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日本全国「手帳の日」に きのこ星雲人たちに提案

僕のことを訳知り顔したマダラ鬚のおっさんがアンズタケだって言ってた。ホントかな?!。
手帖・スケジュール帳は、年末買うものと相場が決まっていますが、1・13「手帳の日」を契機に、今日から毎日数行でもいいから、手書き文字でお手許の手帳の空白部分に書き込み、その空白を埋める努力をはじめましょう。そして時折ひもといて、その文字面をじっと眺め、声を出してそれを耳に伝えることをはじめましょう。
きのこポエム風に、思いついたことを24文字でメモすることでもOK。
デジタル時代、手の微妙な動きを再認識し、それを駆使し、併せて 視聴覚の感覚を回復させることが目的です。
そして、スケジュール帳は最低10年のスパンで捉えた2015年という意識を持ちましょう。
これは、雑誌『プレジデント』や日経ビジネス『Associe』などの能率や効率的な時間管理からは離れて、言葉をもった生き物、すなわち頭脳の生み出すバーチャルな幻想世界と本能の命ずるままなる身体部分があべこべになった不思議な生き物としての日々を10年後の自分に向けて書き分け読み分け進んでいくことが目的です。
そして、この数行ずつの言葉は、テレビのニュースやその日の気候、好きな本、ドラマ、その他の雑多なその場限りの関心に触発されたものからはじめて、可能なかぎり自分の意識と身体をそれぞれ拡散させる内容で満たしていきましょう。
これを半年ばかり続ければ、自分の日々の歩みがどこかへ注がれていることに気がつきます。これが見えてきたら、それがあなたに固有の人生の目標。
それは、何者かになることを決して目指さず、自分の雑多な興味に忠実に雑多な方向へ拡散していくことでもあります。今ある自分から益々わけのわからない自分へと逃走していくのです。
かってエールリッヒ・フロムという人が『自由からの逃走』という書物を著わしましたが、僕は40年以上前に読み、大いに感動しました。が、今となっては感動したことしか覚えていません。
でもおそらく「あいつ、わけがわからんな」と自他ともに思わせ、益々そのようになっていくことが、長いものによろこんで巻かれながらこの現代という愚かな流れからイチ抜けて行く唯一の方法だと彼は言っていたように思えます。
蕪村は籠り居の詩人で、冬ごもりをしながら、遂に何でもない色呆け老人の生涯を完遂します。この見事なまでの「逃げ尻の光けうとき蛍」的人生を大いに学ぶべきでしょう。
「野性生物の本能に生きよ」というムックきのこクラブの旧感覚派的なきのこ探訪会が目指すところもそんなところにあります。
いっぱしの人間になることを全身全霊で拒否する。おとなしく市井の片隅で棲息してはいるが、常識的ではあっても分別はもたず、青い気炎を吐く修羅であり続けること。
宮澤賢治は、『春と修羅』第1集の世界ですごい人間像を提示しながら、そこから無限に遠ざかり、ナショナリスティックな法華宗徒となってからというもの、益々分別ざかりになることを自己に課して、ただのつまらない人に回帰していったことをしっかりと頭に刻みこんでおくことです。
賢治は超凡人をめざし、ただの凡人になってしまった。初期詩集に比べて、童話の世界に駄作が多いのはそんなところにありそうです。
反対に、蕪村は凡人を目指しながら、はからずも超凡人になってしまった。僕の蕪村、賢治の評価はそんな微妙な違いを噛分けていくことでもあります。
はい、それでは今日のまとめにいたしましょう。
21世紀のきのこ星雲人は、このどこから眺めても評価の下しようのない超(英語のスーパー、フランス語のシュール)のつくシュールレアリスト、すなわちハチャメチャな人間像を目指しましょう。それがデジタル化1色の世界、すなわちグローバル化の世界からイチ抜けて行く方法です。
そして、賢治の『雨にも負けず』の人間像とは似て非なる、もっと怠惰で猥褻で色気たっぷりの人間像を目指すのです。色気とは自分と他者へのドキドキワクワクする関心そのもの。
そのためには10年後、少なくともスケベニンゲン(オランダの地名ではありませぬ!)である自分が青息吐息を吐きながら、この世にしぶとく生き残っていることが大前提となります。
だから石の上にも3年ではなく10年なのです。
このきのこ星雲人の 葉っぱの暗号もマダラひげのイノブタは、虫食い痕だと言ってた。「嘘つき!!」
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