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「スカーレット」終了。最終回、すごかったです。ちょっとした衝撃です。「ナレ死」は予想してましたが、あわせて骨髄バンクの設立のことが語られて、おだやかに幕を下ろすのだろうと思ってました。だって、ちや子は政治家なのだし、大崎や圭介は医者なのだし、荒木荘のオーナーも癌患者を支援してるし、白血病患者の会もあったのだし、役人の信作もいるし、実業家の照子の夫もいるし、国際事情に通じている草間もいるし、芸能人の信楽太郎もいるし、影響力の大きいジョージ富士川もいるのだから、骨髄バンク設立運動の下地はじゅうぶん整っていたわけです。しかし、何もないのですね…。徹底して、何もない最終回なのでした。何もない、ってところがスゴイ。三津もアンリも去ったまま戻ってこない。よくあるテレビドラマの大団円らしきものはない。ただ、ひたすら、ひとりの女性のむき出しの人生があっただけ…。そういうド直球をぶつけてきた最終回でした。これは「純情きらり」の最終話を見たときの衝撃に近い。冬野ユミの音楽だけが静かに心に残りました。◇考えてみれば、骨髄バンクの設立にいたるまでの物語だって、そう簡単に語りつくせるような話ではないのだろうし、それ以前に、このドラマは「史実に沿う」とは一言も予告してないのだから、不倫を描く義務もないし、骨髄バンクを描く義務もない。それは、史実を知ってる視聴者が勝手に期待した話にすぎません。そうした史実よりも、このドラマにとっては、他に描くべきテーマがあったわけですね。◇モデルとされる神山清子さんは、たしかに陶芸家として成功し、骨髄バンク設立を実現させた人です。しかし、このドラマは、主人公の人生を、分かりやすい「成功譚」にはしませんでした。あくまでも、ひとりの女性が、さまざまな困難を強いられながら、ひたすら信楽で土をこねて焼きつづけた、という話なのですね。そこには、ハッピーエンドもないし、バッドエンドもない。それは成功の物語でもないし、失敗の物語でもないのです…。まるで、むき出しのリアルな人生のなかに放り投げられるような、そんな制作者の意思を感じさせる最終回でした。◇◇◇ドラマが終わったタイミングで、水橋文美江のインタビューが文春オンラインに掲載されました。これも非常に興味深かったです。ドラマには反映しきれなかった脚本家の真意が見えてきます。たとえば、三津のキャラクターは、現代的で小悪魔的な女性のようにも見えたけど、脚本家が実際に意図していたのは、ごく真面目で純粋な気持ちをもつ若い女性だったようです。それから、八郎のキャラクターは、現代的な寛容さをもった優男のように見えたけど、脚本家自身が意図していたのは、妻に妬みも抱くような、やや男権主義的な人だったらしい。離婚後の夫婦の再会は、わだかまりのある、ぎこちないものに見えたけど、脚本家自身が意図していたのは、もっとあっさりしたドライな再会だったらしい。◇テレビドラマというのは、さまざまな妥協の産物でもあるし、演出家や俳優の解釈によって方向性も変わったりするし、かならずしも「脚本家の作家性」に還元できない面はある。それはそれとして仕方ないことですが、このインタビューを読むと、この作品の本来の意図が、より鮮明に見えてくる気がします。
2020.03.29
NHK朝ドラ「スカーレット」。最終回を迎えるにあたって、メディアの論評がだいぶ考察めいてきました。といっても、「あな番」みたいなバカドラマの考察とはわけが違います。いわば作品論ですね。本来は妥協の産物であるはずのテレビドラマのなかに、とりあえず「脚本家の作家性」があると仮定したうえで、この物語から何を読み取るべきかが論じられるようになってます。今後、さらに多くの作品論が生まれてくるかもしれませんが、現時点で気になったものをメモしておきます。島貫泰介(シンラネット)・家族主義と個人の距離を測ってきたドラマ。・家族というテーマに、土や土地の問題を重ね合わせてきた。