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正月二日目にしてもう早々ネタ切れになってしまったので以前旅行に行った時の思い出話を書こうかなと思います。
なにせずいぶん昔の事なので思い違いとか記憶も定かではなかったりするので旅の参考にはならないとは思いますが正月の寝空ごとと思っていただき読んでいただければ幸いです。
まず初回は生まれて初めて行った台湾旅行の事をお聞きください。
それはまだ平成の世の中になっていなかった頃の話なのでもう20年以上前になります。そのころ住んでいたのは栃木県の北部にある市でした。ただ市とは言ってもいかんせん栃木なわけで然したる繁華街があるわけでもなくそれはそれは寂しい町だったのです、、、
さてその頃の住まいは会社の傍に建てられた古びた寮、寮とはいっても新入社員ばかりいるわけではなく実態は単身赴任のお爺さん達の巣窟、毎晩のように仕事が終わるや否や寮の食堂で酒盛りの宴が開かれていました。
お爺さんというのはほとんどが60前後でもはや会社でも先がなく仕事自体なんか疎外されていたようでその鬱憤を晴らすがごとく夜毎焼酎を飲んではすぐ酔っぱらい大声で叫びまわり、終いには廊下で小便まで垂れ流すという醜態を晒していました。
それはそれは一緒に住んでいる若者には苦痛のなにものでもないところで、さすがに温厚な私も一年猶予で寮を出て行ったほどでした。
私が借りたのは駅の裏側の一軒家、2Kの古い一軒家で家賃はたったの2.5万円、敷金礼金合わせて10万円ほどだったのでボーナスでなんとか支払してさっさと寮を後にしました。
その頃通ったのが駅の真裏にある中華屋の裏にあった居酒屋、裏とはいっても同じ建物で経営も中華屋と同じで若い中華屋の息子兄弟が嫁さんと切り盛りしていた居酒屋さんです。
家から歩いて5分もかからないところにあったので当時は週2~3回ぐらい食事がてら通っていました。もともと中華屋なのでラーメンはもちろん一品料理やカツ丼なども頼めたのでかなり重宝していました。そんなお店で知り合ったのが「マモルちゃん」、年のころは40前後、前歯が一本欠けていて背は小さく身体も細い、頭のねじがどこかゆるみ気味だけどお酒好きという一風変わった人でした。
毎日その店に通うマモルちゃんは店の人はもとよりお客さんの全てが知っていて時には冗談を交わし、時には弄られ、時には話し込んだりと誰からも愛されるキャラクターでした。
いつしか私もそんなマモルちゃんと話を交わすようになり何度となく彼の行きつけのスナックなどにも行くようになっていました。もちろん行きつけのスナックでも彼の愛すべきキャラクターは健在で、酔っ払ってどんな悪口を言おうとも誰もが彼を嫌うことはありませんでした。
そんなマモルちゃんとなぜか台湾旅行に行くことになったのは今となっては経緯も理由も思い出せないのですが、確か世が平成に変わる前年ぐらいだったと思います。
当時、台湾に行くにはビザが必要で10万円以上の預金の残高証明を提出しなければなりませんでした。もちろん当時もピーピーの生活だったので給料日に残高証明をとった記憶があります。行ったメンバーは私とマモルちゃん、そして居酒屋まマスター(長男)の三人、2泊3日の海外旅行でした。
今日は疲れたので次回へつづく・・・デス
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