想いが重なれば闇は光に変わる。想いを抱き続ければ天開がある。

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Lily & Rosy

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2009年02月14日
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こちらも、書き起こしてみました。

この世で、役立たずのように見えた人たちが、その最も大切な瞬間、死を迎えるときに、「愛された」という思いを抱いてこの世を去ることができるためなら、私は何でもしたいと思います。
(マザーテレサ)

本当に私もそうです。そして、私はさらに、死を迎える最期だけでなく、より早い段階で、「愛された」という思いを人々が抱いて、よりよくより長く生切る可能性を、コーチング(時にヒーリング)を通じて探っていきたいと思います。


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(心のともしび)
http://www.tomoshibi.or.jp/tv/info.html
一人一人の魂への愛
By シスター 渡辺和子



マザーが日本においでになって、岡山の教会でお話をしてくださったときのエピソードひとつお話をしたいと思います。
マザーがお話をなさった後で、ひとりの男性の方が質問をなさいました。
自分はマザーテレサを大変尊敬しているけれども、ひとつわからないことがある。マザーのところには十分な医薬品もないし人手も足りない、なのに、なぜ、その不足がちな薬や人手をそれを与えたら健康を取り戻すかもしれない、よくなるかもしれない、そういう人たちに与えないで、与えたところで死ぬに決まっている、そういう人たちに、与えるのですか?という質問でした。
それに対して、マザーテレサが静かに、しかし毅然としてお答えになりました。
私は与え続けます。なぜなら、私たちの『死を待つ人の家』に連れてこられるホームレス、路上生活者の人たちは、誰にも看取られないで死んでいこうとする人たちは、まず生まれた時から望まれないで生まれた人たちなんです。中絶をしようにもお金がなかったし、また気がついた時にはもう中絶をするには遅すぎた、そこで仕方がなく産んで、産み捨てられた人たち、人間以下の扱いを受けて過ごしてきた人たち、その人たちが今、死のうとしている。それを『死を待つ人の家』に連れてきてもらって、先ずは名前、そして宗教を訊ねてもらう。それから汚れている身体を清拭してもらい、今まで飲んだこともないお薬を惜しげもなく与えられ、今まで受けたこともない温かい看護を受けて死んでゆく。人によっては数時間後、10数時間後、数日後かもしれないけれど、その人たちが殆どといっていい間際に「ありがとう(Thank you)」といって死んでいくんですよ。中には微笑みさえ浮かべながら死んでいく人もいるんです。本来ならば、産み捨てた親を恨み、冷たかった世間を憎み、助けてほしいと願っても助けてくれなかった、神も仏もあるもんのかと、そんな思いを抱いて死んでいってもかまわない、その人たちが「ありがとう」と感謝して、親を赦し、世間と和解し、そして、やっぱり神様仏様はいらっしゃる、その証拠に、こんなに私は温かく看護してもらった、そんな信仰を取り戻して死んでいくことができるとしたら、そのために使われた薬・人手ほど、尊いお薬の使われ方、人手の使われ方はないじゃないのではないでしょうか、とおっしゃいました。
わたくしも自分も通訳をしながら、自分が7年間修道院に入るまでキャリアウーマンをしておりましたもんですから、合理性、効率性、そういうものをとかく考えがちでございましたけれども、このお話を伺って、お薬、人手というものは、必ずしも患者、または弱っている人たちを良くする、強めるというだけでなくて、本当に「愛された」という思いを持って死んでいくことができる、この世と和解して、ありがとうと感謝して死んでいくことができる、そういう役目も果たすことができるのだとしみじみ思いました。このお話をなさった後で、マザーテレサが感に堪えない表情で"It is so beautiful"(それは本当に美しい光景です)とおっしゃったんです。美しいという言葉と奇麗という言葉とは表現しているものが違うと思います。
マザーがおっしゃったお言葉の中に、こういう言葉がございます。私はいつも死にゆく人々の最後の眼差しを心に留めています。この世で、役立たずのように見えた人たちが、その最も大切な瞬間、死を迎えるときに、「愛された」という思いを抱いてこの世を去ることができるためなら、私は何でもしたいと思います、とマザーはおっしゃっていました。そしてマザーテレサがなさったこと、今その後を継いでシスターたちが、又はボランティアの人たちがしていること、それは結局このことに尽きていると思います。確かに、体を癒し、お薬を与え、そういうこともございますけれども、それらが何を意味しているかといえば、ひとりひとりが「愛された」という思いを抱いてこの世を去っていくことができる、そのための『死を待つ人の家』でのお仕事だと思います。

一人の日本人のお医者様が、マザーテレサのところにボランティアとしてお出でになって、お戻りになってから、テレビでお話しをなさったのを私はたまたま聞いたことがございます。その時にそのお医者様は、マザーテレサのところには、視るべき医療はなかったけれど、真の看護がありましたとおっしゃって、私はそのお言葉にたいへん感銘を受けたことがございます。日本の診療所でしたらば、どこにでもたくさんあるような注射器、医療器具、そして薬局には山のようにあるお薬、そういうものはマザーのところにはなかった。でもそこには真の看護ありました。看護の看という字は、手と目という二つの漢字が合わさってできております。どれほど医療機器が発達して、そしてそれは勿論看護師さんたちのお時間を助け、手間を省かせて、すばらしいものだと思いますけれども、もし、あまりにも医療機器に頼りすぎて、看護の原点である、温かいぬくもりのある手と、優しい眼差し、それが看護の世界で忘れられているとしたら、それは本末転倒といわれても仕方がないと思います。

イエス様がこの世においでになった、ということは、とりもなおさず一人ひとりの人間が、「愛された」という思いを抱いて生きてそして死んでいく、そのためだ、といっても過言ではないと思います。そのためにイエス様は十字架についてくださいました。マタイの25章に有名なお言葉がございます。
あなたたちは私が飢えていた時に食べさせ、喉を乾かしていた時に飲ませてくれた、裸のときに着せてくれ、病気の時に見舞ってくれた。私の最も小さな兄弟姉妹にしてくれたことは、私にしてくれたことである。マザーテレサが、そしてそのシスターたちがしていることはこのことだと思います。それは飢えている人に食物を与え、乾いている人に水を与える、ということだけではなくて、つまり、そういうことにより、その人たちが「愛された」という思いを抱き、かまってもらえた、という喜びを味わって、本当に安らかな、穏やかな死を迎えることができる、そのための例をお挙げになったんだと思うんです。で、わたくしもマザーテレサのお薬と人手のお話を伺って、しみじみとこのイエス様のこのお言葉を思うことができました。そしてわたくしもできるだけ、このみ言葉に沿って、人々に「愛された」という思いを抱かせることができる生活を送りたいと思っております。







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Last updated  2009年02月14日 22時52分30秒
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