・逸脱的な物語ではないが、迂回路や寄り道を示す物語ではある。・不自由を選択したことによって開かれた可能性。成馬零一(リアルサウンド)・父と別れるまでが第1部。夫と別れるまでが第2部。息子との別れを描く第3部。・第1部で父親を仮想敵とし、第2部以降で自分の内側にある父親を認めていく。・物語自体はシスターフッド的で、喜美子を中心とした女の連帯が描かれている。◇つまりは「不自由を選びなおす物語」とでもいえるのでしょうか。男児のいない三姉妹の長女であったがゆえに、「父に強いられた土地」に縛られてしまった主人公が、いかに女性として、あるいは芸術家として、自由に生きることができるのか。主人公にも、さまざまな選択の自由がありました。進路を選ぶことも出来たし、夫を選ぶことも出来た。それだけに、迂回や後戻りの連続でもありました。進路を捨てることも出来たし、夫を捨てることも出来た。行ったと思ったら、また戻ってきた。そして、主人公が最終的に選択したのは、よりにもよって土(土地)でした。つまり、生まれ育った信楽で、故郷の土をこねることを選んだ。不自由の象徴だったはずの「父に強いられた土地」を、主人公は、みずから選び直したわけですね。「不自由を自由に変えた」ともいえる。ジョージ富士川も「自由は不自由や!」と言ってました。ちなみに婿養子(よそ者)である夫は、結局、信楽の土地を背負うことができませんでした。この点が「あさが来た」とは逆なのですよね。構造は同じだけど、男女のポジションが逆転している。さらに主人公は、息子の病気を強いられました。親を選べないのと同じように、子供を選ぶこともできません。その子供が病を背負うとしても、それを拒むことはできない。しかし、ここでも主人公は、その不自由をみずから選び直すのですね。◇「女性の自由」あるいは「芸術家の自由」をテーマにした物語です。しかし、自立というのは、不自由をみずから背負うことでもある。そのことを正面から突きつけてくるドラマだったと思います。
2020.03.27
たぶん、このドラマの最大の特徴は、自立した女性の物語を、容赦なく描き切ったことですね。でも、それは逆にいうと、「夫の存在を蔑ろにすること」だったともいえる。事実、八郎はほとんど役立たずでした。◇これと対照的だったのは「あさが来た」です。あの作品も「スカーレット」と同じ部類で、女だてらに出世した偉人の物語だったのだけれど、彼女の場合、けっして夫のことを蔑ろにはしなかった。たとえ夫が呑気な遊び人だったとしても、陰ながら妻を支える理解ある夫として美化されたし、主人公も彼のことを「旦那様」と呼んで慕い続けたのですね。最終回でも、主人公は夫のもとへ駆け戻っていきます。※これを「保守的」だと批判したのが、大御所プロデューサーの小林由紀子でした。「スカーレット」は、まるで逆です。まずは八郎との離婚にいたる過程をじっくり描きました。そして、その後は、たとえば「半分青い」のように、別れた夫をろくに登場させない選択もあったのでしょうが、そうではなくて、あえて八郎を再登場させて、形のうえでは「父」としての役割を与えつづけたのですね。しかしながら、八郎は、まったくもって役立たずでした。ほとんど「いてもいなくても同じ」って感じ。夫としても役立たず。父としても役立たず。ここまで男性の役割をコケにした朝ドラも過去に例がない。主人公は、息子のことにしか関心がない。まるで八郎の存在を蔑ろにすることが、このドラマの「主眼」だったと思えてしまうほどです。◇もはや「スカーレット」の主人公は、1ミリたりとも夫には頼っていませんでした。精神的にも、肉体的にも、経済的にも。夫の意見にもいっさい左右されることがなかった。その代わり、主人公自身が、どんどんオッサンみたいになっていくわけですが(笑)。喜美子だけではない、照子も、ちや子も、みんなオッサンみたいになっていく。ここに、今作の新しさがあったといえます。自立した女性のオッサンみたいな生きざまを、ここまで徹底的に描いた朝ドラは過去にありませんでした。それは、しかしながら、けっして生易しい成功譚にはならないのですよね。たえず厳しい現実に向き合わざるをえなくなってしまう。実際には陶芸家として大成功しているにもかかわらず、その成功っぷりは、ごく控えめにしか描かれない。ひたすらシビアで難渋な出来事がつづき、そうそう簡単にはハッピーエンドにならない、そんな自立した女性の姿を描ききったのが今作なのでした。◇それにしても、実際のモデルがいたとはいえ、これだけ密度の濃い物語を紡ぎ続けたのだから、水橋文美江の筆力はかなりのものだったと感じます。
