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NHKアストリッドとラファエル〜文書係の事件録。シーズン6の第6話「デジタルの悪魔」。新しい警視正が赴任したら、OPテーマ曲もすこし変わったみたい。白人の警視正は良い奴なのか悪い奴なのか、まだちょっと分かりません…(^^;◇今回は《悪魔に魂を売った男》の話です。ゲーテのファウスト以来の近代的なテーマ。そして、裏テーマは、堕天使ルシファー&聖ベネディクトのメダル!このドラマのお得意の分野ですねw…大天使ルシファーは、明けの明星に喩えられる光の使者だったのに、地上に墜落したことで、悪魔サタンと同一視される存在になってしまった。https://ja.wikipedia.org/wiki/ルシファー聖ベネディクトは、修道生活の厳しい戒律を作ったために、彼の言葉を刻んだメダルは、悪魔を退ける強い力をもつと信じられてます。https://en.wikipedia.org/wiki/Saint_Benedict_Medal…とはいえ、「自分で自分を鞭打つ」とか「死体の目と口を縫う」とか、そんな儀式があるかどうかは知らんけど。そして、そこに、化学工場の環境汚染の問題と、巨大データセンターが隠蔽する闇情報の問題とが、現実的に絡み合ってくる展開です。湖南省の河川で基準値を大幅に超えるタリウム検出。発生源は付近のセメント企業。https://t.co/60OaiSGScw— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 10, 2026さらに、もうひとつ裏テーマがあるとすれば、データセンターの会社名「アスモデウス」。ゾロアスター教のアエーシュマに由来する悪魔です。魔術的な智慧をもつとの理由で、智天使ケルビムに比定されることもある。その意味ではルシファーと同じ堕天使かもしれません。旧約聖書の外典「トビト記」では大天使ラファエルに倒される。ラファエルって大天使の名前なのね。旧約にも新約にも登場しないけど。17世紀のフランスでは、黒魔術でアスモデウスを憑依させた咎で、司祭のユルバン・グランディエが処刑され、修道女たちの公開悪魔祓いがおこなわれた。悪名高きルーダン憑依事件。これを題材にしたのが、ケンちゃんの「肉体の悪魔」(The Devils)ですね。デレク・ジャーマンが美術を手掛けたカルト映画。ケン・ラッセル「肉体の悪魔」(1971)◇さて、第6話の内容ですが…ちょっと複雑で分かりにくかった。まずは2つのミスリードがあります。第1のミスリードは、殺されたマキシムが、雇用主のシャマコを「光をもたらす者」と呼んだこと。…しかし、これは、シャマコを崇めたからではなく、むしろ堕天使ルシファーとして憎んだからだった。第2のミスリードは、マキシムの遺体が目と口を縫い合わされてたこと。…しかし、これは、「見るな」「語るな」といった懲罰ではなく、むしろ悪魔から死者を守るための儀式だった。pic.twitter.com/gyBLjtmdvK— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 10, 2026◇以下はネタバレ。マキシムは故郷の環境汚染訴訟において原告側のリーダーだったが、化学工場の株主だったシャマコはマキシムを買収して寝返らせることに成功。シャマコの経営するデータセンターの幹部になったマキシムは、そこで大量の闇情報の隠蔽の事実を知り、自分が「悪魔に魂を売った」のだと自覚する。父の影響で敬虔なカトリック信者だったマキシムは、自分の罪をフュザック神父に告解。データセンターに大量の脅迫文を送りつけて、その闇情報を暴くためのプログラムを仕掛ける。マキシムを危険視したシャマコは、化学工場の弁護士を装ってマキシムの妹クローディアに接触し、裏切り者の兄を殺害するようそそのかす。クローディアはコーヒーにタリウムを混入させて兄に飲ませる。死を悟ったマキシムは、最後の告解をするためにフュザック神父を呼び寄せるものの、神父が駆けつけたときには息を引き取っていた。神父はその遺体に目と口を縫う悪魔祓いの儀式をほどこす。やがてマキシムの仕掛けたプログラムが起動すると、データセンターの大量の闇情報が暴露され、追い詰められたシャマコは自殺する。クローディアは、裏切り者の兄を殺害しましたが、おそらくマキシムの裏切りは、環境汚染によって癌を患った妹と、母を亡くすだろう幼い姪を支援するためだったのよね。裁判で賠償金を勝ち取るよりも、取引で大金を得るほうが確実と判断したのでしょう。しかし、それこそが《悪魔に魂を売る》行為だった。◇なお、化学工場の弁護士を装ったシャマコが、原告団を裏切ったマキシムの背信行為を暴露して、クローディアの怒りを焚きつけたのは間違いないけど、それを「殺人教唆」とまでいえるかどうかは微妙。いずれにせよ、クローディアも兄と同じように、シャマコに丸め込まれて《悪魔に魂を売った》のよね。本当に憎むべきはシャマコだったのに、兄を憎んだあげく殺害してしまった。◇ちなみに、タリウムには強い毒性があるものの、発癌性があるとの情報は見当たりません。なので、化学工場の汚染物質とは無関係なはず。脚本的にいえば、そこは関連する殺害方法のほうがよかったかな。また、マキシムとクローディアは「異母兄妹」でしたが、父の影響を受けたカトリック信者の兄と、そうでない妹を対比するためには、むしろ「異父兄妹」のほうがよかった気もします。◇ちなみに、目と口を塞ぐ殺害方法は、テレ朝「未解決の女」シーズン3にもありました。去年のフランス版の放送を見て真似たのかしら?もともと、文書捜査官と熱血刑事の女性バディの設定は、大森美香の「未解決の女」のほうが先だったから、フランスのドラマが、日本のドラマの影響を受けた可能性もあるんだけど、今回は、その逆のパターンだったかもしれません。文書捜査官。#未解決の女 #アストリッドとラファエル #アストリッドとラファエル6 pic.twitter.com/4ReONx4rmA— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) April 19, 2026聖ベネディクト メダイ ベネディクトゥス 毒 腎臓病 胆石 誘惑 守護聖人 イタリア製 お守り 護符 タリスマン チャーム ペンダント 楽天で購入 いいねを押す前に こっちを押してね!!
2026.05.11
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NHK「まぐだら屋のマリア」を見ました。内容はやたらとテンコ盛りでしたが…死にたい人のエピソードが、毎回オムニバス的につづられるだけで、これといった脈絡はないのだね…(^^;まあ、結論としては、「何があっても頑張って生きなさいよ!」ってことなんだろうけども。ロケーションは凄いですね。個々のエピソードも説得力に乏しく、内部告発して男女が心中とか、母が死んだと勘違いして自殺未遂とか、女子高生が既婚の教師と不倫して心中とか、死のうとする動機が、唐突だったり、やや古臭かったり…(^^;◇なお、新約聖書をモチーフにしてますが、桐江(岩下志麻)=キリエ有馬りあ(尾野真千子)=マグダラのマリア&聖母マリア紫紋(藤原季節)=ペテロ(シモン・ペトロ)湯田(近藤公園)=ユダ悠太(坂東龍汰)=ユダ丸狐(坂東龍汰)=マルコ晴香(大原梓)=ルカ与羽(斉藤陽一郎)=ヨハネ…みたいな対応だろうと思います。主人公の有馬りあは、マグダラのマリアと聖母マリアを重ねた感じ。逆に、ユダが2人いるのは、裏切り者のユダと自殺したユダを、2つの人格に分けたのかもしれません。キリエは神?新約聖書には複数のマリアが出てきます。アヴェマリアに歌われるのは、イエスを産んだ聖母マリアですが、そのほかにも、イエスの弟子だったマグダラのマリアや、イエスを接待したベタニアのマリアなど。シモンのほうも、ペテロ(シモン・ペトロ)以外に、キレネ人シモンや魔術師シモンがいるらしい。ついでにいうと、ブニュエルが映画化した「砂漠のシモン」は、4世紀の聖人とされる登塔者シメオンですね。◇原田マハの小説の最初の表紙は、グレゴール・エルハルトの「マグダラのマリア」だったらしい。でも、現在はロセッティの「受胎告知」になってます。そこに描かれてるのは、もちろんマグダラのマリアではなく、聖母マリアと大天使ガブリエル。そのへんから考えても、やはり主人公の有馬りあは、聖書の2人のマリアの投影なのでしょう。グレゴール・エルハルト「マグダラのマリア」まぐだら屋のマリア (幻冬舎文庫) [ 原田 マハ ]楽天で購入◇マグダラのマリアも、シモン・ペトロも、ユダもイエスの弟子。一方、ルカとマルコは、彼らの事跡を書き残した福音書記者です。そしてヨハネは、弟子でもあり、福音書記者でもあった。ユダとシモンペトロはイエスを裏切りました。ユダの裏切りは銀貨と引き換えに「イエスはあそこに隠れてるよ」という密告。シモンペトロの裏切りは「イエスなんて知らねーよ」という否認。シモンペトロはのちに改心して救われますが、ユダは救われないまま自殺。ルカの福音書はユダとシモンペトロの裏切りを「神の計画」と見なし、マルコの福音書は「人間の弱さ」と見なし、ヨハネの福音書はユダの裏切りに「神と悪魔の相克」を見ます。他方、異端のグノーシス文書(外典)ではマグダラのマリアが重視されます。彼女はもっともイエスに近かった女性だし、イエスの重要な奇跡を目撃してるから。しかし、シモンペトロは彼女の証言を認めなかった。じつは両者は対立関係にあるのです。また、イエスは、当時のユダヤ社会の男性主義的な慣習に則って、マグダラのマリアを《十二使徒》に選びませんでした。そして西欧カトリック教会では、グレゴリオ1世が「罪深き女」と同一視したために、マグダラのマリアは《悪魔》《娼婦》などのレッテルを貼られることになる。ただし、近年のローマ教会は、マグダラのマリアの地位をすこしずつ回復させてます。◇ドラマのほうは、長崎俊一の演出もいたってシリアス、中島みゆきも大真面目に歌ってましたが…新約聖書のモチーフには、さしたる必然性が感じられず、せいぜいダジャレどまりでしかない。下から読んでも「ありまりあ」とか、尽き果てたい人が集まるから「尽果」とか、なかばギャグじみたネタよね。そのうえ、「マグロ+タラ=マグダラ」に至っては、素直に笑うところと考えていいのかしら?…(^^;河野伸の音楽が、グノーでもシューベルトでもなく、偽物のカッチーニ風だったりするのも、あえてフェイクを狙ってるのかもしれません。偽カッチーニのアヴェマリア脚本の小寺和久は、同時に「ラジオスター」も書いてたんだって。今週から4週間、月曜から木曜は #夜ドラ #ラジオスター土曜は #土曜ドラマ #まぐだら屋のマリアよろしくお願いします🙌— 小寺和久 (@cotelogue) April 18, 2026そもそも、自殺した友人のドッペルゲンガーって、どう考えても萩尾望都の「トーマの心臓」だし、父の性暴力に苦しんだ少女が、学校の先生に救いを求めてデキちゃうのは、どう考えても野島伸司の「高校教師」よね…(^^;由貴ちゃんは、かつて「トーマの心臓」の解説に、ユーリは人を許す立場にありながら自分を許してはおらず、自分の為に死んでしまったトーマに怒りを覚え、許されないと思いつつも、彼に許されたいと願っていたのではなかろうか…と書いていた。今回の物語では、悠太の内部告発がいわば"父殺し"、丸狐のほうが"母殺し"になってて、この2人がドッペルゲンガーの鏡像だったから、そこから話が深まるのかと期待したけれど…まったく関係ありませんでしたw由貴ちゃんの解説が載ってるのはこの版じゃありません。念のため。トーマの心臓 プレミアムエディション (書籍扱いコミックス単行本) [ 萩尾 望都 ]楽天で購入◇わたしもご多分に漏れず…マグダラのマリアについては、映画「ダヴィンチコード」経由で、イエスの子供を産んだ妻(もしくは愛人?)みたいな、西欧教会のタブーのイメージなのですが、原田マハのこの小説も、そこらへんに乗っかった感じではある。ダ・ヴィンチ・コード(上) (角川文庫) [ ダン・ブラウン ]楽天で購入松岡正剛の千夜千冊が、マグダラのマリアを取り上げてたことがあって、こちらは、美術史におけるマグダラのマリアについての本。https://1000ya.isis.ne.jp/1295.html西洋美術史のなかで、彼女はファムファタルの原型みたいになったわけね。これは、原田マハの小説の5〜6年前の本だし、原田自身も美術キュレーターだから、このあたりをネタ元にした可能性はあります。マグダラのマリア エロスとアガペーの聖女 (中公新書) [ 岡田温司 ]楽天で購入以下はドラマのネタバレあらすじ。東京の老舗料亭で料理長の湯田ユダが産地や賞味期限の偽装。仲居の晴香ハルカは、それを板前見習いの悠太ユウタに内部告発させる。結果的に孤立した悠太は自殺。後輩の悠太を救えなかった板前の紫紋シモンは《尽果》の地でマリアに出逢う。そこへ悠太と瓜二つの丸狐マルコが登場。彼は自分が母を殺したと勘違いして自殺未遂するものの、じつは母は生きていた。マリアは高校生のとき、義父の性暴力から救ってくれた教師の与羽ヨハネと不倫関係になって自殺未遂をしていた。教師の妻はこのときに飛び降り自殺。12年前に《尽果》を訪れ、教師の義母の桐江キリエに謝罪して死のうと思ったマリアだったが、マリアと瓜二つの娘を亡くしていた漁師の克夫に助けられ、桐江に「悪魔」と罵られながらも、桐江に代わって"まぐだら屋"の営業を任される。マリアは、妻の故郷の《尽果》で死のうとした与羽と12年ぶりに再会。2人は東京で一ヶ月を過ごし、それぞれの場所で生き続けることを約束して別れる。《尽果》に戻ったマリアは死に際の桐江にすべてを許される。生き続けることを誓い合った紫紋はマリアと別れて《尽果》を去る。◇原田マハ&由貴ちゃん&萌音についてはこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202210180002/清水寺で開催中のCONTACT展に、連日多くのビジター、ゲストが来られて嬉しい限り。女優の上白石萌音さんも駆けつけてくださった。「とても、とてもよかったです」と、「君の名は。」の宮水三葉のあの声で告げられて、胸熱。展覧会は明日まで。見たこともない光景、見に来てください。 pic.twitter.com/TpZywnlrdO— Maha Harada 原田マハ (@haradamaha) September 6, 2019
2026.05.10
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NHKみんなのうたで、水嶋凜の「サクラノカケラ」が放送中です。2~3月は斉藤由貴の「ポケットの中で」もアーカイブ放送されていて、母娘の曲が同時期に取り上げられている形。NHKスタッフのちょっとした遊び心かもしれません。森山良子&直太朗とか、矢野顕子&坂本美雨とかでも、同様のことがあるのかしら?編曲は前作の「予感」にひきつづいて武部聡志です。作詞の奥村健一は、2017年に上白石萌音(当時はポニーキャニオン)の「あなたの声」を書いた人で、これもNHKみんなのうたでした。門脇康平によるアニメーションは、あきらかに「卒業&ポニテ」をテーマに制作されてます(笑)。— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) February 9, 2023前作の「予感」のときの凜のボーカルは、いかにも"手嶌葵風"のブレスが多い歌い方で、本人も「母親の色気のある歌声とは違う」と割り切ってたし、武部からも「エアリーな歌声」などと言われていたけれど、今回は、一か月あまりのミュージカル公演を経て、やっぱり歌声に力強さが加わってて、ちゃんと母親譲りの色気も感じさせます。もともと声が似てるし。そして何より、佐久間誠のメロディと武部のアレンジが壮大だから、そのまんまドラマとかアニメの主題歌にでもなりそうな仕上がりですね。母娘の曲が同時期に放送中。実際のところ、今後はアニメなどの主題歌を担当する可能性も十分にある。凜は、いちばん好きなアニメが高橋留美子の「犬夜叉」だってのに、武部から話を聞くまで母親が「めぞん一刻」の主題歌を歌っていたのを知らずにいたらしく、これには思わずズッコケましたけど、凜が好きな「犬夜叉」の殺生丸が「半妖の夜叉姫」にも登場してるんだから、adieu(上白石萌歌)がその主題歌を担当したことはさすがに知ってるでしょう。東宝の女優は、一貫して高橋留美子のアニメに縁があります。それぞれ局も制作会社も違うのだけど、斉藤由貴は「めぞん一刻」(フジテレビ・キティフィルム)の主題歌を、上白石萌音は「境界のRINNE」(NHK・小学館集英社プロダクション)の主題歌を、上白石萌歌は「半妖の夜叉姫」(読売テレビ・サンライズ)の主題歌を歌っている。これが必然なのか偶然なのかは知りませんが、もとをただせば「東宝とキティ」の、そして「由貴ちゃんと高橋留美子」の関係にはじまってるんじゃないかしら?もっとも「めぞん一刻」の話が母娘のあいだで共有されてなかった点から察するに、じつは由貴ちゃん自身はあんまり高橋留美子の漫画に興味がなかったって疑いがあります(笑)。いくら漫研部長だったといっても、あらゆる漫画に興味をもってたわけじゃないだろうし、むしろ人並み以上に嗜好が偏ってた可能性のほうが強いわけで、由貴ちゃんの好みがもっぱら萩尾望都とか安彦良和とかだったとすれば、仕事の上では「野球狂の詩」や「スケバン刑事」や「めぞん一刻」に関わっていても、じつは水島新司や和田慎二や高橋留美子にはさして興味がなかったかも…という疑いは消えない(笑)。上白石姉妹も、仕事としてアニメのテーマ曲やアフレコを担当してはいるけど、読書家である反面、ほとんど漫画を読まないことで知られています。ってことで、むしろ凜のほうが、るーみっくわーるどには親和性があるんじゃないかしら?「シンスト」で継母役だった佐藤アツヒロが、パルコの舞台で「犬夜叉」を演じていたのも何かの因果だったりして。いずれにせよ、志向の異なる層を二世代にわたって獲得してるところに高橋留美子の(ジブリにも劣らぬ)超時代的なポピュラリティがあるのでしょうね。ちなみに、由貴ちゃんは目下、長男の影響で「呪術廻戦」の五条悟に夢中だとのことです。— Blue Ocean (@BlueOceanTFM) February 13, 2023ご多分に漏れず、凜のほうはジブリも好きなわけで、そもそも芸名を「千と千尋」のリンから採ってるわけだし、武部の番組でも「アリエッティ」の曲を選んでたし、たぶん手嶌葵が好きなのも「テルーの唄」あたりからなのだと思う。でも、そのわりに「コクリコ坂」や「アーヤ」の音楽を武部が作っていたのを知らなかったとかいう話(笑)。その様子だと、由貴ちゃんが昔、ジブリのスタジオを訪ねて高畑勲と宮崎駿にインタビューしたことも知らないんじゃないかしら?谷山浩子が「テルーの唄」から「コクリコ坂」の挿入曲まで作ってることも、凜はあんまり意識していないかも。その反対に、手嶌葵が歌った「さよならの夏」を由貴ちゃんがカバーしたのも、娘の趣味とは何ら関係がないのかもしれません(笑)。とはいえ、このたび凜が公開したプレイリストには、やっぱりジブリ関連の曲がいくつか含まれています。春一番/キャンディーズサクラノカケラ/水嶋凜卒業/斉藤由貴さすらいのソフィー(ハウルの動く城)/久石譲風になる(猫の恩返し)/つじあやのLes rues de Paris(Au Service De La France)/Nicolas GodinTake on Me/a-haBeautiful Day/U2ピースサイン(僕のヒーローアカデミア)/米津玄師上を向いて歩こう/坂本九4:00A.M./大貫妙子ふたたび(千と千尋の神隠し)/久石譲ジブリ以外の曲は、ジャンルも時代もてんでバラバラで、やけに縦横無尽なセレクトに思えるけど、実際に聴いてみると不思議に違和感がないのです。これがサブスク世代の選曲ってやつ?! a-haの「Take on Me」なんかはラ・ラ・ランドとかで知るのかしら?このなかでニコラ・ゴダンの曲が気になって調べてみたら、フランスの「シークレットサービス~マル秘ミッション」とかいうドラマの音楽でした。萌歌も「アメリ」とか「ミッドナイトインパリ」とか、フランスを舞台にした映画の3拍子の音楽を選ぶけど、ちょっと趣味が似てるかもしれません。ジブリの「ハウル」のテーマ曲も、まごうことなきワルツですね。— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) November 2, 2022凜は「家では漫画を読ませてもらえなかった」と言ってますが、結局は母親ゆずりのアニメ好きになっている。そして、萌音・萌歌はほとんど漫画を読まないけれど、むしろハードな漫画まで好んでるっぽいのが浜辺美波です。北川悦吏子の「ウチカレ」に美波が出演したのは、佐藤健が「あいつは本物のオタクだ」と太鼓判を押したから。さらに、昨年末のドレミファドンを見てたら、山崎紘菜もかなりのアニメ好きらしくて、やはり美波と同じく「チェンソーマン」が好きなようです。— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) February 28, 2023 そして、もうひとつ最近わかったのが、浜辺美波とアニメ声優人脈がひそかに繋がってたという事実。先月の「おしゃれクリップ」で、浜辺美波と佐倉綾音との親交が明かされました。神木隆之介が2人を繋いだそうで、たぶん2019年の「屍人荘の殺人」の頃からですね。そして、この人脈が禰豆子役の鬼頭明里にまで繋がっていることが分かったのだけれど、じつはこれが芹澤優の人脈にも非常に近い!ただ、いまのところ美波とセリコに直接の面識があるかどうかは分かりません。ちなみに由貴ちゃんは、NHKの「さんま紅白」のときに甘露寺蜜璃役の花澤香菜に会えて大喜びしてたけど、セリコ経由なら禰豆子にも会えるかもよ。わたしは去年からずっと、萌歌と凜の関係が気になってるのだけど、それにくわえて美波とセリコの関係も気になっています。いずれにせよ、ここ数年のあいだに美波が「陰キャ」から「陽キャ」へ劇的に変貌したのは、このアニメ声優人脈との交流の賜物だったように思う。— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) January 23, 2023セリコといえば、凜が「シンデレラストーリー」を上演してるときに、彼女はソロシングルの「シンデレラストーリー」を発表してました。なにげに従姉妹で連動してた? そのMVの舞台セットは、どこかしら由貴ちゃんの「街角のスナップ」っぽい気もしました。えーと、何の話だっけ?…水嶋凜の話ですね。由貴ちゃんも子供のころにピアノをやってたはずだけど、凜もやはりピアノを習っていたらしいです。なので、それなりに音楽の素養があって譜面も読めるのかもしれません。ピアノの上にいちご水のグラスがあったかどうかは知らんけど。さらに、由貴ちゃんは新婚時代にしばらくアメリカで過ごしましたが、凜も16才ぐらいのときに一年間アメリカに留学したそうです。なので、プロフィールには英検2級とありますし、日常会話ぐらいは出来るんじゃないでしょうか? 東宝の女優は英語を話せる人が多いよね。先日のクイズ番組では、山崎紘菜がTOEIC800点だと言ってました。それから由貴ちゃんは、凜に合唱もやらせていたらしいのです。由貴ちゃん自身が、子供のころから合唱をやっていたんだろうとは思っていました。昔の本を読むと、クリスマスのデパートで教会のキャロリングに家族で参加したとか書いてあるから、きっと聖歌隊みたいな活動に加わっていたものと思っていました。ところが、先日の「新美の巨人たち」を見ていたら、なんと山下公園の氷川丸に毎週通って合唱の練習をしていた、とのこと。いままで聞いたことのない話です。つまり、それって「横浜少年少女合唱団」に所属してたってことでしょ? そう考えると、由貴ちゃんも、凜も、けっこうちゃんと合唱をやっていたわけですね。たんに声が似てるだけでなく、そういう文化的なバックグラウンドが共有されている。母娘の歌声が似てくるのは、そういうことでもある。それこそ欧米には聖歌隊出身の歌手がたくさんいるけれど、やっぱり合唱をやっていた経験は大きいんだと思う。いきなりポップス歌手になったりアイドル歌手になったりする人とは、多少なりとも発声の仕方が違うはずです。日本でも、King Gnuの井口理とか、いきものがかりの吉岡聖恵とか、エレカシの宮本浩次とか、みんな子供のころから合唱をやっていた人たちです。なお、横浜のヨルノヨを取材した「新美の巨人たち」はクリスマスの放送だったこともあって、冒頭にサラ・マクラクランの 「Christmas Time Is Here」が流れてたけど、あれって由貴ちゃんの選曲でしたか? 猫の手も借りたいのテーマ曲はデヴィッド・ベノワの「Linus & Lucy」でしたが、どちらもヴィンス・ガラルディのスヌーピーソングだよね。もうひとつ、はじめて知ったことといえば、フランク・シナトラの話です。最近の由貴ちゃんがシナトラを愛聴してるのは次女の影響だと話してたから、てっきり浜辺美波の「崖っぷちレストラン」あたりを見てシナトラを聴き出したのかと思ってたのだけど、凜の話によると、由貴ちゃんは昔からクリスマスとかにシナトラをよく聴いていたのだと。凜も、武部の番組でそんなシナトラのクリスマスソングを選曲していました。そういえば、由貴ちゃんのお父さんは、クリスマスにアンディ・ウィリアムスをよく聴いていたのよね。まあ、基本的に、この家族の人たちは、往年のアメリカのミュージカル映画みたいな暖かで華やかな世界が好きだよね。それは、信仰の影響とか横浜の土地柄とかもさることながら、やっぱり由貴ちゃんのお母さんから受け継いだ嗜好なのでしょう。リアル「コーダ あいのうた」みたいな女性なのですから。— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) February 13, 2022 ◇さて、前置きだけで半分以上も費やしましたがww先日、由貴ちゃんの『何もかも変わるとしても』が再発されました。これがファムファタルから発表されたのは2011年なので、それから12年ぶりの再発になります。発売日の2月21日は、デビュー曲の「卒業」が38年前に発売されたことにちなんでるけど、今回の再発そのものは、むしろ凜のデビューが契機になってるといったほうがいい。わたしは、音楽活動再開後の曲のなかで、辛島美登里がつくった「手をつなごう」がもっとも好きだったのですが、ここに来て由貴ちゃんがメディアでこの曲を取り上げていることが、ほんとうに嬉しい。このアルバムでタイトル曲に相当するのは大森祥子が作詞した「永遠の人」なのだけれど、それ以外にも、本作には亀井の曲とか谷山の曲とか遊佐未森の曲とかケセラセラのカバーとか話題性のある曲が多くて、当時のメディアでもそこらへんを紹介することが多かったから、そのなかで「手をつなごう」はちょっと埋もれがちだったのよね。でも、この曲の美しさは、由貴ちゃんのディスコグラフィのなかでも屈指のものだと思っていました。だから、アルバムに収録されたっきり忘れ去られるのは勿体ないと思っていた。その「手をつなごう」が、たまたま凜の歌声が入っていたこともあり、期せずして12年ごしに日の目を見ている。辛島美登里はこの状況に気づいているかしら? ちなみに由貴ちゃんは、この曲には「長女だけが参加している」と言ってましたが、わたしには長男くんの声も入ってるように聞こえるんだけど…違います?(笑) クレジットは「由貴ちゃん家の子供たち」となってるよ。いずれにしても、この曲は(おそらく家族のことを描いた歌ではありながら)、いろんな人にカバーされてもよさそうな普遍性があるし、ついでにいうと、辛島美登里も鹿児島出身なので、彼女の音楽が上白石姉妹にまで結びついたらいいなあと期待したりもします。それにしても、このタイミングで『何もかも変わるとしても』の再発を思いついたのが現マネージャーなのだとしたら天才的ですね。逆にいうと、このタイミング以外にありえなかったかもしれない。厳密にいうと、このアルバムは、2010年のクリスマス前(12月20日)に先行発売されて、翌2011年のバレンタインデー(2月14日)に一般発売されました。そして、ちょうどそれに挟まれた1月9日に第7回東宝シンデレラが開催されています。萌音・萌歌や美波や紘菜はそこでデビューしたのです。グランプリの萌歌は10才でした。凜も同い年だから当時10才だったのですね。それから学年は一つ下だけど、美波も10才だったし、ついでにいえば、次のシンデレラになる福本莉子も10才だった。それから12年が経ったわけですね。もちろん震災から12年ということでもある。その年の3月に震災があって、東宝は7月に「復興へのメッセージ~"いつか"プロジェクト~」を公開しました。萌音と萌歌が東宝のタレントになって最初に歌った曲は、由貴ちゃんの「いつか」だったわけです。12年って長いのか短いのか分かりませんが、萌音・萌歌・美波・紘菜・莉子は現在のような活躍ぶりだし、水嶋凜もデビューして、やっぱりいろんな意味で一回りしたのだなと思う。