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いのち溢れる夏は私のもっとも好きな季節だ。生き物たちがこの世界にあふれかえる様は見事というほかない。遠い記憶の中からさまざまなものたちがよみがえってくるのも、この季節をおいてありえない。一般の人たちにとって、きのこはそんな魑魅魍魎の跋扈する世界にあってなお、きわめて特異な存在のようだが、私にとってはむしろきのこを特異ととらえる精神の貧困のほうが気がかりである。この夏の日々、そんなきのこたちとの長い対話の中で考えてきたことがようやく形をととのえつつあるのを実感している。わたしにとってきのことは、あるいはきのこに代表される異類とは、永遠の他者すなわち死者を暗示するものなのだ。螺旋のひとつのレベルの円をひとめぐりして次のステージの円へと移行する、このことを一般に進化と呼ぶ。 その進化を遂げるためには、この世のものならぬ死者との対話が必要だと常々考えてきた。私の構想してきたヘテロソフィアとは非生産の創造、かって思想家たちが脱構築といってきたものに酷似する。しかし、脱構築とはおのれを虚しくした末にしか獲得できない境地であるように思い至った。仏家の言う「捨身飼虎」の精神に近い。この夏、一生活者の私が、どう暴れきることができるかがもっとも試されるときであるように受け止めている。思い切り死に肉薄することで見えてくる世界を今度ばかりはしっかりと掴み取らねばならない。もし、思う存分暴れきることができたとしたらおのずと次のステージが開かれてくる。願わくば万難われに。
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