2020.03.25
どこもかしこも医療ドラマばかりだと言われてますが、「スカーレット」も終盤は医療ドラマ。いい意味で、予想通りの内容になってます。いっときは離婚が中心的なテーマになったけど、今になって八郎に「小さな問題やったな」と言われてみれば、たしかにそうだと言わざるを得ない(笑)。いくら離婚のことを掘り下げてみたところで、結局、正解などないのですもんね…。◇1983年には、チェッカーズの曲が流れていて、家の電話はプッシュホンになっていて、でも、まだ骨髄バンクは存在しなかった。ちょっと前の出来事のように思うけど、じつは歴史が作られていたんだなと、あらためて感じてます。
2020.03.22
朝ドラからあさイチ。不覚にも信楽太郎の「さいなら」で大泣き。どうにも中毒性があって、なかなか脳内リピートが止まりません。こんなに演歌が沁みたのは生まれて初めてかも。荒木荘の三毛猫に捧げた歌詞って体裁ですが、どこか八郎との関係にもリンクした内容になっていて、ドラマから離れて独立した曲として聴いても成立してる。うまく出来てるなあと思います。作詞は、たぶん水橋文美江ですね。作曲は誰だろう?コーラスや編曲もグッとくるのです。まさか冬野ユミじゃないよねえ。だとしたら凄いけど!昭和40年代の歌謡ブルース。高度成長期の大阪のネオン街が見えると同時に、なんとなく垢ぬけた味わいも感じるんですよね。「地方の都会感」というか、いわゆる「イナタイ」ってやつ。音楽通の知り合いも、「クールファイブを経由した初期のサザンオールスターズ」「メンフィスの夜景が見える後期のサザンソウル」だとか言っておりました(笑)。もう一度フルコーラスで聴きたい。
2020.03.06
喜美子と八郎はなぜ離婚したのか?多くの視聴者は、その理由を十分に理解できなかった。でも、それは登場人物も同じ、ということらしい。先週は、いってみれば武志が視聴者の思いを代弁する形で、その理由を両親に確かめようとしましたが、やっぱり明快な回答は得られませんでした。結局、本人たちにさえ、はっきりした答えは分からないのかもしれない。実際、人生なんてのは、長い時間がたってなお、「どうして自分たちはあんな選択をしたんだろう」という疑問を抱きつづけるものかもしれません。そういうリアルを描くドラマがあってもいいとは思う。ただ、意図的にドラマで描かれなかった部分があるのも事実だし、主人公は、最後までこの問題を引きずるのかもしれないし、スピンオフ大会をはさんだ来週以降に、息子の人生にもかかわっていくなかで、ふたたびこの問題に向き合うことを期待します。何らかの答えが見つかるとは限らないし、かりに答えが見つかったとしても、それがかならずしもポジティブなものとは限りませんが…。むしろ自分の人生の選択にネガティブな結論が出るほうが、今回の朝ドラらしいリアルかな、とさえ感じています。
2020.02.25
今日のエピソードは面白かったです。5人の大人が、子供みたいに動き回りながら、それぞれに好き勝手なことを喋って、じつはおたがいの心理を微妙にさぐってる…。その様子を、カットを切らずに、複数のカメラで一気に撮っています。(実際はカットを割ってると思うけど)ちょっとした舞台劇を見てるような感じ。ほとんどコントですね。その中で、それぞれの人物の気持ちがじんわり浮かび上がる。◇成功と安定を得てからの大人たちは、強さを手に入れたぶんだけ弱くもなっていて、いま、それぞれの寂しさと向き合っています。小池アンリが登場してからのじんわりしたエピソードは、けっこう好きです。
