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マラウイから、10月に送ってもらった荷物が、2週間ほど前、届きました。私は、帰国日が急に変更になった上に、任地を発つ日が急に、ラマダーン明けの休日になってしまいました。 詳しくは、こちら首都に着いた翌日の朝、帰国報告会、健康管理員の方に経過の報告、銀行の解約、旅行社でキャンセルした飛行機代の受け取りをし、昼には空港へ移動しなければならなかったため、とても荷物を送る余裕がないと思われ、荷物を送ってくれるよう、Misheckに頼んでいました。↓届いた荷物 16,000クワチャの郵送料を、50クワチャ、100クワチャの切手で貼っていますから、上下左右、切手だらけですなかには、はがれかけている切手もありましたが、途中で郵送料を、誰か確かめてるのかな??マラウイでは段ボールや大きなビニール袋の入手が困難です。日本から荷物を送ってもらった時の段ボール、それも税関で? 開けられ、破れているのをつなぎ合わせて送ったので、↓こんな状態です当初、自分で送るつもりだったのが、突然、祝日になってしまったため、宛先は、漢字で書いていました。↓届いた伝票意味もわからぬまま、郵便マークを書き写してくれたそうです 郵便番号とJAPAN、 そして私の名前しか書かれていません持つべきものは、友と、改めて感謝しましたそして、昨日、一昨日、9月に自分で送った荷物がようやく届きました。どうして後から送った荷物が先に届いたのかは不明ですが、すべて無事届いたので、良しとしましょうちなみに今回の荷物も↓こんな感じです。 こうして届いた荷物を開封し、ついでに昨日、今日と部屋を大片付けし、3か月かかってようやく、部屋らしくなりましたこれで気持ちよく、新年が迎えられそうです今日もぽちっぽちっとありがとうございます
December 29, 2008

失業外国人に廃モーテル開放、ダメって言わないで(毎日新聞、2008/12/24) 愛知県岡崎市山綱町にある廃業したモーテルの所有者の女性が、失業して住む場所を失ったブラジル人にモーテルの部屋を住居として無料で提供したところ、市建築指導課が「都市計画法違反にあたる」と指摘していたことが23日分かった。モーテルには県内外から在日ブラジル人の5家族計19人が移り住んでおり、女性は「市の指摘に従えば、寒空の下に彼らを放り出すことになる」と困惑している。数年前、知人のペルー籍の人たちは、夜中、コンビニ弁当を作る工場で働くため、片道1時間あまりかけて通い、朝まで働いていました。マラウイアンからも「日本では、フィリピンの人が、高齢者の介護をしているの?」と、聞かれたことがあります。そんなニュースが、マラウイでも流れていたそうです。景気の良かった頃、日本人の嫌がる仕事、あるいは低賃金の仕事に就き、日本の社会の一部を支えてくれた外国籍の方たち・・・数日前、郵便局に行きました。手続きにやたら時間がかかり、私は小1時間、ぼーっと待っておりました。その間、外国籍とおぼしき人が、国内外に段ボールをいくつか送ろうとしていました。日本国内宛の送付状は「送付先」「依頼主」と漢字だけしか書かれておらず、困っていたようだったので、近くにいた私が「To」「From」と伝えたところ、要領を得たようでした。彼らは、要件を済ますと、自転車置き場にきちんと整列させて止めてあった自転車で、走り去りました。その間、5分と間隔を空けず、何台もの車が、車椅子専用駐車場を平然と利用していたのが、なんだか悲しかったです。 もちろん、見た目ではわからないしょうがいを お持ちの方もいらっしゃるでしょうし、 車椅子専用駐車場や優先座席の設置を 疑問視する方もいらっしゃるでしょうが。外国の方が日本で暮らすには、不便なことも、悔しいこともあるでしょう。そんな彼らが、日本のルールに従い、一生懸命働き、得た収入で買った物を、家族や友人に送る。寒空のもと、いくつものかさばる箱を自転車で運んできたのだなと思うと、笑顔で走り去る、彼らの姿がなんだかすがすがしく感じられました。 ニュースによれば、 冒頭の家族には生後1か月の赤ちゃんもおり、 日本各地にお住まいのブラジルの方たちから 食料等、送られてきていました。 郵便局で会った彼らが、どこに何を送ったか 定かではありませんが。外国籍の方も、派遣社員の方たちも、不景気になったから使い捨て、ではなく、暖かい場所で、笑顔で、新年が迎えられるよう祈るばかりです。人の心配をしてる場合じゃないんですけどね来年は、今以上にいい年今日もぽちっぽちっとありがとうございます
December 27, 2008