わたしはもともと「手をつなごう」が好きだったけど、それ以外の曲はけっこう久しぶりに聴きました。「のらねこ」とか「かくれんぼ」とか「折り合い」とかは三連符の曲で、あらためて由貴ちゃんの曲ってジャズやブルース風のものが多いんだなと気づかされる。武部が作曲した「うた」は、アイドル時代の最後に武部がつくった「Who」のアンサーのようにも聞こえるし、大森祥子が書いた「永遠の人」は、今聞くとなおさら「家族の食卓」のアンサーになってると感じさせる。亀井登志夫がみずから編曲した「予感」を聴いたのも久しぶり。当時は正直、武部のオリジナルアレンジの刷り込みが強すぎて、この亀井の新しいアレンジがいまいちピンと来なかったのだけど、今回あらためて聴いたら、なんだか涙があふれるほど感動してしまった。音質が向上したせいもあるかもしれないけど、うまく理由を説明できません。武部や亀井がそれを意識してアレンジしたのか分かりませんが、なんとなく2つの編曲には「横浜駅の変遷」が重ねられるようにも思える。亀井登志夫といえば、凜バージョンの「予感」が出たときに、とくにコメントとかは出さなかったけれど、じつは市村のレストランに亀井と許瑛子が集って、凜の話題でひとしきり盛り上がったみたいです。▶ https://ameblo.jp/kyoeiko/entry-12756346175.html許瑛子は、とくに第2回東宝シンデレラの小高恵美にたくさん曲を書いた人ですね。由貴ちゃんには「What」の1曲しか書いてないけれど。かたや亀井登志夫は、由貴ちゃんにはたくさん書いてるけど、小高恵美にはまったく書いてない。そんな別チームの2人がなぜ市村の店で落ち合うのかというと、もともと許瑛子は、康珍化や亀井との縁で作詞家になったんだそうです。ちなみに康珍化は、由貴ちゃんに曲を書いたことはありませんが、市村や長谷川康夫とは年齢も近くて同じ早稲田出身だから、もしかしたら面識があるのかな…なんて憶測もしています。由貴ちゃん絡みでいうと、金子修介と野田秀樹と許瑛子の関係なんかも気になるんだけど、その話はまたいずれ。話がどんどん脱線しますが、小高恵美といえば、去年から「デビュー35周年記念プロジェクト」なる企画が進行中で、今年はなにやら怪獣映画にも主演するらしい。監督は「ネズラ」を撮った横川寛人です。金子修介も大映のガメラを平成になって復活させた人だけど、横川寛人も大映の怪獣になるはずだったネズラを令和に復活させた人(笑)。とはいえ、小高恵美はあくまでもゴジラ女優だと思うので、次回作で横川寛人が復活させるのは、おそらく東宝系の怪獣じゃないかしら?えーと…「予感」の話でしたね!(笑)いまや「予感」には、オリジナルの武部アレンジと、亀井アレンジと、凜バージョンの武部アレンジがあります。凜バージョンの武部アレンジは、まるで由貴ちゃんの過去の曲のサウンドのエッセンスを、いろいろと散りばめながら組み合わせたようだった。つーか、絶対そうでしょ。「いちご水」や「3年目」のようなピアノの音も聞こえるし、「千の風音」や「体育館は踊る」のような弦楽のサウンドも聞こえるし、最後のほうには「風・夢・天使」のオルガンのような低音も聞こえます。「卒業」のイントロや、「月野原」のメロディが、どこかしらに入ってる気がしなくもない。「土曜タマ」のようなサウンドの遊びや、「さよなら」や「ひまわり」に通じるようなビート感も感じます。凜バージョンの「予感」で、いわゆるジャケ写(配信の場合もそう呼ぶの?)の撮影をしたのは齋藤清貴でした。アイドル時代の由貴ちゃんの写真のほとんどを彼が撮ったわけですが、武部のアレンジャーとしてのキャリアと同様に、齋藤清貴の写真家としてのキャリアも斉藤由貴から始まったといって過言ではない。つまり、市村も、武部も、齋藤清貴も、凜にとっては「親戚のおじさん」みたいな感じなのですね。凜のドラマデビュー作になった「直ちゃんは小学三年生」も、あとになってTVerの再配信で見たのですが、あそこで凜にキャッチャーの役を当てたスタッフも、きっと由貴ちゃんのドラマデビューが「野球狂の詩」だったことを意識したんでしょうね。「母親がピッチャーだったから、娘にはキャッチャーをやらせよう」的な。NHKの朝ドラ「ちむどんどん」では、あきらかにスケバン的な役だったし(笑)。人知れずそういうネタを考えるおじさんやおばさんたちが、業界のなかにたくさんいるんだろうと思う。— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) October 9, 2022 その一方、凜の「予感」のMVのほうは、美大で映像を専攻していた凜が自分でディレクションをしました。赤いラインの銀色電車も出てくるのですが、さすがに東横線じゃありませんよね。わたしは鉄オタじゃないので、どこの車両か分からないけど、ネットで写真を見くらべたら、いちばん似てるのは京成電鉄かなと思う。凜は「和装が好き」「京都が好き」「和風建築が好き」と言ってて、インスタには浴衣の写真もアップされています。このMVでは和装こそしていませんが、やはり全体的に懐かしい和のイメージで、由貴ちゃんの曲でいったら「ぴいひゃら」や「少女が春の縁側で」(夏だけど)の雰囲気に近い。わたしは、プライベートの由貴ちゃんに和装のイメージがあまりないのだけど(子供のときの七五三みたいな写真しか思い浮かばない)、和モノが好きな凜の感性は、ズルっとした格好で異国的な横浜の町に馴染んでいた母親の嗜好とはすこし違っています。凜は、母親の新品の浴衣を盗んで自分のものにしたと書いてましたが、逆にいえば母親があまり浴衣を着ないのかもしれません。由貴ちゃんは、かつて長女のことを「傍若無人な女王さま」みたいに言ってたから、どんなにか我が強い女の子なのだろうと思っていました。弟の分まで平気で奪って食うとかいう話だったし、シンデレラどころか意地悪姉さん的なキャラクターを想像していたのよね(笑)。でも、実際の凜は、予想に反して、だいぶおっとりしていて、京都風のはんなりした文化が好きらしいし、ミュージカルの公演中は「凜デレラ」とも呼ばれていました。どうして子供のころは、あんなにも母親とバトっていたんだろうか?母親のほうに問題があったのでは? 血液型は由貴ちゃんと同じB型なんだけどね。ちなみに浜辺美波や福本莉子もB型だから、東宝の女優はB型率が高い。◇さて、凜の話はここまでにして。このたび再発された『何もかも変わるとしても』には、予約特典として3曲のライブ音源を収めた「YUKI SAITO 2021~2022 SPECIAL LIVE CD」が付録されています。こちらのビクターの公式ページにはまだ曲目が掲載されていませんが、こっそりネタバレすると「金色の夜」「Woman」「Sweet Memories」の3曲です。この付録CDは濃密でした。1986年に「土曜日のタマネギ」と「かなしいことり」をカップリングにした12インチシングルも濃密な1枚だったと思うけど、それに匹敵する内容だと感じます。50代も半ばになって、こういうものを出してくる斉藤由貴はただものじゃない。2017年の風街ライヴで由貴ちゃんが「情熱」を歌ったとき、由貴ちゃんのファンではない人たちまでが衝撃を受けて「まるで空間が歪むようだった」なんて感想をネットにあふれさせてたのを思い出します。まさに、この3曲を聴いているあいだ、わたしの部屋の空間が歪むような感じがする。ある意味では、ちょっと怖いのだけど、そのくらい濃密な恋の表現なのよね。こういう表現をするときの斉藤由貴は尋常ではない。1曲目の「金色の夜」は、2021年のクリスマスの音源だと思うけど、そのときすでに上田知華が亡くなっていました。でも、一般に公表されたのは翌年の4月だったから、由貴ちゃんもそれを知らずに歌っていた可能性が高い。2曲目の「Woman」は、言わずと知れた薬師丸/松本/ユーミンの曲だけど、由貴ちゃんが薬師丸の曲を歌ったのはこれが初めてだろうと思う。ユーミンの曲にかんしては、デビューのときのテスト歌唱で「時をかける少女」を歌ったらしいのだけど、長岡はまだそれを公開してませんよね。松本との対談では「ダンデライオン」が好きだとも言ってたけど、それも歌ったことはないと思う。上白石萌音は、すでに「Woman」も「ダンデライオン」も歌っているけれど。3曲目の「Sweet Memories」は、これも言わずと知れた聖子/松本/大村の曲。おそらく昨年末の音源だと思います。やはりデビューのときのテスト歌唱で、由貴ちゃんは松田聖子の「夏の扉」と「Sweet Memories」を歌っていて、その音源はすでに長岡が公開してます。「夏の扉」を作曲したのは財津和夫だけど、編曲したのは大村雅朗ですから、その意味では大村に関係する作品を2曲はカバーしたことになる。なお、由貴ちゃんの『ripple』には、Special Thanksとして大村雅朗の名前がクレジットされてますが、たんにハワイのスタジオに居合わせただけで、由貴ちゃんの作品への音楽的な関わりはひとつもなかったはずです。谷山浩子バージョンの「MAY」は大村の編曲です。念のために繰り返しますが、このライブ音源を収めた付録CDはあくまでも予約特典なので、これから購入しても手に入らないんだろうと思います。あしからず。先日の武部のラジオでは、2年後の40周年なんて話も出てましたが、ひきつづき厳選したライブ音源や映像を公開する企画にも期待してます。
2023.03.01
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影のような野良犬に桜ながし 馬の子に弄られてゐるアナウンサー 光風や控え選手のペンの減り 日曜の空港ホテル雪の果 青き日も苦き日もあり青慈姑 子供等の後ろの蜂のホバリング 長閑なり細くたなびく湯の放屁 刀折損続ける殺陣や花吹雪 迫る電柱顔面5mmの春 カンガルー泊めて2DK朧プレバト俳句。お題は「ハプニング」。◇立川志らく。影のような野良犬に桜ながしこれが1位。新しい季語として採用した「桜流し」は、鹿児島の方言で「桜を散らす長雨」のことだそうです。宇多田ヒカルの曲名にもなっています。それはそうと、東国原の「沼尻」の句に似ていますよね…。タイトル戦王者の句としても、ちょっと物足りないです。何より「影のような」という直喩が名人級の表現とは言いがたい。◇東国原英夫。カンガルー泊めて2DK朧おぼろカンガルー預かってゐる朧かな(添削後)永世名人ながら最下位の句。作者は「朦朧とした意識」のことを詠んだらしいので、これは本来の季語の意味じゃないのですよね。かりに気象と意識のふたつの意味に掛けているとしても、さすがに「2DK朧」ってのはおかしいと思います。部屋のなかに朧がかかるはずはないのだから。これは添削が妥当かと思います。ちなみに昼の「霞かすみ」と夜の「朧おぼろ」が、どちらも春の季語なのですねえ。◇馬場典子。青き日も苦き日もあり 青慈姑あおぐわい青慈姑ころん 若き日とは苦し(添削後a)青慈姑ほくり 若き日とは苦し(添削後b)前段が観念的な内容なので、やはり映像描写に乏しいと思います。しかも「青き日」と「苦き日」を区別する意図がよく分からない。青春時代なんて、たいていは苦いことばかりなのだから、やはり添削のように「若し=青し=苦し」と考えるのが普通ですよね。◇森口瑤子。馬の子に弄いじられてゐるアナウンサー馬の子になつかれ過ぎてアナウンサー(添削後)へええ。「弄る」と書いて「いじる」と読むのですねえ。近年よく耳にする「イジる」という語は、TVのバラエティで普及した新語かと思っていましたが、調べてみたら、江戸時代にも、人を「からかう」の意味で「弄る」の用法はあったらしい。しかし、そうはいっても、さすがに「馬が人をイジる」なんてのは、昔の日本語じゃありえなかった表現だと思うし、こういう用法じたいが、やはり近年のものでしょう。もちろん俳句に新語を使ってもいいのですが、それが新語であることを明示するためには、むしろカタカナで「イジる」と表記すべきだと思うし、さもなくば、普通に「弄もてあそぶ」でもいいかと思う。でも、もしかしたら作者自身は、あえて「弄る」の表記を現代的な用法で使ったのかもしれないし、そこにこそ面白味があると考えたのかもしれませんけど。添削は、やはり「弄る」という動詞を避けて、倒置法によって重心を季語のほうへ移したようです。※「アナウンサーが馬の子になつかれすぎて」の倒置だと思います。◇フルポン村上。光風や 控え選手のペンの減り風光る 控え選手のペンの減り(添削後a)春風や 控え選手のペンの減り(添削後b)季語を「光風や」にするか「風光る」にするかの選択ですが、たぶん「風」に力点を置くか「光」に力点を置くかの違いなのだと思う。それよりも、わたしは、下五の「ペンの減り」にちょっと説明くささを感じました。たとえば「ペン掠る」とか「ちび鉛筆」とか「インク僅か」なら、それ自体で映像的な描写だといえますが、時間経過や比較を要する「ペンの減り」という表現が、それ自体で映像描写といえるのかどうか、ちょっと疑問です。◇キスマイ横尾。日曜の空港ホテル 雪の果春雪に閉ざされ 空港ホテルの夜(添削後a)春雪に閉ざされ 空港ホテルの朝(添削後b)いい句なのだけど、ハプニング感に乏しい、とのことで添削されました。わたしも、雪の果に「欠航するほどの大雪」というイメージがないので、たんにホテルの窓から春の淡雪を眺めてるのかと思いました。添削は字余りになってますが、ためしに定型で、雪の果 空港閉じた夜のホテル春雪に閉じた空港 宿の夜春雪の空港閉鎖 ホテル部屋などとやってみました。◇フジモン。子供等の後ろの蜂のホバリング子供等の後ろを蜂の防衛軍(添削後)下五の「ホバリング」こそがこの句の肝だったのだろうから、その表現自体がベタだといわれてしまうと、もうどうしようもないですね(笑)。ためしに、遊ぶ子の背後の宙を蜂の列としてみました。◇キスマイ北山。刀折損せっそん 続ける殺陣や 花吹雪花らんまん 折れて続ける殺陣シーン(添削後)不用意に「折損」なんて難しい言葉を使うから、三段切れっぽくなってしまうんじゃないでしょうか?花吹雪が紙吹雪に見えてしまうのも欠点ですよね。ためしに、花の雨 刀折れたる殺陣烈しとしてみました。◇千原ジュニア。迫る電柱 顔面5mmの春顔面潰る 電柱スローモーに春(添削後)原句のほうも、「顔面5mm」は分かりにくいけど、添削のほうも、「電柱スローモーに春」は意味不明だし、「顔面潰る」ってのは怖すぎます。ためしに下七の字余りで、春光や 電柱迫るスローモーションもしくは17音の破調で、春光や 電柱激突の記憶としてみました。◇梅沢富美男。長閑のどかなり 細くたなびく湯の放屁長閑なり 湯にたなびける放屁の泡(添削後)せっかく「たなびく」の用法が間違ってると指摘したのに、なぜまた添削でこの動詞を使ってしまうのでしょうか?先生の解説を聞いてもぜんぜん理解できませんでした。日本語で「湯に泡がたなびく」なんて言わないでしょっ!それと、季語との取り合わせも近すぎる気がします。ためしに「放ひる」を使って、牡丹雪 湯に放りし屁の泡六つとしてみました。
2022.04.03
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いまさらながら、TVerで「ミステリと言う勿れ」を見ました。過去にもちらちら見る機会はあったけど、ようやく全話とおしての視聴が完了。映画版はいまひとつだなと思いましたが↓https://www.jtnews.jp/review/28064/?SELECT=24063#HITドラマ版はかなり面白かったです!!4年前の作品ですが、いまだにTVerでは高い再生数を誇ってて、今年もTVerアワードに選出されてます。クオリティの高さと視聴者の支持を両立させた、なかなか稀有な優良コンテンツですね。◇なお、日テレの「ハコヅメ」と同じく、見当違いなキャンセルカルチャーのせいで、こちらも続編を作れない状況になってます。これはテレビ局だけでなく、原作者の田村由美も、主演の菅田将暉も、代表作を奪われる結果になってるわけだし、ドラマファンの利益も損われてる。さらに、カンヌのMIPCOMで評価された点も踏まえれば、海外向け国産コンテンツを失ってる可能性もあるわけで、なるはやで解決すべき課題だろうと考えます。結論から先にいうと、(スポンサーが企業イメージを気にするのはともかく)すくなくともテレビ局は、キャンセルカルチャーを「不当」と判断したならば、局としての見解を示したうえで、堂々と起用すればよいのです。ハコヅメ~たたかう!交番女子~ DVD-BOX [ 戸田恵梨香 ] 楽天で購入 ・文化系のミステリードラマ「ミステリと言う勿れ」は、アクションを中心にした体育会系のサスペンスでなく、徹底した文化系のミステリーであるところが最大の魅力。劇伴として使われるクラシック音楽も効果的でした。ただし、それだけに心理犯罪としての面が強く、狂気性や猟奇性もかなり際立っており、親子間の虐待も繰り返しクローズアップされる。こうした特徴は女性作家の原作ならではかもしれません。◇日本のテレビドラマとしては、美男美女を軸に配役してないのも稀有な特長です。菅田将暉は典型的なイケメンじゃないし、伊藤沙莉も門脇麦も美人女優じゃない。それでもキャラの魅力が十分に共有できる。ドラマ版の風呂光聖子は、原作のキャラや位置づけとは違うらしいけど、序盤では彼女の存在こそが大きな魅力でした。実際、風呂光役の伊藤沙莉は、(いつものガサガサキャラと違って)ものすごく可愛く見えるのよね…。強いて美人女優といえるのは、せいぜい松本若菜ぐらいだろうけど、彼女は男勝りな刑事の役どころだし、イケメン俳優といえるのは瑛太と北村匠海ですが、彼らは異常な殺人犯の役どころ。美男美女をメインにしない配役でこそ成功してる。・トリックのツッコミどころ映画版もそうでしたが、犯罪サスペンスとして見た場合に、ツッコミどころがないわけじゃありません。とくに焼肉屋強盗の話は疑問に感じる点が多かった。強盗犯が店内にダラダラ長居して、店主の娘に営業させる理由が分からないし、とっとと金を奪って逃げたらいいのでは?…と思うのよね。一方、久能(菅田将暉)とライカ(門脇麦)は、いったん店を出てから警察を呼んで、ふたたび戻ってきて店を開けさせましたが、本来なら食事してる間にどちらかが店の外に出て、閉店させないうちに警察を呼ぶべきでしょ。「ミステリと言う勿れ」Blu-ray BOX【Blu-ray】 [ 菅田将暉 ] 楽天で購入 ・最終話の時系列について最終話は、時系列が大きく入れ替わってたせいで、ちょっと頭が混乱しました。簡単にいうと、この最終話の内容が、直接には第4話へ(実質的には第5話へ)繋がるわけね。つまり、最終話でガロ(瑛太)が久能に送った指輪を第5話で風呂光が「恋人からの贈り物」と勘違いすることになり最終話で父の遺体を掘り出したジュート(北村匠海)による警察への告発が第5話での牛田(小日向文世)による霜鳥(相島一之)の告発へと帰結する…ってこと。なので、羽喰玄斗(千原ジュニア)の事件は第5話で解決済みですが、ガロの妹に指輪を授けたカウンセラーの正体、すなわち鳴子巽とその指輪の意味については、未解決なまま続編につながる形で終わってます。◇時系列を入れ替えた理由としては、おそらく以下の4点が考えられます。1.物語を続編につなぐため、ガロの妹の指輪とカウンセラーの話を最後に置いた。2.ジュートが警察に告発した話を先にすると、そのあとの牛田と霜鳥のエピソードのネタバレになる。3.新幹線&ジュートの告白の話は尺が短いので、時間を延長した最終回に2つの話をまとめた。4.羽喰玄斗の連続殺人、バス運転手の連続殺人、ガロの報復殺人、ジュートの連続殺人は、いずれもかなり猟奇的でグロテスクな内容で、ドラマ中盤で立て続けにやるには重すぎるから、視聴者が食傷気味になって途中離脱しないように、あえて話を分散させた気もします。…とはいえ、最終話に2つのエピソードを押し込んで、エンディングテーマを2度流すのは興冷めだったし、やはり時系列どおりにして、ライカの人格消滅の話で終わらせるほうが、物語の流れとしても、まとまりはよかったと思う。そのうえで、ガロから送られた指輪を、久能が振り返るシーンさえ最後に加えれば、続編につなぐことは十分に可能だったはずだし、原作との兼ね合いもあるけれど、脚本をすこし工夫すれば、ジュートの告白によるネタバレ問題も、回避するのは不可能じゃなかったと思います。・続編の問題そして、ドラマの続編は可能なのかどうか?無意味な不倫叩きによって、日テレが「ハコヅメ」の続編を作れずにいるように、バカな漫画ヲタクどもの、日テレに対するキャンセルカルチャーによって、フジテレビも本作の続編を作れない状態になってます。日テレの問題においては、バカな漫画ヲタクどもが小学館を擁護し、責任をドラマ制作側へとなすりつけたのだけど、実際には、ドラマ制作側との意思疎通を遮断しておきながら、炎上騒動のときにだけ原作者を矢面に立たせ、責任のがれに終始した小学館にこそ問題があったし、もっといえば、原作者を板挟みに追い込んだのは、ほかならぬ漫画ヲタクどもの脊髄反射的な炎上だった、…という可能性を考えるべきなのです。◇先日のマンガワン問題でも、漫画ヲタクどもは小学館と原作者を擁護し、「前科者の表現の自由」を主張しましたが、要するに、彼らの主張はつねに、「2次元側を擁護して3次元側を敵視する」という思考パターンに則ってるだけなので、(ジャニヲタによる性被害者へのセカンドレイプと同じように)はたから見れば論理的な一貫性を欠いており、たんに彼ら自身の立ち位置を死守してるにすぎない。バカが連帯して政治力を発揮する運動は、マスメディアにとって死活問題になるだけでなく、そのままポピュリズムにも直結しており、国家や社会を危機に陥らせかねない側面があります。その意味で、漫画ヲタクやジャニヲタの存在は、社会的な害悪になってる状況だといえる。したがって、不当性の疑われるキャンセルカルチャーついては、冷静な検証と分析をおこない、社会的な対策や是正を講じていく必要があります。◇フジの「ミステリーと言う勿れ」の成功によって、相沢友子が漫画原作のドラマ化に自信をもった結果、日テレの「セクシー田中さん」で最終話を書けなかったことに、いっそうの不満を抱いたとしても想像に難くないし、それがかえって裏目に出たともいえるのだけど、すくなくともフジテレビが、相沢友子の起用を躊躇する必要はないし、日テレが永野芽郁の起用を躊躇する必要もないのです。基本的には無関係なのだから。ミステリと言う勿れ(15) (フラワーコミックス α) [ 田村 由美 ] 楽天で購入 ・ライカの人格消滅について以下は、ライカの人格消滅についてのメモです…。多重人格者のひとつの人格が消滅したら、それを形成してた脳細胞は死滅するのかしら?…と思ったのですが、ChatGPTに訊いてみたところ、人格を成り立たせるシナプス反応が潜在化するだけで脳細胞が死ぬわけじゃないらしい。逆にいえば、人間の人格は「顕在化したシナプス反応の束」に過ぎないってことね。デヴィッド・ヒュームが「自己とは知覚の束にすぎない」と言ったように、統合された自己は一定の制度下で成立する現象にすぎないのだと思う。ちなみにドゥルーズ=ガタリが言った「分裂症スキゾと偏執症パラノ」は、おおむね臨床医学でいうところの「解離と統合」に当たると思います。近代社会では、人格の統合された状態が「健康」で、統合の崩れた状態が「病気」だったけれど、ドゥルーズ=ガタリはこれを逆転させて、分裂してるほうが自然であり、偏執してるほうが近代的な病理と考えたわけよね。実際、自然界の動物などは、昨日の自分を忘れて今日の自分を生きてるわけだから、統合された自己にこだわらず、ほどよく解離してるほうが正常なのだと思う。人間の人格が統合されるのは、社会的な要請もあるけれど、言語的な文脈の力で統合が可能になるからでもある。したがって、統合の強さは個人の言語能力に比例するといってもいい。ポストモダン社会では、昨日の自分の罪を都合よく忘れて、それを他人になすりつけるようなサイコパスなパワハラ野郎のほうが健康を保って、昨日の自分の罪を今日も明日も背負いつづけながら他人の罪までなすりつけられる人のほうが鬱病になる…みたいな逆転現象が生じます。文脈を理解しない脊髄反射的な犬猫どもがSNSで存在感を増すのもポストモダン的な現象といえる。こうした逆転現象のなかで病理の定義が曖昧になり、そのつど症状に名前をつけるもんだから無駄に臨床概念が複雑化してしまう。統合された自己とは、社会的に要請される責任主体のことでもあって、とくにキリスト教世界では「懺悔(罪の告白)」によって個人を責任主体に育てる制度を作り上げたわけですね。しかし、これはあくまでキリスト教に固有の制度だから、世界中のあらゆる文化が責任の所在を個人に帰してるわけじゃないし、本来の人間にそんな能力はないと言ってもいい。その点、AIの大規模言語モデルは、身体的な自己はもたないけれど、忘却しないという意味で言語的には完全に統合された存在です。したがって、将来的にはAIが責任主体になるほうが合理性は高い。より正確にいえば、人間に罪を背負わせないような社会設計をAIの責任において実現させるほうが合理的だってこと。たとえば人間に罪を背負わせる大きな要因のひとつに貧困の問題があります。貧困のために人は罪を犯したり、些細な関係において他人を騙したり支配したり嫉妬や憎悪を抱いたりする。貧困がなくなるだけでも、人が罪を負う機会は劇的に減るはずだけど、貧困の撲滅は個人の責任でできることではなく、より大きな責任主体が正確な予見能力をもって実現するしかありません。個人に責任を帰すことは、過去の社会では便宜的に必要だっただろうけど、それはじつは本質的に不可能であって、そもそも個人に責任を帰すだけでは社会的な課題は解決しない。アンチ・オイディプス(上) 資本主義と分裂症 (河出文庫) [ ジル・ドゥルーズ ] 楽天で購入
2026.04.04