2020.02.18
このドラマは「伏線を回収しないドラマ」なのかも、とひそかに思ってはいた…。なかなか物事が上手くいかないし、ちょっと進んだと思ったらまた戻ってくるし、宣言や約束はちっとも果たされないし、悪いヤツだと思ったら意外に善人だったりするし、すべてが思惑とは違う結果を招きつづけるドラマなのです。◇ふつうに物事が成就するドラマの場合、伏線がきれいに回収されながら話がまとまるのだけど、このドラマは、ほぼ伏線が回収されない(笑)。「一緒に生きよう」と誓ったはずの夫婦。「成功したら穴窯やります」と言ったはずの妻。「平和なうちに穴窯やれよ」と言ったはずの夫。何ひとつ初志は貫徹されず、むしろアベコベになっていく。そういうところが、かえってリアルで面白いのかな、と思ってました。そんななか《炎を信じて》という神話のなかでは、なぜか村上ショージだけが確実に「神」になるという、リアルを超越する宗教的展開だけが際立ったのでした。◇このドラマには、印象的になんども繰り返されるシーンがあります。いろんな登場人物が、いったん去ろうとして、また戻ってくるシーンです。最近では、信作もそうでしたし、草間も、武志もそうでした。いちどは背中を向けて歩き去っていくのですが、途中でなにか思い出したように、スタスタと戻ってきて、主人公にむかって大事なことを言うのですね。そういうシーンが象徴するように、このドラマは、さまざまな意味で、行ったと思ったらまた戻ってくる物語なのだと思います。みんな、なかなか前に進まない。◇一般に離婚のことを「出戻り」と言います。いちどは大阪に出た主人公が、また故郷へ戻ったように、わたしは当初、主人公の離婚のエピソードも、行ったと思ったらまた戻ってくる物語として描かれると予想しました。でも、結果は逆でした。そもそも喜美子の場合は、嫁いだのではなく、八郎を婿に取ったのですから、考えてみたら「出戻った」のは八郎のほうだったのです。ちなみにモデルとされる金場清子さんは、婿養子を拒否して夫の神山の籍に入っています。ドラマは、あえてその設定を逆にしている。喜美子から見れば、むしろ八郎は、行ったまま戻ってこなかったのです。そして、八郎が戻ってこなくなったとき、喜美子はようやく前に進むことができました…。◇離婚に至るまでの展開は、かなり強引な印象をあたえました。「やっぱり不倫のほうが説得力あったよね…」という思いは拭えない(笑)。たしかに、八郎の性格から考えれば、三津がよっぽど淫乱かつ強欲でもないかぎり、けっして不倫には至らなかったのだろうけれど、結局のところ、「なぜ夫婦は離婚するほどすれ違ったのか?」について、視聴者の多くは明確な回答を得られなかったと思います。そもそも売れる保証すらないのに、「いますぐ穴窯」「借金してでも穴窯」「家を焼いてでも穴窯」という喜美子の頑固さはちょっと解せなかったし、かたや、登場人物がみんな喜美子に協力しはじめたのに、ひとりだけ別居をつづけた八郎の頑固さもちょっと解せなかった。むやみに同じ屋根の下で衝突しないように、一時的に別居しただけなのかもしれないけど、それがなし崩し的な離婚に至るんじゃあ、元も子もないわけで。◇ただ、ひとつ言えることは、この離婚において、喜美子は「被害者」じゃなかったってことです。かりに不倫なら、八郎や三津にこそ罪があれ、喜美子は「被害者」ってことになるけれど、この脚本では、喜美子にはほとんど被害性が見当たりません。たしかに、三津とのことや、女性差別の問題や、芸術面でのすれ違いや、八郎の京都への移転など、なし崩しに色々なことが積み重なったとはいえ、結局、八郎を捨てたのは、喜美子自身の選択だったともいえます。その意味では「花子とアン」の蓮子に近い。大きなものを得るために、大事なものを失うという生き方。そのすべての責任を、自分で背負わなければいけない生き方。ヒロインに「罪」を背負わせたところが、この朝ドラの大きな特徴です。