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あちこちで、国語論が語られている。そういう風になるのは、「ブログ」の存在にとって、とてもいい傾向だと思う。
なぜなら、このままランキング競争やらが隆盛を極めると、それこそ、やがて飽きられ、衰退の憂き目を見ること必定であるから。
私は、少なくとも「明日のテスト作り」は済ませてからブログにかかることを、最低限のモラルとして守っていこうと思っている(笑)。だから、50件更新などは別世界の話題だ。
ちょっと前置きが長くなりすぎました。まるで長い来賓挨拶にイライラするような方も居られるでしょう(笑)。
現国の出来る子は、読むのが速い。勿論、語句をたくさん知っている、そして所謂観念用語にもイメージを持つことが出来る・・・要するに、言葉を知っているのだ。
☆さて、ここからO君の『現国論』の引用☆
「何よりおもしろかったのは国語の授業。特に「手袋を買いに」と「ごんぎつね」の授業は、今の現国に対する姿勢の全てを育んでくれた時間だったと思います。
内容はひたすら討論。「ごんは死んだのか」「ごんがうたれたのか、兵十がうったのか」というような問いが提示され、自分の意見をはっきりさせようと言われた。
ただし、この時、「どちらともいえない」とか「わからない」という意思表示も尊重され、その考え方は、その後の討論においても第3の視点として重要なものだったと思うし、Yes、Noだけにとらわれないというのは新鮮でもあった。
討論は、自分の意見を裏付ける表現を十分探した上で行われ、ある程度の誘導、助言のもとに、生徒同士の意見の応酬、今思えばびっくりするほどのやりとりが行われた。
助言が的確で、かつ生徒の意見を押さえ込まない尊重したものだったからあんなにもみんな夢中になったのだろう。
そして討論中にはメモ。これは後に書く「評論文」につながっていく大切な作業だったが、クラスメイトのきらりと光る発言には、少なくとも自分がそう判断した発言にはもちろん赤ペンのチェック。」
☆引用ここまで☆
ちょっと疲れた。いえ、ブログではなく、テスト作りに(笑)。
そういえば、私が太宰を読み出したのは、高校1年のときの教師の影響が大きい。彼は、太宰情死の新聞記事の切り抜きノートなどを持っていた記憶がある。
ということは、授業はいわゆる「お話」のオンパレードだったのだろう。(もっとも、昔はそういう教師が多かった。今は・・・?)
さて、どうやら、少なくとも、個性的な(笑)国語教師は必要だと思われるが、また次回をお楽しみに~!
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