ラクロス大好き♪ NORIの人生旅日記

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2006年01月25日
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カテゴリ: 家族
享年95歳で旅立ち。


祖母と私の接点は、どちらかといえば、
孫の中では少ないほうだったと思う。
母方の田舎である東城で生まれた私は、大学も西に進み
豊川のほうが遠い存在になっていった。

それでも虫の知らせか、今年の年末年始は大連休で
豊川にいることに決めた。
病院にいる祖母には毎日のように会いに行けた。



かなり厳しい人だったそうだ。
呉から身寄りのない豊川に出てきて
海軍工廠の病院の看護婦として働いていたそう。
祖母(ナース時代)

終戦を迎える少し前の8月7日。
豊川海軍工廠が大空襲を受ける。
一番上のおばが小学校4年生のときだったそう。
勤労学生で耕作をしているときに、
空から落ちてくるたくさんの落下傘をみた。
「何だろうね~、きれいだねぇ」
それが爆弾とも知らずに空を見上げていた。

そこから、空襲警報が響き、爆撃が始まる。


家族が家に合流したときは、
もう防空壕へ逃げる間がなかったそうだ。
祖母は家の押入れに子供4人と自分を押し込んだ。
そして爆撃が止んで、押入れをこじ開けて外に出ると、
家は周りに落ちた爆風で全壊していた。


その防空壕に爆弾が落ち、
7人のうち4人が亡くなったそうだ。


そのころ、祖父は爆弾の落ちる海軍工廠で逃げ回っていた。
最初に一番東に爆弾が落ちた。
北は爆薬庫。
南と西に逃げた人は、ほとんどが亡くなった。

祖父は爆弾の落ちた東へと逃げた。
次々に爆弾が落ちる中、爆弾が落ちた穴から穴へと
移動していたという。
落ちた場所に再び落ちることはないと考えたそうだ。

家族に合流できたのは3日後。

この空襲で祖父、祖母のどちらかが亡くなっていたら
父は生まれることがなかったと思うと、、、
これが運命なのだろう。

祖母は身寄りもなく、家もなくなった豊川で
終戦後、海軍のエリートから失業した祖父を支え、
苦しい生活の中、5人の子供を育て上げた。
祖父母

3男2女の子供から、孫が11人、ひ孫が11人。
ひ孫にあたる長男の子は二人の元気な男の子。
5人の子供は全員豊川に根を張って生きている。

葬式に顔をそろえた大家族を見て、
これが子孫繁栄なのだと感じた。
その礎を築くため、祖母が小さな体で一生懸命生きてきた、
その姿勢を思うと涙が止まらなかった。


祖母が大切にしてきた長男のおじさんは
働き盛りに大病をして何度も命の危険にさらされていた。

今日、おじさんがぼそっと言った。
「順番が守れてよかった」と。

祖母はおじさんに長く生きてほしいと願っていたのだろう。
簡単に自分が死ぬわけにはいかないと思っていたのだろう。
2度心臓が止まったときも息を吹き返し、
手術をしても入院をしても、老人ホームに入っても
明るく笑い、生きつづけた。


祖母のように、死んだとき、
自分の後ろに道があるような生き方をしたい。


涙のわけは、悲しみより何より、
最後まで生きつづけた祖母の生き様に感動し、
生きる姿勢を教えてもらった、感謝の涙だった。

おばあちゃん、ありがとう。





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最終更新日  2006年01月25日 20時41分29秒
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