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ミュンヘン・シリーズのBack numberをラストに入れました。パリのテロのニュースには驚きました せっかく平和になってきた世の中なのにばか者に平和が脅かされている事が非常に腹立たしいです。何より無差別に罪の無い人達を巻き込んで来る彼らの横暴さは断じて許せません。今回巻き添えを食った多くの罪なき人達のご冥福をお祈りします。それにしても自爆テロが正当化される宗教って何なんでしょうね。自爆してチリヂリになった者の魂は救われようが無いのに・・。天国に行ける・・と信じる者の魂は本当に天国に行けるものなのか?そう言えば細川ガラシャ夫人は、カトリック教徒なのに自決のあと爆死で亡くなったとされています。実はそれには疑問を持っています。跡形もなく消えたガラシャ夫人の遺骸。パフォーマンスだけで、本当はどこか異国にでも逃げたのではないか? と、最近思うのです。※ ガラシャ夫人については「信長の墓所(追記) と 細川ガラシャの墓」で触れています。リンク 信長の墓所(追記) と 細川ガラシャの墓さて、今回も大幅に遅れてしまいました。父の入院が長引いて日中病院にいるので夜中しか作業ができないのです 今回はミュンヘンに古くからあるフラウエン教会にある悪魔の足跡を紹介したいと思います。ミュンヘン(München) 7 (悪魔の足跡)フラウエン・キルヒェ・ミュンヘン(Frauen Kirche München)「悪魔の足跡」伝説なぜ窓が見えないのか?フラウエン・キルヒェ(Frauen Kirche)とは、実は聖母教会の事である。二つのタマネギ型の尖塔を持つ塔はシンボリックにミュンヘンの象徴となっている。建立は1468年~1488年。後期ゴシック建築だそうだが、二つの鐘楼のタマネギ型の屋根は遅れる事1525年に銅で作られて取り付けられた物でゴシックではない。撮影した昨年の7月時点では修復中で下からの外観の撮影ができていないのである建築はイエルク・フォン・ハルスバッハ(Jörg von Halsbach)建物は40m、幅37m、高さ109mもともとここには後期ロマネスク様式の三廊の教会が建っていたらしい。1240年、ミュンヘンがヴィッテルスバッハ家の支配になると、邸宅の敷地内に教会を建立。1271年には教区権を獲得。ミュンヘンの人口の増加と古い教会屋根の崩落で死者も出ていたそうで大人数を収容する教会建築が急がれたようです。参考までにパンフレットから・・。左右の塔の高さは異なり、北塔は98.57m、南塔は98.45m二つの鐘楼と両方に時計も設置されていて、双方の塔に上る事が可能。南塔のみエレベーター付き。(この時は修復中で登れなかった。何しろオリジナルはレンガだったらしいし・・。)ミュンヘンの象徴とも言える丸い円蓋であるが、実はこの教会はザルツブルグの司教座聖堂がモデルになっているらしい。実際ちょっと違うが・・。教会の中からの撮影であるが、入り口のドアである。ここは、教会の拝廊に当たる場所。赤い矢印下が「悪魔の足跡(Teufelstritt)」である。「悪魔の足跡」伝説伝説では、「この教会には窓がない」と、教会の完成をのぞきに忍び込んだ悪魔が喜んだ・・とか・・。しかし、これは教会の構造上ちょうど悪魔の足跡の地点(拝廊)からは窓が見えないだけにすぎず、中には大きな縦長の窓が25もある明るい教会です。礼拝所に踏み込んだ悪魔は「だまされた」と思い教会を壊そうとしたそうですが、堅牢な教会は壊れなかった・・とか・・。今は鉄の柵で仕切られた拝廊と礼拝堂かつては壁やアーチ、柱廊や仕切りで区切られていたと言います。足跡の位置には祭壇があったとも伝えられています。もはや足跡はわざとつけた印・・と言う所でしょう。今は信徒とそうでない人達の間に区分けはありませんが、かつて拝廊は正式な信徒で無い人達の祈りの場として提供されていた場所のようです。つまり部外者はそこより中には踏み込めなかった・・と言うわけです。そこで悪魔伝説を考えると、信徒でない悪魔はそこより先の聖域に立ち入る事ができず、窓を見る事ができなかった・・と言う事になります。(拝廊には窓は無い。)25の大きな縦長の窓にはステンドクラスがはめ込まれている。(当時一枚ガラスは存在しない。)ステンドグラスに使われる色ガラスの美しさは、この世のものとは思えない美しさを醸(かも)していたことだろう。