マラウイのある学校で、サッカーの公式試合の最中、判定に不服をもったA教師が、審判に異を唱えたそうです。 マラウイでは教師が生徒とともに、 あるいは先導して審判をなじるのが一般的なのか、 地区のsports master & mistressを対象にした研修会でも、 「誤審があった場合、引率教師はいかにふるまうべきか」 という議題もありました。A教師の抗議の後、生徒たちが審判に詰め寄ったため、同校のsports master B教師が体を張って止めに入りました。試合の続行は不可能となり、審判は怪我をすることなく帰宅できましたが、生徒たちは不満を抱いていました。B教師は、生徒が自分たちのふるまいを反省しない限り、次の試合の参加辞退もやむを得ないと考えていましたが、同校のsports mistressは、地区優勝のかかった時期だからと、試合への参加を重視しました。同僚の同意も得られず、B教師は「生徒は自分たちが正しいと思っており、味方になってくれたA教師を信頼している。自分はsports masterを辞め、A教師に引き継いでもらうべきだ」と、かなり悩んでいました。私は、「生徒たちの行動が、A教師に誘導された部分も否めない難しい事例とは言え、生徒の暴力・暴言には敢然と立ち向かうべきだ。私たちは生徒の友達ではなく、教師であり、時には厳しく、人として、してはいけない基準を伝えることも必要だ。とりわけサッカーは、マナーを重視するスポーツではないか。このままあなたがsports masterを辞めたら、生徒は自分たちの行動を正当化してしまう。」と、B教師を励ましました。B教師が学校長に経過を説明したところ、学校長はB教師の考えを支持。sports masterとしての判断も評価してくれたそうです。優勝のかかった試合でも、生徒たちの考えやふるまいによっては参加辞退もやむを得ないという学校長の承認をもって、B教師は生徒と面談しました。生徒たちは、あれは誤審であり、自分たちは間違っていないと主張したそうですが、B教師は「サッカーは、国際大会で誤審があっても、プレイヤーはそれに従う。マラウイの高校の試合で、質の高い審判を求めても困難であり、次の試合も同じ審判の可能性が高い。彼の判断に従うことができるか。できなければ、参加辞退もやむを得ない。皆でよく話し合うように」と、話したそうです。数時間後、生徒たちは、審判に従うから、試合に出たいと申し出たそうです。この経過をふまえ、学校長は全校集会で、「審判の判断に従えず、前回のような威嚇行為が再度行われたなら、部活動、試合への出場を禁止する。学業に専念するように」と明言してくれたそうです。私がB教師に語った、生徒の暴力・暴言を決して許してはいけないという基準と、その基準を揺るがさない教師としての役割は、定時制高校に勤務していたから身についた感覚であり、自信を持ってB教師を励ますことができました。私の英語力でどこまで伝わったか心許ないですが、一人の教師として、一人のマラウイの教師に、教師観、教育論を必死で伝えることができた、日本での経験が活かされたと、初めて感じられた瞬間でした。サンタさんは来ましたか? 我が家にはまだ・・・今日もぽちっぽちっとありがとうございます
December 25, 2008

〈いざ花園〉楕円球が僕らを変えた 高知中央(朝日新聞朝刊、2008/12/23) 熱血教師がラグビーを通じて不良高校生を更生させ、人気を博した80年代のテレビドラマ「スクール・ウォーズ」。創部2年目で全国大会初出場を決めた高知中央は、そんなドラマを地でいくチームと言える。率いるのは、神戸製鋼の全盛期を支えた元日本代表FWの大八木淳史ゼネラルマネジャー(GM)。主演は「落ちこぼれ集団」と言われる21人の部員たちだ。 ラグビー経験者は数えるほどしかいない。大半は他の部活や他校をやめて入ってきた生徒たちだ。テニスやバスケットで挫折した選手や、高校受験の失敗などでぐれていた選手、親子関係に苦しんで越境入学した選手もいる。学校からの就任要請に、大八木GMは「そんな不遇な境遇にいたヤツ、楕円(だえん)球に触れたこともないヤツらを、ラグビーで変えたい」と引き受けた。 1年目の昨年は、部員のモラルの低さに驚いた。練習の無断欠席は当たり前。ラグビーのルール以前に、学校や社会の規則を守れなかった。大八木GMは講演活動などで多忙の中、年間約120日を高知で過ごし、高校生と向き合ってきた。携帯電話の番号を教え、「困ったことがあったらかけてこい」と対話の機会を増やしたという。夏合宿では大部屋で寝食をともにして、自らをさらけ出した。 CTBの浅利(2年)は言う。「大八木さんに会って、僕らは変わった」。口酸っぱく言われたのは「約束は絶対に守れ」。ミスをチームメートに押しつけていた選手たちが、自らの責任を言及するようになり、まとまった。出場4校の予選を突破した。 