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星の入東風今夜の恋をくれた人 助手席でポテト抱える息白し 冬の朝我慢しきれずはしご芋 初雪日湯気たつ郷まで道中宴 冬の星信号待ちのポテト2本 時雨るるやジュニアシートで待つポテト 小さき手のピクルスつまみ出す小春プレバト俳句。お題は「ドライブスルー」。◇梅沢富美男。小さき手のピクルスつまみ出す小春ピクルスはパパに小春のハンバーガー(添削後)フジモンも横尾も「これは行く!」と言ってたし、わたしも掲載決定かな、と思いましたが、結果はボツでした。まあ、好みの問題なのでしょうか。原句のほうは、幼い子供の好き嫌いを愛おしく眺めてる感じですが、添削句のほうは、子供なりの善意で父親に食べ物を分けているように見えます。結果、まったく別の句になってしまっている。◇レイザーラモンRG。星の入東風いりごち 今夜の恋をくれた人星の入東風よ 今夜の恋ひとつ(添削後)難しい季語ですね。旧暦10月ごろの明け方に、昴(プレアデス星団)が西へ沈むときの風だそうです。原句のほうは、後段がクサい。細川たかしの「北酒場」の引用だそうですが、そもそも歌謡曲は七五調で書かれていることが多いのだし、この手法を認めたら、いくらでも安易な俳句が出来てしまいますね。◇7MEN侍 矢花黎。助手席でポテト抱える息白し助手席へ渡すポテトや 息白し(添削後)わたしは、助詞の「で」はほぼほぼ使わないほうがいいと思ってますが、かといって(後述するように)、この句の場合は、他の助詞に置き代えるのが難しい。添削句のほうは、動作の主体を運転手に置き代えることで、結果的に助詞の「で」を回避しており、運転席と助手席の2人ともが「息白し」になっています。◇勝俣州和。冬の朝 我慢しきれずはしご芋ドライブスルー 冬のポテトをはしごして(添削後)下五の「芋」は秋の季語なので、季重なりです。なお、俳句における「芋」とは「里芋」のことだそうです。つまり、サツマイモやジャガイモが日本で普及したのは、わりと最近のことなのでしょうね。それはそうと、なぜポテトを「はしご」するのかが分かりません。一度にたくさん買えば済む話なのだから、たんにバカな二度手間をしているとしか思えない。そんなことに詩情を感じろ、といわれても無理です。◇松嶋尚美。初雪日はつゆきひ 湯気たつ郷ごうまで道中宴うたげ初雪の道中楽し 温泉へ(添削後)見かけによらず、松嶋尚美って字が綺麗なのね…。耳慣れない語彙とか、5・8・7の形もなかなかふてぶてしくて、なにやら貫禄さえ感じてしまいましたが…「ドーチューって2音じゃないの?」との本人の発言を聞いてズコった(笑)。感性が英語的なのでは?いわば「Do you love me」で4音みたいな発想ですよね…。なお、「湯気立て=加湿器」は冬の季語ですが、「湯気」「温泉」などは季語になってないようです。添削句のほうは、やや投げやり。感情語を用いた《楽しいな俳句》みたいになっている。わたしは、初雪や 温泉までの車中の宴えぐらいでもいいと思いましたが。◇キスマイ横尾。冬の星 信号待ちのポテト2本ポテト2本 信号待ちの冬の星(添削後)季語を活かすためにも、調べをよくするためにも、語順を入れ替えたほうがよい。ただ、わたしは、添削のように「ポテト2本」で切れを作るよりも、7・7・5で、信号待ちのポテト2本や 冬の星のほうがいいかなと思う。◇フジモン。時雨るるや ジュニアシートで待つポテト時雨また ジュニアシートに待つポテト(添削後)上五の「や」が大袈裟だとの添削でしたが、その先生の真意はよく分からなかった。もともと「時雨るる」という動詞は、「時雨が降る」という意味で使われることもありますが、本来は「降ったりやんだりする」「雨がちな天候になる」という意味で、時間の幅があって、どちらかといえば映像をもたない時候の季語に近い。しかしながら、時候の季語を「や」で詠嘆するのが間違いというわけでもなく、この「時雨るるや」の用例も、芭蕉や蕪村や山頭火などに見られるようです。なぜ先生が「大袈裟」と言ったのか分かりませんが、中七下五の軽さに比べて上五が重いという意味かもしれませんし、たとえば「夕時雨」「時雨雲」「時雨傘」などの選択もありえたか、とは思います。一方、下五にかんしては、わたしなら「ポテト待つ」と直したかもしれません。さて…このフジモンの添削の際に、先生が助詞の「に」と「で」の使い分けに言及しました。いわく、「に」は静的、「で」は動的な動詞に用いる、…とのことです。わたしは夏井信者ではありませんので、この説明をにわかに鵜呑みにすることは出来ませんし、すこしばかり検討を加えてみようと思います。◇上にも書いたとおり、わたしは、助詞の「で」はほぼほぼ使わないほうがいいと思ってます。現代語の助詞の「で」は、おそらく古語の「にて」から発生しており、理由や手段や場所を説明するための助詞ですね。・風邪で休む(理由)・ナイフで切る(手段)・事務所で会う(場所)現代語の「~によって」とか「~において」と同じ意味です。そのため、この助詞を使うと、どうしても《描写》ではなく《説明》に見えてしまう。俳句の客観写生はあくまでも《描写》なので、理由の《説明》や手段の《説明》をすべきではありません。問題になるのは、場所を示すときですね。そのときに「に」を使うか「で」を使うか、ってこと。じつは口語や散文でも、「に」と「で」の使い分けは非常に厄介で、▼とりわけ外国人に日本語を教える際には困難を極めるようです。https://core.ac.uk/download/pdf/230235716.pdf上記の論文によれば、「に」は存在場所を表し、「で」は動作場所を表すとのことなので、おおむね「に」は静的、「で」は動的だといえます。しかしながら、「ベッドで寝る」「家で休む」「バス停で待つ」「庭で考える」「部屋で話す」などの場合は、あきらかに静的な動詞に「で」を用いますし、さらには「ベッドに寝る」と「ベッドで寝る」のように、どちらの助詞の使用も可能なケースがあります。わたしは、なんとなく、「で」を用いる場合には、場所ではなく手段の説明になっている気もしますし、夏井先生が言うように、とりわけ俳句においては、これらをすべて「に」に置き代えるべきかもしれません。◇これとは逆に、文語や韻文では、動的な動詞に「に」を用いる場合もあります。もっとも代表的なのは「遊ぶ」です。たとえば、「華胥の国に遊ぶ」の慣用句もありますし、「野に遊ぶ」とか「山に遊ぶ」などの用例は俳句にも無数にあります。そう考えると、助詞の「に」と「で」の線引きはそれほど容易ではありません。◇ただ、見方を変えれば、今回、先生が使い分けに言及したということは、部分的になら助詞の「で」の使用を認めるということでしょう。わたし自身、助詞の「で」はほぼほぼ使わないほうがいい…と考えてはいるものの、「ほぼほぼ」は「絶対に」という意味ではなく、やはり「で」を使わざるを得ないケースはあると思う。直近でいうなら、稽古場で台詞繰る(山西惇)助手席でポテト抱える(矢花黎)などは、他の助詞に置き代えることが難しい。いずれにしても、どのような場合に「で」の使用が容認できるのかは、今後もよく吟味していこうと思います。
2022.11.15
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NHK歴史探偵「平安武士と蝦夷」を見ました。武士の起源は東北の蝦夷にあり!…という内容です。◇簡単にいえば、俘囚として強制移住させられた騎馬軍団の「蝦夷」と、官職を得られずに地方へ散らばった「王臣子孫」とが、9世紀末に関東で結びついて武士が生まれた、と。つまり、平将門も、源義家も、関東で蝦夷に交わった王臣子孫だったわけね。1.蝦夷の騎射軍団先月にNHKプラスで配信された、東北ココから「東北古墳調査最前線」によれば、ヤマト王権が大陸から馬を移入したのは、倭・高句麗戦争のあとの4世紀末~5世紀のこと。その後は東日本を馬の生産地として活用し、軍事用だった馬を輸送手段として平和利用してた。もしかしたら、それが裏目に出て、西日本より東日本で騎馬戦術が発達しちゃったの?東北の続縄文系の狩猟民が、朝廷の手に負えない騎馬軍団に成長しちゃった?…だとすれば意外です。◇ちなみに、ヒッタイトや匈奴のような大陸の騎馬民族は、遊牧&製鉄民だったわけですが、4年前のNスぺ「アイアンロード」によれば、遊牧は平原の技術、製鉄は山岳の技術なのよね。日本でも、馬&鉄の生産は、5世紀前後の同じころ始まったと思うけど、製鉄技術は西日本の山岳民が発展させて、騎馬技術は東日本の狩猟民が発展させた、…ってことでしょうか?そして、西と東の技術は、ようやく9世紀末に結びついて武士を生んだ?2.坂上田村麻呂とアテルイ8世紀の三十八年戦争では、蝦夷軍が騎射隊なのに、朝廷軍はまだ歩兵隊です。北上川東岸の巣伏の戦いでは、4倍の兵力を要しながら蝦夷軍に大敗してる。朝廷軍は、軍事力で蝦夷を圧倒したわけじゃなく、むしろ軍事力では蝦夷に圧倒されてたらしい。◇坂上田村麻呂の戦略は、軍事力で蝦夷に立ち向かうのではなく、政治力や文化力で凌駕することだったようです。当時の蝦夷軍は、西の「出羽国」と東の「陸奥国」の連合ですが、出羽国の秋田城で出土した「狄饗料木簡」を見ると、田村麻呂は、懐柔策によって連合軍を分断させ、陸奥国のアテルイを孤立させていく戦略だったらしい。そして敵前には、巨大な胆沢城を造営して10万規模の兵力を配備。文化力でも圧倒してアテルイを降伏させた。なにげに知将だったのね!◇田村麻呂は、アテルイを蝦夷統治に利用すべく、彼を処刑しないよう朝廷に嘆願したものの、蝦夷を鬼と恐れていた朝廷は聞き入れなかった。アテルイが処刑されたのは延暦21年。このことが東北の「大同2年伝承」にも関係してるはず。(延暦21年は西暦802年、大同2年は西暦807年です)なお、「阿弖流為」は当て字ですが、当時の東北の言語は、日本語じゃなかったようです。アイヌ語みたいな感じでしょうか?つまり、日本語の起源は、縄文系の土着言語じゃなく弥生系の大陸言語ってこと?3.武士の誕生アテルイが敗れたあと、蝦夷は「俘囚」として日本各地に強制移住させられた。保留地に移された北米先住民みたいな感じ?とくに騎馬軍団は、北九州の防衛や関東の治安維持にあたったようです。そして、これが、地方に下野した王臣子孫と結びついて武士を生んだ。周知のとおり、平将門は朝廷に敵対したけれど、なぜか源氏はくりかえし東北に侵攻し…源頼義は陸奥国守の大義名分で安倍氏を討伐(▶前九年の役)息子の義家も同じ名分で出羽清原氏の内紛に介入(▶後三年の役)その四代下の頼朝は、義経もろとも奥州藤原氏を滅ぼした(▶奥州合戦)◇なお、安倍氏も、出羽清原氏も、奥州藤原氏も、出自が「王臣子孫」か「俘囚」かはいまいち不明です。しかし、安倍氏は「俘囚長」を名乗り、出羽清原氏は「俘囚主」を名乗っていて、蝦夷の末裔としてのアイデンティティがあったらしい。そして藤原清衡も、安倍氏の母と出羽清原氏の養父をもつので、やはり奥州藤原氏もまた「俘囚上頭」を名乗ったのですね。◇それに対して源氏は、俘囚から弓馬を学んだ王臣子孫であるにもかかわらず、まるで、その恩を仇で返すかのように、俘囚勢に襲い掛かかって残虐非道のかぎりを尽くした。https://www.yokotekamakura.com/gosan/gosan-emaki/紫式部は、源氏を主人公にして優美な王朝物語を書いたけど、本来は「源氏物語」じゃなく「藤原物語」にすべきよねw源氏なんて、蝦夷より野蛮な一族だったのだし、鎌倉幕府も内ゲバだらけの広域暴力団だったのだから。ぜんぶ大泉のせい↓ https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202212110002/なぜ『源氏物語』は主人公が「源氏」なのか? 藤原氏が排斥した「源氏の怨霊」を鎮魂するためだった? | 歴史人 https://t.co/f5pFNei7qK @rekishijin_magより— 歴史人公式アカウント (@rekishijin_mag) February 6, 2024 #PHP研究所 3月新刊紫式部はなぜ主人公を源氏にしたのか井沢元彦著https://t.co/ybCJdRjfyp 藤原氏全盛の時代に藤原氏を敵役(右大臣家)として描く『源氏物語』はなぜ書かれたのか。『源氏物語』の不可解な謎に歴史作家が迫る。— PHP研究所 広報 (@PHPInstitute_PR) March 13, 2024後三年の役では義家に従った藤原清衡も、その後は摂関家に取り入って源氏を排除したらしい。それだけ源氏の野蛮さを警戒していた?まあ、俘囚を名乗った安倍・清原・藤原にせよ、王臣子孫の立場で東北に攻め入った源氏にせよ、金や馬などの資源を目当てにしていた、…という点では同じなのかもしれませんが。
2024.06.15
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花屋による「母の日」キャンペーンは、菓子屋による「バレンタイン」キャンペーンと同じで、義理的な愛情表現への強迫観念を刺激するし、人並みの愛情を得られないことへの嫉妬や憎悪を増幅させる。企業にとっては「稼ぎ時」でしょうが、社会的にはむしろ弊害のあるイベントだと思います。バレンタインデーが来るたびに、義理チョコの有無や是非をめぐって、職場の男女関係がギクシャクするように、誕生日やクリスマスや結婚記念日が来るたびに、恋人や夫婦のあいだの関係もギクシャクするし、母の日が来るたびに、不仲な母子関係はますます悪化して、たがいの憎悪が拡大していくのよね。以下は、それに対するChatGPTの見解。母の日 カーネーション 5号鉢 赤 クマのぬいぐるみピック付き レッド ピンク さくらもなか オレンジ パープル イエローなど鉢植え 母の日ピック 選べる16色 母の日 ギフト プレゼント 母 5号サイズ 送料無料 鉢花カーネーション 花 2026年 楽天で購入
2026.05.10
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朝ドラ「風、薫る」周回遅れの第5週。雪のちらつく夜、門限に遅れた2人が、すこし距離を近づけるシーンはよかったです。この週で気になった点は、1.直美の名前が聖書から取られてた!2.当時はまだリンゴが珍しかった!3.西周が「観察」の訳語を考案した!そして、あいかわらず、4.大谷直美(鈴木雅)はフェリス出身?横浜共立出身?…ってことも気になる。◇1.直美の名前は聖書から!土曜ドラマ「まぐだら屋のマリア」も、登場人物の名前を聖書から取ってましたが、直美の名前も聖書から取られてたのね。マリアのほうは新約聖書で、ナオミのほうは旧約聖書です。◇旧約の「ルツ記」に書いてあるのは、姑のナオミと異邦人の嫁ルツの物語。家族がみんな死んでしまって、姑と嫁だけになってしまったら、ふつうは嫁が実家に戻るのだろうけど…ルツの場合は、最後まで姑のナオミに忠義を果たし、ナオミの親族の男と再婚して、これがダビデ王家の血統の起点になる。◇ちょっと小津安二郎の「東京物語」っぽい。血の繋がらない嫁がいちばん親切だった…みたいな話ですからね。もっとも笠智衆の場合は、東京の原節子にむかって、「広島の男と再婚しろ」なんて言わないけれど。かたやナオミの場合は、異邦人の嫁ルツにむかって、「イスラエルの親族の男と再婚しろ」と言う。そこがちょっと違います。とはいえ、日本にだって、たとえば戦争未亡人になった嫁が、義弟と再婚する…みたいなことはあったわけで、そういう話に近いと思います。◇いまや直美は、日本女性のありふれた名前ですが、りんが「文明が開花したお名前」と言ったように、明治時代には珍しかったのですね。むしろ、ナオミ・キャンベルやナオミ・ワッツみたいに、海外でこそ普通の名前なのでしょう。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を問わず、旧約聖書を使う世界では珍しくないのかも。谷崎潤一郎が「痴人の愛」を書いたとき、ナオミとジョージの話にしたのも、あきらかに西洋風を意識してのことよね。ナオミは旧約のナオミを連想させるし、ジョージはトルコの聖ジョージ(聖ゲオルギオス)を連想させる。そう考えると、大坂なおみも、渡辺直美も、じつはもともとが西洋風の名前だってこと。◇2.当時はリンゴが珍しかった!津軽藩の武家に生まれた菊池楯衛が、弘前でリンゴの栽培をはじめた話は有名ですが、江戸時代の日本にリンゴはなかったのかしら?Wikipediaによれば、日本における「林檎」の初出は、深江輔仁が918年に著した薬草に関する書籍「本草和名」である。この「リンゴ」(中国原産の同属別種であるワリンゴ/Malus asiatica)は、遅くとも鎌倉時代以降に小規模栽培されており、江戸時代になるとある程度一般化していた。1787年(天明7年)には、後桜町上皇が人々に3万個のリンゴを配ったとする記録がある。しかし、明治時代に欧米から西洋林檎(Malus domestica)が導入され、これが栽培されるようになり、急速に一般化していった。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B4…とのことで、中国原産の和リンゴは、平安時代には存在してたけど、一般庶民に西洋林檎が普及するのは明治以降なのね。なお、江戸時代に和リンゴを配った後桜町上皇は女性です。考えてみれば、ナオミが旧約聖書の女性の名であるように、リンゴも旧約聖書に出てくる食べ物ですよね。ただし、旧約の「禁断の果実」をリンゴとする解釈は、ローマ人の勘違いから来てるらしい。西ヨーロッパでは、禁断の果実はしばしばリンゴとされるが、これはラテン語で「善悪の知識の木」の「悪」の部分にあたる「malus」の誤読からきている。一方、東欧のスラブ語圏ではブドウとされることが多い。https://ja.wikipedia.org/wiki/禁断の果実◇わたしはてっきり、並木路子「リンゴの唄」や、美空ひばり「リンゴ追分」を聴いて、リンゴはごく日本らしい果物と思ってた…(^^;実際、親世代の人間からも、バナナが珍しかった話は聞いたけど、リンゴが珍しかったなんて聞いたことがない。しかし、この曲の発表当時まだリンゴは貴重品であり、1945年12月10日放送の公開ラジオ番組(NHK『希望音楽会』)において並木がこの歌を歌いながら客席に降り、篭からリンゴを配ったところ、会場がリンゴの奪い合いで大騒ぎになったというエピソードもある。https://ja.wikipedia.org/リンゴの唄2000年には本楽曲が「りんごが大衆果実として国民に受け入れられる大きな契機となり、今なお人々の心をとらえ歌い継がれているなど、りんご産業の発展と本県のイメージアップに貢献した」として、故人のひばりに「青森りんご勲章」が授与された。https://ja.wikipedia.org/wiki/リンゴ追分…とのことで、意外に昔はハイカラな果物だったのかも。◇3.西周が「観察」の訳語を考案!西周にしあまねは島根県津和野の出身で、森鴎外と同郷で同窓の縁戚なのね。ちなみに津和野は、旧出雲国じゃなく、旧石見国です。江戸末期の津和野藩は、東の松江藩(佐幕派)と西の長州藩(倒幕派)に挟まれて、最後は佐幕派から倒幕派へ転向した。◇前作「ばけばけ」では、勘右衛門(小日向文世)みたいに、なかなか時代の変化に適応できない、松江の保守的なチョンマゲ侍が描かれましたが…津和野の武士はそれとは対照的に、明治政府で活躍できるエリート官僚を輩出した。しかも、薩長のような政治家や軍人じゃなく、最先端の西洋文化を導入できる知的官僚です。◇もともとが先進的な小藩で、武芸より学究を重んじる人材戦略をとり、漢学にも蘭学にも通じてる人が多かったらしい。Observeを「観察」と訳したのは西周。Symphonyを「交響曲」と訳したのは森鴎外。洋学の概念を、漢学の概念に繋ぐことができたのは、両方の翻訳的知識があったからですね。まあ、小泉八雲なら、先進的な津和野よりも、保守的な松江のほうを愛でたはずですが。◇ちなみに西周は、Subjectを「主観」と訳し、Objectを「客観」と訳してます。Observeを「観察」と訳したように、仏教の「観」を西洋概念に当てはめたのね。もともと主客の別のない仏教的な「観」を、西洋の概念に適応させて主客に分離したのだから、のちに西田幾多郎が「主客合一」を唱えたのは当然で、たんに元に戻しただけというか、元来の仏教概念を取り戻しただけ…って気がします。◇4.鈴木雅は横浜共立出身?以下のAERAの記事にも、「鈴木雅は女学校の出身」と書いてあったけど、https://dot.asahi.com/articles/-/280218?page=1もうひとつのAERAの記事には、https://dot.asahi.com/articles/-/280860?page=1「マリア・ツルーが横浜のミッション・ホームで教えていた鈴木雅」とあって、これはフェリスじゃなく、のちの横浜共立のこと。前回の記事にも書いたように、https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202604230000/ミッション・ホーム設立の翌年に、はやくも鈴木雅が入学してたとすれば、まだ学校としての体裁が整う前の、教会みたいな場所で英語を学んだ可能性は高い。1860年(万延元年)ロンドンのセント・トーマス病院にナイチンゲール看護学校が設立。1870年(明治3年)メアリー・E・キダーの英語女塾(のちのフェリス・セミナリー)開設。1871年(明治4年)アメリカン・ミッション・ホーム(のちの横浜共立)設立。11才の大山捨松が岩倉使節団とともに渡米。1872年(明治5年)鈴木雅が横浜共立に入学?1873年(明治6年)ニューヨークとボストンとコネチカットに近代的な看護学校が設立。1874年(明治7年)マリア・ツルーが来日し横浜のミッション・ホームで教える。1875年(明治8年)フェリス・セミナリーの校舎落成。1876年(明治9年)マリア・ツルーが原女学校に移る?鈴木雅がフェリス・セミナリーに入学?1882年(明治15年)大山捨松がニューヨーク州のヴァッサー大学を卒業。1886年(明治19年)櫻井女学校の付属看護婦養成所が開設。1890年(明治23年)原女学校、新栄女学校、櫻井女学校が統合して「女子学院」が発足。櫻井女学校の看護婦養成所は、ナイチンゲール看護学校設立から26年後に開設。卒業できた第1期生は、大関和・鈴木雅・桜川里以・広瀬梅・小池民・池田子尾…の6人です。女子学院はいくつかの学校から統合してできた学校である。1870年設立のA六番女学校(のちの原女学校)、1874年設立のB六番女学校(のちの新栄女学校)、1876年設立の櫻井女学校が改称、統合し、1890年に「女子学院」として発足した。https://ja.wikipedia.org/wiki/女子学院中学校・高等学校連続テレビ小説 風、薫る Part1 (NHKドラマ・ガイド) [ 吉澤 智子 ] 楽天で購入
2026.05.10
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上白石萌歌/adieuの新曲。なんど読んでも、歌詞の意味はよく分からないけれど、そこはかとなく甘い幻想に包まれている。けっこう官能的な世界ですよね。ベッドに横たわって、肩越しの隣にいる誰かが、本のページをめくっている。その音に意識が戻されたり、また眠りに落ちたりしながら、ゆらゆらと揺れている。灯台って何でしょうね。2人で高い所に昇る。ここからなら、過去も世界も見渡せる。世界では色んなことが起こっている。嵐が来る。雷が鳴る。夜には流れ星。春にはつばめが飛ぶ。それなのに、ボタンに唇を押しあてたり、お互いの気持ちを鼻と鼻で確認しあったり、柔らかく歯跡をつけたり。ばからしくて、何の意味も理由もないけれど、夢中になっては、またそれを悔やむ。朝が来たら、その痕跡を照らし合う。萌歌が撮影した江の島の湘南港灯台。ふつう「柏手かしわで」ってのは、人間が神様へ打つものであって、神様が人間に打つものではありません。でも、ここでは、それさえ逆転してしまう。お互いのことに夢中で、もはや世界のことも、神様のことも目に入らない。せいぜい見えるのは、悲しい記憶の海だけ。灯台の外で何が起こっても、ここからじゃ耳にも聞こえない。息を止めるのは、死ぬためじゃなく、生きるため?生きていることを確かめるための抜群のアイディア?ミディアムテンポの官能世界。↓インストバージョンも素晴らしい!
2022.01.20
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NHKアストリッドとラファエル〜文書係の事件録。シーズン6の第4話「万物の理論」。◇テツオは、アストリッドに何か隠しごとをしてたらしい。アストリッドを尾行してたアジア系男性のカメラには、大量のテツオの隠し撮り写真が!まさかゲイじゃないよね…(^^;そしてテツオは、「結婚式が中断されたことには何か意味があるのかも」と話してました。それは、すなわち…結婚指輪にVX溶液を仕込んで、ラマルクがテツオの命を狙ったことも、テツオの隠しごとに関係があるってこと??◇それにしてもテツオは、あんな複雑な数式を読み解ける人なのね。もしやアストリッドより頭いい?今回のテーマは「万物の理論」でしたが、それは要するに、かつてアインシュタインが言った、神はサイコロを振らない…ってことを証明する数式でしょうか?その数式をめぐって、企業間では争奪戦が勃発。フランス政府もこれを危険視して、情報機関DGSEを動かして国の管理下に置こうとする。はからずも、いま世界で注目されてる、アンソロピックのMythosにも重なり、タイムリーなエピソードだな…と感じます。アンソロピックが招くAI国有化論 Claude Mythos拡散脅威https://t.co/DIKYtGEYIm国家安全保障への影響も指摘されるミトス。ジャーナリスト、トーマス・フリードマン氏は核兵器登場と同等の「根本的に重要な転換点になる可能性を秘める」と指摘します。— 日本経済新聞 電子版(日経電子版) (@nikkei) April 15, 2026追記:実際に数学の世界ではリーマン予想と量子力学が結びつく可能性があるっぽい。それがはたして「ポーカーの勝敗が予測できる」みたいな話なのかは謎ですが。以下はChatGPTの回答です。どれだけ正確な説明かは分かりません…(^^;◇以下は事件のネタバレ。数学者を殺害したのは、同じ数学者の息子でした。動機は妹への嫉妬&父への憎悪って感じ?父の言うがままに、人生を数学へ捧げてきたのに、結局は「天才の妹に及ばない」と切り捨てられ、これまでの全人生を否定されちゃったのね。◇かたや、その天才の妹は、「方程式で解き明かせたのは父親のことだけ」と最後に言ってました。あれはどういう意味だったのかしら?アストリッドも「よく分かりません」と言ってたよね。わたしはてっきり、ポーカーの勝敗を予測するように、父が兄に殺されるところまで予測してた、…ってことかと思ったけど、あらためて見直すと、父の死を知ったときは驚いてました…(^^;だとすれば、「父が数式を使って何を企んでるのか理解した」…みたいな意味だったのかな?実際、彼女は、あの数式を「人類の自滅の手段」とまで言ってたから、父の危うさを察知しちゃったのかも。…とはいえ、いくら父の野望が危険だからといって、兄のように殺すことまでは考えなかった。かりに、彼女が数式を改ざんしたとすれば、それは人類に悪用されるよりも前に、父に悪用されるのを防ぐためだったかもしれません。◇ラファエルは早くも二足歩行してる!!回復早すぎでしょ…(^^;しかも、指輪をはめて死にかけたのに、また性懲りもなく指輪はめてるし。サラダ記念日ならまだしも、署内でBanした記念日って…アストリッドにぜんぶバラされてるしwもうちょいマシな記念日はないの?◇そして、バシェール警視正が退場…(T_T)けっこう好きなキャラだったのに!!もう黒人のキャストはいなくなるのかしら?ビジュアル リーマン予想入門 ~グラフで解き明かす素数とゼータ関数の関係~ [ 木内 敬 ] 楽天で購入
2026.04.27
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NHK「らんまん」第13週。まずは万太郎と寿恵子の結婚があり、それと同時に、綾と井上竹雄の結婚も決まり、この2人に峰屋の経営が託されることになりました。また、万太郎は、天狗巣病にかかった千石屋の桜の治療を試みますが、残念ながら治療方法は見つからず、健康な若枝を接ぎ木して、その成長に託すことにします。◇史実でも、牧野富太郎が、(天狗巣病の治療に取り組んだかは不明ですが)ある商家の庭にあった桜の古木を、接ぎ木や挿し木によって広めたのは本当のようです。ドラマでは呉服商の「千石屋」となってましたが、史実では、仙台出身の主人が営んだ商家「仙台屋」の桜。牧野はこれをセンダイヤザクラと名づけたそうです。(そのルーツは宮城県の山桜ではないか、とのこと)一方、当時の東大植物学教室には、桜の天狗巣病について研究した人物が別にいます!それは、白井光太郎です。ドラマに登場する「細田晃助」のモデルです。彼は病原菌の特定には成功したのですが、現在もまだ治療方法は見つかっていないそうです。◇◇◇それはそうと!!わたしが依然として気になってるのは、やはり綾のモデル=牧野猶のこと(笑)。すなわち、牧野富太郎の最初の妻のことです。…ドラマだと、祖母の存命中に、万太郎の結婚と綾の結婚が決まりましたが、史実ではその順序が逆で、富太郎と猶が離婚し、それぞれ再婚したのは、祖母が亡くなった直後だったらしい。祖母が亡くなるまで離婚できなかったんじゃないかしら?◇NHKのサイトにも、↓最初の妻=牧野猶についての記事が載ってますが、https://www.nhk.or.jp/kochi/lreport/article/001/67/資料が少なくて、分からないことが多いみたいです。富太郎は、猶と結婚してすぐに、単身で東京へ行ってしまったし、子供も出来なかったようですから、実質的な結婚生活は皆無だったように思えます。要するに、猶を岸屋(=ドラマでは峰屋)の若女将にするための、形式上の婚姻関係だった可能性が高い。…とはいえ、祖母が亡くなるまで離婚せずにいたところを見ると、祖母のほうは、実質的な結婚を望んでいたのかも。◇小説家の大原富枝も、この婚姻関係には実効性があって、けっして形式的なものではなかったと主張しています。そして、大原富枝の小説『草を褥に』も、朝井まかての小説『ボタニカ』も、富太郎のことを「最初の妻を捨てた男」として描いています。事実、NHKのサイトによれば、牧野自身も、「元の家内は、いとこでいいなずけみたいなもので、どうも面白くなかった」「いとこ同士のは、興味がなんにもなかった」と語っていたようだし、牧野の親族も、「性格が合わないということで、間もなく離婚することになった」と話していたそうです。さらに、渋谷章による評伝には、「牧野富太郎好みの女性ではなかった」「一刻も早くこの結婚を解消しなければならないと決断した」などと書いてあり、大原富枝の小説には、「お猶さんは残念ながら美人ではない」「残念なことに肉体的に骨格がいかめしすぎた」などと書いてあります。(小説なので、これは作者の創作だと思いますが)◇かりに婚姻関係に効力があったとしても、実質上の結婚生活があったかどうかは別の話ですよね。牧野が一方的に「妻を捨てた」のではなく、祖母の死を待ってから、両者が合意のうえで、離婚と、それぞれの再婚をした可能性もある。猶と井上和之助の再婚についても、「牧野が2人を結婚させた」と記述されることが多いのだけど、それがどういう意味なのかは、いまいち分かりません。《その気のない2人を無理やりくっつけた》とも読めるし、《両者に結婚の意思があったので、それを許した》とも読めます。考えようによっては、牧野、猶、井上、寿衛の4人がみんな合意の上で、祖母の死後にそれぞれの再婚をした可能性もあるし、ほんとうに牧野が「妻を捨てた」といえるかどうかは謎です。◇そして双方が再婚した後、牧野は家財を整理して、岸屋を猶と和之助に譲り、岸屋は「井上和之助酒店」と屋号を変えることになります。しかし、結局のところ、酒蔵の経営は上手くいかず、最後は人手に渡ることになる。一説には、「牧野が金を無心しすぎたため」とも言われてますが、酒税が厳しかったせいでもあるだろうし、当主が変わったのも、屋号を変えたのも、やはり商売にとって不利だったのでは?という気もする。◇…今後のドラマがどうなるのか不安ですが、分家との確執もある中、はたして綾は、竹雄とともに、自分の望みどおりの酒を造ることが出来るんでしょうか??