つまり、礼拝所の荘厳さは天国を意味している。天国に入りたい者は信者にならなければならず、悪魔は決して立ち入れない場所なのである。悪魔の足跡の前の障壁柵のところから撮影確かに正面以外に窓は見えない。窓の無い拝廊はともかく、礼拝所内は横を見れば窓は存在する。が、身廊の中心線上。こうして写真の視野で正面を見ると、案外どの位置からも窓は容易に臨めていない事がわかった。なぜ窓が臨めないのか?その理由の一つは太い大きな八角形の柱のせいである。この聖堂の収容人数は4000人近く。それだけ広い空間なので、強度の為に柱も太くなるし、また数も増えている。身廊と側廊の柱の位置が視界をじゃまする位置に建っているからなのである。私が思うに、身廊の幅が狭すぎるのだ。(側廊、身廊、側廊の比率が1対1対1)また、側廊にある礼拝所の数が多い事も理由の一つ。それらを仕切る壁が堂内にせりだしている事が一因していると思う。問題は設計者が、意図的に窓が見えないようにしたのか? と言う事である。中央祭壇。内陣ここらへんは近年のもの。側廊側の壁にある小祭壇だいたいこういうのはかつての貴族などのプライベート礼拝所になっている。聖母被昇のこの絵は、かつては祭壇画として描かれたもの。1620年。ペーター・カンディット作。後年に作られた神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世の為の記念廟バイエルンのヴィッテルスバッハ家の出身の神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世(1282年~1347年)(在位:1328年~1347年)の為に1619年~1622年にハンス・クルムパーにより建立。ブロンズと黒大理石。次回はやはりミュンヘンからの予定。リンク ミュンヘン(München) 8 (レジデンツ博物館 1)back numberリンク ミュンヘン(München) 1 (街の起源とノイハウザー通り)リンク ミュンヘン(München) 2 (ラートハウスとマリエン広場)リンク ミュンヘン(München) 3 (ラートハウスの仕掛け時計)リンク ミュンヘン(München) 4 (ラートハウスの塔)リンク ミュンヘン(München) 5 (ラートハウスのレストラン)リンク ミュンヘン(München) 6 (ラートハウスの装飾) ミュンヘン(München) 7 (悪魔の足跡)リンク ミュンヘン(München) 8 (レジデンツ博物館 1)リンク ミュンヘン(München) 9 (レジデンツ博物館 2 グロッテンホフ)リンク ミュンヘン(München) 10 (レジデンツ博物館 3 聖遺物箱)リンク ミュンヘン(München) 11 (レジデンツ博物館 4 宝物館の宝冠)他関連リンク アルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek) 1リンク アルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek) 2 デューラーのサインリンク アルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek) 3 (クラナッハ、ティツィアーノ)リンク ナチスのアートディーラー、ヒルデブラント・グルリットのコレクション
2015年11月27日
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ミュンヘン・シリーズのBack numberをラストに入れました。ミュンヘン(München) 6 (ラートハウスの装飾)新市庁舎(Neues Rathaus)ゴシック・リヴァイバル(Gothic Revival Architecture)ガーゴイル(gargoyle)のルーツゴシック・リヴァイバル期のゴブリン以前ブリュッセルの市長舎でもガーゴイル(gargoyle)を紹介した事がありましたが、このラートハウスには壁面一杯にたくさんの彫像が張り付き、かつ雨樋(あまどい)であるガーゴイルの数がハンパ無く多い建物です。ラートハウスの中庭から天気の良い日はカフェテリアになる。特徴的な螺旋階段は装飾のオンパレード。カラーで印た所がガーゴイルや彫像が付いているところ。