「スクール・ウォーズ」の熱血教師のモデルは、伏見工(京都)の山口良治総監督。大八木GMの恩師でもある。ラグビーを通じて人間育成したいという思いが、師弟の間を貫いている。 初戦は27日の平工(福島)。寄せ集めのチームが勝てるほど花園は甘くない。それを知る大八木GMは「周りへの感謝の気持ちを忘れずにプレーしてほしい」と話している。このニュースを読み、なんだかうれしくて、思わず全文引用してしまいましたスクールウォーズ世代なんですよ。学生時代、ラグビーをしていた人たちの多くが、スクールウォーズの影響と、口をそろえていました。大八木さんや平尾さんたちが、伏見工業時代のお話が、スクールウォーズのモデルなんですよね?その大八木さんがまた、やんちゃな子たちを指導するのがいいじゃないですか私も、最後に担任をさせていただいた学年は、体当たりでした。1年生からの担任なら、ルールを伝え、指導しやすかったと思うのですが、私は2年生から担任をさせていただくことになりました。1年生の間、授業中の出入り、立ち歩き自由、授業中の私語、携帯、化粧も当たり前、教室はゴミだらけ、言い訳や嘘がまかり通る、校内で煙草を吸っているその瞬間を見られても、威嚇して、生徒指導を逃れる・・・それが「当たり前」だった学年の担当となり、まずは授業をきちんと受ける。時間を守る。そんなルールを伝えるだけでも、相当の時間がかかりました。通勤路で、生徒に刺されるかもしれないと覚悟し、心配した同僚が、駅まで送り迎えしてくれた時期もありました。授業は大切にすべきという考えの教科担当の先生方と、タッグを組むことができたのは、幸いでした僭越ながら、スクールウォーズのような日々でしたラグビーはしていませんが帰国後、神戸のお世話になった方たちに挨拶に行った際、当時の生徒が集まってくれました。それぞれ頑張っている様子が伝わってきました残念ながら、私は卒業式の呼名をしてあげられなかった子たちも、その後の高校生活を満喫したようすを語ってくれました。人よりもたくさんの時間をかけて、手に入れた卒業証書は、重みや喜びも人一倍経験の数だけ、人としての幅も広がるし、大八木さんのおっしゃる「周りへの感謝の気持ち」を体感しており、人に優しくなれるんじゃないかなと、頼もしく感じたひとときでした。Merry Christmas今日もぽちっぽちっとありがとうございます
December 24, 2008

先週の土曜は、協力隊の愛知県OV会の忘年会でした皆さん、何かしたい、してあげたい、一所懸命さを感じます。会長さんは、常に、人や物事のいいところを見ようとしていると感じます。青年海外協力協会中部支部の支部長さんは、私たちが派遣前訓練を受けた時の総括でした。訓練当時は雲上人でしたが、帰国後、地に足のついていない私を心配してくださったのか、1週間ほど、アルバイトさせてくださいました。その間、アドバイスもいただきました。もし仮に、家族や友人から同じことを言われても、素直に聞けなかったかもしれません。協力隊とともに20年以上過ごし、いろんなOVを見てきた彼女の言葉だから、重みもありました。そして、相手のことを思っているから言える厳しさ、優しさだと感じました。「いろんな人と出会える、 出会いをプロデュースできる、この仕事が好き」とおっしゃる通り、一人ひとりを大切にしていらっしゃると感じます。支部長さんのご家庭では、けんかはその日限り。翌日に持ち越さないというルールがあるそうで、見習いたい習慣です。私も彼らのように、人を励まし、褒め称え、成長の可能性を信じ、待てる、許容できる人間でありたいと、改めて肝に銘じました。過去のブログを読み返していて、『壬生義士伝』の一部が心に残ったので、再度、引用します。「みてくれとかお金のあるなしとか、弁がたつとか、そういうのって人間の見栄じゃないですか。中味とはちがう。(中略)強くてやさしいのって、男の値打ちじゃあないですか。」(上巻、231頁)「近藤勇の武士道とは(中略)他人の痛みはわかってやりながら、自分の痛みはけっして他人に悟らせようとしない。あの人は何の理屈もなく、そういう武士道を生きた人だったんです。」(上巻、319頁)素敵なクリスマスをお過ごしください今日もぽちっ↓ぽちっ↓とありがとうございます
December 23, 2008