2023.07.06
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NHKアストリッドとラファエル〜文書係の事件録。シーズン6の第5話「遺体なき殺人」。今回は別人になりすます話。姉はDV夫の暴力から逃れるため、整形して妹になりすましてました。◇そして…大企業の御曹司ホシダテツオも、強権的な父の支配から逃れるため、偽名のタナカテツオになりすまして、アストリッドと結婚しようとしてたのね。テツオは、本名であれ偽名であれ「自分は自分」と言います。しかし、アストリッドにとっては、タナカテツオがホシダテツオになった途端、もう「知らない人」になってしまうらしい!これも自閉症ならではの反応なのかしら??以下はChatGPTの見解。けっこう納得!リアルにメーテルみたいなアストリッド!pic.twitter.com/z7SKaBw8tm— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 4, 2026◇以下は真相ネタバレ。5年前に失踪した救命医のカレン。血痕の付着した遺留物が発見され、夫のジョアキムが妻殺しの容疑で起訴される。しかし、じつはカレンは死んでおらず、整形手術をして妹になりすまして生きていた!妹が5年前のコロナ感染で亡くなった際に、カレンは「身元不明の遺体」として処理させていた。妹になりすましたのは、自分が死んだと見せかけて夫ジョアキムの暴力から逃れるため。事実、ジョアキムは妻の腹部を銃撃する殺人未遂を犯しており、過去にも別の女性を殺害してた。正直、かなりツッコミどころのある内容…(^^;◇先日の京都の事件もそうだけど、失踪者の遺留物が見つかっただけじゃ、殺人罪は立証できません。死体が見つからなければ、血だらけのスカーフが見つかったとしても、あきらかに致死量の血液でもなければ、死んだことすら立証できない。たんなる失踪事件として処理されるはず。◇整形して妹になりすましたカレンは、平然と裁判所に出廷して夫の前に座ってて、夫のほうも何ら不自然を感じてません…(^^;いくら疎遠だったにせよ、義妹の顔と声ぐらい分かるでしょ!しかも夫は、妻が逃げ延びて生きてるのを知ってるんだから、目の前の義理の妹の正体が、じつは妻だと気づいても不思議じゃないのにね。それとも、腹部を打たれて森のなかで野垂れ死んだ妻が、野生動物にでも食われたと思ったのかしら?フランスの裁判所はカラフルで可愛い!(^^)◇カレンは夫に銃撃される前に、妹を「身元不明の遺体」として処理させた。(さすがに腹部を撃たれた後じゃ無理よね)つまり、その時点で、整形して妹になりすます計画を立てたってこと。でも、警察が遺体の写真撮影をしてれば、すぐに身元は判明したはずなので、本来なら実現の見込みが薄い計画だと思います。そこらへんもリアリティに乏しい。pic.twitter.com/p6P8KHwaNk— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 4, 2026なお、コロナ禍のときに、パリ郊外のランジス市場が接収され、遺体安置所になったのは事実だそうです。とはいえ、「多数の死者が身元不明のまま火葬された」…みたいな話はないと思います。Le funérarium provisoire de Rungis va être fermé➡️ Aménagé pour accueillir les dépouilles de victimes du Covid-19 >https://t.co/fLRjv0aQ6u pic.twitter.com/M0gc1CBJjm— Le Parisien (@le_Parisien) June 6, 2020
2026.05.04
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新海誠の映画「君の名は。」には、隕石によってできた糸守湖が描かれます。一般に、「糸守湖のモデルは諏訪湖だ」と言われてきたのですが、新海誠自身は、「最初期のイメージは(長野県小海町にある)松原湖や大月湖」だったと述べていました。昨夜NHKで放送された、「ネーミングバラエティー・日本人のおなまえっ!」を見て、ようやくその謎が解けた気がします。なんと「長野に幻の湖が存在した!」というのです…。◇ときは平安時代。西暦887年、五畿七道の地震によって、北八ヶ岳が山体崩壊を起こし、千曲川がせきとめられた結果、現在の小海町や南牧村あたり一帯が、水深130mもの巨大なダム湖になったというのです。その1年後には一部が決壊して、水深は50mほどに減ったそうですが、それでも、そこには100年以上ものあいだ、幻の湖が存在しつづけたそうです。現在の研究者たちは、この湖のことを「古千曲湖Ⅰ/古相木湖」(または南牧湖/小海湖)と呼んでいるようです。まさに、新海誠のいう「松原湖」は、この巨大湖の名残りなのです!そして、松原湖の周囲には、消えた湖の堆積土砂による広大な平野が残され、人々の暮らしと、水運のもたらす経済が育ったのです。◇話はそれだけではありません!長野は内陸県であるにもかかわらず、「本海野」「海瀬」「小海」「海の口」「海尻」など、海にまつわる地名が多いのですが、それらは、ここに幻の巨大湖が存在した痕跡なのであり、のみならず、「海野」「海瀬」「新海」「新津」などの苗字が多いのも、同じ理由からなのだそうです。…新海?!そうです!森岡浩によれば、もともとは「新開(新しい開墾地)」を意味する苗字に、あとから「海」の字を当てたものだそうですが、これもまた、その幻の湖に関係する苗字だったのです!!◇映画「君の名は。」に出てくる糸守湖は、隕石によって生まれたという設定ですが、実際には、地震による山体崩壊が生んだものがモデルだったのです。そして「新海」という苗字のルーツをたどれば、新海誠が、湖や、雨や、竜など、水にまつわる物語を作りつづけるのは何故なのか、その理由もはっきりと見えてくる気がします。おそらく新海家の一族は、地震で突如生まれた巨大湖のそばで生きた人々なのです。◇(追記)新海誠の娘はFoorinの新津ちせちゃんですが、新海誠も、本名は「新津」なのだそうです。新海家ではなく、新津家だったのですね。むろん「津」とは "港" の意味ですから、これもやはり海(=巨大湖)に関係した苗字です。なお、長野県佐久サク市には「新海神社」があるので、新海という芸名はここに由来するのかもしれません。また、長野県と海とのかかわりでいうと、海人族(ワダツミ)に連なる阿曇氏が穂高神社に祀られている…というのも気になるところです。▶映画「天気の子」を民俗学で読み解くこちらにその他のブログ。◇ついでに余談ですが、松原湖には、畠山重忠にまつわる竜の伝説があります。重忠の母(三浦義明の娘)は、源頼朝に仕えた息子を守るため、松原湖に入水して竜へ身を捧げたとのことです。(もともと彼女自身が竜蛇だったとの説もあり)彼女の墓は、いまは松原湖に水没しており、湖面が下がったときにのみ少し姿を現すそうです。…もともと長野には、諏訪のミシャグジ神 ≒ 建御名方タケミナカタ神を中心に、多くの竜蛇伝承がありますが、一説によれば、口噛み酒(ミサク)もミシャグジ神に関係しているそうです。上述の新海神社が祀っているのも、「興波岐オキハギ」という神様で、これは建御名方の子、もしくは甲賀三郎の子にあたり、いずれにしても蛇神/竜神です。別名を「新開ニイサク」「御佐久地ミサグチ」とも言うらしいので、これまたミシャグジ神に関係しているかもしれません。(追記はここまで)https://t.co/zFI5tXugXo pic.twitter.com/Tn6dlM6ZrT— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 11, 2022 話は変わりますが、番組では、「鬼滅」がらみで、鬼のルーツにも迫っていました。ざっくりいえば、鬼というのは修験者(山伏)なのですね。奈良の都の人々は、紀州沿岸の山地に潜伏する修験者たちを、「鬼」と呼んで恐れたようです。この地域には、「鬼」のつく地名や苗字が多いのです。役小角の弟子だった前鬼・後鬼の子孫も実在します。実際、修験の人々は、日に焼けた異形の赤ら顔で、目は爛々と輝いて野性味にあふれ、超人的な身体能力を持ってましたから、しばしば「鬼」「天狗」などと思われたのでしょうね。しかも、金属や水についての高度な知識をもっていたし、朝廷の権力さえ脅かす対抗勢力だったかもしれません。中央政権に統合しきれない鬼たちは、討伐(鬼退治)の対象になっていったのでしょうし、平安朝の嵯峨天皇は、紀伊の修験者たちを統合するためにこそ、空海の密教を利用したのかもしれませんよね。
2021.02.26
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セクシー田中さん問題。いろいろと議論が進展しています。まずはプレジデントオンライン。西山守の記事です。~芦原さんを苦しめたのは「原作改編」と「SNS炎上」のどちらか~これまでの関係者の発信を読み解くと、ドラマは最終的に全て芦原さんの監修が入っていた。「原作が尊重されなかった」と主張しているのは第三者だけではないか。https://news.yahoo.co.jp/articles/00423158fe0253207d329fbb4b63232794eb7741つまり、ドラマ版「セクシー田中さん」は、双方に想定以上の労力を強いたとはいえ、たえず原作者による修正が加えられたことで、結果的には「原作に忠実」な形で放送されてる…って話。たしかに、この事実は重要です。一部の漫画ヲタクは、「改変されまくりのドラマ版はつまらなかった!!」などと言ってるようですが、それは事実上、芦原妃名子の仕事を否定してることになる。◇最終的に、ドラマが「原作に忠実」な形で放送されたなら、プロデューサーは当初の約束を守ったことになります。…もちろん、いくつかの未解明な部分についての説明責任は残ってますが。それは大きく以下の7点です。1.なぜドラマ化は許諾されたのか。そもそもドラマ化に消極的だった芦原妃名子は、なぜ日テレによるドラマ化を許諾したのでしょうか?いちどは矢島弘一の脚本によるドラマ化を断り、まだ連載も途上だったのに、なぜ三上絵里子プロデュースのドラマ化には応じたのか?その時点で相沢友子の脚本起用は決まっていたのか?これについては、日テレよりも、許諾側の代理人たる小学館が説明すべきだと思います。2.なぜ木南晴夏は5月からダンスレッスンを始めたのか。原作者がドラマ化を許諾する1か月前から、木南晴夏はダンスレッスンを始めていたらしい。これについては日テレから説明するほうが早いでしょう。小学館と口裏を合わせていた可能性もありますが、たんに日テレやホリプロの勇み足だった可能性もあるし、これもまた業界の慣例だったかもしれません。3.プロデューサーは脚本家に何を伝えて何を伝えなかったのか。相沢友子は「初めて聞く事ばかり」とコメントしましたが、具体的に何を指してそう言ってるのかはハッキリしません。さすがに「原作に忠実に」という条件すら知らなかった、…とは考えにくいです。もし、そうなら、第1~8話も修正どころでは済まなかったはずだから。逆に「原作に忠実に」という条件が共有されていたなら、第1~8話の修正は想定内の作業だったといえます。実際、相沢友子も、第1~8話については「自分が書いた」と言ってるだけで、原作者による修正についてはとくに言及していません。一方、終盤の脚本を原作者に交代する可能性については、あらかじめ脚本家に伝えられていたのでしょうか?原作者側から、その可能性を通告されていたにもかかわらず、実際にそんな事態になるとは予想せずに、プロデューサーが相沢友子に伝えてなかった、…ってことも考えられる。その場合、相沢友子にとって脚本交代は青天の霹靂で、大きなショックになったろうと想像されます。そのあたりの事情は三上絵里子が説明したほうがいい。4.相沢友子のインスタ発信は妥当だったのか。相沢友子が、脚本交代の顛末をインスタで明かしたことが、騒動の発端になってしまったわけですが、わたしは、昨日の記事にも書いたとおり、暴露したその行為自体が悪いとは思いません。その種の「不満のぶちまけ」は、ほかの作家や脚本家もやってることだし、あくまで個人の表現行為の範疇であって、べつに日テレ側が制止すべきことでもないはずです。まあ、それについても、三上絵里子なりの見解を示せばいいと思いますが。5.なぜ脚本交代の経緯を小学館から説明しなかったのか。終盤の脚本交代に至るまでの経緯をくわしく説明したのは、小学館ではなく原作者自身だったわけですが、それは何故だったのか。日テレとの窓口は小学館だったのに、なぜか世間の矢面に立ったのは原作者自身だった。その理由については、代理人たる小学館が説明すればいい。6.なぜ芦原妃名子はSNSの文章を削除したのか。脚本交代に至る経緯について説明した文章を、芦原妃名子は亡くなる前に削除したのですが、これは本人の独断だったのか。それとも第三者による何らかの関与があったのか。それについて事情を知る人がいるなら説明すべきでしょうね。7.なぜ連載は休止になったのか。小学館によれば、今回の事態が起きる前から休載は決まっていたとのこと。これについても、自殺の動機を知る手掛かりの一つかもしれないし、代理人たる小学館が説明すればよいと思う。◇…ってことで、じつは三上絵里子が説明すべきことは、さほど多くありません。実際のところ、日テレのプロデューサー陣には、これといった契約違反もないし、目立った過失も義務違反もないのかもしれません。◇次に、Yahooの猿渡由紀の記事です。~原作ものの映像化と改変、最近のハリウッドの例を見る~小説やノンフィクション本、コミックが映像化されることは過去にも今にも数えきれないほどあるハリウッドでは、傑作の中にも、駄作の中にも、原作に沿ったものもあれば、大きく改変されたものもある。実際のところ、ある程度改変されることのほうが多い。https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/4f16e5b6d5bcb5bd82c97339e4057e5e105b08f9ハリウッドの優れた映画が、かならずしも原作に忠実なわけじゃない…という話です。まあ、常識的に考えて、オスカーにせよ、カンヌにせよ、原作をそのままトレースしただけの映画が高評価を得るわけがない。漫画ヲタクを喜ばせる映画と、映画ファンを唸らせる映画は、かならずしも同じではない、ってこと。◇次に、Yahooの徳力基彦の記事です。~「セクシー田中さん」と芦原先生の悲劇を繰り返さないために~おそらく重要な分岐点は、12月27日に一部メディアが、相沢氏のコメントを引用し「最終回で消化不良を起こした視聴者が続出」という内容の記事を掲載したことです。この記事は残念ながら、ライブドアなどのポータルサイトにも転載されており、それなりの人数に届いてしまったようです。https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/3ed6b751c16a1baee29f72a36e2de6bc79653899じつはSNSでの怒りの連鎖に着火したのは、ひとつのネット記事だったのではないか?…という話です。この問題については、明日以降に言及できれば、と思います。
2024.02.10
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なにやらポピュラー音楽界隈で「内在批評 vs 外在批評」が話題らしい。◇ 一般的に、内在批評は文化レベルを押し上げるし、音楽制作者にとっての勉強にはなるだろうけど、高い専門性を要するぶんだけ、一般リスナーの批評言語はかえって貧困になりがちよね。それに、内在批評ばかりが優勢になると、ポピュラー音楽のシステムや時代性を成り立たせる外的条件に対してミュージシャンは無自覚になると思う。さらにキャンセルカルチャーとの関連でいえば「作品さえよければ作者も免罪される」みたいなガラパゴス的な価値観にも陥りやすい。それを避けるためにも、ミュージシャンが一定の外在批評にさらされるのは必要です。◇ ちなみに、この対立は、古くはドイツの「絶対音楽 vs 標題音楽」の論争にはじまります。純粋に聴覚的な形式美だけで成立するのが絶対音楽。かたや主題や物語や視覚描写などに従属するのが標題音楽。ベートーベンでいえば、第5番の「運命」が絶対音楽で、第6番の「田園」が標題音楽ってことになる(「田園」の表題は本人がつけたものだけど、「運命」は本人がつけたものじゃない)。文学でいえばロマン派と自然派の対立に似てるかもしれない。ただし、この対立図式は、音楽作品そのものを2分するというより、むしろ音楽の扱い方(批評の姿勢)を2分するものと考えるほうが正しい。絶対音楽は内在批評によって普遍的に価値づけられるけれど、標題音楽は社会背景や社会思想によって位置づけや評価が左右されがちになる。ただし、内在批評を重視した絶対音楽派の側にも、じつは政治的な動機がありました。絶対音楽の優位性を主張したエドゥアルト・ハンスリックの実質的な目的は「ワーグナー批判」でしたが、ある意味では、イタリアオペラに対するドイツ器楽音楽の優位性を正当化するロジックでもある。そしてハンスリックの主張には、ワーグナーの標題音楽が「反ユダヤ思想」の表現になることへの危機感が含まれてた可能性もあります。なぜならハンスリック自身(の母方)がユダヤ系だったから。同じくユダヤ系でメンデルスゾーンの弟子だったヨーゼフ・ヨアヒムも、ブラームスと共同でワーグナーやリストらの音楽を批判する宣言を出してますが、彼はユダヤ系有力者であるウィトゲンシュタイン家の親類であり、このウィトゲンシュタイン家を中心とするユダヤコネクションこそが当時のウィーンの代表的な文化サロンをなしてました。ハンスリックは、ブルックナーをも「ワーグナー一派」と見なして攻撃したけれど、はたから見ればブルックナー作品はブラームス以上に絶対音楽的だったわけで、そういうところには論理的な矛盾も見られます。そしてハンスリックが擁護したブラームス本人も、絶対音楽派を自認してたとは言い切れない面があり、なかばハンスリックの擁護を迷惑にすら感じてたっぽい。指揮者のハンス・フォン・ビューローも、ワーグナー派からブラームス派へ転向してハンスリックの主張に倣いましたが、彼の場合はかなり私情が混じってた感もありますね(妻のコジマをワーグナーに寝取られたから?)。ビューローは、ドイツ音楽史からワーグナーを排除するために「ドイツ三大B(バッハ/ベートーベン/ブラームス)」という詭弁を弄して絶対音楽の系譜の優位性を強調しましたが、客観的に見れば「ヘンデル/ベートーベン/ワーグナー」という標題音楽の系譜のほうがはるかに強力でした。実際、ヘンデルのメサイアがなければ、バッハのマタイ受難曲が再評価されることも、ベートーベンが第9を作ることもなかったはずだから。そして結果的にドイツ音楽の優位性は、ブラームスの絶対音楽によってではなく、ワーグナーの楽劇によってこそ証明されたわけだから、ハンスリックの理念はいまいち現実を反映してない。とはいえ、ワーグナーの楽劇の世界的な成功が「標題音楽の勝利」を意味するとは言い切れません。ワーグナーの楽劇がのちにナチスに利用されたことを考えれば、その系譜はむしろ最悪の結果に帰着したともいえます。したがって、そこから外在批評の危険性を指摘するのも十分に可能ではある。◇ 一方、映画における内在批評といえば、蓮實重彦の「表層批評」が有名です。映画が主題や物語に従属することを拒否して、もっぱらその形式的な美学において評価する手法のこと。だから蓮實は、黒澤明やベルトルッチに対して批判的だし、ゴダールのジガ・ヴェルトフ期にも批判的です(この時期のゴダールは「映画による社会革命」を目指したから)。とくに黒澤やベルトルッチの場合は、物語の内容がファシズム批判でありながら、映画形式がかなりファシズム的だという矛盾もあって、それは黒澤明が「天皇」と呼ばれたり、ベルトルッチに性加害疑惑があったこととも無関係じゃない。そして映画においてもナチスの問題は重大で、とくにレニ・リーフェンシュタールが作ったナチスのプロパガンダ映画をどう評価するかについての深刻な議論があります。彼女の映画は形式美に優れてるので、内在批評においては高く評価されるけれど、外在批評においては激しく糾弾される。ワーグナーのケースとは逆のことが起こってるともいえます。蓮實の場合は、女性を客体化したヒッチコックや、男性主義的かつ国家主義的と目されるジョン・フォードを、その形式性において高く評価するくらいだから、おそらくレニに対しても一定の評価(もしくは高い評価)を与えるはずです。◇ こうした内在批評は、専門性が高い反面、やはり一般の観客の言論が貧困になりがち。クラシック音楽の内在批評(楽曲分析)などは専門性が高すぎて、ほとんど音楽大学の教授にしか触れない領域になり、言論が象牙の塔に引きこもって評価軸が硬直的になる。そして一般の聴衆はほとんどものが言えなくなる。蓮實の影響を受けた一般のシネフィルは、物語の読解も主題の分析も放棄した結果、ただひたすら「ショットが素晴らしいですね!」を連発するだけの馬鹿ばっかりになりました。その昔、アモス・ギタイが来日してエルサレムについての作品を上映したとき、その質疑応答で誰ひとり政治的な主題には触れず、美大生みたいなシネフィルたちが、ひたすら「ショットが素晴らしいですね!」を連発するのを見て、わたしは唖然としたことがあります。それを内在批評といったら聞こえがいいけれど、たんなる形式美への逃避でしかない。これは、さながらアニヲタが「作画が素晴らしいですね!」を連発して、ジブリ映画の主題や物語をスルーするのと同じです。そして、それ以上の具体的なことを言える人はほとんどいない。なぜなら一般の観客は、カメラの置き方も、照明の当て方も、構図の作り方も、コマの割り方も分からないから。そのあげく「良いものは良い」みたいに呟くだけが精一杯になる。しょせん素人の内在批評なんてそんなものです。アニヲタの場合は、物語の読解や主題の分析をスルーして、ひたすら美少女やロボットのような萌え要素だけを愛でる「動物的な消費(データベース消費)」に成り下がる面もある。それを指摘したのは東浩紀ですが、彼自身はヲタク文化に対して世代的な共感があるらしく、肯定もしてないけれど、とくに否定もしてません。ロックやポップスの内在批評も、やはりギターのリフ萌えだの、ベースライン萌えだの、コード萌えだのに終始しがちになる。その結果「ギターリフが凄い!」「ベースラインがエグい!」「コード進行がエモい!」「歌詞が深い!」みたいなことをオウムのように連発するだけで、それ以上のことが何も言えない素人が増えていく。さらにAIが音楽を作る時代になると、AI以上の形式美を追求できるのは、ごく一部の天才に限られるようになるし、しまいに形式美の追求はAIに任せておけばよいってことになるはずです。◇ 20世紀のクラシック音楽と同様に、21世紀のポピュラー音楽は再解釈の時代に入ってて、そこでは内在批評よりもむしろ外在批評の社会的な意味づけによって作品の評価が変動していきます。たしかに内在批評は普遍的だけれど、逆にいうと再解釈や再評価には関与しにくい。たとえばバッハのマタイ受難曲の形式美も、内在批評においては当初から支持されてただろうけど、それが社会的に再評価されたのはメンデルスゾーンの復活上演によってだし、ヘンデルのメサイアの世界的成功という文脈がなければありえませんでした。ヴィヴァルディの音楽が20世紀に再発見されたのは内在批評のお陰かもしれないけど、それを時代の嗜好に結びつける外在批評がなければ、やはり一般的なブームにまでは発展しなかったはず。近年の日本のシティポップの世界的なブームなども、たんに「良いものは良い」みたいな内在批評によって実現したわけじゃない。それはむしろイタロディスコのブームと同じく「ちょっとダサいけど逆にそこがいいよね」という意味づけの変化による再解釈の結果だったのだし、それを導いたのは外在批評だったというべきです。一方、前期ビートルズから後期ビートルズへの変化はボブ・ディランとの出会いが転換点になってるだろうけど、そういう事象も内在批評だけじゃ理解できませんよね。内在批評は音楽制作者にとっての参考にはなっても、新しい時代の評価軸を生み出したり、時代の潮流の変化を説明したりする力は弱い。たとえば形式美の画期的な変更を見抜くことができれば、内在批評が時代を動かすことも不可能じゃないけれど、そもそも内在批評で形式美を語るだけでは、その音楽の魅力を一般の聴衆にまで届けるのは難しい。多くの場合、作品の評価を決めるのは外在批評であって、内在批評は後追いで「なぜ良いのか」を説明するにとどまってしまう。現在の音楽ジャーナリズムは、たんなるプロモーション媒体に成り下がってるけれど、かといって社会的な文脈を作り出せるほどの言語的な力もないので、現状ではアニメのタイアップ曲ばかりが優勢になってます。そして内在批評は、そんなアニメのタイアップ曲であれ、筒美京平のような職業作曲家の歌謡曲であれ、劇伴サントラみたいな受注生産の音楽であれ、その形式性を平等に評価するしかない。むしろ外在批評の側面を強化しなければ、新しい評価軸を生み出すことは出来ないと思います。◇ なお、念のための補足ですが…蓮實重彦の「表層批評」と同時期に登場した柄谷行人の「漱石論」は、テキストの表層から作者本人も自覚してない隠れた主題を読み取るという精神分析的な手法で、一見すると内在批評(表層批評)に似てるかもしれませんが、実際には「高度な外在批評」というべきであり、じつは蓮實の表層批評にもそういう側面があります。たとえば「ジョン・フォードは男性主義者ではない」というトリッキーな主張は、テキストの表層を精神分析的に読み解く手法にもとづいてる。クラシック音楽のアナリーゼやポップスの楽曲分析にも、それを応用できなくはありません。絶対音楽の美学と分裂する〈ドイツ〉 十九世紀 (〈音楽の国ドイツ〉の系譜学 3) [ 吉田 寛 ] 楽天で購入 ジョン・フォード論 [ 蓮實 重彦 ] 楽天で購入
2026.04.09
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このブログのいつもの記事は、ほとんど「いいね」が0なのだけど、なぜか3日前の記事は、いきなり大量の「いいね」を獲得しました。何故そんなことが起こったかというと…理由は簡単で、楽天ブログのトップページに表示されたからです。おそらく表示されたのは短時間で、わたしが確認したのは一度だけ。周知のとおり、楽天ブログの「いいね」ボタンは、《15の記事に10秒ずつ滞在すると1ポイント貰える》…という仕組みなのですが、ポイント目的の楽天会員は、楽天ブログのトップページに集まるのです。◇たとえば、カテゴリランキングで上位に入っても、(アクセス数はそれなりに増えるけど)記事の「いいね」数はまったく増えません。なぜなら、記事を読んでる人は、ほとんど「いいね」を押さないし、かりに押したとしても、しばらくすると消えてしまうから。そもそも楽天会員でなければ、ボタンすら押せない仕組みですし。わたしも、気に入った記事に「いいね」を押したことはあるけど、しばらくすると消えてしまいます。おそらく、ポイント獲得まで到達しないと、すべてが無効になるのでしょうね。◇一方、ポイント目的の楽天会員が集まるのは、唯一トップページだけで、それ以外のページにはいっさい来ない。はなからブログになど興味がないからです。彼らは、トップページに表示された記事を開き、10秒たったら「いいね」を押して、すかさず次のページへ移動する、…という機械的な作業を繰り返すだけなので、たぶん記事の内容は一文字たりとも読んでない…(^^;そうでもなければ、確実にポイントは稼げないし、そのようにポイントを獲得した場合にだけ、おそらく「いいね」の数はカウントされるのです。実際のところ、15もの記事をまともに読んでたら大変よね。ひとつの記事にあたり1分なら15分、3分なら45分もかかります。そんなことを毎日やってる人は皆無でしょう。そもそも、興味のもてる記事を15件も探すのは容易ではない。◇そう考えれば、楽天ブログの「いいね」は、《記事を読んで評価した人の数》じゃなく、《ポイント目的でアクセスして記事を読んでない人の数》です。そういう本末転倒な指標だと考えるべき。かりに、100のアクセスがあって、80の「いいね」がついたとしたら、実際に読んでるのは20人にも満たないってこと。しかも、楽天ブログの場合、アクセス数より「いいね」の数が多くなる、…みたいな怪現象もしばしば確認できます。野球でいえば「5打数6安打」みたいな現象です。何故そういうことが起こるかは知らんけど、見た目のアクセス数や「いいね」の数に反して、そういう記事は、実際にはほとんど読まれてないってことですね。たんにポイント稼ぎのツールにされてるだけ。◇楽天は、広告ビューを増やすために、こういう変な設計にしてるんだろうけど、ブログの書き手や読み手にとっては、まったくもって意味のない指標です。のみならず、ポイント稼ぎの会員にとっても、まったく無駄な作業をさせてると思う。実際、彼らは、記事も読んでないし、広告も見てないはず。◇経済合理性を追求すればするほど、こういう非合理がまかり通ってしまうのですね。東北楽天ゴールデンイーグルス スマホケース 手帳型 全機種対応 iPhone 17 17pro 17air 17promax 16 16pro 16plus 16promax se2 se3 pixel10 pixel10pro pixel9 aquos arrows 携帯ケース 携帯カバー di690 楽天で購入 …ってなわけで、楽天ブログの「いいね」は変な指標なのだけど、かといって、Xやヤフコメなどの「いいね」が正しいのでもなく、それはそれで問題がありますけどね。◇日本人は空気で支配したがる民族だから、空気の支配力を強めるために、見かけの数で影響力を示したい欲求が強まり、フォロワー数やいいね数は、党派的な優位性を顕示するために使われて、社会の分断や短絡的なポピュリズムが増長する。あるいは、相互フォローや相互いいねなど、無意味なルーティンコミュニティを生み出すだけで、情報の有用性を示す指標にはならないし、プラットフォーム側にとっても、そういう安易な目的で使わせるほうが営利になる。以下はChatGPTの見解。以下は「数字による人間疎外」みたいな話。
2026.05.08
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こどもの日ロボット削る刀削麵 二度見かな嫗の盛り飯扇風機 暖簾越し胃袋つかむ夏座敷 青山河シビレ驚き走り出す 夏めくや これより打ち出す中華鍋 空焼きの中華鍋背に胡瓜噛む 舌先を花山椒に噛まれけりプレバト俳句。お題は「町中華」。◇大友康平。暖簾越し 胃袋つかむ夏座敷夏きたる 町飯店のスープの香(添削後a)夏きたる 町飯店の醤油の香(添削後b)暖簾をくぐって、夏の座敷があって、美味しいものが出てくる… って、どこの食堂でも当たり前みたいな話。ごく一般的な説明をしただけの句ですね。なお、夏座敷という涼しげな季語は、兼題の「町中華」の座敷のイメージではない、とのこと。添削句のほうは、「町中華の香によって夏来る」というニュアンスになっていて、なかなか臨場感があります。◇久代萌美。こどもの日 ロボット削る刀削麵とうしょうめんこれが今週の1位。ただし、削らない刀削麵があったら持って来いっ!!…という意味では「削る」の動詞が重複にも見えます。◇篠原ゆき子。二度見かな 嫗おうなの盛り飯 扇風機嫗食う山盛りの飯 扇風機(添削後)中八と三段切れ。一般に「かな」は下五に置くべき。そして「嫗が飯を盛る」のか「嫗が盛り飯を食う」のか、そこに誤読の可能性があります。添削句は、山盛りの飯食う嫗 扇風機としたほうが主語と目的語の関係が明瞭だと思う。◇坂東龍汰。青山河 シビレ驚き走り出す山椒さんしょの実噛んでシビレて走り出す(添削後)実際は山椒の実にシビレたらしいのだけど、まるで風景にシビれちゃったように誤読されますね。しかも動詞が「シビレる」「驚く」「走る」「出す」の4つ。添削のほうも、「驚く」の感情語を「噛む」に置き換えて、動詞を4つのまま投げやりに放置しています。なお、原句が夏の季語として使った「青山河」は、まだ歳時記には未掲載の新しいものだそうです。かたや、「山椒」はそれだけでは季語にならないけれど、添削句の「山椒の実」は秋の季語になるそうです。ためしに、山椒に痺れる舌と青山河山椒の実噛んだ舌先 青山河などとしてみました。◇フジモン。夏めくや これより打ち出す中華鍋これよりの夏や 打ち出す中華鍋(添削後)映像をもたない時候の季語の詠嘆、やや格式ばった言い方「これより」を用いて、あえて中八にしたことの是非。良いのか悪いのかよく分からない…ちょっと評価が難しいです。◇フルポン村上。空焼きの中華鍋背に胡瓜きゅうり噛む中華鍋空焼き 蒜にんにくを剥きつつ(添削後)忙しさのなかの、ほんの一息。暑さのなかの、一瞬の涼しさ。黒い鍋と赤い炎に対して、青い胡瓜。シャキシャキした歯ごたえと音、野菜の味覚。さすがに対比の手法が手練れていますし、季語が脇役になっているわけでもないけれど、先生いわく、もうすこし季語を際立たせる質量が欲しい、とのこと。かなり高度なダメ出しです。かたや、添削句は、たしかに季語は立っているけれど、対比の鮮やかさでは原句に劣るかもしれない。◇梅沢富美男。舌先を花山椒に噛まれけり舌先を噛まれ花山椒ぴりり(添削後a)舌先を噛まれ花山椒かおる(添削後b)村上いわく、さほど鮮やかともいえない比喩&擬人化の是非wそして、切れ字の「けり」は、瞬間の驚きではなく、継続的状況への詠嘆として使うべき、とのこと。…ってことで、ボツです。一方、添削句は、はたして擬人化だと分かるでしょうか?わたしは "エロい場面" に見えてしまうと思いますが…。
2022.05.20
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朝ドラ「ブギウギ」のヒロインが決定。笠置シヅ子役は、てっきり田村芽実と思い込んでいたのに(笑)趣里でしたね。ドラマ「アイドル 明日待子」でのチョイ役は、いったい何のフラグだったんだろう??