近年修復されたものだろう。そもそもこのラートハウスは1867年~1908年の建築物。見た目ほど古い物ではない。前にネオ・クラッシックの建物と紹介したが本当はゴシック・リヴァイバルと呼んだ方が正しいのかもしれない。ゴシック・リヴァイバル(Gothic Revival Architecture)直訳すればゴシックの復興である。18世紀後半くらいから、古代の遺跡発掘が始まり、ハイソな人々の間では古典古代への礼賛とあこがれのブームが訪れている。骨董品集めしかり、エジプトやトルコでの遺跡から発掘された彫像などの美術コレクターが増え出すのもその頃からである。特に1798年のナポレオンによるエジプト遠征はエジプトの遺跡が欧州に流れる発端になったと言える。陶磁器のウエッジウッドは1778年に古代ギリシャの壺を模してジャスパーと言う浮き彫りレリーフの陶磁器を発売。イタリアのリチャード・ジノリでもこの頃発掘された遺跡のレプリカ? ヴェズビオと言う名の陶磁器を発売している。(ポンペイはヴェズビオ火山の火砕流で滅び埋もれた古代都市です。)※ 因みにどちらも現在も販売され続けている所が欧州の陶磁器の素晴らしい所である。ブームは古典古代だけでなく、やがて中世の騎士物語も波及。英国の文学では、この頃現在に伝わるアーサー王物語なども編纂されて出版された。ハイソでお洒落な貴族達はギリシャの女神達が着たような薄い衣装を身に付けて絵画に登場。ゴシック建築の再興はイギリスから始まり、イタリア、ドイツへと徐々に電波して行ったのである。それ故に伝播に多少の時差は生じたのであろう。ミュンヘンのラートハウスの建築はかなり遅く、ブームからも外れた感はあるけれど、この時代にこれだけの彫像を彫る石工、フリーメイソン(Freemason)達を集めただけても凄い事である。※ 「石工、フリーメイソン(Freemason)」については「2013.9 クイズ 「このロゴは何 ?」の解答編」で紹介しています。ガーゴイル(gargoyle)のルーツそもそもガーゴイル(gargoyle)はゴシック建築の大聖堂の屋根に誕生したシステムです。急勾配の屋根を雨水が流れ落ち、漆喰の壁に水が染みこまないようにする為に雨樋が必要だったようです。当初はギリシャやラテン文化の影響もあり、そのデザインには、シンプルに動物などの意匠が使われていたのかもしれない。たしかに、ミラノにあるキリスト教が公認された最初の教会であるのサンタンブロージョ聖堂にもたくさんの動物や想像上の動物の彫刻があった事を思い出しました。(カトリックの嫌がるヘビの像も)サンタンブロージョ聖堂の創設は379年。現在の建物は11~12世紀に再建されたロマネスク様式。ロマネスクの教会に雨樋こそ見当たらなかったが、13世紀に現れるゴシックの教会には動物や奇っ怪な動物のガーゴイルが現れているので、そもそもは異教の教会の影響があった事は間違いないのかもしれません。教会を建築する石工のギルド集団(フリーメイソン)は国境を越えて教会建築の為に何十年単位で流浪する集団です。彼らがどこぞで見た物を自身の技術に取り込み、洗練させていったのかもしれません。後期ゴシック期には悪魔的な怪物の姿などが登場。(この頃はまだ欧州もカトリックの布教中で異教徒に対し悪魔的な扱いがあった事も影響しているかも・・。)魔除け・・と言う説もありますが・・。バロック期には奇っ怪な彫像だけでなく、テキスタイルにもグロテスク (grotesque)様式と言うスタイルが登場している。ところがその後 異形の動物像は消え、奇妙な人間の彫像にガーゴイルの主流が変わっていったようです。その理由はわかりません。(もしかしたら十字軍の遠征も終了し、欧州がほぼカトリック、カラーになった事が起因しているかもしれない。)なぜ滑稽な人の姿になったのかは今一つよくわからない。今後解りましたらお知らせします。市民の声を聞く? とか意味でもあったのでしょうかね ゴシック・リヴァイバル期のゴブリン(goblin)以前紹介したブリュッセル(Brussels)のグラン・プラスにある市長舎の建築は1402年~1444年。ここのガーゴイルは滑稽な姿の人間像ばかりでした。バイエルの新市長舎の建築は19世紀なので、完全なる懐古趣味的なゴシック・リバイバルです。でもそれならガーゴイルは怪物であっても良いはずです。