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Times Squareでの記念撮影、5th Avenueでのショッピングも結構だが、9/11を抜きにしてManhattanを語ることはできないだろう。それほどアメリカ全土、いや全世界を震撼させた出来事だ。2001年9月11日、私は当時日本の公立中学校に通う13歳の中学校1年生だった。雲一つないNew Yorkの青空に突如2機の飛行機が現れ低空飛行したままワールドトレードセンター(以下WTC)1と2に激突した。また、別の飛行機はアメリカの国防総省の本庁舎であるペンタゴン(その建物の正五角形の形状からそのように呼ばれている)にも墜落した。後に語り継がれる「アメリカ同時多発テロ事件(通称ナイン・イレブン)」が起きた瞬間だ。たちまち真っ青の空が煙で曇り始め、まもなくNew Yorkのランドマーク的な存在であった2つのタワーは崩落した。中学校1年生だった私は何が一体起きているのか理解できぬまま、何度もエンドレスで流れる速報映像をただただ日本から眺めていた。どのチャンネルにしても同じ映像が流れていて、事件の規模と重大性を物語っていた。
それから6年後の2007年の春、当時日本の私立大学通っていた大学1年生の私(当時18歳)はNew Yorkにいた。大学が提供する短期留学でペンシルバニア州に1ヶ月ほど語学留学をしていて、フィールドトリップで1日だけNYに行く機会に恵まれた。この時グラウンド・ゼロ(跡形もなくなってしまったWTCの跡地を人々はそのように呼んでいた)に行ったのだが、工事フェンスに囲まれていてフェンスの内側がどうなっているのか確認することはできなかった。当時のグラウンド・ゼロの写真を保存していたパソコンが壊れてしまい手元に掲載する写真がないのが申し訳ない。後述するが、瓦礫の撤去作業が終わった後も訴訟問題が長引きスムーズに追悼施設が完成したわけではない。凄惨な事件が起きた場所にできた施設が観光地化して商業施設のようになることを恐れ猛反対した遺族もいたという。この祈念博物館が完成するまでにもいくつものドラマが存在するのである。超高層ビル群のど真ん中にぽっかりと何もないスペースがあり不気味な不自然さがあったのを今も覚えている。
それからさらに16年後、アメリカ同時多発テロ事件から22年後の9月22日に私は再びNew Yorkに降り立った。特に特別な意味はないが、事件後22年後の22日訪問ということでなぜか数字が綺麗に並んでいた。実は事件後22年経過を知らせるCNNのニュース番組を直前に見ていてこのミュージアムが紹介されていた。2007年の当時工事フェンスで囲まれていたグラウンド・ゼロには慰霊碑(cenotaph)ができていて、さらにその地下には当時を振り返る展示品が飾られていた。翌週別件の用事でちょうどNYを訪問する用事があった。気がつけば9/11 Memorial Museumの公式サイトでチケットを購入しようとしていた。今回9/11 Museumを訪問することで当時13歳の自分がテレビで観た9/11と初めてのアメリカ渡航で見たグラウンド・ゼロを線で結ぶことができるのではないかと考えた。どれも眺めている出来事は一緒だが、年齢や立場が異なればまた見えてくるものは異なるはずだ。訪問してアメリカの栄光とその光によって生じた影の部分を垣間見た気がした。
現在一般チケット$33, 学生$27で貧乏学生の私にとっては割高だったが、それでも訪問する価値がある場所であった。ゆっくり回ったら1日過ごせてしまうだろう。それほど展示方法に工夫が施され、当時の様子が生々しく伝わってくる。
きたろう
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