AWA@TELLまいにち 管理人さんから、朝日新聞にマラウイの記事が載っていたと、教えていただきました。「マラウィの警察官」風間深志のアフリカ縦断 2008/12/16なかでも、傾向としてはケニアが一番威張っていて、タンザニアはきちっとして優しいが罰金も着服、マラウィでは優しい態度の警官が「のどが渇いているのでファンタが飲みたい!」と妙な要求をした。この一文に、思わず笑ってしまいましたこれ、ほんとによくあるんですよ。この時には、行きは現金MK1,500要求され、帰りは別の検問所で、現金+積んでいた箱ワインを、ペットボトルに小分けするよう指示されたそうです。私も、銀行のATMのところに立っている警備員から「お昼食べてなくて、腹ぺこなんだ。ファンタを買って」と頼まれたことあります。空港の手荷物検査といい、これらも「手当」の一種かもしれません。そして、やっぱりコーラではなく、ファンタなのです 180度の発想の転換 (4) 手当ここにも書きましたが、マラウイでは勉強会や大会などに参加した際、参加費を払うのではなく、手当をもらうのが一般的です。この180度の違いに慣れるのにも、時間がかかりました詳しくは→Allowanceについて 寮のある学校では、夕食後、2時間程度の自習時間が設定されていますが、私の配属先には、寮がありませんでした。生徒から、夕方に、自習時間を設定して欲しいとの要望が上がったそうですが、職員会議で「誰が自習監督をするのか。そのallowanceは誰が払うのか」「(同じ敷地にある)大学の図書室は午後10時まで開いており、教室も夜中じゅう使えるよう、学長が配慮してくれている。そこで自習すればよい」などと、職員の賛同を得られませんでした国家試験直前の長期休みには、2週間の講習が設定されます。生徒がこの講習に参加するためには、MK1,500払わなければなりません。(MK1≒1.3円、2008年7月レート)ちなみに1学期分の学費はMK1,350。うちMK500を教育委員会に渡し、残りで、図書室に置く教科書を買ったり、電気代やチョークなどの維持費等に使われているようです。1学期の学費を上回る高額の講習費で、生徒用の教材が用意されるわけでもなく、すべて、教員のアルバイト代になります。これに対し、日本の大学で修士号を得たマラウイアン教師が「長期休みにも、他の月と同じ給料はもらっているのだし、 講習費を徴収する必要があるのだろうか?」と発言しましたが、一人の賛同を得ることもなく、却下されました講習期間中、担当時間に不在の教員も多く、額に見合った内容を提供できているとは、思えませんでした。後日、ボツワナに12年間住んでいた別の同僚と、個人的にこの件を話したところ、ボツワナではこの種の手当のシステムはないそうです。「ボツワナはリッチだけど、マラウイはまだまだ貧しいから」と、彼女は話していました。彼らのように、マラウイ以外を知っているマラウイアンと話す機会が何度かありましたが、マラウイだけしか知らない人に比べ、視野が広く、ゆとりを感じられる人が多かったです。同様に、日本以外の視点を得た私が、いかに社会に貢献できるかが、私の今後の課題です。 今日、母とランチに行きました。1,500円(平日は1,200円)で、サラダ、ピザ、パスタ、ドリア、ミニデザート、ドリンクバーを提供してくれるそのお店は、満席でした。不況、不況と言えど、マラウイの高校の1学期分の学費に相当するランチが普通にできてしまうのですもの。やっぱり日本って、すごいと思いました。今晩は、今年唯一の忘年会に行ってきます今日も↓ぽちっ↓ぽちっとありがとうございます
December 20, 2008

今日の愛知県は、とても暖かいです皆様のところはいかがでしょうか?気温差に体調崩されませんよう、お気を付けくださいね 昨夜、Malawiのことをまとめていて、確認したいことがあり、久しぶりに飲み友達Misheckに電話しました前夜からほぼ1日、電気が使えなかったとのことなぜか、彼と隣の家の2軒だけ彼の家は、以前にも電話線が盗まれたり、水道管が盗まれたり、過電圧で、テレビやアイロンなどの電化製品が壊れたり、トラブル続き たくましいです、彼らちなみに過電圧で壊れた電化製品は、電力会社escomが直してくれることになったものの、テレビが戻ってくるまで7カ月かかりました7カ月ぶりのテレビに、はしゃぐMisheck アイロンは、10カ月経っても、戻ってきていませんでしたが・・・嗚呼、マラウイ しかし、skype、安いですな。マラウイとも、1分10円足らずマラウイから携帯で、日本の某社に電話をした際、個人情報保護のため本人確認、担当者へ・・・と、たらい回しにされてる数分の間に、20ドル分のユニットがなくなってしまい、要件を果たせなかったのに比べ、なんてリーズナブルなのでしょう ちなみに昨夜、楽天市場で、南ア産のワインを検索していて、びっくりリベルタス カベルネ・ソーヴィニヨン 845円クマラ シュナンブラン・シャルドネ 890円マラウイでは、このクラスのワインが日本円にして3,000円くらいするので、ボトルなぞ、滅多に買えませんでした任地に赴任する際、箱ワインを5箱持って行った、逸話を残した私ですが、後半は箱ワインでさえ、来客の時くらいで、普段は飲めませんでしたね今年のクリスマスは、南アフリカのワインなぞいかがですか?マラウイで飲んだら、この3~4倍のお値段と思えば、お得感満載 or 大富豪気分が味わえるかも前置きのつもりが長くなってしまったので、活動のまとめ話は、次回にしますねやっぱり不便。なのに、癒されるマラウイ今日もぽちっ↓ぽちっ↓とありがとうございます