少なくともイギリスやフランスでは、このゴシック・リバイバル期に建てられた、あるいは修復されたガーゴイルには好んでゴブリン(小鬼)などの意匠が使用されているように見受けられるからです。例えばパリのノートルダム寺院はコブリンの彫像や怪物のガーゴイルで有名ですが、それらは1845年の修復の際に19世紀フランスの建築家 ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク(Eugène Emmanuel Viollet-le-Duc) (1814年~1879年)によって設置されたものだそうです。(オリジナルは失われていていた。)怪奇小説なども出始めた19世紀には敢えてそうした闇の物が好まれたのでしょうか?ラートハウスにいたゴブリン(goblin)話は戻って、ミュンヘンのラートハウス(市長舎)は意外に人間のガーゴイルが多い事に気がつきました。市長舎としてグランプラスの市長舎をお手本にした可能性もあります。何にしてもラートハウスの統一性のない彫刻は、携わった石工の継承した技術と特徴と個性なのかもしれません。ミュンヘン ラートハウス終わります。Back numberリンク ミュンヘン(München) 1 (街の起源とノイハウザー通り)リンク ミュンヘン(München) 2 (ラートハウスとマリエン広場)リンク ミュンヘン(München) 3 (ラートハウスの仕掛け時計)リンク ミュンヘン(München) 4 (ラートハウスの塔)リンク ミュンヘン(München) 5 (ラートハウスのレストラン) ミュンヘン(München) 6 (ラートハウスの装飾)リンク ミュンヘン(München) 8 (レジデンツ博物館 1)リンク ミュンヘン(München) 7 (悪魔の足跡)リンク ミュンヘン(München) 9 (レジデンツ博物館 2 グロッテンホフ)リンク ミュンヘン(München) 10 (レジデンツ博物館 3 聖遺物箱)リンク ミュンヘン(München) 11 (レジデンツ博物館 4 宝物館の宝冠)他関連リンク アルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek) 1リンク アルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek) 2 デューラーのサインリンク アルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek) 3 (クラナッハ、ティツィアーノ)リンク ナチスのアートディーラー、ヒルデブラント・グルリットのコレクション
2015年11月14日
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ミュンヘン・シリーズのBack numberをラストに入れました。ミュンヘン(München) 5 (ラートハウスのレストラン)新市庁舎(Neues Rathaus)居酒屋レストラン ラーツケラー(Ratskeller)ゴシックの市長舎1階には観光案内所も存在しますが、驚くのは市長舎なのに広場向きの1階正面はやたらと民間の店舗が多い事です。 特に地下のほとんど全てを店舗としている居酒屋レストランは、ラートハウス完成(1874年)と同時に開業した老舗のお店でした。正面の入り口・・・ピンクの矢印市庁舎塔(Rathausturm)入り口・・・ブルーの矢印役所の下に居酒屋・・。近年ならともかく明治の日本あたりではとても考えられない事です。しかしミュンヘン以外にも、ドイツやオーストリアなどフランドル界隈ではこのように市長舎(ラートハウス)の下が居酒屋になっているところが結構存在するのだそうです。(もともと市の直営だったのかもしれない。)確認していませんが、いわゆる第三セクターの経営なのかもしれません。何しろミュンヘンの一等地の役所の下のほとんどを利用した広大な敷地を持つレストランなので・・。居酒屋レストラン ラーツケラー(Ratskeller)ラーツケラー(Ratskeller)とは、ラートハウスのケラー。「地下の酒蔵」と言う意味らしい。バイエルンの郷土料理と美味しいビールを戴くにはお値段も手頃で味はバツグン。ミュンヘンでは、観光客に最適のお勧めの店の一つです。(観光でミュンヘン行かれた方はツアーなどでも大抵組み込まれているようです。)マリエン広場側の正面入り口店の入り口は何カ所かある。