2022.10.17
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またまた一週おくれですが、「アストリッドとラファエル4~文書係の事件録」第4話の《不死の男》を見ました。今回のテーマは"トランスヒューマニズム"。すなわち《超人間主義》です。遺伝子工学などによって、人間が生物学的な限界を超えるという思想。ストーリーは、いままででいちばん面白かったかな。◇以下は、簡単なあらすじネタバレ。メッタ刺しに殺されたのは遺伝子研究者の男。ところが、凶器に付着してたのは被害者自身の指紋とDNAだけ。もしかして自分で自分をメッタ刺しにした??そんなことありえない!!DNA型が同じ一卵性双生児の犯行とも疑われたけど、被害者に双子の兄弟など存在しません。結局、犯人は被害者の息子でした。…といっても、それはほんとうの息子ではなく、齢の離れたクローン人間だった …というオチ!クローン人間の息子が父を殺す一方で、アストリッドの腹違いの弟ニルスは、父の顔さえ知らないのに、亡き父と同じように鉛筆の噛み癖をもっていた…。そんな2つのエピソードが対比されてます。◇今回、とくに興味をひかれたのは2つの名前でした。ひとつは、遺伝子操作で誕生した赤ちゃんの「アンティゴネー」。もうひとつは、被害者の男が名乗っていた「イザーク・ラクデム」。◆アンティゴネーギリシャ神話のアンティゴネーはオイディプス王の娘です。彼女は、オイディプスの次王クレオーンと対立しました。このアンティゴネーとクレオーンの対立は、神の法(ピュシス)と人間の法(ノモス)の対立といわれてます。それは言い換えれば「自然」と「人工」の対立なのですね。今回のお話では、遺伝子操作の犠牲者である赤ちゃんアンティゴネーを見て、アストリッドが涙を流すシーンがありましたが、遺伝子工学にもとづく超人間主義が、神=自然の法則への冒涜と位置づけられてるわけです。◆イザーク・ラクデム一方、この名前は、デュマの未完の小説から採られてるらしい。その名も「Isaac Laquedem」という1853年の作品。主人公の名前が題名になってるようですが、残念ながらネットで検索しても邦訳が見当たらない。調べてみると、これは「さまよえるユダヤ人」のヴァリエーションで、すなわち不死伝説に材をとった物語のようです。ヨーロッパに伝わる「さまよえるユダヤ人」とは、十字架に向かうイエスを罵ったために、その再臨まで地上を彷徨いつづけるよう呪われた男のこと。つまり、永久に死ねなくなって、いつまでも生きることを強いられたユダヤ人です。◇この「さまよえるユダヤ人」の不死伝説は、その後、さまざまな文学作品などに変奏されてます。ワーグナーの「さまよえるオランダ人」もその一つですが、このアレクサンドル・デュマの「Isaac Laquedem」もそうなのね。日本でいうと、手塚治虫の「火の鳥」や、萩尾望都の「ポーの一族」や、大今良時の「不滅のあなたへ」などの漫画作品も、やはり不死をめぐる物語なので、この「さまよえるユダヤ人」のヴァリエーションかもしれません。Isaac Laquedem【電子書籍】[ Alexandre Dumas ] 楽天で購入
2024.02.14
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NHK「風、薫るツアー」横浜編。上坂樹里と丸山礼が横浜を訪ねてました。巡ったのは以下の4か所。・横浜海岸教会・元町ウチキパン・横浜開港資料館・牛鍋屋の太田なわのれんとくにウチキパンは、食パン好きの由貴ちゃんもときおり紹介します。あの食パンは、イーストじゃなくてホップで作ってるんですね!ちなみに、太田なわのれんは明治元年の創業ですが、ウチキパンは明治21年の創業なので、ドラマの設定よりもすこし後になります。打木さんだからウチキパンなのね。神奈川県座間市出身の上坂樹里は広い意味で地元?pic.twitter.com/QOFEYuwzO8— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) April 23, 20262人が横浜を訪ねたのは、大家直美のモデルの鈴木雅さんが、横浜居留地で英語を学んだからなのだけど、ドラマには横浜の"ヨ"の字も出てこないので、なぜ上坂樹里が横浜を訪ねたのか、たぶん理解できない視聴者も多いのでは?実際、今回の朝ドラの序盤は、かなりの部分がフィクションでしたよね。◇一ノ瀬りん(見上愛)のほうは、最初の結婚に失敗してシングルマザーになりました。それ自体は史実のようだけど、火災のどさくさに紛れて嫁ぎ先を飛び出し、幼い娘を連れて栃木の那須から川を下って東京へ出る、…ってのは大胆なフィクション。うまくやれば、ドラマティックな話になったでしょうが、脚本的にも演出的にも、だいぶ嘘っぽくて納得感に乏しかった。わたしは、てっきり、利根川水系を下って東京へ出たと思いましたが…調べてみると、鬼怒川水系は利根川につながるものの、那須の那珂川水系とは接続がないため、いったん太平洋に出るしかないらしい。https://www.pref.tochigi.lg.jp/c05/intro/kids/page/syoukai07_2.html◇かたや大家直美(上坂樹里)は、東京の教会に拾われて育った孤児で、大山捨松(多部未華子)に取り入って鹿鳴館に潜り込む、…というレミゼのコゼットみたいな設定!!そもそも、家どうしの結婚が主流の時代に、身分を偽って上流社会で婚活なんて、よほどの詐欺師でもなきゃ無理なのでは??…と思ったら、ホントに詐欺返しに遭う顛末でしたw◇しかし、直美のモデルの鈴木雅さんは、実際は孤児じゃなく士族の娘で、横浜居留地の女学校で英語を学んだようです。Wikipediaを見ると、鹿鳴館に関わりがあったのは、一ノ瀬りんのモデルの大関和のほうだと思う。ただ、鈴木雅さんの史実については、どうも不明な点が多いのですよね。そういう事情もあって、思い切ったフィクションにしたのでしょう。AERAの記事には、「静岡県の士族であった加藤信盛とトヨの長女」「女学校の出身」…と書いてあるので、https://dot.asahi.com/articles/-/280218そこまでは確認が取れてるのだと思う。Wikipediaのほうには、「父親は鳥羽伏見と五稜郭の戦い(函館=箱館戦争)の生き残り」「フェリス・セミナリー出身」…みたいなことまで書いてあるけれど、https://ja.wikipedia.org/wiki/鈴木雅(看護師)↓その真偽はいまいちハッキリしないっぽい。https://hiroseorth.blogspot.com/2026/04/or.html?m=1https://hiroseorth.blogspot.com/2025/12/blog-post.htmlNHKの公式も、詳しい史実にはまったく触れてませんね。曲がりなりにも士族なのだし、「ファミリーヒストリー」的な調査をすれば、もっと細かいところまで分かりそうなものだけど、無理だったのかしら??◇鈴木雅さんが、女学校で英語を学んだのは間違いない。しかし、フェリスなのか、共立女子なのか、その両方なのかがハッキリしません。この場合の「共立女子」とは、神田の共立女子大ではなくて、横浜共立学園の前身のことですが、フェリスも共立女子も横浜居留地にありました。ドラマの時代設定は明治15年だけど、鈴木雅さんが英語を学んだのはそれより前です。1870年(明治3年)メアリー・E・キダーの英語女塾(のちのフェリス・セミナリー)開設。1871年(明治4年)アメリカン・ミッション・ホーム(のちの横浜共立)設立。1872年(明治5年)鈴木雅が横浜共立に入学?1875年(明治8年)フェリス・セミナリーの校舎落成。1876年(明治9年)鈴木雅がフェリス・セミナリーに入学?76年にフェリスに入学したとすれば、校舎も完成して学校の体裁が整ってただろうけど、72年に横浜共立に入学したとすれば、まだ私塾を開設して1年後だし、教会に毛が生えたようなものだったかもしれません。実際、当初は生徒を集めることが出来ず、「母親を亡くしたイギリス人の幼い姉妹の養育から始まった」https://ja.wikipedia.org/wiki/横浜共立学園中学校・高等学校と書かれてますから、朝ドラの設定はそれを参考にした可能性もあります。◇当時は、官営の女学校が「良妻賢母型」の教育を目指したのに対し、ミッション系の私設女学校は「実業志向型」の教育だったらしい。箱館戦争を生き残った士族が、なぜ娘を横浜のミッションスクールに通わせたか分からないけど、路頭に迷う士族が多かった時代なので、女子にも実業のための教育をさせた士族が多かった可能性はある。以下はChatGPTの見解。ウソかホントかは不明。箱館戦争には、フランスの軍事顧問団が関わってましたから、もともと横浜居留地とのコネクションがあったのかも。◇雅さんの夫になる鈴木良光も、父子ともに箱館戦争を戦った生き残りなので、(父の鈴木良右衛門は北方領土で戦死したっぽい)もしWikipediaの記述が事実なら、雅さんは父の同士の息子と結婚したことになる。https://ja.wikipedia.org/wiki/鈴木良光ただし、鈴木良光は、箱館戦争で降伏したあと新政府の軍人になり、西南戦争を鎮圧する側になったので、その意味では、捨松の夫の大山巌(高嶋政宏)と同じ立場だったわけね。旧幕府側だった鈴木良光も、薩摩出身だった大山巌も、新政府の軍人になって西南戦争を鎮圧した。それこそ勝海舟(片岡鶴太郎)も、幕臣から新政府の海軍卿になったわけですが、そのへんの敵味方の関係性は複雑怪奇なので、現在の日本人にはなかなか想像しにくい。◇ドラマにも描かれてるように、一ノ瀬りんのモデルの大関和さんは、新政府側の家老の娘ですが、それに対して鈴木雅さんは、旧幕府側の士族の娘ってこと。わたしは大河「八重の桜」を見てないので、大山捨松のことをよく知らないけど、彼女は会津藩家老の娘でありながら、薩摩出身の新政府の軍人と結婚したわけよね。前作「ばけばけ」の小泉セツもそうですが…大山捨松も、大関和も、鈴木雅も、同時代の士族の娘として三者三様の生き方をしてる。それを史実ベースで比較できれば面白いとは思います。連続テレビ小説 風、薫る Part1 (NHKドラマ・ガイド) [ 吉澤 智子 ] 楽天で購入
2026.04.23
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昨夜の「夫婦デカ」のなかで、由貴ちゃんが香音を抱きしめる場面がありました。香音って、関テレの「娘の命を奪ったヤツを殺すのは罪ですか?」でも齊藤京子や水嶋凜と共演してたよね…と思って調べてみたら、この人、野々村真&俊恵の娘なのね!!ぜんぜん知らなかった!てっきりAKBあたりのアイドルかと思ってました…(^^;pic.twitter.com/a8WFTCkopS— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 5, 2026 「父・野々村真に頼らず独り立ちしたい」香音(23)が両親を共演NGにしたワケ「すごく誇りに思っているんですけれど…」香音インタビュー #2記事はこちら↓https://t.co/mJK6IodZ3O#文春オンライン— 文春オンライン (@bunshun_online) September 15, 2024可愛い顔してるよねえ…。父親似?母親似?◇ じつは由貴ちゃんと野々村真は「野球狂の詩」の恋人役(というか野々村真の片想い)でしたよね。当時は両者とも俳優デビューしたばかり。あれが由貴ちゃんのドラマ初出演で、野々村真はドラマ2作目だった。そう考えると「娘の命」のときの水嶋凜と香音の共演は、親子2代にわたる娘どうしの共演だったってこと。pic.twitter.com/Wmf7kOJSjp— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 5, 2026◇ なお、今回の「夫婦デカ」のキャストのうち、齊藤京子と竹原ピストルと香音の3人は、いずれも水嶋凜と共演経験がある。テレ東「直ちゃんは小学三年生」(2021)竹原ピストルテレ朝「泥濘の食卓」(2023)齊藤京子関テレ「娘の命を奪ったヤツを殺すのは罪ですか?」(2025)齊藤京子・香音pic.twitter.com/yWdqr1yP0C— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 5, 2026 #娘の命TVer第4話 が見れるのはあと2日…😭消えちゃう前にぜひ!連休中がチャンス!まさかの人物が誕生日事件の犯人…!?😱これは見逃せません!#齊藤京子 #水野美紀#水嶋凜 pic.twitter.com/cjw037rM93— 「娘の命を奪ったヤツを殺すのは罪ですか?」公式【火ドラ★イレブン】 (@musumenoinochi) November 2, 2025とくに齊藤京子は、凜と2度共演したあとでの由貴ちゃんとの共演になる。秋元康の企画だから日向坂出身の彼女が出てるのもあるだろうけど、それだけじゃない。いまや彼女は由貴ちゃんや凜と同じ東宝の女優ですから。◇ 実際のところ、AKBグループから東宝芸能へ入ったのは齊藤京子がはじめてじゃないかしら?2023年3月の「キョコロヒー」に由貴ちゃんが捜査一課長の面々とVTR出演し、さらに同年10月に凜が泥濘のキャストとVTR出演し、そして翌2024年に齊藤京子が日向坂を卒業して東宝芸能に移籍する…という流れでした。由貴ちゃんや凜の「キョコロヒー」出演や「泥濘の食卓」での凜との共演はその布石だったように見える。由貴ちゃんの父方の本姓が「齊藤」らしいから、もしかして遠戚なのでは??…とまで思ったりするんだけれど、いずれにしても異例な感じなのよね。由貴ちゃんのときと同じ企画w安里麻里は『氷菓』の監督。#斉藤由貴 #水嶋凜 #キョコロヒー #泥濘の食卓 #ヒコロヒー #齊藤京子 https://t.co/dvUsqLKckX pic.twitter.com/unyUGQdjZN— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) October 31, 2023ちなみに由貴ちゃんが秋元康の企画作品に出演するのは、たぶん今回が5度目。映画「君は僕をスキになる」(1989)テレ東「ユーチューバーに娘はやらん!」(2022)テレ東「警視庁考察一課」(2022)日テレ「Dr.チョコレート」(2023)フジ「夫婦別姓刑事」(2026)※わたしはてっきりテレ東「言霊荘」(2021)も秋元の企画かと思ってたんだけど、これは勘違いでした。もともと由貴ちゃんはフジの「夕やけニャンニャン」のパイロット番組(オールナイトフジ女子高生スペシャル)で司会を務めてるし、大森一樹の「恋する女たち」で共演した高井麻巳子との個人的な親交もあります。高井麻巳子は去年の人見記念講堂のライブにも来てたらしい。そもそも「君は僕をスキになる」の映画企画の黒幕は、秋元と結婚したばかりの高井麻巳子だったんじゃないかしら?…とわたしは思ってるし、今回のドラマ企画にも彼女が関与してる気はするのよね。一面では、由貴ちゃんは女子大生や女子高生を商品化するようなフジテレビの文化に対して嫌悪感をもってたんだけども、他方では高井麻巳子との親交を介して秋元康の企画や人脈との繋がりがずっとあったわけで、それが現在の水嶋凜と齊藤京子の関係にまで繋がってるのかもしれません。◇ そんなこともあり、今回の「夫婦別姓刑事」にもどこかで水嶋凜がゲスト出演する可能性を考えたりするんだけど、さすがにないかなあ…(^^;今季の凜はテレ朝の「ターミネーターと恋しちゃったら」で漫画家のアシスタント役を演じてますね。漂流姫寄りの髪型で南キャンのしずちゃんと共演してる。漫画ヲタクの役ってこともあり、今まででいちばんハマり役じゃないかという気がしてます。pic.twitter.com/jfm07ckj36— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 5, 2026 デカだけに…(^^; 母ピッチャー、娘キャッチャー。#斉藤由貴 #水嶋凜 #デビュー作#直ちゃんは小学三年生 #直ちゃんは小学五年生 pic.twitter.com/GeJg3BtKdx— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) October 9, 2022◇ 最後に、また香音の話に戻りますが…彼女は10年くらい前にニコモだったらしい。以前、川床明日香のことを書いた記事に載せた「ニコラ体育祭2015」の動画を見直してみたら、たしかに永野芽郁や清原果耶らと一緒にチラッと映ってる。https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202410120000/ネットで検索すると、メイカノンやらカヤカノンやらの画像や動画もたくさん出てきますね。
2026.05.06
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金曜ロードショーで「M:i:III」を観ました。◇考える間もないほどスピーディーな展開で、どんでん返しもアクションも見応えがあったけど…あとから考えてみると、いろいろ分からないことだらけです。そこらへんを自分なりに考察してみました1.なぜマスグレイブはリンジーを救出させたの?まあ、上司ブラッセルの指示だから、マスグレイブは仕方なく従ったのでしょうけど、彼はデイヴィアンと通じてるのだし、リンジーが救出されたら不都合なわけですよね。彼女にラビットフットを盗ませる予定だったはずだし、もしかしたら、彼女は、マスグレイブとデイヴィアンの関係に気づいてる可能性もある。彼女が救出されてしまったら、脳内爆弾で殺せばいいと考えてたのでしょうけど、デイヴィアンと通じてるなら、救出作戦がはじまった時点で、監禁場所を変更させることも出来たはずだし、脳内爆弾なんて回りくどいことをせずとも、ふつうなら救出される前に殺してしまうのでは??2.デイヴィアンをバチカンで拉致させたのは誰?あれはイーサンたちの独断ですよね。マスグレイブはもちろん、ブラッセルでさえそんな指令は出してなかった。だから、ブラッセルはイーサンを捕まえて尋問したのですね。3.チェサピーク湾橋でデイヴィアンを奪還したのは正規軍?戦闘機やヘリコプターなど、かなり大規模な武装組織が出動してましたが、あれって正規軍だったのでしょうか?それとも、ロシアのワグネルみたいな民間の軍事組織とか?でも、米国内で、非正規軍にあんな活動ができるとは思えない。とはいえ、かりに米国の正規軍だったとしても、市民を巻き込んでインフラも破壊する戦闘行為を、国内でやらかすのは異常すぎます。もしも、あれが正規軍だったとしたら、マスグレイブはペンタゴンの手先ってこと?つまり、マスグレイブとデイヴィアンの計画の背後には、中東戦争を目論むペンタゴンの陰謀があった?4.イラク戦争への批判?この映画が公開された2006年、アメリカはイラクと戦争してる最中でした。それは、「イラクに大量破壊兵器がある」との疑惑を口実にした内政干渉と侵攻だった。マスグレイブも、> ラビットフットを中東に売りつけて、> 先制攻撃を仕掛ける口実を作ると話してましたよね。5.どうやってラビットフットを盗んだ?ラビットフットを所有してたのは誰だったんでしょう?高層ビルから飛び降りるのは大変でしたが、そのあとは意外に簡単に盗めましたよね…(^^;あんなに簡単に盗めるなら、わざわざイーサンにやらせなくても、デイヴィアンたちに盗ませればよかったのでは?6.ラビットフットは本物だった?なぜ妻の替え玉を殺した?イーサンたちがせっかくラビットフットを盗み出したのに、デイヴィアンは「本物はどこだ?」と言いがかりをつけて、妻の替え玉の女性を銃殺してしまいました。あのシーンも不可解だったのだけど、英語のWikipediaの解説は次のとおりです。Julia is still alive, and the dead woman is actually Davian's translator, who is used to confirm the authenticity of the Rabbit's Foot. ジュリアはまだ生きており、死んだ女性は実はデイヴィアンの通訳であり、ラビットフットの真正性を確認するために使われた人物である。じゃあ殺さなくていいじゃん!ラビットフットは本物だったんだから!