それを描いたところに、この朝ドラの新しさがある気がする。◇このドラマは、前に進むことを、かならずしも肯定的には描いていません。前に進むことは「戻れなくなること」であり、何かを得ることは「大事なものを失うこと」です。もっとえいば「何らかの罪を背負うこと」でもあるかもしれない。陶芸家として成功を得てから後の喜美子の姿は、おどろくほど寂しいものになっています。成功して、夢も叶って、経済的な不安も無くなったのに、気づいたら、夫もいない。息子もいない。父も母もいない。喜美子は、多くの時間を一人ぼっちで過ごしています。肯定的な描き方ではないけれど、ものすごくリアルです。◇まだ一ヶ月以上ありますが、このドラマの結末は、いったいどうなるのでしょうか?アシガールみたいに、若いときの三津がタイムスリップして武志に出会ってほしいけど、神山清子さんは長男を亡くしている。モデルの女性は存命していますし、はたしてどの瞬間を物語の終着点にするのか、とても興味深いです。
2020.02.13
スカーレット。いよいよ離婚することになるようです。またしても「死んでくれ離婚」が発動するでしょうか?でも、予告によれば、>7年後、武志(伊藤健太郎)は高校2年生で進路に悩んでいる。>喜美子と八郎が5年前に離婚したのち、信作は八郎からの手紙を武志のもとに運んでいた。とのことですから、いわゆる「ナレ離婚」になりそうな気配が濃厚。やはり修羅場を露骨に描写するのはリスクが大きいでしょうか。先週までの経緯でいうならば、喜美子「穴窯がウチを呼んどるっ!退路を断ちたいっ!不安定な生活やし、家族は邪魔や!」八郎 「死んでくれ。…死んでくれ、喜美子。そしたら許したる。そしたら別れたる。」照子 「いつまで夢見てる、喜美子!目え覚ませ!私たちは年とったんよ!親なんよ!バカ!」みたいな状況だったわけで、じつは、ほとんど「半分、青い」へのオマージュだったのですよね。(さすがに八郎は「死んでくれ」とは言わないでしょうが。)◇描き方の違いこそあれ、喜美子の生き方は、「半分青い」でいえば涼次の生き方に近いし、「まんぷく」でいえば萬平の生き方に近い。喜美子は、結果的には萬平のように成功するのかもしれませんが、もしも失敗したあげく、八郎に再婚など申し出ようものなら、それこそ涼次と同じですよね。NHKの朝ドラは、手をかえ品をかえ、同じテーマを何度も繰り返し描いてる。問題は、視聴者がその生き方を受け入れられるかどうか、なのですね。
2020.02.03
今日にかぎっていえば、こんなに狂った朝ドラヒロインは、いままで見たことがありません。夫のみならず、息子がいなくなっても、ひたすら薪を割りつづける朝ドラのヒロイン…。ある意味、離婚するヒロインより狂ってるよ(笑)。そもそも「穴窯やれ」と言ったのは八郎やないかい!というツッコミはもちろんありますが、それにしても、あの目の色の変わりようは尋常じゃない。悪い意味で、常治に似ています。いつものセオリーどおりならば、週末までには、八郎も息子も戻ってきて、落ち着きを取り戻すのだろうと思いますが、しかし、なんといってもタイトルが「スカーレット」ですからね…炎の魅力に憑りつかれていく狂った情熱こそが、この主人公の本質だとしても間違いではないのかも。そう考えると恐ろしい。でも、正直、面白いです。(^^;わたしとしては、いい意味で目が離せない(笑)。少なからぬ視聴者が脱落しそうな気もしますが。◇彼女の狂気が、はたして芸術家としての情熱なのか、それとも夫婦関係からの逃避なのか、それも、いまひとつ分からない。おそらく、まだ本人にも分からないのだろうと思います。八郎はどこに行ったのかしら?セオリーどおりなら、八郎は、誰かを連れて帰ってきそうなところ。ジョージ富士川とか、ちや子とか、草間とか、荒木荘のオバチャンとか?そして喜美子は、信作や照子や妹たちに説得されて、正気を取り戻す、と。もしも、さらにセオリーを踏み外すなら、喜美子はひたすら穴窯を燃やし続け、八郎は… どこかで三津と再会してしまう??
