サイド自由欄

僕が好きな音楽は、オフコースです、小田さんも好きですが、オフコースの演奏や
ハーモニーなどがいいんだね、稲垣潤一さんもすきです、安部恭弘さんもすきですね、同じレーベルでしたね、70年代のフォークから80年にかけての音楽がとてもすきです。谷山さんもすきですな、斉藤哲夫さんも最高。山本潤子さんもあのボーカルは日本一だとおもいます、まっさんもすきで、人間性が好きです。亡きひとでは、英五の「生きてりゃいいさ」がすきです、イルカさん、シュリークス時代からのファン、冬馬くんもすきです。ヤス、鈴木康弘さん、甘くていい声、巣晴らしギター。チューインガムもたまらなくいいんですね、海の見える放送局。
まだまだ、あります、洋楽も大好きです。千春も好きです。
馬場さんもすべてのCDもってます、ピース!
音楽は尽きない、ラジオ小僧でありました、つるべ、のファン、
一方、政治経済についてもぐたぐた、語ります。
それから、超常現象にも興味ありますが、ブラジルのあのおっさんには、
むかつく。
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2023.09.15
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テレビは一家に一台しかなく、居間にどんとあり、チャンネル権はお父さんだった。
小学生のときは、ドリフや歌番組をみていたが、中学になると部屋に追いやられ
ラジオを聞くしかなった。
ぼくが一番好きだったのは、鶴瓶の放送だった。彼が出てきたのは中一かそのくらいで
ちらほら出ていたが、メインに出てきたのはヤングタウン月曜日だった。前後して近畿放送の
日本列島ズバリリクエスト、略してズバリく、当時は近畿放送といい、いまのKBS京都
京都は盆地で電波が飛びにくい。神戸の家からだと雑音混じりだった。
1974年から1978年まで放送し、その後、ハイヤング京都になったと思う。

ヤン月は、1975年10月から82年の三月まで 7年もやって、ヤンタンの
人気者だった、桂三枝師匠の勇退で、土曜日の公開録音に移動。1982年から
1988年まで担当した。13年間もヤンタンをやり続けた。
で、一度ヤンタンが終わりかけたのを惜しむさんま師匠がヤンタン土曜日をやりだし
日曜日を1999年から続けている。13年と25年で38年もヤンタンをやってる
すごいと思います。
ヤンタンにでることは関西でスターへの登竜門で、ここに出ることはすごい名誉であった。
鶴瓶師匠のヤン月は、笑いのるつぼで、仁鶴師匠の影響もあり、マシンガンのようにギャグをとばし
こんなに面白いやつがおるんや、と、ぼくはすぐに虜になった、
鶴瓶師匠のヤン月も人気だったが、鶴光師匠と角さんのヤン木も最高に面白かった。
鶴瓶師匠の番組は山のようなはがきがあつまり、毎週何万という投書があった。

ギャグベストテンというコーナーがあり、これがまた、放送事故寸前の禁止用語の連発。
忘れもしない、「いい子にあったらドッキ!」という、ひまわりむすめの伊藤咲子さんの
ヒット曲。これを「いい子にあったらボッキ!」
海原千里真里という漫才師、当時はかわいい漫才だった。
海原せんzりまんZrい といい、大爆笑。

放送謹慎という処罰を受けた。これも自主的な処置で、おおなべさんは
鶴瓶師匠の才能と将来性を買っており、くびにはならなかった。

深夜というのは、昔ははやかった、おかんもおとんも12時に寝て
真っ暗な家で、蛍光スタンドから光が漏れないように、よこに寝て居るおねいちゃんにも
めいわくかからんように、勉強してラジオを聴く、ながら族である。
ほとんどが生放送、リアルタイムであり、みんなのおにいさんか友人のようなDJが
ぼくらのような受験生のために放送をしてくれてるのだ。

ヤン月で、あるとき、数年たっただろうか、
急に鶴瓶師匠が、こういった。
「これから、ゆっくりと普通に話す放送をします」
マシンガントークとギャグ満載のやりかたを、個性的な普通の話に変えた。
ぼくは、あれ?と思った。
鶴瓶師匠が変わった瞬間だった。
なんで、変わったのか、わからないが、彼が今成功して君臨してるのは
あのときがまず、ひとつのポイントではないかと思う。続く
photo 筆者近影、1977年ごろ千里丘MBSスタジオで
わいのわいの90 にて





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最終更新日  2023.09.16 09:42:24
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