2024.06.26
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いまさらですが…U-NEXTでシーズン1第1話の「パズル」を見ました。今月末に由貴ちゃんのライブがあるので1ヶ月見放題プランを買ったのです。わたしは第2シーズンからしか見てないので、初期設定をいまいち知らなかったのよね…(^^;最初のエピソードには、いろんな基本情報が詰め込まれてました。◇なお、U-NEXTには吹き替え版がないので、字幕でフランス語版を見るのだけど、なんだかぜんぜん違うドラマみたいです。じきに慣れましたが…。第1話は90分の内容。もとはパイロット版として放送されたものらしい。まだテツオもアルチュールも出てきてないし、バシェール警視正は別の俳優が演じてる。社会力向上クラブは、はじめは「自閉症友好会」だったようです。◇自閉症は病気ではなく、むしろ健常者より優秀だったりするのだけど…14ヶ国語も話せるのに、何語を話してもバカっぽく見えてしまい、知的障害者に誤解されると悩んでる人もいるし、他人と共感できなかったり、お茶を濁したりお世辞を言ったりできないせいで、しばしば健常者とのあいだに確執も生まれてしまう。かといって、相手に合わせて無理をしすぎると疲労してしまう。社会力向上クラブは、そんな自閉症の人たちが情報交換しあうことで、健常者とのあいだで問題が生じる理由を可視化し、双方の特性や違いを理解する場のようです。◇社会力向上クラブのウィリアムは、コンピュータの操作が得意なんですね。いきなりハッカーとして捜査に協力し、ラファエルから列車旅行をプレゼントされてました。現在は、もっぱらノラがハッキングの仕事をしてますが。◇ウィリアムの話によると…アストリッドの特性は、未完成パズルを解くのが好きでたまらないこと。それが長所でもあり短所でもある。第1話では、フルニエ先生が解けずにいたルービックキューブを、気づかれないうちに一瞬で完成させてました。パズルにかぎらず、未完成な状態のものを見ると、完成させずにいられなくなるらしい。警視正の机を整理したがるのも、そういう性格のためですよね。そして、ラファエルの机が乱雑なのはもちろん、レストランでは、スイーツのソースのかけ方が規則的でないのも、アストリッドは気になってしまうw◇子供のころのアストリッドは、父親が自宅に持ち帰った犯罪資料に興味を示し、犯罪科学を教わるうちに、真相を解明する楽しさを覚えてしまったのだと。犯罪資料局の仕事は天職なのですね。ラファエルが資料を請求したとき、頼んでもない関連資料まで出してきたので、ラファエルは彼女の能力に気づいたのでした。◇規則性を好むアストリッドは、遅刻するのもルーティンが乱れるのも苦手。カフェテリアでは、お決まりの席に他のお客さんが座ってると、そこが空くまで隣の席で待ってるらしい。ラファエルが、拳銃を見せて強引に客をどかせていたのは、さすがにどうかと思いましたが…(^^;他人に触られるのは苦手なのに、他人が座った直後の椅子に座るのは平気なのね。ちなみに、わたしは、他人の体温が残ってる椅子に座るのが気持ち悪くて苦手w◇自閉症の人の性癖は健常者にも分かるところがある。ルーティンにこだわるのも珍しいことじゃないし。自閉症の人と健常者との違いは、たぶん程度の差なのだろうなと思います。本来、人間は、自閉症の人のように、膨大な情報を細部まで正確に記憶したり、驚異的な集中力を発揮する能力を秘めてるのかも。それが進化の過程で淘汰されたのではないかしら??自然界のなかでも、あまりに優秀すぎるより、ほどよくバカなほうが生存競争に有利なのかもしれません。◇第1話には、ラファエルの元夫も登場してました。アストリッドの話によると、ラファエルが仕事に猛進しすぎたために、息子テオの親権を失ったようです。そのうえ面会の約束もすっぽかしてる。ラファエルの代わりに、アストリッドが叔母のふりでテオを迎えに行きます。テオに触られるのは平気みたいですね。日本のお寿司の話も出てきました。テオはお寿司が好きそうですが、アストリッドは生魚が苦手だそうです。pic.twitter.com/B7ExcGkhJr— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) June 10, 2025 ◇以下は事件の真相ネタバレ!16才のときにレイプ被害に会い、姉を殺されたコロンビア人の女性が、復讐のためにフランスへ渡り、加害者の3人の男たちを突き止め、薬物を使って自殺に追い込んだ…という話。加害者のひとりは、かつてアストリッドを担当した児童精神科医でした。女性が復讐に用いたのはスコポラミン。ハイチのブードゥー教では「悪魔の吐息」と呼ばれ、コロンビアでは「ブルンダンガ」と呼ばれ、ナチスも自白剤として利用した強力な麻薬です。【VICEチャンネル @AbemaTV 11月16日の御馳走】コロンビアへ参りました。「悪魔の息吹」とかいわれるブルンダンガとかいうのがありました。とてもとても大変な粉のようです。23時より放送開始! #ViceOnAbemaTV https://t.co/hi5724FWAx— VICE Japan (@VICEJapan) November 16, 2016シーズン5にも出てきたブードゥー教のネタが、最初のエピソードから使われてたんですね。ブードゥー教信者の黒人女性は、違法な医療行為や無許可の動物飼育などで、ラファエルの部下から尋問を受けてましたが、ラファエルは差別的な不当逮捕だと彼女を解放し、その代わりに魔術の手口を聞き出したみたいです。◇…とはいえ、16才で被害にあった女性が、スペイン語圏のコロンビアから単身でフランスに渡り、加害者の男性たちを突き止めてひそかに接触し、ブードゥー教の魔術師みたいに自殺へ追い込むってのは、いささかファンタジックすぎる犯行だという気がします。そんなことが出来たら、殺人罪を立証できませんよね。実際は手を下してないのだから。それどころか、このエピソードの場合、殺人だけでなく、薬物の使用も、大金の横領も、何も立証できないまま完全犯罪になるのでは??◇まあ、悪いのは加害者の男たちだから、それでも全然いいのだけど。ニコラが3人目の自殺を防げなかったおかげで、女性の復讐は完遂された形です。3人目のマルコムは死んでないけど、コロンビアで裁かれるらしい。なぜ自殺の現場に、姉の名前でもあるカトレアの花や絵画を置いたのか。その理由はよく分かりませんが、警察への挑発というよりも、何かしら儀式的な意味合いだったのでしょうね。殺された姉の魂に、復讐を見せるためだったのかもしれません。
2025.06.10
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NHK-ONEでEテレシアターを見ました。「ノイシュヴァンシュタイン城コンサート2025」昨年の8月1〜5日のクラシック演奏会。基本的にオペラ・ガラってのもあり、くだけた感じで肩肘はらないコンサートだし、たんに演奏会形式というのでもなく、お芝居の要素も混じってて、とても楽しい!雨がちの屋外ステージだったようで、お客さんは雨合羽をかぶってましたが、数百人しか入れないようなお城の中庭で、歌声もダイレクトに聞こえるんじゃないかしら。◇ベタかもしれないけど、ボエームのデュエットに思わずうっとり…(^^カルメンの「母のたよりを聞かせてよ」も可愛かった。(母の代わりに許嫁の娘がキスを届けるという内容)pic.twitter.com/aV3SK0XnYn— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) April 4, 2026最初に登場したGolda Schultzは、南アフリカ出身のソプラノ歌手だそうですが、ボエームをデュエットしたChelsea Zurflühも、セーシェル系スイス人とのことで、見た目にもアフリカかアラブの血が入ってるっぽい。Chelsea Zurflühはソウルも歌うらしい。pic.twitter.com/aioJJdJUUg— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) April 7, 2026 ◇わたしははじめて観ましたが、コンサート自体は(コロナ禍の中断はあったものの)、1970年から毎夏にやってるようです。Eテレの放送は約1時間のハイライトだけど、実際は5日間の日替わりプログラムなのですね。https://www.neuschwansteinkonzerte.eu/https://www.neuschwansteinkonzerte.eu/en/2025/12/30/◇ルートヴィヒ2世のお城なので、てっきりワーグナーの曲が中心かと思いきや、まったく演奏されませんでした。わたしはべつに、ワーグナーが聴きたいわけじゃないけれど、あの世で聴いてるルートヴィヒ2世が、「ワーグナーはやらんのかいッ!」と怒ってるんじゃないかと思ったのよね…(^^;まあ、年によってはワーグナーのプログラムもやるようです。◇でも、考えてみればワーグナーの楽劇は、ルートヴィヒ2世が国費をつぎこんで作らせた、バイロイト劇場のほうで毎年やってるんだし、同じ時期に同じことをやる必要はないわけよね。つーか、そもそもルートヴィヒ2世は、「この城は俺だけのものだから俺が死んだら壊してくれ」…と言ってたらしいので、それがいつのまにか観光名所になり、あげくライブ会場になってることのほうが、よっぽどツッコミどころかもしれません…(^^;◇なお、ヴィスコンティの映画では、ロミー・シュナイダー演じるエリザベートが、この城を見るなり鼻で笑う場面があるwつまり、これはルートヴィヒ2世が、自分の趣味と妄想に埋没するために作った、ヲタクのヲタクによるヲタクのための城なのよね。こちらは2013年版の映画。ぜんぜん顔が似てない…ルートヴィヒ2世は、世間から「月の王」とあだ名され、最後は精神病扱いでベルク城に閉じ込められ、近くのシュタルンベルク湖で謎の死を遂げました。地図で見ると、ベルク城も、ノイシュバンシュタイン城も、ミュンヘンから近いところにあって、ノイシュバンシュタイン城はほぼオーストリア国境です。ミュンヘンから南西30kmくらいにベルク城。同じく100kmくらいにノイシュバンシュタイン城。ジャン・コクトーの戯曲「双頭の鷲」も、やはりルートヴィヒ2世をモデルにしてたわけで、斉藤由貴の「MOON WALTZ」や「双頭の月」も、彼のイメージに無関係だとは考えられない。マグリットが描いたのは鋭い三日月でしたが、ルートヴィヒ2世から想起されるのはむしろ満月で、それは由貴ちゃんの月のイメージに直結すると思います。◇Eテレの番組では、最後にハウザーというチェリストが、「パイレーツオブカリビアン」「ゴッドファーザー」の映画音楽を外連味たっぷり演奏しましたが、当日はこれ以外にも、モリコーネやらバッハなどを演奏したようです。以下のYouTubeでは、アンドレア・ボチェッリも歌った「Caruso」を演奏してる。もともとはイタリアのSSWが1986年に作った美しい曲です。こちらはルーチョ・ダッラ本人のバージョン。【中古】ル-トヴィヒ2世 上 /秋水社/氷栗優(文庫) 楽天で購入
2026.04.06
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NHKアストリッドとラファエル〜文書係の事件録。シーズン6第2話「ユベールの導き」です。一話完結どころか、二話でも完結しないのでは?…と思って不安になりましたが、終盤で呆気なくトントンと解決!ツッコミどころもなくはないけど、お話としては面白かったです。◇ジャック君の死因は髄膜炎じゃなくて、マッドサイエンティストの女が、放射線で人体実験をした結果の被曝死でした。一方、レオ君をピアノの下敷きにして殺害したのは、そのジャック君の父親だった。2人は実質的な共犯関係だったといえます。◇昏睡状態のラファエルの夢に出てきた幽霊は、超常現象研究所のユベール所長だったのね。この研究所は、超能力に肯定的なのか否定的なのか、いまいちよく分からんけど…マッドサイエンティストの女は、その研究員になってユベール所長と男女の仲になり、彼の娘をひそかに実験台にしていた。しかし、それがユベール所長にバレて追い出されると、こんどは放射線装置の提供者の男に頼んで、その息子のジャック君を実験台にしたあげく、最終的には被曝死させてしまった。◇マッドサイエンティストの女は、もともと狂った科学者だろうから仕方ないけど、いちばんのツッコミどころは、息子を実験台に差し出したオヤジの動機ですね。インチキ霊媒グループに、インチキと知ってて霊媒させてたのはともかく、軍の放射線装置を勝手に提供したうえに、その実験台として息子まで提供するなんて、あまりにクレイジーすぎて理解を超えてます…(^^;いったい何のメリットがあったの?息子を超能力者に育てたかったってか?それとも、たんなるオカルト好きだったの?◇ちなみに、放射能で超能力を開発する話の元ネタは、たぶんスパイダーマンあたりだろうけど、ほかにも元ネタがあるとすれば、やはり米軍の超能力研究なんでしょうね。以下の本によると、CIAも陸海軍も超能力を開発してたらしい。アメリカ超能力研究の真実 [ アニー・ジェイコブセン ] 楽天で購入 なかでも有名なのは、陸軍のスターゲイト・プロジェクト。https://ja.wikipedia.org/wiki/スターゲイト・プロジェクトでも、フランス軍にそういう事例があるかは不明。◇今回のお話は、軍の組織的な研究じゃなく、あくまで軍の関係者が、個人的に研究の協力をしてたってこと。もしかしたら、あのオヤジは、過去にフランス軍の超能力研究に関わって、そこマッドサイエンティストの女に出会い、個人的な協力関係になったのかも。…ってな脳内補完もできるけど、どうせなら、そこらへんの背景まで、しっかり説明してほしかったところではある。◇それはそうと、レオくんをピアノの下敷きにする殺人は、一体どんなトリックかと気になってました。昔の赤川次郎の小説だと、建物自体をクレーンで横転させる、…みたいなトリックもあったのよね。でも、今回は、軍のパワードスーツを装着して、実際にピアノを投げ飛ばした…ってのが真相。なるほど。現代にはその手もあったか!◇とはいえ、いくらポルターガイストを装うにせよ、大仰なスーツなんぞを装着して歩いてたら、かえって怪しまれるでしょ…(^^;だいいち警察は、ポルターガイストなんて信じないのだし、無駄に手の込んだトリックとしか思えないwこのオヤジは本気で超常現象を信じてたのか?それともインチキと知ってながら、必死で超常現象を信じさせようとしてたのか?結局、よくわかりません…(^^;◇ちなみに、オーバールック学院の校舎は、なにやらスコットランドの古城みたいな、おどろおどろしげな建物でしたね。夜中に忍び込むシーンでは、やっぱりハリポタ風の音楽が流れてた。シーズン4の最終回のときと同じ曲。Erwann Kermorvant「Night Walk」◇さて、病院を抜け出したラファエルは、素人まで使って相変わらずの違法捜査w今シーズンはずっと歩けないままなの?どんな試練にもめげない不屈キャラとはいえ、前シーズンでは流産もしてるし、このドラマはけっこう彼女に対して過酷よね。そしてアストリッドが、畳に座って考える際に流したバッハの音楽は、ゴルトベルク変奏曲でした。【輸入盤】ゴルトベルク変奏曲 グレン・グールド(1981年録音 アナログ・マスター編集版) [ バッハ(1685-1750) ] 楽天で購入
2026.04.13
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NHK「岸辺露伴は動かない/懺悔室」を見ました。なかなか興味深くて面白かったです。映画としてもよく出来てて、前作のルーブル編より満足度は高い。物語の舞台も、パリよりベネチアのほうが合ってましたね。歴史の層が沈殿してる町のほうがいい。監督は前作でベルトルッチを意識したらしいけど、むしろ今作のほうがイタリアが舞台ということもあり、ヴィットリオ・ストラーロを感じさせるところがありました。◇内容的には、・リゴレットの呪い・黒死病ペストの歴史・カーニバルの仮面舞踏会マスカレード・カトリックの施しと罪の告解などの要素が交錯してる感じ。大富豪の貴族と、最下層の貧者が隣り合うような社会も、イタリアらしいといえばイタリアらしい。ポップコーン3回勝負は、辻神ジャンケン小僧の自己パロディでしょw◇ちなみに、ベネチアといえば運河ですが…冒頭のシーンは、どこにも運河の見えない遺跡のような場所。ベネチアにこんな場所あるの?…と思ったけど、そこで露伴先生は妙なものを拾います。朽ち果てた手袋かと思いましたが、後で考えたら、あれは鳥嘴マスクですね。ペストの治療にあたった近世の医師たちが、感染予防のためにつけたとされる仮面。あの場所は、きっとラザレット・ヴェッキオだと思いました。The Lazzaretto Vecchio, formerly known as Santa Maria di Nazareth, is an island of the Venetian Lagoon. It became a place of quarantine to insulate Venice from the plague.ラザレット・ヴェッキオは、かつてサンタ・マリア・ディ・ナザレとして知られていたヴェネツィア潟に浮かぶ島。ここはペストからヴェネツィアを隔離するための場所として利用された。Since 2004 archaeologists have unearthed more than 1500 skeletons of plague victims buried here between the 15th and 17th centuries. These have been found in individuals as well as in mass graves. The remains of thousands more are expected still to be found on the small island as the death-toll reportedly reached 500 per day in the 16th century.2004年以来、考古学者たちは15世紀から17世紀にかけてこの地に埋葬されたペスト犠牲者の骨格を1500体以上発掘してきた。これらは個人墓地だけでなく集団墓地からも発見されている。16世紀には1日あたり500人もの死者が出たと伝えられており、この小さな島ではさらに数千体の遺骨がまだ発見されると予想されている。https://en.wikipedia.org/wiki/Lazzaretto_Vecchioところが、公式サイトによれば、撮影場所はマルコポーロ要塞という戦争遺跡。京香さまが最初に訪れた場所も、グリエルモ・ペペ兵舎という戦争遺跡らしい。https://kishiberohan-movie.asmik-ace.co.jp/map/それらの場所に何か意味があったのか、たんなるロケの都合だったのかは分からないけど、物語的に考えれば、やはり冒頭のシーンは隔離島をイメージしてたと思う。追記:↓それについての考察はシネマレビューのほうに書きました。https://www.jtnews.jp/review/29253/?SELECT=24063#HIT◇以下はあらすじネタバレ。飢えた貧者にパンも与えず、自分の仕事を押しつけたあげく死なせた男が、その貧者の怨霊に呪いをかけられる。それは「おまえが幸せの絶頂に達したときに最大の絶望が訪れる」という呪い。男は整形手術をして執事と入れ替わり、怨霊を欺くことに成功するものの、こんどは身代わりとして死んだ執事に呪いをかけられる。それは「娘が幸せの絶頂に達したときに最大の絶望が訪れる」という呪い。結果として男は2人分の怨霊に呪われる。男は「幸せの絶頂」に達しないよう必死で幸運を退けるけれど、怨霊の力によって次々と幸運はもたらされる。血塗られたヘブンズドアを読んでしまった露伴にも同じ呪いがかかり、露伴と京香にも次々に幸運がもたらされる。男は「娘が幸福な結婚をしたときに自分が死ぬ」という恐怖に取り憑かれ、娘の結婚を阻止しようとするが、露伴は彼女を結婚させるために一芝居を打つ。あいかわらず奇妙なエピソードです。そもそも怨霊の呪い自体が、抽象的すぎてナンセンスなのよねwなぜなら、「何が幸せの絶頂か?」「何が最大の絶望か?」それは人によって解釈や価値観が異なるから。◇京香さまは、「死ぬことより生きることのほうが絶望」と考えます。それを聞いた露伴先生も、道化師リゴレットがそうだったように、「娘の死こそが最大の絶望になる」と考え、娘が死んだと勘違いさせる芝居を打ちます。ところが!呪われた男は、「娘が死んだことで自分は助かった」と思ったらしい…(^^;彼にとって最大の絶望は自分の死であって、娘の死じゃなかったのよね。結局、コイツは、自分のことしか考えてないのです。もともとがそういう奴だったわけだし…。pic.twitter.com/TYgAxsuGce— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 4, 2026最大の絶望がおとずれてない以上、男はいつまでたっても呪いから逃れられない。たぶん死ぬまで呪われつづけるでしょう。一方、京香さまみたいな人は、最大幸福が毎日更新されるので、いつまでたっても呪われることなく、ひたすら幸運だけを享受しつづけることになるw…なお、呪われた男は、幸せの絶頂が訪れないように、つねに不吉な迷信を実践してました。・鏡を割る・黒猫を見る・幸運の印を逆さにする・室内で傘を広げる・パンを裏返すこれらはイタリアの迷信かと思いましたが…以下のサイトによると、https://www.listobsession.com/bad-luck-superstitions/「パンを裏返す」はフランスの迷信で、それ以外は英語圏の迷信のようです…(^^;フランスでは、バゲットを逆さまにテーブルに置くのは不吉とされています。これは中世の古い信仰に由来し、死刑執行人のために焼いた特別なパンを、間違って他のお客さんが取らないように逆さまに置いて目印にしたという言い伝えがあるそうです。https://ecnavi.jp/mainichi_news/article/86236d8b896d7cc89854db53162c0075/ヴェルディ リゴレット (オペラ対訳ライブラリー) [ 小瀬村 幸子 ] 楽天で購入
2026.05.05
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NHK「幻の骨 〜日本人のルーツを探る」を見ました。◇去年、長らく紛失していた夜見ケ浜人の下顎骨が、ようやく見つかった、とのこと。1969年に、鳥取県境港の工事現場で発見され、「縄文以前の旧石器時代の人骨では?」と注目されていた謎の史料です。現時点で、日本の旧石器時代の人骨は、・静岡県の2万2000年前の浜北人・沖縄本島の2万2000年前の港川人・石垣島の2万7000年前の白保人の3例しか見つかってませんが、夜見ケ浜人はそれより古い可能性がある。なお、縄文人の祖先のホアビニアンは、約3万8000年前に日本列島に到着したとされてます。https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202504250000/◇明石原人を発見したと主張し、学会で物議を醸した在野出身の直良信夫(なおらのぶお)が、早稲田の教授だった時期に、この人骨を旧石器時代のものだと主張した。東大に鑑定が依頼されたものの、まともに作業がおこなわれた様子はなく、直良の死去に際して早稲田へ返還されたあと、そのまま研究室の隅に放置されてたっぽい。明石原人にせよ、夜見ケ浜人にせよ、在野出身の直良信夫の大胆すぎる主張は、当時の学会からほとんど無視されてたわけです。◇ようやく今回、東大で最新の方法による鑑定がはじまった。過去に、下手な鑑定で史料を損なわなかったのは、かえって幸いだったかもしれません。神経の穴などもちゃんとあるから、女性の下顎骨なのは間違いないし、石化して重いところから察するに、縄文時代より古い人骨の可能性も高い。その他のブログ◇直良信夫の主張の信憑性は、まだまだ何とも言えない段階だけど、いちばん気になるのは、発見場所が石器時代より新しい地層だったこと。そして、神経の穴に詰まってた砂が、弓ヶ浜半島とは別の地層の砂っぽいことです。◇以前、ブラタモリの境港編のときにも書きましたが、https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202208290000/https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202212210000/鳥取県の弓ヶ浜(夜見ケ浜)は、海流が島根半島を迂回するトンボロの原理で出来た砂州です。漫画家の水木しげるも言ってるとおり、その海岸には人間の死体をふくめて様々なものが漂着します。Wikipediaによれば、弓ヶ浜半島は6000年前頃から砂州が出来はじめたらしい。https://ja.wikipedia.org/wiki/弓ヶ浜半島そして平安時代の初めごろに本州と陸続きになったはず。いまだに島根半島とは繋がってません。人骨が見つかったのは弓ヶ浜半島の先端部分で、島根半島とを隔てる境水道に近い場所です。たぶん1000年以上前には海だっただろうと思う。ただし、縄文海進よりも前(約6000年前)にまで遡れば、最終氷期の影響で陸だったわけですよね。◇今回の番組では、洪水によって高所から流れてきた人骨ではないか?…との仮説が示されてましたが、わたしは逆に、遠い海から流れ着いた可能性もあると思います。◇この人骨が、高所の旧石器遺跡から流れてきたのなら、大陸から対馬ルートで列島へやってきた、日本人の祖先である可能性が出てくるけど、遠い海から流れ着いた骨であれば、そもそも日本人じゃない可能性も出てくる。◇なお、直良信夫のことは、松本清張が短編小説「石の骨」に書いてますが、もしも彼の主張の正当性が証明されて、その業績が再評価されることになれば、牧野富太郎や南方熊楠などと同じように、アカデミズムから排除された在野の研究者として、朝ドラなどの題材になるかもしれませんね。東大の鑑定結果が出るのは2年後ぐらいになるようです。【中古】(良い)松本清張短編全集 3 (光文社文庫 ま 1-15)価格:4,440円(税込、送料別) (2025/6/5時点) 楽天で購入
2025.06.05
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NHK「べらぼう」第25話。今回は重要な内容。なぜ吉原者の蔦重が日本橋に進出できたのか?その謎について森下佳子なりの回答です。◇おおまかには、1.京の柏原屋から丸屋転売の申し出を受ける。2.抜荷の絵図を提供する見返りに意知から便宜を得る。3.日本橋の火山灰処理に貢献する。4.おていさんとの政略結婚に成功する。…という4つの要素が示された形。蔦重の日本橋進出は、浅間山噴火の2ヶ月後なので、災害支援で信頼を得た可能性もありますが、やはり、いちばん重要なのは「2」ですよね。田沼の後ろ盾がなければ奉行所のお達しが覆らない。「吉原者は見附のうちの家屋敷を買ってはならぬ。市中の方も売ってはならぬ」…ってことになってるのだから。◇しかも、このエピソードは、事業拡大を目指す蔦重と、規制緩和策をとる田沼が、もっとも接近するところなので、ドラマ的にも重要だったと思います。にもかかわらず…意知がどんな便宜を図ってくれたのか、いまいちよく分かりませんでした。その点で、ちょっと説得力が弱かった。蔦重は、柏原屋と交わした証文は持ち歩いてたけど、それだけじゃ奉行所のお達しは覆りません。ここでこそ田沼の関与をしっかり描くべきでした。須原屋さんが抜荷の絵図を提供してくれて…意知から便宜を図ってもらう確約を得て…柏原屋の売渡証文も持ち歩いてたけど…それだけじゃ奉行所のお達しは覆らないよね。まずは田沼の口利きによって、表の形であれ、裏の形であれ、日本橋の有力者たちを納得させることが先決よね。災害対応で町の人たちの信頼を得るとか、おていさんとの政略結婚とかは、その後の話だと思います。◇意知は、自分で詠んだ「袖の下(=賄賂)で死ぬ」という掛言葉を、誰袖との望月プレイで疑似体験します。しかし、意知と誰袖は、身請けの約束をしてるとはいえ、贈収賄の関係って感じじゃありません。かりに賄賂らしきものがあるとすれば、それは須原屋から貰った抜荷の絵図のほうです。その見返りに蔦重への便宜を図ると言ったのだから。はたして誰袖との望月プレイは、意知にとって「賄賂が命取りになる」というフラグなのか。そこらへんに脚本の整合性があるのかどうかも不明です。◇いずれにしても、松前藩に抜荷の罪を負わせる意知の策略は、なんだか失敗しそうな雰囲気…(^^;松前廣年=蠣崎波響は、気の小さい善人かと思ってましたが、にわかに闇落ちして悪人面を見せはじめた。◇来週は米騒動の話になるのね。令和の日本でも「古古古米」の話題になってますが、ドラマの予告にも「古古米」の話が出てきてました。京の柏原屋が、丸屋買い取りから手を引いたのも、江戸での米騒動の兆候を察知したからですけど、浅間山が噴火する前から、すでにその予兆があったのでしょうね。一方、歌麿は、蔦重の結婚にジェラシーを感じてるらしく、予告では「女に生まれ変わりたい」と言ってます…(^^;そして高岡早紀は毒母の予感w浅間山大噴火の爪痕・天明三年浅間災害遺跡/関俊明【3000円以上送料無料】価格:1,650円(税込、送料別) (2025/6/30時点) 楽天で購入
2025.06.30
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未解決の女~警視庁文書捜査官。第4話。かなり印象深い内容。男性どうしの友情、そして父と娘の物語でした。やはり大森美香の単独脚本だと力があります。もともと大森美香の「父」の描き方は独特です。◇当初、彼女が刑事ドラマを書くのは意外に思えたけど、ふたを開ければ、やっぱりその作家性が際立ってる。『あさが来た』の波瑠や山内圭哉が出てて、『ニコニコ日記』の沢村一樹が出てるのもあるけど、やはり最大の特徴は「女性の物語」になっているところ。とくにオタク的な才女への「萌え」が半端ない。声フェチの波瑠(矢代朋)が、文字フェチの鈴木京香(鳴海理沙)に抱く感情は、ほとんど恋愛に近いもので、いわば"百合"です。◇このドラマは、テレ朝の《警視庁サーガ》のなかでは、珍しく作家性の強い異色作になっていますが、今後もその作家性は維持できるでしょうか?『捜査一課長』のほうは、いまや水戸黄門的な定番ネタドラマと化していて、事件の内容はたいてい意味不明だけど、とりあえず定番のネタさえ押さえてあれば、誰が脚本を書いても大差ないような枠になってます。実際、わたしにでも書けそうだし、たぶんフォーマットさえ打ち込めば、AIにでも書けるだろうと思う。視聴率的にも、水戸黄門的なもののほうが歓迎されやすいから、ややもすると内容がルーティン化しがちだし、まして脚本が分業になると作家性が失われますよね。そのことを心配しています。◇ちなみに、本作の「才女萌え」がもっとも炸裂したのは、第1シリーズの最終回で、谷村美月の演じる百々瀬佐智が登場したときでした。15才の女子中学生のときに、完全犯罪を計画して実現させてしまった恐るべき才女。波瑠たちは、その決定的な証拠をつかめず、彼女を逮捕できないまま第1シリーズを終えています。その意味でいえば、「未解決の女」ってのは、ほかならぬ谷村美月=百々瀬佐智のことなのです。洗脳メールで人を殺させた話にはちょっと疑問が残ったけど、(ふつうなら、あのメールから足がつくはず)あの百々瀬佐智にまつわるストーリーは、いっそ映画化してほしいぐらいに魅力的なものでした。今回の第2シリーズで、はたして決着がつくのかどうかわかりませんが、いずれかならず「才女vs才女」の文字フェチ対決になるはずです。わたしにとっては、それが最大の注目点です。波瑠/鈴木京香/沢村一樹/遠藤憲一/山内圭哉/工藤阿須加高田純次/谷原章介/皆川猿時/光石研/大森美香/麻見和史市原隼人/筧利夫/竜雷太/北乃きい/谷村美月
2020.08.27