December 10, 2008

『日本人の愛と性』(暉峻康隆、岩波新書、1989)によれば、「愛」とは、明治の頃、キリスト教の布教とともに外国から持ち込まれた言葉で、それまで日本人には、「愛」という概念がなかった。それまでの日本人にあったのは、「情」とのこと。同様に「ボランティア」も、日本での歴史が浅く、まだしっくりきていないのだろうなと、前回の日記にいただいたコメントを読み、改めて思いました。例えば、朝、家や会社の周りの道路や公園を清掃する。町で、困っている人たちがいたら、サポートする。そういったことが、自然にできる人たちもいると思うのです。「ボランティア」と名付け、意識化しなければ、地域活動や支え合い、助け合いができなくなっているのか?あるいは、従来からされていたことを、「ボランティア」という言葉で美化することで、無償の、もしくは低賃金の労働力を確保しようとしているのか?自分のこれまでの活動をふり返り、皆様からのコメントをいただくことで、改めて整理する機会になっています。感謝 以下、前回、前々回の続きです。180度の発想の転換(3) 生徒の学習権以上に、教師の労働者としての権利が優先される ここにも書いた通り、マラウイでは、年度途中の教師の転出入が頻繁にあります。 公共交通機関が未整備、かつ、自家用バイクや車などを入手しづらいことも一因でしょう。 また、教師たちの多くが、さらに待遇の良い職を求めています。私がいた間にも、行政職や大学職員、民間企業、NGO、軍などに転職したり、外国に留学した先生方もいました。 その時いる職員の担当できる科目によって開講科目が決まるため、年度途中で担当者が不在となり、自習の続いた科目もあれば、突然、新設された科目もあります。 ここでも紹介した通り、マラウイは、教員資格や、教員免許制度が曖昧です。大学の専攻はおろか、自分が生徒だった頃にも受講していなくても、本人が了承すれば、担当できてしまいます。私の配属先でも、体育の先生がチェワ語と生物を担当し、英語の先生が農業を担当していました。 一方、日本の学校では、生徒が履修すべき各科目の単位数に基づき、新年度開始までに職員が配置されます。出産や重大な疾病など、特別な事情がない限り、年度内の職員の異動は行われません。 したがって1年目は、ここにも書いた通り、実施されている単位数に対する、過剰な家庭科教師の配置がまったく理解できませんでした私がいるのに、新たな家庭科教師を「招いた」のは、私が必要とされていない証拠ではないかと悩み、やりがいのあった仕事を退職し、協力隊に参加したことを、後悔していました2年目に入り、家庭科を主専攻とする教師が5人もいるため、うち3人は家庭科を担当していない学校がある一方で、教師の転勤に伴い、年度途中から、家庭科が開講できなくなった学校もあることを知りました。配属先が私を軽んじていたわけではなく、マラウイアン教師の転勤や周辺校でも、似たような課題を抱えていることを、活動の終盤にようやく理解しました。マラウイアン教師が、「こういう人事を認めてしまう教育委員会に問題がある」と言っていましたが、まったく同感です。学校教育に関するシステムも、まだまだ発展途上なのでしょう。次回に続けます。今日もぽちっ↓ぽちっ↓とありがとうございます
December 9, 2008

寒いですね~昨夜は、寒さのあまり眠れず、電気毛布をひっぱり出しました。朝、起きた時には、外しておりましたが・・・冬って、寒い さて、前回の続きです。□教科観~家庭科を学校で学ぶ意味~(補足)日本でも、家庭科は、戦後、家庭科不要論が起こったり、外務省からの圧力で、男女共修になり、週休2日制に伴い、単位数が減った、基盤の脆弱な教科です。生活に密着した教科だからこそ、学校でなぜ、家庭科を学ぶのか。その意義と必要性を、家庭科教師自身が押さえておかなければならない。日本で家庭科に携わっている先生方のなかには、そんな危機感をお持ちの方もいらっしゃいます。私が教壇に立たせてもらって、最初に師事した先生は、家庭科の活路を、アカデミックさに求めていたようです。検定教科書の執筆もなさっており、立派な実践も多く残されました。私は、自分が生徒だった頃、そんな家庭科に興味を持てなかったこともあり、全日制の高校で、アカデミックな家庭科を担当するよりも、定時制や通信制の高校で、生活に還元できる、生きるための家庭科に魅力を感じていました。