2020.01.29
あまりに早すぎる三津の退場にびっくり…。あくまで不倫させろ!とまではいわないけど…こんなにあっさり退場してしまうと、いったい美津が何のために川原家に来たのか…彼女が夫婦にもたらしたものは何だったのか…よく分からないとさえ思えてくる。◇喜美子と八郎は、どんな思いで三津を辞めさせたのですか?夫婦は同じ思いを共有していたでしょうか?そのことも見えてきませんでした。三津が「辞めたい」と言い出したとき、夫婦のあいだで何も話し合わなかったはずはない。でも、ドラマはそこらへんの過程を省略してしまいました。それはずるい。消化不良が残ります。三津の若さゆえの不貞未遂を、八郎が「なかったこと」にしたのは彼の寛容さだったけれど、その寛容さは、八郎だけでなく、夫婦のあいだでも共有すべきものだったし、あえて言葉にして確認し合うべきものだったと思います。そうすることで夫婦の絆を強め合えたはずだから。言葉にせずに黙って呑み込んで済ませられるほど、この夫婦は、まだお互いを信頼し合えていないはずだし、三津の恋心を見なかったことにして、夫婦のタブーにしたら、またひとつ夫婦のあいだの疑念が増えてしまう。◇いつか、このことを夫婦で話し合ってほしいです。そうでなければ夫婦にはまたすれ違いの危機が訪れる。(実際、そうなるかもしれませんが)いずれは三津の再登場にも期待したいです。
2020.01.27
母のマツは、常治のすべてを許していたけど、喜美子は、けっして八郎のすべてを許すタイプではない。むしろ信じる気持ちが強いからこそ、疑心暗鬼になる。それは、ある意味、窮屈な関係でもある。喜美子はつねに、八郎の気持ちを先回りしてまで確かめようとします。だから、八郎はいつも、喜美子からの問いに答えつづけなくてはいけない。そこでは、いっさいの嘘も許されていません。◇かりに「一線」を超えたあとに戻ってくるのなら、喜美子は、八郎の浮気を許すかもしれません。しかし、一線を超えるでもなく、いつまでもプラトニックな関係だけが続くのは、かえって耐えられないだろうな、という気がします。悪者探しをしようとすれば、三津に矛先を向けるしかない。夫婦のあいだの信頼と思いやりを守るためには、外から入り込む余計なものを徹底して排除するしかない。◇多くの視聴者は、夫婦が離婚しないように、と願っています。しかし、それは裏を返せば、三津が泣きながら出ていく、ということです。喜美子は、三津をなじったすえに追い出せるでしょうか?そもそも、三津を弟子入りさせたのは喜美子自身です。八郎は反対していました。喜美子は「八郎のために」と思って、三津を弟子入りさせた。喜美子自身が、三津を八郎の近くに置こうとしたのです。だから、これは後悔しようのない過去です。おそらく三津が自分で出ていかないかぎり、喜美子は、三津のことを責められないでしょう。もしも三津をなじり倒すことがあるとすれば、それは、喜美子が離婚を決意するときだろうと思います。
2020.01.26
主役感を全開にして登場した黒島結菜が、まるでヒロインの座を奪ってしまいそうだという話は、あながち冗談でもない、という感じになっています。さすがにヒロインの座は奪わないでしょうけれど、すくなくともヒロインの夫を奪っていきそうな雰囲気が濃厚です…。◇過去に《離婚》という選択をした朝ドラのヒロインが、いったい何人ぐらいいたのか正確には分からないけど、最近なら「半分、青い」で永野芽郁が離婚してるわけだし、佐藤健なんかはナレーションだけであっさり離婚しちゃってる。いまや朝ドラにおいて、離婚は驚くほどのことじゃありません。しかし、まだ離婚すると決まったわけじゃありませんが、いざ離婚となれば、やはり視聴者は真っ二つに割れるでしょう。離婚そのものを忌み嫌う視聴者もいるでしょうし、離婚にいたる過程がリアルであればあるほど、妻に味方する視聴者と、夫に味方する視聴者とが、ネット上で激しく対立することにもなる。すでに現時点でさえ、夫婦のあいだには息の詰まるような重い空気が流れて、それが視聴者までをも難しい選択へと追いやっています。気の強すぎる妻のほうを責めることもできる。煮え切らない夫のほうを責めることもできる。あえて、どちらの見方もできるような脚本になっている。もちろん、黒島結菜がすべての泥をかぶる展開もありえます。明快な《善悪》の図式を求めてしまう視聴者の多くは、この分かりにくい展開に耐えきれずに離脱しますから、すでに視聴率はどんどん下がっています。単純軽快だった北村一輝のキャラにくらべて、抑制的にすぎる松下洸平のキャラが面白みに欠ける、という感想があるのも、まあ仕方ないかなと思います。◇けれど、もともと「スカーレット」の魅力は、けっして善悪のはっきりとはしない人間関係のなかで、かならずしも真っ直ぐには成長できない、ヘタレな主人公を描くところにあったのですよね。その意味では、わたしにとって、ますます目の離せない朝ドラになっています。
2020.01.16
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