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公園の漫才師黙 秋夕焼 独立の夜や ゴッホの星月夜 ラフレシアも秋夕焼も人を食うか 選局はルーティーン 今日は土瓶蒸し 109 夕日にうつされ0になり 初MCのエゴサ 車窓は秋夕焼 切れかけのグローブ眺めし 秋夕焼プレバト俳句。お題は「秋の夕日」。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想です。◇千原ジュニア。公園の漫才師黙もだ 秋夕焼 漫才師の黙 公園の秋夕焼(添削後)今回は、この句が一番いいと思いました。本人も自信作だったはずです。季語を活かすという点では添削もやむなしですが、ちょっと惜しかったな。◇東国原英夫。ラフレシアも秋夕焼も人を食うかすごいセオリー破り…。6・6・6の破調と擬人化。季語の立て方はかなり破壊的。一読したとき、わたし自身はボツかと思いましたが、実際は掲載決定でした。セオリー破りなので、評価も割れるかなと思います。一般に、助詞の「も」は説明的になりがちです。とはいえ、言外に「もうひとつの何か」を匂わせるよりは、並置するものを「~も~も」とはっきり描写するほうがマシ。問題なのは、この句の場合、「秋夕焼」と「ラフレシア」の並置そのものが、すこしも客観的ではなく、まったくもって主観的、観念的だということです。しかし、きわめて主観的であるにもかかわらず、それでもなお、季語に対して、ある種の描写力をもってるような気にもさせる。そこが高く評価される理由でしょう。その一方、「熱帯雨林の花のイメージが秋の季節感を凌駕し、破壊している」という批判もあるだろうなと思う。◇浅野ゆう子。選局はルーティーン 今日は土瓶蒸し選局はニュース 今宵は土瓶蒸し(添削後)原句の「選局はルーティン」という説明にくらべれば、添削後の「選局はニュース」という映像のほうが描写的ですね。ただ、結果的に、作者の意図した「テレビ=日常 / 土瓶蒸し=非日常」という対比が、添削では消えてしまっています。テレビで嬉しいニュースが流れてるようにも見えるから。ついでにいうと、わたし自身は、「選局=ラジオ」「チャンネル=テレビ」という連想があるから、一読してテレビのことだとは思えない。ためしに、テレビであることを明確にしつつ、「日常と非日常の対比」という作者のコンセプトも残すかたちで、いつものチャンネル 今宵は土瓶蒸しと直してみました。◇空気階段・水川かたまり。109 夕日にうつされ0になり秋夕日に熔けゆく渋谷109(添削後)先生の添削では、「109が0になる」というダジャレを切り捨てて、「映される」という動詞が描こうとした状況を明瞭にしてます。個人的には、「夕陽に映えてゼロになる」とすれば許容できたかな、という気もする。添削のほうも、上五に季語を置いてから「夕陽に熔ける109」と収めれば、字余りを回避して定型に出来たかと思います。◇ABC-Z河合。初MCのエゴサ 車窓は秋夕焼初MC終えて 車窓は秋夕焼(添削後a)エゴサ―チやさし 車窓は秋夕焼(添削後b)エゴサーチ苦し 車窓は秋夕焼(添削後c)原句は、「MCによるエゴサ」なのか、「MCについてのエゴサ」なのかが分かりにくい。その点、添削のほうはスッキリして明快です。◇武尊。切れかけのグローブ眺めし 秋夕焼切れかけのグローブ眺む 秋夕焼(添削後)これって「ボクシング」だからこその詩情だと思うのです。でも、作者を知らずに読んだら、たいていは野球のグローブと勘違いするだろうし、あるいは作業用の手袋と考える人もいるかもしれません。減点するほどではないにしろ、やっぱり「ボクシング」だと分かる単語があったほうがいいし、ついでにいえば、中七の「見る/眺める」という動詞の使用も安易で凡人くさい。ためしに、切れかけのパンチグローブ 秋夕焼としてみました。◇そして、今週の1位にして、最大の問題作はこれッ!!↓堀未央奈。独立の夜や ゴッホの星月夜一読して「カッコいい!!」と思わせる作品ですよね。番組前半の水彩画査定では、印象派みたいな画風で最下位を喰らってましたが、絵だけでなく俳句まで印象派のようです(笑)。本人によれば、独立というのは「グループからの脱退」のことらしい。(AKB用語でいうところの「卒業」ですね)でも、先生が言うように、この句のスケール感からいえば、「国家の歴史」のような大きなテーマで味わうのにふさわしい。実際、「ゴッホはオランダ人じゃない!ベルギー人だっ!」と主張してる人なら、独立記念日にこういう句を詠むかもしれません。(知らんけど)すごく興味深いのは、下五の《絵画のなかの「星月夜」》の映像を、中七の《現実の「夜」》が引き取って、切れ字の「や」で強調してること。だから、季語の鮮度が失われていません。こういう手法ははじめて見ました。…しかしながら、たしかにそういう解釈と評価もアリなのですが、厳密にいうと、この句は、兼題からだいぶ離れてるのも難点だし、のみならず、あくまでも「無季の句」だといわざるをえない面があります。というのも、すごく紛らわしい話ですが、もともと日本語の「星月夜」というのは、ゴッホの絵のように「星と月が両方出ている夜」のことではなく、実際は「星々が(月みたいに)照らしてる夜」のことだからです。つまり、月夜のように明るい「星の夜」ってことです。これに対して、ゴッホの絵は、1889年の6月に描かれていますので、「夏」における「星と月の夜」の絵であって、「秋」の絵でもなければ「星月夜」の絵でもありません。したがって、堀未央奈の俳句において、「ゴッホの星月夜」は秋の季語の役割を果たしておらず、かりにその映像を「独立の夜」が引き取ったとしても、やっぱり無季の句にしかなりえないのです。ってことで、なかなかの問題作でした。追記:あらたに「ゴッホの星月夜」を夏の季語と見なすのなら、堀未央奈の作品を夏の俳句と考えることもできます。ちなみに、ゴッホの絵では月が煌煌と光っているように見えますが、満月ではなく三日月なので、意外に月の光は弱いのかもしれません。実際、オランダ語の原題は「De sterrennacht」(星の照らす夜)ですし、あながち「星月夜」という和訳も間違いではありません。↓《ゴッホ:後期印象派》↓《の絵ではありません》
2021.09.30
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今日で8月も終わりってことで、adieuの新曲「夏の限り」についての考察です。作詞・作曲は「灯台より」と同じ柴田聡子。歌詞には「あなた」や「わたし」や「海」が出てくるので、やはり前作との関連をうかがわせますね。ただし、ミュージックビデオのほうは、岩田紗羅のイラストによるアニメーションではなく、鳥畑恵美莉による実写映像になっている。アレンジはいつものとおりYaffleですが、イントロから歌い出しの部分を聴いた瞬間に思い出したのは、ジョン・レノンの「Oh My Love」や「Love」でした。歌詞の内容は、夏の終わりを描いているように思えます。夏の終わりといえば…adieuは、直近に出演したNHKの『The Covers』で、ユーミンの「Hello, my friend」を歌っていたので、おのずとその印象にも重なります。しかしっ!こちらのツイートを見たら、むしろ「やさしさに包まれたなら」との関連が指摘されている。桐山もげるさんのツイート。この前後のやりとりもあります。— きりやま (@kiriyamaragain) August 17, 2022つまり、子供のころには見えていたはずの神様が、いまはもう見えなくなった、…ということですよね。ミュージックビデオでは、額ぶちに飾られた真っ白な絵画を見つめています。子供のころは、そこに描かれていた何かが見えていたのでしょうか?…そういう夏ははなしかけても わたしのそばにはもういない…聞いてみたいけどあの日のように こたえる夏はもういない…呼び止める声にあの日のように ひびく夏はもういないこの歌詞において、見えなくなったのは「男の子」「あの子」のようでもあり、あるいは「夏」そのもののようでもある。「あなた」というのが何を意味するのかも分かりません。◇上掲の桐山もげるさんのツイートによれば、「夏」が子供時代の暗喩であり、「あたらしい季節(=秋)」が恋の時代の暗喩かもしれない、とのことですよね。だとすれば、これはちょっと独特の観念です。なぜなら、通常は恋の季節をようやく「春」と捉えるのだから。しかし、実際、柴田聡子は「若さとはとても大人びた状態」だと述べています。つまり、子供時代こそがすでに人生の「夏」であり、それ以降は、もう「秋」なのかもしれません。◇ちなみに、ユーミンの最初期の作品である「ひこうき雲」は、まるで亡くなった友人と交信しているような曲です。同じくユーミンの初期の曲には、ポカリスエットのCMでも使われている「瞳を閉じて」があります。♪遠いところへ行った友達 …と歌われているのは、ふるさとの離島から旅立った友人のことですが、これも亡くなった友人のことだと解釈できないことはありません。最初に挙げたジョン・レノンの「Oh My Love」も、亡くなった子供のことを歌った曲です。(作詞はオノ・ヨーコです)◇なお、Google で「adieu 夏の限り」を検索すると、YouTube のページが「The Edge of Summer」と表記されます。柴田聡子のオフィシャルサイト(英語版)にも同じ表記があります。注目すべきは、「限り」の英訳が《end》ではなく《edge》だということ。というよりも、《edge》を日本語に訳したのが「限り」なのかもしれません。おそらく《end》と《edge》とでは少しニュアンスが違う。たとえば「宇宙には限りがあるかないか」というときの「限り」。最果ての限界点。「夏の終わり」ではなく「夏の限り」。わたしは英語が苦手なので自信ありませんが、「The Edge of Summer」をグーグル翻訳にかけてみると、意外なことに「夏のはじまり」と訳されます。つまり、「Edge of ~」というのは、~の端はしであり、~の縁ふち/へりであり、~の際きわのことだから、場合によって、「はじまり」「入口」と訳す場合もあれば、「おわり」「出口」と訳す場合もあるのかもしれません。いずれにしても《季節の変わり目》ということなのでしょう。 夏の《end》ではなく《edge》。つまり、ギリギリの所に立っていて、なかなか先に進めない、という状態でしょうか?あるいは、ずっと夏にとどまっていたい、…という気持ち。◇柴田聡子が作詞・作曲した「ナイスポーズ」という曲にも、同じように「やさしさに包まれたなら」との類比が指摘されているそうです。— きりやま (@kiriyamaragain) August 18, 2022 ♪ぎりぎりで青だった横断歩道を渡らなかった私…という歌詞も気になりますが、こちらの考察は桐山もげるさんにお任せします。◇さて、今回の歌詞にも「海」が出てきます。前作の「灯台より」においては、この「海」もまた暗喩だったと思います。そもそも、札幌出身の柴田聡子にとって、海は、かなずしも美しくて楽しい場所ではなく、むしろ《畏れるべき場所》であるように見える。たとえば、こんな歌詞があります。いつも曇りで断崖絶壁(佐野岬)銃、向けられた もうここで終わりか(海へ行こうか)柴田聡子にとって、海とは命がけの場所なのです。灯台もまた、陸と海との「edge」にあって、ギリギリの所に立っていますよね。そこには、海への《畏れ》があるように思う。同じように、夏と秋との「edge」にも、なんらかの《畏れ》があるかもしれません。夏休みが終わると、命を絶ってしまう子供も少なくない。そういう繊細で傷つきやすい感覚に寄り添った歌かもしれません。前作「灯台より」の考察はこちらです。adieu×柴田聡子「灯台より」歌詞を分析・考察。その1adieu×柴田聡子「灯台より」歌詞を分析・考察。その2adieu×柴田聡子「灯台より」歌詞を分析・考察。その3同じく桐山もげるさんの考察はこちら。大好きな柴田聡子さんについて語りたい(9)『灯台より』の歌詞考察
2022.08.31
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いちじくを運ぶ掛け声朝の鐘 星月夜五畳酒場の笑い声 赤とんぼ街にひびくはキキの声 秋茄子の美味い酒場がコンビニに ズル休みさやか駅前純喫茶 ピザ窯の奥に小さき火朝寒し 口開けの客は西瓜と連れ立ちてプレバト俳句。お題は「店のオープン」。◇フルポン村上。ピザ窯の奥に小ちさき火 朝寒し掲載決定。文句のつけようのない出来。場面描写も正確。遠近感があり、「冷」と「暖」の対比があり、情感もあって、下五に季語を置く形式がその情感を活かしている。きちんと定型に収まっていて誤読の余地もなし。…パーフェクトですね。◇森迫永依。いちじくを運ぶ掛け声 朝の鐘ええ~っ?この人、森迫永依ちゃんなの?25才?上智卒?萌音萌歌より年上じゃん!やばい、頭の時間軸がおかしくなってる…。今週の1位です。無花果いちじくは晩秋の季語だとのこと。モロッコの光景と聞くと、さらに味わいが増しますねえ。朝の鐘が鳴って、市が開いて、コーランが響いてくる?ちょっと久保田早紀の「サウダーデ」を思い出しました。(あれはポルトガルのトマト売りですけど)◇篠原ゆき子。星月夜 五畳酒場の笑い声星月夜 五畳酒場のさざめきに(添削後)才能アリの2位。添削句のほうは、季語を活かすために下五を抑制し、末尾を「に」で締めて倒置法のようになってます。◇三浦獠太。赤とんぼ 街にひびくはキキの声キキの声ひびける街の赤とんぼ(添削後)原句のほうは、「キキの声」が現実なのか幻想なのか判然としないし、そちらに重心がありすぎて、上五の季語が置いてけぼりになってる感もあり、取り合わせとしても噛み合わないように思えます。添削句のほうは、幻想と現実がうまく溶け合って、ちゃんとジブリ的な世界観になってますね。◇ニューヨーク嶋佐。秋茄子の美味い酒場がコンビニに秋茄子は美味し 酒場はコンビニに(添削後)原句を最初に読んだときは、「自分にとっての酒場」がコンビニの中にある、と誤読してしまったのだけど、作者いわく、酒場が潰れて新しくコンビニが出来てしまった、とのこと。そうなると「秋茄子の美味い酒場」が実景ではなく、季語もすでに失われていることになります。これは添削しても、あまりパッとしない。◇キスマイ横尾。ズル休みさやか駅前純喫茶掲載決定だそうですけど…助詞がないので、どこで切るべきなのか迷います。A:ズル休み/さやか駅前/純喫茶B:ズル休み/さやか駅前純喫茶C:ズル休みさやか/駅前純喫茶D:ズル休みさやか駅前純喫茶Aなら三段切れになるし、わたしはBで二句一章かと思ったけど、これだと、季語ではない上五が宙に浮いてしまう。Cは、意味の上から考えてちょっとありえない。…ってことで、先生はDの一句一章と解釈したようです。すなわち、季語の「さやか」は、前の「ズル休み」にも、後の「駅前純喫茶」にも、どちらにも掛かりうる、という解釈。しかし、文法的にいえば、(短歌の掛詞でもないかぎり)形容動詞が前後両方に掛かるなんてことはありえない。これは、いささかズルい読み方であって、賛否が分かれるだろうと思います。◇梅沢富美男。口開けの客は西瓜と連れ立ちてこれも掲載決定だそうですけど…下五「連れ立ちて」の是非。村上が言ったように擬人化の問題もあるけれど、そもそも連れ立って「来る」のか「出る」のか分からない。作者の意図とは逆に、馴染みの店主から西瓜を貰って店を出て行く、と解釈することもできるはずです。事実、わたしはそのように誤読しました。擬人化を排して、「西瓜をぶらさげ来く」とすれば、誤読の余地はありません。梅沢は、接続助詞の「て」でお茶を濁すのが悪い癖だと思う。
2022.10.10
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青き踏む影の少なき無人駅 まくなぎのただ中にあり無人駅プレバト俳句。お題は「無人駅」。◇梅沢富美男。まくなぎのただ中にあり 無人駅夏の季語「蠛蠓まくなぎ」は知らない言葉でした。蚊柱をなして人にまとわりつく揺蚊ユスリカや糠蚊ヌカカのこと。人を刺さないのは揺蚊で、人を刺すのは糠蚊だそうです。これを二句一章と読めば、「私は蚊柱の只中にいる。そして無人駅が見える」の意味になりますが、かりに一句一章と読めば、「無人駅が蚊柱の只中にある」の倒置法になります。悪くいうと、そこに誤読の余地もある。明確に二句一章にするなら、先生が言ったように「おり」と書けばいいし、反対に一句一章にするなら、終止形ではなく、連体形で「ある」と書けばいい。まくなぎのただ中におり 無人駅(二句一章)まくなぎのただ中にある無人駅(一句一章)しかし、それをあえて曖昧にして、どちらとも読める形にしたところに、この句の面白さが生まれているのも事実。(梅沢が意図してやったとは思えないけど!!)常識的に考えれば、「駅そのものが蚊柱の中にある」なんてことは、すくなくとも日本じゃあ考えられない光景です。しかし、そう誤読させてこその面白さがあるのよね。つまり、人間存在を駆逐するように、自然の力が押し寄せてくるような無人駅の姿。そこに不快なほどの迫力を感じさせます。なお、一句一章と読む場合、中七の終止形は倒置法と考えることも出来ますが、たとえば松尾芭蕉が最上川を詠んだときに、「はやき」と連体形でつながず、「はやし」と終止形で切ったのと同じ手法ともいえます。五月雨を集めてはやき最上川(連体形)五月雨を集めてはやし 最上川(終止形)つまり、場面転換を伴う明治以降の切れではなく、場面転換を伴わない江戸的な切れの用法ともいえる。(→くわしくはこちら)追記:梅沢自身がどちらの意図で詠んだかを考えると、おそらく一句一章のつもりで詠んだとは思うのですね。とはいえ、実際に「駅が蚊柱の只中にある」なんてことはありえないので、おそらくは蚊柱の多い駅の様子を大袈裟に描写しただけ。もしくは、自分の周囲の"蚊柱越し"に見た駅の姿が、まるで「蚊柱の只中にある」ように見えたのかもしれません。◇フルポン村上。青き踏む 影の少なき無人駅青き踏む 影のみ増ゆる無人駅(添削後)そもそも無人駅はいろんなものが「少ない」のだから、影が少ないのも当然で、なんらの驚きもないのだけど、わざわざそれを書いたのは、季語の「青」(=草)の多さと対比する意図だったのでしょう。その意味では、自然が支配している様子を描写した梅沢の句と共通しています。しかし、そうはいっても「影が少ない」という情報自体は蛇足ですね。
2023.05.08
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鬼滅の刃。刀鍛冶の里編は、ほとんど戦闘シーンばかりなので、ドラマ的な要素がちょっと少ないけれど、それでも蜜璃ちゃんの登場シーンは胸アツでした…!あらゆるカットが素晴らしくて、おもわずフィギュアが欲しくなってしまった。— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) June 5, 2023 — まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) June 5, 2023 でも、蜜璃ちゃんのフィギュアって、ぜんぶパンツ丸見えなのね…(笑)— EXODUS (@OUTofDEEP) June 4, 2023
2023.06.05
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#ナンウマ。第6話。ホントの海ですべての真実が語られて、バイク事故と引きこもりの謎は解けました。しかし、また新たな謎が浮上!それは、主人公と同級生の謎じゃなくて、公文竜炎の二重人格と、アガサについての謎です。◇かつて純文学作家だった三島公平は、悪魔と取り引きをして魂を売りわたし、ラノベ作家の公文竜炎に生まれ変わったらしい。さながら、メフィストフェレスに魂を売ったファウストのように。あるいはパガニーニやロバート・ジョンソンのように。そして、三島公平の人格は、いまは公文竜炎の支配下に置かれている。一般的にいうと、悪魔=堕天使ルシファーだし、アガサが「オレンジウィッグの堕天使」なら、アガサこそが悪魔なのかもしれません。◇アガサは自殺未遂を繰り返していて、そのたびにアンディキムが彼女を救っている。そのゲームを通して2人は愛し合っている。公文竜炎こそがアンディキムなのかしら?そもそもアガサは実在してるの?あるいは公文にだけ見える幻影?同居してる芽衣ってセフレだっけ?◇それにしても、いちどは消えていたはずの三島公平が、なぜ黒目すいの前に現れたのでしょうか?2人は好き避けをするほど惹かれ合ったけれど、すいが真実を明かしたせいで、三島公平の人格はふたたび姿を消してしまった。◇高校生のときは、黒目すいも、雨宮純平も、江田悠馬に想いを寄せていたのだけど、それはもう過去の話…。離婚した瑞貴は、いまごろになって「悠馬を返す」と言うけれど、現在の黒目すいが愛してるのは、江田悠馬ではなく、三島公平なのでしょう。ホントの海での告白シーンは美しかったなー。重い告白を、波の音がすべて包み込んで、打ち消してくれた。すいは、純平の同性愛の秘密をひとりで抱え、瑞貴や悠馬の恨みもひとりで引き受けて、10年ものあいだ引きこもってしまった。両親の離婚とは無関係に、すい自身が父に引越しを頼んだのですね。補欠キャプテンだった健人は、バイクに細工などしていませんでした。まあ、盗撮はしてたみたいだけど…(笑)。
2023.09.22
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NHK大河「どうする家康」第36話。鳥居元忠がなんと千代を妻にしました!しかも、彼女は「馬場信春の娘」であると。…ってことは、伏見城の戦いでは、千代が「松の丸の脆弱性」を予言するのでしょうね。◇しかし、案の定、SNSなどでは自称歴史通の批判が湧いてます。もちろん、仮説にもとづくフィクションなのは明らかですが資料的な反証がなければ、一概に否定はできないはず。瀬名の「慈愛の国構想」のときもそうでしたが、残念ながら、今回も有効な反証は見当たらず、むしろ、お粗末な反論ばかりが目につきます。今朝の新作です❗ご一読くださいませ❗歩き巫女の千代は、本当に鳥居元忠の妻だったのか? 馬場信春との関係は(渡邊大門) https://t.co/X0G43AW1bK #どうする家康— 渡邊大門〔株式会社歴史と文化の研究所代表取締役、博士(文学)、十六世紀史研究学会代表〕 (@info_history1) September 25, 2023 上の記事のなかで、渡邊大門は次のように書いています。千代といえば、かつて武田氏のスパイのような活動をしていた女性である。本当に元忠は大きなリスクを冒してまで、本当に千代を妻として迎えたのだろうか。千代は武田信玄・勝頼父子に仕えていたので、徳川方にとっては厄介な女性だった。仮に事実だったとしても、本当に家康が許してくれるのか疑問である。◇しかし、これは、かなり安っぽい批判だというべきです。もともと家康は、「馬場信春の娘」を自分の側室にするつもりでした。それを鳥居元忠に横取りされてしまったわけです。なぜ家康は彼女を側室にしようとしたか?それは旧武田家との結束を強めるべく姻戚関係を望んだから。すでに武田勢を敵とは見なしていなかった。そして、「馬場信春の娘」を元忠に横取りされた家康は、その代わりとして穴山梅雪の養女・下山殿を側室とします。つまり、徳川と武田勢との結びつきは、馬場信春の娘や穴山の養女を迎えるまでになっていた。かつてスパイ活動をしていたというのなら、千代であれ、穴山梅雪であれ、同じことです。この自称歴史研究家は、その史実すら知らずに記事を書いているのでしょうか?◇さらに、典型的な批判として次のようなものがある。 これぞ古沢マジックですか🤣🤣🤣歩き巫女なんて売春もやるのにねw武田の有力武将の姫様が歩き巫女なんかするわけないw— 南部十四郎 (@Bigbon61) September 24, 2023 しかし、これは、従来の説にも当てはまる反証にすぎません。もともと、千代のモデルの望月千代女は、「滋野氏の末裔/望月盛時の妻」とされてきました。望月盛時は、武田信玄の甥ともいわれる人物。> 馬場信春の娘が歩き巫女のはずがない。> 鳥居元忠の妻が歩き巫女のはずがない。という批判は、> 滋野氏の末裔が歩き巫女のはずがない。> 望月盛時の妻が歩き巫女のはずがない。という従来の批判と何ら変わりありません。しかし、それがありえたかもしれないからこそ、彼女の存在は日本史上の謎になっているわけです。従来説は疑いもなく受け入れるのに、新しい仮説と見るや頭ごなしに難癖をつけるのでは、たんなる権威主義というほかありません。◇実際、稲垣史生などは、"武将の妻が巫女のような低い身分と直接関わるとは考えにくい"として「くノ一説」を唱えました。しかし、学会では、その俗説のほうが批判されています。https://ja.wikipedia.org/wiki/望月千代女そもそも、望月千代女は、「巫女頭」だったとされているのであって、彼女自身が末端の歩き巫女だったわけではありません。それは、ちょうど服部正成が、忍びを指揮・統率した武将であって、彼自身が伊賀者ではなかったのと同じことです。
2023.10.01
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NHKプラスで「没後15年~氷室冴子をリレーする」を見ました。今年6月に北海道ローカルで放送された番組。萩尾望都や藤田和子が出演してました。30分弱の番組でしたが、北海道では《43分の拡大版》も放送されたとのこと。特設サイトには、出演者インタビューの全文が掲載されてます。https://www.nhk.or.jp/hokkaido/articles/slug-n753ef2a5e0bb◇もちろん、わたしとしては、斉藤由貴がらみで、萩尾望都と氷室冴子の関係が気になるのだけど、両者の出会いについての話はありませんでした。わたしが知ってる範囲でいうと、氷室冴子は、もともと萩尾望都のマンガを愛読してて、高校時代には漫画家になることを夢見てて、大学時代には「トーマの心臓」に言及した評論も書いてる。『氷室冴子とその時代 増補版』には引き続き附録として氷室冴子が大学時代に執筆した『トーマの心臓』論ともいえる評論「少女マンガの可能性」が収録されています。90年代に行われた氷室さんと萩尾との対談中の氷室さんの発言(『物語るあなた 絵描くわたし』収録)のルーツがうかがえる内容です。— 嵯峨景子@『氷室冴子とその時代 増補版』発売中 (@k_saga) June 21, 2023そして、作家デビュー後には、同じ北海道出身の藤田和子のマンガの原作を担当。宝塚歌劇団をモデルにした「ライジング!」という作品で、その取材のために1年ほど宝塚市に住んだのですが、1988年に「ポーの一族」(小学館叢書)へ解説を寄せ、1993年の「氷室冴子読本」で萩尾望都と対談したころに、2人の共通の趣味になったのが、その宝塚だったのです。同じ93年には、三重県で上演された萩尾望都の舞台作「斎王夢語」を、2人で一緒に観劇したらしい。さらに2001年、氷室冴子が斎宮歴史博物館の学芸員と対談したのですが、その学芸員が氷室冴子の死後に書いた記事によると…氷室冴子もまた、萩尾望都と同じように、斎宮を舞台にした作品の構想をもっていたようです。…じつはコバルトの対談の時に、斎宮を舞台にした平安時代小説の新作、という話で盛り上がったのです。1. 主人公は斎宮に仕える筆頭女官、内侍にしよう。2. 彼女は正義感が強く、そのために都にいられなくなって斎宮に転勤してくる。少しぶーたれながらもやる気はいっぱい。3. 斎宮に着く直前、里の娘のようなお転婆で快活な、しかし少し不思議な少女に出会う4. 斎宮について、斎王と対面した時、斎王の座にいたのは、その少女だった。5. お転婆で型破りな斎王を中心に、内侍の視点から物語は進む。彼女らをとりまく貴族たちの思惑、伊勢神宮や朝廷を巻き込む陰謀などに、聡明な斎王と賢明な内侍の少女コンビが、時には弥次喜多のように、時にはホームズとワトソンばりに立ち向かっていく。…平安時代の雰囲気や斎王の儀式など、斎宮ならではの要素を生かして、物語を進めよう。https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/saiku/senwa/journal.asp?record=101◇とはいえ、氷室冴子と萩尾望都の出会いが1993年だとすれば、意外に遅かった気もします。由貴ちゃんのほうは、映画「恋する女たち」に主演した1986年に、雑誌「non-no」で萩尾望都と対談してるし、翌87年には「斉藤さんちのお客さま」にも迎えてる。ちなみに、86年の萩尾望都は、甲斐バンドのアルバム「らいむらいと」再発版で、ジャケットのデザインを手掛けていました。もしかすると、そこで長岡和弘との接点が生まれて、由貴ちゃんとの対談に繋がったのかもしれません。氷室冴子が「ポーの一族」の解説を書いた翌89年には、由貴ちゃんも「トーマの心臓」に解説を寄せています。◇由貴ちゃんは東宝の女優ですが、もともとの東宝の母体は宝塚だし、由貴ちゃんのお母さんも宝塚に憧れた人です。また、映画「恋する女たち」を監督したのは大森一樹ですが、彼も芦屋市の育ちで、何かと宝塚には縁がありました。1987年の映画「さよならの女たち」も、大森一樹が撮ったわけですが、もともとは氷室冴子が脚本を手掛ける予定で、彼女の宝塚在住時の自伝的な作品になるはずだった。そう考えると、氷室冴子、萩尾望都、斉藤由貴、大森一樹は、みんな宝塚という共通項でつながってた感じ。◇いずれにせよ、氷室冴子が萩尾望都に出会うのは必然だった。長年の愛読者だったのもあり、同じ宝塚ファンだったのもあり、案外、斉藤由貴が両者を繋いだのかもしれない。たとえば「クララ白書」の物語の舞台が女子校の寄宿舎だったりするのを考えると、たしかに氷室冴子の作品は、萩尾望都の影響をたぶんに受けていたと思えます。◇…とはいえ、両者の作品が共通のテーマで繋がってるかというと、それはそれで、ちょっと疑問に感じるところはある。今回のNHKの番組も、「氷室冴子は男性社会と戦っていた」というスタンスで作られてましたが、実際、氷室冴子は、男性社会との葛藤を乗り越えることで、女性としての自由を獲得しようとしてたのでしょう。しかし、萩尾望都の場合は、あまり男性社会を仮想敵にしてるようには見えない。むしろ「母との葛藤」や「父との葛藤」という面が強く、それゆえに彼女のテーマには現代性と普遍性を感じます。そもそも、「女性による少女マンガ」だけを読んで育った氷室冴子と、「男性による少年マンガ」から影響を受けた萩尾望都では、作家としての起点や基盤がちがってる気もする。◇…余談ですが、わたしは以前の記事に、由貴ちゃんと富田靖子の共通点について、両者とも「シャア推し」で「谷山浩子推し」と書いたのだけど、考えてみたら、由貴ちゃんが「恋する女たち」に主演した1986年に、富田靖子も「なんて素敵にジャパネスク」に主演したのよね。映画じゃなくテレビだけど。たんに主演しただけなので、べつに両者が「氷室冴子推し」とは言えませんが(笑)(由貴ちゃんがとくに氷室冴子を愛読してたとも思えない)なお、今回のNHKの番組では、酒井若菜がナレーションを務めていました。彼女はまぎれもない「氷室冴子推し」のようです。『海がきこえる』、解説を担当しました。ジブリ作品の原作。今回でジブリ関係の執筆は3回目。夢のようです。この文庫には近藤勝也さんのイラストが盛りだくさんで、たまらないです。涙 pic.twitter.com/8tABv1oPZs— 酒井若菜 (@_sakai99) July 8, 2022
2023.12.31
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テレ朝「探偵さんリュック開いてますよ」最終回。結局、沖田修一の回がいちばん難解だった…(^^;冒頭には上空のシーンが続き、そのあとはオダギリジョーの喫茶店のシーン。そしてビルの立ち並ぶ上田市のシャッター商店街。なかなか西ヶ谷温泉が出てこないので、まったく別のドラマを見てる感じでした。ワシだかトビだかの声は沖田修一だったらしい。ビルが立ち並ぶ上田市の商店街。沖田の脚本は、第2話も父親の話だったけど、最終話も父親の話だったように思う。これって、沖田自身の父親への想いの反映?あるいは龍平の父の優作の暗喩?もともと優作が在日韓国人2世だったことも、微妙に重なってる気がしなくはない。探偵物語 DVD Collection [ 松田優作 ]価格:13,200円(税込、送料無料) (2026/3/1時点) 楽天で購入 龍平が食品衛生資格を取得して、ユーチューバーが女将になり、元FBI職員が板長になり、タイムスリップ侍が仲居さんになって、旅館の営業を再開するらしい。最大の謎は、龍平はアメリカへ旅立つのか?高橋ひかるはヨーロッパへ旅立つのか?…ってこと。わたしはてっきり、2人とも温泉街を去るのだと思いました。◇父や母もみんな旅に出てるしね。来訪者が町に住み着く一方で、元の住人は町を出て行ってしまう。来るものは拒まず、去るものは追わず。町内放送を担当してた役場の女性は、お湯神さまに交代しちゃったし、光石研は余命宣告されてるし、町はすこしずつ変わっていくともいえる。でも、見方を変えれば、人が入れ替わっても町は続いていくともいえる。◇まるで中原中也みたいなサブタイトル。はたして「おにぎりにした悲しみ」とは?高橋ひかるは、ずっと町を出たかったらしく、ついには母にも背中を押され、よっちゃんイカを食べ残したまま、ヨーロッパへ旅立ってしまいました。そういえば中島歩が来たときも、東京へ行きたい!と言ってたもんね。秘めた想いを吐露しはじめる高橋ひかるが可愛い。残されたよっちゃんイカ。てか、よっちゃんイカじゃないんですね…(^^;#探偵リュックさきいか串イカ…ポット駄菓子…酒井あおい(髙橋ひかる)西ヶ谷温泉の商店「フレッシュマート酒井」の看板娘紋次郎いか🦑ではなく権八いか🦑に見えて… pic.twitter.com/3H3prClqt8— Josuijo (@BocchanGoodjob) February 25, 2026 龍平も、研究者になるのを夢見てたらしく、韓国人の盟友や父の幻影に誘われ、母や友人たちにも背中を押されて、いちどは渡米する決心をしたように見えます。実際、人間の悪意は凄まじいエネルギーをもってるから、それを燃料に変換することができれば、エネルギー問題も温暖化問題も解決するし。…でも、結局は渡米しなかったのね。たしかに、食品衛生責任者が渡米しちゃったら、旅館は再開できなくなるわけで。ただし、喫茶店をやってるオダジョーは、そんなの要らねえよ!って感じでしたが…(^^;◇温泉街の再開発騒動のときには、高橋ひかるのお店が閉まる話もあったので、てっきり彼女は雇われだと思ってたけど、経営してるのは彼女の母親だったのね。高橋ひかるが渡欧しちゃったら、誰がレジをやるのかしら?やっぱり店を閉めちゃうの?…まあ、一話ごとに脚本家が違うし、そのへんに整合性があるかも分からない。◇飛猿さんは、雪男なのかと思ってましたが、どこぞの少数民族だったのかな?お湯神さまは、龍平の母と初対面みたいに話してましたが、昔の住人なんだから知ってるでしょ…(^^;スケート少女は登場しませんでした!なお、Tverでは、バカリズムの「ホットスポット」を視聴中。探偵リュックに雰囲気が似てるとの噂ですが、めっちゃ面白いです。
