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コバルトブルー色 五月の空 つばめゆく
五月。
時の流れは速く、あっというまに一日が終わりました。
深夜風呂具ビン。
ご案内は長七です。
本日の一曲目、
オフコースの歌はぼくのこころの「原風景」のようなものであります。心のエネルギーというものがあるとすれば、オフコースの歌はある種の「潤滑油」みたいなところがあります。
自分の三畳一間の6000円の狭い部屋で、ヘッドホーンでラジカセにLPから録音したこの歌を聞いていたのを思い出す。
1981年は思い出がたくさんありすぎる。
だいぶ前の日経新聞の「交遊録」というところに友人が僕のことを勝手に書いて、その記事のことを昔の友人が突然見つけ、僕に知らせてきた。驚いた僕は新聞を買いにいった。それから、だいぶたち、元町のほうで働く人が来て、「新聞を見たよ」という、聞けば、大学の先輩という。大徳寺の近くに下宿をしていた、といっておられた。
いまでも、何年か間はあくのだが、下宿の集まりをしているんだ、
そう、いっておられた、
僕の下宿の話も深夜ブログ便で何度もしているうちに、事故で亡くなった福井の友人が夢に出てきて、みんなにあいたい、という。それらがきっかけで、先日、僕の店で同窓会お開いた。
しかし、同窓会。という言葉は、そのものはあんまり好きでない。自慢大会のような部分もあったり、なにかしら、嫌だ、
だから、ミィーテイングの名称にした。27年ぶりに会う人もいて、50歳を迎えているひともいて、もう、いいおじさんであった。
ひとつのきっかけがいろいろなことがおきてくる。
1981年以前、1982年以降、と二つの紀元前後みたいに、友人の事故死があった、その友人の死んだあとに、その部屋の住人となった、O君、その友人が二人。それ以外は、福井の友人をよく知るひとたち、
その事故をきっかけに、僕の中では「化学変化」のようなものがおきた、
時間はない、時間は有限である。
だから、無為にすごすのはよくない。何か自分を責め、後輩たちに説教をした。無駄な時間をすごすな。
僕が愛読していた、藤原新也の「メメントモリ」という本、その本の中で
インダス川のほとりのことが書いてあり、もともと彼は写真家なので、
遺体を焼く風景、インダス川で清める姿、などがあった。
同じように、ある後輩は僕のその本を読み、いたく感動し、インド旅行へいったという。
その本を読んだぼくも、人が生まれて死んでゆくことを深く考えることが、彼の突然の事故死で影響されたのである。
心のエネルギーというものがあると、昔、ユングは唱えた。
其のエネルギーには方向と強さがあり、ベクトルの向きは「内向する力」「外向する力」があり、どちらに働くかで、その人の性質のようなものがきまるという。
心のありようで、自分の考え方も方向もきまり、行動や人生もそれでしらずしらずにきまるのである、インダス川のほとりで、死期が近づく中、家族たちと其のときを待ち、別れをいい、家族が木々をあつめ、「荼毘に付す」。其の煙る光をみて、人生を思うのだろう。
文明社会といわれる日本では、死は隠されるように忌み嫌われるようにマイナスのベクトルがつくのである。病院の中で死んでゆく、しかたのないことだが、
人生の尊厳は、最後の瞬間の燃えるたいまつのようだ、と、ある人はいった。
其のたいまつの明かりをもらい火するように、自分のたいまつをあかあかとかざし、生きてゆく。そういうことを20歳のとき、僕は考えていたのだ、あれから30年弱。煩悩の中で忙殺されて、霞のような人生であるのだけれども、
もう、一度、あの本を読みたい。
そう、思ったのである、
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