と彼は、南アフリカのヨハネスブルク出身で、中国人の奥さんがいるとのことだった。西安で電機製品を輸出する仕事をやっているらしい。奥さんとは韓国に4年留学していた時に知り合ったとのこと。広州には、有名な博覧会を見学しに行ったと言っていた。彼はやたら日中関係や過去の戦争、中国の経済や教育について熱く語っていた。結構、中国や日本に対して失礼なことを言っていたが、悪気はなく、いい人なのでそこは勘弁しておいた。彼と話しているうちに、英語の出来る中国人が寄ってきた。彼は西安で旅行ガイドをしていて、英語が堪能だった。チベタンのように何故か顔が赤く、愛嬌のある人だった。運良く、英語の出来る3人と同じ車両になった。これは幸先が良さそうだ。
2005.11.02
今日は、朝飯として同宿の3人と一緒に近くでお粥を食べに行った。病み上がりの私は、念のため白粥のみにしておいた。HK$6と安くて美味かった。その後は、昨日JTBデスクでもらったJI保険の保険金請求書フォームをコピーしに行った。今回はキャッシュレスで往診してもらったため、その場でフォームを提出してしまったから、今後の予備としてのコピーだ。もちろん、もう使いたくはないのだが。。。。それから、例の旅行会社にパスポートを受け取りに行ってきた。中国ビザはしっかり3ヶ月滞在可能となっていて、ビザ取得地が何故か深センとなっていた。(このビザ取得方法については、後ほど過去の旅行記がのっているFreepage Listに追記します)その後は、市バスとスターフェリーを使って、中環(セントラル)にあるユナイテッド航空のオフィス(ランドマークビルの29階)に向かった。成田を出発した時点では、帰国日は3ヶ月以内の1月23日と適当に決めていたが、長旅を想定して3月14日に変更した。まあ結局は、また最終的には変更することになると思うが、ちょっと遅めにしておいた。その方が余裕を持って変更出来るからだ。無事変更を済ませ、地下鉄で佐敦まで戻り、図書館で15時から予約していた無料のネットを1時間利用した。宿に戻ると、また新たに日本人の旅行者がやってきた。彼は、フィリピン人の妻がいて、セブのマクタン島でダイビングの仕事をしたり、その他はよく分からないが、色々とアジア諸国を飛び回っているらしかった。その彼と、滞在中にお世話になった他の男性2人と3人で色々とアジア諸国の話をしていた。街の話、航空会社・航空券の話etc 3人ともそのへんは玄人なので、お互い盛り上がっていた。私は、翌日の出発に備え、早めに寝た。さて、明日はいよいよ香港を旅立ち、中国の西安を目指す列車の旅の始まりだ。
2005.11.01
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