巨大な地下の中は幾つかの用途別、かつインテリア異なるホールに別れているようです。中にインフォメーションが存在する主にアラカルトか? コースか? 加えて豪華な居室か? 個室か? それにビールだけでなくワインバーなども併設。いろんな客のあらゆるニーズに答えるレストランのようです。Hauberrisser下はアラカルト料理を出すホール。一般のカジュアル系ビア・ホールである。田舎のレストラン風Arche Noah (ノアの箱船)素敵な壁画が描かれている。イスもテーブル・セッティングも全く違う。コース料理を楽しむ高級系? かと思いきや、今回撮影できませんでしたが、もっと高級系の部屋がたくさんあるようです。単品のお値段は一緒らしいがレストランによってはコースしか無いとこも・・。でもこちらはスーツを召された方が多いようです。こんな個室もたくさんあります。デート用にハートの風船が付いたリザーブ席もありました。カジュアルならそのまま入れますが、できれば事前予約をして置いた方がよさそうです。プリッツェル(Brezel)はミュンヘンの特産物前にも書きましたが、プリッツェルはミュンヘンのレストランでは必ず出されます。しかし、無料ではなく、食べた分精算されるので注意です。ドイツと言えば他にビールとソーセージ。バイエルンでは昔ながらの上面発酵させた白ビール(Weissbier)が有名。アルコール度4.3度。小麦粉を使ったビールでやや白濁で少し甘め。白ビール(Weissbier)「Franziskaner」 ハーフ500mlで4.70ユーロ(値段は2014年7月のもの)料理を乗せる為のホットプレートNuremberg Style Bratwurst 6本10.40ユーロ 8本12.70ユーロ(値段は2014年7月のもの)ドイツで一番美味しいと言われるニュールンベルクのニュールンベルガーソーセージ。自家製のようです。他にもソーセージは食べていますが、日本人にも一番馴染み安いソーセージです。※ 白ソーセージは他の所で紹介。Jung schweine braten (若い子豚のロースト) 13.50ユーロ(値段は2014年7月のもの)付け合わせの丸いのはクヌーデル(knoder)小麦粉のお団子で、ソースの付いた料理には必ず付いてくる団子だそうだ。何かの付け合わせのザワークラフト何かの付け合わせのザワークラフト。ザワークラフトは一般に酸っぱい酢漬けと思われているが、地方によりそうでもないものもある。保存用になるものはビネガーが強いのだろう。他にもモッツレラのサラダなどオーターしたが、見栄えが良く無かったので写真撮らなかったようです。次回中庭などササット紹介して移ります。Back numberリンク ミュンヘン(München) 1 (街の起源とノイハウザー通り)リンク ミュンヘン(München) 2 (ラートハウスとマリエン広場)リンク ミュンヘン(München) 3 (ラートハウスの仕掛け時計)リンク ミュンヘン(München) 4 (ラートハウスの塔) ミュンヘン(München) 5 (ラートハウスのレストラン)リンク ミュンヘン(München) 6 (ラートハウスの装飾リンクリンク ミュンヘン(München) 8 (レジデンツ博物館 1)リンク ミュンヘン(München) 7 (悪魔の足跡)リンク ミュンヘン(München) 9 (レジデンツ博物館 2 グロッテンホフ)リンク ミュンヘン(München) 10 (レジデンツ博物館 3 聖遺物箱)リンク ミュンヘン(München) 11 (レジデンツ博物館 4 宝物館の宝冠)他関連リンク アルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek) 1リンク アルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek) 2 デューラーのサインリンク アルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek) 3 (クラナッハ、ティツィアーノ)リンク ナチスのアートディーラー、ヒルデブラント・グルリットのコレクション
2015年11月05日
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