協力隊に参加したのも、そんな自分の経験を活かし、途上国の生活改善や健康維持に貢献したいと思ったからです。そんな自分のもつ家庭科観から、マラウイで求められているのが、受験のための家庭科であることを受け入れるのに、時間がかかってしまいました。180度の発想の転換 (2) 伝えるのではなく、教えてもらう側 協力隊への参加が決まると、配属先でどんな活動が求められているか、要望調査票が送られてきます。 私の配属先は、日本の無償資金協力により建てられ、2006年に開校したばかりの学校で、「カリキュラムや学校制度を整備する上で、隊員を通して日本の教育制度を参考にしたい」「家庭科目のカリキュラム設定を行う」「同僚教員へのアドバイスを行う」と書かれていました。訓練所でお聞きした、OVや国別担当者、マラウイ事務所とのネット電話でも、マラウイでは家庭科がほとんど行われていないとのことでした。 したがって明治初期、陸軍の戦術や編制を伝えるために、ドイツから来日したメッケル参謀少佐のごとく、日本の学校システムの利点や、家庭科の意義と面白さを“伝えたい”と意気込んでいました。 しかし実際には、マラウイには大勢の家庭科教師がおり、彼女たちから、マラウイの学校教育や家庭科を“教えてもらう”立場でした。 この180度の転換に慣れるまでにも、かなりの時間を要しました。 ここにも書きましたが、私は阪神大震災の折、3年間、ボランティアに携わりました。被災者の一人として、住民とボランティア、双方の視点をもっていたと自負しています。 震災ボランティアは、ボランティア元年ともてはやされた通り、1つのブームであり、ボランティアする側も、される側も慣れていなかったと言えるのではないでしょうか。 阪神大震災のちょうど10年前に起こったメキシコの震災では、住民たち自身が、倒壊した自分の家の前の道路に仮住まいを作り、自助組織を強めていったのに比べ、阪神大震災では、ボランティアが避難所の運営や、避難所から仮設住宅への引越しなど、お手伝いをしすぎたために、コミュニティの解体を促進し、自治組織の形成を待つことができなかった地区もありました。そんなボランティアのもたらす弊害も実感しました。 その後、国際理解教育、開発教育との関わりから、インドやカンボジアのNGO団体でのボランティアにも参加しました。 タイとの国境に近いカンボジアの村では、日本のNGO/NPOが競って井戸を作っていましたが、なかには住民に使われていないものもありました。 あるNGO団体の方からは、アジアの某国に学校を建て、子どもたちが教育を受けられるようになった結果、中・高等教育や高・定期収入を求め、若い人材が村から離れてしまい、過疎化を促進してしまった事例もお聞きしました。 支援する側からすれば、井戸や学校の建設など数値化できるものが、国際貢献や協力の度合いの指標としやすいのだと思います。 でも、現地の人たちから見れば・・・? NGO活動家たちとの関わりを通じ、村人たちとともに暮らし、話し合い、村人たち自身が自らの抱える問題に気づき、それを改善、解決する方法を模索する。その過程をサポートすることが、ボランティア、国際協力という考えに共感していました。井戸を掘ってあげるのではなく、井戸の必要性に村人たち自身が気づくのを支え、待ってから、ともに掘るべきというのが、それまでの経験に基づく、私のボランティア観でした。 マラウイでも、支援や価値観を押し付けるべきではないという基本的な考えがありました。 1年目は特に、自分が配属先で活動する必要性が見出せなかったし、自分が学校スタッフの一員であるとは思えませんでした。掃除や試験監督など、マラウイアンが自分たちでできることは、自分たちですべきだと思っていました。 初年度は特に、ボランティアとして何をすべきかという使命感が強すぎた、つまり、マラウイアンを援助する対象として見ていたのかもしれません。 2年目に入り、ようやく彼らとの対等な関係を築き始めることができました。同じ教師として見ると、尚、理解不能なことも多々ありましたが・・・ 昨日、参加したセミナーによれば、現在の協力隊は、“指導”ではなく、“協働”の中での相互学習が求められているとのこと。 大きな勘違いから、私は、月日を無駄に過ごしてしまったのかもしれません。次回に続きます。今日もぽちっ↓ぽちっ↓とありがとうございます
December 7, 2008