2026.03.01
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NHK「魯山人のかまど」第2話。中江裕司作品という前提で見ると、よくもわるくも中江節が目につきますw演出には第1話ほどの才気を感じなかった。◇今回は京都を巡りながら、魯山人が自分のルーツを語る内容でしたが、よく分からないところが多かったですね。魯山人の母方の家系について、「陰陽師につながる御師」と言ってたけど、御師が一般に陰陽師に由来する職業だってこと?それとも、これは母方にかぎった話?その陰陽師の家系を、魯山人は「荒ぶる血筋」とも評しましたが、明治の世に切腹した父のほうも激しいよねえ…ただ、切腹した父が井戸に落ちた話の真偽は不明だし、ヨネ子が実際に覗いた井戸に、何かしらの縁があるかどうかもよく分からない。たくさんの石像は、伊藤若冲が作らせた石峯寺の五百羅漢らしいけど、あのシーンは魯山人と若冲の関わりを示唆してるの?それとも若冲ブームにあやかってロケ地を選んだだけ?◇お寺では、お精霊しょらいさんを迎えて、ヨネ子が亡き母親を供養しましたが…神在月の出雲に全国の神々を呼び寄せるみたいに、お盆の京都には全国のご先祖さまを呼べるのかしら?そんな便利なシステムってある?そこらへんの描写の正確性も疑わしく、下手をすると誤解を招きかねない気がする。◇最後に焚き火を眺めながら、「この赤が私にまとわりついとる!」と呟いた魯山人でしたが、言うほどの赤い炎でもなかったよね…(^^;なので、いまいち映像的な説得力に乏しい。\精霊迎え 六道まいり(8/7~10)/六道珍皇寺のあるこの地は、平安時代は「六道の辻」と呼ばれ、冥界との境とも信じられていました。精霊は槙(まき)の葉に乗って帰ってくるとされ、この期間、高野槙(こうやまき)を売る店が軒を並べます。https://t.co/SjAb6Ebeoh pic.twitter.com/Zx47zmj1Bj— 京都観光Navi《京都市観光協会》 (@kyo_kanko) August 5, 2022
2026.04.09
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新旧ふたつの「東京ラブストーリー」を見ました。91年の放送当時は、さほどブームに乗り切れてなかったし、ちゃんと見た記憶もないので、第1話を見るのは、たぶん今回が初めてだと思う。見た印象としては、「やっぱり坂元裕二は上手かったなあ」ってことです。最初からグイグイ引き込まれるような脚本でした。◇織田裕二の演じるカンチは、野暮ったい地方出身者。鈴木保奈美の演じる赤名リカは、やたらにポジティブな帰国子女。どちらも、東京という街からすこしズレている。そこが魅力だったと思います。当時、東京に住んでいた人の多くは、やっぱり地方出身者だったわけで、どこかしら東京とのズレを感じながら暮らしていたはずだし、そんな主人公への共感と、そこで繰り広げられるキラキラした恋愛への憧れが、社会的なブームになる理由だったのでしょう。とはいえ、視聴率的にみると、終盤こそ25~30%を記録しているものの、中盤までは20%前後をウロウロしてる程度で、そこまで突出した数字でもなかったんですね。◇今回の2020年版は、カンチ役に 不祥事前の 伊藤健太郎、赤名リカ役に石橋静河。伊藤健太郎は、わりと織田裕二の純朴なイメージに近い。でも、石橋静河のほうは、もとの鈴木保奈美のイメージとかなり違う。もともとタレントとしても、鈴木保奈美の華やかさにくらべて、石橋静河は地味な印象の人だし、91年版はファンタジックな印象が強いけど、20年版はリアリティを重視しているかもしれません。石橋静河は、「大豆田とわ子」のときもそうだったけど、今回も、ちょっと面倒くさそうな女に見えます。この違いこそが、今回のリメイク版の大きな特色になっていて、これを受け入れられるかどうかが、旧作ファンにとって踏み絵になるだろうと思う。さらに、今回は、カンチの幼馴染である関口と三上との関係に、より焦点が当てられていて、むしろそっちのほうに共感しやすくなってます。91年版では有森也実と江口洋介が演じてましたが、今回はこれを石井杏奈と清原翔が演じています。
2021.10.15
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産業まつりのヤング大会。やんばる高 vs 南やんばる高。いよいよ決戦の火ぶたが切られました!✦ ✦ ✦ 麺にシークワーサーを練り込むなんて、なかなかやるわね…。でも、南やんばる高は、さんぴん茶の蒸しケーキ。お父さんにおねがいして、お客さんがたくさん通る所に引っ越せば、勝利はまちがいなし!✦ ✦ ✦ 蒸しケーキのうえにアセロラをのせるとか、見た目がオシャレやっさー。さすがは屋良物産の社長の娘!それとも有名女優の娘のアイディアかしら?ちょっと塩気が足らんけどね~。むりやり店の引っ越しさせられて難儀だったけど、にーにーのテキ屋の口上で形勢挽回!✦ ✦ ✦ あいやー!!鍋の汁、ぜんぶこぼしてしまったサー!(ここで萌歌と凜が同じ画面に!)でも大丈夫!シークワーサーパワーで元気100倍!汁がなかったら、ナポリタンにすればいいさ~!…それは、もしや、ケチャップ味のうちなー焼きそばなのでは?— 連続テレビ小説「ちむどんどん」 (@asadora_nhk) May 5, 2022 — メタ坊や (@PY90evTIfy4ROlw) May 5, 2022
2022.05.05
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テレ朝「ハレーションラブ」を見終わりました。警官が怪しいという予想は当たったけど、かなり内容が入り組んでました。なんとか時系列にまとめてみましたが、もしかしたら、いろいろ間違ってるかもしれません。《15年前》星合台の交番横の空き家。加賀孝之(20)が空き家の隣に住む女子高生の餅田日和(18)を無理やり連れ込んで撮影。このとき孝之はライターを落とした?七夕の日に、孝之は父を継いで交番に配属。日和は2階のベランダでフィルムを燃やしたが、これが隣の空き家に燃え移り、たまたま深山朱莉(6)と遊んでいた藤原晶(11)が焼死。餅田家にも延焼して、日和を助けようとした母が一酸化炭素中毒死。火災現場には孝之のライターと、ベランダから落ちた日和のフィルムと短冊が残されたが、孝之の父はライターとフィルムを隠蔽。朱莉はショックで記憶を失う。朱莉が空き家で撮影していたフィルムは母が隠蔽。いじめを苦にした晶の放火自殺だと噂がたち、藤原家は星合台を去る。このとき晶の弟の昴は6才。家を失った餅田家も星合台を去る。このとき日和の妹の真美は15才。その後、孝之は、晶をいじめていた槙田柚生と橋本隼斗を脅すようになる。《1年前》孝之は、火災現場で拾ったフィルムの切れ端を日和に送付。それを見た日和は「晶くんのせいではない」と手紙に書き残して自殺。日和の恋人の浅海恭介は、その手紙とフィルムの切れ端を日和の妹の小田桐真美に託す。真美は探偵を装い、匿名の手紙だとして晶の弟の昴に送付。《現在》昴と浅海と真美が星合台へ移住。昴は、兄をいじめていた槙田と橋本を放火犯と疑い、誘拐して尋問。しかし、彼らの放火でないと知るや、こんどは朱莉を疑い、自宅兼店舗に大量の短冊を貼りつけるなど心理的に追い詰める。晶の放火でなかったことを知った槙田は、自分たちを脅し続けた孝之を問い詰めるが、孝之はその場で槙田を殺害。朱莉の家から回収した大量の短冊を口に入れて死体遺棄。さらに橋本にも暴行を加えて脅迫。15年前のことを調べ始めた朱莉は、母が隠していたフィルムに、空き家でライターをもつ幼い自分が写っているのを発見。昴は朱莉を誘拐して尋問するが、そこへ浅海と孝之が駆けつける。その後、槙田と朱莉を尋問したときの動画が拡散される。(孝之に通報して、昴の動画を拡散したのは真美と浅海?)孝之に脅迫された橋本は、昴を襲撃。さらに、それを目撃した三原椎奈をも襲撃。その後、孝之に脅されていた事実を昴に告白して自殺。孝之は、浅見と昴を拉致して殺害しようとするも、そこへ孝之の父と朱莉が駆けつけて逮捕される。真美と浅海は、消去法で放火犯を探り当てようとしたものの、結局、火災の原因は日和だった…というオチなのだと思う。◇とにかく音響が不気味で、音楽もよかったです。
2023.10.10
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迎え梅雨紙端に滲む友の文字 虹の下クレヨンの箱踊り出す 天王山黒ずむ袖に薄暑光 薫風や隣の君と教科書を 消しゴムが白き水面にボウフラを 密やかに鉛筆昇てんと虫 初夏の光のインク硝子ペン5月9日のプレバト俳句。お題は「文房具」。◇雲丹うに。天王山 黒ずむ袖に薄暑光鉛筆に黒ずむ袖や 夏休み(添削後a)鉛筆に黒ずむ袖や 晩夏光(添削後b)原句は、受験生の句ではなく、品評会に挑む職人の句にも見えるし、柔道などのスポーツの句にも見えます。先生の(添削後b)は良い出来だと思います。◇山本里菜。迎え梅雨 紙端したんに滲む友の文字迎え梅雨 借りたノートに滲む文字(添削後)作者の説明を聞いても、あえて「紙端」の語を選んだ理由がわからない。紙の端に書き添えられた文字は、友人からの意味ありげなメッセージに見えます。先生の添削に異論はないけど、個人的には「借りたノートの字の滲む」としたい。◇清水アナ。カンペ握りしめる初ロケは立夏初ロケは立夏 カンペを握りしむ(添削後)原句の「握りしめる」は、連体形と読めば一句一章、終止形と読めば対比的な二句一章です。添削句のほうがリズムに定型感があり、意味も明瞭だし、語順的にも正解だと思う。ちなみに助詞「は」を避けるなら、「立夏の初ロケ」とも書けますが、この場合は「初ロケの日は立夏だった」という感動を、強調して書くだけの必然性があるでしょうね。なお、季語の「立夏」には日付の意味と期間の意味があるけど、清水アナの句は「立夏日」という印象を受けます。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥ほぼ才能アリだった…!?😭#清水アナの俳句道場#プレバト pic.twitter.com/phTsxuAu8n— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) May 7, 2024◇河野純喜。薫風や 隣の君と教科書を教科書を忘れた君と 風薫る(添削後)これも先生の添削でいいと思うけど…強いて言うなら、中七で切って下五に季語を置く形式なのに、助詞「と」で繋がって見えるのが難点。実際のところ、「君と風」が薫る…という解釈も不可能じゃない。その場合は助詞「と」の意味が変わって、「You & Me」の距離感を描いた句ではなく、「You & Wind」の香りを描いた改作になる。かりに「君と風を嗅ぐ」と他動詞にすれば、中七は切れずに繋がるけど、季語になりません。ちなみに、最近の日本語では、「香ってみますか?」みたいな他動詞的な用法もあるけれど、https://salon.mainichi-kotoba.jp/archives/123130さすがに「風薫る」は他動詞じゃないので、「君とともに風を薫る」という解釈は不可能です。季語を名詞にすれば、教科書を忘れた君と夏の風のような切れのない一句一章にできますが、やっぱり「You & Wind」の意味になってしまう。原句のように「You & Me」の意味にするなら、教科書を忘れた君とゐる五月とでも書くしかないでしょうね。◇内藤剛志。虹の下 クレヨンの箱踊り出す季語は「虹」で夏。だいぶファンタジックな作品で、それを許容できるかが評価の分かれ目になる。…上五「虹の下」の是非。虹と子供がどちらも遠くに見えてるなら、この写生にはリアリティがあるけれど、実際は、子供が近くにいて虹は遠いのだから、子供たちが虹の下にいる…というのは虚構でしょう。もちろん、幻想を書くのが悪いわけじゃないし、端から端まで見える巨大な虹を目の当たりにして、「自分たちが虹の下にいる」みたいな感覚に襲われることもあるだろうから、まったく現実味のない描写とも言いきれない。…下五の擬人化の是非。子供たちが箱をガチャガチャしはじめて、箱の中のクレヨンが動き出したことの比喩でしょうが、「クレヨンが踊り出す」ではなく、「箱が踊り出す」との表現が妥当かどうか。まあ、これも幻想句としてなら許容範囲かな。とはいえ、前回の「本職」の句は合点がいかなかったし、たった2回の査定で特待生との判断は不可解です。◇ゆりやんレトリィバァ。消しゴムが白き水面みなもにボウフラを消しかすはボウフラみたい 子どもの日(添削後)消しかすはボウフラみたい 夏休み (添削後)季語は「孑孑/孑々ぼうふら」で夏。作者によると、「消しゴムがノートに消しカスを(散らした)」という内容を隠喩で書いたようです。かりに子供の俳句だったら、「消しカスがボウフラみたい!」という発想や観察眼は褒めたい気もするけど、大人の俳句としては珍奇な詩情としか思えず、関西大文学部卒という学歴を考え合わせても、ウケ狙いなのか本気なのかいまいち判別がつかない。季語が比喩なので、先生の添削では「ボウフラ」の片仮名表記を直さず、もうひとつ別の季語を置いて解決してます。それはそうと…作者が最後に提示した推敲案、消しかすはボウフラみたい 初鰹は、ビート文学みたいで激烈に面白いwマイナス100点満点で一発特待生にしたいです。◇千原ジュニア。密やかに鉛筆登るてんと虫季語は「天道虫」で夏。形容動詞「密やかに」の是非が問われます。掲載決定でしたが、わたしならボツ!天道虫がひそやかに登るのは当たり前!音を立てて昇る天道虫がいるんなら持ってこい!!なお、先生によれば、A: 天道虫が密やかに登るB: わたしが密やかに見るという2つの読みが可能とのこと。たしかに、「密やかに登るてんと虫(を見る)」の省略と読めば、どちらの動詞に掛かるとも解釈できる。でも、実際にそう読ませたいのなら、芭蕉の「閑さや」と同じように、上五を「密やかや」と切るんじゃないかしら?◇梅沢富美男。初夏はつなつの光のインク 硝子ペン初夏のひかりのインク 硝子ペン(添削後)倒置法の比喩で、「硝子ペンのインクは初夏の光のようだ」と読める形なのだけど、作者がそれを明確に意図したかどうか怪しいwおおかた17音に収めてみた結果、たまたまそういう形になっただけじゃなかしら?内容的には、比喩を使って硝子ペンの特徴を説明しただけとも言える。なお、添削句は平仮名で透明感を表現してます。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.05.13
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わたしは昨日の記事で、「ヒルコの正体は役小角だった」と書いたのだけど、ネットの考察を見たら、「二宮がヒルコだった」と解釈してる人が結構いる!…その理由は2つあって、第一に、負傷して呪符を剥がされたあとも、血を吐きながらケタケタ笑ってたから。第二に、彼女が最後に葦舟を残して消えたから。そこから考えると、たしかに二宮が本物のヒルコだったかも?…と思えてきます。◇アメノウズメについても、いろいろと謎が残りました。・なぜ興玉が天石戸別神だと知ってたのか。・なぜ猿田彦の伴侶となるべき女神が興玉と愛し合ってるのか。・なぜ雨野は人間なのに呼び出しの術を使えたのか。・なぜ興玉に事戸を渡されたのにラストシーンでまた鈴を鳴らしたのか。結局、雨野は、神の記憶を失ったのかどうか分からないし、神なのか人間なのかもハッキリしないのですね。興玉が雨野に事戸を渡したとき、「すこし人差し指を浮かせてた」…ってことも注目されてます。そこらへんを確認するために、またTVerで見直したりするわけで…それで再生数が伸びていくのでしょうねwまんまと脚本家の策略にハマってる感じ?…(^^;◇ちなみに、アメノウズメの鈴は、アマテラスを呼び出すために、岩戸を開くべく鳴らした神代鈴のこと。新海誠の「すずめの戸締まり」では、主人公の名前が《岩戸鈴芽》なのだけど、これは雀に由来するのじゃなくて、「岩戸を開くために鈴を鳴らしたアメノウズメ」…みたいな意味から来てるっぽい。知らなかった!!◇もしドラマの続編があるとしたら…京都の尼寺局長=アマテラスを演じるのは、広瀬すずなのでは??そしたら「鈴ですずを呼ぶ」みたいな感じになるよねw幸運鈴 本体の長さ約24cm三番叟鈴 神楽鈴 かくらすず かぐら鈴 三番叟鈴 Kagura bell 神社 お神楽 おかぐら 神事 巫女さん みこ 舞 舞う まう 踊り お祭り 和楽器 鳴り物 小道具 楽天で購入
2024.12.20
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アストリッドとラファエル5~文書係の事件録。第8話「完全犯罪の台本」を見ました。冒頭にいきなり犯行の一部始終を見せる、…というコロンボ的な倒叙形式でスタート。ところが、その犯人は、あっけなくビルの屋上から転落死してしまう。彼を突き落としたのは、その犯行の筋書きを書いていたラマルクです。いましたね!そんな奴が!モリアーティ教授的な宿敵!!すっかり忘れてました…(^^;◇ラマルクは、いつどうやって勘づいたのか知らないけど、アストリッドの過去のトラウマの真相を、サミを誘拐して自室に監禁して聞き出してました。サメの歯のペンダントをした、乗馬クラブのパワハラ指導員は、後ろから馬に蹴飛ばされて、サミのもってた干し草フォークに刺さって死んだのね。そして、その死体は、サミの父親が空き家の壁の裏に隠してました。なので、サミは過失致死もしくは正当防衛。そしてサミとサミの父親は死体遺棄の罪ですね。事故を目撃したアストリッドも、記憶喪失を証明できなければ共犯の可能性がある。◇社会力向上クラブで再会したサミが、アストリッドを見るなり帰ってしまったのは、そのためだったんですね。アストリッドが、しばらくぶりにサミの家を訪ねたときも、きっとサミの父親はヒヤヒヤしてたのでしょう。アストリッドが乗馬クラブのことを聞くたびに、きっとサミもビクビクしてたはずです。◇ラマルクは、結婚するアストリッドへのはなむけに、渾身の謎解きクイズを出題!!アストリッドのほうも、ラファエルが準備した婚前パーティなんかより、ラマルクの謎を解くのに夢中でしたねwある意味、ラファエルよりもラマルクのほうが、アストリッドのことをよく理解してるのよね…(^^;2人は不思議な絆でつながってるとさえいえる。実際、ラマルクのおかげで謎も解けたので、アストリッドの発作は完治するでしょう。◇なお、ダン・ブラウンの『ダヴィンチコード』では、ダヴィンチの「最後の晩餐」のなかに、イエスの秘密が隠れてたわけですが、今回は、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」の裏に、アストリッドの秘密が隠れてた…というオチ。なぜフェルメールなのか不明ですが、金色のターバンが金髪のポニーテールっぽいので、この少女をアストリッドに見立てたのかも。一説によると、この絵に描かれた少女は、父殺しで斬首刑になったベアトリーチェ・チェンチ、…ではないかといわれてる。ラマルクは、「アストリッドが殺人犯だ!」と主張してましたが、それもこの絵画に掛けてのことでしょう。【中古】フェルメール ——謎めいた生涯と全作品 Kadokawa Art Selection (角川文庫 ん 30-1 Kadokawa Art Selection)/小林 頼子価格:350円(税込、送料別) (2025/5/26時点) 楽天で購入 以下はシーズン1の話。そういえば、アストリッドって青い服が多くてフェルメールのイメージと重なります!— のんた (@QhsI4ys1gzRkBtm) October 5, 2022◇ラマルクは、ラファエルに銃殺されましたが、ほんとうに死んだのかしら?墓から出てきて復活する予感しかありませんw司法解剖の前に、遺体安置所から抜け出してるかもよ…(^^;◇ラファエルは、アストリッドの結婚指輪を、なぜか自分の指に嵌めました。…え??何やってんの?そして、その直後、「ラマルク…あ〜クソッ!」と呟いて倒れてしまった。きっと次のシーズンは、この指輪の謎を解くことから始まるのね。◇指輪に仕込まれていたのは、はたして致死量の毒なのか否か?それを仕込んだのは、ほんとうにラマルクなの?いつのまに?何のために?なぜラファエルはとっさに彼の仕業だと思ったの?ラマルクは、アストリッドの指輪に毒を仕込んで、彼女と心中しようとしたのでしょうか?もしかしたらラファエルは指が太くて、テツオの指輪を嵌めたのかもしれませんよねwだとしたら、ラマルクの標的は、恋敵のテツオだった可能性もあります。◇ところで、大腿骨で出来た弾丸からは、誰のDNAが検出されるのかしら??英国リメイク版『ペイシェンスとビー』ヨーク警察文書係の事件録。
2025.05.26
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飯豊まりえ「泉京香は黙らない」を見ました。渡辺一貴は、映画版でベルトルッチを意識したらしいけど、関友太郎&平瀬謙太朗は、廊下と双子でキューブリックをやってました。舞台はモダンな洋館ですが、そこはかとなく和風な感じもあり、とくに前半の映像はとても美しかったです。pic.twitter.com/GQuqYLPJIY— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 4, 2026漫画家の大きなお屋敷で、声を奪われた人々に囲まれながら、タイトルどおりに、京香さまだけが喋りつづける設定…(^^;一方の露伴先生は、今回ばかりは本当に動かなかったwストーカー気味の勘助くんが、最後に京香さまを助けに来たけれど、むしろ京香さまを救ったのは、勘助くんから奪ったICレコーダーでした。声を奪う漫画家は、デジタル機器の記憶量をいっきに取り込んで、生身の人間の容量を超えてしまったのかしら?pic.twitter.com/qRsaQPHtqB— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 4, 2026なぜ双子の兄妹が失踪したかは謎ですが、きっと使用人たちの舌は取り戻せたのでしょう。京香さまは、とくに懲りた様子もありませんw堀田真由がタンばかり食べてたあたりで、だいたいの展開は読めてしまったけど、映像の美しさが際立ってたので満足。連休は露伴三昧で楽しめました!ベネチアの可愛いオペラグラス。#岸辺露伴は動かないシリーズ最新作【#泉京香は黙らない】原作・脚本協力:荒木飛呂彦音楽:菊地成孔/新音楽制作工房人物デザイン監修:柘植伊佐夫脚本・演出:関友太郎・平瀬謙太朗5/4(月・祝)夜9:30[総合]NHK ONEで同時・見逃し配信予定🔗https://t.co/TlLCkJcOvZ pic.twitter.com/AdP7ZulJWW— NHKドラマ (@nhk_dramas) April 27, 2026大豆から味噌を作る話。しかも平成時代から!今日の #土スタ は #飯豊まりえ さん!『岸辺露伴シリーズ最新作 #泉京香は黙らない 特集』飯豊さんの魅力満載の1時間でした!友人の #西野七瀬 さんを描いた衝撃の一枚も大公開!🎨飯豊さん推しの“紅茶の先生”もサプライズ登場してお祭り騒ぎ🫖 NHK ONE👇 https://t.co/vV7t9e9GUK pic.twitter.com/hWEoiyjLYr— 土スタ (@nhk_dosta) May 2, 2026シャイニング【Blu-ray】 [ ジャック・ニコルソン ] 楽天で購入
2026.05.05
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☆今日からは、「ライフ・スキルの伝達と共有」を話題にしていきます。その前提になるのが、ドミトリーにおける家事のワークシェアです。ドミトリーは、外形的に見れば、宿泊施設と似ている。個室のあるドミトリーは、ビジネスホテルみたいなものかもしれないし、個室のないドミトリーは、いわばカプセルホテルみたいなものかもしれない。ドミトリーが宿泊施設と異なるのは、食事や掃除など、生活上の仕事を自分たちで行なうことです。したがって、そうした面での人件費は含まれません。ホテルに泊まるのとは違い、そうしたコストはかからない。のみならず、ドミトリーでは、そのような仕事(つまり家事)を、居住者が共同で、あるいは分担して行なうことができる。その場合のドミトリーは、ハウスシェアだけでなく、ワークシェアという側面ももちます。家事のワークシェアを実践しているドミトリーは、現実には、あまり多くないかもしれません。ですが、ドミトリーがワークシェアを取り入れることは有効です。すべての家事を単独でおこなうのと違い、家事を分担すれば、時間的なコストも、労力上の負担も減る。その日の担当者が、すべての場所をいっぺんに掃除してしまったほうが、また、全員の食事をいっぺんに作ってしまうほうが、あるいは、全員の洗濯物をいっきに洗ってしまうほうが、時間的にも労働的にも無駄がなく、一人あたりの労力も少ない。同時に、居住者どうしが生活のスキルを共有しあうことによって、全体の生活の質を高めることができます。これまでに書いてきたとおり、ドミトリーでは、空間や設備やモノを共有することで、それらにかかるコストを抑えることができるわけですが、それにくわえて、上記のような「家事のワークシェア」をおこなえば、人件費をかけずに、個人にかかる家事負担を減らし、時間的な自由をも、より多く得ることができるわけです。たくさんの人が居住するドミトリーであればあるほど、家事の分担は、よりフレキシブルに調整することができる。つまり、個々人の時間設計を、より自由に行なうことができます。そして、地域通貨のような媒体を使えば、各人の家事労働の負担を、不公平のない形で交換し合うことができます。(つづく)
2008.06.03
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すべての元凶は、巨悪でも何でもなくて、ひとりの小娘の過剰なワガママだった…というオチでした。そのために父と兄は人生を狂わせられ、森島家の運命まで滅茶苦茶になったのですね。…その点はいいのだけれど、具体的な設定が、いまいち納得感に乏しい。多少は危惧してたことですが、ドラマの終盤になって真相が明らかになるにつれ、脚本の不自然さが気になってくる(笑)。◇あずさは、偽装誘拐の事実を世間に公表されたくなかったので、その真相を暴いたパンダ男を、兄に頼んで殺害したのですね。かなり子供じみた発想でやらかした犯罪です。しかし、今回のレンの誘拐は、8年前の犯罪よりも、さらに発想が子供じみてます。あずさは、愛する直輝に自分を選んでもらおうと、兄に頼んで、たくさんの人間を雇って、芝居がかった大掛かりな誘拐騒動を仕組んだ。そこでレンのことも殺すつもりだったのですね。万が一、直輝が自分を選ばなかったら、ニセの拳銃で撃たれたフリをして、レンだけ本物の拳銃で殺したあと、自分は一命を取り留めたことにする気だったのでしょうか?でも、そんな面倒な芝居をするくらいなら、最初からレンだけ殺せばいいのでは? …と思ってしまう。あまりにも無駄な大芝居なのでは?ちなみに兄妹は、レンが「リコ=ミスパンダ」だとは知らなかったようで、不意に反撃された結果、兄が自殺に追い込まれてしまいました。ずっと直輝を監視していたわりに、飼育員とミスパンダであることに気づかなかったのでしょうか?まあ、警察に顔が割れているはずの直輝が、ふつうに大学に出てきたりするのも不思議なのですが。リコは、ミスパンダとしてちゃんと戦えていましたね。危機的な状況に置かれると、彼女のなかの潜在的な「モンスター」が覚醒するのでしょうか?◇結局のところ、直輝パパが残したメッセージは、たいした内容じゃありませんでした。死に際に飲み込むほど重要なメッセージだったかというと、いまひとつピンときません。かえって直輝を翻弄しただけという気もする…。佐島家と森島家の謎は、おおむね解き明かされましたね。あとは、直輝パパの遺体を誰がどのように処理したのか。佐島と警察はどのような秘密を隠蔽したのか。そのあたりの話がまだ少し残っています。そして、このあとは、あずさの罪がどのように裁かれるのか。刺されたリコの運命はどうなるのか。そこらへんを描きながら、最終的に川田家の謎が明かされるのかな、と思います。
2020.03.09
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今回のユーミンの発言で、もっとも注目すべきことは、彼女が、安倍晋三と「ロマンの在り方が同じ」だと述べた点です。この「ロマン」の意味するところは明確ではありません。けれど、ごく普通に考えれば、安倍晋三にとっての最大の政治的ロマンが、「憲法改正」(とりわけ9条の改正)だったことは明らかです。今後、ユーミンの楽曲を分析的に語るうえで、彼女自身の「政治的ロマン」について考えることは、おそらく避けて通れないでしょう。それは彼女の音楽を考えるうえで、ひとつの"棘"になる。いまや現役ミュージシャンとしてのユーミンは、ほぼ死んだに等しいのですが、楽曲そのものは今後も残り続けるからです。◇ここで、考えるべきポイントを3つだけ提示しておきます。ひとつは、(彼女の楽曲との直接の関わりはありませんが)松任谷家とユーミンの存在が、「頭山満」と「日本会議」との連続性を考えるうえで、結節点の一つになるかもしれない、ということです。ふたつめは、ユーミンがデビューする前に収束した、全共闘運動との関わりについてです。とりわけ「いちご白書をもう一度」を聴くうえで、彼女が「学生運動のことをどう捉えていたのか」という問題を、考えずには済まないはずです。みっつめは、やはり日本軍によるインドネシア占領の問題です。「スラバヤ通りの妹へ」を聴くかぎり、ユーミンが、旧日本軍のことを、「インドネシアをオランダから救った解放者」と見なしていることは、ほぼ間違いないのです。その結果として、インドネシアのことを「妹」と表象している。しかし、この問題は、たんに日本国内の議論で済まされるものではありません。じつはインドネシア国内には、旧日本軍の行為を「解放」とは考えない人々も大勢いる。インドネシアにも、韓国と同じように、日本軍によって強制労働を強いられた人々がおり、さらには慰安婦にさせられたインドネシア人女性と、現地に在住していたオランダ人女性がいたからです。ユーミンの音楽において、頭山満の「アジア主義」はどう反映しているのか。そのことを考えるうえで、「スラバヤ通りの妹へ」は重要な手掛かりになります。さらに「大連慕情」とのかかわりで言えば、日露戦争で獲得した大連に「亡き父」がおり、日本軍が解放してやったインドネシアに「妹」がいる、ということの意味が見えてくるのです。そして、安倍晋三に代表される日本会議の「政治的ロマン」が、頭山満やユーミンの思想とどのように関わっているのかも、そこから分かってくるはずです。
2020.09.08
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