今日の愛知県は、雷雨です私はマラウイで、雷が鳴っていた日に、雷防御付きの変圧器を通して、パソコンを使っていたところ、変圧器も、パソコンも、見事に雷に破壊されました 詳しくは→電気関係もトラブル続き日本では、そんなことはないでしょう、きっと 昨日の日記にも書いた通り、私にとっての青年海外協力隊は、まだ整理できていません。でも、お話しさせていただくことで、少しずつ、整理するきっかけをいただいているように感じます。少しずつ、報告していきます。私は、ここでも報告した通り、最初の1年3カ月は、かなりもがいていました180度の発想の転換が、いくつか必要でした。今日はその1つめ、教科観について書きます。(1) 教科観 私は、学校家庭科の目的は、「自らの生活を見つめ直し、生活をより健康的に改善できる力を養うこと」だと思っています。ところが、マラウイの家庭科では、正解はイギリスの教科書の中にあります。マラウイで使われている家庭科の教科書は、ほとんどが旧宗主国イギリスの教科書からの転載なのです。例えば、朝食例:オムレツ、離乳食例:ゼリーなどとありますが、生徒たちは、オムレツもゼリーも見たことがありません。離乳食は、ミキサーやふるいにかけて細かくするとありますが、生徒にとって「ふるい」とは、また、台所のデザインとしてU字型やL字型、アイランド型などと紹介されていますが、彼らの台所は、もちろん日本でも、明治時代の家事・裁縫科や、戦後間もない頃の家庭科では、カレーライスやスモックの作り方など、当時の日本人にとっては、非日常的な料理や縫製を学ぶこともあったようです。でもそれは、栄養改善や衛生指導を目指していたと思うのです。マラウイでは、生活改善というより、国家試験合格のために、生徒たちが普段接することのない、実物を見たこともない単語を暗記することが求められていると感じました。したがって、ここにも書いた通り、1年目は、私がマラウイの家庭科を担当する意義が感じられず、協力隊に参加した後悔も大きく、配属先になじむことができませんでした。 このもがきは、家庭科という教科の独自性にも起因していると思います。万国共通の正解を、授業で与える他教科の学校隊員に共感してもらえないばかりか、むしろ批判され、孤独な闘いでした。 2年目に入り、ようやく、気持ちの転換ができたのか、あきらめがついたのか、予備校の講師に徹することができました。 ゼリーやオムレツ、ミキサーやふるいなどの実物に触れることで理解を促し、補習や小テストなど反復学習による知識の定着も心がけました。ゼリー初体験 次回に続きます。今日もぽちっ↓ぽちっ↓とありがとうございます
December 5, 2008

早いもので、帰国して、今日でちょうど2ヶ月が経ってしまいましたこの間、一体、何をしてたんでしょうね?同期隊員のなかには、すでに就職したり、アフリカに戻った人たちもいるようですが、相変わらず、家に引きこもっています 一昨日、名古屋国際センターの機関誌に載せる記事の取材のため、大学生のインタビュアーさんたちに、私の経験をお話しさせていただく機会をいただきました。私はまだ、自分にとっての協力隊の経験を整理できておらず、まとまりのない話を長々としてしまいました。記事にするの、とても大変だと思います。ごめんなさいインタビュアーさんに「他の協力隊OVの方たちも、途上国では『当たり前のことが、当たり前に通用しない』とおっしゃいますが、例えばどんなことですか?」と、聞かれました。とっさに思いつかなかったのですが、改めて挙げてみます。学校では、・年度の途中で、先生方の転勤、転職が頻繁にある。詳しくは→ドマシセカンダリースクール担当者がいなくなり、自習の続いた科目もあればある日突然、新設された科目もあります。・試験に対する考え方、制限時間や公平・公正の価値が異なる。詳しくは→マラウイの定期考査停電のため、印刷が間に合わなかった、入力ができていないなどの理由で、定期考査が、予告された時間に実施されないことは、よくあります・進級のかかった国家試験で、生徒が申し込んだ科目を受験できなかった。詳しくは→受験できなかった国家試験・教員資格が曖昧。高校卒業資格の国家試験に合格しているか、セカンダリースクール2年(日本の高校1年に相当)修了の国家試験に合格し、初等教員養成専門学校へ行けば、小学校の先生になれてしまう。詳しくは→マラウイの理数科教員に再訓練が必要な理由実際にはこれらを経ていない、無資格教員もいます。などなど、生徒の学ぶ権利よりも、教師の労働者としての権利が優先されているというのが実感です。生活面では、・銀行から振り込んだ水道代を確認してもらうのに、8か月かかった。 詳しくは→素敵なマラウイアン & 話の通じないマラウイアン・請求書に書かれていた金額よりも多めに払い続けたのに、 料金未納で電気を止められた。 詳しくは→まだまだ発展途上・頻発する停電。 詳しくは→電気関係もトラブル続き・7ヶ月あまり、盗まれたままの電話線。 詳しくは→電話線だけでなく・・・などなど、ネタ満載でしたね、マラウイ生活終わってみれば、楽しかったのですが、マラウイのネガティブなイメージとして伝わってしまうようで、短時間に、楽しいお話として伝えられるようになりたいです「当たり前」って、なんなんでしょうね?今日もぽちっ↓ぽちっ↓とありがとうございます
December 4, 2008

先週の土曜は、(社)青年海外協力協会主催、地球生活体験セミナーに参加してきました。青年海外協力協会(JOCA)とは、協力隊OVたちが、その経験を社会還元するサポートをしている団体のようです。このセミナーは、協力隊OVたちの経験をもとにつくられた教材を、体験する機会でした。この日、体験したのは「モルディブのミィードゥ島の水」と、「セネガルのファールさんのくらし」。会場に向かう電車の中で、昨日の日記に書いたことを考え続けていたこともあり、「ファールさんのくらし」が、とても印象に残りました。この教材は、しょうがいを持ち、路上に座っているファールさんに、お金をあげますか? あげませんか? それはなぜですか?という問いかけから始まります。私は、ここにも書いた通り、ただお金をあげることに抵抗があります。関係性の問題だと思うからです。もしファールさんが作った何かを売っていたら、それを買うかもしれません。□「あげる」人たちの主な意見・いけないと思いつつ、あげてしまう・少額をあげる・しょうがいがあるように偽っている人でなく、本当にしょうがいを持っている人ならあげる・これまで途上国で接した人たちのなかには、物乞いしかできない人たちもいた。彼らのことを思い出してしまうから、つい、あげてしまう□「あげない」人たちの主な意見・周りにいくらでも似たような人がいるし、きりがないから・旅行などでただ通りすがりならあげないだろうけど、毎日、顔を合わせて、ただ座っている人から、ファールさんという名前で呼ぶ関係になったら、あげるかもしれないその後、ファールさんのもつ背景や、協力隊員とのやりとりが紹介された後、セネガル(ファールさん)のいいところ、日本(自分)のいいところが話し合われました。セミナー参加者は、協力隊OVや学校の先生、日本に住んでいる外国人の生活支援をしている人、開発教育に関わっている人、学生さんなどでした。それぞれの豊富なご経験に基づくご意見は、共感したり、新たな視点をくれたり、それぞれの国や地方の特性を垣間見る機会にもなりました。ちなみに西アフリカに住んでいた人によれば、現地の人たちもファールさんのような人たちに、お金や、ペットボトルに入った飲みかけの水などを、普通にあげていたそうです。ちなみにセネガルには、イスラム教徒も多いそうですが、キリスト教徒の多い国でも、貧しい人やしょうがいを持つ人、ストリートチルドレンなどへの施しは、普通に行われているとのこと。私がインドのアウトカーストの村へ行った際、決して豊かではない彼女たちも、物乞いにバクシーシを与えていました。どういう基準で渡しているのか尋ねたところ、彼女たちも明確な基準を設定しているわけでなく、お小遣いに余裕がある時、あげたい時など、気分次第であげているようです。難しく考えすぎる必要はないのかなと、その時、思いました。日本社会で育った私は、無意識に「平等」「均等」など考えてしまっているようですが施しに関しては、先日も書いた通り、個人の価値観だけでなく、宗教も絡み、「唯一絶対の正解」は存在しないと思います。イスラム教徒は、「信仰」「礼拝」に続き、「喜捨」すべきと定められているそうですし。でも、水をあげるなら、せめて飲みかけではない方がいいと思います。病気の伝染予防という点からも。でもこれも、無理なく、自分にできる範囲での喜捨を実践しているのかもしれませんね。 ところで、会場で、たまたま隣に座らせてもらった方は、20年ほど前に協力隊に参加されたOVの方でした。20年経って、協力隊の経験はご自分の人生の中でどんな位置づけか尋ねたところ、はめ込めないというようなことをおっしゃっていました。例えば、日本なら効率を要求されるのが、効率とは無縁の2年だった、人生のなかでも異色の時間だったと。そしてそれは、20年経っても、家族とも共有できないとお聞きし、少しほっとしました。ほっとするのもおかしな話ですが、帰国して2か月の私が落ち着かないのも当然かなと。励まされたような気がしました。帰国後オリエンテーションでも、協力隊参加以前の自分の人生とのつながりを大切にしてあげるというアドバイスをいただきました。早く仕事を探さなきゃいけないんですけど、一方で、焦らず、自分らしく生きられる方法が見つけられれば、とも思うのでした。不況のなか、贅沢な時間を続けさせてもらっていますよね住ませて&食べさせてもらえる家のある、健康な両親に感謝です焦る気持ちもあるんですけどね・・・今日もぽちっ↓ぽちっ↓とありがとうございます
December 1, 2008
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